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壊れたオモチャ


結構、エグいかも。

ホラーではないけど、異常です。





 遮光カーテンをぴったりと閉めた室内には、パソコンのモニターの青白い光だけがあった。

 ぶつぶつと念仏か何かのように低い声がする。

 部屋のすみに敷かれた布団の上に一人の少年が体育座りで縮こまっていた。もっさりとした髪が、彼の暗い顔をより暗くする。

 少年は血走った目で床の一点を見つめていた。

 何かに怯えているのか、しきりに震えていた男は、やがて唇をめくり上げる。

 そして、金切り声で笑い出した。手足をジタバタさせ、歯を剥き出しにして笑い立てる。

 冷たい床には、血が付着した包丁が置かれていた。


 ◆ ◆ ◆


「悪い、遅れた!」

 申し訳なさそうに両手を合わせながら場に現れた平間篤へいまあつしを見た途端、女子大生達は一斉に表情を明るくした。

 篤はモテる。長い手足と鋭利な顔立ち、気さくな態度。薄茶に染めた髪は軽薄さを醸し出し、いかついピアスが存在を主張していた。

 今時の若者である。

「おっせぇぞ、篤! 皆待ってたんだぜ?」

 ビールジョッキ片手に青年が笑った。

「だから、悪かったって。道が混んでてさ」

 大学同士の親睦会という名の合コンは、和気藹々(わきあいあい)としていた。

「んじゃあ、篤も来たことだし……飲み物頼むぞー」

 はーい、と皆が答えた。

 女子大生達は篤がどこに座るかソワソワしている。

 篤は適当に空いている席へ滑り込む。

 自分の隣へ篤が座らないのを知るや否や、女子大生達は興味を他の男に向けた。

 篤の左には男、右には女が座っていた。彼は迷いなく、右に座る女へ笑いかける。

「いきなり割り込んでごめんな。君、見ない顔だけど……A女子大の子?」

 爽やかに尋ねた。当たり障りない、軽い質問である。

 女は重ためのボブヘアを揺らして、篤を見た。

 胡乱うろんな双眸は酷く濁っている。彼女は篤の質問に答える気配など微塵も見せず、ただこちらを見つめてくる。

「えっと……」

 戸惑った篤は手元にあったビールで喉を潤した。

 他の者達に助けを求めようにも、皆近くに座っている者とお喋りに興じている。

 くくっと喉で笑う声が耳についた。

 篤は眉間に皺を寄せて振り返る。

 そこには焼酎を飲む男がいた。

 独特の雰囲気を持つ男である。全身黒で固め、髪まで漆黒だ。つり上がった奥二重の瞳と視線が合う。

 彼は氷を指で回すことを止め、赤い唇で笑んだ。

「みーつけた」

 背筋に悪寒が走った。一気に体温が低下する。

「……人殺し……」

 か細い女の声が這う。

 ハッとして右側に座っていた女に目を配った。彼女は膝に置いた両手を握りしめる。

 篤の動悸が激しく鳴った。誰か助けてくれ、と視線を左右に動かすが、誰も彼もがこちらの状況に気づかない。

「誰にも気づかれず、一生を終えられるとでも思っていたの?」

 黒髪の男は唇をほとんど動かさずに囁いた。

「何人もの罪なき人を殺して、楽しい?」

 女は睨みを利かせながら言った。

 脂汗が噴き出す。

 篤は思わず、その場を逃げ出した。


 頼りない街灯が公園に点在している。

 篤は上がった息を整えるため、背中を丸めた。

(あの二人……一体、何なんだ!)

 吐き気がする。血のにおいがする。

 甘美な悲鳴、芸術品さえも凌駕する迫りくる死を感じた人間の顔。

 赤い記憶が篤の中で回る。

 おかしい。

 これまで、殺した者達を思い出したことなんてなかった。

 彼が殺人を犯すのは、刹那の快楽を得るためだ。

 殺してしまえば、ただの壊れた玩具。余韻を楽しむことはない。

 淡々と殺し、淡々と処理する。

 篤は止まらない汗を拭った。

 殺人の後処理は完璧だったはずである。どこにも彼が犯人だとわかるような痕跡は残していない。

 その証拠に、今の今まで警察は篤を逮捕出来ていない。

(なのに、あいつら……!)

