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第八章 届かなかった手紙

絵里って、和風美人だな 〜健吾十〜

 大晦日の夜。俺は絵里に、初詣に誘われた。

絵里と顔を会わせるのは少し気が引けたが、母さんに「行かないとお年玉あげないわよ」などと、訳の分からない脅しをかけられたので、行くことにした。クリスマスプレゼントを買うために、お年玉を前借りしているから貰っても額は少ないけど。

 そういえば、年が明ける前に初詣に出掛けるなんて初めてだ。

 バスに乗って、絵里が毎年行くという神社の近くに降りると、思ったよりも沢山の人が神社へ向かって歩いていた。俺が小さい頃は、こんな夜中に出歩くなんて眠たくて出来なかったから、家族連れの多さに驚いた。そして当然、俺達のように男女二人の姿も見られ、晴れ着を着た人も、かなりいた。

俺の隣には着物を着た絵里がいるのだが、そんな女性達とはかなり違う。それは晴れ着ではなく、普通の着物のように見えた。晴れ着に比べると地味だけど、落ち着いた感じがする。

「さっきから不思議そうに見ているけど、なあに?」

「それって、晴れ着じゃないよな」

「そうよ。これはね、小紋といって、外出着なの」

「へ〜」

「着物は好きだけど、晴れ着は着ないのよ。お正月や、成人式というと派手な物を着るけど、あまりそういうのは好きじゃないから」

 その派手じゃないところが、和風美人の絵里を際だたせている。

長い髪を上に持ってきて纏めているのもプラスされて、女の子ではなく女性という印象を受けた。綺麗な襟足と項が、何とも色っぽい。

真冬の夜特有の、ピンと冷たい空気が妙に似合っていた。

「うん。その方が似合うな」

「ホント?嬉しい」

 俺の方を向いて微笑むと、髪に挿した簪の飾りが大きく揺れた。

「それ、使ってくれているのな」

手には、俺がプレゼントした巾着袋を持っている。

「ええ。お気に入りだもの。健吾君もだね」

 俺の手を見て微笑む絵里。そんな嬉しそうな表情を見る度に、どきどきした。

「こんなに並んでいるんだ。みんな早いな」

 神社に着くと鳥居をくぐる前から長い列が出来ていて、最後尾に並んだ。

「絵里は何をお願いするんだ」

「もちろん、合格祈願よ」

「あっ、そうだよな。ごめん」

「いいのよ。健吾君は何をお願いするの?」

「俺?そうだな。大学でも、バスケで良い成績が残せるようにかな」

 本当は麻里とのことをお願いするつもりだったが、さすがに言うのは、はばかれた。

「そう。私は他にもあるよ。健吾君と一緒にいられますようにって」

 俺は何も言うことが出来ず、顔色を見られるのが嫌だったので、わざとらしく腕時計を見た。

「絵里。あと少しで年が明けるぞ。ほら」

「ホント?」

 腕時計を見せると、絵里は嬉しそうに覗き込んだ。

「「三・二・一・ゼロ」」

「明けましておめでとうございます。健吾君」

「明けましておめでとう、絵里」

 ちょうど鳥居の下で、俺達は年越しをした。

 三十分後、ようやくお参りを済ませて、おみくじを引いた。カラカラと番号札の入った筒を振って巫女さんから、くじを受け取る。

 今年の運勢は……。やった大吉だ。俺は、この喜びを絵里に伝えようと横を見た。すると絵里は、クルリと回転して俺に背を向けた。黙って見ていると、二つに折ったおみくじを、掌の中で何度も開いたり閉じたりしている。もしかして悪かったのかな。

