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男女比1:0宇宙人 VS 男女比1:64地球人

一話あたり1万字~2万字くらいの分量であることを先に言っておきます。

5話分くらい溜まってます。

後ジャンルが判断できないマンですが、男女比ものではあるといいなぁ、て思ってます。



 チチチチチ……


 甲高い音は数字の変化をモニタに映し出して目まぐるしく変わる。



 映し出された対比は男性と女性の割合を示す数値だった。

 1:64という数字で固定される。男性1人に対して女性64人。固唾を飲んで見守っている誰かの深いため息が漏れた。


 部屋の中に一人の男性……見た目だけで言えば、中学生に上がったばかりくらいの少年はじっとそのモニターを見つめていた視線を動かして、対面に座っている中年の男性へと向ける。


「今この画面に表示させた対比は男女比である。 我々にとって地球という惑星はまさしく希望の星、ということになるな」

「はい、そのようです」


 とんでもない事になった、と少年は心の中で繰り返した。

 宇宙服に全身を包んでいるのに、少年はじわりと浮かんだ額の汗を拭おうとしてヘルメットにその動きを阻害された。




     




 宇宙での暮らしが当たり前になってからおおよそ6000年という長い歳月が経った。生存圏は一惑星から銀河全体へと広がり、更にその先の銀河へとドンドン生存圏を伸ばしていった我々には、種の存続において致命的な変化が訪れていた。


 命を宿す母体が居ない。


 『女性』 が生まれなくなる事。

 

 2000年前から緩やかに進んでいたこの事実は、500年前を堺に決定的となる。


 女性が居なくなったのだ。


 いかなる自然科学の観点から見ても、その原因は不明であり解決もできなかった。生物工学を含むバイオテクノロジー分野がどれだけ発展し、脳の機能の殆どすべてを解明できたとしても。

 数多の天才が多くの犠牲を払って人生の全てを研究に費やそうと。

 光の速さを超越して数百光年を移動できるFTL航法などを筆頭に、超科学力を得ていたにも関わらず。

 遺伝子情報を人工的に、そして倫理観を無視して組み換えようとしても、女性が生まれなくなるという状況を覆す事はできなかったのだ。


 女性を得るという試みは全て失敗した。

 そこだけは何も変わらなかったし、変えられなかったのである。


 この宇宙生命体にとって唯一幸いだったのは、人工授精機【イヴ】がかろうじて存在し、機能していたことだった。

 男だけしか生まれないが、過去の先祖たちが残した人工子宮はちゃんと稼働してくれて人口を維持することだけは出来ていたのだ。

 この人工授精機は、女性を失った現在では新しく作る事が出来ない。新しく製造するには生きている女性の子宮と卵子を産む身体が必要不可欠だからだ。

 少なくとも【イヴ】は最も重要な機械であり、1500年以上も稼働している事が記録によって明らかになっている。


 この長い歳月は、彼らの女性に対する知識を曖昧なものに風化させていた。



 事態が急変したのは100年前。

【イヴ】の稼働可能な期間は、どれだけ入念なメンテナンスと繊細な維持に努めようとも、100年ほどすれば機能を停止してしまうという衝撃的な事実が判明してしまったのだ。


 これは大変なことになった。

 さぁ、とそこで持ち上がったのが 《アダムプロジェクト》 である。実際には数百年前から経済的・政治的な理由を含め、様々な要因でずっと凍結されていた計画だったようだが、進退窮まったとでも言うべきか。

 女を完全に失い【イヴ】すらも稼働できなくなった。

文字通り後の無くなった宇宙人はこのアダムプロジェクトに持っているリソース全てを注ぎ込んで、種の存続を至上命題に計画へ取り組むことになったのだ。


 アダムプロジェクトというのは、母体になるかもしれないあらゆる可能性を手に入れる為に、考えられる 全て を試行する計画。

 少年はアダムプロジェクトの成功のために選ばれた、性交実験を目的として抜擢された試験体で、産まれた時からアダムプロジェクトの為に育成・訓練を積み重ねたシード候補生という存在である。

 種、という意味。これは先ほど説明を受けていた少年のような試験体の総称である。

 そして彼には識別番号が割り振られている。

 シードNO771。 これが少年の名前であった。


「さて、調子はどうだ、試験体771」

「は、良好であります」

「うむ。 見た所、お前は身体の作り変えに適合できたようで何よりだ」


 771は、地球に住む人間の男としての身体に作り変えられている。

もともと四肢があるし、顔もある。地球の支配者であるだろう人間という種族と、771達の身体には相違点は少なかった。変えたのは重力環境下の惑星での活動に適した物への変化が中心である。

つまり、作り変える箇所は少なかったのだが、未開惑星で活動するためにその環境に適した身体にしなければならなかったと言う事。


 本来の能力から17%身体能力が低下したが惑星重力下では逆に20%以上の向上が期待された。呼吸等の循環器に手を加えた為に心臓を含む内臓器官は宇宙空間で不自由になった。


 771達が本来暮らしている無重力での生活。

 そこと地球という重力下での活動は、あまりに違いすぎるのだ。宇宙空間に完全適応している身体では、惑星での活動に支障が出すぎる事を考慮した結果だった。

 なにより、人間との接触は地球上では避けられない。そして意思のある人間と接触する以上、人間との相違は無ければ無いほど良い。

 そうした判断での肉体改造だったのである。

 

 惑星・地球での潜入に適した身体に作り換えた反動で、多くの試験体が使い物にならなくなってしまったと思われた。


 艦長の言った 『お前は適合できたようだ』 という言葉でその裏の意味も察することができたのだ。


「771以外のシード試験体は、すでに地球という惑星に先行して送り込んでいる。 人数は6名。 お前が現地に向かえば、7名となる」

「はい、適合に時間がかかってしまい、申し訳ありません」

「いや、生き残ってくれただけでも良くやった。十分だ」

「は……ありがとうございます」

「うむ……残念ながら、長い凍結睡眠。目覚めたばかりの身体を改造し、地球で活動するのに適した身体への作り変え。 この負担に適合し、まともに活動を再開できたシード試験体は、お前を含めて7名のみだ」


