第四話 声の無い少女
『次は~、奥多摩。奥多摩。 お出口は右側です』
6月7日 朝の6時50分到着。
JR青梅線の奥多摩駅へ向かった宇津木こころは、車内アナウンスを聞きながら飽きるほど見た画面をじっと見つめる。
指定された会場は調べたところ、廃屋であった。
ここに霧鏡京介が居る。
腕時計を確認する。会場での集合時間は午前10時を予定している。
早めの行動を考えてこの時間の電車に乗り込んだが、こころは一人だけで向かっていた。
「……京君」
都内の小学校から高校生の時まで、宇津木こころは幸運にも霧鏡京介と同じ学年の同クラスで過ごしていたのだ。
彼の性格は誰よりも。 なんなら彼の家族より良く知っているつもりである。
京介が女を観察するようになった頃、そのずっと前から京介個人の事を見つめ続けていたのだ。
彼の変化は手に取るように分かった。
キッカケは何かはわからないが、彼が女性を良く見られるようになったのは中学校卒業の頃あたり。
それから彼は女性に対しての僅かな拒絶感、忌避感というものを覚えていたように思える。
こころは周囲を見回してみる。
車両の対角線上に、数人の女性。不自然にならない程度に覗き込めば、黄色い帯がチラと見える。
招待を受けた女性だろう。その周りにいるのは友人たちだろう。
京介のことばかり考えていたせいで失念していたが、そうか、知り合いを連れて参加する人も多そうだ。
今更ではあるが、単独行動を避けたほうが良かったのかもしれない。
駅に到着後、こころはすぐに目的地へと向かわずに、駅の周りをぐるりと一周するようにしてゆっくりと歩いた。
金曜日とはいえ平日の朝。それにしては人が多い。
恐らく目に見える殆どの若い女性は、招待者かその友人・知人なのだろう。
今更、隠れていこうとすれば不審に思われて余計に目立つかもしれない。
そう考えて、目的地へと堂々と歩くことにした。
20分も歩いたところだろうか。手作りで造られたような立て札の看板が見えてくる。
真新しく作ったばかりで、埃なども積もっていない。看板には遠目からでも『会場』を示す地図と場所を見ることが出来た。
デバイスを開いて目的地を確認しても、相違は無い。あれは霧鏡京介たちが用意したものだろう。
疑いもせずに宇津木こころはその誘導に従って、更に20分ほど歩くと森の中で少し開けた場所に出た。
「おっと。ご到着しちゃった?」
背後から声がふってきて、こころは驚きながらも振り向いた。
迷彩柄のラテックス。警棒に無線機のようなもの。インカム。青色のスポーツ用パーカー。
その他普通では見られないような恰好をして、不穏な装備で身を固めている一人の女性が何時の間にか佇んでいる。
「あなたは?」
「あたし?護衛のえーっと、板野みう。よろしくね」
「護衛?京くんのですか?」
「あー忘れてっていうか、あたしが言うべきじゃ無かった。うん、ううん。まーあれ。 火渡一門君。快活そうなイケメン君だよね」
納得しかけて、こころはふと女性の顔を見た。
この人は護衛している相手に対して、どうして快活そうな、等と余所余所しい話し方をするのだろう。
疑問の視線にこころへ返ってきたのは、言葉ではなく一瞬の衝撃であった。
あ、この人は護衛なんかじゃないんだ
思考とは裏腹に、宇津木こころはそのまま身体が浮いたような感覚と共に地面へと倒れていく。
「これで3人目。多いと見るべきか、少ないと見るべきか---っと、あらま。当たりの子ね」
気絶して放り出された手荷物、宇津木こころのボディーチェックを流れるような慣れた手つきで行っていた板野みうと名乗った女は、彼女が招待者であることを確認してニマリと笑みを作る。
無防備にも一人で、こんな逃げ道のない袋小路へとやってきたのだ。
友人知人への協力もないということは、彼らの情報を誰にも渡さずに男を自分の物にしようと欲をかいたのだろう。
「ま、古典的なトラップに気付けなかった自分を恨んでくださいな」
両腕をゆるく縛り、外部との連絡を取る端末を全て取り上げて、森の奥のある運搬用コンテナの中へと引きずって放り投げる。
時間を一つ確認し、板野みうはぐぅっと背伸びを一つ。
腰元にある無線機から、小さなノイズ音が聞こえてきた。
「子羊から子山羊へ。仕込みは順調。そっちの状況は?」
『誰にも気付かれてない。クソ暑い』
「あは。分かるわ。とっとと仕事を終えて男をつまみに楽しみましょ。じゃあ、会場でね」
『一世一代の勝負だから頑張る』
「懸命」
ブチっと通信機からのノイズが途切れ、腕時計を見ると8時を少し超えたところだった。
「さぁーて、人生に関わるお仕事、頑張りましょーか」
鼻先を一つ親指でぬぐって、板野みうは素早く森の中から姿を消した。
夜間に女性による包囲を受けたナナイは、ドローンと船体による位置情報を駆使し、死角へ移動を繰り返しながら何とか一夜をやり過ごしていた。
船体を現地の地球人から隠し通し、ナナイ自身も目撃されないように死角へ移動し続ける。そして最も大事なのは、彼女たちの【声】を避け続けることだった。
もう一度、間近で音波による一撃を喰らえば次こそは絶命してもおかしくないだろう。朝方、陽が昇りきって6時を越える頃になると周辺の女性たちは徐々に南側へと移動を開始し、安全な区域が広がってくれて、そこでようやく一息つく時間ができた。
耳と眼の怪我の治りが遅かったのが、行動に大きな阻害となってしまったのだ。
完全に安全を確保できた、今の時刻を確認すれば朝の9時。血液などの痕跡を消し去るのに手間がかかりすぎた。計画の開催時間である10時には間に合いそうもない。
「あまり性能に期待はできないが、時間もない。耳栓を作るしか無いな」
時間をかければ検証と解析をし、言葉を聞く為の専用道具を作ることも可能なはず。
しかし、今は何よりも安全が優先された。
女性の声は聞こえなくなるだろうが、自分の耳を通して脳が破壊されないように害となる帯域と周波数、そして音量をなるべく抑える為に物理的に耳を塞ぐ物くらいしか用意できそうもなかった。
そこまで考えて、ふと、ナナイは井神真治に言われたことを思い出した。
『ナナイ、男の武器の一つはね。声なんだ。言葉を女に投げかけると、大概はそれだけで相手を翻弄できる』
たしかこのような事を言っていた。
ブンブンと小さな機械音を出して周囲の警戒に当たっているドローンへと、ナナイはなんとなく眼を向ける。確かに、声は武器だった。少なくとも女性の声はナナイにとって破壊的だ。
音速で脳を破壊する凶悪な兵器であり、防ぐことは事前情報が無ければ不可能だろう。状況がデバイス・スマートフォンを通じての連絡で無ければ成すすべなくナナイは死んでいたと思う。
むしろ、試験体226があの人数の女性に包囲されながら生きてナナイに連絡できた事を称賛するべきだ。
対抗して自分の声が武器になるという井神の言葉は、ある意味で一つの対策になるかもしれない。もしかしたら、ナナイも声によって女性に対して牽制できるのか。
