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七瀬桜の炎上

「〈夜の森〉の信頼を回復するために千本桜良を殺害するべきです」

 そういう内容のメールを上層部である特殊戦闘作戦指令室に送った翌日、僕は指令室長に呼び出されていた。

「まずはかけろ」

 乱暴な口調でソファを進めたのは鬼瓦仁おにがわら・ひとし。スキンヘッドが目立つ身長は低めなものの、大柄な男だ。

 鬼瓦仁は元々ゼロから育て上げた中小企業の社長を務めて大企業に売り、四十代前半でそのまま取締役を務めた。四十六歳の時に殺気遣いが出現、同年妻を殺気遣いに殺害される。

 その恨みで殺気遣いに覚醒。金や人脈で警察を大いに動かし、二週間ほどで犯人を特定、まだ未熟だった殺気遣いを殺害する。その頃は警察も殺気遣いを逮捕することは難しいとしていたため、その殺害を黙認した。

 一度は取締役としての職務に戻った鬼瓦だったが、非道な振る舞いを続ける多くの殺気遣いに対し、自分が出来ることを考える。殺気遣いによる民間組織を設立し、妻を殺された時に生まれた警察との関係を使って殺気遣いに関する事件に協力する。中でも犯人特定後の殺害を担当する。

 数年間その活動を続けた後、国家公安委員会による〈夜の森〉設立に際してその主たる戦力となる特殊戦闘部の長としてのオファーを受ける。殺気遣いとしての戦闘経験、ひとの上に立ち、組織を動かす経験。そのどちらも持っていた鬼瓦は時代に即した貴重な人材だった。

 そして設立していた民間組織の戦闘員・事務員をそのまま連れて、特殊戦闘部の長となる。その時の戦闘員は多くが大襲撃にてその命を散らしたものの、一部は生き残って今でもA級トップクラスの戦力として活躍している。

 鬼瓦自身は流石に戦闘から距離を置いてから長いため相応に戦闘能力は低下しているはずだが、その威厳は全く失われていなかった。

「さて、昨日君から送られたメールに関してだが、確かに良いアイデアだ。多少レトリックが必要だがイメージ戦略としては効果的だろうな」

「それなら――」

 僕は意気込んで前のめりになる。しかし鬼瓦室長は淡々と続けた。

「だが、二つほど問題がある。一つはまあ、大した問題ではない。もう一つは対処に時間がかかる」

 鬼瓦室長は僕に向き直った。

「まずは、俺は玖凪シラヒ君が個人的に千本桜良に対して恨みを抱いていることを知っている。そのために今回の件を利用して〈夜の森〉を動かし、その個人的な恨みを晴らそうとしているのではないか? これが一つ目の問題だ」

「それは、どちらの問題なんですか? 大したことがない方か、それとも対処が必要な方か」

 僕はつばを飲み込んだ。淡々とした鬼瓦室長の言葉だったが、その台詞には重みがあった。嘘をつけば簡単に看破されるだろうという重みが。

「君の返答次第だ。予想と異なればその問題の種類自体が変化することも有りうる」

 僕は慎重に説明する。自分の事情を知られていることを前提として、確かに今回のことがいいチャンスだと思ったこと。しかしだからといって〈夜の森〉に損害を出したり、その評判を貶めたりする意思は全くないこと。この提案が却下されたからと言って復讐を強行するつもりはないこと。

 僕の冷や汗をかきながらの説明を聞いた鬼瓦室長はふむ、と軽く頷いた。

「まあ、大体こちらの想定通りだな。それなら問題ない」

 ……この野郎……。

僕が殺意を込めた瞳で睨みつけると、それに気がついた鬼瓦室長が軽く僕を睨む。

――死ぬッ!

僕は思わず〈轟〉を最大硬度で発動させていた。そして直後に呆れた表情をした鬼瓦室長と目が合う。

「おいおい、そのソファーどうしてくれるんだ? 高いんだぞ?」

 僕は〈轟〉を発動した勢いでソファーを大きく押しのけ、くの字型に歪ませてしまっていた。木材と中に詰まっていた硬質スポンジが飛び散っている。

「――脅かさないでくださいよ」

 僕は〈轟〉を解除してそのソファーの比較的原形をとどめている端の方に再び腰を下ろした。

「いやなに、君と二人で話すのは初めてだし……相手の力量を正確に把握しておくのは重要だろう? 敵を知り己を知れば、百戦危うからずというじゃないか」

「あなたは敵でも己でもないでしょうよ。……敵なんですか?」

「君が〈夜の森〉に反する行為をしない限りは味方さ。さて、この調子なら君がこの事態を引き起こす為にわざと見上宙の襲撃を誘発させたという線もなさそうだな」

 あるわけないじゃないか、と思わず言ってしまいそうになるほど腸が煮えたが、何とか押さえつけた。他人にしてみればそう見えることもあるのかもしれない。

「さて。それでは大したことのない問題に関しては終わりだ。次は対処に時間がかかる問題だ。簡単に言うと千本桜良を反社会的な殺気遣いだと断定できる根拠に乏しい」

「……? そんなはずはないし、仮にそうでも情報部に頼めば……」

 僕に送られてきた調査結果でも僕の父親を殺したのが千本桜良である可能性は極めて高いとのことだった。その一件だけでも動けないのか? それに情報部の〈若くない方のエース〉や〈ネットの得意なギャル〉に頼めばすぐに情報は集まりそうなものだが。

「君の件に関する千本桜良の資料は読ませてもらった。君は願望的偏向から千本桜良が君の父親を殺害した可能性が極めて高い、と読んだようだが、実際にはその可能性がある、という程度のものだ。そしてその調査には君の熱烈な願望もあり〈ネットの得意なギャル〉に加えて〈若くない方のエース〉も参加したわけだが、彼女が参加してその程度の情報しか取れなかったというところに彼らの一派の情報隠蔽能力を見てほしい。

ここ最近のものでも千本桜良が関与していると思われる事件はいくつかある。しかしそれらを辿っていくと千本桜良に辿り着く遥か手前で、その痕跡が途絶えている」

 日本最高レベルのウィザードである二人と同格のウィザード……?

「〈痕跡のない魔女ソースレス・ソーサレス〉……?」

「可能性はある。なんにせよ大金を支払って隠蔽をしているんだろうな。その金がどこから出ているのかを考えると、大企業が背後にいる可能性もある。それこそ夏冬春秋が取締役を務める四菱電子とかな。そういった企業は更に高度なウィザードを飼っているという噂もある」

 僕が貰った調査でもどのようにして父親を死に追いやったのかは全く分からなかった。やはり千本桜良は一筋縄ではいかない。

 復讐のし甲斐がある……とは思わない。復讐相手は弱ければ弱いほどいい。相手が難敵であれば余計に憎しみがつのるだけだ。

 しかし鬼瓦室長は千本桜良に対して手は出せない、と言っているように聞こえる。僕は徐々に落ち込み始めていた。

「まあ、とはいえ〈夜の森〉を動かせないこともない。ほとんどが状況証拠であり、説得力に乏しいものではあるが、それらを一纏めにして加工すればそれなりのものになる。今回の件での事情聴取のために顔を出せと言うことくらいは可能だ」

 希望がさした。それで拒否されたら反社会的として殺害の為に動けるのだろうか。

「それだけでは確約は出来ん。展開次第ともいえる。まずは証拠を纏めてそれなりの説得力を持つものに仕上げる。しばらく時間が必要だ。情報部に見積もりをさせたところ二週間ということだった。千本桜良自体は特別危険だという扱いでもないから、他の喫緊の対応が必要な業務との並行になる。更に言うならもし千本桜良の殺害に動けることになっても、恐らくA級は出せない。B級で対処してもらうことになる」

