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第一章 新しい生活

プロローグ  〜健吾0〜

「浮気しちゃ、ダメだよ」

 駅のホームに着いている新幹線の横で、俺は彼女である遊佐麻里に釘をさされていた。

「俺がそんな事、するはずないだろ」

 麻里の頭に手を置いて、なだめるように撫でた。俺は、そのストレートボブの柔らかい髪質が好きだった。

 俺と母さん、そして麻里が何故ここにいるのかというと、一ヶ月前に父さんが亡くなったため、母さんの実家にお世話になることになったからだ。

 八年間住んだ土地を離れて高校を転校するのは辛かったし、麻里と別れるのも嫌だったから、アパートを借りて一人残ることも考えた。しかし、父さんを失って気落ちしている母さんを、実家に行くとはいえ息子の俺が放っておくわけにはいかないと思ったから、一緒に行くことにしたんだ。

「むこうでもバスケ続けるって言っていたけど、絶対スタメン取ってね」

「そうだな。頑張るよ」

「手紙、書くからね」

 今時は携帯のメールが普通なのだろうが、麻里は携帯よりも気持ちが伝わるという理由で、手紙のやり取りをしようと主張した。

「ちゃんと読んでよ。健吾のことだから返事は期待してないけど、たまには書いてね」

「よく分かってくれていて助かるよ。善処します」

「よろしい。ふふふ」

「ははは」

 俺達の周りには、同じように別れを惜しんでいる人達がいた。周りを気にせずに泣いている人もいれば、悲しくても笑って見送る人もいる。麻里は必死に涙を堪えているのかな。泣き虫だと思っていたけど。

 ちなみに、なぜ見送りが麻里だけなのかというと、バスケットボール部のやつらが二人きりになるように気を遣ったらしい。

 チラリと時計を見ると、もうそろそろドアが閉まる時間だった。

「そろそろ行きましょうか」

 母さんが、すまなそうに促す。そんな顔、しなくても良いのに。

「じゃあ、そろそろ行くわ」

 鞄を持ち新幹線に入ろうとすると、

「健吾!」

 勢いよく抱き付かれたので、一歩後ずさった。

「行っちゃ、嫌だよ」

「おいおい。何を今さら」

「だって、だって、寂しいよぅ」

 さっきまで笑顔だった麻里の顔が、瞬く間に涙でくしゃくしゃになった。やっぱり我慢していたんだな。

「永遠の別れじゃないから」

「それは、そうだけど」

「ったく。母さんは先に乗っていて」

「え、ええ」

 母さんは、麻里に向かって頭を下げてから中に入った。

「必ず戻ってくるから、我慢してくれよ」

 しばらく会えなくなる麻里の顔を、目に焼き付けるように見つめた。

「ひっく。本当?」

「ああ」

「絶対?」

「ああ」

「信じているよ」

「ああ」

 涙声で、何度も念を押された。俺って信用ないのかな?

「わかった。じゃあ、待っているね」

 無理に笑顔を作る麻里の目元に指を当てて、涙を拭ってやる。

「よしっ。それでこそ麻里だ」

 いよいよドアが閉まるようだ。駅員がそれらしき動きをしているのが見えた。

「行くよ」

「うん」

 改めて鞄を持ち直した時、麻里に腕を引っ張られた。頬に柔らかい唇が触れる。

「健吾がちゃんと戻ってくるように、おまじないだよ」

「麻里」

 出発のベルが鳴った。

 俺は、お返しとばかりに麻里の身体を一瞬、抱きしめると軽く唇に触れ、すぐに身を翻して駆け込んだ。麻里の方を向くと、先にキスをしてきたくせに目を丸くしていた。

扉はすぐに閉まり、窓の向こうで手を小さく振りながら精一杯の笑顔を見せた。

 俺は、新幹線が静かに動き出したので、母さんが待つ席に急いだ。

「麻里ちゃんが」

 母さんが手を振る窓の外では、麻里が新幹線に合わせて歩いていた。当然、徐々にスピードが上がるから、歩きから早足、早足から駆け足に変わった。

「危ないって。え?」

 麻里が、何か言っているが聞こえない。唇の動きからすると、『待っているから』だろうか。俺は、何度も頷いた。人がいるホームを端までついてくることは出来ず、麻里は立ち止まって、見えなくなるまで大きく手を振り続けていた。