安全を考慮するなら、今すぐにでも試行したい行動である。
「ドローン1。最も近い女性にコンタクト。接近しろ」
考えるよりも早くナナイは指示をだしていた。
ドローンを飛ばして、一番近い女性をへと高速で向かっていく。
機体の小ささ故に時速は60kmにも満たないが、それでも2分とかからずに一人の女性の真後ろへとドローンは無音で接近した。
距離5メートルほどの位置で一度停止し、ナナイの再度の合図で急接近。
耳元にまで近づけば、流石にその女性もドローンの存在に気づいて驚くように身を捩るが、ナナイはその瞬間にそっとつぶやいた。
『君を捕まえた、もう逃さない』
井神に教えてもらったフレーズの一つを、そっと呟く。
ドローンから送られてくる映像には、困惑も露わに周囲を警戒しながらも、顔を赤くして興奮している様子の女性の姿が映り続けている。
確かに、女性は戸惑っているように思えるが……それが自分の声に対してのアクションなのかドローンに驚いて示した反応なのかは判断が難しかった。見た感じ、起こっている様にすら思える。
何か喋っているので内容が気になるが、相手の音声を受信すればナナイの脳が破壊されてしまう。
映像を切ってドローンの回収の指示を出しながら、ナナイはがっくりと肩を落として心のなかで呟いた。
(俺は地球の人間の男ではない。俺の声は、もしかしたら武器にはならないのかもしれないな……)
判別が難しい以上、過信するべきではないだろう。
井神が言っていることはきっと嘘ではない。種の違いによるものが齟齬となっているのだと思う。
それが確認できただけでも、満足しておくべきだろう。
ナナイは船体へと近づいて、チェンジャーを開くと耳栓を作るための設計図を書く為に船の中へと身体を滑り込ませた。
「ナナイ君、来ないね」
「昨日から居ないもんな、心配だ」
「あいつ……ったく、どこをほっつき歩いてるんだ」
時刻は10時。ついに京介の計画がスタートする時間となった。
すでに女性たちはエントランス前の中庭に、犇めくように集まっている。
「京介、時間だぜ」
「……」
「あまり引き伸ばすわけにもいかないだろ。騒ぎになったら困るし」
井神に促されなくても分かっていた。しかし、京介は2階のセキュリティルームで静かにモニターを見つめ続けていた。
その顔は不満に満ちて、眼光は鋭い。
何処からどう見ても、京介の機嫌は非常に悪いということがアリアリと見て取れた。
探しているが、宇津木こころが会場に居ないのだ。
子供の頃からの付き合いだ。絶対に京介に会いにこの会場へ姿を見せると確信していた。
だが、どれだけ画面を食い入るように見回しても彼女は居ない。
招待者の中には棄権した者も何人かいることが、すでに分かっている。
時間内に姿を表さなかった女性は100名のうち4名だ。
招待者の100人の女性には動画を送っている。
この動画は一般的な拡張子とは違い、京介の手によって造られた専用のアプリでしか再生ができない様になっている。
そのアプリも動画を送った人のデバイスにしかインストールする許可を出していないのだ。
いずれは動画やアプリそのもののバイナリを弄られて世の中に拡散するかもしれないが、京介もプロに用意させた代物だ。
2週間やそこらで解析はできないだろう。
現在、集まっている女性たちは目算で300人を超えていたが、この動画による照会と京介たち自身が覚えているプロフィール表と写真があれば、招待者を判別することは容易だった。
「親族に不幸があったとか、そういう急な用事が出来たことだって考えられる。そろそろ行こう、京介」
「……」
「あー……まさか来れないとはな。きっと間が悪かったのさ」
火渡の気まずそうな声に、下手な慰めを言うなと思いつつも京介は気持ちを入れ替えようとした。
確かにショックだ。
おそらく、想像以上に京介は自分が愕然としているのだろうと冷静に思った。
断ち切るようにモニターから眼を離して、振り返れば火渡が息を吐き出し、井神が困ったように肩を竦めている。
奥には、火渡が雇い入れている男性警護の女性が数名。落ち着かない様子で三人の様子を窺っていた。
その内の一人、板野みうだけが薄く笑みを浮かべているのを見て、思わず京介の口は開いた。
「何がおかしい」
ハッとしたように顔に手を当てて、板野みうは申し訳無さそうな視線を向ける。
京介も同じ様に自分が八つ当たりをしてしまった事を自覚して、とっさに首を振った。
「……一門、真治、行こうか」
100人の招待した女性を待たせている。これ以上待たせれば、変な騒ぎになることも考えられた。
公開されることのない、京介自身が計画した個人的なイベントである。
集団で集まってることで警察に眼を着けられるのも面倒だし、婚約者を選びたいのは掛け値なしの本音だ。
宇津木こころの一枠を開けておいておけば、それで良い。
そう割り切ったはずの京介の気分は、それでもまったく晴れずに足取りは重いものとなっていた。
屋外で始まった、イベントの開始の合図。
それと共に、火渡の護衛の女性から人数分の紙がプリントされた用紙を招待者たちは受け取った。
まず最初に課された課題は調理である。
エントランス前の広場には数多の食材と調理器具が幾つかの机で別れて立ち並んでおり、この会場についた時にはここで料理するのだろうと誰もが察しがついたほどだ。
招待者の一人である綿矢 ゆまも、当然その見当はついていた。
だから、注目すべきは料理することそのものではない。いや、試験という言葉の通り軽視して良いわけではないだろうが、それよりも気になる事がプリントには記載されている。
調理後、自分たちで作った食事はそのままお昼ご飯になるそうだ。その後、綿矢ゆまは建物内の東側で井神真治の課した試験を受けると明確に記載されているのである。
つまり、ゆまは井神に見初められた婚約者である可能性が高かった。
不自然にならないように気をつけても、視線が井神真治にどうしても向かっていってしまう。
男性は女性から好奇な視線に晒されていることが多いので、敏感に感じ取ることは世間一般に広く知られていることだ。
そして、基本的に男性はそうした女の視線には忌避感を持つことが多い。
きっとゆまが向けてしまう視線にも、彼は気づいているのだろう。止めなければ、と思っても彼を意識しないことは不可能だと本能が叫んでいた。
前髪だけ少し伸ばして、ちょっと茶色に染めている髪はとてもキュートだ。
三人の男性の中では最も背が低く、無邪気な様子を見せることが多そうだった。仕草で女を擽るのがとても上手という印象を受ける。
実際、覗き見れば見るほど、ゆまは胸の奥から高揚感が高まっていくのを感じている。
招待者以外の女性が周囲から退けられ、一緒に会場へ(ほとんど勝手について)来た友人たちが招待者の女性から対角線上に離されているのが見えるから余計にだ。