 771はゴクリと喉を鳴らした。 

 この船でシード試験体は200人以上がいた。若さを保つ為に冷凍睡眠して航行していたのだ。

 身体を作り変えた結果、それに適合して生き残ったのはわずか7人だけしか居ないという。すでにどれだけの同胞に死者が出たのか、想像するのも怖いくらいであった。


 だが、そのくらいの犠牲は元から覚悟の上だろう。

771達のシード試験体の命は全て、 『母胎を手に入れる』 というアダムプロジェクト至上命題のために捧げられているから。


 考えなくてはいけない事は、死んだ同胞よりも手に入れるべき女のことだ。未開に等しい惑星に、7名のみの試験体だけで地球に居る人間と呼んでいる生命体とコンタクトしなければならない。


 あの惑星の支配者は人間という種だ。

 その男女比が1:64。


 人間の女性が我々の母体候補となれば話は早い。 人間以外にも、動物は豊富だ。メス個体の種は全て調査対象である。

ただ、人間は試験体と造形や姿形も一番似ているし、艦長が希望の星と言ったのも、それを見越しての発言だろう。

 改造されたシード試験体が人間の女性と性交し、その精液で受精することが証明できれば……思わず全身の肉体が緊張し、拳を握り込んで緊張してしまう。




「771、どうした?」

「大丈夫です」


 不審に思われたのか、少年は何とか息を吐き出して緊張をほぐす。


 シード試験体達は何としてでも母体候補を手に入れなければならないのだ。

 女性という存在が消え去って、正確な期間は不明だが500年以上は確実に経っている。古の記録を穿り返して、ある程度の女性の特徴は判明しているが、実態は本当のところはわからない。


「記録は読んだか?」

「はい。 調査対象となる地球に関しての報告書は、全て目を通しました」

「よし。30分後にテストを行う。 もう一度学習し、テストの準備をして待っていろ」


 そう言って宇宙服に身を包んだ中年の男性(彼はこの宇宙船の艦長であり、アダムプロジェクトの調査船を任された超エリートである)は離席して部屋を出ていった。言われた通りに試験の為の準備を少年は速やかに始めた。


 パネルを操作して学習項目を開き、コードを自分の首に繋ぎ合わすのだ。有線の小さな端子が中空にヒュっと飛び出したのを掴んで、うなじの近くにある自分の接続端子用の小さい穴へと接続する。

 すでに学習済みではあるが、万が一にも漏れがあってはいけない。

 地球という惑星の磁場・地軸・公転や自転、その星の環境、大気、組成。大地や自然現象。そこで活動するあらゆる生命体。主体となるのは人間。その人間が形成されている社会や組織のこと。 そして何より、そこに居る【女】という存在。


 全てを頭に叩き込んで、どういう習性を持っているのかを理解し、自分達の精子と適合できる 『母胎』 を探し出さなければいけない。

 人間たちが虫、魚と呼ぶものやクマ、コアラ等と呼んでいる、あらゆる生命体も『母胎』候補に当然入っている。アダムプロジェクトは、全ての可能性を追求することを要求しているし、それが試験体の存在意義だからだ。


 このアダムプロジェクトの調査船は50万隻ほど宇宙のあちこちに飛び出したはずだ。そして試験体771の乗っていたこの船も、超銀河団規模の移動を何百回も繰り返して、ようやく地球を発見したはずである。


 広大な宇宙で生命体を発見する。これは50万ほどの少ない船の数ではほとんど期待できない事だった。

 だが、見つけた。

 太陽系と人間が呼ぶ、その宙域に地球を見つけた調査船のクルー達に、試験体771はとてつもない敬意の念が溢れてくる。


 15歳になった時、コールドスリープによって時間そのものをすっ飛ばした少年には、どれだけの歳月をかけて地球を発見できたのか知る術はない。


 100年か。

 それとも1000年か。 いや、もっとかも。


 正常稼働する人工授精機【イヴ】の一つはこの調査船に積んである。下手をすれば、771達の種の生き残りは船に乗り込んだ者たちだけしか生存していないかも知れない。この調査船の艦長も、771は初めてみた。シード候補生として乗り込んだ時の艦長の顔と違ったのだ。


 少なくとも1世代は変わっているということになる。


 もしかしたらこの調査船の他にも、別の宙域、そして惑星で生命体を発見した別の調査船はあるかもしれない。

 だけど、その可能性はAIで計算したところ0.0000...........1%以下だ。つまり奇跡が起きなければまず不可能なのである。


 シード試験体達が乗り込んでいるこの船だけが地球を見つけた唯一の調査船だとしても不思議じゃないだろう。

 いや、そのつもりで771は考えて使命を果たさなければ。


 艦長は言っていた。

 地球に直接、調査船によるコンタクトを取る手段も最初は検討していたらしい。

 しかしそこにはあらゆる危険が潜んでいる。

 まず母体になりうるかどうかを調査しなければならないが、意思ある生命体……言ってしまえば『人間』という宇宙人との接触は初めてだ。

 もちろん、大気の成分や組成から同胞が地球で活動を初めて即座に死亡することは無いことは判明している。実際に調査の為に俺が地球へ向かうことが決まったのだから、そこは問題ないのだが。


 例えば、あの地球に住む生命体を宇宙船内へと誘致した結果、アダムプロジェクトの調査船に深刻なバイオハザードが起こり得る危険性は否めない。生命体の持つ細菌などは流石に超々距離からの観測だけでは不可能だった。