―――麻里。一年後、必ず戻ってくるから。待っていてくれよ。


第一章新しい生活

八年ぶりの我が家 〜健吾一〜

 編入試験を受けるために、つい二ヶ月前に来た街並みは、八年前とはだいぶ様変わりしたようだ。試験についてきた母さんは、物珍しそうに周りを見ていた。俺は小さかったから殆ど記憶になく、まるで初めて来たような感覚だったけど。

「母さん。何で行くの」

「タクシーで行きましょ」

「分かった。確か、あっちだったよな」

 タクシーに乗り二十分もすると、賑やかな駅前を抜けた。

「もうすぐよ。ほら、健吾が通った小学校。覚えているでしょう」

 母さんが指差した校舎を見る。すると、ふと女の子の顔が頭をよぎった。

「誰だったかな」

 俺って、子供の頃の記憶が薄いんだよな。

「どうしたの?」

「いま、女の子の顔が浮かんだんだけど、誰か分からなくて」

「女の子?ああ。絵里ちゃんでしょ」

「絵里ちゃん?絵里、絵里、絵里」

 細い記憶の糸を辿って行くと、顔と名前が一致した。

「ああ。綾瀬絵里か」

「そうそう。お隣の絵里ちゃんよ。けっこう仲良かったわよね」

「そうだったかな」

 この時は、そんな娘もいたなという程度だったのだが、この後、大きく係わってくることになるとは思いもよらなかった。

「懐かしいわね」

 父さんと母さんは、父さんが県外勤務していたこの土地で出会い、結婚と同時にアパート暮らしをしていたのだが、俺が生まれると同時に、母さんの実家であるこの家に厄介になっていた。だから、俺の中では八年ぶりに戻ってきたという感じだ。

 タクシーを降りて、今日から再び住むことになる家を見たら、さらに記憶が甦ってきた。近くにある公園でよく遊んだことや、いろいろイタズラをして怒られたこととか。綾瀬絵里が住んでいる隣の家にも、よくお邪魔したものだ。ままごととか、女の子の遊びも一緒にやったな。

「お帰り」

 チャイムを押し少し待つと、おばあちゃんが快く出迎えてくれた。

 父さんが東京に戻ることになり、お世話になっていたこの家を出てから八年も疎遠だったのに、母さんの両親であるおじいちゃん、おばあちゃんはともに、またここで一緒に暮らすことを喜んでくれた。俺は、挨拶はそこそこに、二階にある自分の部屋を見に上がった。

 ドアを開けると、フローリングの床の上に、あらかじめ送っておいた荷物が置いてあった。新しく買ってくれたというベッドに腰掛けて、多くはない段ボールを眺める。

「バスケ雑誌は、どれだったかな」

 換気をしてくれていたようで、開いている窓から心地よい風が吹いていた。


最悪の再会 〜絵里一〜

「ただいま〜」

 日曜日の練習を終えて帰宅した私は、着替えるため二階に上がった。

開いた窓から、微かに風が入ってきている。鞄をベッドの上に置くと、カーテンを閉めようと窓に近付いた。

「あら?」

 いつもは閉まっている、隣の部屋の窓が開いている。

「換気しているのかな」

 段ボールが数個あったが、特に気にすることなくカーテンだけを閉めると、クローゼットから部屋着を出した。

「今日も疲れたわ」

 眼鏡を外し、制服の上着をハンガーに掛ける。

「でも最上級生になったんだから、弱音を吐いていちゃいけないよね」

 ブラウスとスカートを脱いで下着姿になると、身体が少し震えた。さっきまで微かだった風が強くなったみたいで、カーテンのなびく音がする。急いで着ようと身を翻してベッドに近づくと、捲れた カーテンの先に、何かが見えた。近眼の私はその何かを、目を細めて凝視した。

 人?誰?隣のおじいさんかな。違う。おじいさんじゃない。まさか、のぞき?