「どうだった?」

 俺は、絵里の肩越しに覗きながら聞いてみた。

「いや!見ないで」

 慌てて隠したが見えてしまった。

「凶か。初めて見た」

「私もよ」

 力無く項垂れる絵里。二人の間に、重い空気が流れた。

「お、俺は大吉だったけど、凶を引くのって、大吉よりも確率が低いって言うぞ。凄いじゃないか」

「そんなこと言われたって。これから受験なのに」

 俺に励まされるほど、絵里の顔色は悪くなり気分が落ちていく様だった。

「気にするな。今年の悪い運を、全部使い切ったってことだよ」

「ありがとう。そう考えることにする」

おみくじを枝に結ぶと、気を取り直して、お守りを買いに売り場へ向かった。

「ん?旨そうな匂いだな」

どこからともなく美味しそうな匂いがしてきた。

「これは蕎麦つゆの匂いだわ。あっ、あそこで配っているよ」

「ちょうど腹が減っていた所なんだ。食べよう」

「うん」

 発砲スチロールのお椀に入った暖かい年越し蕎麦を、ふうふう冷ましながらすすっていると、絵里に笑われてしまった。

「健吾君って、猫舌なんだ」

「ああ。熱いのはダメなんだ。夏の暑さには、強いんだけどな」

「そうだね。あっ、美味しい」

 女の子独特のすすり方で蕎麦を食べる様子は、男の俺にとっては何だか新鮮だ。

「そんなに見ないで、恥ずかしいじゃない」

俺の視線に気が付いたようで、反対方向を向いた。

「ごめん。ちょっと珍しかっただけだよ」

「もうっ」

 絵里の顔に、少し明るさが戻った。身体が暖かくなって、お腹が少し満たされたからか、恥ずかしそうに笑った。

「今日は、健吾君と来られて良かった」

「そうか?」

「うん。でもね。遊佐さんは、こうやって会うことが出来ないのに、私ばかり一緒にいられて不公平かなとも思うの。それに受験もあるし。しばらく会うのは、やめるわ」

「うん」

 そんな控えめの所も、絵里の良いところだ。

「ご馳走様。私、合格祈願のお守り買ってくるから、ちょっと待っていて」

 絵里は蕎麦を食べ終わると、合格祈願のお守りを買いに行った。

 お椀を預かった俺はゴミ箱にそれを捨てると、絵里の後ろ姿を見つめていた。


私達、もう終わりなの? 〜麻里六〜

 一月四日。

 大晦日の夜に降った雪は、道路脇に少し残った雪以外、すっかり消えていた。冷たい風が、顔を吹き抜けていく。

「健吾っ」

 人混みの中から、健吾が現れた。今日は健吾と初詣に行って、その後は私の家でプレゼント交換をするんだ。

「ようっ」

「寒いねぇ〜」

「そうだな。行くか」

「うん」

 私たちは、神社へと足を向けた。

「麻里は晴れ着が、似合うな」

「そう?嬉しいな。思い切って、着てきて良かった」

 本当はちょっと帯がきついけど、我慢しなくちゃ。

「勉強は順調に進んでいるか。ごめんな。俺だけ受かっちゃって」

「そんなこと、全然思ってないくせに〜」

「ははは。分かるか」

 神社に着くと、大勢の人で境内が埋まっていた。三が日の三日目だけど、まだまだ初詣の人達でいっぱいだ。

「ウィンターカップは惜しかったねぇ」

「うん。でもまあ、あそこまで行ければ上出来だ」

「健吾が四位に入ったのは良かったよね。一昨年の五位からワンランクアップだね。そう言えば、同じ佐武の人がアシストで入っていたね」

「陽一な。そうなんだよ。まさか、あそこまで行くとは思わなかった。まあアシストだから、それを受ける俺がいたから取れたようなもんだ」

「ふふふ。でも、それは健吾だって同じでしょ」

「そりゃそうだ」

 健吾とこうやってお喋りするのは、夏以来だ。

「健吾は、何をお参りするの?」

 健吾の顔を、ジッと見て言う。当然、私とのことだよね。

「ん〜。どうするかな。麻里は合格祈願だろう」

「それはそうだけど。もう一つあるでしょう」

 私は頬を膨らませて抗議した。

「むぅ〜」

「ははは」

「もうっ。いじわる〜」

 やっと番が来て、一緒に鐘を鳴らして手を合わせた。健吾と、ずっと一緒にいられますように。結婚は、出来るのかな。それと、短大に合格しますように。

 目を開けて横を見ると、健吾はまだ手を合わせたままだった。

「まだ〜、健吾」

「あっ。終わったよ」

 二人で一礼すると、その場を離れておみくじ売り場へ行った。

「どうだった?」

「末吉だ」

「勝った〜。私は中吉だよ」

「おみくじに勝ち負けもないだろう」

「あるの」

 そんなこと言って、去年はあんなに自慢したくせに。あの時は確か健吾が大吉、私が吉で負けたんだ。だから今年は負けないぞって、思っていたの。