我々も知らない新種の厄災は、何処に潜んでいるのか計算できないのだから。




 アダムプロジェクトに参加した男たちは全員がその生命を、この計画のために投げ出している。

 しかし、目的を達成できずに死ぬことは許されない。調査船に乗っているクルー達を含め全滅すれば、希望の火が絶やされることと同義だ。事は慎重に、そして完璧すすめていかなければならないのだ。


 故に。


「準備はできたか、771」

「はい。 テストをお願いします。 艦長」

「良いだろう。 始めるぞ」


 左右にある機械から端子が伸びてくる。

 少年は逆側の首に端子を掴んでコードを接続した。


 問題形式で流れてくるデータ。

 艦長から出題された問題を高速で解き明かしていく。

 あらゆる分野、あらゆる地球に関する問題。 

 そして地球に住む少ないながらも存在している人間と呼ばれる生命体の男性。

 地球を支配している人間の……女性。

 2780万ほどの設問を20分ほどで全て処理し、シード試験体771はゆっくりと目を開ける。



「合格だ。よくやった、771。 70分後に地球へと向かう個人用船体に乗り込んで出発しろ」

「は。 ありがとうございます艦長」

「すでに知っているだろうが、我々の船は一度戻ることが決定している。人員・リソース・機材・調査船の耐久、それを含めほぼ全てが長期航行の末に帰還するだけで限界点となっているからだ」

「はい。承知しております」

「だが覚えておけ。我らは既に滅んでいるかもしれない。地球に残るお前たちが最後の希望である可能性を」

「……はい、艦長」

「うむ……」


 これは調査船のバックアップを期待できないことを意味している。

 地球のあらゆるデータを蓄積している船の援護を受けれないのだ。


 たった今、頭に叩き込んだ2780万にも及ぶ問題の正確な答え……つまり情報は60分もすれば殆ど全て忘れてしまうだろう。

 機械の補助が無ければ脳の限界値を超えてしまい、忘れないで居ると情報の渦によって脳がオーバーヒートして死んでしまう。つまりこの場で叩き込んだ情報はすぐに忘れることになるだろう。


 しかし艦長にテストされた事が、無意味かと言えばそうではない。

 忘れはしてしまうが、脳にはインプットされている。何かのキッカケがあれば思い出すことができるだろうし、それが容易になるように補助チップも771には埋め込まれている。

 シード試験体771……つまり少年がどれだけ地球に関しての内容を覚えていられるかは……彼の脳の出来具合次第、といったところなのだ。

 人間と殆ど変わりない構造を持つ脳である。自信は正直ない。

 頭脳に関して771は凡人であることを知っているからだ。

 

 なんにせよ、もう地球に送られたら調査船であるこのシップに帰ることは出来ない。 艦長の目を見て、シード試験体771は覚悟を決めてゆっくりと頷いた。


「人間が天の川銀河と呼び、この太陽系に帰還するのは概算16年後の予定である。これはかなり正確な数字だ。我らが滅びて居なければな……そのつもりで地球での活動を行え」

「は! 必ず母胎に適合する生物を地球で見つけ出し、人間と良好な関係を維持し、アダムプロジェクトの成果を出して、帰還することをお待ちします!」

「我々が答えを知るの何年後になるか。種が絶えているか、希望を繋いでいるか……それを知る頃には私は生きていないだろう。年若いお前たちに全てを託すのは不安だが……」

「は……大言壮語は吐けません。 しかし、困難は最初から分かっていることです、艦長。俺はやり遂げてみせます」


 艦長はそこで初めて笑った。

 強く輝くような、目の色が印象的だった。希望に溢れた瞳だ。

 771も負けじと、彼を安心させるように笑顔を作って彼の眼を真正面から見つめた。

 

ややあって、艦長は771の肩を叩く。


「ああ、期待しよう。 地球人に食われるなよ」


 艦長の心からのエールを受け取って、神妙な顔でうなづく。

 地球に居る人間の女性は、よく男を食いたい、などと彼らの通信網などで意思を交換しているのだ。

 艦長は戒めるように最後に忠告したのだろう。


 地球では 掲示板・動画・ネット・SNSなどと呼ばれている通信インフラが整備されている。そこで女性の発言であると思われる物の中に、捕食行動について自慢をしあう話がいくつか上げられていた。


 ぐちゃぐちゃにしたい (殺害を連想させる。この発言をした女性には凶暴性がある)

 男を食いたい (この手の発言は普遍的に見られた)

 下の口が~~ (女性には下にも捕食するための口がついている、重大な発見である)

 男をコマス (コマスの意味はまだ調査中だが、殺される可能性はある。 害意ある言葉かもしれない)

 〇〇して男性を逝かせてあげた (言語解析が間違って無ければ、殺したということだ。殺した事を自慢していると取れる発言。殺害意図は不明だった)


 などなど、主に男性に対して捕食を示唆する、不穏な言葉が昼夜を問わずに全世界で飛び交っているのだ。

 もちろんこれは頭に詰め込んだ情報の一片に過ぎない。

 政治や娯楽、自然科学や宇宙探究など分野を問わずに人間たちは無数のプラットフォームを用いて活発に交信している。


 電波を筆頭に惑星上を飛び交う通信の頻度は、驚くべき数値を叩き出しているのだ。

 毎秒、なんらかの情報が一惑星にすぎない青い星を巡る電磁の線を可視化すれば、それはもう美しい芸術品の様にも思えるくらいに。


 男性を殺す、あるいは害意を持って殺害するというのが日常的に行われている可能性には留意すべきだ。そう思ってしまうくらいには、女性は欲望の意思(おそらく食欲)を情報媒体に流し込んでいた。

 ただでさえ希少な存在となっているのに、同種族であるはずの男を捕食し、更に自分たちで種の存続が危ぶまれる行動に及んで自慢気でいるのは試験体771からすると、狂気の沙汰とも言える。