 鬼瓦室長はそこまで言うと皺の出始めた顔を緩めた。

「だがお前と仲がいいらしいB―1班くらいはつけようじゃないか。B―1班とB―3班の共同作戦だ」


「……ということらしいけど」

 僕は同週の土曜日、新宿歌舞伎町、TOHOシネマズの入り口の前でB―1の縁下優視さんと七瀬桜に向かって言った。

「それは別に構わねーけどなぁ。なんでお前が来てるんだ? お前も見たかったんなら早めに言ってもらわねーとな。今チケット買っても隣の席が空いてるとは限らねーぜ?」

「私が頼んだのよー。何とか止めてくれないかって」 

 そう僕は縁下優視さんに頼まれたのだ。民間レジャー施設利用の自粛を求められたにもかかわらず、事前に予約を取っていた映画鑑賞を強行しようとしている七瀬桜を止めるようにと。

「あぁ? 元々は縁下が聞いて来たんだろうが、おすすめはないかってよ」

「確かにそうだけど……」

「あんな下らねぇことのせいで芸術鑑賞が妨げられてたまるかよ。しかも今日は西村春維先生原作の公開初日だぞ。舞台挨拶でサプライズゲストの登壇も予定されてる。西村春維先生が登壇するとは考えづらいが、可能性が僅かでもあるなら行かないなんて選択肢はあり得ないね」

 あー、こういう奴なんだよな……。

「でもまた新聞とかに書かれたら……」

「知るかよ。そもそも文学が法学やら社会学やらに屈することがあっちゃならねーんだ。絶対にキャンセルしてたまるかよ。つーかそろそろ時間だ。行くぞ縁下」

「ふぇぇぇ」

 縁下さんが無理やり連れていかれる。

「ふぇぇぇ、助けてよぉ、シラヒ君……」

 ……しょうがない、もし万が一襲われたときに力になれるように僕も近くにいないとね! 西村春維先生に会える可能性があるから、とかそういうわけではなく!

 

 そういうわけで僕らは映画館に入った。残念ながら七瀬と縁下さんは中央付近のめちゃめちゃ良い席を取っておりその周辺は満席だったため、中列の階段のすぐ傍の席になった。なんでも仕事で行けるかわからないが一応チケットを取ったという人が結局行けずにキャンセルしたらしい。当日キャンセルの為チケット代が戻ってくるわけではないのだが、見たい人がいるかも……ということだったのだろうか。ありがたや。

 映画は異能力が登場するエンターテイメント作品でありながらも、古典的文学要素を取り入れており、尚且つそれが視覚に訴える派手な表現によって、映像作品として素晴らしいものになっていた。

ストーリーでは最終盤は特に感動した。こんな感じである。

ヒロインは実は主人公以外の多数の登場人物と不倫を重ねていた。ヒロインは主人公に泣きながら「本当に好きなのはあなただけなんだけど、生来の精神的性質と肉体がそれを許さないの」というようなことを言う。主人公は彼女や知り合いには内緒にしていた、契約を遵守させる異能力を明かし、「君が望むなら、この能力を君に使う。そうすれば君は僕が解除するまで、他人と恋愛関係や肉体関係にはなれなくなる。でもそれを望まないのなら、君の精神が本当に僕以外の男性や自由を望むなら、別れよう」と言い、ヒロインがその能力の発動を受け入れて終わるというほろ苦い終わり方だった。。

どこがほろ苦いかと言うと、この時点ではヒロインの全てを、主人公がまだ手に入れてない、ってところだね。

ちなみに原作では次のパートで能力が解かれてしまうが、その前に色々あってヒロインは完全に主人公のことが好きになっている。次パートの敵、ヒロインの元不倫相手はヒロインを主人公の精神支配から解放するために色々頑張るんだけど、結果的に能力に関係なく主人公のことが好きだったということが想定外で、主人公に敗北してしまう。

その時の原作の台詞は「あなたからの情熱的な愛情は嬉しいわ。その愛は熱く私を焦がすでしょうね。でも私は今、彼からの優しい愛情に包まれて毎日が幸せなの。もうその優しい、幸せな愛を全て焼き尽くしてしまうような恋は、私には必要ないのよ」だった。

因みにその後に強姦されかけながら主人公の名前を叫び続けるシーンもすごくよかったが、話し出すと止まらないので割愛。

 そして上映が終わり照明が点くと、舞台挨拶の為に演者さん達がスクリーンの前の壇上に出てきた。アナウンサー以外全員が映画内で見た顔であり、そのことからも西村春維先生が来ていないことがわかる。

 演者がお礼を言ったり、アナウンサーがインタビューをしていったりで舞台挨拶が進んでいく。

 その間にふと隣を見てみると、大きな円眼鏡をかけた水色の髪の若い女性が、スマホで電子書籍のコミカライズ版を読んでいた。

 僕は原作勢なので漫画版は読んでおらず、特徴的な絵柄で描かれていることもあって視線が吸い寄せられてしまう。ちょうど映画の続きだった。

 この辺りは次のパートまでで一つの完成形みたいなところあるからね。続編制作も決まってるみたいだし、映画を観て感動した人にはぜひ原作でもコミカライズでも続きを読んでほしい。

 正直俳優の撮影中に何を思ったとか、現場の雰囲気がどうだったか、とかは全く興味がなかったので、僕は思わずその漫画版がすっすっと右にスライドしてページがめくられていくのを注視してしまった。

 大学生と言っても納得の水色髪の女性も僕に気がつき、小さく笑ってさりげなく見えやすい位置にスマホを動かしてくれる。自分で買え、というのは間違いない話なのだが、原作で話を知ってる分お金がもったいない気がしてしまうのだ。ファン度が足りないのかもしれない。

 反対側の席の三十代くらいの濃い赤髪のお姉さんも少し身を乗り出して、水色髪の女性のスマホを覗き込んでいる。結果的に三人で映画の続きを漫画版で追うことになった。

 お姉さんは結構な早読みだったが、原作を知っている僕には問題がない。反対側のお姉さんも真剣にページを追っている。多分読み取れているのだろう。

最初に全巻購入していたのか、途中で詰まることもなく、舞台挨拶が終わらないうちに次パートの最後の台詞に辿り着く。そこで反対側の席のお姉さんはぶわぁっと瞳に涙を浮かべ、口を手で覆った。

 赤髪のお姉さんも身に覚えがあるのだろうか。結構綺麗な人だし、三十歳くらいになれば色々な恋愛経験があるのかもしれない。

「……これ、すごいな。分かるよ。最初は燃え上がるような愛を求めるんだよ。でも一通りそれを味わうと優しい愛がほしくなってくる。かといって最初から優しい愛だけだと、多分燃え上がる愛を求めて、結婚して数年後とかに不倫だったり不味いことをしちゃうんだよな」

 少し掠れたような声でお姉さんが感想を述べる。僕は実体験はゼロだが文学から得た知識でやっぱそうなのかなーと思いながら頷いていた。

 真ん中の人は嬉しそうにニコニコしながら言った。

「ありがとうございます……大体そういう解釈で書きました。それにしても……ここまで感動してもらえるなんて、やっぱり私は天才なんだなー」

 ……ん?

「……え?」

 僕と赤髪のお姉さんの口から間抜けな声が漏れる。舞台上でアナウンサーが声を張り上げた。

「それではっ、皆さんお待たせいたしました! サプライズゲストの登場ですっ! 原作を書かれた西村春維先生っ、どうぞっ!」

「ごめん、そこちょっと空けてもらってもいい?」

 

「ここ、本当は関係者席なんだけど、来れなくなっちゃって、ファンに申し訳ないと思って空けたんだよね」

 そう言いながら僕が避けた足を跨ぐようにして目の前を通っていくこの二十代前半としか思えない女性が――西村春維っ? 確かもう活動歴は十年近くになるはずだぞ? 十代前半でデビューしたってことっ?

