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第三話 脳を破壊する『音』



 この地球で明確に男女比に差が出始めたのは1500年代からと言われている。戸籍管理の甘い過去の歴史の中、明確に男女の出生差を認識できたのがこの時期からという話だ。

 各地の紛争、戦争で男手が減ってしまいその後に女性の比率が一気に高まった。

 戦争の主役は男であり、徴兵され続けた結果その数を減らしていく。そして、ある時を堺に男女比のバランスが戻ることが無くなったのである。決定的となったのは恐らく近代戦争である第二次世界大戦であった。


 それまでも緩やかに減少傾向だった男性出生率。場所にもよるが人類『種』としての危機が明確になったのは、世界各国で平均1:10を超えた辺りである。

女性はもとより、男性もこの数字には危機感を覚え、ベビーブームは到来した。 しかし、生まれても生まれても、『男』が生まれることは稀となっていった。

 男性側の遺伝子に何か大きな変化が産まれた理由は判然としない。ストレス値なのか、戦争で使われた細菌兵器、毒薬、あるいはジャングル奥地で寄生虫などによる影響か。様々な原因が挙げられては科学的に否定されてきた。

そもそも遺伝子―――とりわけ性別を分けるメカニズムというのは科学技術が発展しても謎に満ちたままのブラックボックスである。 人間だけに留まらず、多くの雄雌を分けるシステムはまったく解明が進んでいないのが現状だ。


 故に、人類ができるのは対処療法のみ。


戦争は男が生まれぬ悪として徹底的に避ける傾向となった。

リベラル派が大きく飛躍台頭し、多くの国々で政治的に穏健な派閥が多数派の議席を埋めることになって。過剰とも思える位に表面的な平穏が訪れたのが、今の地球の姿である。


とはいえ、どんな世界であっても人間たちは全員が右を向けば右に向かうわけではない。

失った男性を求めるのは 『種』 の存続に懸かっている。水面下での争いは激化していると言えよう。


 そんな世界で女性達はたくましく生きている。


「平和~のために~我らは~誓う~~~♡」


 身体をくねらせて上機嫌に鼻歌を揺らすのは、キャリア警察官として警視庁に努めている27歳の女性。 

名前を伊那野 ひかり。艶のある黒髪を左側に流して人よりも長い舌をチロっと出して自分のデスクの前の椅子に深く腰掛けた。


「昨日アップロードされた動画見た? かけるきゅん、めっちゃカッコよかった。 半年ぶりの推しの補給……満たされたわぁ~~~♡」

「妙な歌を口ずさまないでよ、ひかり。 気持ち悪くて気が散るでしょーが」

 

 対面の席に座る水野 ななが苦笑を零しながら手を雑に振った。

赤みかかった茶の髪を肩まで綺麗に流して居る、幼顔な女性は同じく警察官の女性で、ひかりとは同年代となる。


「ちょっと、かける君の事、めっちゃ好きだったのにどうしたの? ま~た難しい顔してパソコンとにらめっこして」

「警察官が真面目じゃなかったら司法は終わりね、東京都内の受刑施設、囚人の収容状況に関して気になるところが何点かあるから調べてたのよ」

「受刑施設? ふぅん……?」

「ちょっと興味ないなら資料をほっぽり出さないで。せっかく整理しておいたのに……貴女って優秀なのにズボラよね。6年前のこと覚えてる?」

「私、過去は振り返らない主義です」

「ったく、尻拭いする私の事も考えなさい」

「分かったよ~、後で受刑施設だっけ? 資料別け手伝うってば」

「そうね、そうしてくれると嬉しいわ」

「むぅ、でもこれって別にななの仕事じゃないじゃん。はー真面目すぎで何も言えにぇー。 鉄の女っぷりに磨きをかけちゃ出会いなんて望めないですよー、かける君の動画でも見て癒やされなさいな~」

「あ、かける君の動画が出たんだ……まぁその、昨日はそれどころじゃなかったのよ。ちょっとだけ信じられない事があって」

「は?なんですかそれ」


 ふざけた口調から一変。ななが顔を上げればひかりは背筋を正して警察官らしい問い詰める姿勢になっていた。

この変わり身の速さだけは凄まじい物がある。彼女だけの特殊能力と言われてもななは信じてしまうだろう。 同僚で同期のお茶目なこの娘は、今のちょっとした会話から嗅ぎつけたのだ。


男の匂いを。


 半年前には水野ななも執着していると言っても良い、かける君の話題をガン無視してしまったのだから、流石に判りやすかったのかも知れない。

男の話題より大事なものは男に関連するくらいのものだ。


「貴女だから話すけど、私はどうやら幸運にも100名の内の1人に選ばれたみたいなのよ。ちょっとプライベートなものだから、デバイスに送信するわ」

「幸運?100人に一人って……」


 疑問に思っている間に一枚の写真が送られてくる。

パッと見通した一瞬で速読し、周囲にも分かってしまうくらいにひかりは喉を鳴らして眼を丸くした。


「婚姻!?」

「ちょっと! 声!」


 立ち上がって大声で叫ぶひかりは、衆目を集めてしまった。

一斉に鋭い訝しげな視線が集中し、水野ななは慌ててデバイスに顔を落としたまま固まっている友人の肩を掴んで、連行するようにして外へと逃げ出した。



「ずるいずるいずるい! ずるいよ! なんでななには招待が来て私には来てないのよ~~~~!成績も経歴も誕生日も変わらないのに!同じ日に産まれたのに!生まれたのは格差かよ!おかしいだろ!」

「そんなの知らないわよ! 私だって目玉が飛び出すほど驚いたわ! おかげで一睡もでき無かったんだから!」

「くそが! 睡眠を削って男と結婚できるならもう一生寝ねぇけど?!」

「アホな事を言わないでよ……」

「アホでもいいもん!ううぅ~~警官としての成績は一緒なのにどうしてなの。私の胸が大きいのが悪いの?容姿だってそう変わらないし……やっぱおっぱいかな?おっぱい削ってこようかしら。うううううぅぅぅぅ、ずるいよぉぉ、どうせ行くんでしょ~~~?」

