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俺の名前は太田紅藍。
この春から、私立神鳴高校に通う15歳の青少年だ。
自分で言うのもなんだが、成績は良い方だし運動も出来る方だ。見た目は名前負けをしているが、それなりに整っている方だと自負している。
そんな俺の中学校生活最大の悩みは、彼女が出来ないことだった。
思春期の少年の大半が抱える悩みに悩まされている俺は、やはり普通の少年なんだと思う。
そのうち出てくるとは思うが、幼なじみの女に恥を忍んで悩み相談をしたこともある。その時の答えはこうだ。
『ん~、普通の娘にはくーちゃんと一緒にいるの疲れちゃうからじゃない?』
意味が分からん。何をどうすれば解決できるか皆目検討もつかない答えに、もう一度恥を忍んで解決策を聞いてみたんだ。するとその答えが、
『普通にしてればきっとモテると思うよ?話は聞く専門、ってなるだけで言い寄られそうだもん。…まあ私は?普段通りの天ちゃんでいるのが良いと思うけどな』
なんだそうだ。
それはつまり、俺の発言は一般的でなく、自分の意志はあまり発露しない方が俺の周りは華やぐ、ということになる。…ようだ。
俺は自己分析を怠ったことはないし自分を客観視出来ていると思っていたが、客観視、という部分において幼なじみとの齟齬があることは否めないので前向きに受け止めようと思ったが、俺の意志表示を押し殺すということは、ひいては俺自身を殺す、俺が俺でいなくなるということに他ならないと悟ったので、その意見は却下とした。
しかし、高校生活をスタートさせるにあたって、少し自分の見られ方、イメージというやつを変えてみるのはいい手だと思った。うちの中学から神鳴高校に行くのは俺と幼なじみだけだからだ。環境の変化と共に、一般的な会話、周りに打ち解ける俺、そして念願の彼女を手に入れ、誰もが羨む高校生活を送る。
その為にも、入学までのこの一ヶ月間、死にものぐるいで努力し、自己鍛錬、自己改善に励もう。入学式の俺に乞うご期待だ。
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とうとう四月の火曜日がやってきた。金曜日には早いが今日は決戦だ。カレー曜日に決戦に赴くのだ。今日一日の行動が今後を左右すると思えば、決戦という言い回しは言い得て妙だろう。
俺は今日までの一ヶ月間、寝る間も惜しんで様々な知識を蓄えた。俗に言う『雑学』というやつだ。未だ見ぬ学友達とフランクに付き合う事が今の俺には可能だ、と自負している。唯一の問題は幼なじみとの距離感をどうするかという事だ。春休みは用がなければ一切出歩かなかったので全く顔を合わせていなかった。あいつは機転が利くし、その場のフィーリングで口裏を合わせてくれる気がするが、念のため先に俺のプランを話しておきたいと思った。
よし、支度が調ったらあいつに挨拶してから学校に行くとしよう。
方針を決めた俺は毎朝のルーティンに乗っ取って支度を始めた。
荷物をまとめた後一階に下りて歯を磨く。朝食は母親が出してくれたものを食べるが、育ち盛りの俺には少し物足りないため、食パンとカフェオレを追加でいただく。俺は地で『早飯早グソ芸の内』を実践しているのでトイレに行く。洗面所で手を洗い、洗顔をして身だしなみを整えたら学ランを着込んで完成だ。
予定より少し早いが7時10分に家を出る。3つはす向かいの家が俺の幼なじみ、『御巫麗』の家だ。
俺の幼なじみ『御巫麗』について少し話そう。
彼女と出会ったのは3歳の夏頃、麗が保育園に中途入園してきたのがきっかけだ。
おとなしくて可憐な出で立ちをしていた彼女は、お人形さんみたい、という形容詞がぴったりの女の子だった。俺はその当時からどちらかというと浮いていて、独り黙々と粘土遊びをしていた所に、何を思ったのか一緒に遊びたいと言ってきたのが麗だった。
それからは家が近所なのもあり、家族ぐるみで遊びに行ったりもした。
彼女は小中と順調に成長し、身贔屓なしにみてもカワイイ女の子だと思う。明るく人なつっこい麗は、みんなの中心になる事が多く、近くにいる俺にも友人が少なからずできた。でもそんな友人だからか、俺はこれまでの友人関係を一切合切捨てて神鳴高校を選んだし、自分の力で友人と、そして彼女を、作りたいと思えたのだ。麗には頼らずに、自分の力で。そのことを、今日から女子高生になる幼なじみ、御巫麗に伝えようと思う。
閑話休題。
麗の家の前に来た俺は、インターフォンを押す。
『はぁ~い、どちらさまですか?』
おばさんの声が聞こえたので用件を伝える。
「おはようございます。紅藍ですけど、麗に話があっ」
「くーちゃん!?こんな早くにどうしたの?!」
食い気味で尋ねられたが慌てずにもう一度用件を伝える。
