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須玖師縫衣の友情

「……縫衣ちゃん、大丈夫? 秋葉原はあの時以来でしょ?」

「流石にもう大丈夫だよ。気持ちの整理はついてる」

〈森の狩人〉東京本部特戦部B―3班の僕、髑髏躑躅蹴鞠、須玖師縫衣の三人は通報を受けて秋葉原に向かっていた。見晴らしのいい大通りを選び、車を乗り越え、天井を踏みつけながら走っている。(法律による許可済)。

 蹴鞠は〈轟〉が遣えないので僕がお姫様抱っこにしている。いつものことだ。

「無理そうなら早めに言えよ。シラヒが頑張るから」

 蹴鞠が頭を逸らして気分よさそうに風を浴びながらそう言う。いやお前も頑張れや。

「殺気術を遣えない僕にそんな酷いことを言うなんて……」

 袖で目を隠し、泣いているふりをして見せる蹴鞠。お前は殺気術を遣わなくても、戦わなくても、十分やれるだろうが。

そんな僕達のやり取りを聞いた縫衣ちゃんは、振り返って頬を緩ませた。

「ありがと。……そう言えば、シラヒ君って名前、夕陽と似てるね」

 夕陽。

 縫衣ちゃんの親友だった人。秋葉原で起きた、殺気遣いによる通り魔事件に巻き込まれて命を落とした人。

 縫衣ちゃんは夕陽さんが殺されたことにより、殺気遣いへ覚醒した。



 当時十四歳の須玖師縫衣は、私立の女子中学に通っていた。おっとりした彼女を、やんちゃな同年代の男子から隔離しておこう、そう考えた両親が入れた学校だった。

 しかしその引っ込み思案な性格から孤立していた須玖師縫衣は、学校の図書室で前々から気になっていた『涼宮ハルヒの憂鬱』をついに借りてきて、自席で読んでいた。借りた理由は表紙の女の子が可愛かったからと、実家の近所の本屋でも大きく扱われていて知っていたからである。隣に置いてあった『Missing』も気になったが、そちらは後々絶対に読もうと心に決めた。

(かっこいいなぁ……)

 自分と正反対の女の子が、なんだかんだ面倒見のいい男の子どころか、世界全体を振り回すところは、読んでいて憧れる。

「えっ、須玖師さん、ハルヒ読むのっ?」

 物語の世界に没頭していると、頭上から昼間の太陽のように明るい声が振ってきた。縫衣は心臓を縮み上がらせながら顔を上げる。誰かに声を掛けられるなんて、クラス分け直後以来だ。

「わ。びっくりさせちゃった? 須玖師さんってラノベも読むの? いつもは東野圭吾とかばっかりじゃん」

(橘橙夕陽さん……? あの……?)

 何度も美術コンテストで入賞し、賞状を貰っているところを朝礼で見ている。教室でもいわゆるオタクグループのリーダー的存在として、一目置かれる存在だった。

 休み時間にいつものグループの場所へ行こうとし、通りすがりにハルヒの本を見つけて、思わず声をかけたのだった。

「……え? ラノベ……?」

 聞きなれない単語だったが、図書館の棚に貼ってあった『ライトノベル』の略だと気づく。

「う、ううん、これが初めて」

「……あー、そうなんだ」

 夕陽は目線を下げて見るからに意気が落ち込んだ。『ちょっと試し食いしてみてるだけ。これ以上オタク趣味に深入りするつもりはないよ』という風に、夕陽は受け取った。縫衣は夕陽のその様子を見て思わず大声で続けていた。

「あっ、いやっ、でもいいよね! 好きだよ、私こういう女の子!」

 夕陽は顔を勢いよく上げた。その黒目がちな瞳はキラキラと輝いていた。

「ほんと? 私も一番好きなの! ……じゃあ、邪魔しちゃってごめん。私もう行くね」

 夕陽はいつものグループメンバーが集まっている場所に向かって行った。普段はすぐに来てグループの中心に収まる夕陽が来ず、若干気まずい感じになっていたグループメンバーは、ほっとしたように夕陽に向けてしゃべり始めた。このグループでは全員で話しているように見えて、実際は必ず夕陽を中継している。そのメンバーの一人が聞いた。髪が長く、性格が少しきつい蛇原耳という女の子だった。

「須玖師さんと何話してたの?」

「ん? ああ、なんかハルヒ読んでたの。ラノベ読み始めたのかな?」

 グループメンバー全員が縫衣の方を見る。その視線を縫衣は本に向かっている視界の端で感じていた。

(ひ、ひぇぇ、私の話をしてるの? なんて言われてるんだろう。怖いよぉ……)

 見られた縫衣の頬と耳は一人でいる羞恥で赤く染まっていった。幸い髪が長いため耳は隠れている。頬が染まっているのも見られないように顔を更に傾けて髪で隠す。

 しかしその様子は夕陽には気がつかれており、夕陽はかなり正確に縫衣の精神状態を察して「なんか悪いことしちゃったかなー」と思っていた。


「怖いよぉ」などと思っていた縫衣だったが、それから毎日ハルヒシリーズを読み続けた。面白いこともあったが、夕陽に話しかけてほしかったからでもある。そんな縫衣に夕陽は適度な頻度で絡んだ。夕陽のおすすめで他のラノベも読み始めた。

 そして二週間ほどが経ち、三シリーズを読破したある日、少し長く話し込んでいた夕陽と縫衣のところにグループ全員が移動してきた。元々グループの集まる場所は、一番最後にグループに入り、一番引っ込み思案で、他の場所にすると来れない女の子の席の周りだった。しかしその女の子が縫衣を見て自分から席を立って「……行く?」と提案したのだった。

 その日以来グループの集まる場所は縫衣の周りになった。物理的に囲まれて話を振られるようになり、縫衣も自然とグループに馴染んでいった。

 

 そしてとある日曜日、夕陽の発案でオタクの聖地、秋葉原に繰り出すことになったのだった。

 全員で六人になった夕陽のグループはそれぞれ少ないお小遣いをやりくりして、好きなキャラのフィギュアやカード、缶バッチなどを買った。うち一人はガチャガチャで目当ての根付が出ず、涙目になったりした。

