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宝塔坂神酒の証明

「男のあんたが私立聖賢学園の美少女ランキング一位ってどういうことなのよ!」

 どういうことって言われても……。

「そもそも何なのよ、あのダンスの授業でやったポールダンス! だっだっだっ、駄目でしょ、あんなの!」

 好きなダンスでいいって言われたからなー。それに教師の評価は宝塔坂神酒ほうとうさか・みきさんの方がよかったじゃん。

「先生からの評価はね! 生徒達にはあんたの方が受けてたでしょ! 総合一位も獲られたし!」

 僕こと玖凪白日くなぎ・しらひは今学校のはずれの多目的トイレで、クラスのボス格の女子三人に詰められている。目の前で青筋を立てているのは私立聖賢学園美少女ランキング二位の宝塔坂神酒さん。濃い赤色の長髪ポニーテールときつめの目が特徴である。

 確かブレイクダンスを学外でやってるとかで、ダンスへのプライドが結構あるらしい。自分よりダンスが上手い男としか付き合いたくないと言っていた、なんて噂も流れている。自分の容姿にも相当自信がありそうだ。

 宝塔坂さんの友達の上神谷かみかみやさんは、友人の荒れ具合を面白がりながらおかしそうに聞く。

「あー、それよりアタシも前から気になってたことあったんだよなァ。あんた、その身体と外見でオナニーはどうしてるんだ?」

 僕の外見は腰まで濃くて青い長髪、指定の(女子用の)セーラー服だけど、生物学上の性は男である。

 外見は女性っぽくなるように気を付けてるけど、性自認は男で、恋愛対象は女性である。

「つまりオナニーは男としてやるってことかァ? ひゅう、その格好でナニしてるのを想像すると興奮してくるねぇ!」

「パンツは女性ものを履いてるのー?」

 宝塔坂さんのもう一人の友人、耳木菟みみずくさんがスカートをめくって来る。紺色の短パンだった。

「ぶー……下ろしちゃおっ」

 僕は全力で短パンを押さえる。流石にあれを見せるのはまずい。何を言われるかわからないし、下手したら学校生活が終わる。

 友人二人に話に割り込まれて少し落ち着いたのか、宝塔坂さんが腕を組んで続ける。

「……まあ、それはいいのよ。問題はね。あんたのことを死ぬほど憎んで、大嫌いになって、あんたなんか殺してやるって心の底から思ったときに……なってしまったのよ。殺気遣いに」

 あー、なるほど。それで反社会的殺気遣い鎮圧機関〈夜のナイトフォレスト〉の機関員である僕に相談しに来たってことか。

「そう。じゃないとあんたなんか関わりたくもないわよ。……自分勝手にこの力を遣ったら、反社会的ってことになって殺されるんでしょ?」

 まあ、そう。超常の力である殺気、それを操る殺気術は、例えばカンニングに使ったり、風を吹かせてパンチラさせたりするだけでも、相当重い前科になる。人を殺したりなどすればほぼほぼ〈夜の森〉による殺害(ハント)対象だ。

 そう言うと宝塔坂さんは身震いをした。

「……殺気についてもう少し詳しく教えてほしいんだけど。あと、殺気の遣い方も教えてほしい。暴発したりしたら、危ないだろうし……このご時世、いつ殺気遣いの犯罪に巻き込まれるか分からないでしょ? 自分と友達の身を守る術を少しは身につけておきたいの」

 ……ずっとキツそうな印象しかなかったけど、意外と優しくて友達想いなところもあるんだな。

〈夜の森〉の仕事の範疇だし構わないけど。放課後〈夜の森〉の訓練室に来てもらっていい?

「え? あ、そ、そうね。家に来てもらおうと思ってたけど、そっちの方がいいのかしら」

 結構広い場所でやった方がいいと思うから、家の中はきついと思うけど。それに殺気を撒き散らすのは近所迷惑になるし。

 殺気術を発動すると気配でそれが分かる。普通の人でも敏感な人なら近くを通りかかるだけでゾクッとしたり気分が悪くなったりする。

「……そ、そう」

「うえーい、残念だったねぇ」

「まあでも前進。殺気遣いへの覚醒をこんなことに利用できる精神力は見習いたいなあー」

 ……ん?

「う、うっさいわね! じゃあ私達は先に戻るけど、放課後はよろしく」

 え? あ、ちょっと待った、なにかあった時にめんどくさいから連絡先を教えてほしい。

「えっ、れ、連絡先? ら、ラインでいい?」

 ほい。僕達はQRコードでラインの友達登録をする。宝塔坂さんのアイコンは暗い会場でブレイクダンスをしている所だった。

「……何このアイコン。……彼女?」

 僕のアイコンは毎晩毎晩エイペックスをして遊び、〈夜の森〉の特殊戦闘部でも同じチームを組んでいる髑髏躑躅蹴鞠どくろつつじ・けまりの顔である。なんでそういう流れになったのか覚えていないが、お互いの顔をアイコンにしようという話になったのだ。蹴鞠が連れて来たネトフレが囃し立てたんだっけ?

「はぁ? こんなの恋人同士じゃないとやんないでしょ。……まあとにかく付き合ってないのね?」

 僕の好みは年上なのである。こんな年下のちっこいやつ、好きになるわけがなかろう。

「と、年上? 同級生は?」

 ……同級生? ……ギリギリセーフかな?

「ふー」

 と何故か胸を撫で下ろす宝塔坂さん。因みに結構大きい。僕は胸の大きさに関しては一家言持っている。ぜひ聞いてもらおう。

 あんな? 胸の大きさって、二百種類あんねん。

「は? ぶち殺すわよ?」

 しまった、声に出てたらしい……。馬鹿にしたわけではないんだけど。


 それで放課後。

反社会的殺気遣い鎮圧機関〈夜の森〉東京本部敷地内の訓練室に僕と宝塔坂(ほうとうさか)神酒(みき)さんは来ていた。

〈夜の森〉の施設は近隣住民に対する殺気による心身への悪影響を鑑みて、相当広い敷地の中央付近に立てられている。

 国立公園を一つ潰したらしい。

 正直殺気術は覚醒した時から直観的に扱える場合が多く、我流でも数時間あればそこそこ遣えるようにはなる。でも整理して覚えればそれだけ応用も利くので、体系的に覚えることに損はない。

 特殊戦闘部にはS級~B級の戦闘員と、訓練生のC級がいる。僕はB級でありいつもB級用の訓練室を使っているのだが、そこはB級以上しか入れないので、見学者などにも開放されているC級訓練室の一角を間借りしている。

