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仁王ノ宮晶の矛盾

「おい貴様、あの感情的で気分屋で傲岸不遜のゴミと仲がいい玖凪シラヒだろう」

 そう、訓練室での訓練を終え、〈夜の森〉東京本部の敷地内にある寮に戻ろうとしていた僕に声を掛けたのは、撫でつけた銀髪眼鏡に白いロングコート、腰に佩いた現代刀が目立つB級最強の二人のうちの一人、仁王ノ宮晶だった。

 先日僕は仁王ノ宮と絶望的に仲の悪いもう一人のB級最強、七瀬桜と共闘して、彼の恋人を取り返すのに貢献している。

 僕はまたぞろ面倒ごとに巻き込まれそうな嫌な予感に包まれながら、まあ確かにそうだけどと返す。

「その件のあと、あいつがこれまでの態度を謝罪してきた。あの天上天下唯我独尊男がだぞ? 合理的に考えて何があったか聞いておいた方がいいと思ってな。少し話を聞かせてもらう」

 めんどくさーと思いながら、僕は〈夜の森〉東京本部の敷地外にあるチェーン牛丼屋に連れていかれた。

 え、どういうこと? ここで話すの? 

「アホか貴様は。こんな誰に聞かれるか分からん場所で、内部情報を話せるわけないだろう。テイクアウトしたら俺の家に行くぞ。俺が払うぐらいはしてやるから、好きなものを頼め」

 僕は、あー、と思いながら仁王ノ宮の端正な顔を眺める。僕は見た目は身長一五八センチ、青い長髪、カーキ色のコートを着ていて、ぱっと見は女の子だ。実際、七瀬桜は僕のことをそう思っている。誤解を解くタイミングがなかなかない。

 まさか口実を作って女を自分の家に連れ込もうとしているわけないよな……?

 僕の怪訝な視線を感じ取ったのか、「ん?」とこちらを見て「なんだ?」と聞く。

 いや、家に上がるのは問題ないんだけど……。

「……ああ、お前のことを俺が女だと勘違いしていると思ってるな? お前、多目的トイレしか使わないだろう。その理由を考えて、その可能性を持って少し観察すればお前が男であることはすぐにわかる」

 あーなるほど。じゃあ大丈夫だな。

「まあ、男でもいいというやつがいないとは限らないから、警戒はした方がいいだろうけどな。殺気遣いを無理矢理襲おうとするアホがいたら、逆に可哀そうだが」

 安心したところを男でも……という可能性を指摘され、僕はぶるりと身震いをした。

 大丈夫、こいつはB級最強の男で仕事もしっかりこなすし、七瀬のことを目の敵にしている以外はちゃんとした人間だって評判なんだ。もし仮にその気があったとしても無理矢理襲われることはないはず。

 実力差的に襲われたら逆らえないが……。

 戦々恐々としている僕に対して、仁王ノ宮はおかしそうに笑った。

「なに考えすぎているんだ。そもそも俺は恋愛に興味はない。食券機の前でうだうだしてないでさっさと選べ。誰か来たら迷惑だろう」

 僕はそう促され、不安を拭いきれないまま、入口の自動食券機に手を伸ばした。

 まずはチーズ牛丼を……と。あとは……。


 綺麗なタワーマンションの高層階……を予想していた僕は案内された場所に予想を裏切られた。古い木造二階建ての一軒家だったのだ。多分築三十年は超えているだろう。

〈夜の森〉の給料はそこそこいい基本給に加えて歩合給も支払われる。仁王ノ宮だったらもっといい場所に住めそうだが……?

「どうした? 早く上がれよ」

 仁王ノ宮はズボンポケットから鍵を取り出し、玄関の引き戸を開けると、ぼけーっと突っ立ている僕を中に入るよう促した。

 中もやはり古そうである。外観と短い廊下から予想するに、一階は居間と水回り、二階は大き目の一部屋か多くて二部屋というところだろう。

 障子の張られた襖を開くと、畳の居間が現れた。ちゃぶ台の前に座布団が一枚敷かれている。古そうな木の箪笥もあった。

「ほれ、この座布団を使え」

 押入れを開けて別の分厚い座布団を渡される。来客用なのかあまり使われた様子はなく綺麗だった。

 物珍しそうに部屋の中を眺めていると、流石に聞かれた。

「どうした? 気になるものでもあったか?」

 僕は少し迷ったが正直に伝えるのがいいだろうと、思った通りのことを伝えた。質素というか……、なんかイメージと違って意外だった、と。

「そうか? 住むところなんかそこまで金をかける必要もないだろう。合理的に考えて。……あのバカは随分奮発しているようだがな」

 あのバカこと七瀬桜は寮に住んでいるが、ダークブラウンを基調とした落ち着いた色合いの家具でまとめ、壁紙なんかも変更していた。かなり金がかかっている。

「まあ監視カメラをつけたり〈夜の森〉のセキュリティをここまでを伸ばしてもらったりして、その辺りの金はかかっているがな。どうも寝る時に同じ建物内に家族以外がいるというのは耐えられん」

 パーソナルスペースが広いのかもな、と仁王ノ宮は言う。確かにこの家には家の大きさに対してかなり広い庭がついている。正面と向かって左を道路、背後に川、残りの右は広めの庭を挟んで他人の敷地、と近くに人はいない。道路も住宅街の中なので夜中はそれほど人が通らないし。

「もういいか? なら食いながら聞かせてもらおう。なぜあいつがあんなトチ狂ったことを言い出したのかをな」

 

 七瀬との共闘時に僕が見聞きしたことを、なるべく詳しく伝えたが、仁王ノ宮はあまりピンと来ていないようだった。

「……それだと最後に敵と何かを話した時に感じるものがあった、らしい、ということしか分からんな」

 そう言われても僕の知っていることはそれだけだ。

「……まあ、そういうことあるか。わざわざ来てくれて助かった」

 用が済んだなら僕は……。

「まあ待て待て。せっかくここまで来て話をしてもらった礼が、チーズ牛丼野菜味噌汁セットだけでは心苦しい。合理的とも言い難い。礼になるか分からんが、聞きたいことがあったら何でも聞いていいぞ。強さの秘訣とかどうだ? 自分の能力に合った戦い方を模索することだ」

 ……それはそれで有益な話だったが、ならせっかくだし、と僕は気になっていたことなどを聞いてみる。実力的にはA級中堅はあると言われているのに、なぜ昇格しないんだ?