 しかし、確かに、それならプライベートの情報が、全くと言っていいほど出てきていないことにも納得はいく。

 大学を卒業したばかり、という風の女性が映画館の端の階段を軽やかな足取りで降りていく。館内にいた人もそれに気がつき、徐々にざわめきが広がっていった。その若さに「嘘だろっ?」という声も漏れ聞こえてくる。

 そして舞台に上がった彼女は出演者に九十度くらいの(作法としてはやりすぎな)お辞儀をした後、アナウンサーから別のマイクを受け取った。

「それではっ! 国内外で大人気の超売れっ子作家、西村春維先生のご登場です! 顔出しは十年近くのキャリアの中でも今回初めてですが、なぜご登壇を引き受けてくれたんですか?」

「大学を卒業して色々解禁したから! それに私って可愛いでしょ? 顔出しした方がもっと売れるかなって思って!」

「な、なるほど……? ま、まあ今回はこの映画に関して色々とお話を伺いたいと思います!」

 西村春維先生はアナウンサーからの様々な質問にテキパキと朗らかに答えていく。出演者からも色々と質問が飛んだ。先のインタビューの時に聞こえていたが、出演者もほとんどが西村春維先生のファンだった。その中の一人は大分興奮した様子であれこれと聞き、アナウンサーに止められて、会場が笑いに包まれた。

 その笑いに混じって、低い呟きが聞こえて来た。

「なるほどなぁ……そういうキャラクターなら、恨みを買うこともあるんだろうなぁ……」

 女性の声だ。そしてそれは西村春維先生の隣に座っていた、濃い赤髪の三十代の女性から漏れていた。

「そういうキャラクターなら……あの国を名指しで批判するのも納得だぜ。その結果私に依頼が来るのもなぁ……。波濤の中に立つ尖岩、だったか? 繰り返される波のような侵略に対しても、いずれ波に削りきられて崩れ落ちるまで立ち続けることを止めない。……いい話だぜ。そのせいで、二十と少しという若さで才能を散らすことになる。私がその海より来たりし破壊の流木ってわけだ。尖岩にぶつかり、それを圧し折る流木だ。残念だ……残念だぜ。これ以上作品が増えないという事実がなぁ……だが、既刊の小説はこれから読んでみるとするぜ……戦地でも電子書籍で読めるよな?」

 あまりの殺意に周囲の空間が歪む。近くの観客は恐慌に駆られ、悲鳴を上げながら逃げ出した。

僕の額にも冷や汗が流れる。このプレッシャーは……この殺意はッッッ!

 次の瞬間、赤髪の女性の目の前に七瀬が現れた。〈轟〉で全身を覆い、右拳を〈集〉で強化し、更に縁下さんの〈与〉で全身の身体能力を強化している。

「――ッラァッッッッ!!!!」

 七瀬の渾身の一撃に衝撃波が広がり、僕は〈轟〉を発動したにもかかわらず吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。その衝撃で思わず目を閉じてしまった。開くとそこには信じられない光景が広がっていた。

 座ったままの赤髪の女性が、纏っている〈轟〉だけで、完全に七瀬の必殺の一撃を防いでいる。七瀬の一撃は右腕で頬杖をついている赤髪の女性の顔の前で止まっていた。

「……退いとけ、雑魚が」

 赤髪の女性はそうぶっきらぼうに言うと、動揺している七瀬をそれまで頬杖を突いていた右の裏拳で殴り飛ばした。紅炎を伴う爆発が起こり、七瀬は僕の横の壁を突き破って、それだけでは止まらず新宿東宝ビルの外まで吹き飛ばされる。

 僕は建物の外まで続く穴から、立ち上がった赤髪の女性に視線を戻す。赤髪の女性は真っ直ぐに西村春維先生へと殺意を向けていた。殺意を向けられていない俳優や、観客達は我先にと逃げ出していた。天井のスピーカーや穴の向こうから放送音が聞こえてくる。

〔殺気遣い出現。殺気遣いがビル内に出現しました。職員の誘導に従い、慌てずにビルから非難してください。繰り返します……〕

〈轟〉を発動しているのにもかかわらず、赤髪の女性は僕の方をちらりとも見ない。対抗戦力とも思われていないようだ。

 赤髪の女性が西村春維先生へ向けて言った。悲鳴と怒号が響き渡るスクリーンルームの中でも不思議とよく通る声だ。

「正直、あんたの作品には感動したぜ。個人的にはあんたにはこれからも生きて、いい作品を生み出してほしい。だが私も雇われの傭兵なんでな。

二週間前にあの国の侵略に対する抗議文をSNS上に上げたろ? あれを訂正して謝罪しろ。世界中で人気があるあんたにデカい声で反対されると、困るんだとさ。なぁに、心からの言葉じゃなくてもいいんだ。適当に謝ったフリをしておけばいいのさ。あの国にはあの国の事情があったのに不適切な発言をしたってな。今すぐ投稿すれば、命は助かるぜ?」

 西村春維先生は真っ直ぐに赤髪の女性を見つめ返す。持っていたマイクを口元に当てた。

「断固拒否します。言葉のプロという誇りにかけて。それにどんな事情があろうと侵略は過去の文脈のものです。現代の文脈を語る者として見過ごすわけにはいきませんね」

 赤髪の女性はニイィィと口角を釣り上げて笑う。心底面白そうに、嬉しそうに。

「そうか。残念だぜ。本当にな。……あんたの小説は電子書籍にあるのか? 戦地まで紙の本を持っていくのは億劫でな」

「あらゆる電子媒体で購読できるようにしてありますよ。……あの国ではどうだか知りませんが」

「あー、まぁネット上にあるなら最悪ダークウェブを中継させればいいからな。大丈夫だ。……よし、じゃあそろそろ死ぬか。変な意地を張らなければ文豪になれたかもしれないのにな」

「え? 私は既に文豪ですが?」

「……ははっ、だが文豪だろうが作家気取りだろうが、いい奴だろうが悪い奴だろうが、有能であろうが無能であろうが、死ぬときは死ぬ。それがあの国で学んだ真実の一つだぜ。天国へこの名を持っていけ」

 赤髪の女性は名乗りを上げる。

「人類に文明を与えたのは火だったが、人類から文明を奪い去るのもまた、火であろう。炎が全てを焼き尽くした時、そこに残るのは平和な大地である。〈非人道兵器レーヴァテイン〉紅鷹・ルイスチナ・結衣。国際的に禁止された非人道兵器に改良加えられたらどうなっていたか、その目で確かめるといい」

 心なしか濃くなった赤――紅の髪の女性の纏う殺気が僅かに変質する。次の瞬間、何らかの方法で西村春維先生は殺されるだろう。しかし僕は既に映画館の壁に手を付いていた。

「〈雷樹〉ッ!」

 今の僕に可能な最大電力で紅鷹結衣に電撃を浴びせる。紅鷹結衣は春維先生に対する攻撃は止めたものの、一切効いた様子はなく顔を僕の方へ向けた。

「……速いな。気配がしてから反応する間がほとんどない電撃か。だが威力の方はお粗末だ」

 紅鷹結衣は電撃を浴びたまま、全く気に介さずに歩いてくる。左拳に殺気が集まる。炎のように燃え上がり、紅色に染まる。

「その程度の〈轟〉ではこれは受け切れないだろ? さっさと防御行動をしろ」

 逃げたり、避けたりは出来そうにない。僕は唇を噛み締めながら〈轟〉を最大限まで硬くし、〈送電戦線〉を付与した。これで僕の〈轟〉に触れた瞬間、カウンターで電撃が放出されるはずだ。僅かでも紅鷹結衣の殺気を削るために電撃を浴びせるのも止めない。

