85.チュルキー村
数百キロの道のりを、スカイ達は犬ぞりで走りつづけた。犬達は絶好調だったが、出発から五日目の夕方には太陽が雲に隠れ、少しずつふぶいてきた。御者が一喝すると、犬達はスピードをあげた。
ふぶきになる直前で、一行はフィルエー共和国とノルマク共和国との国境沿いの村、チュルキー村へ辿りついた。小高い丘のふもとにある集落で、雪レンガでできた半球状のドームハウスがいくつも建っている。そばには柵で囲まれた放飼場があり、千頭はゆうに超えるトナカイが飼われている。キリトナの町が暖かいと思えるほど極寒の地で、村に暮らすチュルキー族達は全員、トナカイの毛皮を着込んでいる。ロイがいきおいよくクシャミした。その瞬間、鼻水が音を立てて凍った。
「こんにちは。よろしくお願いします」
スカイはその鼻水を手で隠してやりながら、礼儀正しく挨拶した。だが、対する村人達は妙な態度だった。決して冷たいというわけでもないが、目が笑っていない。宿の老婆がドームハウスへスカイ達を招きいれ、太く短いロウソクの前へ座らせた。老婆はそのロウソクの上に土鍋を天井から吊るし、煮炊きを始めた。ロイが尋ねると、鮭の煮込みを作っているとのことだった。
「ロウソクだけなのに、意外とあったかいね」
ロイが老婆と話しこんでいる間、スカイはオリバーを見てから、土鍋の下のロウソクに視線を落とす。その隣でジャッキーは羽をばたつかせ、雪をはらう。
「雪壁で空気の流れを遮断しているからだ。それに、獣の皮で内部を覆ってるし、断熱対策は完璧だ」
そう言ってオリバーが壁を指さす。
「こんな寒いところでも、工夫して生きてるんだね……」
「過酷な環境だよな」
「ねえ。オリバーはさ」スカイは話を切りだしたものの、その続きがどうしたものか、うまく言えない。「その……俺は、そういうの、よく分かんないけど、あの。寂しくないの。ゾエと離れてて」
スカイはそこまで言いきり、以降は目で訴えることにする。オリバーは、ロイに向けたときよりはいくぶん柔らかく、大人びた表情で、かすかに笑う。
「会いたいけど、寂しいっていうのは、ないよ」
「へえ。どうして」
「だって、もう二度と会えないわけじゃない。それに、信頼できるお前らがいるし」
そう言って、今までスカイが見たことないほど、オリバーは穏やかに笑う。それが途方もなく格好よく見えて、スカイは妙にどぎまぎした。
「でも、あのさ。お、お、俺はオリバーを友達だと思ってるし、ゾエの代わりはできないよ……?」
スカイが必死で本心を打ち明けると、オリバーは目を丸くする。直後、激しく笑い出す。
「当たり前だ、バカ」
「なんだ、びっくりしたな」
「俺はどっちかっていうと顔はロイのほうがタイプだ」
「え!?」
「はい、煮込みができましたよ。どうぞ、召しあがれ」
スカイが目を白黒させているのをよそに、老婆が立ちあがり、出ていく。
「ちょっとオリバー! 何それ!」
「うるせえぞ、早く食おうぜ」
オリバーが鮭を皿にとりわけ、三人で食事をはじめた。
「なんだか、この村の人達って変だね」
ロイは鮭をつつき、老婆が出ていった方を、不審な目つきで見る。
「そうなの?」
現地語がわからないスカイはきょとんとする。
「うん。何か、変なんだよ。さっき、あの婆さんに青い菜の花が咲いてるところに行きたいんだって言ったら、薄気味悪い顔で笑われてさ。あなたがたは命知らずだ、勇者か何かですか、とか言われたんだ」
ロイがうんざりした顔で言うので、スカイは少し笑う。
「何それ」
「だから、ああ、スカイはそうだよ、僕らはおまけだけどって答えたんだ」
「別におまけじゃねえだろ」
「まあ、続きを聞けよ。そしたら、望む者は辿りつけない、望まれた者だけが辿りつけるのだ、だって」
「ますます意味不明だ」
ロイとスカイは笑いあったが、オリバーはひとり、鮭の脂身をじっと見つめて黙りこくっている。
「どうしたの、オリバー」
スカイが声をかける。
「この大陸にきてから、脂っぽい食事ばっかりだな」
「そうだね」
「寒帯ではほぼ作物は育たない。それゆえに原住民達は穀物ではなく獣を一頭丸ごと食べることによって──」
オリバーがいつもの「図鑑見たまんまモード」に切り替わったので、スカイは安心して笑った。が、ロイはそのモードが心底うざくて吐きそうな顔をして、鮭に視線を落とす。
「確かに、僕もパンとか食べたい」
「だよね。……あっ、そういえば」
スカイはとっさに閃いた。オリバーが持っている紫のヌマグチを開け、ごそごそと漁る。
「お、おい。もう、そんなかに蜂人はいないんだよな?」
ロイはオリバーにしがみつき、ヌマグチを食い入るように見つめる。オリバーは面倒くささと面白さをないまぜにして、ロイの背をなでる。
「大丈夫だよ、整理したから。ほら、これ。ルビテナのみんなの差し入れだ」
スカイはライ麦のバスケットを取りだした。中の布巾をめくると、出てきたのは大量のビスケットだった。ロイもオリバーも目の色を変える。
「おおお。すげえ。何これ」
「ライ麦のビスケットだよ」
「食べていい?」
そう言いながらすでにロイは一つ、口に放りこんでいる。オリバーもひとつつまんだ。
「うん。これに瑠璃蜜もつけると美味しいんだよ」
スカイは小瓶を開け、ビスケットに瑠璃蜜を塗ってやった。
戸外では嵐が吹きあれていた。三人は腹一杯食べて、ベッドで眠りについた。だが、隣のドームにいた村人達はまだ起きていて、ロウソクを囲んでいた。
「客人は寝たかい」
老婆が尋ねると、若い娘が頷いた。
「今日は思ったより鮭がとれなかったな。丘のむこうの川に行ってみないか」
漁師が言うと、老婆は首を横に振る。
「あっちの川はまだ氷が薄い。あぶなくてかなわない」
「厚くなるまで待っていたら一ヶ月はかかるぞ。そうなったら、ふぶいて捕りにいけやしないさ」
漁師が続けるも、老婆の態度はかたくなだ。
「キリトナの御者がアザラシの脂を持ってきたろ。それとトナカイ肉でしのげばいいじゃないさ。イチゴジャムもあるし──」
「おばあちゃん、これ」
娘が絶望し、そばにあった壺を持ち上げた。表面に人間とアザラシの模様が彫られている壺で、中は空っぽだ。
「何。一体全体、どういうことだ」
老婆は目玉を落っことしそうになるほど、目をかっぴらいた。
「夏の間、苦労して集めといたのに。狐か熊かも」
娘は壺をひっくり返して振ってみせる。
「…どうする。御者に頼んで、キリトナに取りにいってもらうか」
漁師がその壺を受け取り、中をまじまじと見る。綺麗に舐めとられ、一滴も残っていない。
「やめときな。莫大な金がかかる」
「だが、このままでは冬を越せないぞ。……シーサルミに行くしかないんじゃ……」
漁師が言うと、老婆は顔から表情を消した。完全に目がすわっている。
「命知らずな奴らに、行かせてみようか」