 人間の女性の思考には凶暴性が見え隠れしており、その意図は現在の調査ではまるで不明なのだ。


 だが、それでも、危険を承知で女を手に入れなければならないのだ。


 種の存続の為に、やり遂げなければならないのである。



「幸運を、771」

「は! 必ず」


 何としてでも、女を手に入れる。


 試験体771はこうして個人船に詰め込まれ、地球へと送られたのである。





      第一話 : 宇宙から来た男

       




 青い星が黒の中に浮かび上がる。目的地である地球の真上に到達したのだ。身を翻し、771は船外宇宙服に身を包むと黒の空間に飛び出した。

 一隻の個人探査船で吊られるようにして移動していく。端末の操作は外側からしか出来ないのだけが、この船体の弱点だ。人間大ほどの大きさのこの個人探査船は、771が唯一持っている個人資産とも言えるだろう。


 性能は高く、探査船単体での宇宙空間移動は太陽系くらいの大きさ―――およそ10万光年くらい―――その程度であれば3年もあれば一周することができるスペックを誇る。


 単船で大気を持つ惑星での降下も可能だ。大陸型の惑星であれば、隕石の破片とそう大差ない形で地球に降り立つことが出来るだろう。流石に一度重力環境のある惑星へ降り立ってしまえば、この個人船だけでは地球の成層圏を突破して宇宙に出ることは不可能である。


 つまり、降りてしまえば地球から宇宙には戻ることは出来ない。

 端末へと端子を接続すると、機械音を通してAIが立ち上がった。


『試験体771と確認。 ご命令を』

「地球への降下をアプローチする。 ポイントは……」


 そこまで言ってから、771は眼下に広がる地球をみつめた。


 真っ暗の中に浮かび上がる青と白、そして緑の球体。ずっとずっと過去の話、資料でしか記録に無く神話のような物になってしまうが、彼らにも母星はあった。


 この地球と同じように青と緑が敷き詰められた球体をしていたと、言われている。


 古書資料のデータの中でしか見たことのないその星と、この目の前に広がる地球という惑星に、771は不思議な共感を抱いていた。


 宇宙の上で浮かび上がる青いスクリーン。

 気づけば太陽風と地球の磁場に揺られながら、771は食い入るようにじっと見つめてしまっていた。

 どこか懐かしい気分を感じていたのだろう。

 見たことも無いというのに、今はもう失われた自分たちの母なる星を知らず想起してしまったのかもしれない。


 心を切り替える。


 地球は美しい惑星だ。 それは疑いようもない事実だが、試験体771のやるべき事はアダムプロジェクトの完遂あるのみだ。


 すでに試験体771が向かう直前に同胞が降下した地点は、地球上で発展している大都市ばかりである。

 英帝・露国・華国・米国・印国・オースティン大陸など。

 まだデータが更新されていないのか。同胞からは情報が共有されていないが、いずれも女性が多いところに降りて活動を開始しているに違いない。771も先行した彼らに習い、発展している場所や人口の多い所を選ぶべきだ。

 人口密度や都市開発度、地球という世界で人間という種が活動し、そこの交流点となる場所で残っているのは限られる。


 女性体を手に入れて、アダムプロジェクトを成功させるためには、少しでも可能性が高い方が良い。


「よし、俺は日本にする。安全をとって都市部に近い森林地帯が良い。 周辺の生命体……特に人間からは目撃されないようスクリーンを張ってくれ」

『了解しました。 検索中………データ照合完了。 日本首都・東京近郊の山林部。 奥多摩・丹波付近へ降下いたします』

「120秒後に始めてくれ」


 AIから了承を示すサインと音が響く。

 771は船の中に素早く戻ると、身体を保持するベルトを巻いて、身体を倒した。





 山間部の深い森の中。 

 今は恒星の裏側なので太陽の光は差し込んでいない夜。

 周辺に動植物は殆どおらず、密かに活動するには適した地点へ無事に降下した。


 船の大きさは全体で縦3メートル、横幅は4メートル。

 端末を開き、この大きさの物を隠蔽する為の道具を作り出す。同時に大気組成や活動に危険となりうる成分が無いかをスキャンした。


「窒素・酸素、水蒸気……ほかは微量成分。 地層はどうだ」


 手順に従い、もくもくと現地調査を進めていく。事前情報とは殆ど差異は認められない。771はちゃんと安全に地球上での活動ができる肉体を得ているようだった。


 水質の検査など、多岐に渡る項目を2時間ほどで完了させて、ようやく一息、というところ。周囲を改めて見回せば、豊富な植生の活動が見られる。

 もちろん、771には見たこともない植物ばかりだが、自然を笑みを浮かべてしまうくらいには感動する光景だった。

 一枚の葉を手に取り、表面をさらさらと撫でる。

 土を踏みしめ、その土を直接手で掬ってみれば、ミミズが数匹手のひらの上で藻掻いていた。


 ―――なんて力強い【命】ある星なのだろう。


 宇宙服の上からでは感触など分かるわけもないが、それでも力強い生命力を全身で感じることが出来た。


「素晴らしい。 ここは生きた星なんだな」


 生命を育む星というのは、広大すぎる宇宙においても本当に希少である。

 さらに己が種の母体となりうる豊富な動植物までも育んでいる可能性に満ちているのだ。地球という惑星を、試験体771はすぐに好きになってしまった。


 だが、いつまでも個人の感慨に浸っている場合ではない。

 試験体771はさっそく都市部に向かう準備を始めようと、土砂の中に埋もれた船へと近づいたが、通信が届いている灯りに気づいて足が止まる。


 緊急報告用を示す赤色だった。


 船体に備え付けられているマニュアルを取り出しながら、一つ呼吸を整えてから通信を受ける。


「こちらシード候補・試験体771。船体番号はE-1158765Å2Z。10分間の交信規定に従う。 どうぞ」

『なんて言った?試験体か? ぐ……ああくそ、シップは健在か? 俺は試験体226、交信規定に従うが、状況は逼迫している』

「肯定だ。状況を確認する。 我らの母船は地球発見の報告、および母体発見の可能性が高い地球に対して準備を行う為に支配している故郷に帰還した。 緊急連絡の為に通信を開いたが、試験体226。現地での交信は原則禁止のはずだぞ」