「ま、まぁ……こんなチャンスはもう無いだろうし、悪いんだけど行くつもりよ」


 男性からのアプローチなど、男女の比重が女子に偏っているこの世界では殆ど天変地異と変わらない。まして27歳。もう期待もしていなかった所にこれだ。

捕食行動という文がかなりノイズであり、何かしらの暗号なのではないかという可能性も考えているが、今のところは不明だ。


 パっと思いつくのは品性のカケラも無い下世話な物だったが、流石に男の子がわざわざアレの話言及するとは思えないので今のところは除外している。

重要なのは 『一時的な婚約者として選出したことを報せる通達書』 と明確に男性の手書きの字で記されていることだ。


 これはある種の証明にもなる。

男性が己の手で、婚約者として認めた証左。

その一人に、水野ななは含まれているのだ。


 女性は男性との出会いが年齢を重ねるにつれて少なくなる。

中学校までは男性も義務教育を受けるので、少ないながらも出会いはあるのだ。

ところが、高校に進学すると途端に男性の総数は目減りする。

25歳を過ぎる頃になると女性は覚悟を決める傾向になる。

もうチャンスは0とは言わないが、限りなくそれに等しいと言っても過言ではなくなるから。


 法律では男性は高校生になることは義務ではなく、代わりに健全な精液の提供が課せられるようになる。女性の方は高校までが義務教育になっている。これは社会を女性が動かす都合上、学力とコミュニケーション能力、他分野への知識や専門職の知見を向上させる必要性に駆られてだ。

 そして高校を卒業すれば、男性との出会いは、ほぼ失われた。少なくとも同年代の男性は希少種となる。東京はまだマシな方だ。流石に日本の首都なので男性もいろんな進路を考えて進路を取る傾向があり、大学生も存在してる。


 そうして、いよいよ社会人となって女性たちが飛び込むと、男性とは会えない。

これがもう本当に会えない。


日本の法律では20歳から30歳までの間に10人の女性との結婚が求められる。

 20歳の時点で、男性はとっとと自分の義務を終わらせて引きこもるか、あるいは女性によって封じ込められるのだ。

 実際には芸術関係や芸能関係、最近では件のかける君などの動画で露出なども見られるが、とっとと義務を果たしてしまおうとその時に身近にいる女性と妥協で結婚し、表社会から消え去ってしまうのである。


「決めた。 私も行く」

「え、ちょっと、それは駄目よ」

「どうして?この書面には友達と一緒に行動することは禁止されてないわ」

「ひかり、ちょっと落ち着いてよ。 ほら、ここに動画が送付されるってあるでしょ? 注意事項に含まれてたら……」

「うふ、その時は、一緒に泣きましょう!奥多摩の美味しいお酒でも一緒に堪能してしょっぱくなろう!」

「邪魔する気なの!? 私の千載一遇のチャンスを!?そんなの駄目ーーーー!」


 庁舎の裏で3分ほど、エリート警察官であるはずの二人が取っ組み合いを始めた。

やがてお互いに馬鹿らしいと感じたのか、衣装を正して荒い息を吐きながら謝り倒す。

この警視庁の同じ部署の中でも、一番の親友同士だと思っているのだ。

男の事とは言え、何も始まっても居ないのに喧嘩別れなどバカバカしいとしか言いようが無い。


 そんな彼女たちを見ていたかのように、タイミング良く水野ななのデバイスからビロンと通信音が鳴り響いた。


ひかりとお互いに顔を見合わせて、素早くデバイスに手を伸ばす。動画ファイルと、それを再生するための専用アプリのURLが記載されていた。

何も言わずに指がアプリをダウンロードする。淀みなく動画の再生ボタンをタップして―――


「か、かっこいい……」

「すてき……」

 

 動画を再生した直後、大学生くらいの男子が3人。中学生くらいの子が一人。画面に映る。

自然と視線が小さなスマートフォンの画面に集中する。もう他に何も見えなくなった。

眼福としか言いようのない動画の中で、まばゆい光線が迸ったかのように二人の警察官は眼を細めた。


 中心にいるのは霧鏡京介君。全身を白いスーツで固めてスラっとした手足が印象的だ。眉ほどまで伸びている前髪を掻き上げる姿は、網膜を焼いたと思うほど眩しさを覚える。

 その隣では屈託のない笑顔を見せている火渡一門君。裏表の無さそうな笑み。スーツの上からでも分かる程よくついた筋肉は凶器に等しい。

 火渡君の反対側で、メガネを掛けているのが井神真治君。ナチュラルな天然毛なのだろう。目元は優しく口元に称える笑みを浮かべて自分の髪の毛を指で弄ってる。何とも色気がある。本能がバチバチに刺激された。

 そして、彼らの邪魔にならないように少しだけ背後に身を引いている身長が低い少年。同じ人間なのかと思うほど目鼻立ちは整っていて、まるで造られたような美貌がそこにあった。


 少し大げさに言えば、神々が降臨したんじゃないか、と思えてしまうほどにその動画は衝撃だ。

そも、4人もの年若い男性が同じ場所で集まっている風景が貴重かつ衝撃的すぎる。

この絵面が凶悪すぎた。思考回路を焼き切りそうなほどの物だったのだ。


 政府が極秘に開発した兵器と言われても頷いてしまいそうだ。

もしも兵器として運用するなら、これは全世界に女性の意識を奪う武器として通用するだろう。

天にも昇るような心地の良い低音のボイスで色々説明していたようだが、言葉は分かっても意味がまったく浸透してこなかった。

きっと動画を見ている間、耳と脳が物理的に切り離されてしまったのかも知れない。

2度見ても彼らの立ち振舞に全神経が集中してしまい、何を言ってるのか分からなかった。


 認識阻害の効果もある兵器の説が、再び脳裏によぎってくる。

ここまで衝撃を受けているのは、男日照りだった期間が長かったせいか。

水野ななも伊那野ひかりも、高校卒業を経てからまともに男性を直視したことはないはず。

街で偶然見かけても、ほとんど一瞬だけ。

男性は視線に敏感なので、じっと見つめてしまうとそれだけであらぬ疑いを掛けられてしまうことも多い。 二人ともに警察なんて職業についてるせいで、そうした事案に引っ張り出された事も少なくない。


