20.星明かりの夜
村の北にあるルビテナ山では、いつもと違った様相を見せていた。普段飛び回っているコウモリは飛ばなかったし、よく鳴いているフクロウも鳴かなかった。ひっそりと静まり返り、特別な夜を山全体で受けとめていた。
通年、星明かり草は山肌を覆い隠すように、びっしりと生えている。それらは背丈が低く、花びらのように葉を地面に広げる多年草だ。一年中、そこいらじゅうに生えているので、雑草と変わりはない。ただ、日中に花が咲いているのを見た者はいない。真珠のように真っ白な花を咲かせるのは、一年でこの瞬間だけだ。
山の上には満点の星空が広がっていた。やや群青みを帯びた黒い空に、白、黄色、水色、赤の星々が燦然と輝き、雨のような流星群が空を駆け抜けた。まるでオーケストラが奏でる序曲のように、「星明かりの夜」が盛大に始まった。
一方、神殿ではガルシアがジャッキーの宙返りに興奮していた。
「おい、これってあれだよな」
ガルシアの問いかけに、アイリーンもそばに近づき、半信半疑でジャッキーを見上げる。
「じゃあ、たまたま夜に騒いでたわけじゃなかったのか」
「そうだよ。スカイの言うとおりだ」
ルークが短く答え、オオルリミツバチの巣籠をそっと持ち上げた。よく見ると蜂達も落ち着きがなく、巣籠の周りをブンブン飛び回っている。サムに手伝ってもらいながら、蜂を刺激しないよう細心の注意を払い、奥の小部屋へ移動した。
小部屋のドアを開ければ、すぐ目の前に裏口がある。耳をそばだてたが、ヤバネスズメバチの羽音は聞こえてこない。サムが裏口ドアを少しだけ開けた。するとオオルリミツバチ達は吸い込まれるよう、一斉に飛び立った。ジャッキーもそれに続いた。
「行け行け」
「ゴーゴー」
サムとルークは声をひそめて叫び、巣籠を持って外に出た。あたりは静まり返り、ヤバネスズメバチはいなかった。それよりも頭上に広がる星空に、二人は息を呑んだ。
「綺麗…」
二人は、しばらくの間、そこに立ち尽くした。飛んでいくオオルリミツバチのことも、ヤバネスズメバチの脅威も、この状況、何もかも。すべて忘れ、神秘的な星々の瞬きに魅せられた。
その様子を少し離れた茂みの陰から、エミリーが伺っていた。
同じ頃、学校の研究室では、モーガンが温めた野菜スープをスカイに飲ませていた。
「どうだ、美味いか」
「うん。すっごく」
腹が減っていたので、スカイはがっついた。
「ところでさっきの話だが」モーガンは軽く咳払いした。「こういう書籍は、おそらく司書が意図的に隠していたんだろ」
「隠す? 書庫とか?」
「いや、おそらくあそこじゃない。書庫の本も一般の本も、裏表紙に『ルビテナ図書館』の印が押してあるだろ。これにはそれがない」
「じゃあ、どこに?」
「おそらく、地階のどこかだ」
スカイはスープを飲み込んだ。それは一般開放されていない、図書館よりも地下にあるエリアだ。
「なんでそんなところに」
「それは分からん。が、スペンサーが見つけてきたんだ」
そう言われて、スペンサーが蜂人に詳しい理由も分かった。スカイはスープに浮いているキャベツをすくい、モシャモシャと食べた。
「ところで先生、こんなところで大丈夫だったの」
「ああ。学校に蜂は入れない」
「どうして?」
「これを植えてあるからな」
モーガンは椅子を立ち、棚に置いてある、レタスのようなものを手に取った。そういえば校舎の周りを取り囲む花壇にこれが植わっているのは見た。手のひらに乗るくらい小さいし、花のように綺麗なピンク色をしているので分かりにくいが、間違いなくレタスだ。
「ネムレタス。このレタスが発散する催眠成分に、蜂は弱い」
「そんな植物があるの」
「殺傷能力はないが、なかなか強力だ。古代人の知恵だ」
モーガンは、先ほどの本を手に取ってニンマリ笑った。
「ときに、スカイ。お前の好きな食べ物はなんだ」
「えー。たくさんあるよ。豚肉とりんごのシチューでしょ。羊乳のチーズに、干しダラ、ビスケット」
スカイは宙を見ながら嬉々として微笑むが、モーガンは眉根を寄せる。
「全部、ここに無いな」
「そりゃそうでしょ」
スカイは舌打ちする。
「一番好きなものはなんだ」
「グリフィダ小麦のパンだよ」
「なんと、それだったらここにある」
「え!」
モーガンは棚の上にある、布巾のかかったバスケットを手に取った。それをめくると、薄切りされたカンパンがたっぷり収まっていた。ただでさえ腹が減っていたのだ。スカイは目を見張り、唾をごくりと飲み込む。
「た、た、食べていいの?」
モーガンはスカイの興奮した目を注意深く見る。それから、穏やかにほほんだ。
「スープに浸して食え」
スカイが猛然と食べ始めると、モーガンは満足して眺めた。
「すごいや。それで、先生はネムレタスに囲まれて、スープとパンで生きのびたんだね」