「S級が強いの?」

 そう。だけれどこの〈夜の森〉設立直後に起こった、反社会的殺気遣いによる大規模襲撃の時に命を落としている。殺気遣いの管理機関の設立に対抗して、普段は牽制し合っているアウトローの殺気遣い達が手を組み、全国の〈夜の森〉を襲ったのだ。各地のS級、A級上位の文字通り命を賭した活躍により鎮圧されたが、それ以来S級の条件を満たす殺気遣いは現れていない。

「本当に条件が厳しいんだ」

 B級昇格条件の一つが「国内中堅の殺気遣いに一対一で勝利可能であること。」それがA級では「国内上位の殺気遣いに一対一で勝利可能なこと」になる。そしてS級はいきなり跳ね上がって、「国内上位の殺気遣いに三対一で安定して勝利すること」となるのだ。

「安定して、っていう言葉が入ったね。国内トップレベル三人を余裕で蹴散らせるくらいじゃないと駄目なんだ」

その条件を満たす人はまだ現れていないのである。

 それじゃあ殺気術の具体的な説明に入って行こう、と僕は出してきたホワイトボードに書いていく。

 

 殺気術には二つの系統がある。〈術〉と〈癒〉で構成されるのが一つ。そしてもう一つはそれら二つ以外の全て。

〈術〉は全ての殺気遣いが必ず会得している、固有の効果を持った殺気術である。その効果は殺気遣いになった時に抱いていた殺意の本質を元に、その殺気遣いの心の深奥を反映したものになる。

 例えば僕こと玖凪シラヒは父親を感電事故に見せかけて殺されており、殺害者二人に対する殺意で殺気遣いに覚醒した。そんな僕の〈術〉の効果は(簡単に言うと)物体の表面に送電線を張ってその先にいる者に電撃を浴びせることである。

「そ、そうなんだ……」

宝塔坂さんが僕の父の話を聞いて気まずげにするが、まあもう慣れっこだ。それに〈夜の森〉に所属している人はほとんどが大切な人を失っている。気にせずに説明を続けた。

〈癒〉は特殊な殺気術であり、自分や他人の傷や欠損、毒などを癒し、回復させる。そしてその習得には殺意の対象を心の底から赦さなくてはいけない。それこそ相手の心身の健康を願えるくらいに。そのため習得者は非常に少ない。

 そして〈癒〉の習得と同時に〈術〉を失う。〈術〉が元にしていた殺意の対象が赦しによって失われたことにより、〈術〉がその形を保てなくなるのだ。〈術〉か〈癒〉。遣えるのはどちらかであり、両方を遣える殺気遣いは確認されていない。

 そしてもう一つの系統である。こちらは種類が多い。適当に挙げるだけでも〈轟〉〈集〉〈陰〉〈放〉〈変〉〈操〉〈装〉〈硬〉〈与〉などがある。

 この中で大抵一つか二つ、珍しい場合は三つ、得意な殺気術がある。一つの場合は一凸ピュア、二つの場合は二凸クロス、三つの場合は三凸トライと呼ばれる。

 得意なもの以外の殺気術も遣えないわけではない。〈轟〉〈集〉〈陰〉は程度に差はあれど、ほぼ全ての殺気遣いが使用可能だ。しかしそれ以外の殺気術を遣えるのは、いることにはいるがかなり珍しいし、凸の殺気術に比べると格段にレベルが落ちる。

 大体の説明が終わった……かな? 次にやることは〈術〉の効果の詳細な把握と、自分が何の何凸なのかを知ることである。

 とりあえず思うままに殺気を遣ってみてと宝塔坂さんに伝える。実際に遣ってみて、感触を見ながら整理していくのが一番手っ取り早い。

 しかし宝塔坂さんはどこか恥ずかしがるように言った。

「……申し訳ないんだけど、〈術〉が私の心の本質を表しているというのなら、絶対に玖凪の前では遣えないわ」

 

「……で、何よ、今更改まって話って」

「……なんかさぁ、どうでもよくなっちゃったの」

 玖凪シラヒに殺気術を教わった翌日、私こと宝塔坂神酒ほうとうざか・みきは高校に入った頃から仲の良い耳木菟兎みみずく・うさぎに渋谷のスターバックスに呼び出されていた。かの有名なスクランブル交差点を見下ろすような位置にあるお店だ。

 そこの全面ガラス張りの壁に面したカウンター席で人混みを眺めながら、私と耳木菟は並んで座っている。もう一人のよくつるんでいる友達、中学生の頃からの私の親友である上神谷に内緒で二人で話がしたいと言われたのだ。

「……どういうことよ。分かるように言いなさいよ。それともなに? 中身も言わずに察せって? それほど長い付き合いじゃないでしょ。特にあんたは心の中を全然見せないし」

 こいつは他人への態度に当たり障りがないし、見た目もいい。声も可愛い。一緒につるんでいて悪い気はしないが、どこか不気味な感じがすることも否めない。

「……そう。たった一年ちょっとの付き合いだし、内心も出さなかったわ。出すわけにいかなかったしね」

 今日の耳木菟はいつにもまして何を考えているのか分からない。話し方も少し変わっている。いや、これはどちらかと言うと……元に戻った? 偽らなくなった、そういう感じがする。

「私の出身地、言ったっけ?」

「……田舎の方だっけ? 建築会社を隠れ蓑にした暴力団に支配されてるとかいう」

 確か警察の派出所もない山奥の小さな町で、町長も暴力団の傀儡だった、みたいな話を聞いたことがあった気がする。

「全国的な暴力団の摘発をもくぐり抜けた、小さいけれど過激で抜け目のない組だった。そこの暴力団がどんなことをすると思う?」

「……みかじめ料を取ったり、人を殺したり?」

「それも勿論だけど、人を殺すのにもただ殺さないの。町民に恐怖を刻みつけて自分たちの支配を継続させるため、惨い殺し方をするの。たとえば組が持っていた建築用の重機でゆっくりと足の先から轢き殺したり。人間がぺしゃんこになっている様子は、まるで一服のグロテスクな絵画みたいだったわ」

「……そんなものを町のみんなは見せられたの? 本当にきつそうね」

 私は流石に同情する。そんなものを子供の頃に見せられたら心の傷だけでは済まないだろう。こうやって普通に高校生をやっていることだけですら奇跡というものだ。

 私は心配そうに耳木菟の横顔を見る。普段から作っていると思っていた表情にはそういう理由があったのだ。感情の一部が死んでいるのかもしれない。そう思うと途端に庇護欲が出てくる。これ以上傷つかないように。

「……そう。だから提案したの。絵画にしてみたら? って。透明なアクリル板でコーティングされて綺麗な額縁に飾られた人たちは、みんなおぞましく、そして十分に組の力を誇示する材料になったわ」

「……それは酷い……わ……ね……?」

 待て、耳木菟は今なんて言った? 提案した? 耳木菟が提案したと言ったのか?

