表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

第10話 ハッピーエンド

 十二月六日。

 世界は、まるで巨大な冷凍庫の中に放り込まれたみたいに冷え切っていた。


 でも、俺のいるこの場所だけは、驚くほど温かい。

 駅前の古い商店街の一角。親父から継いだ店の中に、石油ストーブの匂いが優しく漂っている。


「湊、お疲れ様。はい、温かいココア」


 厨房から顔を出したのは、数年前と変わらない――いや、少しだけ大人びて、より穏やかになった陽葵だった。

 彼女は結婚指輪の光る手で、湯気の立つマグカップを俺の前に置いた。


「サンキュ、陽葵。ちょうど喉が渇いてたんだ」


 俺は彼女に笑いかけ、ココアを一口啜る。

 甘ったるい、懐かしい味。


 あの日――あの無限に続いた「十二月六日」の牢獄の中で、俺が自分の夢を握りつぶした日から、世界は一度も止まることなく回り続けている。


 俺は第一志望だった東京の大学を蹴り、この町の小さな短大を出て、そのまま実家の店を継いだ。


 留学?外の世界?

 そんな言葉は、今では遠い昔に見た、出来の悪い映画の内容みたいに現実味を失っている。


「ねえ、湊。今朝、物置を掃除してたら、変なもの見つけちゃった」


 陽葵がいたずらっぽく笑って、一枚の紙を差し出してきた。

 それは、酷く色褪せて、何度も丸めたような跡がついた、あの「A判定」のプリントだった。


「これ、湊が高校生の時のだよね?すごいね、やっぱり湊は頭が良かったんだ」


 俺は、そのプリントをじっと見つめた。


【A】という文字。

 それを見た瞬間、心の奥底の、もう何年も開けていなかった真っ暗な引き出しが、ガタッと音を立てたような気がした。


 一瞬だけ。

 本当に一瞬だけ、耳の奥でザーッという砂嵐のような音が聞こえた。


 古いビデオテープのノイズみたいな、不快な感覚。

 かつて俺が熱望していた「外の世界」の眩しさと、それを手に入れようとした時に感じた、あの引き裂かれるような恐怖が、一気に脳裏をよぎる。


 ――だめだ。思い出してはいけない。


 俺は静かに息を吐き出し、プリントを机の上に置いた。


「ああ……そんなのもあったな。でも、もう関係ないよ。俺の居場所は、ここにあるからさ」


 俺がそう言うと、陽葵は満足そうに微笑み、俺の肩に頭を預けてきた。


「うん。嬉しい。……ねえ、湊。私、今が一番幸せ。湊がここにいてくれて、毎日私を見てくれて。これ以上のことなんて、世界に何もないよね」


 陽葵の声は、甘い蜜のように俺の鼓膜を伝わり、脳を麻痺させていく。


 彼女が幸せなら、それでいい。

 彼女が望む「湊」でいることが、俺の生存戦略であり、この世界が平和であるための唯一のルールなのだから。


 ふと、窓の外に目をやる。

 鉛色の空から、白い雪が舞い始めていた。

 この町を包み込み、すべての境界線を曖昧にしていく雪。


(……これで、いいんだ)


 俺は心の中で、自分に言い聞かせた。


 留学パンフレットも、英語の辞書も、いつの間にか全部捨ててしまった。

 今の俺は、地図の見方さえ忘れてしまったかもしれない。


 でも、迷う必要なんてない。

 陽葵の手を握っていれば、ここが世界のすべてであり、ここが俺の終わりの場所なのだから。


「湊?どうしたの、雪に見とれちゃった?」


「……いや。なんでもない。ただ、明日も冷え込みそうだなと思って」


 俺は彼女の肩を抱き寄せた。


 温かかった。

 あまりにも温かくて、息が詰まりそうだった。


 時計の針が、重々しく午前零時を指す。

 砂嵐は、もう起きない。


 世界は、俺が「自分」を殺したことを祝福するように、静かに、穏やかに、十二月七日の朝を連れてくる。

 これが、俺たちが勝ち取ったハッピーエンドだ。


 俺の目に、ほんの一瞬だけ、かつて憧れた異国の青い空が、幻のように浮かんで消えた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


初めての心理ホラー?だったのですが、いかがだったでしょうか?


お口直しがしたい方は、ファンタジーコメディー

「異世界★魔法少女― 転生初日に聖女扱いされましたが、変身が罰ゲームすぎます! ―」

を読んで気分一新、笑っていただけると嬉しいです。


『面白かった』と思っていただけましたら、下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします!


面白かったら★5つ、つまらなかったら★1つ、正直な感想で結構です。


是非、感想もお聞かせください。

皆様の応援が、作品執筆のエネルギーになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