「……まず知ってると思うが、A級になるには正規機関員にならないといけない。そして正規機関員は学生だったり、別の仕事をしている人間ではなれない。俺が東京数理高専を辞めて正規機関員になったのは最近だ。……まあ、次のA級班分けで昇格するという内示が出ていたり、いなかったりするかもしれないな」

 暗に次の班分け時に昇格すると言う仁王ノ宮。僕はなるほどと納得した。同時に本来口外してはいけない内示を匂わせたことが、仁王ノ宮なりの感謝の証なのだと思った。

「そうだな。……もう一つくらいは話してもいいが、俺にも聞きたいことがある。お前、〈放〉の一凸ピュアだよな?」

 そう、僕は習熟速度が比較的高い代わりに他の殺気術が伸びにくいという、一凸ピュアである。〈放〉は殺気をレーザーや弾丸のように放つ殺気術の総称だ。

 他にも習熟速度は平均的だが得意な殺気術が二つある二凸クロス、習熟速度が比較的低く、最高練度も低くなりやすい三凸トライがいる。これは選べるわけではなく元からある得意不得意の傾向を大別して呼んでいるだけなので、基本的には変更できない。死ぬほど努力をすれば話は別かもしれないが、今のところこの分類を覆した実例は聞いたことがない。

「報告書を読んだが、なんで最近全然〈放〉を遣ってないんだ?」

 ……それは僕が聞きたいんだよ! 状況が! 許さないんだよ! まあ確かに僕の〈放〉のレパートリーが少なくて応用力が足りないとか! 〈術〉で大体十分とか! 色々理由があるけど! でも実戦で気持ちよくぶっ放させてくれてもいいだろ!

「あ、ああ、わかったわかった。お前意外と感情的になる時もあるんだな」

 心底嫌そうにする。感情的なのが嫌いなのは相変わらずらしい。

 げふん、と咳払いをして僕は続ける。その時窓際の棚に飾られた写真立てを見つけた。父親と母親らしき人物の間に、男の子が二人立っている。背丈も顔つきもそっくりだが、片方は銀髪を撫でつけて眼鏡をかけ、嫌そうな表情をしながらそっぽを向いている。もう片方はツンツンの銀髪の下に満面の笑顔を浮かべ、カメラに向かってピースをしている。

 ……これは、不機嫌そうな方が仁王ノ宮?

「そうだ。隣のアホ丸出しのバカが弟の修二だ」

 ほーん。明るそうなやつだな。顔も似てるし。

「……似ていると言うな。反吐が出る。この伊達眼鏡もそれが嫌でかけているんだ」

 仁王ノ宮晶のトレードマークの一つだと思っていたが、その銀色フレームの小さな丸眼鏡、伊達なのか。

 ……でもいい奴そうだけどな。無垢な感じがするし。

「無垢……か。感情的で合理的な判断が出来ないだけだ。そのせいで死んだしな」

 僕は言葉に詰まる。しかし仁王ノ宮の口調には侮蔑というよりも後悔のような感情が籠っているように聞こえた。……何があったのか聞いてもいいか?

「……まあ、何でも聞けと言ったしな……。元々感情的なやつだったよ。感情的すぎて両親が殺気遣いに殺される時に身体を張って逃がしてくれたのに、両親を助けようとわざわざ戻って行って一緒に殺された。感情的で合理的な判断が出来なかったクズだ」

 クズだ、というその声はしかし、全く逆のことを言っているように聞こえる。……羨ましいのだろうか? 両親を救う為の行動を即座に取れた、弟の修二君のことが。

「俺はその後、両親の仇に対する底知れぬ殺意で殺気遣いに覚醒した。……さて、この話はもう終わりでいいだろう。礼の分は話したはずだ。そろそろ帰ってもらおう」

 しかし僕はすぐに立ち上がれなかった。仁王ノ宮晶の根幹に触れる話を聞き、若干の放心状態だったのだ。その僕のスマートフォンに、通話要求が届く。

僕は仁王ノ宮に断って通話に出る。僕が所属するB―3ビーサンの班長にして、態度はデカい割に身長も胸もちっこい十五歳、髑髏躑躅蹴鞠どくろつつじけまりだった。

「明日だけど、B―1ビーワンと一緒に急行してほしいところがあるんだって。あっ、七瀬がいない方のB―1ビーワンな! それから今日のエイペックスは私のネトフレ来るからよろしく! じゃっ」

 言いたいことだけ言ってぶつ切りにしたお子ちゃま班長は置いておいて、僕は視線を目の前の仁王ノ宮に向ける。

 嫌われているせいで基本一人で依頼をこなしている七瀬桜じゃない方のB―1ビーワン、つまり全部で三人いるB―1ビーワンの残り二人のうちの一人、B―1ビーワンの班長は、まだ何も聞いていないようだった。


 零時を回る前にエイペックスを切り上げた僕は、万全の睡眠量と共に寮を出た。風が強いが、天気は快晴である。静岡県まで雨雲が来ていて夜から雷雨らしいけど、まあその頃には終わっているだろう。

 部屋を出た瞬間、風が長い髪を舞い上がらせ、視界の全てを覆い隠す。髪が風にはためく音さえ聞こえている。強風オールサイドである。このままワックスで固めれば新しい髪型になりそうだ。

 閉口した僕は一度部屋に戻り、舞い上がらないように髪を短くまとめ直した。

慌てて部屋を出る。遅刻する!


 何とか遅刻せず辿り着いた依頼主のアジトは、スーパーコンピュータが十数台並び、クーラーがガンガンに効いていた。鳥肌が立つくらい寒い。挨拶もそこそこに依頼主はその中でデータの移管と消去の作業を行っていた。

「マジヤバいって! 情報セキュリティは万全なはずだったのにっ!」

 目の前で七台並べたキーボードを高速でタイプしている金髪黒ギャルは、〈電子遣い(エレクトリックマスター)〉こと「ネットが得意なギャル」である。〈夜の森〉の正規機関員だが、本名は機関員にも秘匿されている。ついでに言うと非殺気遣いである。

 このクソ寒い中、ミニスカートで脚を出せるってどういう神経をしているんだ……。膝から下はルーズソックスで隠れてるけど。

「……情報部の若きエースにご指名頂き光栄だ」と仁王ノ宮が言う。

「君ももうすぐA級でしょっ? あっ、これ言っちゃいけないヤツじゃん。もうマジてんてこまいまいかたつむりだから変なこと言わないでっ!」

 このギャルは高校生くらいの外見ながら〈夜の森〉の電子情報戦を担う一翼だ。元々野良のウィザードとしてクラックしたり情報を流したり色々して遊んでいた時に「情報部の若くない方のエース」に「捕獲」されたらしい。それで仕事はするものの、同じ建物内にいるのは嫌だと言うことで、こんなところにアジトを構えている。