『状況のデータを送った、10秒以内に転送を終えるはずだから確認してくれ。こちらは華国という場所に降下して……すでに船体は放棄し、個人通信はこれで最後になるだろう』


 771の質問すら答えずに、要件だけを一方的に叩きつけてきた。

 声には焦りと動揺が見られて、ただ事ではない様子に眉を潜める。


「どういうことだ、なぜ機器を破壊する?船体を破棄するのは命令だから理解できるが、通信が最後とはいったい……?」

『はぁはぁ……俺はもうすぐ……ああ、食われる、彼女たちに。人間の女性は強すぎる。そして破壊的だ。 今、東西南北を60名以上の女性で封鎖されている。 逃げ出す事は不可能だ。すまん、俺はしくじった』

「強い? 交戦をしたのか?」

『はぁ……くっ、くそ、出血が止まらない』

「試験体226。どうした、しっかりしろ。気をしっかりと持て!」


 呼気を荒げる226の異常な様子に、771は焦る。

 そんな問いかけと共にデータの受信が完了したようだ。即座に開いて771は送られてきた情報の内容を確かめながら、尋常ではない同胞の様子を窺い続けた。


 試験体226のバイタルは、聴覚と視覚に著しい損傷が認められている。出血もしていた。

 耳と眼に大きな損壊があるのが分かる。771の声は最初から聞こえていなかったのかもしれない。どうして、こんな事に?


『一瞬だった。 近くで声をかけて振り向いたと思ったら、視界が真っ赤に染まって、後は何がなんだか……あれは避けようとして逃げられるものじゃない。誰が聞いてるのかわからないが、同じ轍を踏まないように、お前は気をつけてくれ』

「……」


 俺は試験体226が体験し、負傷したことに大きくの喉を鳴らしてしまい、すぐに返答することが出来なかった。

 試験体は全てが同じ学習を受けて地球に降下しているはずだ。その学習の中で、人間は銃などの武器を用いて短い平和な期間を得ては繰り返し闘争を行うことは知っていたが……226は正体不明の攻撃を受けてしまったと言う。


 771とまったく同じ情報を手に、それを活用しているにもかかわらず、僅かな滞在時間で任務に失敗してしまったという事実がここに残った。


『なぁ同胞よ。俺が失敗したと思われるデータを全て送る。僅かな情報だが、活用しアダムプロジェクトの成功に役立ててくれ』

「何を……試験体226、助かる見込みはないのか? 俺はまだ船体を放棄していない。 バックアップは可能だ。 くそっ、聞こえてないのか!」

『いいか、お前は慎重に動いてくれ。 ヘタをすれば場所を特定されて人間の女に囲まれて……へへっ、それで終わりだよ。 そして、ああ、女性たちは俺を食おうと距離を詰めてきてるようだ。時間はもう、ほとんど無いようだ』

「くっ……そう、か……」


 諦念というのだろうか、苦笑するような試験体226の発言に771は何も言えなくなってしまった。

 もとから命を捧げたプロジェクトだ。771の存在も226の存在も、全ては生まれた育った時から決定づけられている。人間の男に扮する肉体改造の時点で失われてもおかしくは無かった命だ。


 地球に降りた時点で試験体226は大きな役目を全うしたとも言えるだろう。

 だが、771は同胞を失うことに悲しみを覚えた。

 仲間を失う事は覚悟していたが、こんなにも早くにだなんて想定外であった、というのもある。


 モニターに視線を走らせる。彼は数多の生体反応の光点に囲まれていた。

 何にせよ、試験体226は彼が言ったとおり多くの女性から詰め寄られているようだった。立て籠もっているのだろうか。 試験体226のとどまる場所の周辺には、夥しい赤の交点が集結しつつある。

 

 人間の女性は男を食らう、という彼女たちの通信インフラからの発言は、真実であるということが証明されてしまったとみて良いだろう。


『俺の失敗は降下後、最大効率で女性の人間の前に姿を表してしまったことだ。他の試験体とも地球に降りてからは交信はできなかった。つまり……』


 771は声に出すことが出来なかった。

 これが226の最後の遺言だと気づいていたからだ。


『きっと同じく、失敗したんだ。殆ど生きている見込みは無い。一つだけ確かな事は、俺達は人間の女たちに敵わない』

「……」

『お前に通信が繋がったことが幸運だと思うしか無いな。断言はできないが、生き残るのに役立つ情報が渡せていると願っている。 確認を取る時間を確保できずにヘマをした俺の代わりに、お前と……シップから来る後続にはくれぐれも軽率に人間の女性と接触するのを控えるよう、警告してくれ』

「すまん、俺の個人通信記録に残したい、10秒くれ」

『……なんて言ってるんだ? すまない、聞こえないんだ。20秒後、俺が提案するプランのデータを送信する。 その後、全ての通信を閉じて俺は機器を全て破壊して彼女たちに食われることになるだろう……なぁ』