「あそこに結ぼうよ。そうそう。お守り買わないと」

 枝に結び、健吾の手を取ってお札やお守りの売り場へと引っ張った。


「あ〜、楽しかった」

 神社を後にして、私の家に行くために駅のホームで電車を待った。

「雪だ」

寒くなってきたと思ったら、雪がちらついてきた。

 手の平を上にすると、舞い降りた雪が体温でスッと溶けた。こういうのって、なんか良いよね。

「はあ〜」

私は手が冷たくなってきたので、両手を擦り合わせて息を吹きかけた。手袋を持ってくれば良かったなぁ。

「健吾、ポケットに手、入れて良い?」

「いいよ」

 ふふふ。彼女の特権よね。コートのポケットに手を入れると、フワッとした物に触れた。毛糸みたい。

「これ、なあに?」

「えっ?」

 取り出してみると、毛糸の手袋だった。

「手袋だ」

「そ、そうそう。忘れていた。着けていいぞ」

「ううん。いらない。これ、手作りだよね」

 少し太めの毛糸で編まれているそれは、編み目が粗いところが二つ三つ見えることからも、明らかに市販の物ではないと分かった。

「う、うん。母さんが、クリスマスプレゼントにって、編んでくれたんだ」

「そう」

 私には分かる。健吾は明らかに動揺していた。今のは嘘だ。

 それからは電車に乗った後も、健吾の話に相槌を打つだけで黙っていた。

―――手編みの手袋。

手作りの物を健吾が使っているのなんて、初めてだ。

今までもファンの女の子から貰った物の中に、手作りの物があった。でも、私に気を遣ってくれたのだろう、一切使ってはいなかった。

それなのに。あれは一体、誰からの贈り物なの。私の知っている人?知らない人?もしかして、隣に住んでいるという幼馴染みの娘。綾瀬さんからのなの?私から心が離れてしまったの?別れたいと思っているの?

気になって考え出すと、どんどん悪い方へと思考が進んでいく。ついには、いつ別れ話をされるのかと考え出したら、このまま健吾の側にいることが出来なくなった。

谷底に突き落とされたような気分になり、目から大粒の涙がぽろぽろと落ちてきた。

 別れの言葉なんて、聞きたくない。

「どうしたんだ、麻里」

 健吾が心配そうに、俯いていた私の顔を覗き込む。

「泣いているのか?麻里」

見ないで。もうダメ。目的の駅まであと二駅という所で、停車していた電車のドアが閉まる直前に立ち上がった私は、

「バイバイ、健吾」

そう呟いて、閉じようとするドアに走り、外へ飛び出した。

「麻里」

 追いかけて来た健吾の声が、ドアの隙間から聞こえた。振り返ると、ドア越しに何か言っていたが、聞こえなかった。

健吾が引っ越した時の様に、私は涙を流しながら手を振った。あの時と違うのは、もう会うことはないかも知れないということだ。

電車のスピードはみるみる上がり、健吾の姿も見えなくなった。

 すぐに帰りたくなかった私は、商店街をブラブラして時間を潰し、暗くなってから家に帰った。

「ただいま」

「お帰りなさい」

 お母さんが出迎えてくれた。

健吾を連れてくると言って出掛けたから、どうしたのかと聞かれると思ったのに、何も聞かれなかった。もしかしてと思い下を見たが、健吾の靴はなかった。

「お母さん。何かあった?」

「え?何にもないわよ」

「そう」

 訝しげに思いながら二階に上がり、部屋のドアを開けると健吾が立っていた。

「健吾。何でいるの?」

「説明するためだ」

「健吾の靴なんて、なかったのに。お母さんね、もうっ」

 私は、お母さんに抗議するために出て行こうとした。

「麻里」

 健吾は私の手を取って、強引に振り向かせた。

「何よ。別れ話なんて聞きたくないわ」

決めつけていた私は、興奮気味に言った。

「なんだ別れ話って、俺の話を聞いてくれ」

「何を聞けっていうの?綾瀬さんからのプレゼントなんでしょ」

「そ、それは。そうなんだけど」

―――やっぱり、そうなんだ。否定しないんだ。

「でも、続きがあるんだ」

「何よ。続きって。うっ」

 続きって何?綾瀬さんと付き合うから別れてくれとでも言うの?また視界が涙で滲んだ。

「浮気しないって言ったのに。嘘つき」

私は膝を落として泣きじゃくった。その間、健吾はずっと、側にいて待っていた。

「うっ、うっ」

 三十分も泣いただろうか、泣き疲れた私は、少しずつ落ち着いてきていた。

健吾にティッシュの箱を渡され、三枚取って鼻をかみ、また二枚取って涙を拭った。

「何でも聞いてくれ。何でも答えるから」

 顔を上げて健吾を見ると、真剣な目で見つめていた。

―――あれ?健吾の目、赤い?