 こんなところというのは、東京スカイツリーの頂上である。何をどうしたのかわからないが、数日間で建造を終えてPCを運び込んだらしい。

 つーか〈夜の森〉の有力者、ギスギスしすぎだろ。仲よくしろ。僕と蹴鞠を見習え。

「空中から来るか、下から来るかは分からないけど、防衛よろしく! こっちは電子機器だから電気遣いが来るかもって思ったんだけど、シラヒちゃん何とか出来る?」

 うーん、まあ相性が良ければ僕の〈術〉の送電線で攻撃を逸らすことは出来るかもしれない。相手が電気的性質をどこまで再現しているのかによる。

「一般人も職員もいなくて、周辺も封鎖してるから思いっきりやって大丈夫だよ。あんまりスカイツリーに被害出すと怒られるけど」

 まあ日本のシンボルみたいなものだからな……。スカイツリー自体を守りながらの戦闘になるのか。少し厄介だな。

 その時、アジトの屋上で快晴の空の下、周囲の見張りをしていたもう一人のB―1班員、縁下優視えんのした・ゆうみさんが、インカムで怯えた声を送って来た。

「来、来ましたが……あれは……」

 僕らは真冬の冷凍室から出て屋上に上がる。屋上は風が強く、柵もないのでかなり危険だが薄く〈轟〉で殺気を全身に纏って身体能力を上げ、体勢を安定させる。

 縁下さんが指さす方向を見るが、空が広がっているだけで何も見えない。

「今見せますね」

 そう言って縁下さんは僕と仁王ノ宮の両目に〈与〉で自身の殺気を付与する。

 めちゃめちゃ目がよくなり、とんでもなく遠くのものも詳細に見えるようになった。……って、何だあれ?

 近づいて来ていたのは一機の軍用ヘリだった。それはまだいいのだが、その上空、数十メートルのところに軍用ヘリより大きい球形に圧縮された雷がある。

 その球形の雷を覆うように殺気が包んでいるのだが、問題はその荒ぶる雷から、規模に対して僅かにしか殺気を感じないことである。

 あ……、あれ……。

 言葉に詰まる僕に縁下さんは頷く。

「殺気で生成したものではありません……本物の雷に制御用の殺気を混ぜたものです」

 僕と同じく両目に縁下の殺気を付与されている仁王ノ宮も呟く。

「俺は数理高専で物理学を専攻していたから、雷についても少しは知っているんだが……やばいぞ、それは」


 僕も電気系の〈術〉ということである程度は勉強している。

その知識の中から、自然の雷を操れるというのがどれほどヤバいか、簡単に解説しよう。

 僕の〈術〉は簡単に言うと物体や自分の殺気の表面に送電線を張り、触れているものを感電させる。電圧・電流などを再現している。

 山の中でよく見るような高圧電線の鉄塔で一番電圧が高いものは五十万ボルトである。また、電気は発電所で生成された後、家庭に届けられるが、徐々に電流は弱くなっていく。発電されたばかりの一番強力な電流で三万アンペアである。

 現在の人類が使用している電気のおおよその最高値は五十万ボルトと、三万アンペア。

 僕の〈術〉は概ねその程度の電気を基準にして、殺気遣いにも効くように再現している。

一方自然の雷は、おおよそ数千万~一億ボルト、電流は最高二十万アンペアである。

 そしてその温度はおよそ三万℃。

 しかも電気を再現している僕の〈術〉もかなりの速さで電撃を浴びせることが出来るが、本物の雷には全く及ばない。

 雷の速さは光の速度。一秒間に地球を七週半する。

 文字通り桁が違うのだ。それに殺気が付与されたなら、どれほどの威力になるのか。

 

「まともに食らったら終わりだな。シラヒはスカイツリー全体に送電線を張って電撃を地面に逃がせるようにしておけ。……〈電子遣い〉の危惧は大当たりだったわけだ」

 仁王ノ宮は何かを思い出し、顔を歪める。

「……あのヘリまでの距離はどれくらいだ? 縁下」

「今は九キロメートルくらいです」

「だとすると、そろそろ射程範囲に入ってもおかしくないな。確か雷は長いと十~十五キロメートルにもなる。……世界最長の雷はおよそ七百キロメートルだ。因みに日本の幅は広いところで三百キロメートルだな」

 それを聞いた僕は慌てて〈術〉を発動する。スカイツリーの全面をほとんど隙間なく覆い、地面へ逃がす用意をする。雷が放たれてからでは間に合わないのだ。仁王ノ宮が続ける。

「因みに俺の〈放〉と〈術〉は両方とも最大射程が百メートルほどだが……、一凸のお前はどうなんだ? 〈放〉の専門家だろう?」

 ……五百メートルくらいかな。威力を度外視すれば数キロいけるけど。

「……ふっ、なら今回もお前の〈放〉が敵を蹴散らすシーンは見れそうにないな」


 軍用ヘリの操縦桿を握っている殺気遣いの男、井鍋囲人いなべ・かこうどはスカイツリーの全面に殺気が張られたのを見て頬を緩ませた。

「おい、見ろよあれ。あんなのそう維持しておけるモンじゃないだろ。十分くらい待てば殺気切れ起こすんじゃないか?」

「……なら、この静岡県からわざわざ数時間かけて持ってきた雷は、適当に逃がす必要があるな。ワタシが保たない」

 そう助手席で右手を突き上げたまま苦しそうな表情を浮かべているのは、今空晴いまから・はれる。同じく殺気遣いである。

「……ならもう撃つか? 制御が難しいからなるべく近づきたいって話だったが、暴発に巻き込まれるのはごめんだぞ」

「そうするか……っ」

「オーケー、一応依頼主に伝えておくぞ」

 井鍋は無線機を取り、話始めた。今空は早くしろ、と念じる。

幼いころに母親が自殺し、親戚に引き取られた今空晴は、どこかへと消えた父親とその浮気相手の死を心から願った。

 天罰よ落ちろ、と。

 そして今空晴は自然発生する雷を誘導可能な殺気遣いとなり、嵐の夜に二人の住居へ雷を落として殺した。

 そして自分勝手に生きてこその「力」だ、と破滅的な生活を送っている。

「三十秒待てだそうだ」

「なん、だそれ……」

 本当に限界が近いのである。

 そして何事もなく三十秒が経過する。待ちかねていた今空は即座に荒れ狂う雷を閉じ込めていた殺気の球を消す。

 自身を押さえつけていた檻が突如消え去り、雷は一番近くにあるものに襲おうとする。殺気遣い達が乗った軍用ヘリである。

 しかし今空晴は同時に全力で雷にスカイツリーへの指向性を持たせる。落雷の方向を誘導され、一瞬の数千分の一ほどの速度で十キロ近い距離を走破し、スカイツリーの頂上、ネットの得意なギャルのアジトを襲う。

