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御華詩Garden  作者: nakoso
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かこのおもいで


 わたしには、名前がありません。

 だからと言って不便に感じたり、名前がほしいと思った事もありません。

 名前など、必要ないのです。

 あっても、ない事と同じ。

 なくても……

 どちらにせよ、わたしたちは忘れられてゆく。

 そう。

 忘れられて、わたしたちは生まれ変われるのです。



  ★ ☆ ★ ☆ ★



 空が蒼い。空気は、やや涼しい。

 夏休みもすっかり終わり、9月の中旬。昼休みの屋上は、とても居心地がいい。

 校則だらけの学校でも、屋上だけは思う存分に呼吸ができる。

「ケースケ?」

「ん」

 呼ばれて、ぼくは自分が眠っていた事に気付いた。

「おはよ」

「……おはよ」

 ハルは仰向けで寝転がっているぼくを、仏頂面で見下ろした。

「呼んどいて、一人で昼寝かよ?」

 彼はそう文句を零し、乱暴に腰を下ろすとズボンのポケットからタバコを出す。100円ライターで火を点ければ、おいしそうにハルの目が細まった。

 ハルは、ぼくと小学校が一緒だった。中学は別々になってしまったけど、高校でまた一緒になった。

「あっつー」

 シャツの第2ボタンだけでなく、第3ボタンまであけながらハルはまたタバコを吸う。

 どこか遠い、空の向こうを見ていた目がぼくを睨んだ。

「いつまで寝てんの? 話があるんじゃなかったっけ?」

 いつも通りのイライラ口調が、今日はやたらと安心できた。

「……ケンカしちゃったんだ」

 起きたぼくはハルと向かい合ってあぐらをかいた。

 始め、ハルはきょとんとした様子だった。ぼくの切り出し方が悪いのかもしれない。けれど、ハルは最小限の言葉だけで、いつもぼくの悩みを汲み取ってくれる。

 んー。ハルが眉間を寄せてうなった。

 ふと、彼の目の様子がおかしい事に気付く。ぼくを見つめていた視線が、少し左にずれた。

 つられて、ぼくも自分の右肩を振り向いた。

「?」

 何もない。

「アキ……っつったっけ、カノジョ?」

「うん、そう」

 慌ててハルを見て、頷いた。

「ケンカとか無縁そうに見えたけどな」

「初めてだよ」

「だろうな」

 ハルがタバコを口に当てたため、少しの間が空いた。

「もう少し、自分を押し出してもいいんじゃねぇの?」

 主流煙を吐きながらハルが言った。

「ケースケの性格からすると、カノジョの言葉に従うタイプだろ?」

 的確な指摘に、ぼくは頷くしかできなかった。

「向こうの言い分を最優先にして、ケースケはそれに合わせるだけ。従順かもしんねぇけど、おれから見ればただラクしてるだけにしか思えねぇな」

 ぼくはうつむいた。アキに嫌われないように同調してきたぼくは、彼女からしてみれば『いい加減な男』にしか映っていなかったのかな。

 そうやって落ち込むぼくの頭を、突然ハルが叩いた。

「いたっ」

「『優しい』と『好き』とは違うんだぞ? 『好き』だからこそ出せる言動が、今のおまえには足りない」

「……?」

 真剣なハルの口調だけど、意味がはっきりとはつかめなかった。

 あー。苛立たしそうに、ハルが頭を掻く。

「頭で考えようとすんな。そのうちわかる時が来るだろうし」

 ハルは無理やり(少なくとも、ぼくはそう思う)そう結論付けた。

「ケースケだってカノジョに言いたい事、あるだろ? この際全部ぶちまけろ。ただ仲直りしたって、このままだとまたケンカするって、絶対」

「……うん、そうするよ」

 素直にぼくは頷いた。

 心の中にあったワダカマリがすっきりした。ハルに相談して、ハルからアドバイスしてもらうだけで、これまで何度も助けてもらっている。学校の先生たちの評判は悪いかもしれないけど、ぼくにとっては、それはもう頼りになる友人だ。

「やっぱ、ハルに相談してよかった」

「あ?」

「こういう経験、多いじゃん?」

 冗談めかして言ったら、ハルは少しだけふてくされた。



  ★ ☆ ★ ☆ ★



「次の授業は?」

「サボる」

「ん、そう。じゃあ、ぼくは教室に戻るから」

 そう言って、屋上から帰るケースケの背を見送って、おれはごろりと寝転がった。

 ふと、ケースケの性格を考えてみる。

 温厚ではあるけど、優柔不断。

 手先は器用、人間関係が不器用。

 そのくせ、世話好きな17歳。

 あいつ自身は、そんな性格が嫌だと言っている。

 けど、おれは少しうらやましい。おれにはない――何て言うか……あたたかいもの、を持っているから。

 もう少し、自分に自信を持ってもいいと思う。

 はーあ。ため息と一緒に上体を起こした。すっかり短くなったタバコを、地面で引っ掻いて火を消す。

「あんなヤツだけどさ、いいとこもあるわけよ。おれにとって数少ない、本音で付き合えるヤツだし」

 タバコを屋上の外に放って、おれは呟いた。視線の先は、さっきまでケースケが座っていたその向こう。

 一人の少年が、そこに立っていた。10歳ほどに見える、幼い少年。サイズの大きいTシャツと半ズボンの少年の顔には、ケースケの面影がある。

「ケースケはきっとうまくやれる。だから、安心しな」

 少年があどけなく笑った。その体が淡く発光し始める。青の混ざる澄んだ光が、少年の昇華を示す。

「おれんとこに来るのはいつでもいいけど、次はもう少し大人になって来いよ」

 おれは手を振って、光の粒子に砕けたそいつを見送った。

 細かい粒はすぐに空気に溶け込んで消える。10秒と待たずに、おれの前からすべては消えていた。

 何気なく、空を仰ぐ。

 蒼い空は、いつ見たってノンビリしている。思わず引き込まれそうになるぐらい、大きな威厳を持って。

「勉強なんて、馬鹿馬鹿しい」

 独り言を呟いて。

 おれは大の字に引っくり返った。



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