巣籠
神殿の裏口ドアに寄りかかったまま、居眠りしていたサムは、ドンドン叩く振動で目を覚ました。
「サム、開けてくれ」
「スカイか」
サムは急いで閂を上げた。ドアから顔を見せたのは、青ざめた顔のスカイだった。
「おい、お前。よく無事だったな」
「ああ。実はこの巣籠が使えて──」
サムがスカイを抱きしめたところ、その後ろにルークとアイリーンが立っているのが見えた。そして、確かにそれを見た。数十メートル先の茂みから、蜂が飛び出した。
「早く入れ」
サムが声を張り上げ、スカイを中へ引き込んだ。が、巨大蜂は毒針を突き出し、アイリーンのすぐ近くまで急行している。ルークは急いでアイリーンの腕を引き寄せ、自分が盾になった。それからすぐさま革の本を開け、切り抜いたページに収納された小瓶を取り出した。蜜蝋の栓を勢いよく引き抜くと、中の液体を蜂にかけた。顔面に真っ黒な液体を浴びた蜂は地面に落ち、仰向けに倒れた。
八枚羽と六本足をピンと張った蜂は、全身を激しく痙攣させた。それから不自然な角度に足の関節を曲げ、さらに首がねじれるほどひねると、完全に動かなくなった。
地面に尻餅をつき、ハアハアと息を荒げていたルークは、後ろを振り返った。抱き合っているスカイとアイリーン、呆然と立ち尽くすサム、そしてスペンサーの姿があった。
「よくやった…」
スペンサーは小声で言い、ルークの持つ小瓶を凝視した。
冷たい風が吹き、木々の葉がたなびくとともに、日が沈んだ。神殿の礼拝室では暖炉の前に皆が集まり、暖を取っていた。
「生きててくれてありがとう。それに、パンも」
村の女性の一人が涙ぐみ、アイリーンの手を握りしめた。アイリーンは頷き、ほかの者にもライ麦パンを配った。パンは暖炉の熱で温め直したもので、ほかほかと湯気を立てていた。
「よく、そんなものを食べようなんて思えるわね」
冷たく言い放ったのはナッシュビルの妻、バーバラだ。アイリーンは頭に血が上ったが、うやうやしく頭を下げた。
「ああ、気分悪い。毛布はどこなの」
「はい。人数分足りないので、領主様と使っていただけますか」
ルーシーがバーバラに毛布を差し出した。
「なんですって?」
「この状況で毛布があるだけ、ありがたいと思え」
ガリシアがピシャリと言い放つと、バーバラは目を白黒させ、ルーシーから毛布をひったくった。
スカイはその様子をわずらわしく思いながら、暖炉の火を見た。さらに、そばの床にしゃがみ込んでいるスペンサーを見た。スペンサーは同じく暖炉の火を見つめ、陰鬱な表情で黙り込んでいる。
「スペンサーさんのおかげで、助かった」
スカイの隣に座るルークが、礼を言った。その隣でサムも頷いている。
「ああ。何よりだ」
「あれは何なの」
サムは先ほどの液体のことが気になっていた。スペンサーは暖炉の火を見たまま、身じろぎひとつしない。
「コクジョウムカデの神経毒」
「ムカデ? 毒?」
サムはゾクっとして身震いする。
「どうしてそんなものを?」
ルークが尋ねると、スペンサーは表情のない顔を向ける。
「スズメバチについて調べていると言われたからな。フォークナー家の護身用だ」
スペンサーの言葉に、ルークは泣きそうな顔で頷いた。
「その毒って、まだあるの」
スカイが尋ねると、スペンサーはため息をついた。
「ここにはない。だが、蜂を殺す手段は一つではない」
スペンサーはそう言って、スカイが背中にかけている弓を見た。スカイは視線に気づき、自分の弓に触れた。
「弓矢でも殺せる。でも、射手じゃないと無理だ」
「お前は射手なのか」
スペンサーは、スカイを試す口ぶりになり、わずかに笑った。
「そうだよ。ガルシアさんの一番弟子だ」
そう答えたのはルークだった。スカイは驚き、ルークの方を見る。
「俺とおばあちゃんは、スカイの弓に救われたんだ」
誇らしげに言うルークに、スペンサーが少しおどけて頷く一方、サムは真剣な顔で黙り込んだ。
「もう寝るよ」