「なんだ」

『後は頼んだ』

「了解。君の命は俺がつなぐ」

『何も聞こえないが、ありがとう。 幸運を』

「ああ、幸運を」


 きっかり宣言通り20秒後。

 試験体226からの最後の通信。

 彼の実行したプランは771が思い描いて想定した物とほぼ全てが一致していた。

 226が命をとして通信してくれなければ、771も彼と同じ様に即死し、アダムプロジェクトは失敗してしまっただろう。


 226の修正案は以下の通りだ。


 まずは姿を隠しつつ周辺の人間の男を探し出す。

 男の集まるコミュニティは、女の人間は容易に手を出しにくい環境が整っている可能性が高いらしいのだ。あくまで試験体226の予測と僅かな人間との交流実体験に基づく観測結果らしいが、信頼に足る情報と言えるだろう。


 無事に人間の男との関係を築くことが出来たら、女の人間へと徐々に社会的な繋がりを形成する。

 絶対に急いで仕掛けてはならない。

 また、女性の攻撃は目視することが不可能で、一瞬で脳内をシェイクするような激しい痛みと目眩、そして神経系統・内臓を破壊して出血を伴う。下手をすればすぐに捕食されて試験体226と同様の結末を迎えることになると予測された。


 他にも幾つかの注意点や気をつけるべきことを完結に述べて、試験体226は宣言通りに機器を破壊したようだ。

通信が完全に途絶えて、試験体771は立ち上がった。

 試験体226は後続にも同じ話をしてくれ、と言っていた。残念だが、シップが離脱した今、後続は居ない。


 まだ試験体226の安否……いや、あの状況では怪我をしている事を考えれば逃げ切ることは不可能だろうが。

 俺より先に降下してしまった試験体も、彼の予想通り恐らく……


 胸の前に手を当てて、そっと目を瞑った。


 771は黙祷を捧げた。


 同胞たちの為に、10分以上の時間をかけて心の底からの悲しみを飲み込むように。


「試験体226、貴重な情報を感謝する。 必ず俺は計画の為に成功を掴んでみせる」


 口に出して宣言したことで、ようやく気持ちが少し落ち着いた。


 情報を整理し、周辺の地理を頭に叩き込み、この日本の常識を船体プラグから首に差し込んでインプットする作業に没頭。

 だが、この学習情報は試験体226の件を考えると、どこまで当てになるのか判然としない。参考程度に頭に叩き込む、くらいの心づもりで居た方が良いだろう。

 朝日が昇る頃に全てが終わり、771は受精可能な女性を手に入れるため、行動を開始した。


 幸先よく近くに居た生命体。野生の動物を発見。人間の名付けた個体名称はイノシシとシカだ。問題なく生きたまま捕獲したが、我々の精液で受精できるだろうか。

 771は期待を胸に昏倒している動物のもふもふを堪能し、動物たちを『片手で』持ち上げ、船体にズルズルと引っ張っていった。




 ―――あれから1週間。771は奥多摩の森の中で潜伏して動物・昆虫などを中心に生命体の調査を行いながら行動範囲を広げつつ奥多摩周辺の把握に精を出していた。イノシシとシカの雌個体は精査した結果、受精できなかった事が判明している。


非常に残念であった。


 ちなみに7日間が経っても、人間とは一度も接触していない。

 近くに人間と思われる生体反応を感知した瞬間、オーバーテクノロジーの塊を駆使し身を隠していたからだ。


 人間の女にびびっていたとも言う。


 公共機関を使い移動するのが最も手軽かつ素早く都心部へ移動する手段である。

 それは771の脳内にインプットした情報とも一致しているし、遠目に隠れて観察した結果も同じ答えを導き出していた。電車というものを利用する人間はやはり、全て女性であった。

 降下した奥多摩という場所は都心部から離れた過疎地なので、人数は少なかったがお年寄りから若者まで女性だけしか居ない。

 東京都と言えど奥多摩のような辺鄙な場所までくると、男性は殆ど居ないようだった。実際、男性が集まる場所はある程度決まっているらしい。裏付けはないが、人間のネットコミュニティ等ではそう噂されている事を知っている。


 771は簡易望遠鏡から目を離して、細々と周辺地形や情報をデータ化する作業を行っていた。

 彼女たちの生態や生活、行動歴などは、気づいたことがアレば直ぐにデータ入力していくべきだからだ。こと細かに記載していけば、いつか戻って来る771の同胞たちに人間の調査報告が速やかに伝播するはずである。

 シップがまた太陽圏に戻って来ての事。少なくとも数十年単位で未来の事ではあるが、気の早い話だとは思わなかった。


 試験体226は全てのデータを破棄して女性たちに捕まった。我々の種族にマイナスイメージが着かない様、またパニック等にならないように痕跡は消す必要があるからだ。

 きっと771と同じように収集していた貴重なデータは、一つ残らず吹き飛んでしまっただろう。これは痛手だ。もしも余裕があれば、試験体226が向かった華国へ771も行って調査を進めたいところだ。


 山中に潜み続ける今は、夢物語に過ぎないが。


『警告・周辺に生命反応を確認』

「……」


 入力していた手を止めて、771は携行していたもう一つの端末のモニタに目を向けた。

 771は試験体226の提言を受けて、徹底的に人間の目を掻い潜りながら女性へとじわじわ接近を試みる方針に変更している。もともとのプランは試験体226と変わらず、即座に人間女性の確保をする為に動くつもりだった。

 彼の通信が771に届いたのは、幸運なことだったのだろう。

 端末に示された地図に映っているのは廃屋で、その建物の中心には小さな光点。生命体の反応がある。

 奥多摩周辺の市役所等からハッキングして入手した建屋登録などでは、この光点が示す場所は廃棄された建物だったのだが、誰かが住んでいるようなのだ。


 771の活動拠点となっている個人船からもほど近い。先にこの生命体が何者なのかを確認するべきである。万が一、船体を見つけられた場合は口封じの処置を講じなくてはならないからだ。