「あはは、ねぇひかり……私、この子たちの誰かから結婚してもいいって思われてるんだよね?ああぁ、夢じゃないかしら、こんなの、幸せすぎるかもぉ」

「よし、殺す」


 親友の捻りを加えたコークスクリューブローが的確に頬を捉え、錐揉しながら水野ななは吹っ飛んだ。


 即座に起き上がり、伊那野ひかりに飛び膝蹴りが飛んでくる。


 エリート警察官たちの第ニラウンドが始まった。 

 

 

 

 実を言うと、霧鏡京介含む三人の男性(なぜか動画の中には4人の男性が居たが)の招待を受けた彼女たちのような光景は、その日は珍しくなかった。

水野ななと伊那野ひかり、この二人の女性のように降って湧いた突然の幸運に、仲の良い友人へと相談という形で計画を知った者。

動画を開いたまま身体が硬直してしまい、その姿を不審に思われて知り合いや友人によって動画を覗き見られ騒ぎになって知られた者。

挙動が不審になってしまい問い詰められて白状した者など。

個々人のコミュニティで小規模な混乱を伴い、京介の計画は指名した100人に収まらず女性たちに把握されることになったのである。


 京介が指名した女性は100人。


 年齢層は15歳の現役女子高校生から30歳の会社員まで多岐に及んでいる。

この世界の女性たちは希少となった男性を手に入れる為に、あらゆる努力を惜しむことはない。

つまり、基本的に彼女たちは優秀であろうとし、男のことに関して言えばその努力は突き抜けていた。


「参加者は100人と指名されているけど、実際には彼女たちの友人知人を含めて合計で300人~500人が指定された奥多摩の会場に集うと思うわ」


 招待者の一人、藤村 あかねは実際に集まる人数は招待者だけではないだろう、という当日の混乱をいち早く感づいていた一人だ。

彼女も例に違わず動画を見て思考回路がぶっ飛んだところを、友人に咎められている。

そんな経験をすれば、男性が婚姻を前提に開く試験会場に招待者以外の女性が集まることになるのは容易に想像がついた。

指定されていた日時は6月7日。金曜日。

平日な上、奥多摩という郊外であるが、そんなの関係なしに集まってくるだろう。



 この世界の男性がこんなアクティブに行動を起こすことは無いのだから。


 たとえ最初から100人の招待から弾かれていようと、何かの拍子でもしかしたら、男性に見初められるチャンスが舞い降りてくる可能性は0ではない。

行かなければ可能性は0。ソレ以上の可能性があるならば仮に結果が無駄足になったとしても死物狂いで藁を掴みに来るだろう。


藤村あかねが逆の立場なら、必ず招待者へ嫉妬しながらも一縷の望みをかけて現地へと向かうと思う。


「招待者は送られてきた黄色いリボンを手首に巻くことになってる。で、みんなも当然巻いていくのよね?」

「もちろん。何度も確認したけど、友人の参加とかには特に言及は無かったでしょ」

「ごめんね、あかね……でもごめん。本当ごめんだけど、私は行くから」

「まぁ謝るくらいなら来ないでほしいけど、どうせ他の参加者も友達とかは連れて来る……っていうか無断で来るだろうから、むしろ一緒に行動してもらったほうが良いかもね」


 今、友人である彼女たちを拒絶するのは賢い選択とは言えないかもしれなかった。

粛々と100人の招待者だけで集うならば良いが、残念ながら男絡みでそんな殊勝な事をする女は居ないだろう。

まして、霧鏡京介、火渡一門、井神真治、ナナイの4人の男性はそれぞれに違った魅力を放つ若い青年たち。

意識を失わず、話してる内容を確認するのに苦心したが、確かに知り合いを連れてくるなとは一言も言われていない。


 そうなってくると友人たちを遠ざけるのは、現地で集まった時に不利になる可能性がある。

男を求めるのは女の本能みたいなものだ。着飾るのも努力するのも権力や金を集めるのも、全ては男性に振り向いてもらうためにしている事である。

 男の居ない世界は地獄なのだ。それは彼女らに関わらず、世界で共通の認識ともいえた。

実際、男性が居ないせいで滅びた国があるくらいなのだから。


 話を戻すが例えば、本来の招待者を蹴落として成り代わる等の方法を取ることは考えられる。

説明の中で遅参すれば、その時点で参加の意思無し、と判断される。これは最初に通知書として書面に記載されていることでもあった。


「参加資格を捏造。あるいは、招待者を脱落させる。このくらいは絶対にしてくる人も出てくるよね」

「逆にしても良いってことでもあるよね?」

「言及はされてないから」

「想定しておくべきね~。あーやだやだ。また女同士で腹の探り合いだわ。同時に、私を護ってもらわないと皆の可能性も潰えるから、ちゃんと守ってよ?」


 あかねの説明に、友人たちは鋭い眼差しで頷き合う。


「当日必要なものをリストアップしたけど漏れがないか確かめて? 三人でトリプルチェックしよ」

「私はネットで直近で買われた購入履歴のログも印刷してきた。殆どは捨て垢での購入だから他の招待者の特定は無理だった」

「えーっと、友人が狩猟用の銃の許可持ってるんだけど。実銃もその気になれば手配できると思うんだ。どうする?」

「流石にそれはちょっと。誰かを殺しに行くんじゃないんだから」

「それに実銃なんて持ってて警察にパクられる何て事になったら笑い話にもならないから却下。用意するならエアガンで十分かな?」

「武器を用意するのはあくまで保険。やられたら、やり返す用で用意するだけだもん」

「人目があるところじゃ大ぴらに出来ないしね。奥多摩の山間部だから不埒者をとっちめるだけの自衛用にしないと駄目だよ」

