第九章バレンタインデート
俺の本当の気持ちは? 〜健吾十一〜
麻里と絵里、二人とも大学受験があるため、一月は平穏に過ぎていった。
二月も半ばを過ぎたから二人とも試験を終え、そろそろ結果が出る頃だけど。
麻里は俺が進学する白山学院の短大を希望していると言っていたが、絵里は教えてくれなかった。受験のため東京に行ったから、都内の大学だとは思うのだけど。
夕飯を食べた後、部屋でパラパラとタウン誌をめくっていると、麻里から電話が来た。たぶん合格の報告だろう。麻里はああ見えて成績は悪くない。楽勝で合格すると思っていたので、ちょっと意地悪をしてみた。
「もしもし、残念だったな」
「うん」
「え?」
冗談のつもりが、沈んだ麻里の声に言葉が出なかった。
「な〜んて嘘だよ。合格してた。ちゃんと名前あったよ」
「そ、そうか。良かったな」
まんまと返り討ちにあった俺は、何でもないふりをしたが無駄だった。
「あはは。ビックリしたでしょ。健吾が意地悪を言うからだよ。四月からは同じキャンパスだね。楽しみだなぁ。それと、もうすぐバレンタインだね。チョコは宅急便で送るから、楽しみにしていてね」
「サンキュウ」
「健吾は甘党だもんね」
麻里が作るチョコレートは絶品だ。短大より、パティシエになるために製菓の専門学校に行った方が良いのではと思うくらいだ。
「ねえ健吾。絵里は、どこの大学を受けたか知っている?」
「いや。それが教えてくれなくて」
「ふうん。そうなんだ」
「ああ。ってそれより。いま絵里って言ったよな。いつの間に仲良くなったんだ」
「仲良く?そんなんじゃないけど、もう友達みたいなものだから。戦友って言うのかな」
「そんなものなのか」
女の心理、いや麻里の心理か。俺には、よく分からない。
「じゃあ、またね」
「ああ。またな」
意外にあっさりと切ったなと思ったら、すぐに絵里からも電話が来た。
「もしもし、健吾君。バレンタインデーにデートするから、迎えに来て」
突然の申し込みに二の句が継げない。誘っているのではなく、決定事項らしい。
「わ、分かった」
「じゃあ、待っているからね」
「うん」
と答えると、すぐに切れた。何とも積極的というか、強引というか。麻里のことを思うと罪悪感もあったが、誘われて嬉しい気持ちも確かにあった。
バレンタインデー当日。
この時期になると授業には、ほとんど出ていないから、朝から時間は空いている。
最近は気温があまり上がらず、降り積もった雪が融けない。風も冷たいから、目的地が野外でも良いように暖かい格好で迎えに行った。
「おはよう。待っていたよ」
出迎えてくれた絵里は、すでにコートを着ていて準備万端だった。
「行きましょう」
綿雪が舞い降りている中を、傘を並べて出発した。
絵里に促されるままバスに乗り、いったん駅で降りて乗り換えた。バスに表示されている路線名で行き先は分かった。
「スケートに行くのか?」
平日のスケート場行きはガラガラで、後ろの方の二人掛けに座った。
「そうよ。受験生だったから、スキーとかスケートとか御法度だったけど、もう終わったから」
「誰が言い始めたんだろうな。受かる奴は受かるんだから、関係ないと思うんだけどな。で、合格したのか?」
「うん」
満面の笑顔で頷いた。
「そうか、良かったな。それで、どこに決まったんだ?」
「それは内緒」
「何でだよ?」
「何でも。後で教えてあげる」
隠す理由が分からない。俺をからかって、楽しんでいるのかな。
「ところで、絵里はスケート出来るのか」
「ううん。出来ないの。初めてやった時に怪我をしちゃって、それ以来やってないわ」
運動神経抜群の絵里だから、てっきり上手いのかと思っていたので意外だった。
「じゃあ何で」