 そんなこんなでお昼を過ぎ、ご飯の相談をしながら歩行者天国を歩いていた時だった。突然背後からドン、と何かがぶつかる音が聞こえ、続いて悲鳴が上がった。

 グループ全員が背後を振り返る。横断歩道の真ん中に止まった二トントラックから、一人の眼鏡をかけた男が降りてくる所だった。

 歩行者天国にいた人達は慌てて道の中央に止まったトラックから離れようとする。

「おーおー、沢山いるなぁ。……俺のことなんてどうでもいいと思っている奴らが。俺がここにいることを教えてやるよ……。〈拡〉」

 眼鏡の男は両腕を拡げ、腕の殺気を伸ばした。それは巨人の腕のように太く、長く伸び、その端は交差点の両側のビルに隠れて見えなかった。

「……ふっ」

 男は無造作に、両側に開いた腕を、身体の前で閉じた。

 交差点を横断してなお余りある殺気の両腕が、建っていたビルをいくつもえぐり、道の両側に逃げ出そうとしていた歩行者を、歩道から掻き出した。

 右腕に三十人。

 左腕に二十人。

 合わせて五十人ほどの掻き出された人間達が、ちょうどグループ全員の目の前で、巨人の腕に挟まれ、潰されて死んだ。

 ぐじょっと。

 肉がつぶれ、骨が砕ける音がした。

縫衣の顔に噴き出した血と、飛び出した内臓が振ってきてかかった。

 そして巨人の腕が薄れていき、一直線に並んでいた肉と骨の塊がぐしゃぁ、と音を立てて地面に崩れ落ちる。その肉塊のカーテンが落ちたことで、肉塊に隠れていた男の姿が再び顕わになった。

 あと一メートル、巨人の腕が長ければ、グループ全員も潰されて肉塊の仲間入りをしていただろう。そのことに思い当たった縫衣は、あまりの恐怖からへたり込んでしまった。逃げなきゃ、と思うも身体が言うことを聞かない。

 眼鏡の男が震えて動けなくなっている女子中学生達に気がつき、興味深そうな顔をする。そして歩いて近づいてきた。

「ひ、ひぃっ」

 縫衣は地面を蹴り、腰を地面で擦りながら後ずさる。どうしても立てなかった。

「みんなっ! 逃げよう! 縫衣は、しょうがないよ!」

 蛇原耳がメンバーを叱咤する。それでまだ動けたメンバーたちは、途中何度も転びながらも走ってその場を離れていった。

「あ、あぁ……」

 縫衣は涙を流す。

 薄情な仲間たちに、ではなかった。

 眼鏡の男への恐怖のため、でもなかった。

 その涙の原因は、他のメンバーたちが逃げたにも関わらず、縫衣に背中を見せて立ち塞がる、夕陽だった。

「あぁ……なんで……、早く逃げて……」

 縫衣ももし脚が動いたなら、腰が抜けていなかったなら、誰かが動けなくなっていても逃げるだろう。だから蛇原達の気持ちも分かった。

 それに夕陽は自分を孤独から引っ張り上げてくれた、太陽のような憧れの存在である。こんなところで、死んでほしくなかった。

「なんでって……」

 夕陽は振り返って微笑む。

「寂しいこと言わないでよ。友達じゃん」

 その笑顔は恐怖に震えていた。

「う、うぅぅぅううっ」

 縫衣は涙が溢れてきて止まらなくなる。

(そんな! 小説の主人公みたいなことしなくていいんだよ! 現実で! 二カ月前に始めて話した私なんかを助けるために! 命を危険にさらすなんて、しなくていいのに!)

 歩いて来ていた男が夕陽の目の前で足を止めた。

「……お前、いい奴だな」

「……はい? ありがとうございます……?」

「はっはっはっ……。いや。お前みたいないい奴も、高校生か大学生になって社会を知ると、俺みたいなクズを相手にはしなくなるんだ。まあ、いい顔はするんだろうな。それで勘違いする奴らが沢山出てくる。だがお前は結局顔がよく、おしゃれな男と付き合い始め、そこそこいい男と結婚する。最低限、顔が悪くても、ちゃんと稼ぐ男とな。だから殺す。今のうちに殺しておく。俺みたいな哀しい勘違いをする奴らが出てくる前にな」

 男が両手を広げる。巨人の腕のような殺気が再度出現し、その巨大な両手で夕陽を握った。

 夕陽は首だけを捻り、縫衣を振り返る。

「……逃げて」

 その言葉を最期に、夕陽は巨人の両手に握り潰されて、死んだ。

 

 両目からだらだらと涙を流し、座り込んで放心している縫衣の横を、眼鏡の男は通り過ぎる。

「見逃してやるよ。お前は、俺だ。こうすることを決める前の、へたり込んで何もできない俺だ」

 縫衣はその言葉を聞いていなかった。ただただ、呆然と、夕陽だった死体を眺め、その肉塊の形を、匂いを、その身体に刻み込んでいた。

 少しして背後から虐殺の音と、逃げ惑う一般人の悲鳴が聞こえてからも、〈森の狩人〉が到着して男が殺害されてからも、〈森の狩人〉が声を掛けるまで、縫衣はそこにいた。

 

 そして残りの中学生活を縫衣は抜け殻のように過ごす。中学卒業の日、夕陽の名前は呼ばれなかった。

「う、ぅぅぅうううっ」

 そこで初めて、夕陽の死が実感となって縫衣を襲った。

「あぁぁぁああああっ」

 同時に殺気が縫衣の身体から迸る。教師は迅速に〈森の狩人〉へ連絡し、殺気をコントロールできずに周囲へ被害を出す前に、縫衣は保護された。


「恐らく、通り魔への殺意が今になって湧いて来たんだろう。〈術〉も恐らくあの無差別殺傷事件の影響を受けている」

 後日、〈森の狩人〉のカウンセラーは須玖師母子へ向けて言った。

「君が望むなら、〈森の狩人〉の一員となることもできる。どうする?」

 縫衣は夕陽の最期を思い出した。

『……逃げて』

 縫衣は伏せていた顔を上げて答えた。

(逃げてもいい、夕陽がそう言ってくれた。でもダメだ。殺気遣いを殺す。もう二度と夕陽ちゃんのように理不尽に死ぬ人が出ないように。それが夕陽ちゃんに守られた私の、義務だから)

「やりたい……です」

 しかし、縫衣はその日以降アニメを見たり漫画を読んだりすることは出来ても、夕陽と知り合う直接のきっかけになった、原作のライトノベルやウェブ小説を読むことは出来なかった。



 そして現在、須玖師縫衣は秋葉原へと続く本郷通りを、三人の先頭を切って走っていく。

(私は変わった。もうあの時の私じゃない。今日はそのことを自分自身と、夕陽に証明する時!)

