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泥舟に乗る方が現実的

 外から窓が小さく叩かれた。私は外を覗く。暗くて、よく見えなかった。私が呼ばれていることは分かっているので、店の外に出る。一瞬、店長の顔が頭にちらついたが、気にしない事にする。

コンビニの中と外の気温差が激しく、私はあまりの寒さに身震いをした。

 窓を叩いた本人の顔が街灯に照らされ、ほんのりとその輪郭が浮かび上がる。よく知っている、五十代の中年男性だった。

 正さんはスーツの上から革のジャンパーを着ている。

「正さんも来たんですか。今日はコンビニで何かあるんですか」  

「私も、という事は、相川君は来ているんだな」今日も少し声が枯れていた。

「ええ、あそこで」私は店内を指差す。ガラス越しだったが、はっきりと見えた。

「何をしているんだ?」

「店員を口説いています」

「は?」正さんも、私と同じような反応をする。しかし、すぐに納得した様子で、「ああ。そういうやり方か。彼らしい」と言った。

「正さん。その事についてなんですが」私はとりあえず状況を確認する。「私、詳しい話聞いていないんですけど」

「そうだっけ? 奈津美ちゃんが覚えてないだけじゃないかな」

「十代の記憶力は凄いんですよ」私は苦笑する。「だから教えてくれませんか」

 正さんは少し思案する。そして「ああ、いいよ。ここまで来たら奈津美ちゃんも乗りかかった船だしな」と教えてくれるようだった。

「乗せられた船ですけどね」

 正さんはこれまでの経緯を教えてくれた。相川に相談したことや彼からのアドバイス、今後の予定など。聞き終えた私は「ああ」とうなずいていた。

「奈津美ちゃんはどう思う」

「乗せられた船が、泥船だった気分ですよ」

 私はそんな事が出来るとは到底、思えなかった。泥船で漁に出ろ、と言われる方がまだ現実的だと思えた。

「でも、私はその船しかないんだ。奈津美ちゃんは協力してくれるのか?」

 彼の目は真剣だった。そんな彼に、無理だとはっきり言えなかった。

 それなら、相川の突拍子な行動にも説明がつくが、私には真似できない。「コンビニで店員を口説くなんて、非常識だ」

「確かに。見ている私のほうが緊張する」

 正さんはコンビニの中を覗いているようだった。私もそれに見習い、コンビニを見る。

 すぐに相川が出てきた。首をかしげ、腕を組みながらこちらに近寄ってくる。失敗したんだな、とすぐに分かった。

「で、どうだったんですか。口説き落とせましたか?」私は自然とからかうような口調になっていた。

「いや、気持ちがいいほど、きっぱりふられた」

「そうか」正さんが残念そうに呟く。「私はもう帰るよ。明日は会社がある」

 私達に背を向け、帰っていく姿はどこか寂しそうだった。

「正さん」相川はその背中に声を掛ける。「体調、崩さないよう気をつけて」

正さんは振り返り、苦笑して、帰っていった。

そんな彼を見送って、私は相川に訊ねる。

「相川さんはどうするんですか。一応、明日も村上とシフトが一緒ですけど」私は暗に協力してもいいですよ、と相川に告げる。「相川さんはどうするんですか?」

「今日はきっぱりふられたからな」相川は笑って、私に言った。「明日も、頑張れそうだ」

 

 




「奈津美さん、ちょっと」商品の数量チェックを行っていた私の肩を、村上が叩く。

 私は不覚にも驚いてしまった。村上から話しかけられるなんて、指導を除けば今までになかったからだ。

「えっと、どうしたの。村上」私は断りもなく彼女の名前を呼び捨てにしていた。呼び捨てにした方が打ち解けやすいのだと、考えたからだ。

「あの人と知り合いなの?」彼女の口調は事務的で、取調べをする刑事のようだった。

「あの人?」

「私にナンパをする、あの人ですよ。何日も前から」

「ああ」相川さんの事か。

「この前、店の外でその人と奈津美さんが話しているのを見かけたから」

「ああ」相川はふられる度に毎回私を呼び出す。そして、何がいけないのかと私に聞いてくるのだ。私は「唐突過ぎるのがいけないんじゃないですか」と言った。すると相川は「ナンパなんてそんなもんだろ」と言い返してきたので黙るしかない。

