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第十一片



 その日の夜、あのひとの言いつけどおり、身を洗い、香油をまといました。


 あのひとは、わたしが晴れ着を身につけるのを手伝う間、ずっと黙っていました。


 けれど、その手つきは、羊飼いが母羊のお産を手伝うのと同じように、何もかも当然のことだと言わんばかりのものでした。



 人目を忍んで家を出ると、夜空には満月が浮かんでいました。


 灯火がなくとも、ボアズ様のいらっしゃる麦の打ち場へと歩いて行くことができました。


 ボアズ様や他の畑の主たちが大いに飲み食いしているのを、わたしは麦わらの束の陰から見ていました。


 打ち場の皆が寝静まると、足音を立てないように用心して、月明かりを頼りに、ボアズ様がお休みになっている場所を探しました。


 麦を積んである場所まで来てみると、ボアズ様がおひとりで横になっておられました。


 脱穀した麦の香ばしさが四方にこもって、むせかえるようでした。


 その中に、酒の匂いと、古い油のような年長の男の体臭が混じり漂っているのです。


 わたしは、眠るボアズ様と二人きり、麦の袋に取り囲まれて、いよいよ覚悟を決めなければなりませんでした。



 あのひとのためなら何でもすると決めていました。


 それなのに、いざ、すべきことを目の前にすると、今からしようとしていることの生々しさが目の前に迫ってきて、へなりと転げてしまいそうでした。


 それでも、旅の夜でのあのひとのいとけない寝顔や、市場での頼もしい腕、やさしく髪を撫でてくれる手を思い出すと、震えるように勇気が湧いてきました。


 意を決してボアズ様の足元の衣をめくると、長い衣の中に籠っていた体温がぶわりと広がりました。


 わたしは震える手でボアズ様の裾を持ち上げたまま、ゆっくりと横になりました。


 袋から漏れていた麦粒が、ざり、と腕や頬に当たります。


 ボアズ様の足が、すぐそこにある。


 そう、衣の奥に、「足」が。



 旅の途中、街の入り口で見かけた遊女たちは、こんな思いで座り込んでいたのだろうか。


 そんな思いが浮かんでしまい、自ずと身体が震えました。


 わたし自身も、人の足元に横たわっているのではなく、道のかたわらに立っているような気がしてきます。


 わたしは息を殺して、身を固くしました。


 あのとき、わたしは、あのひとが祭壇へ捧げた供物そのものでした。



 オルパ、あなたは、モアブの家であのひとがわたしたちに語り聞かせてくれた、古い物語を覚えていますか。


 父アブラハムが、神に命じられるまま、愛する独り子イサクを焼き尽くす捧げ物にしようとする物語です。


 深く愛し愛された父そのひとに、縛られ、薪木の上に載せられ、刃物を振り下ろされるその瞬間。


 ああ、賢く分別あるオルパ、あなたは、イサクが何を思ったのか、考えたことはありますか。


 わたしは、考えたことがありませんでした。


 あの夜までは。



 わたしたちが嫁として家に入った初めの頃、あのひとは親切に、イスラエルの神のことを教えてくださいました。


 わたしたちは、主なる神を恐れなければならないと。


 でも、それでも、神が定めた正しさに沿うためだからといって、どうして、自分を慕って甘えるわが子を、少しの迷いもなく差し出せるのでしょう。



 アブラハムは正しい。あのひとも正しい。



 わたしは、正しさが恐ろしい。



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