 私の目が赤いから、そう見える訳じゃないよね。不思議に思って部屋の中を見渡すと、机の上の状態に気が付いた。紙が何枚も広げられている。

―――あれは、まさか。


麻里が送ることの出来なかった手紙

―――Dear 健吾  四月十日

 お元気ですか。麻里は元気です。まだ二日しか経ってないけど、寂しくない?私はすごく寂しいよ。明日にでも会いたいよ。まだ一ヶ月も経ってないのに、こんな我が儘は言っちゃダメだよね。健吾を困らせるのは嫌だから、頑張って我慢するね。


―――Dear 健吾  四月二十三日

もうすぐ四月も終わりだね。これなら一年もあっという間かな。今日はね、アルバイトの面接に行ったの。受かっていると良いな。お給料は全部貯金して、健吾に会いに行くからね。残りは欲しかった物を買うんだ。ついでに、健吾のお誕生日プレゼントもね。


―――Dear 健吾  五月十日

 健吾はGWどうしていた?私は健吾がいないから、アルバイトばっかりやっていたよ。

 私を一人にした、健吾のせいなんだから。プンプン。なんて、怒ってないよ。寂しいから言ってみただけ。

嘘。ちょっと怒っているんだから。寂しい。会いたい。


―――Dear 健吾  七月二十日

アルバイトはちゃんと続いているよ。ご指摘の通り、たまにドジはするけど、些細なことだから大丈夫。でも、お客さんがナンパみたいに声を掛けてくることがあって、ちょっと困ることがあるかな。先輩は無視すればいいって言ってくれるんだけど、上手に対処できなくて。私も、まだまだだよね。


―――Dear 健吾  八月四日

 休みに入ったから、お返事がすぐに来て嬉しいな。もっと書いてね。

この季節になると、小さい頃に行った神社のお祭りなんて思い出すけど、そっちには、そんなに有名な花火大会があるんだ。来週中には、貯金したお金で遊びに行くから、もう少し待ってね。高校生活最後の夏休みだもの、健吾との想い出をたくさん作りたいな。


―――Dear 健吾  九月三日

 前の手紙には書けなかったけど、幼馴染みの綾瀬絵里さんて、どういう人なのかな。私の知らない小さい頃の健吾を、たくさん知っているよね。ちょっと羨ましいな。

 あの時、何か不機嫌そうだったけど。綾瀬さんて、健吾のことが好きなんじゃないかな。


―――Dear 健吾  十月二十五日

 この前の電話の時、少し変だったね。何か上の空って感じがした。もしかして、綾瀬さんのことを考えていたんじゃないかなって。そんな気がしたけど、言えなかった。言いたくなかった。健吾の口から、綾瀬さんのことは聞きたくなかった。私って、嫌な女かな。

 綾瀬さんて、何が好きなのかな。健吾と同じかな。だったら嫌だな。


「読んだでしょ」

「ごめん。気になってしまって」

 申し訳なさそうに俯く。あの手紙は、書いたけども出せなかった本心の手紙だ。

「いいわよ、もう」

 健吾は顔を上げて、もう一度、私の目を見た。

「何でも聞いてくれ」

「綾瀬さんのこと、どう思っているの?」

 私は、込み上げてくる嗚咽を我慢しながら、いきなり核心をついた。

「正直、よく分からない。好き、なのかも知れない」

 なのかも知れない?ちょっと安堵した私は、一息吐いた。

「じゃあ、私のことは」

「好きだ」

 嬉しい。間髪入れずに答えてくれた。

「ホント?」

「ああ」

「そっか。良かった」

 健吾の目に偽りの影はなかった。

 今の言葉で落ち着いた私は、クッションに座ってもう一息吐いた。

「で、健吾はどうしたいの?二人と付き合うわけには、いかないでしょ」

「分からないんだ。このままじゃいけないのは、もちろん分かっているけど。自分の気持ちが分からない」

 二人とも黙ってしまい、時が止まったようになる。壁掛け時計の秒針の音が、大きく聞こえた。

「分からない、か。それが、今の健吾の気持ちなんだ」

「うん」

 再び沈黙し、私は今の時点での気持ちを整理した。

「彼女としては浮気そのものだから、良い気分じゃないけど。正直な気持ちを話してくれて良かったよ」

「良かった?」

 意外な言葉だったのだろう。健吾は驚いていた。

「うん。このまま知らないままだったとしたら、いつの間にか健吾の気持ちが綾瀬さんに移って、訳も分からず終わっちゃったかも知れないでしょ。さっきは手編みの手袋を見て、いろいろ想像していたら気が動転してしまって飛び出したけど、健吾の口から真実を聞くことが出来て良かった。聞いたお陰で、いろいろ対応できるし。それにいまは、私の方がリードしているし。でしょ?」