「でも流石に私が好きだった女を。私が好きだったにも関わらず他の男になびいた女を潰した時は心が痛んだわ。あの女の絵画はスマートフォンに保存してあるの。見たい?」

 そう言うと耳木菟は自分のデコられたスマートフォンを操作して一枚の画像を表示させる。そしてそれを私の方へ向けてカウンターの木机の上に置いた。

「好きなだけ見ていいよ」

 それは人間であったことを示すように両手両足を広げられていた。赤、黒、白……様々な人間の肉体を原料とする色が混じり合い、醜悪な模様を描いていた。

 私は素早くそのグロテスクな絵画から目を逸らす。そして恐怖から視線を上げられないまま固まっていると、視界の端で耳木菟が顔をガラスの壁の外に向け直したのが見えた。耳木菟が話を続ける。

「……それが私の初恋。でも私は学んだの。男のことが好きな女の子に恋をしてもそれは叶わないんだって。だから私は次に女の子同士で仲よくしている子に声を掛けたわ」

 私は動機が早くなる。心臓の動きが、絶頂寸前のオナニーの指の動きと同じくらいに早まっていく。

「でも私は暴力団の家の娘だからという理由で断られた。組を背景に脅しても無駄だった。私はそのお互いへの愛を貫く二人に、心の底から殺したいほどの嫉妬を感じた。それで殺気遣いに覚醒した私は自分の〈術〉を彼女達で試すことにしたの」

「あ」耳木菟が何でもないことのように、置いてある自分のスマーとフォンの方を振り向き指さしながら「その画像の次の二枚がその二人よ」と言う。

「それから私は組があっては恋ができない……と思って、組ごと町を更地にしてから組のお金で東京に出てきた。そして聖賢学園で上神谷と仲良くしているあなたを見つけた。前回から学んで、あなたと上神谷との仲を引き裂いてから、あなたにアプローチするつもりだったの。だけどあのダンス発表会以来、あなたはずっと玖凪シラヒのことを目で追っているわね。でも玖凪は男だから多少の希望を残していたわ。……そしてその希望は、昨日打ち砕かれた」

 耳木菟が黙る。私はカウンターに置かれたスマートフォンからゆっくりと視線を上げる。凍り付くような、刺し殺すような視線が私に向けられていた。

 戦慄する私から視線を外し、耳木菟はガラス張りの壁の外を見下ろす。

 スクランブル交差点の信号が切り替わり、待っていた人達が歩き出す。平日の夕方であり、退勤ラッシュと夜の渋谷の街に遊びに来た若者達で凄まじい数になっている。

 スーツを身にまとい真顔で素早く歩いて行くビジネスマン。帰って妻や子供たちの顔を見る瞬間を待ちわびているのだろうか、それとも風呂やテレビ、ビールが楽しみなのだろうか。

カジュアルな外見で友達と談笑する若い男性達。この後渋谷で飲み明かすのだろうか。翌日には街の片隅で酔いつぶれて転がっているかもしれない。

自撮り棒の先にスマートフォンを掲げた外国人。日本に旅行に来て、その様子を母国の友達や家族に発信しているのだろうか。インスタグラムに投稿するのかもしれない。

高級そうな服とアクセサリーを見に纏った若い女性。自分の若さと美貌を武器に、社会で成り上がろうとしているのかもしれない。何物でもなかった自分からの脱却を目指して。

「まあ、最後に一度脅しておくのもいいのかもね」

 それら全ての人間達が、耳木菟の腕の振りに合わせて左から右へと轢き潰されていった。

スクランブル交差点一面が、人体を原料とする現代アートのような紋様で塗りつぶされる。

 まだ交差点に足を踏み入れていなかった人達、ハチ公広場で待ち合わせをしていた人達、車に乗って信号待ちをしていた人達の悲鳴が、壁のガラスを貫いて響いてくる。スターバックス店内でも、外を見ていた人達が耳をつんざくような絶叫を上げた。

「一応聞いておくわ。死にたくなければ、私の女になりなさい」


 幼い時からダンスを習ってきた。

 三歳の頃のバレエから始まり、小学一年生からヒップホップ、そして小学三年生からはブレイクダンスを始めた。小学校高学年が運動機能の発達が極めて速いゴールデンエイジだということもあったのか、それまでに作られた下地があったのか、それとも毎日楽しくレッスン出来たのが良かったのか。私のブレイクダンスはみるみるうちに上達していった。

 全国規模のコンテストで上位に入賞するくらいに。

 優勝はしたことない。この世界では上位入賞と優勝の違いは雲泥の差だ。優勝を目指して私は更に技術の研鑽に務めた。

 私は容姿も磨いている。ダンスでは容姿は基本的には採点対象ではない。しかし外見がいいと審査員の最初の印象が良くなることは確かだ。それに雑誌などにも取り上げられやすくなる。

 まあ自分が可愛いと思えれば、コンテスト関係なく気分もいいし。

 それで同級生のガキっぽい男子達には目もくれず、高校に入学した直後である。

 玖凪シラヒがいじめられていた。

 その頃から女装をしていたこともあり、男子にも女子にも気持ち悪がられていた。

 私はそんなくだらないことには関わっていられないと、そのいじめからは距離を取っていた。

 しかし玖凪シラヒの評価は、高校時代に恨みを持った三十代の男が、殺気遣いとして乗り込んできたときに一変した。玖凪シラヒが全校生徒が見ている校庭で男を簡単に戦闘不能にしたのだ。

 かっこよくて可愛くて強い玖凪シラヒは一躍学校の人気者になった。

 玖凪シラヒの見事な美少女っぷりは文化祭や体育などの時に注目され、何か信念があってやっているんだろうというのが皆の共通認識となった。一部では尊敬すらされている。私も多少の敬意を抱くようになっていた。

 が、ダンスに関しては別問題だった。

 基本的に私は学外でのダンス活動を優先しているが、聖賢学園はダンスで実績を残した人が体育教師をやっており、ダンス部のレベルはかなりのものである。また学校全体としてもダンスに対して好意的だ。だからこの高校に入学したわけだが。

 そういう教師がいるので体育のダンスの授業は力が入っており、年度の終わりには結構大規模な学内コンテストも行われる。

 私は優勝候補だと思われていて、実際健闘はしたのだが……。

 生徒投票二位、教師投票一位で、二位だった。

 生徒投票一位で優勝したのは玖凪シラヒである。男子票を根こそぎ浚っていった。女子票もいくらか流れたらしい。逆に教師票は全然入らなかったらしいが。

 私の屈辱が想像できるだろうか?