「移動する。監視用のドローンは起動したままにしておいてくれ」


 AIへ口頭で指示を出しつつ、771はゆっくりとその場の痕跡を消しながら移動を始めた。





 771が使っている空中を漂うドローンはこの世界で言うところの雀という生物に擬態している。

 船体に登録されている設計図で、地球の重力下に適応し活動できる監視用のドローン機器を地球に降り立ってから作ったものだ。

 それは全部で7機ある。

 先に利用した生体反応感知機能だけでなく、映像を771の装着しているデバイスに送るなど、彼の目としても非常に十分な機能を有していた。


 船体には設計図と呼ばれる作成データさえあれば、どんなモノでも作り出せる粒子チェンジャーボックスという施設が備わっている。

 これは人間の技術ではいくつかの技術的ブレイクスルーが無ければ作成できない、オーバーテクノロジーの塊だ。


 船体は便利だが、いずれ771も船体から離れて活動するときが来るだろう。


 その時は残念ながら規則によって船を廃棄する必要がある。

 必要性を感じた道具はなるべく今のうちに作成しておくべきだと771は考えていた。

 少なくとも、226の件を知った今では、しばらく命令違反をしても船体は手放すべきではないだろう。



 さて、そんなことよりも現地住人のことだ。登録されている廃屋の周辺を調査させると、確かに人間がそこに居た。

 身長は771より15cmほど高いくらい。身体に凹凸は少なく、遠距離の簡易スキャンでは彼は人間の『男性』のようだった。

 日本人だが、その髪色は茶色。染めているのか地毛なのかは不明だ。目に少しかかるくらい伸びた彼は、かなり目つきが鋭い。


 周囲に彼以外の生命反応は無く、時折、反応が増えても2~3名。 滞在時間は長くても2時間くらいで、暫くするとまた彼だけが拠点に残る。

 基本的に男性は、一人であの廃屋に住んでいるみたいだ。

 一日だけ廃屋から外出し、翌日まで無人であったが、あの場所が彼の生活拠点になっていることは間違いないだろう。

 どうしてこの男の人間は隔離されるように廃屋に住み込んでおり、女が近づいても捕食されていないのだろうか。

 その疑問を解くために遠隔から24時間体制で更に監視の時間を取って覗いて居たが、1週間ほどの観測を続けていても明確な答えは分からなかった。


 何かあるのだろう。 人間の男は、女性に対抗する手段が存在しているのだ。


「直接、接触して話を聞くしか無いだろうな……」


 そんなことは3日ほど監視していれば明確に分かることである。

 ずるずると理由をつけて7日も観測を続ける必要はまったく無かった。


 771は怖い。


 試験体226の通信を嫌でも思い出してしまう。

 あの登記上は廃屋という事になっている住処に住んでいる男性と接触するということは、彼を取り巻く環境に近づくということである。

 それはつまり、女性が近い。

 人間は771達の種族と同様に社会性を持つ生命だ。

 彼以外の人間……つまり、彼に近づくことで高確率で女性と遭遇する。踏ん切りがつかずドローンを用いての監視はその後も3日間ほど継続したが変化なし。

 このまま手を拱いて居てもアダムプロジェクトを成功させることは出来ない。


 分かっている、分かっているが……


「くそ、臆病者か、俺は」


 ドローンから送られてくる本を読んでいる男性の映像を見つめながら、俺は拳を握って歯噛みした。

 そんな時だった。

 男性は読書の手を休め、おもむろに立ち上がる。


 廃屋はコの字型のコンクリート製の建物であり、ちょうど中央は壁が囲む形で中庭のようになっている。

 中庭からは小さな断崖と森林が広がっているが、男の人間は崖の近くまで近寄ると、小さく口を動かしていた。


 ドローンに搭載されている超高精度集音マイクが、彼の言葉を捕らえた。


「いい加減、鬱陶しい。 姿を見せろ、出歯亀め」


 どうやら771の覚悟を決める為に、彼は後押しをしてくれた様だった。




 


 隠れて観察していた事を悟られ、どちらにしろ男性への接触をしなければならない事実に覚悟を決めて走り出す。

 数分をかけて森林の中を移動し、崖から飛び降りて観測対象の人間の前に降り立った。

 驚くように身を引く男性。771は極度の緊張状態を自覚しながら、しっかりと彼に目を合わせて立ち上がった。


「うおっ……飛び降りてくるなんて、野生児か? しかし驚いたな。まさか本当に人が居たとは」

「すまない。気付かれていると思わなかった」

「少し前から視線を感じると思っていたが、お前か?」

「……ああ、そうだ」

「ふむ、同じ男だったとは予想外だ。 てっきり、劣情を催した女だと思ってたよ」

「どうして、観測しているのに気付いたのか教えてもらってもいいか?」


 男の納得しているようなそうでもないような独り言を聞きながら、771は気になったことを聞いてみた。

 ドローンは偽装してある。スズメは奥多摩周辺でも普遍的に見られる生物だ。普通は気付けない。

 この広大な森林地帯の中で目立つようなものではないし、不自然に一定の場所に留めるような真似はしなかった。


 ちなみに雀という生物も771の種族の子を孕むことはできなかった。

 悲しい。


「どうして気付いたかだと?お前も男なら分かるだろう。視線ってやつはどうにもな。僕が特別という訳ではないさ」


 771は彼の答えに衝撃を受けて、思わず口元を覆った。

 収集した情報には無かった人間の男性の力の一端が、ここで一つ判明したのだ。やはり彼との接触は早くに済ませておくべきだったのだろう。

 たった幾つかの会話だけで、人間の知られざる情報が手に入ったのだから。

 