 頭の中が真っ白になり、何も発することが出来なくなる。数秒後、やっと足を動かして窓際に行き、窓とカーテンを閉めた。

「なに?誰?」

 私は足の力が抜けて座り込んだ。鼓動が速くなり、嫌な汗が出てきた。

 とりあえず服に手を伸ばして座ったまま着ると、すごく恐いと同時に怒りが込み上げてきた。

「許せない」

 気合いを入れて立ち上がり、眼鏡を掛けて、壁に立て掛けてある弓を握った。

―――よくも覗いてくれたわね。

 矢筒から矢を一本抜くと、今度は力強く足を踏みしめて窓に近づき、一気にカーテンと窓を開けた。

「誰よあなた!よくも覗いたわね〜、この痴漢」

 素速く後ろに下がり、弓を構えた。

「ち、痴漢だって?そっちが勝手に着替え始めたんだろ」

 男は、手を前に差し出して防ごうとしている。そんなの、手を貫通するだけだわ。

「ここは私の部屋なんだから、着替えるわよ。それを覗いたでしょ」

「確かに見たけど覗いた訳じゃない。不可抗力だ。それより、その弓を降ろせ〜」

「黙りなさい。見たことに変わりはないでしょ。成敗してくれるわ」

 今にも矢を放つ勢いで、腕に力を込めた。

「お、おい。ちょっと待て〜。絵里、絵里だろ」

「え?」

 男が私の名前を叫んだ。どうして、私の名前を知っているの?

「痴漢に知り合いなんて、いないわ」

「痴漢じゃないって。健吾、健吾。小学校二年まで、ここに住んでいた。憶えてないか?」

「健吾?健吾って、健吾君?」

「そうそう。健吾だ」

「三年生になる前に引っ越した」

「うん」

「矢野……健吾くん?」

「そう。それ。思い出したか」

 私は弓を下ろして、健吾君だという男の顔をまじまじと見つめた。確かに同い年くらいに見える。

「ううん。違う」

「え?」

「健吾君は、たぶん覗きなんてしないもの。偽者ね」

「なんだ偽者って。お、おいっ、ちょっと待て」

 再び弓矢を構えて狙いを定める。もちろん当てるつもりはない。狙いは男の後ろの壁だ。

「わーーー、待て待て」

 男が窓を閉めようと立ち上がったとき、頭をコツリと叩かれた。

「止めなさい、絵里」

 弓に手を掛けられて、強引に降ろされた。

「お父さん」

「君は、健吾くんだね。大きくなったね」

 私に構わず、窓の向こうの男に話しかけた。

「は、はい」

「じゃあ、本当に健吾くん?」

「昨夜、話しただろ。お隣の娘さんの旦那さんが亡くなって実家に帰ってくるから、健吾くんも一緒に帰ってくるって」

 そんな話もあったような。なかったような。

「そうだったかしら。昨日は、部活で疲れていたから」

「何があったか知らないが、人に弓を向けるなんてダメじゃないか。不動心が足りないぞ」

「だ、だってこの男が、着替えを覗いたから」

「着替えを覗いた?本当かな、健吾くん」

 そうそう。怒ってよ。大事な娘の着替えを覗いたんだから。

 ふふふ。硬直しているわ。お父さんは優しい顔をしているけど、怒ると恐いんだから。

「は、はい。で、でも覗いた訳じゃなくて、閉まっていたカーテンがこう、風で捲れてですね」

 カーテンが捲れる様を一生懸命に演じているけど、そうはいかないわ。

「でも、見たでしょ」

 たとえ本物の健吾君だとしても、自分の否は認めて観念しなさい。

「はい。見ました」

「ほらみなさい」

 私は腰に手を当てて勝ち誇った。そんな私をよそに、お父さんが真剣な顔で言った。

「それで、健吾くん」

「は、はい」

「どうだったね?」

 え?何を言い出すの?