「そか。じゃあそっちは連絡しないでおく。あかねの持って来たソレは何?」

「イソフルラン、デスフルラン、セボフルラン、亜酸化窒素。一通りの麻酔に関する薬品は必要な分は確保してきたのよ」

「あかねの医者としての立場が活かせるね」

「エアガンとかも持って行こうか。他にも薬品が他に手を回らないように工作する必要があるから忙しくて」

「手の届く範囲だけでもやっておかないとね。出し抜かれるのはゴメンだし」

「提案。一人は手首に巻く黄色のリボンを直前まで外しておいた方が目眩ましになるんじゃない?」

「……うーん、微妙かも。あなた、当日にリボンを巻いてない女が一人きりで周辺をうろついて居た時、どうする?」

「……」

「……安全を取ってヤっておくかも」

「とはいえ、もともと住んでいる人に危害があれば騒ぎになる。難しいところ」

「バレたら婚約者でも無くなるだろうし、リボン無しは泳がす。最悪に備えて必要があれば……ヤルってことで」

「ええ」

「OK」


 テキパキとそんな物騒な会話が矢継ぎ早に繰り出されては、恐ろしい速度で詳細が詰められていく。

そして時折3人で動画を鑑賞し悶える。


 このような事は藤村あかねという招待者だけの話では決して無い。

多かれ少なかれ、100人の招待者が100人の知人友人を巻き込んで、100億ドルを盗みに銀行へ向かうような気概に満ちていた。



このような事態まで発展することになるのは、女性の立場であれば容易に想像がついたことだ。

残念ながら、男性には想像のできない---女性にうまく隠されている---世界の話であったのだ。

前日の集合、そして徹夜での現地への参加は禁止されている。

しかし、その当日の朝。0時以降に関しては制限が無かった。

故に彼女たちは、そこからがスタートだという共通認識がある。


だが。


 京都出身の女性、観桜 つぼみは長い薄ら白い髪を揺らしながら、誰も居ない舞台の上で足を擦る。

特徴的な脚運びに、その態勢。飾り付けられた着物の上に、多くの装飾を身にまとう姿は華美であった。

同じ所作を何度も繰り返し、その姿は何かの真似を繰り返している様に見えた。


招待者として届いた動画を見てから、彼女は自分が普段している事を何度も繰り返して平常心を取り戻しつつあったのだ。

一心不乱とも言えるように、繰り返す舞台の上。彼女よりも少し年嵩な女性が灯りに気が付いてやってくるまで続けられていた。


「おやおや、つぼみさん。 まだいらっしゃったんですか?」

「あれまぁ。かんにんえ。もう外はこないに暗なっていらっしゃったんどすなぁ」

「何かあったんですか?公演は先ですのに」

「言いたいけど言えしまへんなあ。いけずをしてる訳とちがうんどすえ?」

「ふふ、良く分かりませんが、良いことがあったのですね。良かったですね」

「うぅ、やっぱし顔に出てますのんね?おばちゃんには叶わしまへん」


 頬に両手を当てて首を振る。そんな恥ずかしそうに首を振る尋常ならざる姿は、男性に関わる事だろうなぁ、とつぼみに話しかけた年嵩の女性は微笑ましく見守った。


 稽古を終えた手が震えている。つぼみは誰に言うでもなく、ひっそりとスマートフォンを両手で重ねるようにしてカバンの中に入れた。

能楽という狭い世界で閉じようとする道。男性との関わり合いに能の未来を見れるかも知れないと期待する観桜つぼみのような女性も多かった。


「当日はどれほどやかましいか、今から良う思いつく。こっそり行かなあかんどすなぁ」 


上部に着けられた窓から差し込む月明かりを眺め、困ったように観桜つぼみは扇子を口元に沿えて微笑んで言った。



そして。


「宇津木さん」

「はい……あっ、はい!」

「大丈夫? 最近ちょっと上の空気味だけど」

「えっと、どうしても最近気になってしまうことが出来てしまって」

「あらら。ふふ。男の人のことかしら?この大学にも、数は少ないながら男性はいらっしゃるものね」

「えっと……ごめんなさい。 せっかく時間を個人的にとって貰って専門的な話をしてくださってるのに」


 曖昧に笑みを浮かべながら、宇津木こころがお世話になっている大学の教授は、そんな彼女を見て苦笑を零した。

宇津木こころは知覚情報処理というIT分野の専門職に就くための進路を取った。

熱心に広義に参加している彼女は、男性から声を掛けられることも学内で何度か経験するという、同じ女性ばかりのこの大学内で、嫉妬に晒されることが多い才女であった。


「何度もデバイスで確認してるのはカレンダーでしょ?それとも動画とかかな?男の人と何処かでデートの約束でもしたの?」

「えっと……あはは、ごめんなさい。少し言いづらくて」

「いいのよ。私はもう年齢が年齢ですからね。人工授精で子供も居るし、夢は見ていないもの」


 教授はもう60歳になる。流石に男性とドウノコウノという夢は見ていなかった。

ただ、宇津木こころの年頃であれば異性との交流は何に置いても一大事、という事は理解している。


「何時頃?」

「えっと、ちょうど1週間後です。ごめんなさい。ちゃんと集中します」

「ふふ。いいの。宇津木さん、報われると良いわね」

「はい、ありがとうございます」


 宇津木こころ、観桜つぼみのように、誰にも詳細を知られる事なく静かに当日を待ち続ける。

そうして暮らす招待されている者たちも確かに居た。




 来る 6月7日。


 女たちの決戦の日は着実に近づいている。




 