 私は学外の大会で全国入賞もするプロ予備軍である。たかが学内コンテストくらいぶっちぎりで優勝するのが当たり前なのだ。

 そして私たちは高校二年生に進級し、体制が一新された新聞部が新しく始めた聖賢学園美少女ランキングの投票期間が始まった。

 他の容姿に自身がある女子達と同じく、私もいつもより気合を入れてメイクをしたりした。玖凪シラヒもこっそり見たけど、薄くメイクをして髪型なんかもいつもより凝っていたりした。

 そして聖賢学園美少女ランキングの初代王者は玖凪シラヒに決まった。

 本気で取り組んだ他の女子達と同じく、私も殺してやりたいほどの嫉妬に一瞬かられたが。

 それ以上憎しみ続けるのは不可能だった。

 何故なら、その美少女ランキングが始まる前、春休みの間に私は殺気遣いの犯罪に巻き込まれ、目の前で玖凪シラヒの戦いを見たのである。

 覚醒したばかりで大して強くなかったらしい学校を襲った男と違い、相手は殺気遣いとして依頼を受けているプロだった。

 私服で気がついていなかったみたいだけど、玖凪シラヒは「安心して。僕が君を守るから」と言ってその綺麗な肌をボロボロにしながら、私一人のために戦い、そして勝利した直後に気絶した。

 そんなことがあった後で、自信のあった容姿でも負けてしまってはもう無理だった。

 周りの評価で決まるコンテストとか、そういうのは関係ない。

 私の心が負けた。

 私より優れた、私を守ってくれる男。私の心は玖凪シラヒに堕ちた。


「――絶対に、嫌ッ!」

 そして現在、渋谷スクランブル交差点で大量の轢き潰された人間だったものを横目に、私は一世一代の歪んだ告白を拒絶する。

 恐怖から歯の根は合っていない。立ち上がった脚は震えている。カウンターの机を手で押さえなければ立っていることもできない。

 それでも。

 私は全力で、歪な恋心を向ける耳木菟兎をフる。

 一時逃れで、この場を脱する為だけに嘘をついた方が賢い。そんなことは分かっている。昨日も寝る前に「嘘は最大の愛」と謳うアイドルアニメを見たばかりだ。

だけど、玖凪シラヒを想うこの気持ちに、嘘なんてつけない。

「――そう。ならあなたも絵画にしなきゃね」

 元の無表情に戻っていた耳木菟の顔が、また凍り付くようなそれになっていく。

「十重に二十重に、重ねた想いの重さに、轢き潰されなさい。〈版画制作者ロードローラー耳木菟(みみずく)(うさぎ)。私の愛慕を阻み、求愛を拒絶するのなら。コレクション(愛蔵品)として愛でてあげるわ――永遠に」

 耳木菟は殺気遣いの基本技能の一つ〈轟〉を発動する。殺気遣いの身体を覆う攻防一体の鎧。守っては銃弾を弾き、攻めてはただ殴るだけでコンクリートに穴を開ける。

 戦闘開始時には即座に〈轟〉。昨日玖凪に教わったことを忠実に実行し、私の身体は殺気に覆われた。

 耳木菟の腕が素早く伸びる。

 私は首を掴まれる寸前にその右手を躱した。耳木菟は腕を伸ばした姿勢のまま、意外そうに固まる。

「……いい動きじゃないの。覚醒したばかりだとは思えないわ。流石はブレイクダンス全国大会出場者ってところかしら?」

「ふふふ、そういうあなたは体育じゃあいつもビリから数えた方が早いような結果しか残してなかったわね。その程度の運動能力で私をどうこうできるのかしら?」

 耳木菟が一瞬真顔になる。

 殺気遣いにとって殺気術の練度は大事だが、戦闘能力には素の身体能力もかなり反映される。

図星を突いた。……そう確信した私の前で、耳木菟は口の端を歪めた。

「……極道の跡取り娘が、なんの戦闘訓練も受けてないと思っていたの?」

 一段と素早く、凶暴さをも感じる動きで耳木菟は突き出していた腕を横に振り、私の首を逆手で捉えて、スターバックスの床に叩きつける。

「ぐっ、ぎっ」

 い、息が! 出来ない!

「……ここで潰したら床が抜けそうね。折角の絵画がバラバラになってしまうのは避けたいわ……。何かいいキャンバスはないかしら」

 そう言って耳木菟は私を持ち上げ、全面ガラス張りの壁に近づく。

「あの巨大アートの上に轢き潰すのは混ざってしまうから論外として……ハチ公前広場とセンター街のレンガブロックの舗装も後で持ち運ぶ時に面倒くさいし……。結局アスファルトが一番なのかしら。……それなら横断歩道の白と黒のコントラストの上に寝かせたらどう? ……いいかも! でもここの横断歩道は汚れちゃったし……渋谷109の前にあったっけ?」

 耳木菟は私を持ち上げていない方の左手で厚いガラスの壁を殴り、生身で紙を破るよりもたやすく粉々にする。そしてその穴から飛び降りる……寸前にカウンターの上に自分のスマートフォンが置きっぱなしだったことに気がついた。

「……ついでに撮っておくか」

 スマートフォンを持ち上げ、スクランブル交差点一面に出来上がった現代アートを撮影すると、ポケットにしまった。

 そしてガラスの壁の穴から飛び出し、べちゃっという音を響かせながら人肉現代アートの上に着地する。そのまま〈轟〉を纏った殺気遣いの速度で、渋谷109の前まで一瞬で移動した。

 騒ぎ立てる一般人を〈術〉で轢き潰して黙らせ、私を横断歩道の上に投げ捨てる。

「がほっ、ごほっ」

 ようやく息ができるようになった私はのたうち回りながら呼吸をする。

「おっと。両手両足を開いて仰向けになりなさい。抵抗しても無駄だから。変な抵抗をしなければ、あまり苦痛を感じさせないで轢き潰してあげるわ。――まあそれも私のストレス発散分がなくなるってだけだけど」