 秋葉原での通り魔事件以降、須玖師縫衣はライトノベルを読むことができなくなっていた。読むと事件のことを思い出してしまうからだ。だからその代わりとばかりに、ソシャゲやアニメにのめり込んでいた。

 まさにそのアニメなどに登場するような存在となった縫衣は、交差点で信号待ちをしている車のルーフを蹴り、疾走する。

「もうすぐ着くよ! 蹴鞠ちゃんはそろそろ降りた方がいいんじゃないかな!」

「む……そうか?」

 シラヒは言われた通りに蹴鞠を湯島聖堂を通り過ぎたところで降ろす。殺気を扱えない蹴鞠でも、一般人に紛れれば近づける。

 蹴鞠は敵性のある殺気遣いに近づくたびに、その命を危険に晒している。〈森の狩人〉の人間だとバレ、敵が殺せる状況が整ってしまえば、蹴鞠に抵抗する手段はないのだ。

 任務に際して監視カメラに残る映像や、SNSにアップロードされる動画はなるべく削除、規制し、〈森の狩人〉の情報が漏れないようにしている。とはいえ、蹴鞠は姿がバレるだけでも危ないので、全く印象の違う変装をしてきている。

 蹴鞠は遣えない殺気術を補うために、様々な「術」を会得している。変装術もそのうちの一つだ。

 ここは秋葉原なので、メイド服っぽいゴスロリを着ている。コンセプトカフェの勧誘などでこの街にはメイド服を着た女の子が沢山いる。木を隠すなら森の中……である。

 蹴鞠の姿が秋葉原の街に消えていったのを見届けると、二人は更に本郷通りを駆けた。すぐに神田明神通りに入り、いよいよ神田明神通りと直交する、秋葉原の中央通りへと到着した。

 

 

「酷いな……」

 僕は中央通りの惨状を見て眉をひそめた。そこかしこに死体が転がっている。

 死体というよりも肉塊、というものも多く、その傷口の様子は千切られたようなものと、粉砕されたようなものが多い。この傷跡の形状から敵の殺気遣いは少なくとも二名だと見積もった。

「縫衣ちゃん、残滓を追える?」

 僕は死体を見ながらそう言ったが、反応がない。縫衣ちゃんの方を振り向くと、口に手を当てて顔を青ざめさせていた。

 僕が再び声を掛けようとすると、縫衣ちゃんは膝をつき、アスファルトに胃の中のものをぶちまけた。

「おえっ、えっ……」

 えづく縫衣ちゃんに、僕は同情的な視線を向けながらも、やらなければいけないことを優先した。

「わかった。僕が先に行く。落ち着いたら追って来て。残滓が見える縫衣ちゃんならすぐに来れるはず。僕は時間がかかるけど、目撃情報と気配を頼りに探すことにする」

 そう言って僕は中央通りを駆けだす。まずは兎に角死体が続いている所まで行くことにした。

 地獄と化した歩行者天国の中央を、死体を踏まないようにして疾走する。

 少し走ると駿河屋アニメ・ホビー館の前に一人、若い男性の殺気遣いがいた。細身だが二メートル近くの長身で燕尾服のような服を着ており、若い女性の頭を掴んで持ち上げている。

〈轟〉によって強化された聴覚が男の声を届ける。

「友情ゲームです……。今からあなたに拷問を加えます。それが嫌なら友達を売ってください。あなただけが友達を売ったなら、あなたは解放します。しかし友達もあなたを売ったら、二人共拷問した後、殺します。二人共売らなければ、しばらく拷問した後、解放しましょう」

「な、なに……? い、痛いッ」

 若い男は持ち上げた若い女性の指に噛みついた。女性が悲鳴を上げる。

「早く選択をしてください。次は指を食いちぎりますよ」

 僕は民間人がいることに舌打ちをする。民間人を巻き込む可能性のある〈術〉は遣えない。

 僕は〈放〉による〈貫銃〉を放とうと腕を向けた瞬間、その気配を感じ取ったのか、殺気遣いの男が頭を掴んでいた若い女性を盾のように僕へ向けて掲げた。

「やっと来ましたか……、友情ゲームはもう五組目ですよ。ちょっと遅いのではないですか?」

「その人を離せ。何をしてるんだ……?」

「友情ゲームですよ。今までに生還した人はいませんがね」

 ……さっきの話と合わせて考えると、全員が拷問に耐えきれず、友達を売ったということか。それでお互いを売った結果、両方死んだ、と。

「……もう一人殺気遣いがいるはずだ。どこにいる?」

「どこって……さっきからあなたの後ろにいますよ」

 僕はその場を飛びのいた。空中で振り返り、二人の殺気遣いが視界に収まるようにして、地面を滑り、着地する。

 もう一人の殺気遣いはお嬢様然とした小柄な女性だった。赤いゴスロリ服を身に纏い、真っ赤な口紅と、陶器のように白い顔が特徴的だった。夏だというのにそれ以外の肌は全て覆い隠されている。

「あら。言わなくてもいいのに」

 僕の額に冷や汗が浮かぶ。〈陰〉で気配を消していたのは殺気遣いとして当然かもしれない。だが、足音や僅かな地面を擦るような音すらしなかった。音を消すのは基本的にその者の身体操作能力に依存する。見た目に似合わず卓越した身体能力の持ち主なのだろうか。

 しかし、観察すると、どうも動きが格闘の教養がある者のそれではないような気がしてくる。僅かに地面に触れている部分の殺気が柔らかく、ふに、と変形しているような……?

 殺気遣い達に目を奪われていたが、おかしな点ははまだあった。

「……その女性の友達はどこだ。友情ゲームをしているなら少なくとも一人、いるはずだろ?」

「ええ。そちらは私の〈術〉である〈友人の創造イマジナリーフレンド〉で創った友人が確保しています」

 僕の頬を冷や汗が流れ落ちる。人質か……? 面倒くさい事をする。

「……その人も、この女性も人質にはしませんよ。ただ、解放する代わりに、あなたには一つ条件を飲んでいただきます。あなたの親友を思い浮かべてください」

「…………」

 僕の脳裏には蹴鞠の顔と、一〇歳以前の僕の憧れでもあった長髪の女の子の、おぼろげな輪郭が浮かぶ。

「……二人、いるようですね。より自分にとって大切な存在はどちらですか?」

 脳裏に浮かんだ蹴鞠の顔がゆっくりと消えていく。そして少女の輪郭だけが残った。少女が僅かに微笑んだ気がした。

「……それではその少女にしましょうか。〈友人の創造イマジナリーフレンド〉」

「嘘、だろ……」

 僕の前で、見る見るうちに僕の頭の中にいた少女の姿が形作られていく。長身の男から噴き出した殺気が少女を手足の先から造形していき、最後にその活発そうな顔を作り出した。

「あ……、あ……」

 僕の記憶の中ではおぼろげだった少女だったが、僕の目の前にいる少女は細部に至るまでしっかりと造形されていた。そして僕の感覚が、この外見は間違いなく少女そのままだと、確信していた。