「お久しぶりです。学校に行く前に麗に話したいことがあって来たんですけど…」
「ちょっと待ってて!今行くから」
おばさんはインターフォンを切って玄関に向かってきているようだ。家の中から足音が聞こえてきた。近づいてきた勢いそのまま玄関ドアが開け放たれた。
「おはようくーちゃん!ホントに久しぶりだけど話って何?…ってどうしたの?」
現れたのは麗だった。
「あれ、俺今、おばさんと会話してたはずなのになんで麗が?」
疑問をそのまま口に出したが、どうでも良いことだと思い直し話を続けることにした。当の本人が来たのだ。話は早い。
「まあいいか。いや、実はな。神鳴高校に行く前に麗にお願い?みたいなもんがあってな?」
「よくなーい!全然よくなーい!ちょっとくーちゃん、今私とお母さん間違えてたでしょ!?朝から珍しく私に用があるって慌てて来てみたら、ちょっとひどいんじゃないの?」
慌てて来たのは麗の都合であって俺には全く関係ないんだが、そんなことを言うと藪蛇だろうと判断し口を閉ざした。
「ちょっと、聞いてるくーちゃん?」
「…」
「確かにお母さんは若いけどさ、声も口調も全然違うじゃない、」
「…」
「それなのに間違うなんて」
このまま黙っていても麗の愚痴は止まりそうもなかったし、そうすると俺の目的は達成されないので俺は素直に謝って、思ったことを口にした。
「悪かったよ。間延びしたような受け答えの声でおばさんだと思い込んでしまったんだ。落ち着いた大人の女性の声に聞こえたからさ。間違えちゃってごめんな。」
「えっ」
「ちょっと驚いてたからすぐに謝れなくて悪かったな。麗が出てきたって驚きから覚めたらさ、新しい制服着てる麗に気付いてまた驚いてたんだ。似合ってるな麗」
「くーちゃんに謝られて、くーちゃんに褒められた…」
突然後ろを向いてぶつぶつと何事かを呟いた麗だったが俺はよく聞き取れなかった。
俺に背を向けたまま麗はうなっていたが、落ち着いたようなので本題を切り出すことにした。
「え~っと、それでさ、最初に言った、話ってやつなんだけど…実は麗に」
「なんかちょっと見ない間にくーちゃん雰囲気変わったね。…なんか大人になったっていうか。柔らかくなったっていうか…」
俺の言葉をインターセプトして麗が喋る。さすが俺の幼なじみ、よく判っていて話が早い。
「さすがに俺のことをよく理解しているな麗は。まぁなんていうか?これが俺の春休みの成果って事だよ。色々知識を仕入れたし、取っつきやすくはなったと思うんだけど、麗から見てどうだ?」
「なんて言うか、一言で言うなら別人、だよ。もちろん芯の部分はくーちゃんなんだけど、表面上の…印象だけ見たなら、ホントに別人みたい。こういうのをきっと」
「「高校デビュー」」
「だよな」
そう、それが俺の第一歩になると思ったから、今日ここにこんな俺がいるんだ。それをキリストのいうところの隣人に理解して貰えたのが嬉しかったり、なんか可笑しかったりで俺は笑った。
「あ、くーちゃんが笑った…。出会った頃のくーちゃんみたいな、いい顔してる」
その当時の自分の表情なんて自分じゃよく分からないが、麗がいうならそうなんだろう。
「サンキュー。そんな訳で俺さ、神鳴高校じゃ自分の力で交友関係を築きたいって思ってるんだ」
「そっか…うん、くーちゃんならできるよ、きっと」
「あぁ。だからさ、暫くの間は俺たちが知り合いだってこと、学校じゃあ隠しておきたいんだ」
俺はついに本題を口にした。なんだか少し、心苦しさで胸の鼓動が早くなっている。
「そっか、…うん、わかった。そのために休みの間がんばってたんだもんね。…そのために今ここでお話してくれてるんだもんね…」
麗の声は段々と細くなり、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。頭と肩を落とし、前髪が顔を隠したため麗の表情は見えないが、心情は手に取るように判った。
「…すまない。でも俺、自分で選択して、自分で責任とって、自分で納得しながら人生送れる男でありたいんだ!」
後から思えば、なんだか別れ話をしているような台詞だが、それだけ必死に彼女(麗)に対して説得を試みていたって事だろう。
「そういうぶれない所はやっぱりくーちゃんだ」
少しだけ麗は微笑んでくれた。そして、
「うん、大丈夫。もし何かあったら口裏合わせといたげる。私たちの繋がりが本当になくなる訳じゃないんだもんね?」
と言った。
それに言葉に俺は、
「ああ、当然だ!昔も今も、俺のことを一番判っていてくれるのは麗だからな!」
と自信を持って力一杯応えた。
それに納得したのか、麗は笑って家の中へと戻っていった。
俺は門を出て一礼すると、学校へ向けて歩き出した。
高校生活の門出を祝うに相応しい、朝日の輝く春の日だった。