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第9話 無意識の審判

 数えきれないほどの十二月六日を繰り返し、俺の精神はもうボロボロの雑巾みたいになっていた。


 鏡を見ても、そこに映っているのが自分なのか、それとも十二月六日という舞台を演じているだけの「記号」なのか、判別がつかなくなりつつあった。


 俺はついに、放課後の誰もいない教室で、陽葵にすべてをぶつけた。


「陽葵、いい加減にしてくれ。お前だろ、時間を戻しているのは。俺がここからいなくなるのが嫌だから、全部なかったことにしてるんだろ!」


 俺の声は震え、瞳には涙が浮かんでいた。

 怒鳴っているのに、心の中では彼女にすがって、この悪夢を終わらせてほしいと乞うている自分がいた。


 陽葵は、きょとんとして目を丸くした。

 怒るでもなく、不気味に笑うでもなく、ただ心底不思議そうに首を傾げた。


「湊?何を言ってるの?勉強のしすぎじゃない?大丈夫?」


 彼女は俺の額にそっと手を触れた。


 その掌は温かく、一点の曇りもない慈愛に満ちていた。


 その瞬間、俺は悟った。


 彼女に自覚なんてない。

 悪意もない。


 ただ、彼女の深い孤独が、俺を離さないように世界を鎖で繋いでいるだけなんだ。

 自覚がないからこそ、説得することも、責めることもできない。


 さらに一万回、あるいは十万回。

 ループを重ねるうちに、俺は鏡を見ても自分自身を認識できなくなっていった。


 かつてあれほど熱望した「留学」という言葉は、今や意味を持たない音の羅列になった。

 英語の単語も、数式の解き方も、繰り返される時間の波にさらわれて、砂場のお城みたいに形を失っていった。


 俺の頭を占めているのは、陽葵との「今日の予定」だけだ。


(俺は何がしたかったんだっけ。どこへ行きたかったんだっけ)


 かつての自分のプライドや野心が、ひどく遠く、他人の記憶のように感じられる。


 世界は、陽葵という中心点だけを残して、すべてのディテールが欠落していく。


 彼女が笑えば俺の心は満たされ、彼女が少しでも寂しそうな顔をすれば、俺の心は凍りつく。

 湊という人間の自我は、陽葵を喜ばせるための「付属品」へと、純化されていった。


 十二月六日、午後四時三十分。

 放課後の誰もいない教室。

 窓から差し込む冬の西日は、床を長く、赤黒く引き延ばしていた。


 何度目かも分からない、十二月六日の夕暮れ。


 俺の心の中には、まだ小さな火種が残っていた。

「ここではない場所へ行きたい」という、捨てきれない未練だ。

 だが、その火種を持ち続けている限り、俺の時間は午前零時を超えることはない。


 目の前では、陽葵が不思議そうに俺の顔をのぞき込んでいた。

 彼女は、自分が時間を戻している自覚なんて微塵もない。

 ただ、俺がいなくなることを本能的に拒絶し、その深い孤独が、見えない鎖となって俺をこの町に繋ぎ止めている。


「湊?どうしたの、そんなに怖い顔して。……やっぱり、勉強のしすぎだよ」


 陽葵が心配そうに、俺の額にそっと手を触れる。


 その掌の温かさに触れた瞬間、俺の中の何かが、音を立てて崩れ落ちた。

 どれだけ足掻いても、彼女を悲しませるルートの先には「明日」なんて存在しない。

 彼女を泣かせてまで掴もうとした未来は、このループという絶望の前では、あまりに無力だった。


 俺は、その小さな火種を、自らの手で握りつぶす決意をした。


「……陽葵。俺、わかったんだ」


 俺は、彼女の細い肩を力いっぱい抱き寄せた。


「湊……っ!?」


 驚きで震える陽葵。

 俺は、心の底から――あるいは、そう思い込むことで自分を騙し、静かに告げた。


「留学なんてどうでもいい。夢も、明日なんていらない。俺にはお前さえいれば、それでいいんだ。ずっとこの街で、お前だけを見て生きていくよ」


 その言葉を口にした瞬間、ずっと俺の耳を塞いでいた重苦しい圧迫感が、嘘のように消え去った。

 視界が開け、外を吹き抜ける冬の夜風の音が、穏やかに聞こえてくる。


 陽葵は子供のように泣きじゃくりながら、俺の胸に顔を埋めた。


「本当?本当にお正月も、来年も、ずっといてくれる?」


「ああ。約束だ」


 陽葵の無意識が、ついに俺へ「合格」を出した。

 カレンダーは、もう二度と十二月六日で止まることはない。


 俺たちは手を繋ぎ、坂道を下っていった。


 俺が俺であることを捨てて手に入れた、新しい「明日」へと。

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