21.しろがね蜜
その頃、スペンサーは学校の研究室を訪れていた。
「コクジョウムカデの神経毒。最後の分だ。持っておけ」
モーガンが陶製の小瓶をスペンサーの手に握らせた。
「はい。市に原料が出回りだしたら、またお願いします」
「調合法を記した書物を残してあるんだ。自分で作らんかい」
モーガンがビシッと本棚を指さすと、スペンサーが曖昧に笑った。
「私の本業は神官ですから」
「ところでスペンサー。『あれ』はまだ、羽化していないのか」
「ええ。今のところは。大丈夫です、近づけませんから」
「ならいい。そのときが来たら、これに書いてある通りにしろ。ここに置いておくから」
モーガンは灰色の表紙のついた本をスペンサーに見せ、本棚にしまった。スペンサーは笑うのをやめ、真顔になった。
「承知しました」
「さっきな、改めてスカイの目を見たんだ。あいつのことは信じていいと、私も思う」
「ですね」
「皮肉なもんだ…」
モーガンは蝋燭の燃える火を見つめた。
「そうそう、さっきガルシアさんに、ルーシーの懐中時計を見てもらいまして。ロクレンの時計技師の刻印だとか」
「ロクレン? あの職人街か」
「はい」
モーガンは差し出された懐中時計をじっと見た。針はほぼほぼ動かない。だが、昨日より針の位置が進んでいるのをスペンサーは知っている。目視できないほどごくごくゆっくり、確実に動き続けているのだ。
「おい、スペンサー」
「はい」
モーガンは険しい目を向けた。
「このゼンマイを最後に巻いたのは、いつだ」
神殿近くの茂みに隠れていたエミリーは、思わず顔をほころばせた。
やった。巣籠を壊したから、もうオオルリには帰る家はない。しろがね蜜も貯められまい。エミリーは静かにその場を去った。
そのまま帰るつもりだったが、近くから声がした。エミリーは建物の影に隠れようとしたが、妙な眠気に誘われた。そうだ。この神殿の隣の建物はおかしい。何か香気のようなもので、近づくといつも眠くなる。壁から少し距離を取りつつ、声のする方を見た。そして気づいた。燭台の明かりに照らされているのは、スペンサーだ。過去にルーシーに何度となく聞かされた厄介者である。山吹色のロングドレスを着ているから、神官で間違いない。もう一人は誰か。小さくて禿頭の年寄りで、いかにも知恵者といった風貌だ。
エミリーは自分が蜂人に生まれ、理解したことがある。この世は腕力があっても、知力がなければ勝てない。所詮、蜂は人間に勝てない。生きる知恵に長けているのは人間の方だ。その両方の力を併せもつ蜂人だからこそ見えるものがある。頭のいい奴から先に殺すべきだ。あの老人はおかしな植物で周辺を固め、寝ぐらにしているようだし、危険だ。
二人まとめて始末しよう。が、エミリーは踏みとどまった。スペンサーが手にしている瓶だ。得体の知れない毒で、浴びた部下が即死したらしい。奴は後回しにした方がいい。となると、ターゲットはあの老人だ。
スペンサーが手を振り、神殿へ歩いていくのを見届けた後、エミリーは俊足でモーガンの前に立ちはだかった。モーガンが何か叫ぶ前に、その首をすぐに食いちぎった。スペンサーは気づかず、神殿の玄関をくぐっていった。
一方、神殿の裏口前では、破壊された巣籠を前に、スカイ達は呆然としていた。
「どうしてこうなった」
困惑する二人をスルーして、ルークがしゃがみ込み、巣を観察しだした。スカイもそれにならった。粉々になった巣板のほか、潰れた幼虫や働き蜂、まだ生きているものも見える。そして見つけた。体長約五センチ、他より大きく、立派な腹をしたその蜂は、途方に暮れて巣板の上を歩き回っている。
「女王蜂だ!」
スカイは大急ぎで上着を脱ぎ、それで女王蜂を覆った。女王蜂はブンブン唸り、服の中を飛び回る。
「嘘。生きてたのか」
サムはその服を凝視する。
「逃げずに残ってたんだ。よかった…」
スカイは半泣きだ。すると、ルークが屋内から毛布を持ってきた。
「蜂人の仕業だ」
ルークは短く言い、スカイの背中に毛布をかけた。
「奴ら、まだいるのか」
サムの顔が青ざめる。
「スペンサーさんが言ってただろ。油断すんなって」
ルークはイラつきながら言い、辺りを見回す。静まり返り、虫の鳴き声すらない。スカイは女王蜂を覆う服をルークに任せ、一旦屋内へ引っ込み、弓矢を持ってきた。ヤバネスズメバチが出てくる気配はない。
「スズメバチならミツバチの巣を襲って当然か」
サムがつぶやくと、スカイは首を横に振る。
「違う。しろがね蜜をつくられたくないんだ」
「何?」
サムが理解できずに眉を寄せる。が、スカイはお構いなしに、手をポンと叩いた。
「そうだ。今すぐ引越しだ」
スカイは再び屋内へ引っ込んだ。サムとルークが待っていると、スカイは大きな巣籠を持ってきた。スカイ達が自宅から逃げてきたときに使った巣籠だ。