「――貫け〈ミョルニル〉」

〈夜の森〉名古屋支部最強の防御力を持った殺気遣い〈函谷関〉をも貫いた最強の矛が、放たれた。


 ――その三十秒前、金髪黒ギャルが見ているディスプレイの一つに音声通信要求が届く。同時にプログラムが作動し逆探知を開始するが、結果はこの場所、ギャルのアジトだった。

 こんな真似ができる者は少ない。この状況でこんなことをしてくる者はもっと少ない。ネットの得意なギャルはリクエストを許可した。当然のようにトロイの木馬があったが、そちらはギャルが組んだファイアウォールが自動でブロックする。

 通話相手はギャルが野良時代に散々遊んだ相手、ギャルと評価を二分した天才クラッカー、〈痕跡のない魔女ソースレスソーサレス〉だった。

「さて、あなたが遊んでくれるのもこれが最後かしら?」

「あんたねぇ……、ウチはもう企業所属なのよ。遊ぶのもいい加減にしなさいよ」

「ハァ? あんたが捕まった鬱憤晴らしに根こそぎ荒らしていったデータベース、まだ復旧してないのよ? あのクソめんどくさい作業をしなきゃいけないこっちの身にもなりなさいよ」

「……それはまあ……わかるけど……」

 百パーセントギャルが悪い話なので、ギャルは何も言い返せない。

「い、いや! あんただって私が全国の監視カメラに仕掛けたプログラムの位置情報だけ書き換えるとかいう意味わかんないことしてたじゃん! 北海道で指名手配犯探そうとしたら沖縄ビーチのパリピが映ってクソうざかったんだから!」

「ハァ? それはあんたが取引中の私の通話に割り込んで、私の声で恥ずかしいこと言ってたからでしょ? それであの後私は――」

 通話要求から三十秒経ち、残りの言葉は突如生じた轟音と通信障害にかき消された。


 縁下さんは〈変〉によって超高精度の双眼鏡のようにした殺気を〈与〉で僕の瞳に付与してくれていた。それによって僕は十キロ近く先の僅かな殺気の揺れを目視した。

「来るぞっ」

 同じく目視した仁王ノ宮が鋭く言う。

 僕は殺気の出力を全開にする。送電線の本数をさらに増やし、より合わせて太くし、自然の雷の莫大な高圧電流に耐えられるようにする。

 勿論通常の雷ならスカイツリーの表面を流れていってそのまま地面に消えていくが、そこは殺気によってある程度操作されている雷である。僕が意図的に同じく殺気を用いて防ごうとしない限り、そんな自然な挙動はしないだろう。

 勝負は一瞬の数千分の一。太く頑丈にした送電線を更に殺気で覆い、漏れ出る雷を押さえつける備えとする。

 閃光が放たれ、視界を焼く。

がっ、ハッ、ァァァァァァアアアアアッッッ――――!!!!!! 

……………………。

 僕は残った殺気量の九十五パーセントを失い、倒れ伏した。送電線の中だけでは留まらず、溢れ出る雷を抑え込むためにほとんど全ての殺気を失った。基点となっていた手は焼かれ、倒れ伏した先のスカイツリーは表面も溶けていたものの、全体としては形を保っている。

 鼓膜は何とか無事だったが、視界は完全に潰された。数メートルまで迫った雷を直視してしまったから当たり前と言えば当たり前だ。

「……縁下、聞こえていたら俺の目と耳を〈癒〉で治してくれ。玖凪シラヒ、よくやった。だがもう一つ仕事が残っている。お前の自慢の〈放〉の出番だぞ」

 

「……はっ? あり得ないだろッ! あの〈函谷関〉すら撃ち抜いた〈ミョルニル〉だぞッ?」

 今空晴は〈夜の森〉名古屋支部所属のA級上位、その防御の硬さと防御範囲の広さから〈函谷関〉という戮し名を名乗ってた殺気遣いを、この殺気術で葬っている。

 非常に状況は選ぶが、発動できれば必殺。その自負が崩れていった。

「それを〈函谷関〉より広範囲を守りつつ、防ぎ切っただと?」

 荒れている今空に比べ、井鍋は冷静だった。〈ミョルニル〉発動直後、疲労から一時的に殺気を遣えなくなった今空とは違い、激突直後の様子を観察できたからである。

「……お前の殺気が下に流れて行ったように見えたな。正面から受け止めず受け流すか……もしかしたら伝導性のあるものに変化させられる〈変〉遣いだったのかもしれん。お前の〈ミョルニル〉は強力な分、雷の性質を多く残すからな」

 実際には〈変〉ではなく〈術〉だったが、井鍋の推察は概ね的を得ていた。

〈ミョルニル〉は自然の雷をベースにしているため、都合の悪い性質も残ってしまっている。今回はたまたま運が悪かったのだろう、そう続ける井鍋に、今空は徐々にやる気を取り戻す。

「……じゃあ、どうするんだ? ここから近づいて乗り込んでいくのか? もう数時間で標的はデータ作業を終えて逃げ出すんだろう? 雷雲を待っている時間もない」

 今空が最高のパフォーマンスを出せるのは雷雲のある時である。元々その予定だったのだがギャルの情報網に引っ掛かってしまい、襲撃を前倒しにしたのだ。

「そうだな……まあこの距離ならあいつらに攻撃手段はないだろう。とりあえずまた依頼主に連絡して――」

 井鍋が無線を取ろうとした時、近くで殺気の気配がした。一瞬で〈轟〉を発動し、硬度を上げる。

 直後、軍用ヘリの操縦席が真っ二つに切り落とされる。斬撃は止まることなく軍用ヘリを斬り刻み、二人の殺気遣いを自由落下へと追いやった。

 

 僕は〈放〉に仁王ノ宮晶を乗せて、最低威力、最長射程で撃ち出していた。その結果残った殺気のほとんど全てを消費し、気を失いかけている。肉体的な損傷は縁下さんの〈癒〉で治療してもらってあるものの、殺気切れによる意識消失は避けられない。