 勝気な顔、青く長い髪。

 僕と似たような全身を覆うようなマントを羽織り、裸の足でアスファルトに立っている。

 何故か記憶から消去されていた、僕の原点でもある少女が、当時の姿のままで、僕の目の前にいた。

「やあ☆ 久しぶりだね、しーくん!」

 少女は昔のように、彼女しか使わないあだ名で、僕へ向かって快活に話しかけて来た。

「僕のことをそこまで憎んでるだなんて、僕のやりたかったことは達成されたみたいだね!」

「……どういう……こと?」

 少女はにーっと笑う。そして僕の問いかけには応えずに、周囲を見渡した。

「えっと……、今の僕はこの人の〈術〉で出現させられた存在。それでしーくんに敵対して戦うように義務付けられている。僕の〈術〉は……えっ、遣える? なるほど。面白い〈術〉だね」

「……〈友人の創造イマジナリーフレンド〉の副次的な効果で普通に戦える程度の殺気は付与されるはずでしたが、その年で殺気遣いでしたか……。そうであれば今現在は相当な腕前になっていることでしょうね」

燕尾服に長身の男は、僕へ向かって慇懃にお辞儀をした。

「ああ、説明が遅れ、申し訳ありません。あなたにも友情ゲームに参加してもらいます。ルールは簡単です。〈友人の創造イマジナリーフレンド〉が創造した人物が負った傷は、生きていれば本人にフィードバックされます。この少女が傷つけば現実のこの少女……が成長した女性も同じ傷を負います。この少女が死ねば、その女性も死にます」

その説明は、僕の耳には入っていたが、全く理解していなかった。全ての神経が目の前の少女に吸い寄せられている。

全身の細胞が歓喜に震えている。間違いなくこの少女こそが僕の憧れの存在であり、長い年月を共に過ごした存在だとわかる。

しかし、具体的な思い出が何一つとして浮かび上がってこない。

他の友達と遊んでいる記憶も、この少女の周囲だけが色褪せ、ぼやけたようになっている。

「うっ……?」

 しかし、これまで繋がらなかった記憶が、僅かに繋がった感触があった。断片的にその言葉が浮かび上がっては消えていく。

「大襲撃……、親の死……、親友……?」

 思わず頭を抑えた僕だったが、一切構うことなく長身の男は言葉を続ける。

「私はその少女に、私を守ること、そしてあなたの殺害以外のことは強制できません。元々は友人を創り出す〈術〉であって、下僕を生み出す〈術〉ではないのでね」

「あー、そうみたい。しーくんを殺そうとうずうずしてる☆」

「では、頼みましたよ、親友さん」

 次の瞬間、少女のプレッシャーが上がる。僕も〈轟〉の出力を上げた。

少女は〈轟〉の出力からは予想もできないスピードで、次の瞬間には僕の目の前にいた。

「……っ?」

 首を鷲掴みにされ、地面に叩きつけられた。

「〈否勿忘草ドント・フォーゲット・ミー・ノット

「ぐぅっ?」

 何かが頭の中に這入って来る。

 僕はなんとか全身に〈送電戦線〉を付与し、〈轟〉に触れている少女に放電する。

「……☆」

 少女の防御力はあまり高くないらしく、手を引っ込めてすぐに離れた。

 僕は起き上がるとせめて意識を失わせようと〈放〉×〈術〉の〈雷銃〉を放とうとした。

「えっ?」

 しかし、僕の右手からは〈雷銃〉が放たれない。

 その間に少女は再び殺気の量にそぐわない高速移動で僕に接近する。

「――ッ!」

 僕は全身に送電線を巻きつけ、カウンターの体勢に入る。

「おっと……☆」

 少女は手を引っ込め、一度距離を取った。

 戦いの様子を見ていた燕尾服の男が顎に手を当て、不思議そうに尋ねる。

「随分と遠慮がありませんね。あなたの親友は今、原因不明の激痛に苦しんでいるはずですよ?」

「……生きていれば、だろ」

「おや、生きているかもしれないじゃないですか。死んだところを見たわけではないんでしょう?」

「僕は彼女が死んでいると確信している。昔の親友の姿をしていようと、全力で攻撃させてもらう……友情ゲームなんて成立しないぞ」

「……何を見て確信しているのか知りませんが、彼女は生きていますよ。〈術〉の副次的効果で、私にはわかるんです」

 燕尾服の男は、――口を滑らせた。

「それが、聞きたかったんだ。お前の〈術〉の効果を聞いた時から、それだけが、聞きたかった。彼女が生きているか、どうか」

「それが、どうかしたんですか? 彼女にダメージがフィードバックすることは変わりませんよ?」

「ああ、だけど……僕は確信してる」

 僕は不敵に微笑んだ。

「あの英雄的な女の子が、この程度の苦痛に根を上げるような奴に。なっているはずがないってね」

 僕は再び〈雷銃〉を発動しようとするが、発動しない。

「封じられた……いや、〈放〉の遣い方が思い出せない……?」

 彼女の〈術〉の効果だろう。そうアタリをつけた僕は地面に手をつこうとする。

 しかし僕がしゃがみ込んだところで、少女は僕の前に瞬時に移動してきた。そのまま裸の足で僕の顔面を蹴り上げる。

 僕は血を吐きながら宙に浮く。意識の隙間を突かれた。僕の送電線を纏い、カウンターで電撃を放つ〈電装〉は残念ながらオートではない。

「ぐっ……」

 空中で頭を引き戻した僕は、後ろ蹴りを放とうとして、足に殺気を集めている少女を目視した。ああ、僕はやはりこの女の子には勝てないんだ……そういう諦念が僕を襲った。

「しーくん、耐えて☆」

 しかし少女が僕に笑顔を見せる。大丈夫でしょ? と僕を信頼しているような、戦友に向けるような眼差し。

その瞳が、僕を奮い立たせる。今も昔も。

 僕は左拳に可能な限りの殺気を集める。〈送電戦線〉を二重三重に巻き付ける。そして全く慣れない拳打を、彼女の襲脚に合わせて放った。

「あぁぁぁあああッッッッ」

 雷閃。

 閃光が爆ぜ、視界が白い幕に覆われる。

 霞む瞳で僕の左腕を見やる。

「……流石、だよ」

 僕の左腕は千切れ飛んでおり。

 そして、僕は〈送電戦線〉の発動方法を、忘れた。

 

「――強い、ですね。友情ゲームの趣旨とはずれてしまいますが……まあ、機会は他にもあるでしょう。彼女……彼? にはもう死んでもらいますか」

 燕尾服の男が呟いている。僕は腕を根元から失った左肩を抑えながら、強化された聴覚でその声を拾っていた。

 少女がゆっくりと近づいてくる。〈放〉と〈術〉を失った僕には、彼女に抵抗するだけの力は残っていない。

 僕の目の前で立ち止まった少女は、にこっと笑い、僕を抱きしめた。

「……しーくんが僕のことをほとんど覚えていないにも関わらず、ここまで僕の姿を再現できたということは、脳ではなく、身体に刻まれた記憶を読み取っているんだと思う」

「……? どういうこと?」

「本当はもっと話したいんだけど、あまり長く話してると消されかねないから……。これだけは言わせてほしい」

 僕の胸ほどまでしかない彼女は、にかっといたずらっぽく笑い、そうして告白する。

「僕はしーくんのことが好きだった。だからこそ、君の両親を殺した」

 僕はあまりの衝撃に、頭が真っ白になる。

 好きだった?