 私は――諦めたように身を投げ出した。耳木菟の言う通り、両手両足を適度に広げ、仰向けに寝そべる。

「聞きわけがいいじゃない。じゃあそのままでいてね」

 耳木菟が腕を前に出す。しかしすぐには〈術〉を発動しない。

 代わりに……私が口を開いた。

「スカート」

「は?」

 私は僅かに顔を起こして、目線でスカートをさした。

「さっき投げ出されてのたうち回った時に、スカートがめくれてしまったの。あなたのコレクションになるにしても――パンツ丸出しなんて嫌だわ」

 耳木菟が眉をひそめて目線を下げる。こんな時に何を言っているのかと思ったのだろう。耳木菟の視線の先では、私が昨日お風呂に入った時に、特に何も考えることなく選んだパンツが晒されているはずだ。ピンク色のレースのついた結構可愛いやつが。

「私のことが好きなんだったらお願い、スカートだけ直してくれない? ねぇ、クラリッサのスカートを直すほどの大ごとでもないじゃない。私のことが好きなんだったら、その証としてこれくらいのお願いは聞いてよ」

 耳木菟はやはり怪訝そうな顔をしたまま、少し考える。

「……まあいいか。でも動かないで。ピクリとでも動いたら、あなたを今よりいっそう恥ずかしい格好にした後、轢き潰すから」

「……いいわ」

 耳木菟がゆっくりと近づいてくる。右腕はいつでも〈術〉を発動できるように水平に構えられている。警戒は怠っていない。

 耳木菟が右腕を伸ばしたままゆっくりと私の両脚の間に跪き、左手を伸ばした。

 めくれあがっているスカートを摘まみ、ゆっくりと戻していく。

 ぱさ、と軽い音がして、スカートの裾が元の膝丈の位置に戻された。

 素早く耳木菟兎が飛び退く。元の位置に戻り、しばらく警戒の色を浮かべていたが、やがてふっと表情を緩ませた。

「……どうやら本当にスカートを直してもらいたかっただけみたいね。それじゃあ……さよなら、神酒。割と楽しかったわ」

 〈術〉の発動の為に殺気を高める耳木菟兎に私は告げる。

「ありがとうね、兎。私のことを好きでいてくれて」

 突然の言葉に耳木菟兎は戸惑ったようだ。私は続ける。

「あなたが私のことを好きでいてくれたおかげで。その証を示してくれたおかげで。――私はあなたをぶん殴れる」

 次の瞬間耳木菟が見たのは、目の前に迫った宝塔坂の右拳だった。顔面に強烈な衝撃を受け、アスファルトの上を滑っていく。止まった時に見えたのは渋谷109の大きな看板と、今日という日には全く相応しくない快晴の青空だった。

 

 私は全力で起き上がり、〈轟〉の出力を高め〈集〉で右拳を強化して、〈術〉の解除時間に合わせて動きの止まった耳木菟の顔面をぶん殴る。

 最低でも意識不明にするつもりで殴ったが、やはり昨日教わったばかりの付け焼刃では威力が足りなかったようだ。背後に吹き飛んで数メートルアスファルトの上を滑った耳木菟は即座に体勢を立て直す。

「神酒……何をした……?」

 だがそれでもダメージは通ったようで、跪いて鼻血が出ている顔を押さえながら耳木菟が呻く。

 私は跪いている耳木菟を指さし見下ろしながら、殺気遣いとして言い放った。

「『目と目が合った瞬間、時が止まった』とはよく言うわね。恋に落ちた瞬間の描写としては常套句だわ。――あるいはもう古いのかしら?〈時よ止まれ、私は美しい〉宝塔坂(ほうとうさか)神酒(みき)。私に酔ってしまいなさい――神酒(ソーマ)に酔うように」

 私の〈術〉の効果は、私のことが好きで、その証を示した者の時を止める。今の私では一秒が限界で、止まった者以外の時は動き続ける。そして時が止まっている最中、その者は一切変化しない。外界の干渉も内的な変化も、その一切を無効にする。

 好きである証にスカートを直して、と私は言い、その証は示された。

〈術〉の効果終了直後に殴ったのは〈術〉の時間中、耳木菟は一切の外界の影響を受けない為である。

 そして玖凪シラヒにこの〈術〉について言うわけにいかなかったのは、私が覚醒した時に玖凪のことを考えていたと言ってしまっていたからだ。

 その状況でこの〈術〉のことを伝えるなんて……もはや告白も同然じゃないか。

 しかも好きな人の時間を止めるって……。確かにたまにイタす時に時間停止もののお世話になることはあるけども。

 まあとにかく、戦闘開始直後から私はこの〈術〉の発動条件を満たすのを狙っていた。そしてこの難しい条件を満たす可能性があるのは、私が全てを諦めて殺される間際だけだろうと思っていた。

 私が抵抗する素振りを見せていたら、耳木菟は警戒して私のお願いなど聞かなかっただろう。

 そしてこれでようやく、可能性が出てきた。あの暴虐な〈術〉の持ち主である耳木菟を相手に生き残る可能性が。

「……調子に乗ってんじゃねぇぞ」

 耳木菟は身体の前で逆手に右手を構え、見えない何かを握る。すると右手の握った中から殺気がほとばしって地面へと向かって伸びていき、一メートルほどのドスのような形状を取った。

 ……あれは、〈変〉による形状・性質変化。性質もドスと似たもの、いやそれ以上になっているはず。

 そして不用心に〈術〉を遣わず、〈変〉という新たな手を見せたということは、私のことを「絵画の原料」ではなく、敵として認めた証拠でもある。

「この際パーツが全部揃ってればいいとするわ……」

 耳木菟は殺気のドスを右腰に構え、こちらに近づきながら左手を振るおうとする。

「ッ! 時よッ!」

 耳木菟が左手を振る寸前で耳木菟の動きが止まった。私は耳木菟の右側へ全力で跳ぶ。一秒があっという間に過ぎ去る。

 直後に耳木菟の左腕が虚空を薙ぎ、私のいた場所に仮想の超質量による凄まじい重さがかかる。しかし私はそこにはいない。

「なにッ!」

 次は耳木菟が驚く番だった。耳木菟の右頬に私のブレイクダンスの経験を活かした、片手逆立ち状態での蹴りが突き刺さる。

 基本的に拳打よりも蹴撃の方が威力は高いはずだが、体勢が万全ではないので先ほどの拳ような威力は出ない。しかしそれでも耳木菟をぐらつかせ、数メートル跳び下がらせる。

「この身体を包む〈轟〉はアスファルトの上で踊っても、手や頭が痛くならないのがいいわね」

「……超スピード……じゃないわね。精神干渉系か、概念干渉系? 遣えるならなぜ最初から遣わなかった……? 考えうるのは何か条件を満たしていなかったからか、使用にはリスクがあり、それを今は許容しているから……?」