「しまったな」


 計画日が迫った前日。 霧鏡京介の困ったような声が聞こえた。

ナナイがそっと覗けば、大量の食材に囲まれて台所に立つところが見えた。


「京介、どうしたんだ」

「ナナイか。いや、昼食を作ろうと思ったんだが」

「? 作れば良いだろう?食材は十分以上にあるようだが」

「これは明日に使う物だ。足りなくなると困るので手をつけられない」

「そうか、これは明日の試験に使う物か」


 明日はついに京介の計画の実行日、6月の7日になる。

100人の女性と相対する日だ。ナナイも緊張している。


 すでに火渡一門も井神真治も、京介の拠点に集まっていて準備を進めているところ。

京介が課す試験の内の一つに料理の項目がある。100人の女性は家の前の開いた広場に集められ、野外で調理が行われる事になっている。

女子たちが作った昼食をそのまま頂いて、選別試験に移る予定でナナイもどういう食事を出来るのか楽しみにしている物だ。


 そのための食材を手配したは良いものの、そちらに気を取られすぎて自分たちの食料が尽きかけている事に今、気づいたという。

ナナイは一日くらいなら断食しても問題はない、だが京介は火渡や井神にひもじい思いをさせるのは避けたいようだった。


「外部からの接触はなるべく避けたいからな。今から外食に出るのも……この辺だと車が無いと移動が面倒だし、女どもに見られて騒ぎになるのも億劫だ……」

「そうか」


 手首に装着された端末を見て、周辺のドローンの状況を確認してから口を開いた。


「それなら、俺が食料の現地調達にでよう」

「良いのか?」

「もちろんだ。10分もあれば捌くにしても、血抜きにしても、人間に害のある寄生虫の排除も含めて、調理する知識を引っ張り出せると思う」

「よく分からんが、頼まれてくれるならありがたい。昼は良いから、夜に食事ができるように手配を頼む」

「分かった。期待してくれ」

「門限は19時くらいにするか。気を付けろよ」

「大丈夫だ、任せろ」


 踵を返して部屋を出る。

早速、狩りの準備に取り掛かろう。

エントランスで火渡と挨拶を返しながらすれ違う。今日の夕飯はちゃんと確保するからゆっくり待っていてほしい。

そう伝えると、ちょっと待てよ、と火渡は俺を留めてきた。


結局、彼に連れ戻されてとんぼ返りしてしまう。


「ナナイ一人で行かせるなんて、そりゃないぜ京介」

「一門」

「一人で夕食の確保に行かせただろ?俺の護衛たちも今、こっちに向かってるからアイツ等に買わせるよ」

「そうか……それなら、頼むか。逸った女がうろついてるかも知れないからな」

「あー、当日集合を注意はしたとはいえ、早めに来る女も居るかもな。って、分ってるなら尚更ナナイを一人で行かせるのは愚策だったろ?」

「まぁ男が居たからと襲うような奴は問答無用で失格だ。言っちゃなんだが、僕たちはモテるだろ。結婚できるチャンスを棒に振るような真似を、女はしない。だから、安全ではある」

「そらそうかも知れんけどよ、担保扱いすんなって」

「山奥だからと軽率だったのは認めるよ。すまんな、ナナイ」

「いや、いいんだ。それより、火渡一門。その護衛との合流時間は?」


 ナナイも勿論、護衛の人数と名前を含めたプロフィールは把握していた。順調に事が進めば、ナナイが初めて触れ合う人間の女性は彼女たちになるはずだからだ。


「もうそろそろじゃねぇかな。わかんねぇ。もう少ししたら定時連絡の時間だし、その時でいいだろ」


 火渡はナナイの身が心配のようで、顔を顰めていた。

もちろん、京介も彼が危険になるのは本意ではない。同じ同性の男なのだ。世界でも少ない男性同士、仲間意識は当然もっている。

だが、京介の計画では言い方をあえて悪くすれば男は餌。

霧鏡京介という自身もそうだし、火渡一門も、井神真治も。予定にはなかったナナイという男も、全ては京介自身が 宇津木こころ という女性を手に入れるための餌なのだ。

男が多ければ多いほど女たちは、この京介が計画したイベントが本気であると思ってくれる。


 火渡も井神も、京介に協力するだけのメリットはある。

彼らも京介同様に20歳になる男。つまり、30歳までに結婚相手を決めなくてはならない時期に差し掛かっているのだ。

そうだ、10人の女を選ばなくてはならない。


10人。

多すぎる。


この世界は20歳になって10人もの女性に懸想する男の人間など存在しない。

男性側からの意見を言わせてもらえば、10年間で10人の女性を娶るというのは多くの負担が心身に伸し掛かるものだった。


 結婚は法で義務化されているので、無視することもできないし、向き合わない訳にもいかない。

20歳になる前、多くの男性はこの10年に10人と結婚するという壁に対し、大きな重圧を抱えている。


 単純に1年間で1人の人間と、生涯をともにする伴侶として選び、決断をしなければならないという事である。


 仮に成人してから出会った女性と、1年間だけの交流だけでその人となりを理解しろというのは無茶な注文だ。

人間は数年もすれば別人のように変化してしまう人も居るし、そもそも上辺だけの付き合いになりがちな浅い付き合い方でその女性の本質を理解しろというのも無茶な話。 それまでにお互いに恋をして結ばれるような関係の女性と結婚出来て居れば、まだマシな方だが、そんな関係を築き合って恋愛結婚できた男女は歴史上でも稀である。


 殆どは法と義務の条件を満たすため、男性は我慢を強いられる。そして早くに10人の女性と結婚できなければ、際限なく女が周囲を無限に沸いてきて蔓延ってくるのだ。

婚姻が遅れれば遅れるほど、その傾向は増していく。

女たちは男に見初められ結婚相手に選ばれようと、男の周辺であらゆる駆け引きが行われる。そうなってしまうと、もう男側が女性を選ぶなんて事を真面目にやれなくなる。

女性が主導権を握り、勝手に相応しい者が決まっていく悍ましい構図が現れるのだ。


 だから20歳になった男性はなんとなく近くに居る適当な女を見初めていく、というある種の悪循環が始まってしまう。



その事実に火渡一門も井神真治も気づいている。



 女性は男と結婚すると深く満足する。

男を得ることが彼女たちの人生の中で最大の幸福であることが殆どだからだ。

私は男を手に入れた、と周囲の女性へとアピールするようになるのも一般的に見られる事象。

子供の頃は何も知らなかったし、気づかなかったから気にしなかった。

だが気づいてしまった。

女性は男であれば基本、誰でもいい。

 