 だからこそ、殺した?

 両親を殺した人間の名はわかっている。情報部が確度を保障した情報だ。ほぼ間違いない。

 少女は僕の動揺はわかるというように微笑んだ。

「僕の名前は千本桜良。しーくんには、りっちゃんって呼ばれてたかな☆」

「……なぜ?」

「……それを話すには時間が足りないかな。僕に会ったら、直接聞いてみてよ。性格が変わってなかったら話すと思うから☆」

「どういう……」

 しかし僕の言葉は、より強くぎゅっと抱きしめられたことで遮られた。

「体に、感覚的に刻まれた僕の記憶。それは君にとって大切なものなんだろうね。それを破壊されれば、精神的に死んでしまうくらい☆」

 少女の――千本桜良の全身から、僕の全身に殺気が這入って来る。

 少女の殺気が僕の身体を、犯すように、侵す。

「〈僕のことを忘れて(ドント・フォーゲット・ミー・ノット)〉。君の記憶から創造されている僕は――その記憶さえ消してしまえば消滅するはずだ。死ぬほどの喪失感が襲うかもしれないけど――早く立ち直ってね?」

 そして少女は僕の頬にキスをし。

 徐々に薄くなり、元の殺気となって散った。

 

 僕はアスファルトに膝を突く。

 思い出せない。

 大切な人がいた、気がする。

 だけれど、その記憶は、感覚は、僕の身体から、抜け落ちてしまっている。

「ぐ、ぅぅぅううううう」

 涙が溢れていた。

 分からない。

 誰を失ったのか。

 僕にとって生きる全てだった、気がする。

 僕は、アスファルトにうずくまって泣いた。

 はりねずみのように。

 この世の全てに殺意の針を向けて。

 もう、この世界なんて、殺気遣いだって、どうだってよかった。

 声がする。落ち着いた、男性の声だ。

「……精神崩壊を狙った記憶の消去による自身の消去。上手く制約の隙間を突かれた感じですね。しかし、精神崩壊は避けられなかったようですね。あぁ、赤子のように泣いてしまわれて」

 革靴がアスファルトを叩くコツコツという音が近づいてくる。それは路面に付くほど下げられた僕の頭の先で止まる。

「このまま踏みつぶしてしまいましょうか」

 嗚咽が止まらない。泣きじゃくる僕の視界は、暗闇に覆われている。

 もうどうだっていい。

 死んだって知るもんか。


「なにをやってるんだアンタはー!」

 可愛らしい声が響く。

 聞いたことのない声だ。

「早く逃げろ馬鹿たれー! 死にたいのかー!」

 遠くから必死に叫んでいるような声に、思わずそっちを向く。

 メイド服を着た小さな女の子。

 変声術で声を変えた髑髏躑躅蹴鞠だった。

「誰か知らないが、何を泣いてるんだよ! もっと頑張れー! 目の前の哀しみに囚われるなー!」

 僕の頭上から声が降って来る。

「……一般人か。まだ残っていたのですか……メイドカフェの奥で震えていたのでしょうか? ……ふっ、贋作のメイドは見ていて笑えて来ますね。――むっ?」

 がっ、とアスファルトを蹴る音。その直後にアスファルトを擦りながら、先ほどまで男がいた場所に着地する足音が、聞こえた。

「待たせてごめん、シラヒ君。大丈夫っ?」

 須玖師縫衣……縫衣ちゃんだった。

 


 玖凪シラヒが先に中央通りを進んだ後、須玖師縫衣は自身の中の吐き気を催す記憶と戦っていた。

 一般的な言葉で言えばPTSD、トラウマ、である。

 友人を失った記憶が、須玖師の身体をその場に縫い付けていた。

 頭痛。吐き気。視界が歪み、身体の力が抜ける。目の前で夕陽が潰される瞬間が、何度もフラッシュバックする。

「う、うぅぅぅううっ……」

〈森の狩人〉としての義務を果たせ、そう自分に繰り返し言い聞かせても、身体が動かない。

 腕を抱く。その両腕は震えていた。

 中央通りの先ではシラヒが戦闘を開始した。途中何度も維持できなくなりながらも〈集〉によって強化された視力で、その戦闘の推移を見つめる。

 誰か女の子が出現し、その女の子に敗れたように見えたシラヒは、うずくまって身体を震わせる。眼に対する〈集〉が得意な縫衣は、その様子を細かく観察できた。

(泣いている……?)

 そんなシラヒに対して、燕尾服の男がゆっくりと近づいてくる。明らかに、シラヒを殺す気だった。

 そのうずくまって泣きじゃくる背中が、夕陽の背中に重なった。

 また、友人を失おうとしている。

 あの時と同じく、何もできないままで。

「う、うぁぁぁぁあ」

 片膝を立てる。膝を握りしめ、懸命に立ち上がろうとする。

「ぁぁぁああああっ、あああぁぁぁぁァァァアアアアアアッッッ」

 助ける。今度こそ。

 

 

