私の旦那様はつまらない男
無口で無愛想。
真面目だけが取り柄のつまらない男。
それが私の旦那様、ロバート伯爵だ。
「いってらっしゃいませ。ロバート様」
「今日は遅くなる。先に休んでいるように。」
「かしこまりました。」
王城へお勤めに出るロバート様に、私は使用人達と共に笑顔を張り付けてお見送りをする。
彼から別れの挨拶のキスが無いのはもちろん、愛想笑いもやっぱり無い。
無表情のまま必要事項を告げるだけ。
筋肉質で大柄で、短く刈り上げた黒髪の彼は、まるで歴戦の戦士のような豪胆な見た目のくせに職業は城の財務管理ときた。
毎日毎日数字と帳簿と睨み合いすぎて、人との向き合い方を忘れてしまったのではないかと近頃本気で思うわ。
馬車に乗り込んだロバート様が見えなくなるのを確認すると、私はほっと息を吐く。
堅苦しい人の傍に居るとこっちまで雰囲気にのまれてしまうようだ。
「さて、皆様?」
私は共にロバート様のお見送りをしていた使用人達に振り返り、手を叩いて注目を集める。
彼らの視線が自分に向けられた事を確認すると、なるべく落ち着いた声音を出して微笑んでみせた。
「お昼にはリッター侯爵夫人とご令嬢のリリアン様がいらっしゃるわ。粗相の無いように気をつけて。天気も良いし風も無いから、お茶会には中庭を使います。急いでテーブルセッティングの準備をお願い。」
「はい。マリアンヌ様。」
男性の使用人が何人か、重いテーブルとイスを運ぶ為に場を離れる。
「あとはバラのジャムを使ったクッキーを作りたいと思うの。花を使ったお菓子は会話の種にもなると思うし見栄えもいいわ。それからロザリーとアンは私の衣装の準備をお願い。 夫人は華やかなものを好まれる方だから、いつもより少しだけ装飾を大ぶりなものにしたいわ。」
「かしこまりました。」
「苦労かけてごめんなさいね。いつも感謝しているわ。どうかよろしくお願いします。」
旦那様が対人関係の苦手な分、妻の私は積極的に人付き合いをしなければならない。
もちろん使用人をねぎらうことも忘れてはいけない。
どれもこれも彼の立場が悪くならないようにする為。非常に神経を使う、妻の役割りだ。
クッキーを作って。
テーブルのコーディネートをチェックして。
衣装を整えたと同時に、リッター侯爵夫人と娘のリリアン嬢がやってきた。
「約束の時間よりも1時間早いわ。」
「リッター侯爵夫人はせっかちな事で有名ですから。」
知らせにきた使用人は苦笑しながら私を促す。
あぁ。本当に息つく暇もなく、作り笑顔を張り付けて彼女達のお相手をしなければならないみたい。
新緑を思わせるグリーンのドレスの裾を摘み、急ぎつつも優雅に2階から玄関へ下りていく。
ゆるく編みあげた栗色の髪には、私の注文通り大ぶりな花飾りが飾られていた。
「ようこそ、リッター侯爵夫人、リリアン様。」
「あぁマリアンヌ。ごきげんよう。今日はご招待ありがとう。」
ふくよかな体系のリッター侯爵夫人は、指の数だけ煌びやかな宝石の付いた指輪を付けている。
重くないのかと聞きたくなる自分をぐっと耐えて、彼女の抱擁と親愛のキスを受け取った。
続いて隣に控える娘のリリアンにも笑顔を向ける。
こちらは母親と違って細身な体系だ。
しかし趣味は母親と同じ。耳が取れるんじゃないかと心配になる重そうな翡翠の耳飾り。
さまざまな石のネックレスとブレスレットを何重にも重ねて付けていた。
「今日はたくさんお喋りしましょう?リリアン様はピアノがとてもお上手だと伺っておりますわ。ぜひお聞かせ下さいませ。」
満足気に頷くリリアンとリッター侯爵夫人を中庭へ案内する。
何をどうして彼女達の御機嫌取りをしなければならないのか。
ほんとうに面倒。旦那様がもう少し愛想良く人付き合いして下されば、私が社交に出る機会も半分で良くなるのに。
しかし残念ながら彼はいまごろ私の苦労など露とも思わず、大好きな数字と帳簿に埋もれているのだろう。
仕事馬鹿とはああ言う人のことを言うのね。
「まぁまぁ、相変わらず素敵なお庭だこと。」
「本当、とても丁寧にお世話されてらっしゃるのね。」
リッター侯爵夫人とその娘はイスに座りながら中庭を眺めた。
「まぁそんな…ありきたりな庭ですわ。」
もちろん謙遜は忘れない。これは貴族社会で必須スキル。
社交辞令だらけの貴族社会。だけれど、庭についての話題は嬉しくなる。
我が家の庭はそれはそれは美しい。私の自慢なのだから。
私は空いた時間をここでのんびり読書をして過ごす時間が大好きだ。
しかしその後の数時間は苦痛だった。