仄暗い優越感すら込み上がってきているのを、顔に出さないようにするのが大変なくらいだ。
「我ながら、ちょっろい……」
プリントを見ながらゆまは自分の浅ましさを自覚して。
それはそれとして、得意料理を作るように指示されている調理試験へと、意識をしっかりと切り替えた。
「手伝い? ……別に勝手にしろ、余計なことをしなければ構わんだろう」
京介は、招待者に勝手についてきた女性たちが調理の手伝いを申し出ているという報告を板野みうから受けて少しだけ考えて、そう言い放った。
本来なら勝手な部外者が関わることを避けただろう。
いや、一貫してそうするべきであることが正しいのは分かっていたが、京介は自分で開いたイベントにもかかわらず、投げやりな対応をしてしまった。彼はどこか心あらずだったのだ。そしてこの判断が致命的な失敗を呼び起こすことになる。
「―――子羊から仔山羊。 お腹はいっぱいになった?」
『食べてない。お腹すいた』
「少しくらいは腹に入れときなさいよ。この後、よろしくね」
女性たちがそれぞれ、自分の持てる技術と知識を駆使して作られた温かい食事をたらふく食べた。
少し予想と違ったのは、男性たちも料理を作るのに参加していたことだろうか。
男性側から女性の居る場所へ積極的に近づくのは、普通ではないから。
京介も、一門も、真治も。
自分たちの選んだ嫁の作る料理は、美味い方が嬉しいし、ちゃんとコミュニケーションを取れる女性が望ましいから、と。
そうやって実際にふれあい、しっかりと審査をするために一つ一つの料理を、丁寧に咀嚼して予め用意していたシートへ記入していく。
それを女性たちは固唾をのんで見守るなどという場面は、きっと何時か、そのうち笑い話にもなったのかもしれない。
「お坊ちゃま達の計画通りなら、そうなるんだよね。でも、ごめんね。先に謝っておくから」
用意されていた食材は夕食のことも考えられて多めに用意されていたのだ、昼でも食べ残さないように多くの人が普段よりも多く食べていた。
満腹感は集中力の散慢や作業効率の低下を招くことが知られているのは、聞いたことあるだろう。
今はこの場にいる女は誰もが憧れの男子の傍で一緒に昼食を取ったという幸福に包まれており、視線は彼らに集中している。
こんなにやりやすい仕事は今までに無かった。
霧鏡京介はコの字型の建物の西側1階に。火渡一門と井神真治は東側1階に。それぞれ次の試験を受けるために女性たちも建物内に詰め込まれていた。
護衛の立場から誘導したのもあるが、彼らの詰めている部屋はコンクリートで囲まれていて、窓が存在しない。
防犯上の理由で出入り口も一箇所である。
ああ、まったく。2週間の細工の苦労はこれで報われたと言っても良い。
成功を確信してしまい、にやけた顔が戻らない。
男性は理想的な形で分断されていて、2階のセキュリティルームには護衛である板野みうだけが詰めている。
1階部分は全ての部屋が、このセキュリティルームで管理されているのだ。
鍵の開閉の権限も。照明の管理でさえ。最先端の技術でコントロールできるように、京介自身が仕込んだ物だ。
一つ、息を吐きだして板野みうは一つのスイッチを押し込んだ。
全ては、己の幸福と使命のために。
『子羊から仔山羊へ。 始めるわよ』
『了解』
『仕掛けま~す』
『お腹すいた』
建物1階部分は、押し込まれたスイッチに即座に反応して、照明の全てが落ちた。
そして――――それぞれの掛け声と共に、1階から混乱を告げる騒めきと悲鳴が響き渡ったのである。
綿矢ゆまは混乱の極地にあったと言って良い。
井神真治の試験を受けるために通された部屋は、一見するとなんの変哲もない部屋だった。
窓が無いこと以外は特別に記すことのない、コンクリート作りの---言ってしまえば郊外でよく見られる味気ない部屋だったのである。
それも、彼が行おうとしている試験を考えれば納得の行くものだ。
美的センスというのだろうか。
感覚的な部分で感性が合わない女性とは、結婚しても上手くいくことはない、と井神真治は考えているようで、その想いはゆまにも想像ができるものだった。
実際、感覚というのは大事なものだ。
言葉に出来ないが、相手を見つける、という一点ではお互い同じものを見て、同じ様な感情を抱ければ意思の交換がスムーズになることだろう。
こればっかりは、自分の感性と彼の感性が合致するように祈るしか無い試験だ。
自分に嘘をつくより、ちゃんと自分の眼でどう思ったのかを言えるように心がけよう。
井神真治。動画で見たこともある、ある種の有名人。
男の人が動画やニュースなどで流れれば、それだけで有名人の仲間入りという声もあるが、自分の意志で行動を起こす人は稀だ。
そんな彼はきっと、選んだ婚約者達。つまり、この場にいる女性たちに対して、真剣なのだと綿矢ゆまは思っている。
照明の光度が下がって、部屋が少しだけ暗くなるとプロジェクターの起動する音が響き渡った。
机や椅子などは井神以外に用意されていないので、ゆま達は流れ出した映像作品をじっと見入る態勢に移行していく。
集中していた。
だから、最初に部屋が真っ暗になっていたことにはまるで気付くことが出来なかった。
フッと、いきなり。
突然に映像は不自然な場所で途中でブツ切りされた。
そこで全員が気付く。
照明が真っ暗で、プロジェクターが落ちたことで通電すらしていない事に。
この場に居た女性たちも急に騒めき、このイベントの開催者の一人である井神真治も予定外のトラブルだったのだろう、声を張り上げた。
「なにをしているんだ!?」
「ちょっと!」
「きゃあ、押さないで!」
「おい、何をっ!グうッ!」
「ああっ!足を踏まないで!」
「勝手に動かないで!危ないわ!」
現場は一瞬で混沌とした。
綿矢ゆまも停電した、と思った時には誰かの身体に横合いから押されて、暗闇の中で訳も分からないまま状況に流される。
右往左往していると言っても良い中、ゆまは手の平に無骨な感触を残す物を誰かに押し付けられたのを感じた。
棒状で、手の中でつかめるほどの大きさ。少しトゲのような端子があり、プラスチック製や合成樹脂と思われる手触りが指先を通じて返してくる触り心地。
いったい何を押し付けられたのか。
混乱して考えがまとまらない中、部屋の照明は復旧を果たしたのか、幾度かの点滅を残して明かりが点く。
ワッっと大きな声。
「え?」
綿矢ゆまは、明かりが点いた部屋の中で、目の前に座っている人間が誰なのか一瞬では判断できなかった。
力が抜けたように全身の体重を机に預けているのは、井神真治だった。
薄く開いた眼は白く、口は半開きになっていて、完全に気絶していたのである。
「は。え?な……にが……?」
そこで持っているものに視線を落とせば、ゆまが握っていたのは機械に疎い彼女でも見たことがあるものだった。
スタンガン。