「絵里の下着姿は。肌が綺麗だっただろう」

「は、はい」

 ちょっと、ちょっと。健吾君も何?何が『はい』なのよ。

「ははは。私の自慢の娘だからね。病気で亡くなった母さんに似て、肌が白くてね。でも、一緒にお 風呂に入ってくれたのは小学校三年生までで、今ではすっかり邪険にされているのだよ。私は、それが悲しいのだよ。男手一つで育ててきたのに」

「お父さん。何を言っているのよ。出て行ってよ、もうっ」

 お父さんの背中を押して、部屋から追い出す。

「おっ、おっ。父さんを追い出すのか」

「そうよ。出て行って」

 廊下に追いやりドアを閉めると、振り返って健吾君を睨んだ。

「今日の所は見逃してあげるけど、今度、覗いたら許さないわよ」

 呆気にとられている健吾君に矢を向けて、刺す真似をする。

「わかったよ」

「それと、気安く絵里なんて呼ばないで。じゃあね」

 窓を力一杯閉めて鍵を掛け、カーテンを勢いよく閉めた。

「もうっ。何なのよ」

 最悪の再会に、ベッドに腰掛けて溜息を吐いた。

「でも、帰ってきたんだ。健ちゃん。ううん。健ちゃんじゃないわ。速水君で十分よ。覗きをするなんて、許さないから」

 あっ。もうこんな時間。急いで買い物に行って、晩ご飯を作らないと。その日の夜は、妹の亜里沙が速水君のことを聞いて、きゃあきゃあと騒いだ。

「ねえねえ、お父さん。戻って来た健兄て、バスケットをやっていたんだよね」

「ああ。そう聞いているよ」

「そっか〜」

 亜里沙ははしゃぎながら、頬を赤くしている。

「なあに?それがどうかしたの?」

「昨日の夜、その話を聞いたときに、何か引っかかる感じがしたんだ。でね。さっきバスケ雑誌を読み返していたときに、見つけたのよ」

「バスケ雑誌?」

 亜里沙は二階の部屋に行くと、雑誌を持って駆け下りてきた。

「これ。同じ人だったでしょ」

「そうね」

 開いたページには、確かに速水君が載っていた。

「得点ランキング上位者」

「そうなの。昔、隣に住んでいた健兄は、全国大会で活躍したバスケットプレーヤーなのよ。ね、凄いでしょう」

「へぇ〜」

「へぇ〜、じゃなくって。凄いでしょ。そりゃあ、絵里姉も弓道で全国大会に行っているから、その程度の感想かもしれないけどさぁ」

「そういう訳じゃなくて、そんな風には見えなかったから」

 あの覗き男が、全国大会にも出るバスケットプレーヤー?

 にわかには信じられないが、この写真と彼は確かに同一人物だ。人は見かけに寄らないとは、この事だと思った。


こんな所に凄い奴がいた 〜健吾二〜

 転校してきた佐武高校の始業式は既に終わっていて、他の生徒よりも遅れて俺の新学期は始まった。佐武高校は男子校で、広い国道を挟んで向かい側には中高一貫の姫百合学園という女子校がある。そして綾瀬絵里が、その女子校の三年生だというのだ。

「何で私が、一緒に行かないといけないの?」

 長い黒髪を揺らしながら俺の三歩前を歩き、吐き捨てるように言う。そんなことを言われても一回しか行ったことがなかったし、編入試験だけ受けて帰ったから、家からの道順が分からないのだから仕方ない。昨日あんなことがあったから仕方ないけど、きつい言い方だなあ。朝から言い争いをしても面倒くさいし、黙って歩いた。昨日のことがあったから、話しづらかったし。十五分位歩くと、通学の学生で道がいっぱいになった。

