84.雪原
スカイ達はキリトナの町長が手配した犬ぞりに乗せられ、大陸を北上した。
犬用ブーツを履いた十頭の犬達はパワフルに雪原を駆ける。立ち乗りしている御者がときどきフィルエー語でなにごとか叫ぶと、犬達は右や左へ進路変更する。決して乗り心地がいいものではなく、カーブするときは遠心力がかかるので、座り乗りしているスカイ達も上体を倒さなければならない。地面と距離が近く、バランスを崩せば放りだされてしまう。振動がじかに伝わり、スリルがあった。
それでもスカイは徐々に慣れてきた。背にもたれ、ぼんやりとあたりを見た。キリトナの町にいたときはほとんど雪は積もっていなかったし、人も歩いていて、賑やかだった。それがどうだろう。このあたりは一面の銀世界で、生活感のかけらもなく、雪原が果てしなく続く。ときどき、真っ白なウサギやトナカイを見かけた。吐く息の色は白く、半透明から濃い不透明へと変わった。雪がすべての音を吸いこんだのか、どこまでも静かだった。寒くてたまらないのに、形容しがたい安堵感があった。
だんだんと、なぜ雪原にこんなに安心できるのか、スカイは分かるような気がしてきた。うまく言葉にできないにせよ、何もないことが心地よいのだ。ヨルシア、ハラパノ、ジャングリラと続き、アイスノウは四つめの大陸だ。これからも旅は続く。なのに、どんどん自分自身が空っぽになっていく。その空っぽ加減に、この雪原だけが寄り添ってくれる気がした。
ゆるやかな傾斜をのぼり、丘に到達すると、前方に背の低い、白いぼこぼこしたものが見えてきた。アイスノウ大陸原産、アオマツの樹氷だ。
「おい、ジャッキー。敵だぞ」
ロイがふざけて樹氷を指さし、ジャッキーを煽る。イーヨで以前のような小型サイズになったジャッキーは、さっとスカイの肩を離れ、樹氷のひとつに乗ってみせ、ひと鳴きする。雪がサーッと音を立て、降りおちた。
「おし、スカイ。美味そうな鷲がいるぞ」
ロイがまたふざけて、今度はスカイを煽る。スカイはぼんやりしたまま、ロイとジャッキーを交互に見る。
「頭からっぽ、みたいな顔してんじゃねえよ」
まるで見透かされたような気がして、スカイは口をすぼめる。ロイは構わず、スカイの背から勝手に弓をとり、それを握らせる。スカイは弓を構え、ジャッキーの足元より少し下を狙う。が、そりが地表のコブに乗り上げ、一矢目ははずした。それを見て、ロイがふざけてブーイングした。
「しっかりしろよ」
「分かってるよ」
スカイが言いかえすと、ロイはまた別の木を指さす。ジャッキーはよく見ていて、その木に飛び移る。スカイはすぐにロックオンして、矢を放った。矢は樹氷にささった。ドサッと雪が降りおち、ジャッキーは両翼を伸ばし、まるでスカイに合格判定をくだすように、ピイーッと鳴いた。
ロイが面白がって、今度はそっち、次はあっちと指をさした。けなげなジャッキーは飛んでいって、ロイが指す木のてっぺんにとまった。スカイはそれを目で追って、ジャッキーのとまった樹氷を狙い、弓矢で雪を落とした。
「ロイ、スカイ。あんまりふざけてるとそりから落ちるぞ」
「恋に落ちてる奴が言うな」
「そうだそうだ」
ロイとスカイはオリバーに構わず、追いかけっこを引き続き楽しんだ。降り落ちた粉雪はダイヤモンドのようにきらめき、輝いた。
「ねえ、訓練してもいい?」
スカイが弓を引きながら叫ぶ。
「なんの訓練?」
ロイがスカイを横目に見る。
「新技!」
スカイは早速、ガルシアのくれた本の中身を思い出す。それによると、「レクシア」はレベル1、「ランダギア」はレベル2に該当するらしい。その次のレベル、「リージス」を習得しろということだ。
やり方はここにくるまでの間、何度も読んで頭に叩きこんである。限界ギリギリまで力を抜いて、対象物のその先をイメージする。対象物が溶けて消えるイメージができたらOKだ。
「ラコロシュテ・プロロクテ・ピカ。リージス」
スカイは叫び、つがえた矢を放した。
それは今まで体験したことのない瞬間だった。不思議と、矢はいつもよりゆっくり飛んでいるように見える。だけど墜落することなく、矢は飛び続けている。まるで川面を流れる葉のようだ。まっすぐ前進し、ジャッキーがいる樹氷を静かに貫いた。
ザーッと激しく降り落ちる音、ジャッキーのつんざくような鳴き声に、スカイの意識は現実に引き戻された。
「ねえ、ちょっと止めて」
スカイは御者に断り、その木に駆け寄った。矢は確かに幹を貫通している。だが、矢は木に串刺しになったまま、矢尻が反対側からちょこっと飛び出しているだけだ。なんだか思っていたのと違う。少し落胆した。
「なんでだろ。あの本には、並んでる敵を最低でも三体は貫通して倒せるとか書いてあったのに」
「おい、早く乗れよ」
オリバーが不機嫌に怒鳴りつける。
「分かってるよ。おかしいなー」
スカイはぶつぶついいながらそりに戻り、その後も練習を繰り返した。
スカイ達の犬ぞりの旅が三日ほど続いた頃だった。ヤバネスズメバチの女王蜂、レオノーラと二人の蜂人は人間の村を訪れた。村といっても規模はかなり小さい。それでもこの地域にはほとんど家らしいものがないから、かなり貴重な存在だ。三人は人間と交戦するつもりはない。またしても産卵に失敗し、もうそんな体力は残されていないのだ。だが、村からわずかに漂う甘い香りにだけは、抗えなかった。
丘に隠れ、様子を伺っていると、人間達が家から出てきた。あれはおそらく、仕事に出たのだ。手に持っているのが網だから、川に大掛かりな仕掛けでもしにいくのだろう。
三人は人間達が村を離れるのを待った。それからこっそり一軒家に入った。玄関を入ると凍った生肉が大量に積まれている。たぶん、トナカイの肉だろうとレオノーラは思った。トナカイじゃだめだ。もっと体が温まるものでないと。
「女王様、これです」
蜂人の一人が、土間で壺を持ち上げた。壺の表面には人間とアザラシの模様が彫られており、中からは甘い香りがただよっている。砂糖大根で甘く煮詰めたイチゴのジャムだ。レオノーラは目の色を変えて、それを貪り食った。