視界に青色の電流が空気を通るように、パチリと音を鳴らしてその存在を主張していた。
『あー、あー、2階セキュリティルーム。男性護衛を担っている責任者でーす。男性への危害を加えたと思われるので、現場保持の為に今後一切の移動を禁止します』
混乱と困惑に叩き落された中、悪魔のような声が室内のどこかに取り付けられただろう、スピーカーから流れていた。
第四話 : 声の無い少女
ナナイは栄養食である棒状のバーを齧りながら逸る心を抑えて時間を見た。 午後1時29分。
会場での開始時間は10時から行われる。ドローンは船体からの距離的に会場までは探査範囲を超えているので使い物にならなかった。
小さな電子音が鳴って、チェンジャーが設計図を下に作り出した耳栓が排出される。
船体に医療用として残された最後の経口保存修復液を懐に入れて、素早く耳栓を耳朶に詰め込んだ。
「よし。耳栓は確保した。性能は実地で試すしか無いが……」
若干の不安を抱えつつ、ナナイは船体からようやく出ることが出来た。
周辺のドローンを出して探査していた範囲では、女性の姿は見当たらなくなっている。冷静に、彼女たちは京介の開いた計画の参加者だったのだろう。
指定された時間に前もって行動をし、遅参しないようにするのはナナイの種でも見られるものだった。
人間は24時間前から計画性を持って集合する事が多いのかも知れない。
これも資料だけでは得られない、貴重な情報である。ナナイは船体に身を潜ませて隠れている間に、こうしたレポートをしっかりとまとめていた。
「急ぐか。ここからなら10分で行けるだろう」
船体に泥をかぶせ、近くの木々をへし折って草木をかぶせる。
やらないよりはマシ、と言ったような雑な隠蔽処理を施して、から目的地へと向かうと、ドローンからの報告が活発になった。
会場近くの周辺地形はすべてデータとして入力済みだ。
生体反応を示す光点は距離が縮まるたびに、どんどんと増えていく。
この全てが女性だというのだから、もしも彼女たちがナナイ達の子供を産める存在なら、希望に満ちあふれていると言えよう。
すでに京介の計画は第ニのステップに進んでいるようだ。
コの字型の建物内までは、ドローンの距離が遠すぎて生体反応は感知できないが、音は拾うことは出来る。
屋外に居る人間たちは直接映像でも確認できる距離にまで近づいた。
「なんだ? 少し離れたところに点々と……」
やや微弱な生体反応を返す光点が、会場からは離れた距離で光っているのをナナイは見つけた。
示しているのは山中の中である。
不審な思いで会場へと走っているナナイだったが、一瞬、何かに遮られるように身体へと纏わりつく感触。
「これは……しまった!」
ナナイは即座にその身体を水平にするように跳躍。
彼が横切ったのは人間の眼では高速で移動中には殆ど捉える事ができない微細なワイヤーだった。
周囲から電子音。
数日前に周辺の調査を行った時には、無かったはずのヒューマントラップ。
爆発物か。それとも投射を目的としたセントリーガン等の無人兵器か。
しばしナナイは身体を地面に伏せて警戒をしていたが、幸いにも設置された機械は小さなビープ音を残しただけでそれ以上の反応はしなかった。
警戒しながら這ったまま近づいていくと、樹木のうろに巧妙に隠された音の正体が判明する。
他のトラップが同時に仕掛けられていないかを慎重に確認しつつ、樹木に隠された装置をゆっくりと外した。
「ドローン、解析を」
『スキャン実行中。……回路特徴により探知機と思われます。仕組みは単純化されており、ワイヤーに掛かった獲物を通信機に報せるだけの物のようです』
「つまり、誰かが俺の存在に気づいた」
『ポジティブ』
「人間の特徴を示す指紋は取れるか?そこからデータベースを辿って特定は」
『ネガティブ。痕跡は見られません。この罠を仕掛けた人物の特定は不可能です』
「指紋から追うのは無理か。招待者が仕掛けたものなら、話は早かったが」
一直線に会場へと向かうつもりだったが、こんな物が仕掛けられているということは不穏な雰囲気である。
ナナイは周辺を見回しながら、ドローンを2機、同じ様な罠がないか探知するように命令を出すと、方針を変更して周辺の生体反応から調べることにした。
そもそも、おかしな話なのだ。
会場周辺に人を配置するような計画など、京介からはされていない。
そうなると、数日間の間に誰かがこのトラップを仕掛けたことになるのだが、何のために?
ナナイは京介の拠点で生活してからも、こまめに周辺の情報を集めている。計画の実行に当たっては念入りにだ。
偶然とは思えない。
全員を会場に集めて、まとめて女性の選別を行う京介の計画。
そこから考えると、この罠を仕掛けた人物が計画を利用して良からぬ考えを持っている可能性が高いだろう。
正面から入るルートを避けて、鬱蒼とした深い森の中を突っ切る迂回ルートを選び、ナナイは歩くような速度で周辺を警戒しながら進んだ。
20分ほどかけて目的地へと到着すると、森の中にナナイの知らないコンテナが姿を表す。
港などでよく見られる、大型車両で輸送に使われるタイプの物が2つも置いてあった。
こんな場所に隠蔽もされずに置かていれば、数日前の調査で必ず見つけ出せるはずだ。
コンテナと藪の影に隠れながら、ひっそりとナナイは顔だけを出して入口の様子を窺った。
扉は薄く開かれていて耳をすませば衣擦れの音と、くぐもった声。生体反応が示す女性の物だと思われる。
反応が弱かったのは呼吸を阻害する拘束をされているからか。
女性であることを確認し、ナナイは一瞬だけ身体が硬直し驚いたが、耳、眼、脳などは無事だとバイタルの数値が証明してくれている。
はからずも、耳栓の性能はしっかりと機能していることを確認できたナナイは、それでも急がずに入口へと近づいて、コンテナを慎重に開いた。
両手と両足を縛られて無造作に放り出されている女性が2名。照明はついておらず、視界は暗い。
隙間から入り込んだドローンに内部をスキャンをさせれば、モニタを含めた電子機器が奥に、椅子やテーブルなどが配置されている。
何者かがこのコンテナを拠点にしていたことは一目瞭然だった。
捕まった女性は、このコンテナを利用した者とは無関係の部外者?
偶然見つけたのか、それともコンテナの所有者が意図的に捕らえたのかは不明だが、都合が悪いので拿捕したのだろう。
周辺に人影はない。生体反応も目に見えている女性以外はクリアしている。
ナナイはコンテナの地面に転がされている女性とコンタクトを取ることを決めた。
「な!?」
「あ、男の子」
意を決して入口に身体を滑り込ませると同時、天井部から声が降る。
偶然、ナナイの向けた視線の先。暗闇の中から急にそいつは現れた。
ラテックススーツに身を包んだ、ナナイよりも小さい赤い髪の女がぬるりと滑り落ちて。
ドローンのセンサー、生体反応は無かったのに、どうして気付けなかった?