こんな〈放〉の遣い方は嫌だランキング第一位だよ……。

僕は強い風が吹いている屋上から何とかアジト内に転がり込んだ後、気を失った。本当にいつになったらまともに〈放〉を遣えるんだ……。


 仁王ノ宮晶は縁下優視を左腕に抱きかかえ、右手で最新の素材で作られた現代刀〈白牙〉

を振るって〈放〉による斬撃〈空牙〉を飛ばしていた。

 既に軍用ヘリは十個ほどの鉄板に解体され、その飛行能力を失い落下している。

 縁下に付与された遠視能力でそれらの破片を落下させてもいい場所を探す。すると近くに使用中の野球場があった。

 使用中とはいえ草野球なのか、グラウンド内にいる人間達は少ない。逆に言えば普通の野球に必要な守備手、そして打者と走者と審判はいる。しかし仁王ノ宮達がいるのは新宿区高田馬場近くの上空であり、その芝生の野球場はどこよりも人の密度が少ないように見えた。

「仕方がない! あの野球場に落とす! まずったら縁下、頼んだぞ!」

「はい!」

 切れ味を抑えた〈空牙〉で軍用ヘリの欠片を弾き、二人の殺気遣いを押す。斬り捨ててもよかったが、死体が空から降って来るのは、一般人にとっては精神的に不味かろうと判断した。

 軍用ヘリの破片と四人の殺気遣いが野球場へ落下していく。最初にバッターが気がついて、上空を指さし、バッターボックスから逃げ出した。続いてピッチャー、キャッチャー、主審が逃げ出し、内野手達が振り返って空を見上げた時、軍用ヘリの残骸達がセンターと二塁の間に着弾した。

土や小石、地面と衝突した際に外れた部品などが勢いよく飛び散る。ヘリの両翼の下にあったロケットランチャーに搭載されていたロケットが衝撃で爆発する。

 落下物が直撃はしなかったものの、それらから飛び散った物は近くにいた内野手とセンター、そして一塁走者に突き刺さった。

「〈ここを今より休日とす〉!」

 縁下から放たれた無数の殺気の微粒子がドームのような形状を生成する。そしてその中にいる選手たちを、負傷すると同時に治療していった。

「……鋭敏な平日と癒しの休日を。〈ワークライフバランス〉の縁下優視……です。今日は有給の予定でしたッ」

縁下優視は戮し名を名乗る。〈変〉〈与〉〈放〉の三凸トライ、殺意の本質的な対象を赦したことにより〈術〉を失う代わりに獲得した〈癒〉。縁下優視はB級最強チームの一員としての力を明確に見せつけた。

 タイミングを合わせるために縁下をぶん投げていたB級最強の男が、少し遅れて着地する。芝生がえぐれ、その下の固められたはずの土が舞い上がった。

「助かった。では縁下は離れていろ」

 対峙する先はヘリとほぼ同時に地面と衝突した二人の殺気遣いである。邪魔な破片を殴り飛ばし、半ばめんどくさそうに仁王ノ宮を睨みつけている。

「ああ……明日は有給にしていいぞ。俺からも頼んでおく」

「どうせ治療のために呼び出されるんですよ! へーんだ!」

 謎の捨て台詞を残し、縁下優視は選手たちが逃げた方向へ走って行った。

「……いいのか? 回復役を逃がして。すぐに必要になるだろ?」

 井鍋囲人が軍用ベストから伸びる太い腕を回しながら、侮蔑するように問う。

「いいさ。……理由は言うまでもないだろ?」

 仁王ノ宮は右半身になり、左の腰に右手で鍔のない現代刀〈白牙〉を構える。同時に胸の前で腕を交差させ左の掌を二人に向けた。〈装〉により殺気で〈白牙〉を覆い、切れ味を何倍にも高める。

 直後、仁王ノ宮は現代刀〈白牙〉を振るった。

 二人の殺気遣いは背後から二人を襲った斬撃を飛びのいてかわす。

 井鍋囲人は離れた芝生に着地し、愚痴を漏らす。

「危ない危ない……、正統派で戦うように見せて、背後からの不意打ちとは……しかしどういう理屈だ? 〈術〉なんだろうが……」

 反対側に跳んだ今空晴も同様に愚痴を吐こうとした。しかし、眼前に迫る仁王ノ宮により、その余裕は失われた。仁王ノ宮が神速の刀を振るい、今空が間一髪で躱していく。

「流石の反応速度だな、〈矛盾なき矛盾〉」

「……ッ! ワタシを知ってるのかっ?」

「当たり前だ、〈函谷関〉を抜いた人間を知らないわけがないだろう」

「……なるほどなァ。なら私の「盾」も知ってるよな! 様子を見てからと思ったが知られてるなら構わねぇ」

 今空晴は自らの戮し名を名乗る。

「最強の矛と最強の盾は! 所有者が同じならば! 突き合わせないならば! 矛盾は起きねぇッ。〈矛盾なき矛盾〉。今空晴! その盾を見せてやるぜ! 〈硬〉ッ!」

 刀を振るおうとする仁王ノ宮の前で、炎のように立ち昇っていた今空の〈轟〉の一部がみるみるうちに固まっていく。雷の暴威を閉じ込めるのにも遣われていたその硬さは、多くの殺気遣いがするような防御の比ではない。

 両腕の肘から先を〈硬〉で完全に覆った今空は、〈白牙〉の鋭い一撃を悠々と防御した。

「へっ、どうだ……」

 しかし、その防御した右腕が〈硬〉で固めていない肩口から斬られ、ボトリと落ちる。

「なっ、……ぐっ、あぁぁぁっっっ!」

 一瞬の驚愕の後、激痛に叫ぶ今空。その隙を見逃すはずもなく、白い牙が再び迫る。

「く、そっ」

 気がついた今空は左手を〈硬〉で覆い、受けようとする。が、寸前に変えた。

「全身だッ」

 その判断は正しく、左手で〈白牙〉を防いだ直後、顔の左頬に斬撃が当たる。

(どういうことなんだよッ、最初は背後、次は上、更には左だとッ? 自分が振るうと同時に、斬撃をどの角度からでも生成できるってか? どこから来るかもわからない二つの斬撃を同時に躱さないといけないのかよッ)

「流石の硬さだな。俺も〈装〉の出力には自信があるんだが……」

 ふむ、と現代刀をくるくると回し、切っ先を今空に向けて構える。

「突きなら貫けるかな?」

 その迫力は自身の〈硬〉に信頼を置いている今空ですらゾッとするものだった。

 少し離れたところにいた井鍋囲人が額に汗を浮かべて叫んだ。思い出したのだ。名古屋で〈函谷関〉が言っていたことを。

「受けるなッ! 早く逃げろッ。〈函谷関〉が死に際に言っていただろう! お前で〈函谷関〉を貫いたのは二人目だとッ! そいつがあの〈東京の白コート〉だッ!」

 そう言われ、今空は仁王ノ宮に視線を向ける。〈東京の白コート〉は口元を歪めた。

(クソォッ、だったら不味い! 不味いぞッ!)