「おっはよう、絵里」

 校門が見えた頃、女の子が後ろから声を掛けて来て、絵里の横に並んだ。

「おはよう、彩美」

 彩美と呼ばれたショートカットの女の子は、ちょっと茶髪の活発そうな娘で、眼鏡を掛けた委員長タイプの絵里とは対照的な感じがした。

「ねえ、昨日のドラマ見た?面白かったよね〜」

 そう言って笑った横顔は、目が猫のように細くなっているのが印象的だった。

「じゃあな」

 校門が見えたのだから、もう後ろを歩く必要はない。俺は二人を走って追い越した。

 背中で絵里が何か言った気がしたが、よく聞こえなかった。


 放課後、早速バスケット部の練習を見に行った。

 麻里にもスタメンを約束したし、まずはここの実力を見ないと始まらないからな。体育館へ続く廊下を歩いていると、ボールを撞く音が聞こえてきた。

「冬の大会以来だな」

 年が明けて少し経った頃に、父さんが交通事故に遭い亡くなったから、ボールもろくに触っていなかった。

 懐かしい気持ちで体育館の扉を開くと、明るい照明が目に入り、バスケットシューズの鳴る音が聞こえてきた。このリズミカルな音は、いつもと変わりなく耳に心地いい。

「シュート、いったぞ」

「リバウンド」

 惜しくも入らずリングに弾かれたボールめがけて、オフェンスとディフェンスが跳び、ぶつかり合う。

「なかなかやるな」

 さすが全国大会に行ったこともある古豪だ。実力のある選手が集まっているようだ。だけど、もう一つのようにも見える。

 しかし、俺のこの評価を覆す奴がいた。

―――あれがポイントガードか。

 ポジション柄、攻撃の起点となるポイントガードを注視していると、ディフェンスが全く反応できない鋭いパスが出た。それもノールックでだ。

―――今のはスゲーな。

 誰も反応できなかったためラインを割ったが、取ることが出来たら決定的なアシストだったはずだ。

「へぇ〜」

 他の部員も上手いのだが、さっきのガードが抜きん出ているように見える。

 数分間、端の方で見学したが、あのパスを生かし切れていない場面が何回もあった。

「五分休憩よ」

 笛を吹いてそう指示をしたのは女性だった。どうやら、女コーチらしい。しかも、かなりの美人だ。タオルで汗を拭く者、水分補給する者、部員がそれぞれ休憩をしていると、俺に声を掛ける者がいた。気になっていたポイントガードだ。