「……ハッ、なんだそりゃ。消えろ」

呆れたような紅鷹結衣が無造作に左拳を突き出す。適当ともいえる乱暴さだったが、僕にとってその拳が意味するのは「死」そのものだった。

「ぐ……?」

しかし、顔面に打撃を食らい、よろめいたのは紅鷹結衣だった。

「……なるほどな。玖凪の全力の〈雷樹〉と俺の〈集〉〈拡〉〈放〉の統合殺気術〈虎砲〉の威力を合わせれば、ダメージが入るのか」

 僕の隣の壁に新たに空いた直径一メートルほどの穴。その周囲の壁が崩れ落ちる。

 そこに立っていたのは脇腹に紅の炎を残した、七瀬桜だった。


 僕は今は効果が薄いとみて、〈術〉を解除する。紅鷹は鼻を押さえ、手についた僅かな血に目を落とした。

「そのレベルの〈陰〉、さらに〈集〉〈拡〉〈放〉の統合殺気術か。面白いが……まずは仕事を済ませないとな」

 すっ、と紅鷹結衣が視線を左に向けながら、左手をステージの方へ伸ばす。

 次の瞬間、西村春維先生の周囲に、円筒形の爆弾のようなものが十個ほど現れた。

「ッ、〈創〉かッ! マズイッ!」

 七瀬が叫びながら、春維先生を救おうと高速移動を始めようとしたが間に合わず、それらの爆弾が紅の炎を撒き散らしながら爆発した。

「先生ッッッ!」

 ステージがえぐられ、紅炎が一面を燃やし尽くす。

「……大丈夫。私も殺気遣いだから」

 しかし爆炎が収まった時、その中央には春維先生が立っていた。その身体は球形の殺気に覆われている。

「〈硬〉。自分の身は自分で守れるから、君達は戦いに集中して」

 〈硬〉の表面で燃え続ける紅炎に嫌そうに目をやりつつ、少し息を荒げている春維先生は気丈にそう告げる。余裕ではないのだろうが、その防御力は信頼できそうだ。

紅鷹結衣の〈術〉を分析した春維先生がステージ上から叫ぶ。

「爆弾の形状……消えない炎。〈術〉のモチーフはナパーム弾だね。ナパーム弾の爆発は大した威力はないはずだけど……そこは改良されているということかな」

 一方、殺し損ねた紅鷹結衣は舌打ちをした。

「ちっ、めんどくせぇ……」

 紅鷹は両手を春維先生に向けた。

 先ほどの二倍、二十個ほどの爆弾が春維先生の周囲に現れた。春維先生は焦りの表情に顔を歪ませながら、〈硬〉に更に殺気を送り込んで強度を上げる。

「ッッッ!」

「おまけだ。〈集〉」

 紅鷹結衣の殺気が爆弾の周囲に生成されると同時に爆弾へと注ぎ込まれていく。

「いや、言った傍から申し訳ないけど、これは無理……」

先ほどよりも数も、威力も倍加したナパーム弾の爆発半径は元の数倍だった。

完璧に音響を計算して作られたシアタールームの中に、最高にリアルで、クリアな音質の爆音が轟く。

 ……あ、危ない、間に合った……。

 しかし膨れ上がった爆炎が晴れた後も、春維先生は無事だった。僕が春維先生の〈硬〉の表面を送電線で覆い、爆炎を電撃で迎撃したのだった。

「〈電膜〉……」

 紅鷹結衣がうっとおし気な視線を僕の方に向ける。

 しかしその目が捉えたのは僕ではなく、右足の甲だったはずだ……七瀬の。

 目を見開いた紅鷹結衣は凄まじい反射速度で右腕を折り曲げ、顔の前に差し込む。同時に僅かに〈轟〉の出力を上げた。逆に言うと、僅かにしか上げる時間はなかった。

 直後、サッカーで言うところのジャンピングボレーシュートが紅鷹結衣の右腕に叩きこまれる。紅鷹結衣が体勢を崩し、数メートルよろけて後退した。丁度階段部分で立ち止まる。

「気配がないから目視してないといけないのか……、厄介な。……っ?」

 空中に跳び上がっていた七瀬は左手で座席の上部を掴んでいた。べきっ、と床から座席を引き抜き、〈与〉で殺気を付与して紅鷹結衣に投げつける。

 紅鷹結衣はそれを裏拳で軽々払いのける。しかしその影から二つ目の座席が放られていた。払いのけて初めて二つ目の座席に気がついた紅鷹結衣は驚き、屈むことでそれを避ける。

 座席の影になっていた七瀬の姿が、紅鷹結衣の視界に映る。七瀬は五メートルほど離れた位置で右腰に溜めた拳に、〈拡〉で殺気の上限量を増やし、〈集〉で殺気を集めていた。

 結果、〈集〉だけの時の三倍ほどの殺気が、その右拳に集まっていた。

 紅鷹結衣は余裕の薄い笑みを浮かべる。

「そんな溜めの大きな一撃を私が食らうわけ……痛っ?」

 七瀬の〈術〉、〈物語騙り〉によって「弾かれても避けられても、軌道を変えて再び敵を攻撃する」という物語を書きこまれた二つの座席が、紅鷹結衣の後頭部と背中に衝突した。

「ぐうっ……」

 ダメージ自体はそれほどない。だが無防備に食らってしまい、数歩前によろける。下がった顔を上げると、目の前には大きく踏み込みながら右拳を振りかぶった七瀬がいた。

「玖凪ィッ、俺の拳に〈術〉をッ!」

 僕はその言葉に即座に応じ、七瀬の踏み込んだ脚を伝わせて、右拳の〈拡〉の周囲に送電線を張り巡らせる。

「〈雷衝虎拳〉ッッッ!」

 七瀬の全力の拳が、紅鷹結衣の振り上げた腕の上から叩きつけられる。同時に僕の全力の雷撃が爆発的に紅鷹結衣へと放出された。

 衝突により膨れ上がった殺気が床を砕く。

「が、はっ」

 紅鷹結衣は血を吐きながら、大きく空いた穴から下へ落下していく。僕はすぐに穴の縁に駆け寄る。下も小さめのシアタールームだった。

 落下していく紅鷹結衣へ向けて、両手を構える。右手の指を親指から三本立て、左手を右手首に添えて支える。そして〈集〉で右手に可能な限り殺気を集めた。

 紅鷹結衣が一階下のシアタールームの座席に落ちる直前に、全身の殺気を振り絞って放つ。

「〈雷滅砲〉ッッッ!」

「――ちッ、クソがよォォォォオオオオオオオオッッッッ、〈灼炎の(ブレイジング・ロード)〉ッッッ!!!!」

 紅鷹結衣は両手で咢を示すように前に突き出す。紅鷹結衣の近くから僕へ向かって、空間上に百発を越えるナパーム弾が創成された。その爆弾の道は僕の周囲にまで及んでいる。

 僕は今、殺気の出力のほとんど全てを〈雷滅砲〉に回していて防御力が極端に低下している。近くにいる七瀬も殺気を大出力で扱ったため、一時的に大きく疲労しており僕の防御に回せるほどの殺気はない。

身を守るには〈雷滅砲〉を中断するしかないが、僕は変わらず攻撃にほとんど全ての殺気を注ぎ込んだ。

何故かと言うと――

信じてるから。

縁下優視さんを。

「――いや、これは私では無理ですよっ、〈放〉×〈与〉×〈変〉――〈防膜〉ぅっ」

戦闘開始から〈陰〉で気配を消し、姿を隠していた縁下優視さんから放たれた殺気の霧が僕と七瀬の身体を覆い、保護膜となる。

「私の〈与〉はあくまで補助的なものっ! それだけではその爆弾は防げませんっ!」

「――なら私も手伝おっかな。〈創〉×〈硬〉――〈堅鎧〉」

 保護膜を押しのけるように、僕の〈轟〉と〈防膜〉の間に新たな防御壁が生成される。

「ああ、その状態だと動けませんが……今は別に問題ないですよね?」

 西村春維先生は涼やかな声でそう告げたが、耳を聾するような爆発のせいで途中から聞こえなくなった。

 

 殺気術の衝突と多重爆破によって元々空いていた穴が大きく拡張され、僕はその中を落ちる。紅の炎は〈防膜〉と〈堅鎧〉が消えた時に一緒に消えた。一部消え切らず僕の〈轟〉に触れて燃え続けたが、その部分を〈放〉で吹き飛ばすようにすると除去できた。

 それを見た七瀬も同様に脇腹の紅炎を〈放〉で取り去った。紅炎は意識を裂き続けないといけないし、継続的に殺気を蝕まれる。除去できたのはよかった。

 僕は一階下のシアタールームに降り立つ。映画を止めたまま避難したようで、スクリーンには映っていたのは、僕も知っている男のアニメキャラがギャグ調の顔で大爆笑しているところだった。

 元々は座席やら床やらだった粉塵が収まらない中、僕は瞳を〈集〉で強化し殺気の気配を探る。気配は、ない。

 ……やったか?