 縫衣ちゃんの〈術〉、〈獣王無塵〉は発動と同時に殺気出力を徐々に増していく。そしてその代わりに理性を失っていく。

 最終的には、目の前のものを破壊し尽くし、暴れ回る獣となる。

 今、縫衣ちゃんは〈獣王無塵〉を発動していた。

「早く……逃げるにゃ。私の理性が残っているうちににゃ!」

「……」

 獣(猫)である。

「いつも通り、締まらないね」

 僕は涙を拭きながら、立ち上がる。そしてその頼もしい背中に、心からのお礼を投げた。

「ありがとう。助かった」

「……いいってことにゃ。私も最初、戦いに参加できにゃかったしにゃ。お礼を言うのはこっちだにゃ」

「うーん、それは確かに」

「にゃあ? お互いにお礼を言い合う流れじゃないのにゃ?」

 そこで、今まで傍観者に徹していたゴスロリの少女が口を開いた。

「……さて、友情ゲームはもういいかしら? 噛鏡失自。私に友情が存在しないことを証明したいと言っていたけど、もうそれどころじゃないでしょ?」

「し、しかし神鏡悲鳴様……わ、私だけでやれます!」

「〈術〉の改変に〈変〉をつぎ込んだあなただけじゃ無理でしょ……。あなたは片腕を失った白髪の電気遣いを見張っておきなさい。新手は私がやるわ」

 そう言って神鏡悲鳴はちらりと蹴鞠を見やる。蹴鞠は慌てふためいたような様子で逃げて行った。勿論一般人を装った演技だが、神鏡は騙されたようで縫衣ちゃんに目線をやった。

「待たせたかしら?」

「……そうね。私にも時間制限があるし、すぐに終わらせるにゃ!」

 縫衣ちゃんは路面に両手をつき、四つん這いになる。尾てい骨の辺りから殺気で形どられた尻尾が生え、頭上に二本の猫耳が生える。

 両手は指の先に一〇センチほどの殺気の鉤爪が生えていた。

「フシィッ」

 次の瞬間、目の前から縫衣ちゃんの姿が消える。

「――ッ?」

 神鏡は辛うじて両腕を身体の前で交差させ、縫衣ちゃんの一撃を受ける。しかし衝撃は殺しきれず、ビルの三階の壁面まで吹き飛び、壁を砕いてその中へと転がり込んだ。


そこはコンセプトカフェ『女の子執事はいかがですか?』だった。が、勿論店員は誰もいない。

「く……」

 口の脇から垂れる血を拭いながら、神鏡は身体を起こす。予想以上の速度の初動には反応できなかったが、一度食らった今、縫衣の動きはかろうじて動きを目で終えていた。

 縫衣は追撃の為地面から跳び上がると、直線的な動きで三階の天井を蹴って神鏡へ飛び掛かる。

 神鏡は長い犬歯が目立つ口腔を大きく広げて、叫んだ。

「ンアァッ!」

 神鏡の口から衝撃波のように殺気が放出される。

 指向性を持って放出された声は、殺気を伴った衝撃波として超速で迫っていた縫衣を、周囲の物ごと吹き飛ばした。

 中央通りの上まで押し戻された縫衣は空中で三回転して着地する。



 僕が落ちて来た縫衣ちゃんからビルの三階に目をやると、神鏡悲鳴は建物の縁にゆっくりと姿を現した。

「古き声。震わせ讃えよ、遥かなる王。天星、地溝、海陰。我は神を映す鏡にして供物。その身で讃え、その身を捧ぐ。〈堕神堕とし〉神鏡悲鳴。伝承の堕神を纏う者。呪いの系譜を砕く者。供物の歴史を終わらせる者……」

 神鏡悲鳴の身体から噴き出した殺気が黒い影となり、その身体を覆っていく。徐々にそれは異形の生物を形どっていった。

 体高は三メートルほど。頭頂からは三本の触手が伸び、頭部に比べて細身な胴からは異様に長く、膝下に達する両腕が伸びている。その先にあるのは巨大な掌と太い五本の指。

 その長い腕の付け根からはもう一対の腕が伸びている。こちらは黒い影に覆われてはいるものの、人間の腕や手に酷似していた。

 細い胴の腰から伸びるのは、不釣り合いに逞しい脚。そしてその先端は二股に分かれ、獣の蹄のようになっていた。

 異形の神像は大きな頭部の半分以上に及ぶ口を開き、おぞましき咆哮を上げる。

「ォ、ォ、オオオオオオ!」

 周囲の建物は僅かな時間、その咆哮に耐えた。しかし直ぐに瓦礫へと変わっていった。

 黒き神を纏った神鏡を中心に、半径五〇メートルほどが更地となる。僕はその縁まで吹き飛ばされ、瓦礫に叩きつけられた。噛鏡失自はいつの間にか姿を消している。

 縫衣ちゃんは元居た場所でその咆哮に耐えていた。

『なかなかやるな』

 神鏡がなにかエコーがかかったような声で縫衣ちゃんを称える。

「喋ってる暇は、無いのナァッ!」

〈獣王無塵〉の効果で縫衣ちゃんの〈轟〉の出力は先ほどと比べて更に上がっている。縫衣ちゃんは土が剥き出しとなった地面を蹴って、神像の胸部分へ向けて真っ直ぐ跳躍した。先ほどよりも素早い動きだった。