そうした疑問を飲み込み、ナナイは即座に回避行動へと移った。
名も知らぬ少女は警告もなく、手から構えた武器の引き金を引いていた。
咄嗟の判断で前方に飛び出し、通り過ぎたナナイの影を撃ち抜いて火花を散らす。
一瞬の躊躇すらない、殺意の籠もった弾丸が頬かすめる。
「ごめんね、ここに居る人捕まえる命令だから」
「くそっ!」
ナナイと入れ替わるようにして入口に降り立った少女は、出口を塞ぎながら躊躇いなく持っている銃の照準を合わせてきた。
大きく左右に跳ねて移動しながら、ドローンを少女に突撃させて銃を持っている腕へと向かわせる。
暗闇の中、無音の小さな襲撃者には流石に気付けなかったのか、少女は あっ! と驚き拳銃を取り落としていた。
ナナイは目ざとくその光景を認めると、ドローンに武器の解析を急がせる。
そんなことよりも、頭が痛い。
この少女の甲高い声は、聞こえる毎にギチギチとナナイの頭の奥を締め付けてくる。
耳栓は機能はしているが、やはり即席で作った設計図に道具。完全に声を通して脳への影響をシャットアウト出来るほどの性能は無かったのだ。
『推定・デリンジャー。携行用の暗器であり銃。装填数は2』
「すごいね、AIもついてるんだ、こんなちっちゃいドローン。初めてみた」
少女の声。あの一瞬で、ドローンを掴んだのか。
彼女の手の中にはドローンが1機捕まっていた。
耳を抑えながらナナイは聞いた。
「お前は何者だ。何を企んでいる」
「別に私は何も?命令だから」
何時の間にか、少女の手には新たなデリンジャーが握られていた。
ちょっとした会話。僅かな時間。逡巡する思考と意識の間隙に、少女は無駄なく次の攻撃に移っている。
与えられた命令を最優先に何の疑問持たずに実行する。それはいわゆる。
キリングマシーン。
ナナイは頭の中にその言葉が浮かび上がった。
生物を用いた殺戮用の個体を、組織が用意することは珍しいことではない。
実際にナナイも、アダムプロジェクトを成功させるという目的の為だけに産まれた存在。 自意識が芽生える前から、訓練と学習、そして厳しい試験だけの生活を続けて、あらゆる技能を叩き込まれたシード試験体である。
人間にも殺人・攻撃に特化した存在を育成する機関や組織が存在するということだろう。
恐らく、事前に調査して判明している……男性を殺そうとする過激派の一派か。
なにより、ナナイは宇宙で行った事前の学習で人間という種の攻撃性は十分に知っている。
あらゆる闘争・戦争が世代や時代を問わずに繰り広げられていることなど分かり切っていた事だ。こうした物理的な脅威に晒されることは想定内。種として衝撃に強い構造であり身体を持つナナイは今この場で少女を物理的に排除することを決断した。
女性は手に入れるべき存在だが、ナナイの目的はアダムプロジェクトの完遂である。
邪魔をするのなら排除しなくてはならない。
高速で回転する思考の中、コンテナ内に無造作に落ちている小石。おそらく、拠点に出入りをしている時に入り込んだ自然物だろう。
向けられた拳銃に向かって、ナナイはその小石をつまむと親指で弾いた。
デリンジャーの発砲と重なるように、石は見事に拳銃側面へと当たってナナイへの照準を外す。
パンッ、と乾いた音が響いてコンテナ内部に火花を散らす。
フラッシュが焚かれたように僅かな発光。その瞬間にはナナイは少女の懐へと入り込んでいた。
視線が交錯する。
「わ、はやいね君」
「喋るな。頭が割れそうだ」
人間とは根本から違う身体能力にまかせて、ナナイは拳を握って少女へと振り抜いた。
腕を交差させて胴体を護った少女ごと、コンテナの入口と一緒に殴り飛ばす。
握り込んだ拳を通じて、少女の腕から鈍い音が響く。人間の身体を構成する重要な部位、骨を確実に砕いた音だった。 外の光がコンテナ内に差し込み、けたたましい音を響かせて少女と共に扉がガランガランと外れて吹き飛んでいく。
すぐさま外に弾かれた少女へ追撃のダメ押しをしようと、地を蹴って飛び出す。
『ドローン1機・ロスト』
最初に突撃させたドローンは少女の手の中にあった。それが握りつぶされて破壊されたようだ。
周辺を見回したが、ナナイは少女を見つけることが出来なかった。森の奥のブッシュを使って移動している。
生体反応はなし。やはりセンサーから追跡は不可能のようだ。
だが、あの腕では銃は使えまい。
ドローンの1機だけを外に残して、ナナイはコンテナ周辺の安全確保だけに努める判断をした。
深追いは危険だ。
命令という言葉を少女が残している以上、裏に組織じみた集団が居ることは容易に判断できる。
少女自身はどうやったのか。生体反応を感知するセンサーから逃れてもいる。
もし、あの少女のような人間が集団で存在していれば……そしてあのようなキリングマシーンに囲まれれば、ナナイであっても危険は避けられないだろう。
ふっと、息を吐いて、ナナイはコンテナの中へと戻った。
踵を返して少女の取り落とした武器を回収。デリンジャーは2本。弾丸はどちらにも装填されており、安全装置は外れている。
弾丸をスキャンすれば、装填されているのは9mmの麻酔弾。
実弾ではないが、何発も打ち込まれれば身体の損傷は馬鹿にならないだろう。麻酔も多量に打ち込まれればオーバドーズの症状を発して死亡する可能性が高い。
周辺にドローンを展開させているが、やはり生体反応は周囲には認められない。ドローンのセンサーの故障でもない。
どうやって隠しているのかわからない。面倒なことだが、ナナイはセンサーだけでは捕らえられない存在に気を配らなければならなくなった。
視線をコンテナの奥に向ける。
身体を必死にくねらせて距離を取ろうとしている女性の一人に近づいた。
「これから猿轡を外す。怪我はないな?」
「ふもぉ、おもっふ」
「あまり大きな声を出さないでくれ」
顔を顰めながら、ナナイは一人の女性の猿轡を外した。
「ぶぁっ! ちょっと、これ何なの!? どういうこと!? 映画の撮影!?手の込んだイタズラってわけじゃないんでしょ!?」
「ぐっ……!し、静かにしてくれ! 脳に響く!」
「静かになんて! 早く手足も解いてよ!そっちの人も助けてっ!」
「良いから! 少し黙れっ!」
ギリっと絞られるような痛みに、ナナイは耐えきれずに乱暴にコンテナの床をデリンジャーのグリップで叩きつけた。
ゴオオオン、と大きな金物同士がぶつかる音が鳴り響き、女性は驚いたのか口をようやく閉じる。
力任せにナナイの膂力で殴った床は、大きな振動を彼女に与えていた。鉄板も完全に拳の形で凹んでいる。
耳を片方の手で抑え、念入りに耳栓をねじこんでから、ナナイは絞り出すように声を出した。
「大きな声は苦手なんだ。生命に関わる。俺の言う通り、静かにしてくれ。もし出来ないなら……」
