佐々木守はもういない
頭が割れそうだ。体に力が入らない。立っていることすらできずにベンチに倒れこむ。
僕は今まで何をしていたんだっけ?
……そうだ、戦わなきゃ。僕はチャンピオンなんだから。
違う、元チャンピオンじゃないか。
記憶力もなくなって昔のことはおろか、一年前、昨日のことだって覚えているか怪しい。
「お兄さん大丈夫かい?こんなところで寝てたら駄目だ。ちゃんと帰りな。」
「あ~……」
うまく声が出ない。
「す、すいません少し疲れてて……」
やっとのことでひねり出した声に対して親切な老人は何かに驚いたように僕の顔をよく見る。
「あんた、佐々木守か? 神速の連撃の。」
「佐々木……はい、僕の名前は佐々木守です、おそらくは。」
少し自分の名前を思い出すのに時間がかかったが、ぼやけた感覚でなら思い出せる。
老人は少々訝しがった表情を見せたのちに、
「あんたが引退してからもう3年か、早いな。こう見えてもわしは格闘技は大好きでな、お前さんのことは特に応援しとったから、残念じゃったよ。」
「それは申し訳ありませんでした。でも、僕はもうリングには立てませんから。」
そういった後、僕は涙が止まらなくなった。
あんなに好きだった格闘技を取り上げられ、満足に生活もできない体で意味のない時間を過ごしてきた。
生きがいを失った僕はもう、さながらセミの抜け殻のようであった。
気が付けば老人はもういなくなっていた。
何とか体は動きそうだった。帰ろう、何もない空っぽへ。
帰りたい。帰りたい。僕が帰りたいのは空っぽじゃない。誰か僕に生きる意味をくれ。
気づいたら、佐々木守はもういなかった。