「いや。実はだな。それとは別にアイリーン達に頼んで作ってもらったご馳走があった。それを取りにいって、大事に食べていたんだ」
モーガンは殺された村の女達を思い、気落ちした様子で言ったが、スカイは別のところに食らいついた。
「取りにいったって? どこへ」
モーガンはまっすぐ格子窓を指さした。窓からは庭が見え、死体がいくつも転がっている。その先に調理台と、石窯が見えた。
「あんなところへ取りにいったの? 危ないよ」
「取りに行ったのは夜だ。蜂は動体視力はあっても、夜目が利かない。せっかく私のために、チキンと春ブロッコリーのパイをつくってくれたんだ。今の時期しかありつけないご馳走だろう。アイリーンにぜひ、美味かったと伝えておくれ」
「え? でも、司書さんが…」
自分で言いながら、スカイははっとした。そうか。あれは、村人を逃さないための嘘だったのだ。
「じゃあ、食料の調達も…」
「野菜畑から失敬したのもある」
モーガンは、もう一つ、別のバスケットを指さした。そこにはジャガイモが山盛りおさまっている。
スカイはすぐさま研究室のドアを開け、廊下に出た。廊下をつっきり、玄関ドアを開け、あたりを見回した。外は静まり返り、蜂の姿はない。それどころか、もっと衝撃的なことがあった。
視界いっぱいに満天の星空が広がっていた。スカイは度肝を抜かれ、天を指差し口をパクパクさせた。それから再び廊下を駆け抜け、研究室のドアを開けた。
「先生、今夜が星明かりの夜だ。オオルリを外に出す」
「なんと、今日だったか」
モーガンも勢いよく立ち上がる。それから部屋の本棚へ向かい、あれこれと本を探し始めた。
「しろがね蜜で村が助かる可能性がある」
「え?」
「国王陛下がおっしゃっているだろう。あれは不老長寿の妙薬だと。私が思うに、不老長寿というのは言い過ぎだと思う。だが、言わんとすることは分かる」
モーガンは目的の本を見つけ出し、猛然とページをめくった。目当てのページが見つかると、スカイの目の前に押しつけてみせた。
「見ろ。この本にも書いてある。『星明かりの夜、オオルリミツバチに採取させた銀色の蜜を食した人間を、ヤバネスズメバチは厭がる』とな。体内の免疫力を格段に上げる力があると私は推測している。ヤバネの毒にも対抗できるかもしれん」
モーガンは本の一節を指さす。
「オオルリを出したら、夜明け前に採蜜しなさい。それをすぐ飲むんだ」
「分かった。ねえ、先生も一緒に来てよ」
スカイがモーガンの手をグッと引くと、モーガンはスカイをじっと見つめ、小さく笑った。
「お前の目は、誰に似たんだろうな…」
「俺はおじいちゃんに似てるって、おばあちゃんが言ってたよ! 俺とおんなじ、真っ黒な目だったって。俺達きょうだい全員、目の色が違うんだよ。ルークはお父さんと同じ灰色、ビビは黄緑色で──」
「そうか。私は、お前のことを信じている」
モーガンが両手を握ってきたので、スカイは少し得意になった。
「へへ。俺はスペンサーさんに合言葉、教えてもらえたしね」
「信じる理由は、それだけではない」
モーガンは目に力を込め、スカイをまっすぐ見た。スカイも真顔になり、力強く頷いた。
「私はもう少しだけ、調べものをする。スペンサーを呼んでくれ。司書も蜂もいないとなれば、庭を通ってくればよろしい」
「了解。じゃあまた来るね、先生」
スカイは学校の玄関口から走り出た。警戒して身を屈めてみたが、やはりヤバネスズメバチの姿はない。そのまま庭を突っ切り、神殿の正面玄関をドンドン叩いた。
「ねえ、開けて。スカイだよ。外に蜂はいないよ」
すぐに閂が上がった。
「お前、いつの間に外に出た」
開口一番、ガルシアが怒鳴りつける。
「でも、ほら、蜂はいないよ。それよか、見てよ」
「ああ、知ってる。星明かりの夜だろ」
ガルシアは鷹揚に頷き、スカイを神殿内に入れた。
「スカイ、どこ行ってたんだよ」
駆け寄ってきたのはサムとルークだった。
「ああ、ちょっとね。ねえスペンサーさん」
スカイがスペンサーの方に手招きしたので、スペンサーが歩み寄ってきた。スカイはにんまりして、スペンサーに小声で耳打ちした。
「ドワーフが呼んでたよ」
スペンサーは表情を変えて頷き、正面玄関を出ていった。ルークはそれを真顔で見送った。
「来い、スカイ。オオルリを、出したんだ」
「あ! やってくれたんだ。どうだった」
サムに手を引かれ、スカイは思わず目を輝かせた。
「おおー、すげービュンビュン飛んでったよ。すげーやる気満々。こいよ」
「うん」
サムとスカイ、ルークの三人は礼拝室を横切り、北の小部屋に入った。それから裏口のドアを開け、三人は言葉を失った。
オオルリミツバチの巣籠が、無惨に破壊されていた。