 僕がそう思った瞬間、上のシアタールームから七瀬の怒号が響いた。僕は身体がびくっとなる。

「おい玖凪ッ! さっさと距離を取れッ! 遠距離型がそんなに近くにいるんじゃないッ!」

 確かにそうだと思い、僕は階上に戻るために跳躍する。しかし遅かった。両脚が床を離れた瞬間、粉塵の中で殺気の気配が高まる。

「しまった……っ」

 僕はここに来て失策に気がつく。こんな近い距離にとどまったのもそうだし、〈陰〉を遣っていなかった僕の気配は相手に捕捉されている。跳躍の瞬間に合わせることは可能だ。完全な油断だった。

 爆発的に高まった殺気を纏った紅鷹結衣が粉塵から飛び出し、一瞬で僕との距離を詰める。大技の後で出力が落ちているとはいえ、その左拳を覆う紅炎は十分な脅威を放っている。

 僕は身体の前で腕をクロスさせ、〈集〉でなるべく前面の防御力を上げる。

「……認めるよ。お前らは強い。だから本気でやってやる」

「がっ……?」

 僕は背後からの衝撃を受けて体勢を崩す。紅鷹結衣は手を向ける素振りは見せなかった。手を向けなくてもナパーム弾を創成できるのかッ?

 僕は開いてしまった腕を再び必死に顔の前で交差させる。〈集〉はもう散ってしまっている。コンマ数秒の猶予の中で可能な限り〈轟〉の出力を高める。

「無理無理。私もだいぶ出力が落ちてるが、元々が違う……簡易版〈紅炎拳〉」

 紅鷹結衣の紅炎を纏う左拳が僕の交差させた腕をすり抜け、みぞおちに突き刺さる。

 その瞬間に発生した爆発と紅炎が、僕の脆弱な〈轟〉を貫き、僕の身体を上下で分断した。

 意識が暗闇に飲まれる。

 ……ああ、死ぬのか?

 最期に浮かんでくるのは、幼いころ憧れた少女の面影だ。全てはおぼろげで、細かいことは何も思い出せないが、その印象とその時抱いた感情だけは強烈にこの胸に焼き付いている。

 …………ああ、千本桜、僕は君のことが好きだった。

………………何を考えているんだ、僕は?


「玖凪ィィイィイイッッッッ!」

 腹部分を吹き飛ばされた玖凪シラヒを目撃した七瀬桜は、心底からの焦りに顔を歪めて叫ぶ。

 紅鷹結衣の跳躍に僅かに遅れて反応した七瀬桜は既に〈放〉による遠隔打撃を放っていた。大技を放ったタイミングが二人より早かったため、回復も僅かに早く、十分な威力を持った遠隔打撃が玖凪への追撃の体勢に入っていた紅鷹結衣の左肩に当たる。

「……ちっ」

 遠隔打撃は空中の紅鷹結衣をそのまま押し込み地面に叩きつける。その場所を目掛けて七瀬は跳んでいた。

「縁下ァッ! 俺がこいつを引き離すッ! 玖凪を頼むッッッ!」

「任されましたっ」

 七瀬は床に倒れた紅鷹結衣の上に馬乗りになる。

「ちっ、女に乱暴する男は嫌われるぜ……っ」

「俺でも抑えきれるってことは、一時的な疲労はまだ回復してないみたいだな。このまま距離を取らせてもらうぜ」

 七瀬は右手を床につけ、『物語』を付与する。直径三メートルほどで床がくり抜かれ、浮かび上がった。そのまま壁に向かって突っ込んでいく。

 空飛ぶ小島のようになった床は七瀬に〈与〉で付与された殺気を纏い、壁をぶち破って外に出た。

夜でも明るい街にコンクリートや木材で出来た歪な小島が現れる。七瀬はそのまま小島を飛ばし、人の少なかった花園神社の境内、小さな雑木林のようになっていた場所に着陸させた。

花園神社はTOHOシネマズの入っている新宿東宝ビルからは離れていたので、避難している人はいなかった。しかし七瀬達が来たのを見て、石階段や石畳に直接座って話していた人達が、一斉に逃げ出していく。

「そろそろ離せ」

 回復した紅鷹結衣が、腹の上に乗っていた七瀬を殴り飛ばそうとする。七瀬は自分から跳んで石階段の下に着地した。傍には小さな看板が立っており、『座り込み禁止』と書かれている。

 紅鷹結衣も床の残骸から降り、雑木林から出て来た。そして顎に手を当てて少し悩む。

「……おい、場所を変えるぞ」

「あぁ?」

 七瀬は言っている意味が分からず、怪訝そうに聞き返す。

「神社は神聖な場所だろう……こんな所に着地させるな」

「……」

 それでようやく七瀬は紅鷹結衣の意図を理解した。神社に対して敬意を抱いているのだと。

「……いいぜ。こっちだ」

 七瀬は自分の右方にある神社の出口を親指で指し示す。七瀬は先に歩き出し、鳥居をくぐる前に足を止めた。振り返って紅鷹結衣に尋ねる。

「似合わない考え方だな。人を殺すくせに、神社へは敬意を示すのか?」

 紅鷹結衣が並ぶのを待って七瀬は歩き出す。鳥居をくぐり、すぐ近くの明治通りに向かっていた。同時にアプリで現在地を送信。〈夜の森〉がすぐに交通を封鎖してくれるはずだ。車さえ来なければそこそこ広く、人通りがない格好の戦闘場所になる。

「……戦争に駆り出される兵士や傭兵にとって、死後に帰る場所というのは心の拠り所でもある。特に必要がなければ荒したいとは思わない。まあこの国じゃあ、死を目の前にした老人達にしか、この感覚は理解できないかもしれないがな。人を殺すのは……まあ、それ以外に生きる方法を知らないからだな」

「なんでわざわざ悪人になる必要がある? お前ほどの力があれば〈夜の森〉にも入れるだろ?」

 紅鷹結衣は少し難しい顔をした。どう理解させればいいかな、という顔だった。

「まずは私の生い立ちを話すか。日本人傭兵部隊に保護された戦争孤児のロシア人少女が、自分を救った傭兵に恋をして私を産んだ。そして私は傭兵部隊で育てられ、傭兵として彼らと共に行動するようになった。とある紛争で禁止されているはずのナパーム弾を使用され、優先的に逃がされた私以外の傭兵部隊は全滅した。怒りで殺気遣いとして覚醒した私は、一人でその紛争を終わらせた。今は戦争で足を悪くした母親に仕送りをしながら、雇われ傭兵を稼業にしている……こんなところだ」

 紅鷹結衣は明治通りに入る一歩手前ほどのところで足を止めた。そして話を続ける。七瀬としては紅鷹結衣が時間をかけるなら、玖凪の回復もでき、春維先生を逃がすこともできる。メリットしかない。だからこその疑問を感じながらも、紅鷹結衣に付き合って立ち止まった。