「できないなら……?」
先ほどとは違い、また震える小さな声で女性は聞き返した。
「覚悟してもらう」
ナナイは情報源を失うのは避けたかったが、野放しにすれば彼女のキンキンとする甲高い声だけで脳が破壊されてしまう危険を避けたかった。
猿轡をもう一度するという決意をナナイが表明すると、女性はコクコクと壊れたように頭を振って頷いた。
ちなみに、近づけたのはナナイが解いた左手で猿轡に使われていた布の方だったが、女性は右手に持った敵から鹵獲したばかりの拳銃・デリンジャーにしか視線を向けていない。
「わかっ……りました。大声だしません、静かにします」
「……よし、ありがとう」
そしてナナイは、そのすぐ横で涙目転がってる女性の下に近づいた。
「君の猿轡を外す。騒ぐな。もし騒いだら……分かるな」
体制上、右手に持っているデリンジャーを振りかざしながら、ナナイは言った。
女性は素直に従った。
ナナイは彼女たちを助けたヒーローのハズなのに、その姿は武器を持って脅している悪漢にしか見えなかった。
『仔山羊から子羊』
「どうしたの、何かトラブル?こっちは状況を始めてるから、余計な話はしないでよ」
『コンテナを放棄。男性に腕を折られた』
「は?」
『初めて男の人と話した。そして触られた。ちゃんと隠れてたのに、すぐ見つかった。これって両思いでは?』
「ちょちょちょ、状況はもう少し簡潔に報告しなさい。男の人がいたのね」
『後すごくかっこいい。力強くて逞しい。もう私はこの腕を治さない』
「何の話よ……まるで意味がわからないけど、腕が折れたなら直しときなさい。今こっちは立て込んでてあまり会話を楽しんでる余裕がないのよ」
乱雑に無線を切って、セキュリティルームのメイン画面へと眼を向ける。
京介の拠点では、一階の停電が復旧し、そのモニターには三人の男性が映っていた。
霧鏡京介。今回、100人の女性を集めて一時的な婚約者として、結婚を前提に選別試験などというケッタイで素敵なイベントを計画した男。
その筋の人には有名なイケメン男子である。
彼の計画は彼女達にとってあまりに都合が良かった。
都心を離れた郊外の山の中。公になっていない中で個人的な小規模イベントの開催。
お膳立てされたかのように、会場の1階部分は最先端のセキュリティで管理されて、全ての部屋に電子錠のついた監禁できる部屋。制御できるのが独立している2階のセキュリティルームだけ。
鴨が葱を背負って来るなんて諺があるが、まさにその通りだ。
機会があればキスをしてやりたいくらいに可愛いと思う。
どうやら室内の鍵が掛かっていることに気づいたようで、モニター越しに声を掛けているが、当然そんな声はシャットアウトしている。
男性の声は麻薬だ。
どんなに過酷な訓練をしていても、男性に命令され続けるとお願いを聞いてあげたくなる、女の本能。
そんな本能をぐっと押さえつけなければならない努力をするくらいなら、最初から聞かなければ良い。
火渡一門。一門衆なんて呼ばれる日本でも有名な宗教の一つ。当主は世襲制で、名前がそれを示している。
寺や仏閣などの管理を全国で行っている組織の長の一人息子だ。
常に護衛の女性を年にニ回入れ替えて雇っていることで、護衛業の界隈で噂になるさわやか男子。
彼のお陰で今回の作戦が成功したという事を考えると、一門衆が護衛を入れ替えているシステムを称賛してあげたい。潜り込むのに適したサイクルで護衛を入れ替えてる事実は本当に助かったからだ。
一門は室内の床に倒れて昏倒している。停電から復帰した直後から周囲の女性は混乱の最中である。多分スタンガンか何かを使ったと思う。
井神真治はメカニックマニア。アマチュア無線などで彼の声を不意に拾って発情した女は数知れず。
パソコンを始めとしたネットワーク関連にも精通していて、動画を自分で出してニュース等で話題になったことで世間でも有名だ。
一部マニアの間で衆目を集めつつある彼もまた、その容姿は年齢の割に幼く可愛い。
今は椅子の上で意識を失くして項垂れているようだ。残念ながら可愛い顔をじっくりと見ることはモニターでは出来無さそうだ。
板野みうはざっくりと三人の男性の状況を確認してから、ゆっくりとマイクのスイッチに手をかけた。
『あー、あー、2階セキュリティルーム。男性護衛を担っている責任者でーす。男性への危害を加えたと思われるので、現場保持の為に今後一切の移動を禁止します』
「順調だね」
仲間の声に板野みう---いや、板野みうだった者は笑う。
「ええ、国民栄誉賞とか、もらえちゃうかもね?」
張り付いた無表情の顔の下から、弧を描くよう唇の形がぐにゃりと歪んで変形した。
ナナイは2台のコンテナも調べ終わると、合計で7名の女性が捕まっていたようであったので全員を救出した。
そして話を聞いて、衝撃の事実が2つも浮かび上がる。
一つはこの救出した7名中4名は、火渡一門の護衛を行う予定の女性と、姓名・プロフィール、顔などが全て一致したのである。
「板野みう。本名で間違いないな?」
「ええ、今回の火渡一門様への護衛任務を請け負った、板野みうです。早速、失敗をしてしまったみたいだけれど」
「今までに何人も男性を警護したことがあるけれど、実際にこんな襲撃に出合ったのは初めてだわ」
「警護開始前だったから、余計に気を抜いてしまったの。もう、言い訳にしかならないけれどね……」
彼女たちはお互いが生きていることに喜び、そして同時に意気を消沈している様子であった。
お互いに慰め合う彼女たちを見やりながら、ナナイは一人の女性のもとに近づいていく。
肩口まで伸ばしたストレートの黒い髪が艶やかな女性だ。
もう一つの衝撃は、この場に100人の招待者が混じっていることだった。
「お前は宇津木こころ。霧鏡京介に招待された女であってるな」
「はい。街道にある立て札に誘導されて来たら、捕まってしまいました……こんな事になってしまって、京君に申し訳ないです」
頭に叩き込んだばかりの101名のうち、招待者が2名もこの場所で見つかったのだ。
一人は宇津木こころ。ナナイは彼女の顔を鮮明に記憶している。 京介が狙っている本命の女だから。
その隣でおろおろと周囲を見回している小動物のような動きをしている小柄な女性。
東雲 みゆる。
ナナイが選び、会場へ招待した御本人である。彼女だけはナナイが呼び寄せなかったらこの現場には居合わせなかった一人である。
完全に巻き込んでしまった形になるので、出来れば彼女の安全も確保してあげたい。
彼女たちが殺されていなかった事は吉報なのだろう。だが、これでナナイはこの二人の招待者、宇津木こころと東雲みゆるも護らねばならなくなった。
今わかっている事は、京介の計画を利用されて、何者かが襲撃をしているという事実だ。