今日の衣装の品評会から始まり、次にあそこの令嬢はどうだ、あの侯爵はセンスが悪い。などなど、侯爵夫人とその娘による悪口の羅列が続くのだ。
私は驚いたり頷いたり、興味深そうに聞き入るふりをする。
我が家と旦那様の評判を落とさないため、本当に気を使う時間だわ。
夕陽が傾き始めたころ、彼女たちのお喋りはやっと止まった。
私はさも名残惜しそうに寂しそうな顔を作り、娘のリリアンが気に入ったバラのジャムのクッキーを持たせてから馬車を見送る。
「やれやれ、これで本日の私のお勤めは終了ね。」
「お疲れ様です、奥様。」
使用人に後片付けは任せて、楽な普段着に着替える為に階段を上って自室に入る。
手伝いの使用人は付けない。ゴテゴテした礼装はともかく普段着程度は一人で着替えるのが常だから。
一緒にいるだけで肩のこるお堅い旦那様は遅くなると朝に言っていた。
夜は一人でのんびり夕食をとって、湯浴みをして、少し読書をしてのびのび寝よう。
うん。少し気持ちが浮上してきた。
「-------あら?」
何の本を読もうか考えながら気替えを始めようとした私の耳に、玄関から慌ただしい物音が滑り込んできた。
「旦那様のお帰り?でも遅くなるって言ってらっしゃったし。」
それにいつもロバート様の帰宅を知らせる使用人が来る様子もない。
おそらく郵便か何か届いたのだろう。
そう思うことにして、私は頭の髪飾りを外して編み込んでいたリボンを解く。
解かれた栗色の長い髪が、ふわりと揺れた。
「マリアンヌ。」
「っ…!」
髪が、揺れたのでは無かった。
男の武骨で長い指に髪をすくわれたのだ。
振り向くと、相変わらず無表情で感情の読めない私の旦那様。ロバート様がいた。
背も高く大柄な彼は、さながら大木のごとくじっと立って私を見下ろす。
いつの間に部屋に入ってきて、いつの間に背後に立ったのだろう。
振り向いたまま、驚いて声も出ない私の目前に、彼はぶっきらぼうに何かを突き付ける。
「え?」
胸に押しつけられて思わず受け取ったそれは、大きな大きな花束だった。
「ロバート様、これは…。」
「今日で、結婚して1年だからな。」
丁度一年前、私はこの人と結婚した。
属に言う政略結婚。
お互いに愛情なんてひとかけらもないままの結婚。
いつも無表情で、無口で、面白みのない旦那様は、私と距離をつめようともしなかった。
私は一年間、頼る人も居ないまま、この家の妻として一人で必死に立ってきた。
「っ……。」
「いつも、すまない。感謝してるんだが、その…うまく言えなくて、だな。」
「………感謝より。欲しいものがあります。」
「…なんだ?」
政略結婚だから。
こんな性格な人だから。
望まないつもりだった。
望んではいけないと思い続けてきた。
でも、不意打ちにこんな優しい気遣いをされてしまうと、ほんの少し欲張ってもいいのではないかと思ってしまう。
唇を噛み締めてギュッと花束を抱きしめて、深呼吸してから顔を上げる。
あぁ。きっと私の顔はみっともない事になっているのだろう。
「気持が、欲しいです。愛していただきたいのです。」
「なっ…。」
貴族の婚姻なんて所詮こんなものだと割り切れればよかった。
けれど私には出来ないのだ。
だからこっちを向いて欲しくて、必死に完璧な奥様を目指していた。
彼の苦手な社交の場で役にたてば振り向いてくれるかも知れないという浅はかな願望。
ロバート様は目を丸くして絶句している。
当然だろう。
今まで何一つ文句を言わなかった妻が、いきなり突拍子もない事を言い出したのだから。
「いまさら、何を言う。」
怒ったように眉間に皺を寄せて彼は私を見つめる。
あぁ、やっぱり無理な願いだったのかしら。
------そう諦めそうになった瞬間。
大きくて熱い体に、私の体は包まれた。
私とロバート様の間に挟まれた花束が、熱さによって強い芳香を放ちだす。
「私が、伝えるのが下手なのは知っているだろう。いや…そんな理由で逃げて何も言わなかった私が悪いのだろう。」
低い男の人の声で耳元に囁かれて、ぞくりと背筋が泡立った。
「……愛してる。誰よりも。」
「っ…!」
彼の言葉に、目頭が熱くなる。
一年間ずっとずっと欲しかった言葉を、やっと貰えた。
私は片手で花束を抱きしめて、もう一方の手で彼の服の裾をぎゅっと握りしめた。
「私も、ずっとお慕いしておりました。」
泣きそうになりながらも顔を上げると、珍しく柔らかく微笑んだ彼の顔が目の前に迫っていた。
武骨な旦那様の優しいキスを受け取りながら、私は幸せに浸る為に目をつむる----------。