 全ての人がそうとは言わないが、京介が俯瞰して見た世界は男という道具を手に入れることで格差を生むのが一つの目的に見えてしまうのだ。

大っぴらに言う奴なんて誰も居ない。だけど暗黙の世界がそこには広がっている。


 男の居ない女性と比べ、男を手に入れた女性とでは見えない格差が生まれている。

制度や法律一つとっても、それは容易に比較することができる。男性を囲うだけで、その優遇措置は女性にも適用されるから。

男を手に入れた女性同士でも争いはある。どちらの男のほうが上かを水面下で競い合うのだ。

女性の熾烈な戦いが始まってしまえば、最初から男に選択権はない。

もし選択できるとしたら、結婚できる女性の人物を見定めて、自分を大事にしてくれる人であることを願うだけである。


 そんな現状も近々、大きな変化をしようとしている。それも男性にとって悪い方だ。


 男性を管理する法。


()()()()男性管理法が導入されるかも知れない、というもの。

まだ議会にも提出されていない、噂だけが独り歩きしている法案だ。元々は華国から始まったもので、ある意味男性にとっては監獄みたいな世界になる。


 案が出ているだけとは言うが、京介は知っている。


 京介の母親の一人は、野党の党首。政治家である。

去年の年末に、男性を女性が管理する社会にするべきだという案が本格的に持ち上がった。

男女比率の問題は世界的な人口問題でもある。人工授精の技術はいまも発展をしているが、それでも安全性や成功率などを鑑みると十分ではない。まして男性が生まれる確率は年比率で右肩下がり。


 男性の精子の総量もまったく足りていないのが現状である。


 管理法が正式に承認されれば、男性の自由は加速度的に縛られることになるだろう。京介が計画を実行したのも、それをいち早く察知したからだ。


「男は女の言いなりだ。社会を動かしてるのが女性だから、そこは仕方ない部分もあるのは理解はしてるんだ」

「その話は何度も聞いたよ、京介。俺だって分かっているさ。上等な餌扱いってのはやめてほしいけどな」

「……だが、客観視すれば事実はそうなる」

「俺が京介を餌に便乗してるって捉え方もあるだろ」

「やめよう、その話は不毛なだけだ」


 肩を竦めて火渡は笑っていた。

ナナイは彼らの会話から感情を読み取るのが難しかったようで、難しい顔をして黙り込んでいる。

 