「ほら、巣板の残骸、集めて。蜜蝋を巣籠に塗って。女王も、中に入れる」
スカイが指示すると、サムとルークは戸惑いつつも手伝った。
星明かり草は夜の深まりとともに、その花を一層輝かせ、咲き乱れていた。その神々しさに導かれ、オオルリミツバチは飛んだ。蜂達はおしべと花びらの隙間にもぐり込み、花蜜を吸い上げた。
神殿の裏口で辺りを警戒しつつ、新しい巣籠の前にしゃがんでいたスカイは、いち早く物音に気づいた。山の方から羽音が聞こえてくる。見ていると、オオルリミツバチの大群がワンワン唸りながら帰ってきた。だが、元の巣籠はもうない。スカイ達は少し離れ、様子を見守る。
「入るかな」
サムは声をひそめる。
「分からない。一か八かだ」
スカイは拳を握りしめる。
「それにしてもさあ」サムが怪訝な顔をした。「何か、すっげえ増えてねえか」
サムが不思議がった。それを言われて、スカイもじっと観察した。
「そうか…」
「そうかって、何」
「サム、よく見ろ。内勤蜂もかなりの数、いる。きっと別の群れもいるんだ。多分、養蜂場から逃げてきたやつも、ここにきてる」
スカイは巣籠を遠巻きに見た。サムの言う通り、当初は千匹ほどの群れだった。だが今、ゆうに三千は超えている。
「お前、どんな視力してんだ。どれが内勤蜂で外勤蜂かなんて分かんねえだろ」
「全然違うじゃん。ほら、ちょっと透き通ってて白っぽいやつ、羽化して間もないやつだ。これから内勤蜂になるんだ」
スカイが飛び回る蜂をあちこち指さすが、サムは首を傾げる。
「分からん。とにかく、今じゃ全員、家なしだ。群れ同士ケンカもないし、合同できそうだな」
サムの言葉に、スカイは静かに頷いた。
「おい、お前ら。外にいたらあぶねえぞ」
ガルシアが出てきて咎めたが、三人が揃って人差し指を顔に立て、シーと言った。
結局、夜の間はガルシアとスカイが交代で巣籠を警護した。その間、オオルリミツバチの働き蜂は当初、戸惑っていたが、この巣籠を新しい家と認めた。何度も花と巣籠を往復しだした。
夜がふけ、スカイは巣籠を神殿に引き入れた。星明かり草と巣を往復した働き蜂達は籠に戻り、静かにしている。
「すぐに採蜜しよう」
「熟成させなくていいのか」
サムが尋ねたが、スカイは頷いた。
蜂蜜というものは通常、熟成が必要だ。外勤蜂が花蜜を採ってきたらそれを内勤蜂が受け取り、巣房へ運び込む。蜜はまだ水分が多く、サラサラしている。それを内勤蜂が羽を羽ばたかせ、水分を蒸発させる。水分が減り、とろりとしてきたところで内勤蜂が蜜蓋をつくって封をしたところで完成する。
「もちろん、熟成させた方が、有効な成分濃度が高くていいんだと思う。でも、先生がすぐ飲めって」
「先生って? モーガン先生?」
サムは目を丸くした。
「うん」
「先生、生きてたのかい?」
アイリーンが食らいついたので、スカイは頷いた。
「うん。採蜜したら会いに行こう」
スカイの言葉にアイリーンは頷き、サムと採蜜作業を始めた。その間に、スカイはしろがね蜜について、モーガンから聞いた話を村人達に説明した。
採れたしろがね蜜はコップ二杯分あった。それをスカイが小さな匙で救い、一人一人の手のひらに乗せた。
大半の村人が半信半疑だったが、モーガンの言うことならばと、それぞれ蜜を舐めた。スカイも舐めながら、皆を見回した。ルークが突っ立って傍観している。スカイは自分の手のひらにしろがね蜜を垂らし、ルークに差し出した。
「俺はいいから。みんなを優先して」
ルークは咳き込み、首を横に振った。
「なんで」
「それって外出できるよう、舐めてるんだろ。俺は外出しない。貴重な蜜だ。大事に使え」
ルークはほほえんだ。
夜が明けた。ガルシアが立ち上がり、窓の方を見た。ヤバネスズメバチが低い羽音を立て、周辺を飛び回っている。ジャッキーが窓に近づき威嚇した。
「よし、外に出よう」
「危ないよ」
村人の一人が引きとめた。
「何のためのしろがね蜜か。確かめる必要がある」
ガルシアが豪快に笑うと、スペンサーが頷いた。
「ですが、モーガン先生すら検証の段階です。危なくなったらすぐ戻って」
「分かってる」
そう言って外に出ようとするガルシアの前に、スカイが追従する。
「ガルシアさん。俺は一番弟子だ。一緒に行く」
「およし、スカイ」
アイリーンがスカイの腕を掴んだ。スカイはその顔を見て、真剣になる。
「おばあちゃん。大丈夫だよ」
アイリーンはスカイの黒い瞳に見つめられ、言葉を飲み込んだ。それから喉を震わせ、顔を伏せた。スカイはアイリーンの手をどけ、今度はガルシアにその目を向けた。ガルシアは笑って頷いた。
「その通りだ」
ガルシアとスカイは弓を手に取り、勇ましく外へ出た。