「で、だ……。貴様は日本の国家からの依頼で殺気遣いを殺している。私はあの国の依頼で人を殺している……。なんでお前が善人で、私が悪人なんだ?」

「……ああ、それもそうだな」

「日本とあの国では大義が違う。まあ仮に日本の方が優れた大義を掲げているとしよう。だがそれは、今も母親が住んでいる祖国を捨てることには繋がらない」

「……まあ理解は出来るぜ。戦争をテーマにした文学は山ほどあるしな。最近だと「『同志少女よ敵を撃て』が良かったな。最近のトレンドに媚びているようなタイトルだったが、中身はそんなこともなく硬派で……まあラストは今風だったなという感じだったが」

「……いきなり何の話だ?」

 沈黙が流れる。七瀬が口を開いた。

「これから戦うって感じでもなくなったな……。大人しく〈夜の森〉に投降してみるか? 最近敵対していた殺気遣いをスカウトする試みも検討されてるみたいでな。態度次第では穏便に済むかもしれないぜ?」

「いや、それは困る。私が西側の組織に所属したとなれば、国が母親をどうするか分からないからな」

「日本じゃそんなことはないのにな」

「国の代わりを世間が務めるんじゃないのか? 命までは取らないんだろうが。……それはともあれ提案なんだが、私を見逃さないか? ここまで距離を取られて、西村春維先生を見逃した時点で仕事は失敗なんだ。今の私は、ここからどう生きて帰るかを考えている」

「……無理だな。こちら側にメリットがなさすぎる」

「ここから生きて帰れる」

「それはテメェのメリットだろ?」

「いや、お前個人のだ」

「……」

 七瀬は沈黙する。二人の実力差が隔絶していることは分かっている。疲労から回復して出力が通常に戻った七瀬ですら、大技の直後で出力が大幅に落ちた紅鷹を殺しきれないと判断して、距離を取ることを選択したのだ。

 それは理解できている。

 理性では。

 合理的に考えれば、その提案を受けるのが正解なのかもしれない。

 が。

 七瀬桜。

 相手をしているのは七瀬桜である。

「テメェ……舐めてんのかァ?」

 怒気と共に〈轟〉の出力が一段と上がる。

「ぶち殺す」

 それに対し、紅鷹結衣もため息をつく。力の差を思い知らせるように〈轟〉の出力を上げた。七瀬桜よりも大きく、激しい〈轟〉である。

「やれやれ……さっさと殺して、他の狩人達が来る前に逃げるとするか」


 紅鷹結衣が七瀬桜に左手を向ける。七瀬の周囲にナパーム爆弾が出現し、ほぼタイムラグなしで爆発した。

 七瀬は紅の炎に包まれる。爆発を防いだ分と炎が削っていく分で、七瀬の殺気が消費される。

 七瀬は〈放〉の要領で全身の殺気を吹き飛ばした。〈轟〉を食い進んでいた炎が燃やすものを七瀬から近くのビルや路面のアスファルトに変える。七瀬は呟いた。

「不燃物のコンクリートをも燃やす炎……? なんだそりゃ」

「おいそれ、民間建築物だろ? 炎を移していいのかよ?」

「うるせぇ。テメェのせいだろ……ン?」

 七瀬は頭の後ろに殺気の気配を感じ、横っ飛びに避ける。しかし爆発音を聞きながら避けた先でも、腰の後ろにナパーム弾の気配が出現した。

「チッ」

 仕方なしに〈轟〉の出力を上げて防御する。炎が七瀬の〈轟〉に張り付き、食い進む。

 七瀬がまた〈放〉の要領で炎を吹き飛ばそうとすると、また背後で殺気の気配がする。躱しても、防いでも、ナパーム弾の生成と爆発が止まらない。七瀬は炎を吹き飛ばす間もなく火達磨になっていった。

「〈背後の爆弾〉。過去というのはいつ爆発するかわからない爆弾にも似ている」

 一つだけナパーム弾を生成をする場合、紅鷹結衣は同時に行動することができる。炎に包まれている七瀬に接近し、紅炎と共に左拳を突き出した。

 七瀬は背後の爆発と同時に繰り出されるその拳を何とか受けようとする。しかし全身を炎で攻撃されている状態では、拳の防御に回す殺気は少なくならざるをえない。

「ごふっ……」

「ハッ、玖凪の〈雷樹〉と俺の〈虎砲〉で同時に攻撃すればダメージが通る? 一人でやれよ、それくらい。……食らえ」

「――ッ、〈硬〉ッ」

 雷と紅炎、遠隔打撃と拳。確かに状況は最初に七瀬が一発入れた時に似ていた。しかし紅鷹結衣はそれを一人でこなしている。そこでも実力差を示した紅鷹結衣は、七瀬の腹に突き込んだ拳が纏った殺気を爆発させた。

 至近距離で強力な爆発を食らった七瀬は宙に飛ばされる。〈硬〉でダメージを押さえたとはいえ、既にこの短いやりとりだけで、かなりの殺気を消耗させられていた。

 空中で身動きの取れない七瀬に対しても、追撃の手が止まることはない。〈背後の爆弾〉は変わらず七瀬の背後で爆発し続ける。そしてそれは七瀬の身体を紅鷹結衣の方へ押し戻した。

「よぉ、さっきぶりだな」

「……ッ」

 紅鷹結衣は先ほどよりも軽く、大きく吹き飛ぶようなこともない程度の威力で、爆発する拳を連続で繰り出す。同時に七瀬の背後でもナパーム弾が爆発し続け、七瀬は前後の爆発に挟まれて身動きが取れないまま、サンドバッグのように殴り続けられる。

「おら、このままだと三十秒もしないうちに殺気が尽きるんじゃないか?」

 余裕の笑みを浮かべる紅鷹結衣。

しかし僅か十秒後、その表情はこわばり始めていた。

(――躱されている……? 背後の爆発を受けながらッ?)

 いつの間にか七瀬は自分の背面の〈轟〉の出力を上げ、爆発を受け止めながら正面から繰り出される紅鷹結衣の両拳を避け始めていた。

「クソッ、なら複数のナパーム弾で……」

 紅鷹結衣は左手を突き出し、七瀬の背後に多数のナパーム弾を出現させようとする。

 しかし振り下ろされた七瀬の右手の手刀がそれを阻害した。七瀬が炎に包まれた殺気の奥で嗤う。

「ハッ、前面と背面からの同時攻撃ィ? そんなの嫌というほど対策してんだよッ! 斬撃と爆発だと攻撃範囲が違うから、多少は面食らったがなァッ!」

 七瀬は仁王ノ宮の〈双頭竜双刀流〉に勝利するための対策を練り、専用の訓練まで行っている。その訓練が七瀬を救った。

「結果的にあいつのおかげで助かったみたいで気に食わねぇがなァッ!」

 紅鷹結衣は攻撃をいなされ、避けられながら逡巡する。既に状況は大きく変化していた。

(……この歳で一流軍人並みの格闘技術を持っているのか……いや、少し前から一撃も入れられてないことを考えるとそれ以上か? 〈森の狩人〉の訓練もあるんだろうが、元々天才的な格闘センスの持ち主なんだろう。……このまま殴り続けても殺気を削る以上の意味はなさそうだ。それですら背後の爆発と炎だけでは……。これ以上慣れられて不意の一撃を受ける前に、一度立て直すべきか?)