「一門、僕達のような男は、男として生まれてしまった以上、飲み込むべき事は飲み込まなくちゃいけない」

「ああ、意思まで奪われたら人間ではない、だろ?結婚相手の選定を急ぎたくはないけど、管理法なんてものが出来る前には終わらせたいよな」


 ソファーに深く座り込んだ彼は、深い溜め息を吐き出すようにして首を振った。

京介は政府関係者の母親が居る。男性管理法についての情報を早くに手に入れられたのも、その関係があったからだ。

今回、京介が結婚相手の候補として選定した人間に、政府関係者は一人も居ない。

幸い、火渡や井神がピックした女性たちにも混じっては居なかった。


「そういえば京介。昨日の夜に気づいたんだけど、100人の招待者以外の女がくっついてくる可能性ってあるよな?」

「ん?ああ、それか」

「噂とかが広がって集まってきたら、どうするんだ?」

「問題ない。俺は100人分の女の公開されているプロフィールと、その顔は全て頭に刻み込んで覚えている」


 ヒュウ、と口笛を吹いて感心する火渡に、京介は照れくさそうに鼻を掻いた。

京介が選んだ女性はもとより、二人の友人がピックアップした女性の顔は全員分を脳裏に叩き込んだ。

顔も名前も趣味も経歴も、100人分の情報を今すぐ暗唱してみろと言われても出来る自信があるほどには。

ちなみにナナイも100人の情報はデータ化してある。

船体へと戻って直接脳内に叩き込むことで、全員分を把握はすぐに出来る。


「こんな前例の無い計画を実行しようっていうんだ。僕だって生半可な気持ちじゃないつもり。失礼のないように、女性のことを知るのは男の役目だ」

「そうだな……京介はそういう奴だ。だから好きだぜ、俺」

「すごいな、京介は。そういうことなら、俺も後でちゃんと脳に焼き付けておくよ」

「やめろ。褒めるな。そういうのは苦手だ」

「はははっ、分かってる。わざと言ってるんだ」

「この野郎」


 そう言って火渡は振りかぶった京介の拳をひらりと椅子の上で器用に避けると、そのまま一回転して立ち上がる。

手元に資料を抱えて、怒るなよ、と手を振った。


「ちぇ。君だってそうじゃないか。一門。 その資料は君がピックアップした女性の公開プロフィールと写真だろ」

「おう、そうだぜ。京介に比べりゃ不真面目かもしれないけど、俺だってそれなりに真剣だ。失礼のないように、頭に叩き込んでる最中だよ」

「くそ、誂いやがって。隠してたサンドイッチはお前にはやらん、僕が食べさせてもらう」

「ちなみに真治も同じように資料とにらめっこ中。確か俺の方に一枚、真治の分のが混ざってたんだよな」


 そう言って、火渡は資料から何枚か紙を取り出した。


「ああ、これこれ。 この子だ。大河内かすみ。 プロゲーマーだって」

「ふうん、そういえば居たな。真治の女だったか」


 対して興味も無さそうに、京介は言った。火渡も苦笑するだけで特に咎めはしない。

選んだ女性の傾向に、男たち3人は互いに干渉しない約束だったからだ。

井神も何か考えが在って、その女性を婚約者としたのである。横やりは無粋だろう。


「もちろん、ここに来る前に自分の選んだ女は覚えてるだろうけどな。名前の綴りを間違えたとかで、真治のやつ覚え直すとか言ってたしね」

「そうか」

「俺もまだ全員は覚えてないからな~。護衛に連絡したら女のお勉強だな。うん。集中したいし、俺はいったん、部屋に戻るよ」


 言いながら部屋を出ていく火渡に、口を曲げていた京介も襟を正して居住まいを整える。

そして立ち去った火渡の後ろ姿をじっと見つめているナナイへと、声をかけた。


「ナナイ、お前も将来のことはちゃんと考えたほうがいいぞ。まだ先だと思っても、すぐに成人する日なんて来るからな……もっとも」

「京介?」

「いや、管理法なんてものが成立するとは限らん。気にするな」


 ナナイは少しだけ考え込んだが、京介が何を言っているのかまでは分からなかった。

彼の脳に叩き込んだ記憶に、管理法などと大別される表現は無数にあるから。

窓から差し込む太陽に照らされ、中庭が明るくなった。

いつものルーチンから外れるが、今日は昼から読書の時間と興じるか、と京介は首を振った。


 読み途中の分厚い本と、女性のプロフィールのまとまったファイルを抱えあげ、京介はお気に入りの椅子まで移動していって。


「俺も一度船体に戻るか……」


 ナナイにもやるべき事が増えた。

計画を失敗しないためにも、いくつか思いついた事は余裕があるうちに全て終わらせておくに限る。

まずは、招待した100人分の女性のデータと、火渡が雇った護衛に来る女性のデータを頭に叩き込むべきなのだろう。

女性を手に入れるというアダムプロジェクトの成功のために、全力を尽くさねばならないから。





『距離二二〇〇。中型の四足歩行の獣。惑星地球・日本地域での個体名称-イノシシ-。雄2体、雌1体、子3体の群れを補足』

『電極発射装置・惑星地球・日本地域での個体名称テーザー銃。狙撃体制完了。命令後、即時で発射可能です』


 AIからの報告を受けて、身を滑らせるように山間の中を駆ける。

宇宙から地球に降りる際に使った船体に戻り、獣を捉える為の装備を船に備え付けてある物質の等価チェンジャーで作ってきたところだ。

チェンジャーは必要な元素と質量を揃えることさえできれば、どんな物質も船体に登録されている設計図から物質そのものを作成できるナナイ達の種族の科学技術の結晶である。 


 地球で使われている兵器や武器などは全て登録済みで設計図も用意されている。 出来る限り現地の技術で用意できる道具を作った方が良いからだ。

今回、作成したのは非殺傷かつ無力化できる武器。

保険として人間にも通用する物を厳選して作ることにした。

ナナイが調べた結果、いくつかの候補が上がったが、地球で使用しても違和感の無いようにアメリカで開発・運用がされてすでに実績が証明されているテーザー銃を選択しドローンに取りつけたのだ。


 ナナイは改造を受けて人間に擬態している。

その身体能力は野生動物に対して格闘戦を仕掛けても1体や2体なら圧倒できるくらいのスペックは理論上有していた。


 走る速度は平地で100M7秒。握力は500kgを超え、10Mの高所を超えても、その体の頑丈さから衝撃を吸収し、ほとんど膝などの部位に負担を与えない。


 もともとのナナイの身体からそうだったが、改造を受けたことによってボディは衝撃に弱くなってしまっている。 それでも、多少の衝撃くらいでは、かすり傷くらいの損傷で済むだろう。


 今回の獲物である野生動物のイノシシ相手ならば10体を素手で相手にしようが負けることはない。

深い山林の中を高速で駆け巡るのも、改造された人間になって視野角が120度落ちた視界の悪さだけが問題なくらいだ。

 それでも、武器---特に遠距離へ攻撃できて身の安全を確保できる装備は必要だと考えたのである。


 地球、そしてそこに住む人類の調査を行ったのは艦長たちだ。四肢があり、顔があり、ナナイの同胞と近い『女』に類似した形である人間の女性体。

 意思があり、社交性をもって他者との交流があり、古臭い通信網が整備されている人間の技術。

あらゆる観点から最適にされ、人間と差異の無い形に【作り換えられた】シード候補生である試験体がナナイである。


 調べの上では人間の基準値を大きく上回っているはずの運動能力が備わっているはずなのだ。

だが、ナナイより先に地球へ降下したシード試験体は少なくとも、一人はいとも簡単に人間の女性に捕食されたのである。


 地球に降下後、人類にとってオーバーテクノロジーの塊である船体を破棄することがシップの命令だが、ナナイは重大な違反と知りつつもその命令を無視して、今はまだ船体を保持している。


 女が怖いからだ。


 デーザー銃で武装すれば、ある程度の危険は退けることをナナイは期待している。


少なくとも、安全な活動がしっかりと行えるようになるまで、換えの効かない船体は出来うる限り保持する予定である。


 そんな事を考えていると木々をざわめかせながら、大した時間をかけずにドローンの示す場所まで到着する。 イノシシの群れを目視で発見することができた。


 テーザー銃を準備し、ドローンに取り付けるのに2時間。

女性達のデータを脳に叩き込む作業にも時間を取られている。

空を見やれば太陽系の恒星が傾き、山間部とあって夜が近づいてきている。


明日はもう京介の計画の本番だ。

試験運用を急がなければならない。ぶっつけ本番で使用して、対象を殺害などしてしまえば問題になってしまうからだ。


「撃て」


 短い命令と共に、ドローンは俺の声に反応して即座に射撃を開始した。

タイムラグ1ミリ秒未満で圧縮された空気によって発射されたダーツ式の弾丸が、イノシシの皮の被覆に突き刺さって高電圧が放たれた。

ドローンの飛ばした銃弾針は4体のイノシシを的確に捉え、一体の雄イノシシが藪の中へと逃げ出していく。

時間を掛けた分、予測どおりイノシシの動きを封じ込めることは成功した。


 電圧の量も資料を参考にしたので、問題なく相手の筋組織を麻痺させているようだ。

ナナイは満足のいく試験結果に頷いていると、京介から渡された端末から音がなった。


 たしか、もしもしと答えれば良いはずである。


「もしもし?」

「あ、ナナイ様でございますか?私は火渡一門様の護衛の任を承っている、板野 みうと申します―――」


 瞬間。


 ナナイは手に持っているスマートフォンを放り投げた。


視界が反転するようにバランスを崩して。


バチリ! と頭の奥に火花が走る。


いや、脳の回路が焼き切れたように激痛が通過した。


 スマートフォンという機械を通してスピーカーから流れた音は、文字通り音速でナナイの耳朶を突き抜けて、物理的に破壊したのである。

仰け反るように後退して、ナナイは蹈鞴を踏んだ。

 

