私と付き合って
私は、スタッフルームにある時計を、なんとなく見る。先程のいざこざから、二十分程経っていたのが分かった。
二十分経った今でも、店長は金髪たちに頭を下げていた。二十も歳が離れている若者にあそこまで腰を低く出来るのは、店員の鑑だ。
他の客はいなかった。そろそろ日付が変わる時間という事もあるが、金髪らが怒声を撒き散らしていたので、それで気分を害して帰っていったのだと私は考える。
金髪らはどうでもよくなったらしく、店の悪口を言いながら帰っていった。その背中に、謝罪を述べる店長は正直、情けないと思った。店長がすぐにスタッフルームへ直行する。
今、この部屋に私と村上、店長と何故か相川がいた。部屋はそれほど広くないので、四人もいると窮屈に感じられる。何でこの人がいるんですか、と村上は私に目で訴えるが、説明できないので無視する。店長が相川について何も言わないのが不思議でならない。
「村上。お前がやった事、分かっているのか?」
「客を殴った」店長の遠回しな言い方に、村上は即答した。
「そして俺がお前の代わりに謝った」店長が語気を荒げる。「店長の俺が、ただたかバイトの、お前の代わりに」
「何で謝ったんですか?」
「は?」意外すぎる言葉に、私と店長は同時に、間の抜けた返事をした。
「何で、店長は謝ったんですか? 何も悪くないのに」
村上はもう一度、同じ事を言った。私としては、村上はどこか大事な螺子が緩んでいるのではないかと思えた。
店長はさらに怒鳴るわけでもなく、逆に呆れた顔になる。
「お前が、お客様を殴ったからだよ。神様を殴ったも同然だ」
「それが悪い事だとは思いません。あいつらの方がひどい」
「神様を殴ったのにか?」
私は、村上が金髪を殴った理由がひどく単純な気がした。若者特有の、「引っ込みがつかない」とか「ダサいと思われたくない」だのといった単純な理由だ。
「あいつらがだらしないから、殴ったって私は悪くないですよ」
「なあ、村上」静かに事の成り行きを見ていた相川が、口を開いた。
「え?」
「少し、黙れ」静かだが、よく通った声で相川が言った。
意外な声音に、村上の顔が強張る。爬虫類に睨まれた小動物のように、身を縮ませた。
「自分がやった事を正しいと出張するのは立派だがな、それには責任と覚悟があって、初めて成立するものだ。責任と覚悟も無くただ喚いている奴ほど、見苦しいものはない」
「で、でも」
相川は続ける。「お前はどうだ、村上。店長と奈津美、そして客に迷惑をかけた。それだけだろ」
村上が押し黙る。彼女に纏わりつく空気が重くなったように、苦しそうに動かなかった。こんなに弱々しい彼女を見るのは、初めてだ。
村上が顔を上げる。一瞬、私を見た。
どこか申し訳なさそうで、今にも泣き出しそうな表情が覗けた。
「最後まで責任取れよ」
村上は、相川に向かって力無く、うなずいた。
「少しは落ち着いた? 村上」
「……ええ、落ち着いた」
私と村上はバイトを終え、帰る途中だった。普段は一緒に帰る仲ではないのだが、正さんの頼み事もあり、彼女がひどく落ち込んでいたこともあったので、一緒に帰ろうと申し込んだのだ。
夜の十二時を過ぎていたが、町はまるで今からが本番だと出張するように、活気づいていて明るかった。アミューズメントパークの看板が休むことなく輝き続けている。
「奈津美さん。私が、間違っていたと思う?」
村上が弱く呟く。顔を下に向け歩く姿は、小さく見えた。
「分からない」私は曖昧に答えた。客を無視した私と客を殴った村上。どちらが正しいなんて分からなかった。いや、きっとどちらも正しくないのだろう。
「私ね、高校の時に、両親が離婚しているの」
村上が顔を下に向けたまま、私に言った。
「そう」
「離婚の理由、何だと思う?」
「夫の浮気?」私が考えられるのはそれくらいだ。
「惜しい」村上は勿体振るわけでもなく、「母親の不倫」とすぐに言った。
浮気も不倫も、似たようなものでしょ、と言いたくなる。
「それなのに、今、私の苗字は母親の姓。笑えるでしょ」
「離婚の原因を作ったのに?」
「その時に父が、とても情けないと思った」情けない、の部分を強調する。「多分、ろくに自分の意見が言えなかったんだと思う。ずっと、尻に敷かれていたから」
「でもさ、その父親は村上のことを考えて、譲ったんじゃないの? 親権」私は聞いた言葉をそのまま、言った。「自分ひとりで養うより、母親とその不倫相手の方が幸せになれると思ったんじゃない?」
「結局、情けないでしょ。自分じゃ自信が無いから、人に押し付けるって」私も、そう思う。
「本当の事がどうであれ、もう会うことはないしね」
そこからしばらくは、互いに黙って歩いた。
夜の冷気は肌をひんやりと包み込む。肌を撫でるような弱々しさが、心地よかった。
好ましい寒さが私の頭を冷やしてくれたのか、今日の事が鮮明に蘇り、そして、自分を冷静に見つめることが出来た。
村上を叱りつけた相川の言葉を思い出す。彼の言葉は村上だけでなく、私の胸にも深くつきささった。「責任と覚悟の無いやつほど見苦しいものは無い」それによれば私は、見苦しい奴になる。
私は、正さんからの頼み事なんて、少しでも力になれればと思っていたのだが、本当にそれだけだと気付いた。実際、たいした力にもなれていない。
正直、頼み事など、どうでもよかった。あの時、断っておけばと後悔すらしていた。
しかし、それ以上に、自分がとても見っとも無い人間だと自覚した。責任も覚悟も無く、中途半端に協力するなんて、自分の善行に酔っている偽善者だ。
だから、私はなけなしの責任と覚悟をかき集めて、行動することを決意する。
確か、彼女はここから数キロ先の駅を頻繁に利用しているはずだった。なので、ゆっくり話をする時間は、ある。
私は息を吸って、沈黙を破った。
「村上はさ、自分が情けない父親と違うってこと、証明したかったんじゃないの」
「えっ」村上が目を見開く。図星のようだ。
「だから、舐められないように、金髪たちに立ち向かった」
「何を言っているの」村上が苦笑する。動揺を隠すようだった。
「ねえ、村上。明日、暇?」
「さっきから、急に何なの」村上は眉をひそめる。
「明日は木曜日だけど、村上は何か講義、入れてる?」
「木曜日は何もないけど。そう言う、奈津美さんは?」
「二コマ入っているけど、サボるつもり。ねえ」私は続ける。「明日、私に付き合ってくれない?」