「あれ?速水じゃないか」

「え?」

「はは。まだ顔も名前も覚えてないか。同じクラスの木本陽一だよ」

「同じクラスだったか。すまない」

 近付いてきた木本に、軽く頭を下げた。

「ああ、いいって、いいって。転校初日なんて、そんなもんだろ。それより入部希望か?」

「ああ」

「そうか。そう言えば自己紹介の時、バスケ部だったって言っていたよな」

 木本はそう言いながら、マジマジと俺の顔を見た。

「どうかしたか?」

「いや。朝も思ったけど。お前の顔って、どこかで見たことがあるような」

「よくある顔だよ」

「そうかな」

 俺と木本の会話に、近づいてきた女コーチが入ってきた。

「やっぱり、あなた。あの矢野健吾じゃないの?」

「は、はい。前は」

 顔を覗き込んできたので、後ろに反りながら答えた。

「あっ。ごめんなさい」

 どうやら転校の理由を知っているようだな。すまなそうな顔をして離れた。先生なのだから、知っていて当たり前か。

「いいんですよ。気にしていませんから」

「知っているんですか?コーチ」

「ええ。陽一も知っているはずよ。向陽高校の矢野健吾」

「そうか。思い出した。矢野健吾。バスケ雑誌で見た顔だったんだ」

 俺を指差して驚く。

 バスケ雑誌を読んでいるだろうから、知っていて当然か。他の部員達も反応してざわついている。得点ランキングのトップ五に入ったことが、効いているな。

「向陽のエースが、何でこんな所にいるんだ?それに速水っていうのは」

「あっ、コラ」

 事情を知るコーチが諫める。

「一月に父さんが事故で亡くなって、母さんの実家に世話になっているんだ」

「事故。すまない、ずけずけと」

 木本は深く頭を下げた。礼儀正しい奴だなぁ。

「気にしなくて良いよ」

「このバカ」

 コーチが木本の頭を小突いた。

「イテッ」

「いいんですよ」

「そう?じゃあ、気分を変えましょう。まだ私の自己紹介が済んでなかったわよね。私がコーチの澤田奈緒子よ。よろしくね。速水健吾君、あなたを歓迎するわ」

 握手を求められたので握ると、外見とは違って、か弱い手ではなくバスケ経験者だろうというのが分かった。

「よろしくお願いします」

「次は俺、木本陽一だ。改めてよろしく。ちなみにキャプテンだ。なあ。ちょっとやっていかないか」

「今日は見に来ただけで、バッシュがないから」

「そんなの。これだけいれば、サイズが同じ奴もいるさ。何センチだ」

 周りを見渡して、目配せする。

「二十八だけど」

「八か。誰か貸してくれないか」

「俺のを、どうぞ」

 部員の一人が、手を挙げて脱ぎ始めた。

「いいんですか?」

 澤田コーチを見ると、何だか楽しそうにしている。

「いいでしょ。私も見たいからね、あなたの実力を」

「分かりました」

 借りたバッシュを履くと、上着を脱いで軽くストレッチをした。

「どうすればいんですか?」

「五対五がいいわね。オフェンス側に入って」

「はい」

 俺の他に、コーチに選ばれた九人がコートに入った。気になる木本もオフェンス側だ。

ディフェンスは、オーソドックスな二―三ゾーンディフェンスから始まった。ゾーンディフェンスというのは、ゴール下を前二人、後ろ三人で守る型で、もっとも基本的なディフェンスだ。

「はい。オフェンスはマークを外して、陽一からボールを貰いなさい」

 言われるまでもなく、小刻みにステップを刻んでディフェンスとの間隔を測る。

―――久しぶりだな。この感じ。

 俺のディフェンスをしている部員の動きを見る。

―――改めて相手にすると、なかなかじゃないか。

 腰を落として、俺の動きに注目しているのが分かる。

―――これには、付いてこられるかな。

 空いたスペースを見つけた俺は、ゆったりした感じを見せると、次の瞬間にディフェンスの視界から消えた。身体中の速筋を爆発させて、一瞬でトップスピードに入る。

「速い」

 ディフェンスは目で追ったが、身体は全く反応できていなかった。すぐに木本の方を見ると驚くことに、すでにボールは放たれていた。鋭いパスが手に収まった。

「おおーーーーー」

 大きなどよめきが体育館に走った。

―――やるな。

 このスペースにパスを通すとは。しかし、感心してばかりはいられない。最高のパスには、最高のプレーで返さないといけない。

 ゴール下にいるディフェンスが、ブロックに来るのを承知でシュートに行く。

「入れさせるか」

 ブロックのタイミングはドンピシャ。誰もが失敗だと思っただろうが、右手で頭上に上げたボールを左手に持ち替え、身体を捻りディフェンスをかわした。

「なに!?」

 そして身体中のバネを使って伸びて最高到達地点でボールを放ると、一回リングに弾かれてネットを通った。

「おおーーーー、すげーーーー」

「空中でジャンプしたみたいだ」

 さっきよりも大きな歓声が響いた。

 みな感心と驚きで一杯だったようだけど、中でも一番驚いていたのが木本だった。

「俺のパスを、こんな風に受けたのは、お前が初めてだよ。ボディバランスも凄いな」

 木本が横に来て、背中を叩いた。

「ゴホッ!お前こそ」

 俺の方こそ驚いていた。

 あのパスを出せる奴は、全国へ行っても数えるほどしかいない。

 俺が知りうる限りでは、一昨年まで高校生だった人で、今は白山学院大学にいる田渕勇介さん。俺の憧れの人だ。そして、去年まで俺の相棒だった向陽高校の鷹木優樹。この二人だけだ。その二人と同等のパスを出す木本は、地方予選でくすぶっているには惜しいプレーヤーだ。

 後から聞いた話だが、コーチは陽一の才能を生かせるエースがいなくて悩んでいたらしく、この時にそれが解決したのを、凄く喜んだそうだ。

「流石ね」

 コーチが手を叩きながら感心している。

「こんなの、序の口ですよ」

「それは頼もしいわ。明日から参加できるでしょ」

「はい。よろしくお願いします。みんなも、よろしく」

 これから仲間となる部員達へ向かって挨拶をすると。歓迎の言葉が次々と起こった。

「目標は打倒、北都高校よ」

「北都か、強敵ですね」

 北都高校というのは、この地区の全国常連校で、全国へ行くためには倒さなくてはならない強敵だ。俺も一度だけ対戦したことがある。ウィンターカップの準々決勝で惜敗した、因縁のある高校だ。