今空がふと現代刀ではなく仁王ノ宮の左手に目をやる。左手は指を自然に伸ばし、掌を真横に向けていた。

 仁王ノ宮の左手の先、何もないはずの虚空で殺気が蠢く。まるで鏡合わせのように、白い殺気で形どられた仁王ノ宮晶のおぼろげな分身が現れた。

「一刀両断、二刀で四散。〈双頭二刀ふたあたまにがたな〉の仁王ノ宮晶におうのみや・あきら。――縮めて〈二刀王ノ宮〉でも構わんぞ」

 鏡像の右の掌と仁王ノ宮の左の掌は近い距離で向かい合わされている。〈装〉で強化された現代刀〈白牙〉も仁王ノ宮本体と同様、反転して存在している。

 二本の〈白牙〉の切っ先に〈集〉により殺気が集まっていく。今空晴はその場から逃げ出したい。しかし逃げるためには〈硬〉を解除しなくてはいけない。その隙を逃しはしないと仁王ノ宮の眼鏡の奥の鋭い瞳は告げていた。

 ハッタリも含めて「最強の盾」と言っているものの、今空の〈硬〉では〈術〉を絡めた〈函谷関〉の防御力に遠く及ばないことは自覚している。

 それを貫いた〈東京の白コート〉の一撃を……耐えられるわけがない。

 やがて二本の〈白牙〉の切っ先に集まった殺気は鋭い金属音のような音を奏で始める。今空はせめてもの抵抗として、〈硬〉を最高硬度で展開する。

「貫け……〈白閃〉ッ」

 しかしそのあまりの殺気の暴威に、今空晴は覚悟を決め、諦めて目を閉じた。


「…………?」

ゆっくりと今空晴は目を開ける。今空の胸を貫くかと思われた〈白閃〉は……最大硬度まで高めた〈硬〉の大部分を貫いたものの、今空の胸の数ミリ前で止まっていた。

「がっ、はっ、……」

 そして今空の前で、井鍋囲人が胸を深々と貫かれ、血を吐いていた。

「……〈癒〉の遣い手か。外では珍しいな」

「……こっちにも色々、都合があるんだよ」

 〈癒〉は一度心底から純粋な殺意を抱いた対象を、僅かなわだかまりもなく心の底から赦すことで初めて発現する。その精神的な条件から遣い手が極端に少ない。遣い手は善良な人間に偏ることが多く、〈夜の森〉の討伐対象になることはほとんどない。

 井鍋囲人は娘を守ることができなかった自分自身を殺したいほど深く憎悪したことで覚醒し、しかし自分の娘くらいの年の破滅的で破天荒な今空晴に長年付き合い、彼女を守る過程で自分を赦した。

全力で防御を固めた〈轟〉に加え、その〈癒〉で貫かれると同時に身体を治療することで、何とか〈白閃〉の威力を「〈硬〉を完全に貫く」から「ほぼ貫く」まで減らすことに成功していたのだった。

「…………」

〈白牙〉に貫かれたまま、井鍋は今空を〈癒〉で治療しようと背後に右腕を伸ばす。

「流石にそれはさせん」

 既に鏡像は消えて仁王ノ宮一人になっている。井鍋の身体に突き刺したままだった現代刀を反転させ、背後に伸ばしていた右腕を斬り飛ばした。

「ぐぅっ」

 可能ならば今空晴の腕を治療したかった井鍋だったが、その隙はありそうにない。井鍋は今空を振り返って叫んだ。

「こいつには勝てないッ。俺が食い止めるからお前は逃げろッ」

 そう怒鳴られた今空晴は一瞬何を言っているのかわからず、小さな娘のように呆然とする。言葉の意味を理解するにつれ、様々な感情が沸き上がって来た。

「なッ、ふっ、ざけるな! それはあんたがここで死ぬってことじゃないか!」

「二人共死ぬよりはましだッ。つべこべ言わずにさっさと行けッ」

 既に井鍋は仁王ノ宮に向き直り、隙を見せないように威嚇している。

「で、でも……」

 なおも食い下がろうとする今空晴を、井鍋囲人は振り返らずに怒鳴りつけた。

「俺の四十八年間を無駄にするんじゃない、小娘がッ!」

 今空晴は気圧されたように胸に手を当て、ぎゅっと握る。その手をゆっくりと下ろした。顔を伏せたまま、低い声で告げる。

「……わかったよ。……今までありがとう。と……、井鍋さん」

「ああ、こちらこそ充実した時間だったぜ。ありがとな」

 今空晴は両目を拭い、井鍋とは反対側に駆け出す。井鍋は振り返らず、仁王ノ宮を通さないように構えている。

 今空晴が新宿区の街並みの中に姿をくらませた。〈轟〉の出力を最低レベルまで落とし、〈陰〉で気配を完全に消す。今空晴の気配が消えたことを確認した井鍋が仁王ノ宮に声を掛けた。

「……気を遣わせたか?」

「……いや、追っても変わらなかっただろう。〈白閃〉を放ったばかりで俺も少し疲弊していたからな。待っていたのは合理的な判断だ」

 ふー、と仁王ノ宮は息を吐き、〈白牙〉を構え直す。

「さて……こっちも仕事だからな。恨むなよ」

「ふっ。あまり中年を……なめるなよ?」

 

 徐々に涙は収まった。今空晴は今一度辺りを見回し、現在地を確認する。失った右腕は断面を薄くとも〈轟〉で覆っているため、これ以上の出血はない。しかしその明らかに危険な外見に、周囲にいた今空と同年代の若者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

「大学か……? 同年代なら紛れ込めるか?」

 いや、馬鹿か。そう今空は自分を叱咤する。この腕で紛れ込めるわけないだろ。

「となると今は距離を取りたい。電車……、いや、タクシーか? タクシーが良さそうだ」

 今空は野球場から離れるように走って移動する。すぐに二車線の道に出るが、左右を見渡してもタクシーはない。走っている車も少ない。待つほどの余裕がなかった今空晴は信号のない場所を渡り、先の住宅街らしき場所に入っていた。