「さっきも言ったとおり受験生だったから、家でスケートの話題は出なかったけど、一回だけ亜里沙に言われたの。『絵里姉は、どうせスケートが出来ないんだから関係ないよね』って。それが悔しくって。だから受験が終わったら、絶対出来るようになろうって」
いま、また思い出したみたいで、口を尖らせている。
「ははは。今の亜里沙のモノマネか?けっこう似ているな。それにしても、俺が出来なかったら、どうするつもりだったんだ?」
「え?あっ、それは考えなかったわ。でも、その言い方だと出来るのよね。なら良いじゃない。優しく教えてね」
しっかりしているようで、少し抜けている面もあるんだな。
ドーム型になっているスケート場に入ると、思ったより多くの客で賑わっていた。親子連れあり、団体客あり、そしてカップルあり。俺たちって、端から見ればカップルに見えるんだろうな。
スケート靴に履き替えて周りを眺めていると、絵里が紐を結ぶのに苦戦していた。
「手袋していると、結びにくいだろう」
「そうなんだけど。寒いから」
「結んでやるよ」
手袋を脱ぎ、前に屈んだ。
「ふふ。今日も使ってくれているんだね。嬉しいな」
「せっかく貰ったしな」
麻里を傷付けた物だから迷ったが、寒さには勝てなかった。
「さっ、出来たぞ。早速、リンクに出るか」
「う、うん」
緊張してきたのか、声が震えている。
氷のすぐ側まで行って先に足を踏み入れ、絵里の片手を持って支えた。
「ゆっくり」
「うん」
そっと片足ずつ乗せて、とりあえず氷上に立った。両足に重心を掛けているので安定している。
「最初は、どうすればいいの?」
「そうだな。やっぱり初めは、ひょうたんだな」
「ひょうたん?」
「うん。こうやるんだ。見ていて」
絵里から離れて、見本を見せる。
「つま先を七十五度に開いて、少し膝を曲げて腰を落とし、内側のエッジに力を入れて氷を押し出すようにする。こうすると足が開くと同時に前に進むから、くるぶしをくっつけるように意識して膝を伸ばすと、元の体勢に戻るんだ」
滑った跡が、ひょうたんの形になる。
「ふうん。だからひょうたんって言うんだ。面白いね」
「これを繰り返して、氷の上のバランス感覚を掴めば、後がやりやすい。やってみて」
「う、うん。こうやって」
恐る恐るだが、良い感じだ。運動神経は良いのだから、これくらいは容易いようだ。
「上手い上手い」
「ホント?」
「ああ。それなら大丈夫そうだ」
しばらく、ひょうたんを続けた後、頃合いを見て突然絵里の手を取った。否応なしに、リンク一周に連れ出す。
「きゃあ。ちょっと待って」
悲鳴を上げる絵里は足を動かすことが出来ずに、引っ張られるままでいる。
「俺の足の動きをよく見て真似て。片足を反対の足のくるぶしの方へ引き寄せるように滑らせて、外側に押し出す。それを交互にやるんだ」
ゆっくりと絵里に見せるようにすると、すぐに見よう見真似でやってみる。
「こうかな」
「そうそう。氷に乗るようにバランスを取って、恐がらないで」
「う、うん」
二周もした頃にはコツを掴んだようで、安定した滑りを見せ始めた。
「上手いな。すぐに飲み込むから、教える方は楽だよ」
「そう?嬉しいな」
何周しただろうか。少し疲れだした頃に、それは起こった。
「でも俺としては、もうちょっとこう、な」
「なあに?」
男としては、きゃあきゃあ言う女の子を手取り足取り、ついでに腰取り教えて、途中で転んで倒れかかってきたりして。と、下心ありありの妄想をしていると、
「きゃっ」
「危ない」
バランスを崩した絵里の身体が倒れてきて、転ばないように腰に抱きついてきた。
「おっと」
倒れないようにバランスを取って踏ん張ったが、無理だった。二人もろとも横転する。
―――ぐっ!