 三年のスタメンに全国でも注目される背の高いセンターがいて、抜群のシュートブロック成功率を誇っている。

「あそこは毎年、強いからね。頼りにしているわよ」

「分かりました」

 みんなの期待と麻里のためにも、一生懸命頑張ろうと決意も新たにした。


 今日は転校初日だというのに結局、バスケ部の練習を最後まで見学した。すっかり暗くなった夜道を帰ると、家の前に誰かが立っているのが見えた。

「あーーー、やっと帰ってきた。遅いよーーー」

 立っていたポニーテールの女の子が叫んだ。

「え?俺か?」

 周りを見ても誰もいないところを見ると、どうやら俺に言っているようだ。その娘は駆け足で近付いて来て、体当たりをするように抱き付いてきた。

「ぐえっ」

「そうだよ。当たり前じゃない」

「ごほっごほっ」

 おいおい一瞬、呼吸が止まったぞ。

「いや、当たり前って言われてもなぁ」

「えーーー、亜里沙のこと忘れちゃったの?」

「亜里沙?」

 亜里沙と名乗った娘は、抱き付いたまま両足をピョンピョンとウサギのように跳ねながら抗議した。胸が当たっているんだけど。

「ちぇーーー、私はずっと覚えていたのになぁ。去年、雑誌に載った時は同姓同名だと思ったんだけど、一昨日、お父さんから戻ってくることを聞いて、しかもバスケをやっているんだって聞いて、雑誌を絵里姉に見せたら同じ人だって言うじゃない。すっごく驚いたし、すっごく嬉しかったんだから」

「君も、バスケをやっているのか?」

「君なんて、よそよそしい呼び方はやめて。亜里沙って呼んでよ」

「そんな。見ず知らずの娘を呼び捨てになんて出来ないよ」

「まだ思い出さないの?」

 業を煮やしたようで、ようやく離れると頬を膨らました。

「もう。じゃあ、教えてあげる。私の家は、ここよ」

 そう言って指差したのは、隣の綾瀬家だった。

「え?と言うことは、絵里の妹か?」

「そう。綾瀬亜里沙。絵里姉の妹よ」

「絵里の妹。思い出した。絵里の後ろを、ちょこちょこと付いて歩いていた娘がいたな。あの娘か」

「っもう。ちょこちょこは余計なの!」

 口を尖らせて、もっと不機嫌になる。

「ははは」

 改めてよく見てみると、あまり絵里とは似ていないようだ。美人タイプの絵里とは対照的に、亜里沙は可愛いタイプだった。まさしく妹って感じだ。

「ジロジロ見ちゃって、エッチなんだから。でも、健兄だったらいいよ」

 腰に手を当てて、ファッション雑誌のモデルみたいなポーズを取る。

「は、ははは」

 俺は照れ笑いをするしかなかった。

「もうそろそろ、ご飯が出来る頃かな。じゃあね、健兄。またねぇ〜」

 手を前に差し出して、大きく振りながら帰っていった。

 絵里の妹か。けっこう可愛いな。そういえば、俺のことを健兄って言っていたな。

 あの娘に言われると、悪い気はしない。俺はなんだか、本当の兄になったような気分で家に入った。


麻里からの手紙

―――Dear 健吾 四月十日

 お元気ですか。麻里は元気です。まだ二日しか経ってないけど寂しくない?私は平気だから心配しないでね。

 転校初日の自己紹介は、上手くいった?健吾のことだから大丈夫だと思うけど、転校生っていうことで、いじめられないようにね。


―――Dear 健吾 四月二十三日

 もうすぐ四月も終わりだね。これなら一年もあっという間かな。今日ね、アルバイトの面接に行ったの。受かっていると良いな。

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