敵の正体も規模も不明な現状では、彼女たちを守り通すことは難しいミッションとなるかもしれない。
とにかく火渡一門の護衛という立場に偽装して、京介の拠点に潜り込んだということ。
会場付近に6機のドローンを偵察で送り出しているが、招待者とその友人知人を含む女性たちは200人以上。
建物内に護衛人数分の4人。集団で集まっている中にも敵は潜んでいる可能性は高い。
セキュリティルームの構造を考えると、そこを敵に抑えられたら……いや、護衛として成り代わっているならセキュリティルームを抑えないはずが無い。
もしナナイの予想があっていれば、恐らくすでに京介たちに危険が迫っていると見ても良いだろう。
時間はない。
「ったく、なんなの。監禁されたと思ったらこんな非常識な。意味が分からないわ。そもそも私みたいなやつがさ、男に釣られた時点で間違いだったってことかも。あれが非日常の入り口だったとかね?気付けるかバカヤロー、出来の悪いシアターでももう少しまともな脚本を描くっての!」
「……」
最初に救出した女性は頭を押さえて不満を零していた。彼女は招待者ではない。名前は宿平 ほのか。22歳。普段は自宅警備に従事しているらしい。
招待者に着いてきた女性で、不運にも巻き込まれて拉致されてしまったようだ。すぐに帰宅し自宅警備の任務に戻れば良いのに、この場に留まっている。
不思議な思いで聞いてみる。
「男性のナナイ君を置いて逃げれるわけねーでしょ。女だったらそんな事は絶対できないって分かって訊いてるよね?」
「いや、知らない。そうなのか?」
「あーもー、格好いいし可愛すぎてどうしようもないっての。そんな蕩けるような声出されたら、一緒にいたいって思っちゃうんだよ」
何を言ってるのかナナイにはまったく分からなかった。
「……そういうものか」
「そういうものなの」
「そうか、覚えておく」
人間に個体差があるのは分かっている。彼女はそうである、とナナイは深く思考せずにそう結論を出すことにした。
「あの……」
宇津木こころの呼びかけに、ナナイは振り向いた。
「京君を、助けてあげたいです……!」
「もちろん……俺だってそう、したいが……」
ナナイは断言できずに煮えきらない言葉しか返せなかった。
相手の規模や組織の力が不明すぎて、自信がもてないのだ。
まして、護衛に成り代わったというのなら、招待者に成り代わっている可能性だって多分にある。
相手も全員が女性であると予想される。アダムプロジェクトの観点だけで見れば敵とは言えない。
女性を確保する上で、実はナナイにとって協力する相手は向こうの方が得、ということも考えられるのだ。
「何か、私にも手伝えることがアレば手伝いますっ」
跳ね上がった声量に、わずかに眉を顰めてナナイは何とか正面から顔を見合わせて。
自信は持てなかったが、何とか頷いて彼女を落ち着かせようとした。
その時、コンテナの奥で何かを壊すような、バキリ、と乾いた音が響く。
本来、火渡一門の護衛になるはずだった女性たちが集まっていた。
「何をしている」
「この機材をいろいろ調べてみたけど、どうも軍用の物なんです」
板野みうが代表して、機器のコンソールに触りながら報告をしてくれた。
壊したのは簡易的に机の代わり使っていたような、段ボールにアクリル板を乗せただけの簡素なテーブルに乗っている時計と計算機だったようである。
「軍用で使われるものには、鹵獲された時などにメーカーロゴなどは消去されて特定できないように処理されているのが殆どです」
「でも、日用品で使うものは支給品だったり、身の回りのものはそういった処理を怠ります。もしくは個人的な持ち物だったりするので情報が残されている事があるんです」
「なるほど」
「残念ながら、指紋のような個人を特定する痕跡はなかったですけどね」
参考になる、と頷きながらナナイはボールペンの裏を見てみた。
文房具のメーカーはそのまま消されておらず残されている。ケヤダック……華国の大企業の一つである。確かに彼女たちが言ったように、身の回りの品全てを隠蔽するのは労力の無駄で効率が悪いのだろう。
何かヒントが見つかるかも知れない。
「一応、注意をしておくとですね。こうしたメーカー品だけで結論はつけないほうが良いのです。あくまでも参考にするだけなので」
「そうか……それで、何か分かったか?」
「根拠の薄い推測ですが、特殊メイクに必要な道具が見られます。変装はしているかと……」
板野みうはナナイが何も知らないと思っているのだろう。
この場で見つかる情報を丁寧に説明してくれながら、ナナイはドローンの操作と送られてくる映像を横目に頷いていた。
やがて、ドローンの1機から扉を開けたままにして退出していく女性の姿を捕らえた。
セキュリティルームが僅かに覗ける。
護衛の女性たちに手振りで合図し、ナナイはドローンから送られてくる映像をホログラムで表示させ拡大した。
「え、なにこれ!」
「すごい!」
「専用の機材も無しにこんな明瞭に見えるなんて、こんな技術……」
口々に驚く声。耳を抑えて痛みに耐える。ホログラムは地球では一般的な実用化はされていない。
モニターに接続して映像を出力するべきだったか、と思うが今は敵の情報を少しでも手に入れることが重要だ。
無視して映像を見つめることに集中し、騒ぐ彼女たちには指を一本立てて黙らせておく。
小さく画面に映っている、セキュリティルームのモニターには火渡と井神が昏倒している様子が映し出されている。
拡大して表示すれば、火渡は地面に。井神は椅子に座らされているようだ。
どちらも意識はないようで、身体から力は抜けている。
井神は頭部に損傷を負っているのか、僅かな量の出血が見られた。
「くっ……」
ギリリ、と音が出るほど噛みしめて拳を握る板野みうの唸るような声。
護衛者としてのプライドか。それとも別の感情か。
ナナイは頭の中で京介たちを救出するプランを建てようとするが、建物の構造がそれを難しくしていた。
1階部分の窓のないコンクリート造りの部屋。出入り口は一箇所で当然見張りもついているだろう。
火渡と井神は別部屋で隔離されている。
脱出の経路に使えそうな中庭は、崖があるせいで潜入はともかく素早く離脱することを不可能にしていた。
セキュリティルームを敵に抑えられてるせいで、電子錠による鍵で幽閉されてしまっている状況だと思われる。独立構造の防衛機構。その根元を掴まれているのは純粋に不利だ。
被害者の男性の周囲でおろおろと固まる女性たち。20名以上も居るが、その中に何人の敵が潜んでいるやら。
セキュリティルームを抑えられてる以上、忍び込むには周囲に京介が配置した無数のカメラの死角を取らなければならないし、ドローンでは発見できない生体反応を隠せる女も居る。