 紅鷹結衣は迷った挙句、視界を塞ぐ意味も込めて、背後で爆発させていたナパーム弾を七瀬の顔のすぐ前で爆発させる。七瀬は一瞬驚いたものの、隙を見せることはなく身体を下げ、アスファルトに手をついて避けた。

 これ以上は状況を悪化させるだけだと考えた紅鷹結衣は拳での連打も〈背後の爆弾〉も止めて、一度距離を取った。七瀬はすかさず身体を覆っていた紅炎を吹き飛ばし、リセットする。

 七瀬はふてぶてしい笑みを浮かべた。

「……勘がいいなァ。そろそろ攻撃の合間に一撃入れられそうだったんだが」

 紅鷹結衣はそれを多少誇張はあるにせよ、ハッタリではないと感じた。防御に意識を割いていない時に相手の最大の一撃を受ければ、それなりのダメージを受けることもありうる。死ななくても移動不可能になれば、駆けつけて来た他の殺気遣いに捕らえられてしまうだろう。

(……このまま手を変え品を変え、戦い続ければ私が有利なままあいつを殺しきれるだろう。だが非常に時間がかかる。この場を素早く離れなければいけない以上、一手で殺したい。どうするか……)

 紅鷹結衣はこれまでの七瀬の言動を思い出し、一つの策を思いついた。常識的に考えれば成功するとは言い難い策だったが、他にいい案も思いつかなかったので、取り合えず試してみることにした。

「……中々器用な奴だな。だが、私の最大威力の一撃を受け止められるほど、肝は据わってないだろ? 私とまともに殴りあうことも出来ない雑魚だもんなぁ。〈森の狩人〉なんか辞めたらどうだ? それとも私のケツとか足の指でも舐めて懇願するか? 殺さないでぇーってな」

「……あぁ?」

 七瀬は額に皺をよせた。口の端がぴくぴくと震えている。

「誰がテメェを舐めるって? 俺が加奈以外のケツやら足やらを舐めるわけねぇだろ。馬鹿にしてんのか?」

「…………」

 キレる方向性があまりに違い、思わず紅鷹結衣が真顔になる。

「……それとも挑発してんのかァ? だったらその挑発は大成功だぜ。俺は加奈を馬鹿にされるのが一番ムカつくからなァ」

「……お前みたいな男に股を開くなんて、そいつもロクな女なんじゃないんだろうなァ」

「あ? 年増ビッチが何を言ってんだ? テメェに比べれば加奈は百倍……現実的に言って三倍は魅力的な女だぜ? つーかその性格……彼氏とか夫、いねぇだろ? そんな奴が何を言えるんだ?」

 ピキピキピキ、と紅鷹結衣の顔が引きつる。煽って冷静さを失わせるつもりが、逆に煽られて冷静さを失ったのは紅鷹結衣だった。紅鷹結衣はその美貌と絶妙なプロポーションもあり性行為の相手には事欠かないが、恋愛関係は大分ご無沙汰だったのである。

「……だが、テメェの挑発には乗ってやるぜ。ここで引き下がったら加奈のケツに申し訳が立たねぇしなァ」

 そう言って七瀬桜は中指を立てる。

「来いよ。〈非人道兵器レーヴァテイン〉紅鷹・ルイスチナ・結衣。テメェの全力を見せてみろ」

「…………」

 紅鷹結衣にとっては納得のいかない展開があったものの、結果としては一撃勝負に持ち込めている。紅鷹結衣は苦虫を噛み潰すような心境で、両手を宙へ向けた。〈灼熱の道〉と同程度の数のナパーム弾が空中に生成される。

 その後、紅鷹結衣は左拳をだらりと下げ、大腿の辺りから少し離した。

「〈集〉」

 端的にそう告げると、空中に出現していた無数のナパーム弾が、吸い込まれるようにその左拳に集約されていく。それまでの紅炎を纏った拳と外見はそれほど変わらない。しかしその炎の密度からは、比較にならない爆発力と熱量を内包していることが見て取れた。

「……ハッ」

 七瀬はその様子を見て嬉しそうに小さく嗤い……後方に跳躍して距離を取った。そこで自分も必殺の一撃を溜め始める。七瀬の全力の一撃は他の多くの殺気遣いのように〈術〉を付与できない。その分を七瀬は幅広く使用可能な汎用殺気術を統合させることで補っていた。

「〈拡〉……〈集〉……そして〈硬〉……ッ」

 七瀬の〈硬〉は基本的に全身を覆うように、防御力と引き換えに動けなくなるような遣い方しかできない。しかし訓練により時間をかければ部分的な〈硬〉も可能になっていた。

「いくぜ……うォオオオッッッ!」

 七瀬が紅鷹結衣へ向かって一直線に駆け出していく。紅鷹結衣も同時に七瀬の方へ駆け出していた。

 七瀬はあと数歩で衝突するという瞬間に、跳躍した。

「――〈硬衝虎拳〉ッッッッ!!!」

「――〈紅炎拳・終世〉」

「――〈雷滅砲〉」


 歌舞伎町のTOHOシネマズにて、縁下さんの回復と応急処置を受けて立ち上がった僕は急いで外に出た。疲れ果てた縁下さんに〈変〉×〈与〉で殺気探知能力を瞳に付与してもらい、数百メートル先で今にも激突しそうな二つの巨大な殺気を探知する。

「だけどここからだと角度が……あまり高く昇っている時間がない!」

 僕は程々の高さで、パッと目についたものへ向かって大きく跳躍した。跳躍の直前、僅かに足が痛む。

「いっ痛っ」

 足の痛みのせいで僅かに跳躍距離が落ちた僕は、TOHOシネマズ名物、ゴジラの口の中に着地した。本当は頭の上に乗るつもりだった。しかしもう時間がない。

僕は、急いで右手を掲げ、殺気を集める。長距離射撃に加えて、殺気をかなり削られているためあまり威力は出せないが、敵の体勢を崩すくらいはできるはずだ。

「――〈雷滅砲〉」

 雷を纏った殺気の奔流が、ゴジラの口から放たれた。

 

「――どうせ何か企んでると思ったぜ」

 TOHOシネマズの方から飛来した雷のレーザー砲を、紅鷹結衣は右手の先に出現させた複数のナパーム弾によって防いでいた。

「そして! 跳躍したのも空中では身動きが取れない――と見せかけるため!」

 紅鷹結衣の言う通り、二人が衝突する直前、七瀬は不自然に浮き上がった。

「俺の服に〈物騙り〉を使用して不意を突く……つもりだったんだがな」

 七瀬の見立てでは〈物騙り〉で自分の服を操り、空中で紅鷹結衣の破滅的な一撃を回避。直後に頭上から一撃を叩き込むはずだった。

 しかし紅鷹結衣はまだ拳を振るっていない。上方へスライドしていく七瀬をしっかりと目で追っている。

 そして、二人はお互いの拳の射程圏内に入った。

 七瀬は汎用殺気術の重ね掛けで強化した拳を。

 紅鷹結衣は使用可能な汎用殺気術に加えて、恵まれた〈術〉――〈非人道兵器レーヴァテイン〉で熱量と爆発力を持たせた拳を。

 お互いへ向けて振るう。

「燃え散れ」

 圧倒的に威力で優る〈紅炎拳・終世〉が七瀬を拳ごと消滅させんと迫る。

 しかしその拳は振り上げるごとに、むしろ七瀬から遠ざかっていった。

「――あ?」

 紅鷹結衣は何が起きているのかわからず、混乱の極みに達する。眼に見えているのは七瀬から遠ざかる拳、近づいてくるアスファルト、不自然に倒れていく周囲のビルや赤く巨大な鳥居。

「〈硬衝虎拳・騙式〉ィィッッ! 食らいやがれェェェェエエエエエッッッ!!!!」

紅鷹結衣は足の下のアスファルトを大きくめくられ、それによって体勢を大きく前傾させられていた。まるで地面を殴ろうとしているようなその無防備な背中に、七瀬薫は自身の最大威力の一撃を叩き込んだ。

 