「クソ……身を隠せると思って細い道に入っちまったが、この先に大通りあるのか……?」

 しかしその心配は無用だった。緩やかに曲がる一本道の先で車が何台も行き来していたのが見えたのである。探していたタクシーも通っていた。

「よしッ、あそこまで行けば……」

 そして細い道を一分もかからず通り抜け、大通りに到着した。丁度タクシーが走って来るが、空車の表示はなく、一人の老人が乗っていた。

 今空は道路に飛び出し、道の真ん中に立つ。タクシーは急ブレーキをかけて止まった。今倉は後部座席の扉をむしり取って、中に乗り込んだ。老人は高い悲鳴をあげながら、反対側へ寄る。結果的に今空晴の席が空いた。

「よぉ爺さん……悪いけど相乗りさせてもらうぜ」

 そして運転手に言う。

「出せ」

 しかし、強烈な殺気が飛来し、アスファルトを砕きながら、五メートルほど前に着地した。〈東京の白いコート〉は無造作に鍔のない白い現代刀を構える。

「ッ、クソがッ、もう、もう来やがったのかよッ」

 自分があの場を離れてから三分も経っていない。そしてこの男がここに来たということは、井鍋囲人は死亡したということだ。

「……く、Uターンだッ、反対側に向かって走れッ」

 殺気に覆われた左手で運転手の頭を掴んで脅す。同時に攻撃したら頭を潰すという仁王ノ宮への牽制でもあった。

「クソッ、このワタシがッ! 一般人を人質にするなんてカスのやることを強いられるとはッ」

 Uターン中も仁王ノ宮から視線を外さないように顔を向けながら、今空は毒づいた。仁王ノ宮は動かない。

 タクシーはUターンを終えて発進した。怯えていた老人が両腕を脇につけて杖の頭を握りながら、今空におずおずと何かを言いたげにする。今空はその様子に気がついた。

「あ? なんだ、爺さん?」

「その……悪いんじゃが……病院の定期健診の予約があって……今そちらに行かれると遅れてしまうんじゃが……」

「……知るかッ、この右腕をよく見ろッ、どう見てもこっちの方が重症だろうがッ」 

 真っ直ぐ走っては振り切れないので、交差点を赤信号を無視してタクシーに曲がらせる。

「……この近くで一番人が多いところはどこだ」

「たっ、タクシーの移動圏内なら新宿駅ですっ」

「なら新宿駅へ行け」

 ……いや、人に紛れるのは無理だとさっき考えただろう。そう今空は心の中で呟く。とはいえ、何らかの方法でこのタクシーは追われているだろうし、撒くにはどこかであいつらの目を振り切らなければいけない。しかしそれもこの腕では難しい。

 ……詰んだか?

 段々と空は曇ってきている。ラジオでは強風の影響で雨雲が予報以上の速度で東進していると伝えている。それに気がつかず、今空が乗ったタクシーは新宿の駅ビルと直結したデパートの前に着いた。

「……ここでいい」

 タクシーを降り、デパートの中へ入って行く。肉の断面が生々しく、殺気を纏った今空に、店員達や平日の昼下がりにショッピングを楽しんでいた客達が逃げていく。

 出血は止められているとはいえ、激痛は消えない。右肩を抑えながら、しかしそれでも消えない痛みに顔を顰めながら、仁王ノ宮から逃げるように一歩一歩店の奥の階段を昇る。

(こんなことに意味はあるのか? だけど……)

 井鍋の顔が浮かぶ。その別れ際の一喝を思い出すと、自分の命を投げ出すなど考えられなかった。

 階段は屋上に着く。そこはビアガーデンになっていた。今空はガラス扉を押し開いて、数歩足を進める。

 今空は自然と視線が下の方を向いていたため、その男がいることに気がつかなかった。

「……無駄に抵抗せず、諦めてくれると助かるんだがな」

 今空が顔を跳ね上げる。ビアガーデンの奥、少し高くなっている場所のテーブルに横向きに座り、仁王ノ宮晶が今空晴を冷たい表情で見下ろしていた。

 

 しかし、そこで顔を上げたことで、今空は頬に当たる水滴に気がついた。

(――まさか)

 今空は更に顔を上げ、上空を見る。既に灰色の雲がかかっており、強風のせいで目に見える速度で黒い雲が西側から迫って来ていた。

「ふふふふ、はははは」

 運命のいたずらに、今空晴は哄笑を上げる。

「ハハハハハッ。……死ぬなら前のめりに死ね、と。いいだろう。よくわかったよ。やってやろうじゃないかッ」

 仁王ノ宮は急に様子のおかしくなった今空晴に怪訝そうに眉根を寄せる。そしてぽつぽつと振り出していた雨と、近づく暗雲に、今空晴の考えを察した。

「おい」

 今空晴が仁王ノ宮を指差し、下から睨みつける。

「ワタシの最強の矛を受けてみせろ……。それで幕にしてやるよ」

 仁王ノ宮はやはりそう来たか……と思い少し考えたが、高所のテーブルから飛び降りた。

「それで気が済むのなら好きにするといい。どちらにせよ貴様は殺すがな」

「ハッハッハッ、……最強の矛がどちらか、決めようか」

 対峙する二人。雨の勢いがどんどんと強くなっていき、土砂降りになる。雷鳴が轟き、雷光が黒雲を裂く。

「……最強の矛か。なら見せてやろう。どうせあの男にも遣ったしな」

 今度は今空晴が怪訝に顔を歪ませる番だった。最強の矛は、先ほど今空晴にも遣った〈白閃〉ではないのか? 

「いや、俺の最強の殺気術は彼には遣っていない。……まあいうより見せた方が早いだろう。そもそも貴様はおかしいと感じなかったのか? 〈双頭二刀〉という戮し名なのに、俺が一本の刀しか使っていないことに」

 今空晴はますます怪訝な表情を濃くする。

(二人合わせて二刀だから、ということじゃないのか?)