そこへ、アイリーンが突っ込んだ。余っている毛布を一つはスペンサーに手渡し、もう一つは自分の膝の上に広げた。スカイとルークはアイリーンに身を寄せ、サムはスペンサーと一緒の毛布に入った。スカイはバイオレットのことを思いながら、静かに目を閉じた。
夜が明ける、少し前のことだった。正面玄関のすぐ隣の窓をつつく音で、スカイは目を覚ました。皆もそれに気づいたらしく、何人かが気味悪そうに窓を見ている。色とりどりのステンドグラスに、ときどき映り込むその者の正体を探ろうと、スカイは目を凝らした。ガラスは暖炉の残り火でぼんやり照らされている。宙に浮いていて、ぼんやりとした白い輪郭が見えた。
「ジャッキー!」
スカイは脱兎のごとく駆け出し、正面玄関の閂を上げ、扉を開けた。とっさに辺りを見回すも、そばに蜂はいなかった。すぐさまジャッキーが飛び込んできたので、急いで扉を閉めた。
「おい、何やってんだ!」
ガルシアが怒鳴った。
「ジャッキーが帰ってきたんだ。良かった。生きてた」
スカイはお構いなしにジャッキーを抱きしめ、小躍りした。ガルシアは困ったように、やれやれと少し笑った。ナッシュビル夫妻以外の皆も、眠そうに目をこすりながら、その様子をほほえましく見た。
「こいつ、すごいんだよ。蜂の毒針へし折って、追っ払ったんだ」
スカイはジャッキーを肩にとまらせ、誇らしげに言った。
やがて夜が開けた。窓の外からは、ブウンと重低音が聞こえてきた。窓のそばにジャッキーが近づき、威嚇しながら羽ばたいた。ステンドグラス越しに、ぼんやりと黒っぽい何かが宙に浮いていた。それが何か、バーバラ以外の誰も、言葉にすらしなかった。
スカイはあたりを見回した。ルークとアイリーン、サムは起きて暖炉の前にいるのに、スペンサーの姿がない。
「スカイ」
呼ばれて、スカイは顔を上げた。ガルシアがそばに立ち、こちらを見下ろしている。
「昨日、どうやって二人をここまで連れて来た」
ガルシアの目には怒りと驚き、それとその度胸に対する賞賛が入り混じる。あのとき、勝手に外へ出たことを怒っているんだろうと、スカイは想像した。
「巣籠だよ」
「籠?」
「うん。ほら、あれだよ」
スカイは、北の小部屋近くを指さした。そこには大きな巣籠が三つ、置いてある。
「あれを被ってきたんだけど──。あれ?」
「どうした」
「オオルリの巣籠が、ない」
その頃、石づくりの地下室では、赤毛女が天蓋ベッドに寝そべり、肉団子を食べていた。部下達につくらせた、人間の肉団子だ。女の腹は食べた分だけ大きくなり、もう寝返りすらうてなそうなほどだというのに、本人は極めて上機嫌だった。
「それで、残ってる人間はそのまま弱らせてもいいかなって思ったんだけど」
部下達はひざまづき、黙って話の続きを待つ。
「活きのいいうちに食べたいわ。外に引きずり出して、殺りなさい」
「はっ」
「それと。養蜂場はどうなったの」
「すべて破壊済みです。収獲した瑠璃蜜は貯蔵しておきました」
「ならいいわ。オオルリがまだいたら、瑠璃蜜だけとって殺すのよ。間違ってもしろがね蜜なんて、つくらせないように」
「はっ」
部下達は返事をし、速やかに部屋を出た。
太陽が高くのぼったのを、礼拝室の天窓を通して皆は知った。相変わらず外では蜂のホバリングする音が不気味に響き、それが皆の神経をすり減らしていた。
「ねえ、もっとパンをちょうだい」
「ふざけるな。我慢しろ」
「今日は起きてからまだ何も食べてない」
生存者達の間では、しだいに諍いが増えた。食料はもうほとんど残っておらず、神経を尖らせていた。アイリーンが持ってきたパンは前日にほぼなくなってしまったし、皆はお腹をすかせていた。誰かがパンに手を伸ばそうとすると、怒号が飛んだ。
水もそうだった。大切な水はあるにはあるが、ビオトープの水だけだ。普段ならスペンサーが外に出て、水路から新しい水を汲んでくるが、それもできない。飲んでいいか確認し合う場合もあれば、勝手に飲んで喧嘩になる場合もあった。