 全て知っているような口ぶりだった。

「無駄だよ」

 ひやりとした言葉が公園にこだます。

 暗がりから先ほどの男が姿を現した。彼の後ろにはボブヘアの女もいる。

「お前ら……何なんだよ!」

 じり、と後退りながら篤は叫んだ。

 男は余裕に満ちた双眸を瞬かせた。

「……あんたを殺して欲しいと、ここにいる仲里英恵なかざとはなえから依頼を受けた者」

「はっ?」

 衝撃的な答えに、声が裏返った。

 英恵は一歩前に進み出る。

「あなたは……私の半身であった姉を殺した」

「何を馬鹿な。証拠は! 証拠はどこにある!」

 血走ったギョロ目で篤は吠えた。

 風を受けてブランコが一人でに軋んだ。

「証拠は私」

 感情をこそげ落とした顔で、英恵は自らの胸に手を当てた。

「双子であるが故、私達は互いが体験した出来事を共有していた。私は、あなたが姉をなぶり殺したビジョンを克明に見ている」

 馬鹿な、と篤は唾を吐き捨てる。

「そんなの何の証拠にも――」

「だから、俺がいる」

 篤の言葉を男が遮る。

 男は腕を組んで、侮蔑の色を浮かべた視線を篤へ向けた。

「さあ、死ぬ覚悟は出来た?」

「ま、待てよ! 濡れ衣かもしれないだろ? その女の狂言かもしれないっ」

「かまわない」

 男はにべもなく言った。

 一歩、一歩と男が近寄ってくる。

「俺はきちんと調べた上で依頼を受ける。あんたは黒だ。久々に、腕が鳴るよ」

「あ……あ……」

 体中から力が抜ける。

 男は革手袋で篤の前髪を掴み上げた。

「人殺しーっ!」

 金切り声で篤は叫んだ。恥も外聞もない。逃げようともがく。しかし、逃げられない。靴が虚しく砂を撒き散らすだけだ。

 男も英恵も汚らしいモノを見る目で篤を見下ろす。

「最期に言っておく。俺は人殺しじゃない」

 彼は篤の耳に唇を寄せた。

「心殺しだ」

 篤の中で、何かがせり上がってくる。

 男はなおも小声で囁き呟く。

「あんたは七歳の頃、意に染まぬ殺しを行なった。隣の家の猫だ。六つ年上の兄に言われて行なったことだった。それで精神を病んでしまえばまだ良かったろう。だが、あんたは猫が絶命する直前の顔にある種の快感を覚えた。そして、次第に人間を殺すことへ関心を持つようになる。ああ、殺人鬼の出来上がりだ」

「や……やめ……」

 脳みそが捻じ曲がるような気持ち悪さがする。

「あんたは優秀な頭を持っている。綿密な計画を立てて何度もシミュレーションを重ね、犯行に及んだ。手口は全てバラバラで、同一犯とは思えない。対象とする被害者の年齢・性別・面識も雑多。自分にかなり近しい人間を殺さなかったあたり、分別はあったということか」

 ぐるぐる回っているのは頭の中なのか、それとも目玉なのか、最早篤にはわからない。

「人間は玩具。玩具に自分の経歴に傷を負わされるのは嫌だ。だから、近しい人間は殺さない。思考回路が腐っている。でも、少しわかるよ。自分が全ての采配を振るう神になった感覚が好きだったんだろう? でもね――」