 敵にあれこれ私の〈術〉について考えさせる必要はない。私は勢いよく攻勢をかける。

 ブレイクダンスの動きで連続蹴りを放ち、覚えたての拳打を繰り出す。しかし不意を突かれておらず、受けに回った耳木菟の防御を崩すことは出来なかった。

 そして私の猛攻を軽々と捌きながら、耳木菟はぶつぶつ言い続ける。

「……なぜこの攻撃に〈術〉を絡めてこない? 殺気の消費が激しいようには見えなかった……なら」

 耳木菟が再びドスを持っていない左腕を振る。私はその寸前に〈術〉を発動し、耳木菟の時を止めて背中に回り込み、がら空きの背中へ向けて渾身の蹴りを繰り出す。

 時が動き出した直後、耳木菟の無防備な背中に私の全力の蹴りが突き刺さった。

「がッ!」

 再び血を吐きながら宙を舞う耳木菟だったが、今度は予想してたかのように空中で姿勢を立て直すと、身体を一回転させて着地した。

「なるほどねぇ」

 耳木菟は血の混じった唾を吐き捨て、にやけた笑みを浮かべる。

「あなた以外の車や人間も動いていた。つまり私だけを短時間停止させる能力ね? それを普通の攻撃に絡めて来ず、私が〈術〉を発動しようとした時にだけ遣うのは、神酒の〈術〉は連発ができず、更に神酒には〈術〉を遣う以外で私の〈術〉を避ける方法がないからかしら?」

 私の額から冷や汗が滲み出る。その通りだった。こんなに早くバレるなんて。

 これが殺気遣いの戦い。相手の手札を暴き合い、自分の利を押し付け合う――ッ!

「それで、気がついてる? 私は手を振っただけで、〈術〉を発動してないのよ?」

 私はハッとした。耳木菟の〈術〉が発動していれば周囲の様子でそれが分かる。確かに耳木菟の〈術〉が遣われた様子はなかった。

「死になさい」

 数メートル先にいる私を薙ぐように、耳木菟の左手が振られる。

 同時に耳木菟の足元から十数メートル先までの広範囲にわたって、仮想の超質量がその全てを轢き潰した。


 ――かに思われた。

「ぐっ、うっ、うううううぅぅぅぅっっっっ」

「あら、生き残ってるの? ……〈硬〉か。やるわね」

 私は――昨日判明した私の二凸のうちの一つである〈硬〉を遣って耐えていた。この殺気術は〈轟〉に比べて圧倒的な防御力を持つものの、全身を覆うように発動している最中は動くことができない。熟練者は身体の一部分だけを〈硬〉で覆い、他は動かすことができるそうだが、私はまだそんな器用なことはできない。

 そしてこの莫大な殺気を必要とした私の現状可能な最高の防御力をもってしても、耳木菟の〈術〉は防ぎきれなかった。気絶しそうな痛みが全身を襲っている。全身の骨が砕けているだろう。特に全ての重さを引き受けた足は、もはや動かすことすらできそうにない。

そしてこの一撃を耐えるためだけに殺気の大半を消費してしまった。もう〈硬〉は遣えない。

「……ダメージは深そうね。もうまともに動けないでしょ?」

 耳木菟はドスの根元から刃先までを左手で撫でる。ドスを構成する殺気が一層禍々しくなったのを感じた。

「私もしばらく大規模な〈術〉は遣えないし、これで我慢しましょう。また〈硬〉を遣われても面倒だし」

 耳木菟は無造作に私に近づき、その禍々しいドスを左袈裟斬りに振り下ろす。私は残った殺気を絞り出し、右腕を上げて、〈集〉で強化する。

 ドスが右腕の〈集〉に触れる。すると触れたところから私の殺気が引き剥がされ、アスファルトの上に落下し、轢き潰されていく。

〈集〉による防御など意味をなさなかった。ドスの下側の殺気は全て地面に叩きつけられ、潰されていく。そうしてガードを突破したドスが私の右腕を上腕と前腕で切断した。切り取られたひじは他の殺気と同じく地面に落下し、醜悪な紋様と成り果てた。

 私は右腕で防御したことで生まれた僅かな時間に何とか背後に倒れ込むことでドスを躱す。

 斬り飛ばされた私の右手首が、耳木菟の横にぼすっと鈍い音を立てて落ちた。

「うふふ、〈術〉の効果を纏わせたドスよ。あなた程度の〈集〉じゃ防御もできない……例え時間を止めたところで、反撃手段はないでしょ?」

 私はせめての抵抗として、私の二凸が一つ、殺気を伸長・拡大する〈拡〉で殴りつけようとする。将来的に一部を〈硬〉で固めて攻撃出来たら強いと思うと玖凪は言っていたが、私が今〈拡〉で出来ることは腕の〈轟〉を伸ばすことだけだ。

「うあぁぁぁぁぁああああッッッ!」

 しかしそれを耳木菟はドスを使うことすらなく、右手の甲で払いのける。

「ふふふ……それで全力?」

 耳木菟は自分の右側に落ちていた私の右手首を、私の側に蹴って寄こした。

「もう時間もないし、ゆっくり轢き潰すのは止めておくわ。抵抗した甲斐はあったわね?」

 耳木菟は左手を構える。〈術〉の回復を待っているのだ。

 あぁ……、私はもうすぐ死ぬ。

 こんな時に思い浮かぶのは、お母さん、お父さん、ダンス仲間、上神谷、

そして玖凪シラヒの姿だ。

 スクランブル交差点の惨劇で、近くにいた誰かは〈夜の森〉に通報しているだろう。

 でもその人は私の名前なんか分からないだろうし、三十人ほどいる〈夜の森〉の戦闘機関員の中で偶々玖凪シラヒがこちらに向かっている可能性はかなり低い。

 二度あることは……三度ない。

 私に向けて言ってくれた「僕が君を守るから」という言葉は、その時に限ったものであり、これからずっととか、生涯をかけてとかいった意味は微塵もない。

 そんなことは分かっている。

 だから――こんなのはただの偶然なのだ。

 目の前で勝ち誇った表情を浮かべ左手を構える耳木菟兎の左腹に、訓練時に見せてくれた見覚えのある電撃を纏ったレーザーが突き刺さったのは。


「……〈夜の森〉ね。時間をかけすぎた?」

 耳木菟はそう呟き、最初の一発を食らって以降、連続で放たれる雷のレーザーを躱していった。

「躱せてはいるけど神酒からは距離を取らされている……。そういう風に誘導されているわね。このレーザー、威力はそれほどでもない。でも電撃が付与されているせいで、まともに何発も食らえば痺れて動きが止まるッ」