腕から肩に衝撃が走り、思わず顔をしかめた。
「だ、大丈夫か?」
「私は大丈夫だけど」
何とか下になるように倒れたため、絵里が無事なのは予想出来たが、俺の方は腕から倒れ込んでしまった。それよりも絵里の顔が目の前にあって、しかも唇が近いぞ。
しかし、それどころではなかった。
「いてっ!」
どうやら右肘を強打したようだ。
「ごめんね」
「大したことないって。ただの打撲だから。とりあえず立って出よう」
「うん」
リンクを出てイスに座り、自販機で買ってきたコーヒーで冷たくなった手を暖めた。
「いたた」
妄想通りに倒れてきたが、余計な怪我までついてきてしまった。
イヤらしいことを考えたから、バチが当たったかな。
「大丈夫?」
「うん」
多分、明日からきそうだな。
腕をさすってみると少し痛いが、骨には異常なさそうだ。
「もし動かなくなったらバスケも出来ないし、取り柄がなくなっちゃうな。そうだ。絵里に介抱してもらうかな」
「うん。何でもするわ。一生だって」
真顔で言うので、慌てて訂正した。
「おいおい。冗談だって」
「分かっているけど。そういう覚悟は、あるわ」
「そ、そうか」
と言うことは何だ。結婚だって辞さないってことか?これは、ある意味プロポーズにも聞こえる。それ程、俺のことを想っていてくれるのかと、感激した。
「飲もうか」
缶コーヒーのプルトップを開けて一口飲んだが、絵里は手袋を取ろうとしない。
「爪、長いのか」
「そんなわけないじゃない」
「だよな。弓道やっていて長いわけないか。じゃあ、どうしたんだ。開けてやろうか」
「ううん。いいよ」
手袋を脱ぐと、絆創膏が貼ってあった。
「どうしたんだ、それ」
「チョコを作る時に、少し切っちゃって」
「チョコを作るのに、包丁を使うのか?」
「ええ。チョコの固まりを小さく切って湯煎するんだけど、その時に」
絵里は、自分でコーンポタージュのプルトップを開けた。
「そうなんだ。大丈夫か」
「ホントに少しだから」
絵里の手をよく見ると、弓道と家事をしているだけあって、小さい傷がたくさんあった。
「そんなに見ないで。私の手、綺麗じゃないから」
「綺麗ならいいってもんじゃないだろ。いい手だよ」
思わず左手を取って、ギュッと握っていた。
「健吾君」
「あっ、ごめん。つい」
「ううん。いいの。そう言ってくれると、嬉しいわ」
そう言って微笑む絵里を見ていると、思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、胸の奥底に押し込めた。
その後、軽食コーナーで食事をしてから少し滑り、スケート場を後にした。そして、いったんバスで駅に戻ると小さな珈琲屋に入った。
「はいこれ。チョコよ」
「ありがとう」
ラッピングされた箱を開けると、ハート形のチョコが、たくさん入っていた。小さいアーモンドが散りばめられていて、美味しそうだ。
「お菓子作りはしたことがないから、それくらいしか出来なくて。でも、もう慣れたから次は、レシピがあれば何でも作れるよ」
「何でもか。でも男は、手作りをしてくれるって事が嬉しいから。まあ、味が良ければ、もっと良いんだけど。俺って甘党だから」
「そうなんだ。じゃあ、お菓子作りも勉強しなくっちゃ」
「絵里なら、すぐに覚えそうだな」
俺はカフェオレ、絵里はココアを飲みながら、いろいろと話した。
「そうそう。大学はどこに決まったんだ」
「あっ、忘れていたわ。まだ言ってなかったよね。白山よ」
「え?」
口を付けていたカップを持つ手が止まった。
「白山?」
「ええ。白山の文学部。あはは。そんなに目をまん丸にして驚かなくても」
「驚くだろ、普通」
「ごめんね。健吾君の、そういう顔が見たくて」
学部は違うが、同じ大学に通うことになるとは思いもよらなかった。麻里も短大だけど白山だし、早くどちらかに決めないといけない。このままずるずると引っ張るのは、お互いの傷が深くなるだけだ。
「これで、東京でも近くにいられるよ」
「そうだな」
一時間位話して帰宅すると、クール宅急便で麻里からのチョコレートが届いていた。包みを開けるとメッセージカードが出てきた。
―――大好きな健吾へ
今年はトリュフを作ってみました。すご〜く甘くしてあるからね。きちんと歯を磨かないと、虫歯になっちゃうかもよ。
カードを置きラッピングをほどくと、バスケットボールに見立てたトリュフが、籠のような容器に何十個も入っていた。
口に一つ放り込むと、甘いと言うより甘ったるい味と風味がいっぱいに広がった。
「相変わらず美味いな」
これを作っている時の麻里と、横に置いたハート型のチョコを作っている時の絵里の姿を重ねてまた、葛藤を繰り返すのだった。
麻里と絵里。どちらにするか決めかねる日々が続いたが、卒業式はすぐそこまで近づいて来ていた。そして、思わぬ展開が待ち受けていた。