87.温泉
女王蜂のレオノーラは心からほっとしていた。
体力をつけられたおかげで、無事にいい産卵場所を見つけることができた。温かい場所だから、すぐに孵るだろう。だが、体調が万全かというとまったくそうではない。蜂と蜂人が、どれくらいの比率で生まれるかは分からない。
ここまで付き従わせていた二人の蜂人達には、トナカイを食わせて暇を与えた。おそらく南方の別大陸へ旅立っただろう。自分はともかく、役目を終えた。母のアグネスからは、大陸を統治できたら一度里帰りしてこいと言われているが、その体力はもうない。
「私の子ども達…」
レオノーラは、そばにある卵を黙って見つめた。
一方、スカイ達は老婆に言われた通り、チュルキー村の北東に向かった。移動手段は、今度はトナカイだ。山を越えるためそりは使わず、三人とも一人につき一頭、大きなオスのトナカイをあてがわれ、雪原を進んだ。
「シーサルミ王国は、完全に未知の土地だ」
先頭のトナカイに乗り、方位磁針を確認しながらオリバーが大声で言う。
「『アイスノウ大陸冒険記』にも載ってないの?」
その後ろをスカイのトナカイが追いかける。
「沿岸国のノルマク共和国と、内陸国のフィルエー共和国のことしか書いてない。シーサルミはひとつの町くらいしかない小さな国で、国土の形状が五芒星だというところまでは書いてある。あの婆さんの話じゃ、わりに豊かな国らしいんだ。最近できた国なのかもな」
「そこで何をしてこいって?」
スカイが大声で叫ぶ。
「湖に大型のエビが繁殖しすぎてて、それを駆除してほしいんだって。たくさん駆除すれば、生活物資もたくさん援助してもらえるんだって」
今度は最後尾のロイが答える。
「あのお婆さん達、あんなにトナカイ飼ってるくせに、俺達にこんなことさせるほど生活に困ってたのかな」
スカイは不思議がるが、オリバーは気に留めず、方位磁針をポケットにしまいこむ。
「さあな。こんな極寒地帯に住んでりゃ色々、物資が不足すんだろ。このユラル山ってのを越えたらシーサルミだ」
ユラル山を含む、ヤム山脈は五芒星の形状をした高原を取りかこんでいる。平地が多いアイスノウ大陸において、ここだけ極端に高山が連なる。しかも、氷点下の山岳地帯とあって、曇っていて、少しふぶいている。ロイは怖くて何度も悲鳴を上げた。それとは対照的に、雪道に慣れたトナカイは、ゆっくりでも着実に斜面を登りつめていった。
やがて、三人は頂上のすぐ手前にある国境の検問所についた。オリバーが老婆にもらった書類を番兵に見せた。
「チュルキーの村の者か。出稼ぎか」
番兵に聞かれて、オリバーはあいまいに頷く。
「よし、町へ降りたら宿舎へ行け。アモーレイクのほとりにある、赤い屋根の建物だ。そこで説明があるから、それに従え」
そう言って番兵が花型のハンコを押したので、オリバーはそれをスカイとロイに見せた。
「おい、見ろ。『サイラスの刻』にあった、青菜の花の刻印と同じだ。この国の紋章なんだ」
「本当だ。じゃあ、青菜の花はここに?」
スカイは食い入るように見る。
「ところでなんだよ。アモーレイク? 宿舎? 僕達って出稼ぎ労働者ってことにされてんのか?」
ロイは納得いかずに口をとがらすと、オリバーは頷く。
「そういうことらしい」
一行は腑に落ちなかったものの、道を通され、そのまま頂上に辿りついた。
「おい」
先頭のオリバーが声をはりあげた。スカイとロイは驚き、トナカイで近寄る。スカイはオリバーの横に並び、息をのんだ。
ここはどこか。本当に雪国か。明るい太陽の光が高原を照らし、あたり一面に緑が生いしげっている。春を謳歌するように、小鳥の群れがさえずった。そして、何より特異なのは緑地の中央に位置する湖だ。その水面から湯気が立っている。
「え? え? どういうこと?」
スカイは眼下の光景に目を奪われる。
「ここがシーサルミ……。なるほどな。たぶんあの湖がアモーレイクで、温泉が湧いているんだ。その熱で、植物がこんなに生えているんだ」
オリバーは驚愕して、自分を納得させながら言った。
三人は山を降り、アモーレイクに向かった。ほぼ円形の湖で、湯気が立つ湖面に何か細長いものが伸びているのが見えた。
「あの青いの、もしかして菜の花じゃないの」
スカイが指をさすと、オリバーは曇ったメガネをはずし、目をこらす。
「ああ、そうだ。本にも書いてあった。菜の花に似ているけど実際はアブラナ科の菜の花とは別種の、水上植物なんだ。まさか、温泉に根を張ってるとは思わなかったけど」
「こら、お前ら。勝手にアモーレイクに近づくな」
やや小太りの男が声をかけると、三人は振りかえる。
「お前ら、出稼ぎか?」
「そうです」
通訳係のロイがおとなしく答える。
「俺はここの主人だ。いいか、湖にはエビが棲んでる。あんまり顔をつっこむと、お前ら、食われるぞ」
「気をつけるよ」
「わかったならいい、中に入れ」
男は赤い屋根の建物を指さした。
「今日は温泉に入ってよく休め。仕事は明日からだ」
宿主が愛想なく言い、三人に小さな部屋をあてがった。部屋はなかなか清潔感があり、ルビテナにあるのよりも立派なベッドが三つ並んでいた。外に通じるドアを開けると、すぐ目の前に小さな温泉があり、湯気が立っていた。
「ここに入れっていってたけど、大丈夫なのか? こんなかにもエビが棲んでねえだろうな」
ロイは用心深く言うわりに、すでに服を脱いでいる。
「大丈夫だよ、何もいない」
誰よりも先に素っ裸になったスカイが、水のなかを観察して言う。
「まさか、アイスノウで温泉に浸かれるとはな。今日はゆっくりしよう」
オリバーが言い、皆で温泉に入った。
三人がワーワーはしゃぎながらお湯をかけ合い、遊んでいる頃だった。
アモーレイクの警備を務める衛兵が、湖面を見ていた。湯気は立っているものの、水深はそこまで深くない湖で、透明度も高いので、水中の様子はまあまあに観察できた。ここの在来種、アッタケエビは体長一メートルを超える大きなエビだ。温水を好むエビで、昼間は活動しないが、こうして夕方になると岩陰から出てくる。それから水底を歩きまわり、餌を探すのだ。何もしなければ襲ってこないが、水上の青菜の花を摘もうとしたり、岸辺にへばりつくように巣をつくっている菜蜂の蜂蜜に手を出そうものなら猛然と襲ってくる。幸い、国が温泉のおかげで豊かだから、駆除するには他国の出稼ぎ労働者を使えばよい。
衛兵は大きく伸びをした。ふと、奇妙なものに気づいた。水底にある岩にも似ているが、丸くて薄茶色の、スイカほどの大きさがある石がいくつも転がっている。エビもそれに気づき、それらをハサミでつつき回す。すると、その石が裂けた。何やら柔らかい石のようだと思ったときだった。
なかから出てきた蜂人が、すぐさまエビを引きずりこみ、猛然と食べはじめた。