 会話から察するに彼ら人間の『男』は、第三者からの視線を敏感に察知する能力を持っているようだ。

 これだけ溢れかえる人間の女性の社会で、どうやって捕食されずに生き抜いていくのか疑問だったが、少しだけ真実に近づいた気分である。

 少なくとも771やその同胞は、よほど注意深く警戒していなければ、あの距離で偽装した小型ドローンの監視を見破る能力は持っていない。


 男は衝撃を受けて何も答えない771に肩を竦めて身を翻すと、中庭にある革張りの椅子へと深く腰掛けて鋭い視線をもってぶつけてきた。


「で、お前は何だ?」

「俺は……人間の男だ」

「? 見れば分かるさ。 なんだ、ナゾナゾでもしに来たのかい?」

「いや実は、10日と5時間32分前から、君を見ていた」

「へぇ。いや、普通に気持ち悪いな。なんだよそれ。尚更、僕に用事があるんだろ。 言ってみろよ」


 男は興味深そうに顎を持ち上げて続きを促してくる。

 わずかに逡巡したが、771は自分の目的をハッキリと告げて人間の彼に協力を申し出る決断を下した。


「俺は、この地球のあらゆる女に我々の精液を注入し、子供を産めるか検証したいんだ」

「なに?なんだって?」


 眼を見開き動揺したのか、男は険しい顔で警戒するような目つきで睨んできた。

 慌てて会話の方針を転換する。

 彼との接触で今後のアダムプロジェクトの成否に関わる可能性がある以上、771は慎重にならなければと自戒し、慎重に言葉を選んだ。


「いや、違うんだ。そうだな……女が欲しい、と言ったところだ」

「なんだ、妙な言い回しで驚かせるなよ。 そんなの、その辺で捕まえてくれば良いだろ」

「それは不可能だ。 同胞も捕食されてしまった」

「なんだそれは……あー……まぁなんだ、捕食?そりゃご愁傷さま。 同じ男としては同情できるが、女を手に入れるくらいなら、お前なら簡単だろう」

「そうもいかない。こちらにも理由がある。まずは慎重に進めたい、という事なんだ」

「つまり、女なら誰でも良いわけでも無いということか?ふむ……もしかしてお前、好きな女でも?」

「好き? いや、というよりかは見定めたいというか……安全に行動をしたい、が最も近い表現だと思う」

「なるほどな……はぁ……一応これでも極秘裏に進めていたつもりなんだがな。 どこで聞いた? いや、その前に素性を明らかにしろよ」


 正体を明かせ、という要求に一瞬だけ逡巡したが、現地の男の協力者は必要だと思い直し、771は腹をくくって全てを白状することにした。


「分かった。俺はアダムプロジェクト試験体シード候補生771。あらゆる生命体から母体となる候補を手に入れる為に造られた生命であり、地球にやってきた人間の男だ」

「……???」


 男は眉根を顰めて771の顔をじっと見つめた後、内容を吟味しているのだろう。

 額に手を当てて黙り込んでしまった。

 詳しい説明を省いているのでアダムプロジェクトの事は理解ができないに違いない。 まず、その辺の齟齬を埋めるために詳細の説明を始めることにした。プレゼンをするのは初めてだ。

 乾く唇を一つ舐め、緊張をほぐす。

 初接触となる意思のある生命体だ。丁寧に我々の苦境を母星の爆散から解説していった方が良いだろう。


 脳内にインプットした情報と照らし合わせ、地球に住む人間の科学力を脳に刻んだ知識から推し量り、彼が理解ができるように説明を続けた。

 人工授精器【イヴ】やシード候補生の起源のところの辺りまで話したところだった。

 しばらく男は黙って聞いていたが、彼は手を上げて俺の話を中断させたのである。


 何か分からない事があれば、質問には真摯に答えるつもりで俺は力を入れて身構えた。


「よく分からん話をするのはもう止めろ。中二病か何かか?まったく、大事な計画の前だってのに意味のわからないヤツが現れたもんだ」


 苛立たしさを隠さずに、彼は嘆息してそう言い捨てた。


 質問はないのか……

 少し残念な気持ちを抑えて、771は冷静になるよう深呼吸を一つ。

 こっそりと彼のバイタルを確認すれば、慨然とした表情に違わず怒りの兆候が見て取れる。

 バイタルを認識した瞬間に、俺は慌てて頭を下げた。

 学習済みの日本での謝罪の最上級、土下座を行う。


「気分を害してしまってすまない。 許してくれ」

「やめろよ。 男が女と同じようなことを僕にするな、何もしてないのに悪いことをした気分になるだろ」

「分かった、やめる」


 即座に彼の意見に迎合し、土下座をやめる。

 彼のバイタルに怒気を示す数値はなくなっていた。

 今は……どちらかと言うと、困惑が勝っているだろうか。

 視線を彼の顔に合わせ、じっと見つめる。


「……お前、いや、なんでもない」


 深いため息を吐いて、彼は続けた。


「まぁ、見つかった上に俺の計画も知っているようだから仕方ないな。バラされる訳にもいかない……となると予定とはずれるが、俺に協力して貰うしかない」


 思わず顔を上げて顔を窺ってしまう。


 なんてことだ。


 本来はこちらが協力を仰ぐ立場である。まさか彼の方から協力を申し出てくれるとは。


 試験体226は初手で人間の男と懇意にするべきだと教えてくれた。10日間以上、山中に息を殺して身を潜めていた努力が報われた気分だ。

 771は笑顔で立ち上がり、彼の近くへと歩く。

 彼も立ち上がった。面倒くさそうだったが、一つ頭を掻いてから。


「僕は霧鏡京介。 お前が知っているように、これから一人の女を手に入れるつもりだよ」

「俺はアダムプロジェクト―――」

「それはもういい。 偽名でもなんでも良いから、もう少し呼びやすい名を名乗れよ」



 こうして試験体771は、人間の男の協力者を手に入れた。


 霧鏡京介から771という数字に連想される 『ナナイ』 という渾名を投げやり気味に言い渡された。


 人間の名が出来た。


 ナナイは嬉しくなって、喜んで京介と握手を交わしたのである。






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