 しかし黒く太い腕がその突進を片腕で防いだ。払いのけるように腕を振り抜き、縫衣ちゃんを地面へと叩きつける。

「ォォォオオオオオッ」

 咆哮。今度は指向性を持って放たれた衝撃波は縫衣ちゃんのいた場所を五メートルほど陥没させ、周囲に土砂を舞い上げる。

 縫衣ちゃんは身体を回転させて四つん這いの体勢で着地すると、横っ飛びで追撃の咆哮をかわしていた。そのまま高速で神鏡の周囲を動き回る。

『む……』

 すぐに神鏡は縫衣ちゃんの姿を追えなくなる。

『うっとおしいわねっ』

 神像の両腕から幾本もの触手が生える。一八〇度以上胴を捻ると、触手の生えた腕を振り回しながら周囲一帯を攻撃した。

 回転ブランコのように周囲を襲う触手の群れを、縫衣ちゃんは殺気を集中させた瞳で見切ってかわす。

 神像の攻撃が止んだ一瞬の隙を突き、縫衣ちゃんは両腕を広げて神像の足元へと疾走する。神像の股下を通り過ぎながら、ダブルラリアットのように両脚を薙ぎ払った。

 神像を纏った神鏡はバランスを崩す。しかし腕から伸ばした無数の触手で身体を支えた。

 その間に地面を滑り、切り返した縫衣ちゃんは跳躍する。仰け反った体勢になった神像の胸辺りに着地して、腕を振りかぶった。

「本体はここナァオ! 私の目は誤魔化せないニァ!」

 しかしその瞬間、それまで動きのなかった胸部分のもう二本の腕が、突然動いた。猫騙しのように縫衣ちゃんの目の前で両手が打ち合わされる。

 その合わされた掌から、拍手の音と共に殺気の波動が放たれる。縫衣ちゃんは宙へと吹き飛ばされた。

 遮蔽物がなくなった空中を、吹き飛ばされた縫衣ちゃんは放物線を描いて遠くまで飛ばされていく。

『ォォォォオ――』

 その空中にいる縫衣ちゃんへ向けて、指向性を持った咆哮が襲い掛かる。

「うニャァ……」

 縫衣ちゃんの全身に衝撃波が叩きつけられる。そのまま更地となった範囲から大きく吹き飛ばされていったが、咆哮が収まった数瞬後には縫衣ちゃんは戻って来ていた。

 縫衣ちゃんを包む分厚い〈轟〉に阻まれ、衝撃波はさほどダメージを与えられなかったようだった。

 しかし縫衣ちゃんの〈術〉には副作用として時間経過とともに理性を失うという効果がある。決着を急ぐ縫衣ちゃんは〈集〉を発動し、右手に殺気を集めた。

「ナァァロロロロォォォオオオ」

 一筋の矢のように、縫衣ちゃんは地を駆ける。

 神鏡は神像の太く長い両腕の先を打ち合わせた。影を煮詰めたような両手が縫衣ちゃんの数メートル前で合わされ、そこから特大の衝撃波が放たれる。

「フギィィィィィィ」

 衝撃波に勢いを殺されながらも縫衣ちゃんはじりじりと進み続ける。

 しかし勢いよく打ち合わされた両腕に引っ張られて、無数の触手も振られる。それらは縫衣ちゃんの周囲でぶつかり合い、無数の衝撃波を生み出した。共鳴効果により強められた衝撃波が、内側にいる縫衣ちゃんを全方向から襲う。

〈獣王無塵〉と凸であることによって膨大な出力を誇る縫衣ちゃんの〈轟〉でも防ぎきれなかった衝撃が、縫衣ちゃんに血を吐かせた。

「ニャギィィィィイッッッ――切り札だナァァァアアアアアアッッッ」

 全身への〈集〉。

 殺気の出力を上げ、留め置く技術を利用した、縫衣ちゃんの奥の手だった。

 膨れ上がった〈轟〉が全ての衝撃波を無効化する。神像の口が再び開き、咆哮が放たれた。

『オオオォォォオオオオオオオオッ』

 しかし今の縫衣ちゃんには威力が足りていない。縫衣ちゃんは腕を再び振りかぶり直し、殺気の波動の中を突き進む。

 足元に辿り着いた縫衣ちゃんは胸部へ向けて一直線に跳躍する。胸に生えた二本の腕が叩き合わされる。

「ナァラッッッッ!」

 しかしその拍手は間に合わなかった。縫衣ちゃんの左腕の振りに合わせて増大した〈轟〉が腕を削ぎ取ったのだった。

『く、そっ』

 今までとは比較にならないほどの殺気を纏った縫衣ちゃんの右腕が、跳び上がるのに合わせて、神像の胸部を貫き、頭部までを消し飛ばした。

 


 神像が形を失っていく。影が泥のように溶け、地面に吸い込まれるように影へと還っていく。

 そしてその足元に両腕を失った神鏡がいた。両肩と身体の全面を地に塗れさせ、しかしまだ立っていた。

「直前で神像から脱出したわ……。危なかった……。でも、まだ危機は続いているのかしら?」

 神鏡の前には理性を失った縫衣ちゃんがいた。切り札を使うと理性の消失が早まってしまう。縫衣ちゃんは四つん這いになって唸り声を上げ、今にも飛び掛かろうとしている。

「フルルルルゥ……」

 しかしそこに割り込んだのは噛鏡失次だった。

「「させま……せんッ」」

 失次は二人いた。しかし片方は殺気によって作られたものであることがわかる。〈友人の創造〉で創られた少女とよく似ていた。

 しかし失次達は二人まとめて縫衣ちゃんの片腕の一振りによって薙ぎ払われる。殺気で作られていた方は消失した。

「ぐぅぅっ」

 更地を転がった失次は縫衣ちゃんへと叫ぶ。

「一番大切な友達を想像しろッ」

 理性を失った縫衣ちゃんがその言葉に耳を貸すとは思えなかったが、〈術〉に含まれる効果だったのかもしれない。失次の言葉を聞いて、縫衣ちゃんが失次にちらと目線をやる。

失次の身体から流れ出した殺気は失次の前で形となった。

 首筋の隠れない程度の短い黒髪ショートカット。活発さを感じる瞳。半袖パーカーとホットパンツ。サンダル。初夏の休日に友達と遊ぶような時に着るような服装をした中学生くらいの少女だった。

「ぐるぅ……」

 縫衣ちゃんが意気を落として少女を見ている。理性はなく、目に映る者全てに攻撃するはずなのに、感情が縫衣ちゃんの行動を抑えているのだろうか。

「ナァァッ!」

 縫衣ちゃんは一瞬で少女の目の前まで移動する。そして腕を振り上げて攻撃しようとしたが、顔を歪ませ、ぎりぎりと唇を噛み締めてその場で静止する。

「……縫衣ちゃん、こんなになっちゃって……。可愛い顔が台無しだよ?」

 少女は縫衣ちゃんへ向かって微笑む。

「縫衣を助けられて私は幸せだったんだ! それなのに縫衣がいつまでも気にしてるっていうのは、あまり気分が良くないな」

「ナァ……ナァ……グガァッ!」

「……いいんだよ。……今だから言うけど、話しかける前から私は君のことが、き、気になってたんだ。私にはないおしとやかさ……っていうのかな。が、あったからさ。だから君のことを守れて、私は嬉しかったし……」

「ガ、ァァ……ワ、私、は……ガァア!」

「だからさ……縫衣はもう……」

 突然現れた二本の太い鎖が縫衣を縛り付ける。それは殺気で出来たもので、鎖のもう一端は己鏡失次の両手の〈轟〉へと繋がっていた。

「ふふふ、友情とは足枷。互いを縛る鎖。自身を捕らえる網。〈友人の創造イマジナリーフレンド〉己鏡失次。主従関係を友人関係に変えるなど許されません。友情は害にしかならないのですから……このようにね!」

 両手から鎖を伸ばした失次は、額に冷や汗を浮かべながら神鏡へ叫ぶ。

「今ですッ。やって下さいッ!」

 そうわめく失次へ微妙な視線を向けた神鏡だったが、喉に殺気を溜め、全力の咆撃を放った。

 神鏡の殺気を孕んだ咆哮が指向性を持って鎖に縛られた縫衣ちゃんを襲う。二人はこの拘束と咆撃に可能な限りの殺気を注ぎ込んでいるようだ。切り札を既に使用済みの縫衣ちゃんでは、まともに食らえば死んでもおかしくない。