「奈津美さんは知り合いなの?」同じ台詞を繰り返す。刑事が確信を得た上での質問に近かった。

「知り合いじゃないよ。ただの客」私は白を切る。犯人の様な気分だった。

 ここから質問攻めにあうな、と覚悟をする。

 その時、店内に笑い声が響いた。

笑い声がするほうに首を巡らす。

 二人の十代の男だった。二人とも髪を染めており、ひとりは茶髪、もう片方は金髪だった。雑誌置き場の前で座りこみ、漫画雑誌を片手に笑い合っている。それほどその雑誌の内容が面白いのだろうか、と気になるほどだった。

 「嫌な客だな」私は呟く。

 彼らのような客は珍しくはなかった。ああいうのは常識がない。自分が客というだけで、好き勝手やってもいいと思っているのだ。

だから、私は注意する事に気が進まなかった。経験上、嫌な顔をするのは当然で、逆に言い返される事もある。「店員の分際で客に口出しするな」と。

確かに店員と客では客のほうが立場は上だが、人間としては一緒のはずだ。

 このまま見てみぬふりをするか、無駄だと分かる注意をするかを考える。

 すると、私の横を誰かが通り過ぎた。村上だ。彼女は金髪らの所に迷いなく歩んでいく。

「ちょっと、あなた達」村上はやはり二人に声を掛ける。「騒がしい。他の客に迷惑をかけないで」

「何だよアンタ」金髪が村上に向く。

「別に俺らはただ喋っているだけだろ。店なんかに迷惑はけてないだろうが」茶髪が言った。

「一番迷惑しているのは店じゃなくて、客よ」

だが、二人が反省している様子はまるで無い。

「細かいこと言うんじゃねぇよ。つうか、俺らも客だぜ。なあ」

「そうだぜ。アンタこそ客に迷惑をかけるんじゃねぇよ」

 また大声で笑う。下品な笑い方だった。

 そこで、私はある事に気付く。村上の手が、こぶしを作り、震えている。そこで怒りを紛らわしているつもりだろうが、こちらから見て分かるほど、怒っているのが分かる。今にも、殴りかかりそうでもあった。

 まさか、このまま本当に殴りかかるんじゃないだろうか、と半ば本気で思った。そうすれば、金髪たちが反撃するのは当然で、華奢な彼女が抵抗など出来るわけがない。私が村上に加勢しようが変わらない。相手は男がふたりだ。

 私は村上に近づく。

「村上、相手にするのはやめよう。店長を呼んだほうがいい」

 落ち着いた声で、彼女をなだめるように言った。彼女を二人から離そうと、手首を掴む。しかし彼女は意外に力が強く、私の手を強引に振りほどいた。

「いい加減にして」村上は金髪を睨みつける。「私は黙れと言っているの。あなた達が口を閉じさえすれば出来ることなの。なんでこんな簡単なことも出来ないの」

 金髪は黙らない。「いちいちうるせぇなあ。自分が下らないと思わないのか、アンタ」

「あなたにこんな事をいちいち説明しているこの瞬間だって思っているわ」村上が言うと、金髪は不愉快そうに顔を歪めた。

「てめぇ調子に乗んじゃねぇぞ」

 茶髪が怒鳴った。今から殴りますよ、と教えるように指の骨を鳴らす。ドラマで不良が喧嘩をする前に行う儀式のようなそれを現実で見るのは初めてだった。

「村上!」

私はさっきよりも強く彼女の手を掴む。村上がこちらに勢いよく顔を向ける。金髪と同じように私を睨んだ。

彼女の目は私を責めるようでもあった。だが、村上の意思に構わず、むりやり引っ張る。不意に後ろに引っ張られた村上は踏ん張りが利かず、よろける。そのまま彼女を引きずるようにその場から離れようとする。

「おい待てよ」金髪が素早く村上の肩を掴んだ。顔を近づけ、口を歪ませて笑った。「逃げんのかよ」

 その瞬間、私は村上が空いていた右手を大きく振りかぶったのを見た。

「あっ」思わず声を出す。そのまま右手を振り下ろし、金髪の右頬をとらえる。パン、と小気味のよい音が鳴った。

 金髪が小さく呻く。あまりにも突然の事だったので、茶髪は呆然と立ち尽くしていた。私も思わず立ち止まってしまう。

 金髪は右頬を擦りながら顔を上げる。しばらくして自分が引っ叩かれたのだと気付くと、頭に血を上らせた。

「てめぇ!」

 同じく金髪が大きく右手を振りかぶる。先程と違う点は、平手打ちではなく握りこぶをつくっていた事だ。

 その時、人の駆けて来る音がした。金髪の背後から軽快に足音が鳴る。

 金髪が腕を振り下ろす前に、長身の男が羽交い絞めにしていた。

 長身の男はよく知っている顔だった。相川だ。目で私に合図をする。

 今度こそ、引き離すために駆け出した。


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