 俺は篤の耳たぶを強く引っ張った。そして、体の奥底へ届くように、はっきりと言った。

「今、玩具はあんただ。…………死にな」

 パチン、と意識が途絶えた。


 ◆ ◆ ◆


 英恵は涙に濡れた目を擦った。

 姉を殺した憎き殺人犯は、一欠けらの証拠も残していなかった。だから、顔や名前はわかっているのに捕まえられなかったのだ。

 自分があいつを殺して、姉の仇を取ろうと決意した英恵は友人からある噂を聞く。

『殺したい相手を殺してくれる大学生がいるらしい』

 噂にはたくさんの尾鰭おひれがついていて、彼に行き着くまで半年かかった。

 それが、今悠然と佇んでいる真淵有希まぶちゆきであった。彼は親身に英恵の話を聞いてくれ、数日経って、依頼を受けると言ってくれた。

 英恵はそれだけで救われた気持ちになった。彼女の話を笑い飛ばさず、妄想だとも精神病だとも言わなかったのは彼だけだった。

「真淵君、ありがとう」

「いいよ」

「あの……これ……少ないけど」

 英恵は薄紫色の封筒に入れた金を差し出す。

 真淵は目を丸くして首を横に振った。

「礼は要らないって言ったじゃないか」

「でも……でもね……」

 英恵の声が震えた。鼻水が垂れる。

「私の復讐のために、真淵君を巻き込んじゃったし」

 ああ、と真淵はポケットに手を突っ込んで夜空を見上げた。その横には口を開けたまま瞬き一つしない、平間篤の姿がある。命さえあるものの、彼はもう考えることも喋ることも出来ないだろう。

「それを言うなら、俺が金を払わなきゃいけなくなる」

「え……?」

 木枯らしが落ち葉をさらい、空へ巻き上げた。

 真淵は顎を引き、赤い唇を開く。

「これは、俺の復讐でもある」

 英恵は彼の真意を掴めず、首を傾げた。

「……いつか、この手で葬らねばならない奴がいる。そいつの心を確実に殺すため、俺は他の犯罪者達を相手に実験をしてるんだ」

 どんなふうに言えば人の心は死ぬのかを、と真淵は拳を握りしめながら言った。

 暗い瞳がぎらついて見える。

「私……それでも嬉しかった」

「……」

「ありがとう」

 淡く微笑めば、真淵も目を細めた。

「どういたしまして」

 彼はゆっくりと歩き出した。そのあとに英恵も続く。

 糸が切れたマリオネットの如く、平間は地面に倒れていた。


 ◆ ◆ ◆



 遮光カーテンをぴったりと閉めた室内には、パソコンのモニターの青白い光だけがあった。

 笑い疲れた少年は、人形のような無表情さで布団に転がっていた。眦から血の混じった涙が伝う。

 家の外がうるさい。

 けたたましいサイレンの音がした。

 階段を駆けのぼってくる無数の足音が聞こえてきた。

 少年はじっとドアを凝視する。

 鍵を叩き壊す勢いで警官が雪崩れ込んできた。

「少年がいます! 生きているようです!」

「ああ……これは……」

 警官の一人は顔をしかめる。

 少年の腹には包丁で突き刺された跡があった。部屋の対角上には母親がうずくまっている。

「大丈夫ですか?」

「フヒヒヒ、ヒヒヒ」

「駄目だ。母親の方は狂ってる……」

「ショック状態か、それとも――。おい、薬物検査を」

「はい!」

 警官に抱えられ、部屋を連れ出される母親を少年は目で追った。

「…………あ……」

 少年は喘ぐように口を開く。しかし、誰もそれを聞き取った者はいなかった。

『ヒャハハハハハハハハハハハ!』

 狂気の雄叫びが少年の耳にこびりついて離れない。

(兄さん、どうして?)

 涙はとめどなく溢れ、布団を湿らせる。



  〆






『エンゲージ』以来の狂気モノです。


他の作品にも色んな形で狂気が顔を覗かせていますが(『青薔薇の恋』のブルーしかり)、それを全面に押し出した小説を書いたことは少ない……はず。


狂気や異常性って、書くのが難しいです。




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