 耳木菟は自分の感覚から〈術〉のインターバルの残り時間を確認する。

「〈術〉が回復するまであと五秒っ。五秒耐えきって神酒を轢き潰し、その下のアスファルトごと切り取って持ち去るッ。少なくとも写メだけでも撮るッ!」

 それにしてもこのレーザーはどこから、かなり角度が高いが……と出所を探った耳木菟は驚愕する。

 自分がいる渋谷109の前の横断歩道から遠く離れた、地上二百二十九メートル、四十七階建ての渋谷スクランブルスクエア、その屋上の展望台から電撃のレーザーは放たれていた。

(……ここまで何百メートルあるっていうのッ! だけどその距離のおかげでこのレーザーも躱せて……? いや、気配がかわっ)

「うっ、ぐうぅぅぅぅうううううッッッ!」

 レーザーが途切れたと思った次の瞬間だった。殺気の気配が変わるとほとんど同時に地面から立ち昇った電撃が耳木菟に叩きこまれる。

「がぁぁぁあああああッッッ!」

(この距離! この出力! こいつはやばい!)

 力を振り絞って電撃の範囲から出ようとするが、電撃は耳木菟を逃がそうとしない。数メートル跳んで着地した瞬間、再び致死的威力の電撃が耳木菟を襲った。

「ぐうぅぅぅううううッッッ!」

 耳木菟は必死に脱出方法を探す。そして渋谷スクランブルスクエアの方から地面を伝わって伸びてきている殺気の導線に気がつく。更に自分が跳んだ時に一瞬電撃が止まったことを思い出し、一縷の望みにかけて直上へ跳び上がった。

「……やっぱり! 電撃は追って来ないっ。地表か物体の表面を伝わせてしか、あの電撃は放てないッ!」

 しかし、渋谷スクランブルスクエア屋上で殺気が膨れ上がる。ここまでが玖凪シラヒの誘導通りだった。周囲を巻き込む電撃を放つために宝塔坂から敵を遠ざける。地表を這う電撃から逃れようと宙へ跳び上がったところを……。

十分な溜めを経て、極大の雷のレーザーが空中で身動きの取れない耳木菟へ向けて放たれた。

 耳木菟はまともに食らえば骨も残らないであろうレーザーに引き攣った笑みを浮かべる。

「……なんて威力ッッッ。でもこれなら間に合うッ。威力を重視した分、遅くなっているッ。これなら〈術〉の回復が間に合うッ。〈術〉の回復まであと一秒ッッッ!」

〈術〉を回復と同時に発動するため、身体の前で左腕を構える。

 しかし、気がついた瞬間、極太のレーザーは耳木菟の目の前に迫っていた。

「なッ、何ィィィィッッッ!!!」

 私の〈術〉が一秒間、耳木菟の時を止めたことを察した耳木菟は私を振り向く。

「ミ、神酒ィィィィィイイイイイイイイッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!」

「ごめんなさい……あなたの愛は私には重すぎるわ」

 止まった時の中では全てが停止する。〈術〉のインターバルが回復するまでの時間も。

叫び声を残しながら耳木菟兎は雷の奔流に飲み込まれ、消し炭となっていった。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 殺気遣いプロファイル

 

 玖凪白日くなぎ・しらひ

〈術〉:送電戦線。触れた箇所から物体の表面を這う複数の送電線を即座に張り、即座に対象に電撃を浴びせる。発動から電撃までのタイムラグはほぼゼロ。射程距離と範囲がアホみたいに長くて広い上に瞬間火力もかなりの幅で調節できる。デメリットとしては蓄電量に限界があり、それを使い果たすと発電を待たないといけない。また照準がかなり大雑把であり、標的の周囲数メートルにいると同じく感電する。

〈放〉の一凸:基本的にレーザーの威力や速度を調節するくらいしかできない。威力には目を見張るものがあるが、様々な状況に対応できるとは言い難く、訓練中。

 パーソナルメモ:パンツは大体男物の派手なやつを履いている。最初の日に履いていたパンツは赤いヒョウ柄のボクサーブリーフ。


 宝塔坂神酒ほうとうさか・みき

〈術〉:時よ止まれ、私は美しい。宝塔坂が自分のことが好きな証を示すように求め、相手がそれに応えた行動をした時に発動条件が満たされる。発動すると一定時間相手の時を止める。この間相手は外的・内的関わらずあらゆる影響を受けず変化しない。発動には一定のインターバルが必要。時を止めておける時間は現在一秒。

〈硬〉〈拡〉の二凸:〈硬〉は全身を覆うことしかできず、発動中は動けない。〈拡〉は腕の〈轟〉を伸ばすことしかできず、伸縮速度も大して速くない。

 パーソナルメモ:アイドル事務所に誘われており、興味が出てきたところ。


 耳木菟兎みみずく・うさぎ

〈術〉:版画制作者ロードローラー。指定した範囲を腕の振りと共に仮想の超質量で轢き潰す。出力した威力に応じたインターバルが必要。

〈変〉〈創〉の二凸:〈変〉ではドスの形状と斬撃という性質を再現している。〈創〉は自分の身体から離れた場所に自身の殺気を生成する殺気術で、遣い手は少なく実はかなりレア。しかし本人は我流で殺気術を習得したため気がついておらず、無意識に〈術〉と一緒に遣ってその威力を高めている。

 パーソナルメモ:生存中。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 後日談。

 僕はC級訓練室の片隅で宝塔坂神酒さんの訓練に付き合っていた。

 ……申し訳ないけど付き合えるのもこれが最後かな。僕も自分の訓練をしなくちゃいけないし。

「あっ、うん。大丈夫だよ。付き合ってくれてありがとう!」

 宝塔坂さんは汗だくになり、息を切らしながら膝に手をついている。ブレイクダンスで鍛えた体力があると言っても、殺気を遣う時には別の疲労感もある。

 本格的に訓練をしたいならC級訓練生に入ってもらうことになるけど、色々誓約があるんだよなぁ……。基本的にB級を目指してもらうことになるし、週に何回かは必ず訓練に来なきゃいけない。