スペンサーは、先ほどから階段を行ったり来たりしているルーシーを見ていた。ルーシーはウェーブのかかった長い髪を額の真ん中で分けているものの、毛量が多くたっぷりしているので顔の半分が隠れている。ルーシーも皆と同じく落ち着きがないが、水と食料については一言も意見しなかった。
「ルーシー。どうした」
「いえ、フォークナーさんのお孫さんはどこにいったのかなって」
「何か用でも?」
「いえ、全員いるか確認したかっただけで」
ルーシーが答えると、北の小部屋のドアが開く音がした。
「ただいま」
ドアから出てきたのは、スカイとサムだった。
「どうしたんですか? それは」
ルーシーが驚いて、スカイ達が手にぶら下げているキジとハト、ウサギを見つめる。
「俺が仕留めてきたんだ」
スカイが堂々と言うので、ルーシーはますます目を大きく開いた。
「まさか外に?」
「うん、出たよ」
驚くルーシーを前に、スカイはこともなげに言った。
「なんて危険なことを」
「でも、大丈夫だったよ。この巣籠を被って外に出たんだ」
「籠?」
「養蜂に使う巣籠だよ。ここに穴が空いてるでしょ。こっから射ったんだよ」
「薪と水も?」
今度はアイリーンが口を挟んだ。スカイの隣に立つサムは、薪と水を汲んだ桶を抱えている。
「俺はスカイみたいに弓、上手くないから。石窯のとこにあったやつ、拾ってきたんだ。水も、水路から汲んできた」
今度はサムが、ふてくされ気味に言った。
「巣籠があれば外に出られる。俺にはちょっと小さくて無理だけどな」
腰に手を当て、豪快に笑うガルシアに向かって、ルーシーは感激して拍手した。
「すごいすごい。本当に素晴らしいです」
スカイが仕留めた獲物を暖炉の火で焼きながら、皆の緊張の糸は少し緩んだ。
「どうなるかなってヒヤヒヤしたよ。もう、立派に弓使いだね」
ルークが笑顔でスカイに声をかけるも、スカイの顔からはみるみる笑顔が消えていき、沈んだ表情になった。
「どうしたの」
「外に出てさ…。死体を見てきたんだ。ビビが、いるかもって」
スカイの言葉に、ルークも顔から笑みを消した。そんな気持ちも知らず、周囲にはくつろいだ笑いがはじける。ルークは少し咳き込み、背中を掻きながら、恨めしそうに見渡した。笑顔が目障り、笑い声が耳障りだった。
「いなかったか」
ルークが静かに尋ねた。スカイは片手首を掴み、黙って頷いた。その浮かない顔を見て、ルークが立ち上がり、自分の荷物を指差した。
「ちょっと、きて」
二人は皆の輪から抜け出し、後方の長椅子の方へ歩いた。ルークはそこに手を突っ込み、小さなキャンバスを取り出した。
「これ。家から持ってきたんだ」
それは家族四人の肖像画だった。過去にアイリーンが、村へきた絵描きに頼み込み、描いてもらった作品だ。前列にスカイとバイオレット、後列にルークとアイリーンが並び、全員が幸せそうに笑っている。
「明日、またビビを探しに行こう。村の外に行くとき、これが役立つよ」
ルークがはかなく笑いかけ、スカイの肩を軽く叩いた。スカイは目に涙を溜めて頷いた。
少し離れたところで、ナッシュビルが焼いたキジ肉を頬張りつつ、ガルシアに話しかけた。
「籠にかぶって外へ出れば、蜂には襲われないんだな」
「そうみたいだな。俺にはできないが」
ナッシュビルは、ガルシアのガタイのいい体を見て、小気味よく笑った。
「ガルシアじゃ無理だろう。よし。お前がこれを被って、助けを呼んでこい」
「えっ」
声をかけられたナッシュビルの従者は、顔に不安の色を浮かべている。ナッシュビルはそれに苛立ち、顔をしかめた。
「こんな大役、子どもに任せられん。分かったな」
「は、はい」
痩せて華奢な体格をした従者は緊張し、頭を下げた。
皆が食事を終えた頃、裏口の前でスカイがナッシュビルの従者に籠を被せた。
「よし、行ってこい。急ぎでな」
「承知しました、旦那様」
スカイがドアを開けてやると、彼はそろそろと外へ出た。
その直後のことだった。
ドア越しに痛烈な悲鳴が聞こえてきた。スカイが驚いて裏口ドアを開けると、被っていたはずの籠はひっくり返っている。従者の上に何匹もの蜂が群がり、その肉を食い破っていた。