 七瀬薫の一撃が紅鷹結衣の身体に達するとほぼ同時に、紅鷹結衣の〈紅炎拳・終世〉も地面に触れていた。

 それによる大爆発が起こる。半径二十メートルほどの深いクレーターが出現し、七瀬は爆風と殺気の奔流に吹き飛ばされた。

 明治通りまで飛ばされた七瀬は血を吐きながらアスファルトに叩きつけられる。大技を放った後の出力低下により、〈轟〉の維持すら危ない状態だった。

 手応えはあった。視線を上げて辺りを見渡すと、一〇メートルほど離れた路上に紅鷹結衣も倒れていた。

七瀬は立ち上がり、紅鷹結衣の足元まで歩いて行く。胸元に背後から貫かれた穴が開いている。だが、まだ僅かに生きていた。

「は、はは……どうした? さっさと殺せ……私は負けたんだ……。敗者には死がお似合いだ……」

 七瀬は黙ってボトムスからスマホを取り出し、その画面を見せた。

 七瀬が過去、読書を教わった神父がいた教会。その焼け落ちた跡の映像だった。

「テメェはここには来たことあるか?」

 紅鷹結衣はその画像を見て、かすれた声で答えた。

「知らない……な。そもそも日本に来るのもこれが初めて……だ」

「……そうか。炎の色が全然違うからそうだろうとは思ってたが、一応な」

「色……?」

「ああ。俺は蒼い炎の殺気遣いを探している」

 その言葉を聞いた紅鷹結衣は黙り込んだ。記憶を探るように瞳が揺れる。

「蒼い炎……心当たりがないでもない。私と同じ傭兵だが、様々な国や組織に雇われるフリーの傭兵だな。戮し名は広まっていない」

「海外にいるのか……。〈森の狩人〉の情報網じゃ見つからないわけだな」

 七瀬は少し黙って言った。

「お前が死んで、お婆さんは大丈夫か?」

「……まあ、大丈夫だろう。いくらあの国でも殉死した者の親族に手を出すことはないはずだ。金なら私が稼いだ分がたんまりある」

「……そうか。なら、一思いに殺してやる」

 殺気が七瀬の右拳に集まっていく。

 しかしその七瀬の行動を、突如突っ込んできた軽トラックが遮った。

「へへっ、あの殺気遣いが弱ってやがるッ。いついつも脅かしやがって。思い知りやがれッ」

 まさか殺気遣い同士の戦闘中に、民間車両が突っ込んで来るなんてことは経験したことがなく、直前まで気がつかなかった七瀬は反射的に身を引く。

 軽トラックは避けられない紅鷹・ルイスチナ・結衣を轢き潰した。そしてそのまま走り去ろうとする。

 タイヤの痕に凹んだ死体を見て、七瀬の顔が憤怒に染まった。

「逃がすかよッ、クソ野郎がッッッ!!!」

 残り少ない殺気を振り絞り、〈放〉による遠隔打撃を放つ。しかしそれは既に二〇メートル以上離れている軽トラックには届かなかった。

「クソッ……たれが……」

 七瀬は既に残り僅かになっていた殺気を遣い果たし、その場に倒れ込んだ。



 後日談。

 僕と七瀬と縁下さんは〈森の狩人〉東京本部内のB―3班の部屋にいた。にいた。七瀬がいつ仁王ノ宮が来るともわからないB―1の部屋は嫌だと言ったのだ。

同室には蹴鞠と縫衣ちゃんもいて、暇なのかお互いをくすぐり合っている。珍しく縫衣ちゃんが優勢らしい。

「……炎上だぁ?」

「自粛するって言った矢先に映画館になんていたもんだから、そりゃあ叩かれるよ……」

「いつもの仕返しっ」

「ギャハハハハッ! ぬ、縫衣ちゃん止めッ、ギャハハハッッッ!」

 うざったそうな顔をする七瀬に対し、縁下さんが疲れた顔で言う。僕らが西上春維先生を救ったことは、様々なニュースで大きく取り上げられた。

 その結果、なぜそんなところにいたのかという当然の疑問が噴出し、SNSで炎上することになったのだった。

「芸術への情熱を理解しない馬鹿どもめが……」

「……まあでも、西上春維先生が庇ってくれたことで、少しはマシになってるけどね」

「ほーら、ここがいいのl?」

「ぐ、ぐふっ、縫衣ちゃん謝るから。ふっ、うううぅっ、あっ、あっ、駄目っ、駄目な声出ちゃうッ!」

 事件後、西上春維先生がツイッターで「死ぬかと思ったけど、私を狙った襲撃を事前に知って警備してくれたのか、〈森の狩人〉の人がいてくれて助かった!」と投稿してくれたおかげで多少は風当たりが和らいでいる。〈森の狩人〉も機関員が自粛中にも関わらず映画館にいたことは認めつつも、西上春維先生が助かったことを強調した。また自粛中とはいえ強制力はないことも僕ら三人には有利に働いた。

〈夜の狩人〉も本当なら僕ら三人に謹慎を言い渡したかったみたいだったが、強制力がない以上、命令違反というわけでもない。結局僕らへの処罰はなく、世間の話題も別のものへと移り変わっていった。

 事件後は悪いことばかりではなく、世界的に人気のある作家の暗殺を防いだということで、それなりに賞賛もされた。

 また、ゴジラが口からレーザーを放ったところを撮った動画は、規制をすり抜けて拡散し、若者を中心に大きな反響を得た。

「それと情報部にまた無茶を言ったんだって? 海外にまでネットワークを拡げろって。流石に無理でしょ」

「無理じゃない。蒼い炎の殺気遣い、その現在地を見つけるだけでいいんだ。戦地の情報でも噂話でもティックトックでも、痕跡くらいは見つけられるだろう」

「……今まで、その程度のことを情報部がしていないとでも?」

「それは〈ネットが得意なギャル〉にも言われたがな」

「……まあ、あまり期待はしない方がいいでしょうね」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、ま、待て。縫衣ちゃんそれはなんだ。その書道セットから取り出した筆で何をするつもりなんだっ」

「えー? ほらこうやって……」

「ふごごごごっ、ぐぅっ、あああっ、おぐぅぅぅうう。縫衣ちゃん、お願いだから……」

「やっぱりここ敏感なんだね……。あれ? 負けちゃうの? 普段あんなにイキってる蹴鞠ちゃんは、筆なんかに負けちゃうの?」

「そ、そんなわけ……んんんんんっ、はぁっ!」

 七瀬と縁下さんの話が一段落したところで、縁下さんが僕の方を向いた。

「それと……そう。シラヒ君が死ぬほどの傷を受けたのは、もしかしてこれが初めてじゃない?」

「……確かにそうかも。でもなんで?」

「瀕死のシラヒ君を治療するためには、深い身体状態の把握が必要だったんだけど……その時に見つけたの。シラヒ君の頭の中の破壊された神経接続を」

「……? どういうことですか?」

 神経接続が破壊……? 全く心当たりがない。頭部にそれほど深い傷を負ったことはないはずだ。

「それも今からだいぶ前に破壊されたものよ。もはやそれが正常になってしまって、もう〈癒〉でも治療できない。でもその神経接続が何を司っていたものかはわかるわ」

 縁下さんは僕の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「その部分の神経接続が司っているのは記憶よ。シラヒ君には外部から記憶を破壊された痕跡があるわ」

「まっ、負けちゃうっ、筆に負けちゃうっ」

「ほーら、ほーら。蹴鞠ちゃんがイキってるところ見たいな」

 書道用の筆で蹴鞠の足の指の間をくすぐっていた縫衣ちゃんは、蹴鞠の耳元に口を当てて言った。

「イキっていいよ♡」

 直後に蹴鞠は今日一番情けない声を上げて身体を震わせ、ソファの上でのたうち回った。

 ……縫衣ちゃん、僕にもやってくれないかなぁ。

 それを見ていた縁下さんがぼそっと言った。

「こんなことをしてるのを撮られたら、それこそ炎上だろうね……」


 ――――七瀬桜の炎上 〈完〉


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