 視界が急速に暗転しつつあった。ぬるりとした感触が耳を抑えている手のひらを通じて出血を確認する。

 後方に流れる身体でそれを自認したナナイは、眼と耳を両手で抑えながら、ドローンへと指示を飛ばす。


「2機を周辺警戒!他は俺のもとに集え!」


 身体を丸めて地面に伏せながら、ナナイは緊迫した。いや、それしか出来なかった。

確実に命を刈り取る凶器を前に、うつ伏せの姿勢のまま必死に音源から遠ざかる。


 ドローンに周辺の警戒を指示し、自分の周囲を守らせつつ、ぼやける視界で必死に自分のバイタルへと眼を向ければ異常数値のオンパレードだった。

体内血流の異常、脳への急激な負担。沸騰するような痛みと耳と鼻、視界の回転による猛烈な吐き気と心臓の動機。そして眼球から出血が認められた。

 

 混乱する頭の中、シード試験体が成すすべなく女性に捕食された理由。

現状、身におきた体験と試験体226から齎された情報から、ナナイは正体を突き止めることに成った。



  ―――()()()()―――




 しっかりと解析しなければ確実なことは言えないが、地球に送り込まれたシード試験体を破壊した正体は、これだ。 おそらく、違いなかった。

地球での名称はヘルツ。音の帯域を示す単位だ。

1600を超える周波で、2000程度までの一定間隔の帯域は、ナナイ達の種の明確な弱点である。


 その周波の大きな音の波が来るとナナイ達の種族は身体構造の関係上、耳を通じて脳へ直接波動が浸透し脳が破裂する。 生命を脅かすほどの害となるのだ。

 まだ宇宙での暮らしが一般的ではなく、母星が存在していた頃から判明していることだった。


 だが、数百年という単位でこの種族に音による被害は無かった。

人間もそうだが、安全という物はとかくある程度成熟した文明では最大限に配慮される。 ナナイもまた、同様にシード試験体に選出されてから一度もその身に晒されたことのない脅威の類だ。


 種族特性とも言える。

その身体構造の弱点である音域など、最初から対策しているに決まっていた。


 だが、地球はナナイが過ごしていた調査船や訓練場とは違う。未開の惑星。当然、この周波の音をシャットアウトするような措置など取られていない。


この未開惑星は人類の環境にアジャストしているのだから、当たり前の話だった。


「うぅ……ぐ、あぁ……ふ、船に……!」


 間近でスピーカーに耳を当てていたナナイのダメージは相当なものだった。

まともに動くこともままならず、立ち上がろうとしても平衡感覚が破壊されているのか、バランスを保てずに転んでしまう。 泥に顔をつけ、判っているのに態勢を直立に戻す事が出来ない。


 幸いなのは、命そのものを失う事態には至らなかったということ。


 船にさえ戻れば、生体部品を素早く修復する回復薬が残っている。

まずは一刻も早く、生命の危機から逃れなければ。


 ぐちゃぐちゃに混乱している思考の中、明日には100人の女性が集まることが脳裏を過っていく。



―――100人も集まる?



 ただ一人の女性に、間近とはいえ行動不能になるほどの損傷を与えられた。100人が集まったら、その声はどれほどの波となる?

 人体構造は声帯から空気を振動させて音に変換する。それが言葉となって意味に変化し、意思疎通のコミュニケーションを可能とさせている形態だ。

音域を完全にシャットアウトすれば話は早いが、その場合は女性との接触時にコミュニケーションが取れない。女を手に入れるという至上命題に暗雲が立ち込める。アダムプロジェクトが……

 いや、今は後回しだ。

生き残ることだけしか考えてはいけない。


ナナイは山中の起伏の激しい地面を、出血部を抑えながら這いずって移動をする。

血が止まらない。直接被害を受けた右耳は、脳幹の一部の損傷を伝えるように失血をしていた。


 霞む視界でバイタルを見る。

現在の出血を続け推定致死量に到達するのは、時間にして1時間20分。

ナナイはほぼ山中に隠蔽してある船体に、亀のような速度で向かい片腕を動かし続けた。




 道中、幸いにも出血が収まって船体にようやく到着したナナイは、急いで身体の修復を始めた。

本来、専用の機材を通して取り込む身体、内蔵、脳に修復を促す経口保存修復液を無理やり喉の奥に詰め込んで胃から吸収を促す。

同時に身体の構造体を再修復するナノマシン注射を血液に注入し、視界と聴覚がだんだんと正常に戻ってきたところだった。


 周囲は真っ暗闇だ。

いや、まだ恒星の灯りを反射して星と月が地上を照らしているので、まったく0視界というわけではないが、恐らく真夜中である。

回復次第、やらなければならない事は山のように出来てしまった。


 痕跡を抹消するために這って来た場所は血痕を含めて処理しなければならないだろう。DNA検査などは地球でも普及している技術であり、細胞組成までは完全に擬態はできていない。

人間でないことが暴露されれば、アダムプロジェクトに大きな問題となる可能性がある。

人間の世界標準時刻に合わせた端末をちらりと確認すれば、真夜中の深夜2時半を示していた。


痕跡の抹消、女性の声への対策、100人の女性の迎え入れ、京介の計画。


ナナイは思わず悪態をつきそうになった時、ドローンからの報告にそこでようやく気づいた。

聴覚が今まで仕事をしていなかったせいで、遅れたのである。


『生命反応多数認められます。街道沿いに28名。山中に6名。麓には12名。いずれも人間の女性体の特徴と一致。一名、街道沿いに増加』


 光点は一つ、また一つと索敵範囲内に増えていく。

まるでナナイを追い詰めるように、その光点は増えて、周囲を囲うように広がっていく。


いつのまにか、周囲500メートル圏内は、人間の女に囲まれていたのである。

手に入れるべき、最も大切に扱うべき人間の女性が犇めき合っていると同時、音波兵器に包囲されたことを認識したのである。


「どうやら、眠れない一日になりそうだ」


 ナナイの額に、ひとすじの汗がたらりと落ちた。







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