「それはそうだけど。俺を、許してくるのか」

「許す許さないの問題じゃないの。好きだから諦めたくないの。他の人なら『裏切り者』とか言って、別れることもあるだろうけど。惚れた弱みね。私には、そんなこと出来ないみたい」

 裏切り者という言葉が効いたのか、顔が強ばっている。

「そうと決まれば今日から綾瀬さんは、恋のライバルね。そうだ」

 テーブルの上に置きっぱなしだった子機を取り上げて、短縮ボタンを押した。

「あっ、もしもし。お久しぶりです。はい。元気です」

 健吾は、私が誰と話しているのか分からず、不思議そうに見守っている。

「はい。お隣の電話番号を教えて欲しいのですが。はい。そちらの方です」

 ワザと、健吾には分からないように聞き出した。

 番号をメモり電話を切ると、すぐにその番号へとかけた。誰が出るかしら。

「もしもし、綾瀬です」

「あっ、もしもし。綾瀬さんのお家ですか?」

「綾瀬だって?ちょっと待て」

「あっ」

 健吾は慌てて、私の手から子機を奪い取った。

「綾瀬って、絵里の家か?」

「そこしかないでしょう」

「保留はどれだ?これか」

 保留中の音楽が流れる。

「な、何をするつもりだ?」

「そんなの当然。綾瀬さんに、ライバル宣言をするの」

「なに?」

 驚いた健吾は、電話を切ろうとした。

「健吾に、拒否する権利はないよ」

一歩前に出て指差し、命令口調で言う。

「うっ」

グッと迫り、ジリジリと壁に追い込む。

健吾は、私が言い出したらきかないことを知っている。やっと観念したようで、子機を返してくれた。保留を解除し、スピーカーボタンを押して健吾にも聞こえるようにする。

「いったい何ですか?」

「もしもし。すみません。絵里さんをお願いします」

「絵里は私ですけれど。誰ですか?」

「こんにちは、絵里さん。ゴメンね。健吾が電話を取り上げたものだから」

「健吾?あなたは誰なの?」

「私は遊佐麻里です。分かりますか?」

「遊佐さんて。健吾君の彼女の?」

 健吾君ですって?下の名前で呼ばせているんだ。私は目を細めて、健吾を睨んだ。

何で睨まれたのか分からないみたいで、不思議そうに見ている。

もう!微妙な女心が分からないんだから。

「そうそう。花火大会で会った、『彼女』の遊佐麻里です」

彼女を強調して言う。

「そ、それで。私に、何か用事でしょうか」

「ええ。たった今から貴方と私は、恋のライバルになったので、それを伝えようと思って」

「え?いま何て」

「恋のライバルよ」

「恋の……ライバル」

 綾瀬さんは素っ頓狂な調子で、オウム返しをした。急な展開に戸惑っているのが分かる。

「そう。いま健吾から、綾瀬さんのことが好きなのかも知れないって、告白されたんだけど、私も引き下がるわけにはいかないの」

「うん」

「だから、恋のライバル宣言」

 一方的な宣言を、どんな気持ちで聞いたのだろうか。さあて、どういう風に返してくるかしら。注目して答えを待った。

 健吾も気が気でないのか、ソワソワしている。すると数秒後、意外な答えが返ってきた。

「分かりました。彼女である遊佐さんの、公認というわけですね」

「公認て。まあ、そうだけど」

 そう来たか。いい根性しているわね。

「では私も、遠慮なくアタックさせていただきます。遠くに住んでいる遊佐さんには悪いですが、そこは勝負。負けませんよ」

「ふふふ。あなた面白いわね。怖じ気づくと思ったのに。私だって、負けないから」

 電話を通して、激しい火花が散る。

「伝えたかったのは、それだけよ。じゃあ切るわ。さてと、健吾が帰る前に、押し倒そっかな」

「え?遊佐さ」

 何か言いそうになったところで切ると、にたりと笑って健吾にダイブした。

「健吾〜」

「おわっ」

 健吾は倒れそうになったが、グッと堪えた。

「もうっ。そのまま倒れればいいのに。きゃっ」

 健吾は私の顔を見た後、引き寄せてギュッと抱きしめた。

「ごめっ」

 謝ろうとした健吾の口を唇で塞いで、その後の言葉を遮る。

「謝らないで。女の戦いはこれから始まるし、負けるつもりはないから」

 名残惜しい気持ちを抑えて離れた私は、真剣な顔で言った。

 健吾が最終的にどちらを選ぶことになるかは、まだ分からない。ただ今は、しばらく会えなくなる健吾との時間を大切にしたかった。


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