一人でも私は心臓を齧って生きていく
沈黙がその場におちた。
どうすればいいのだろうか。言い繕えばいいのか、逃げればいいのか。
茫然とした彼らから目を逸らしたいのに、体は石になったかのように硬直してただじっと彼らを見ている事しかできない。どうすればいいんだろうと考えようとしてもだんだん頭が真っ白になってきて、体が震える。
「…ばけ、もの。」
そして確定的な声が、聞こえた。
なんとなくわかっているつもりだった。心臓を食べるのは普通じゃないと。身体能力が異常なことも。でも少し期待していたかもしれない。もしかしたら、これは普通のことかもしれないって。
「…サヨ、さん。」
アンジュの声にびくりと体を動かしてしまう。ゆっくりと近付いてくる彼女から逃げようと体が後ずさる。胸が早鐘を打っている。息苦しくて、泣きたくなって。そして、怖かった。
ただ目の前の彼女から逃げようとして。
「サヨさん!」
しかし急に走って飛びついてきた彼女に反応出来ず、そのまま彼女は私を離さないと言わんばかりにぎゅっと抱きしめてくる。ふんわりと香る日溜りのような匂いが、心地よくて抱きしめ返したくなる。でも、私の手は先程の食事で血まみれで。べっとりと付いた血が、逃避しようとする私を逃がさないと言わんばかりに赤々しく光る。
「大丈夫ですよ。」
まるで私の心を見透かしたようにアンジュはそう言って私の背を撫でてくれた。その言葉に、つい私は涙を流してしまった。大丈夫。その言葉は、もしかしたら私がこの世界に来てずっと欲しかった言葉なのかもしれない。優しく包んでくれるようなその言葉に、どうしようもなく心を動かされる。
「大丈夫ですから。」
声もなく泣く私の背を、アンジュはずっと撫でてくれた。
「……。」
しばらくして。泣き止んだ私を待っていたのはボス戦突入前よりなおぎすぎすとした空気だった。正直もう一度泣きたい気分だ。アンジュは私の腕に引っ付くように抱き付いてきて、離れてくれない。それを穴が開くほど見てくる男集団。チャラ男も心無いしか機嫌が悪そうに見える。どうすればいいんだろう。そんなかんじでしばらく沈黙が続いた。
「いつまで、その男に引っ付いているのです、姉上。」
事態が変わったのは、そんな腹黒弟の発言であった。こちらにとっては今一理解が出来ないことであった。理解できなくて思わず首を傾げてしまったぐらいだ。そのせいでぎろりと腹黒弟に睨まれてしまったが。しかし男とはどういうこと、と茫然としてしまう。まさか私を男と勘違いしているのだろうか。いや、そんなわけがないだろう。
「そうだ、アンジュ。そんなどこの馬の骨ともわからぬ輩に近付いては危ない。こちらにこい。」
確かにどこの馬の骨ともわからない人間だが、もしかしてヘタレ王子も私の事を男と思っているのか?もしかして道中やたらと警戒さえていたのは私が男だと思われていたから?いや、でも私はどう見ても女でしょう?
「アンジュ、そいつはダメ。アンジュに釣り合わない。」
真っ黒黒助、お前もか。確かに私の格好は今エージェントシリーズという男物の服の女性版の服を着ている。エージェントシリーズはまさしくSPのような服装をさらにスタイリッシュかつSFチックにしたようなもので、女の子が着ると、何故か胸がぺったんになって男装の麗人と化す服装だったが、こんな女性的な男は普通いないだろうと言いたい。もしかして私の言動が男のようだったとか?いや、私は普通に話していただけなはず。
「貴方方もさっき見たでしょう、サヨさんが聖騎士のスキルを使う所を!聖騎士になれる方が悪い方な訳がないでしょう!」
アンジュが、会って数時間の私が言うのもなんだが彼女らしくもなく声を荒らげてそう言い切ったことに私は驚いて腕に抱き付いた彼女をマジマジと見つめる。聖女のようだ、乙女ゲームの主人公みたいだと思っていたが、まさに主人公のような台詞を何の躊躇もなく言い切る彼女はすごいな、と思う。じろじろ見ているのに気付いたのかアンジュも私を見返して、まるで花のようにふわりとほほ笑むと、またきっと男集団を見返す。
「それに……好きな人に抱き付いて何が悪いんです!」
…ふぁ!?ちょっと何言っているかわかりませんね。さっき貴方抱き付いてきましたよね?女ってわかるでしょう?何故男と思っている?しかも何で私の事をすきになっているのそんなフラグ私どこにも立ててないよ本当どういう事なの?男どもも私を睨むよりいい加減気付けよ私女だよ、どう見ても女でしょ。女とわかってください。いい加減軽く自信がなくなってきた。1時間かけて作った理想の女の子の姿が男に間違われるとか自分の美意識を疑ってしまいそうだ。
「アンジュ、ちょっといいかい。」
チャラ男がふとアンジュに声を掛ける。こいつも勘違いしていたら私泣くかもしれない。ちょっと期待を込めた目でみてしまう。
「その人、多分女の子だよ。」
多分は余計だけど正解だよ。驚愕した顔でこっちを見てくるアンジュに頷く。むしろなぜこんなに密着しているのに気付かないのか。そんなに女らしくないのだろうか、私は。男集団も愕然とした顔で見てくる。一切疑問すら抱いていなかったのか。どうなっているんだこいつらは。
「…も、……。」
俯いてしまったアンジュが何かぼそぼそ言っている。
好きな人が実は同性だったらそれはショックだろう。しかし間違いが早い内にわかってよかったと思う。何かこじらせる前なら立ち直るのも早いだろう。事実、顔を上げたアンジュは何か吹っ切れた顔をして
「それでも、好きです。」
ちょっと何を言っているかわかりませんね。
おかしい、私は日本語、いやこの世界の言葉を正しく理解しているつもりだったが、意外とわからない言葉があるようだ。私今アンジュが言った言葉が理解できない。そんな、女でも好きだなんて拗らせてるような台詞は
「私は、サヨさんが女であろうと、彼女を愛しています。」
「目を覚ましましょう。」
間髪入れずに思わず言ってしまった。吹っ切れたような、決心した顔で何を言っていらっしゃるのだろうかこの僧侶様は。明らかに混乱、いや錯乱していると言ってもいいと思う。会って一日も経っていない、それも同性が好きだ、愛しているだと。ちょっと何を言っているかわからない。
というか貴方ハレムあるじゃないですか、イケメンのすぐそこで唖然としている一級の奴らが。普通に彼らの中から選べばいいじゃない、何をトチ狂って同性を選んじゃっているんですか正気に戻ってくださいお願いします。
「私が貴方の盾となり矛となりましょう。貴方を害する者は私の敵。大丈夫です。私だけはあなたの味方であり続けましょう。」
歌うようにそう告げるアンジュの瞳には光が入ってないように見える。いや、どこか狂信的なほの暗い光が灯っているようだ。会って数時間で主人公キャラをヤンデレ化させるなんて私、実は一級フラグ建築士だったのだろうか。確実に死亡フラグが墓標のように聳え立っている気がするんだが。後ろの男集団よ、茫然としていないでこの子を正気に戻してくださいお願いします。
その後言い知れぬ恐怖に襲われて私は恥も外聞もかなぐり捨ててその場から全力で逃げた。彼らとは今後一切関わりを持たないことを願うしかない。次会った時は最悪私が終わるだろう。色々な意味で。やはり美形は避けるに限るということを思い知った。あと自分がちょっと異常なことも。もうこの森でぼっち生活を送るしかないんじゃないかと思う。