 鎖を千切ろうとしてもがく縫衣ちゃんを己鏡が全力で抑え込もうとするなか、生み出された少女が自分の手を見つめた。

「制限が、緩くなってる……?」

 少女は迫る暴虐な衝撃波に目をやると、縫衣ちゃんと衝撃波の間に割り込んだ。縫衣ちゃんは理性を失いながらも、それを見て喚く。

 少女は振り返り、衝撃波に背を向けた。四つん這いに近い格好で喚いている縫衣ちゃんを見下ろしながら、再び微笑んだ。太陽のような、温かい陽だまりのような、笑顔だった。

「私の分までライトノベルを読んで、アニメを見て、楽しんで生きてっ! 自分を責めるのは終わりにしてさ。もう、自暴自棄になるのは止めてよっ!」

 少女は――更地の縁で動けなくなりながらも、〈集〉による視力強化で戦いの推移を見つめている僕の方に、視線を向ける。

「縫衣にはもう新しい友達もいるんだし。私は全く恨みになんて思ってないけど、自分を赦せないなら、縫衣にはこう言った方がいいのかな」

 そして、迫る衝撃波を背景に、少女は言った。

「私は縫衣が好き。それに、縫衣を赦すよ。だから、お願いだから、幸せになって」

 衝撃波が二人を飲み込んだ。


 

 衝撃波は地面を大きく抉り取っていた。その跡は更地の縁まで続いていたが、その中ほどにズタボロになり、〈轟〉の維持もままならなくなっていた縫衣ちゃんが倒れていた。四肢の先のいくつかは欠損しており、皮膚の大部分から出血している。

 土煙が晴れた後、神鏡と己鏡も、僕とほとんど同時に縫衣ちゃんを見つけていた。神鏡はほとんど全ての殺気を遣い果たしており、〈轟〉による止血もままならないようだ。

 そんな神鏡を見て、己鏡は駆け寄ろうとする。しかし神鏡は叫んで己鏡を押し留めた。

「来るな! ……まずはとどめを刺せ。確実に息の根を止めろ!」

 はっとしたように足を止めた己鏡は、「はっ」と忠実な下僕らしい返事を返すと、縫衣ちゃんの元へと走り寄っていった。

 僕はその様子を見ながら何とか身体を動かそうとするも、動けない。絶望が僕を襲っていた。

 己鏡は縫衣ちゃんの傍へとたどり着くと、微かな〈轟〉に包まれた縫衣ちゃんを見下ろした。

「……殺気の欠乏というよりも、ダメージによる意識の混濁、ですね。それでも〈轟〉を維持しているのは流石です。しかし私の一撃を防ぎうるほどでは、ない」

 己鏡が腕を振りかざす。その手から地面と垂直に、太い鎖が伸びる。

「これで終わりです」

 鎖が振り下ろされる。それは再び土煙を上げた。

 

 しかし、その直後、己鏡の戸惑いの声が更地に響く。

「な……嘘です……そんなはずはない……っ!」

 煙が晴れる。鎖は、僅かに体勢を変えた縫衣ちゃんの、胸の前で交差された両腕によって防がれていた。

 よく見ると……失われていたはずの腕の先が、徐々に復元されていっている。

「う、嘘だ! そ、そんなはずは……そんなはずはないんだ!」

 己鏡は鎖を何度も何度も振り下ろす。しかし大幅に出力の低下していた鎖は、回復と共に意識がはっきりしてきた縫衣ちゃんの纏う〈轟〉を破れなかった。

 そして。

 その全身を回復しきった縫衣ちゃんが、立ち上がる。

「……また、夕陽ちゃんに守られた」

 縫衣ちゃんが呟く。右手を胸の前で握りしめる。

「ありがとう、夕陽ちゃん。私にとって必要な言葉を選んでくれたんだね。――私は、私を赦す。夕陽ちゃんの願いを、思いを継ぐために、もううじうじしてられないわ。そして二度と、友達を失いはしない。新しい絆を、友情を、守り切って見せる。私は――そう、〈獣王無塵〉改め――」

 縫衣ちゃんは、顔を上げて己鏡を真っ直ぐに見つめた。

「〈夕陽不沈〉須玖師縫衣。私は沈まぬ夕陽。数多の傷を負いながらも、決して砕かれえぬ盾」

 縫衣ちゃんの傷は既にほとんど完治している。それに伴い、〈轟〉の出力も、万全とまではいかないが、戻っている。

「こんなことを言うのはおかしいかもしれないけど……ありがとう。夕陽に会わせてくれて」

 縫衣ちゃんはその得意な〈集〉で、二人の瀕死の殺気遣いの命を刈り取った。



「僕が瓦礫に吹き飛ばされて苦しんでいるというのに呑気に戦っていたとは!」

 髑髏躑躅蹴鞠は神鏡悲鳴が神像纏った後の周囲への咆哮で、直撃は避けたものの飛んで来た瓦礫の一部が当たり、かなりの大怪我をしていた。

 そんな蹴鞠がまた理不尽に縫衣ちゃんに怒っていたのだが、その結果は普段とは様子が違っていた。

「ごめんね~」

 縫衣ちゃんは蹴鞠を正面から抱きしめ、頭をナデナデしている。蹴鞠は調子が違ったように戸惑いの表情を浮かべていた。

「な、お、おい、もっとちゃんと謝……」

「ほんとにごめんねぇ~」

 縫衣ちゃんはあからさまに誤魔化すようにその豊満な胸部を蹴鞠の顔に押し付けて黙らせる。

「おふっ、……ちょ、やめ、息……、死ぬっ!」

 蹴鞠は暴れるが実は素の力も結構強い縫衣ちゃんに抱きすくめられて動けない。

僕はその様子を羨まし気に眺めていたが、その視線に気がついた縫衣ちゃんが微笑んだ。

「……シラヒ君も……して欲しい?」

「ゴフゥッ」

 僕は鼻を押さえながら生き絶え絶えに呟く。

「ぬ、縫衣ちゃん、大人っぽくなったね……」

 そう。アダルティーな意味ではなく、秋葉原の一件の後、縫衣ちゃんは大人っぽくなった。前みたいにどこか張りつめていた感じが消えていた。

「まあ、私がちゃんと生きることが夕陽の願いでもあるみたいだからさ。私が不幸みたいな顔をしてたら、夕陽にも悪いかなって」

 僕は机の上に置かれていたライトノベルに目をやる。それは縫衣ちゃんがさっきまで読んでいたもので、表紙には可愛い女の子が描かれ、涼宮ハルヒの驚愕、というタイトルが躍っていた。

「私、最近のラノベの流行あまり知らないからさー。シラヒ君は結構知ってるんでしょ? 教えてね!」

 そういう縫衣ちゃんは太陽のように輝いて見えた。


 ――――須玖師縫衣の友情〈完〉

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