「……それならC級はいいかな。やりたいことがあるから。それにしてもこれで玖凪君に救ってもらったのは三回目か……。何かお礼をしなきゃだね?」

 そう言ってにこやかに笑う。三回目……? 僕は渋谷での一件で一変した宝塔坂さんの態度に戸惑いながらも、それなら……と口にする。

 それなら、僕の父親を殺した二人の男、指示を出した夏冬春秋かとう・はるあきと実行した千本桜良せんぼんざくら・りょうに復讐する時に手を貸してほしい。勿論私刑にならないように〈夜の森〉に依頼を出して自分で受ける形にするし、宝塔坂さんに身の危険が迫るような無理はしなくていい。可能な範囲で協力してほしい。

「……身の危険が迫るようなことはしなくていい……? 協力はするし、身に危険が迫るようなことも全然するわよ。何言ってるの?」

 ……? 結構重いことを言っているつもりだった僕は戸惑った。夏冬春秋は大企業の重役で複数の日本トップレベルの殺気遣いと関係を持っているはずだということ、千本桜良は〈夜の森〉の情報力をしてもろくな情報が集まらないことを伝える。

 つまりそれほど強力な相手であり、最悪死ぬかもしれない。そう僕が真剣な表情で口にする。

その言葉を聞いた宝塔坂さんは、ぷっと噴き出した。

「……だからなんだって言うのよ。私は何度も死ぬところを玖凪君に救われてるのよ。それにそんな相手だったら、玖凪君だって死ぬ可能性があるんでしょ?」

 ……まあ、最悪死ぬ覚悟はできている。

「だったら私も命を懸けて協力するのが筋じゃない。玖凪君は私に筋を通させてくれないの?」

 ……すっぴんでも可愛い宝塔坂さんの笑顔に、絶対に引かないという圧を感じた僕は、心からの感謝を込めてお礼を言った。


 玖凪君の当たり前のことに対するお礼を少し複雑な気持ちで受け取った私は「それより!」と話を変える。

 そう、今日はあの計画を実行に移す日なのだ。

「ねぇ、これからはあんまり二人で会えることもなくなるでしょ? だから写真を撮ろうよ! 私のことが友達としてでも好きだったら、こっちに来てほしいな!」

 玖凪君は不思議そうな顔をしながら私の方に来てくれた。よし、〈術〉の発動条件を満たした。玖凪君は違和感に辺りを見渡す。……が、気のせいだと思ったみたいだった。よし。

私の〈術〉について玖凪君には少しだけ教えた。ある条件を満たせば相手の時を止められるということだけを。条件の方は教えていない。

 私は玖凪君の身長に合わせて少し屈み、スマートフォンをインカメにして二人の前に出す。

「それじゃあ撮るよ~、ハイチーズ!」

 撮影ボタンを押す寸前に、私は玖凪君の時を止める。そして横を向いて玖凪君の頬に唇をつけた。直後に撮影ボタンを押す。

 ――ちゅぷ、きーがしゃ。

 時を止められた玖凪君がキスに気がつくことはないはず。

 私が顔を正面に戻すと同時に玖凪君の時が動き始める。微妙に変わった私の顔の角度や表情で違和感を持ったのか、時間止めた? と聞いてくる。

「止めてないよ? それよりほら、カメラの方見て!」

 私はピースをして、玖凪君にも無理矢理させる。そして撮影ボタンを押した。

「どうかなー?」

 私はカメラロールから私が満面の笑みで、玖凪君が少し引き攣った笑顔でピースをしている写真を表示する。私はそれにも笑みを浮かべ、スライドして二枚目の写真を表示する。

 むふふ。

「よく撮れてるよ。後で送っておくから!」

 二枚目の方は絶対に送らないけど。だってこれは私の――

 初めての恋心の、証明写真なんだから。


 ――——宝塔坂神酒の証明〈完〉



「いやー、見てるだけのつもりだったのに思わず助けちゃった♪」

 私こと耳木菟兎が目を覚ますと、そこはかなり高級なマンションの一室のようだった。

 数瞬遅れて私はかけられていた布団を剥ぎとり、全身を見る。パジャマのようなものを着せられていたが、完全に五体満足だった。

「嘘でしょ……? だって私はあの雷遣いに……」

 自身の身体が消し炭にされていく瞬間を私ははっきりと覚えている。がたがたと震え出した身体を抱きしめる。

「おやおや、大丈夫かい? そんなに怖い思いをしたのなら、僕が忘れさせてあげるよ♪」

 頭の辺りに一瞬殺気を感じた。そしてその直後私の身体の震えが止まる。

 ……? なんで私は身体を抱きしめていたんだろう?

 私は体を伸ばし、記憶を遡る。雷遣いのレーザーが迫り、私は死んだと思った。それからここで目を覚ますまでの記憶がない。状況的にこの男が助けてくれたんだろうけど。

「……あんた、何者よ? どうやって私を助けたの?」

 あの状況から私を助け出し、〈癒〉による治療まで施しているのだから、この男が、ただ者であるはずがない。私より少し下くらいに見えるけど、童顔だから実際は同い年くらいなのかもしれない。

「まあ助けること自体は大して難しくなかったよ♪ 君が殺そうとしてた女の子には少し違和感を持たれたかもしれないけど、忘れさせたから! まあ頭に〈癒〉を受けたら回復しちゃうんだけど、あの状況でのちょっとした違和感なんて、時間が経てば忘れちゃうって♪」

「……なんで私を助けたの?」

「なんでって! 君の殺気術に感動したからだよ! あの伸びしろしかない〈術〉! 見るからに我流なのにあの次元で〈変〉と〈術〉を融合させられる才能! それにかなり珍しい殺気術の複合使用を他にもやってるしね♪」

 私は眉を潜める。他にも? 何を言っているんだこいつは?

「まあとにかく、ぼくは君を勧誘してるんだよ! 僕達と一緒に〈夜の森〉を滅ぼさないかい? その代わりあの女の子を殺すのに協力してあげるからさ♪」

 その作られた笑み面に苛立った私は瞬時に〈変〉のドスを生成して首を斬り飛ばそうとした。

 ……ん? 私は今何をしようとしてたんだけ? なんで右腕を身体の前で構えているんだ?

「僕の勧誘を受けようとしてたんだよ!」

 私の心を読んだように男は続ける。私は心底震え上がるような恐怖を感じ、あまり考えず男の手を取った。何故かは分からないが、この男が途方もないことはわかる。

「怖い男だな。あなた、名前は?」

「人は忘れられたときに本当に死ぬ。〈     〉の千本桜良せんぼんざくら・りょう。よろしくね♪ あっそれから、僕は女だから!」


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