 仁王ノ宮は鏡像を出す時と同じように左手の平を右脇腹の横で右に向ける。しかし、手の動きはそこで止まらず、ゆっくりと閉じていき、虚空にある何かを掴んだ。

 勢いよくその何かを引き抜く。掴んだ場所にあった虚空の鞘から引き抜かれたように、殺気によって形どられた刀が現れた。

「二刀流……ッ? テ、テメェ……ワタシとやった時は手を抜いてやがったってのか……?」

「隠し玉は持っておくものだ。……ついでにいうと俺は子供の頃から剣道で二天一流を修めている。こっちが本職だ。……今は自己流だがな」

(これで鏡像を出せるんなら、単純に考えて威力はさっきの二倍か? いや、他にもっと強力な殺気術があるような口ぶりだった。どこまで威力が上がる?)

 今空の見立てでは、正直〈白閃〉程度であれば〈ミョルニル〉の相手にならないと考えていた。しかしこれでは話が別だ。

「この刀を出すのが〈変〉。そして〈装〉でこれらを強化する。一応〈集〉でもな」

「……ッ」

 二本の白刀から暴虐な殺気が迸る。それらは研ぎ澄まされ、留められ、甲高い金属音を響かせ……やがて消えた。人間の可聴域を越える高音になったのだ。

 今空は〈術〉の副次効果で、今、最も厚い雷雲が頭上に来ていることを知る。それはつまり、最も威力の高い〈ミョルニル〉が放てるということを意味していた。

 今空は片腕となった左腕を掲げる。天を刺す人差し指の先、雷雲の中で電荷に今空の殺気が付与されていく。

 ピシャァァァァアアアアッッッ

 と、巨大な雷光が雲の下に広がり、新宿の街を照らした。街を歩いていた人たちのうち、雷が苦手な人たちが頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 そしてある程度雷に耐性がある人たちもその雷の方向を見上げ――恐怖に固まった。広がった稲妻は消えず、黒雲から出たり入ったりしながら一点に寄り集まり、一振りの矛のような形を形成したのだ。

「――貫け、〈ミョルニル〉」

「――噛み砕け、〈獅白吼刃〉」

仁王ノ宮の〈術〉による鏡像からも放たれた計四本の白く飛翔する刃は、空中で一体となり、八芒星のような斬撃となる。

天から降る白雷の矛と、地上から翔け昇る八芒星の斬撃は空中で激突し、凄まじい殺気と雷光を迸らせる。耳を聾するような雷鳴が響き渡り、見上げていた人々の一部が耳を押さえてうずくまった。

 そして、二振りの最強の矛は対消滅という形で、その衝突を終えた。どちらも最強という看板を下ろすことなく、その対決を終えたのである。

 しかし、その矛を放った二人の様子は対照的だった。

 大技を放った後で一時的に疲弊しているものの、まだまだ余裕のある仁王ノ宮晶に対し、今空晴はほとんど全ての殺気を遣い果たし、今にも意識を失いそうである。

「――へっ」

 諦めたように、しかしまだ悪ぶるように口元を歪める今空に対し、仁王ノ宮は少し考えた後、ある提案をした。

「罪を犯した殺気遣いを裁く法はない。だが、お前が反省してその力を社会の為に遣うというのなら――」

 ――殺気の操作はスプーンを操ったり、文字を書いたりするのと同様、利き手の方が精密な操作ができる。

 今空晴は利き腕であった右腕を失っており、代わりに左腕で〈ミョルニル〉を放った。もし右腕で放っていたら――という話は否定できない。

 しかし実際に使われたのは左腕であり、制御はやや甘くなっていた。

〈獅白吼刃〉との衝突によって飛び散った雷の一部は殺気を付与されており、すぐに霧散して消えたりはしない。しかし〈術〉が終了し、徐々に殺気が失われていく中で、本来の雷の性質を取り戻していった。

 そして、如何なる人為も関与せず、全くの偶然によりその雷は今空晴の上に落ちた。

 雷を操れるということは無条件で雷に耐性があるということを意味しない。〈轟〉もほとんど解けていた今空晴の意識は、本人も一切気がつくことなく、永遠の暗闇の中に堕ちた。

 身体の表面を焼け焦げさせ、足元の水たまりの中に倒れ伏した今空晴の前で、仁王ノ宮が口に出そうとしていた言葉は宙へと消える。

しばらく立ちすくんだ後、〈轟〉を解除し、銀髪と白いコートを雨に濡らしながら、仁王ノ宮は身体を翻して今空晴に背を向ける。

「――天罰だ……」

 残念だ、という言葉は飲み込んだ。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 仁王ノ宮晶におうのみや・あきら。〈装〉〈放〉〈変〉の三凸トライ

〈術〉は左手の平と平行な架空の鏡面に映った自身の鏡像のようなものの生成。基本的にはワンアクション、仁王ノ宮の行動を鏡写しで模倣する。

 しかし、仁王ノ宮の行動が途中で止められても鏡像は最後まで続けようとするため、厳密に鏡写し通りの挙動はしない。

 鏡像は明確な輪郭を取らず、ぼやけているため本人を含めて誰も気がついていないが、鏡像は眼鏡をかけておらず、髪型も少しツンツンしている。


 縁下優視えんのした・ゆうみ。〈変〉〈与〉〈放〉の三凸トライ

〈術〉は〈癒〉に変った時に消失している。

 休日は大体ユーチューブかティックトックを見て半日溶かす。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 後日談。

〈夜の森〉東京本部のB―1班の部屋で、仁王ノ宮晶と縁下優視はミーティングをしていた。いつも通り七瀬桜はサボって来ていない。

「縁下のおかげで素早く追い詰められた。いい仕事だった」

 縁下は野球場から離れた後も気配を消して戦いを見ていたが、今空晴が逃げ出したのを見て、彼女の追跡に切り替えた。インカムで場所を教えていたので、仁王ノ宮が直ぐに向かえたのである。

「――で、あのアホの仕事はどうだったんだ?」

 仁王ノ宮が七瀬が行った直近の仕事の詳細を求めるので、縁下は慌てて上から降りて来た報告書をかいつまんで説明する。

 説明を聞き終え、鼻を鳴らして別の話題に移ろうとする仁王ノ宮に、縁下は素朴な疑問をぶつける。

「仁王ノ宮君って、七瀬君のこと嫌いな割に仕事のできとか結構気にするよね」

 七瀬のことを言われ、仁王ノ宮は苛立つように顔を歪める。

「B―1班の評判を下げられたら困るだけだ」

「弟さんと、似てたんだっけ?」

「そうだな。だから嫌いだ」

 ……嫌いだったら突然仲直りを提案してきた七瀬君のことを気にして、玖凪ちゃんから事情を聞きだそうとまでするものかな?

 なんだか、矛盾してるよね?


 ――仁王ノ宮晶の矛盾 〈完〉



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