一人であの拠点に攻め込むのも、潜り込むのも、勝算が薄い。撤退するべきだ、と厳しい訓練を受けてきたナナイの頭脳はそう判断している。
「京君!」
突如、大声を出した宇津井こころにナナイは耳を抑える。ギチ、と頭の奥で音がする。
ぐらぐらとする視界の中、彼女が突然に叫んだ原因が映り込んだ。
霧鏡京介が数人の女性に連行されるように、1階のどこかに案内されていたのだ。
そこで護衛の板野みうと同じ顔をした女が扉を閉め、窓越しから観測しているドローンの視界から消え去った。
「ど、どうしよう。京君、あの人達に乱暴なことをされたらっ!」
「お、落ち着いて、宇津木さん。男性はいわば犯人たちにとっても人質よ。すぐにどうのこうのって訳にはならないわ」
「で、でも、男性なら火渡さんも井神さんもいらっしゃいます。 一人くらい、なんて事になってしまったら、れ、レイプとか!」
「それでも、その時は犯人が追い詰められた時のような逼迫した事態のはず。私達のような女が男性を手に掛けるなんて、よほどの事じゃない限りはありえないから!」
「騒ぐなっ!」
女性たちのヒートアップする議論。それに比例して大きくなる声にナナイは生命の危険を感じて押収していた拳銃で発砲した。
デリンジャーから放たれた弾丸がコンテナの天井を打ち据え、静寂が戻る。
排出された薬莢がカンカンと金属がぶつかる音を立てるのが、妙に響いた。
頭を抑えたまま、黙って蹲るナナイに、板野みうは困惑しつつも恐る恐る声をかける。
「あ、あの……大丈夫? ナナイ君。 ごめんなさい、ちょっと騒いでしまって。こんな状況で困っているのは、ナナイ君もだよね?」
確かに普通に喋っている彼女たちからすれば、彼女たちの声が殺人兵器になっている事など青天の霹靂だろう。
だが、ナナイからすれば命に関わる重大な問題なのだ。
耳栓をしていなければ今の騒ぎで脳漿を撒き散らして、この場で絶命し、生命活動が停止していてもおかしくなかった。
唯一、この状況を打破するための仲間といっていい、女性たちとの協力が出来なければ、男の協力者である霧鏡京介達を救い出すことなんて無理だ。
だというのに、この自分の身体は女性の声を聞いた瞬間に脳へダメージを齎すなどというポンコツ仕様である。
これでは連携など不可能だ。
協力者が必要だと分かっているのに、協力するためのコミュニケーションを取ることが出来ない。
いや、何よりも問題なのは、女性と関わることが必須なアダムプロジェクトの大きな壁として君臨してしまう事だ。
ナナイは唇を噛んだ。
せっかく現地人との男性との繋がりを形成できかけていた。
女性を手に入れるための計画も順調だった。アダムプロジェクトの成功に近づいていた確かな手応えを感じていたのだ。
それをこんな形で敵と思われる奴らに邪魔されていることが腹立たしかった。
もう、アダムプロジェクトの成功のために京介たちの救出を諦めた方が良いかもしれない。
ナナイの目的はあくまで、女性が自分たちの種と交配し、子供を残せる存在であることを確認すること。
そして、シップが戻ってくるまで、その基盤を地球に築き上げることなのだから。
優先順位を間違えてはならない。任務を最優先に考えろ。
もっとも重要なのは、アダムプロジェクトの成功だ。
だが。
「くそっ!」
悪態をついて、ナナイはコンテナの壁を叩く。
周囲がナナイの行動に沈黙を返してる中、一対の瞳がじっと彼を見つめていることに気付いた。
東雲みゆる。
ナナイがこの状況に巻き込んでしまったと言っても良い、彼が選んだ唯一の招待者。
彼女は声を出すこと無く、さらさらとアクリル板の机の上でボールペンを走らせて、僅かな時間で書いた文字をナナイへと掲げるように見せたのである。
---大声は、きらい?
彼女はずっとナナイの事を見ていたのだろう。
---ナナイ君は耳をよく塞いでる。もしかして、痛いとか、辛いとか体調に影響するの?
全員の視線が達筆に書かれた彼女の文字へと集まった。
誰かが何かに気づいたように、あっ、と声をあげている。
「……東雲みゆる……」
17歳。身長148cm。体重は55kg。
少しふくよかな輪郭に、特徴的な涙ホクロ。B84・W64・H95。安産型と呼ばれていて子供を産むのに理想的なプロポーション。
内向的な性格で趣味はインドアで行う物が多い。ピアノと書道を習っており、裁縫とタイピングが特に得意。
取得技能は漢検・英検を含めて速記などを含めた、あらゆる語学関連の試験や資格を多数取得済み。すでに12か国語を理解しているらしい。
そして、幼い頃に起きた交通事故による後天的ブローカー失語症を患っている。
プロフィールに書かれていた彼女の経歴を思い出し、ナナイはノートを掲げている彼女に近寄って大きく頷いた。
「大きな声は……苦手だ。死にそうになる」
脳に関わるダメージ・疾病が原因で『聞』『話』『読』『書』といった言葉の働きに何らかの不具合が起きているのが、失語症だ。
失語症の中でも聞くことは出来る、話すことは出来る、などといった病状の差で細分化されているが、東雲みゆるは話すことができないタイプであった。
口から音を出すことは可能だが、意味のある言葉に音を連ねることは出来ない。
だが、彼女は人の話を聞いて、その内容を処理することは出来る。
「そうか……声が無理でも、文字か」
ナナイは東雲みゆるをじっと見つめながら口の中で呟いた。
速記技能と卓越したタイピング。
本来『声』が担うはずだった彼女のコミュニケーションを取る手段は文字に集約されている。それはナナイにとっては利点だ。声なくとも文字で意思の疎通ができる。
準備をすれば、そしてこの場にいる彼女たちの協力があれば。
少なくとも、あの拠点にたった一人で突撃するよりは勝算の高い潜入を行うことが可能かもしれない。
「東雲みゆる。俺は君を招待できて良かった」
ナナイは自然と笑みを浮かべながら、彼女の前に座り込み、みゆるの手を取った。
彼女を招待した過去の自分を褒めてやりたい気分である。
自信はないが、勝算はでてきた。
現地の男の協力者は、アダムプロジェクトの為にもナナイは必要だと感じている。
救出作戦を実行するメリットはある。
それに、個人的にもナナイは彼の事を好ましい人物だと思っているから。
じっとナナイに間近で見つめられて、東雲みゆるは手に持ったノートを抱える手で顔を隠そうとして、照れるように首を振った。
今更だが、招待されたのは目の前の男、ナナイであることに気付き東雲みゆるの顔は炎が出そうなほど真っ赤に染まっている。
そんな彼女の変化に気付く事は無く、ナナイは一度全員を見回して顔を見てから、口を開いた。
「頼む、皆の力を俺に貸してくれ。そうすれば、救出できる可能性はあるかもしれない」
ナナイは救出を決意した。