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七瀬桜の恋愛

 十数年前、一人の男が心の底からの殺意を抱いた。その殺意は正体不明のエネルギーとなり男の身体から迸った。著しく身体能力を向上させた男は自分の直感に従って腕を突き出す。手から放たれたエネルギーの弾が、数メートル先にいた殺意の対象を貫いた。

 それから地球上の至る所で同じような事件が起こった。国家はこの現象を覚醒、エネルギーを殺気、それらを操る技術を殺気術、そして覚醒し殺気を操る者を殺気遣いと呼称し、反社会的な殺気遣いを、秩序側の殺気遣いが狩る機関を設立した。

〈夜の森〉の誕生である。

 そして僕こと玖凪シラヒは〈夜の森〉東京本部の一員だ。


 ミーティングを休んだ人に書類を届ける話はよく聞くけど、それを二つ隣の班で、縁も所縁もない僕に頼むなよ。

 反社会的殺気遣い鎮圧機関〈夜の森〉東京本部B―1班の一員、七瀬桜の寮の部屋に提出書類を届けに行くという雑用を、僕は班を二つ越えて頼まれた。

 同じB―1班の誰かが届けに行けよ、と思うだろう。僕も思った。

しかしB―1班の残りの二人のうち一人は用事で行けず、もう一人がその役割を拒否したため、隣のB―2班に話が回った。そしてB―2班は全員が行きたがらなかったため、更に隣の僕のB―3班まで話が来て、仕方なしに僕が引き受けた、というわけである。

 嫌われすぎだろ、七瀬桜。

 一緒に仕事をしたことはないが、確かに良くない噂は色々聞いている。暴虐無人、唯我独尊、極悪非道、狂喜乱舞(?)。A級の先輩に喧嘩を売ってボコボコにした。救出対象を殺した挙句、そのビルにいた一般人も皆殺しにした。あまりに嫌われすぎてほとんどの任務を一人でこなしている。などなど。

 僕もB―1班長の蹴鞠に言われなければ引き受けてない。

 しかし蹴鞠曰く、僕には七瀬桜と穏便に接触し、更に信じられないことに仲良くなれる可能性もあるらしい。そういうわけで半ば無理矢理送り出された。

〈夜の森〉東京本部の敷地内にある機関員向けの寮の一つ。その最上階四階にある部屋のインターホンを僕は押した。

 返事はない。本来ならポストに提出書類を突っ込んで帰りたいくらいだが、期限が今日の深夜零時までとかで、本人がいるならば直ぐに対応してもらわなければいけないのだ。

因みにそんなギリギリになっているのは書類を誰も持って行きたがらず、三日が経過したからである。僕は当日に提出した。

 嫌になりながらもインターホンを再度押す。いつも通りなら七瀬桜はミーティングをサボり、部屋にいるはずだと聞いている。とはいえ外出中の場合もある。最後にもう一度押して返事がなかったら帰ろう。

 三度目の呼び出しをした直後――室内から不機嫌そうに床を踏む音が近づいてきた。

「誰だ? 俺の読書を邪魔する奴は?」

 扉を開けたのは身長二メートル近い大男だった。黒いスタジャン、白Tシャツ、ダボついた黒いボトムス、首には高そうでごついシルバーネックレスをしており(後で調べたら四十万円以上するエルメスのシェーヌダングルだった)、オールバックの黒髪には、縦に金色のメッシュが五本入っている。

「今日は西上維樹の新刊の発売日なんだ。大した用もなく――いや、重大な用もなく、俺の時間を邪魔したってんなら、この場で消すぞ?」

 その圧倒的な覇気に僕は威圧される。身長差のせいで見上げる体勢になっていることもあり、結構怖い。

 が。

 いくらなんでも聞き捨てならないことを言っていた。いくら凶暴な噂が流れる相手といえど、絶対に聞き流すことが出来ない、僕にとっての重大ワード。その言葉を出されてしまったら、どんな相手だろうと、それこそ敵であろうと不良であろうと絶世の美女であろうと、反応せざるをえない。

 が、まずは用事を済ませるために、僕は今日までの提出書類を届けに来たと伝える。七瀬桜の眉がぴくりと上がる。

「テメェ……そんなどうでもいい用事で俺の時間を邪魔したってのか……?」

 そんな頭に血が上りつつある七瀬桜の言葉に被せるように、そ、それより! と僕は強い口調で遮った。突然上がった僕の意気に七瀬は怪訝な顔をする。

 僕は続ける。

 僕もこの書類を届けたら買いに行くつもりだったんだよね、西上維樹先生の新刊、と。


「はーっ、はっはっ、そうだ、西上維樹はあの言葉遊びと予想外の展開が最高なんだ!」

 僕はそれには同意するけど、時折見られる人間の魂の本質に触れるような、虚無的な内容も忘れちゃいけない、と付け加えるように言う。

「そう! その通りだ! まさに現代のディケンズ! 文学性と大衆性の融合! 中間小説の一つの完成形だ!」

 僕は文章中に言葉遊びを挟みこむ技法はシェイクスピアにも見られたし、短歌などでは平安時代から使われていて、そう言った韻文作品の流れを汲んでいる、作者本人が意識しているかどうかは別として、と主張する。

「そうだな……。言葉遊びや韻文を入れた作品を作るには内容の面白さに加え、幅広い言語知識と創造的センスが必要になってくるだろうな。全く、感服するばかりだぜ」

僕と七瀬桜は意気投合していた。蹴鞠の言っていたのはこういうことだったらしい。

 それにしても新刊を読んでいたのなら続きを読まなくてもいいのか? と僕は聞く。新刊発売直後にわくわくしながら読む楽しさは僕もよく知っている。それを邪魔するのは忍びない。

「あー、まあ、元々、そろそろ知り合いが来る時間だったしな。本当はその知り合いが帰ってから一気に読むつもりだったんだが、我慢できなくてな」

 そういうわけだから、僕と話していても問題ない、むしろその方がいいかもしれない――ということらしい。

 知り合いが来るなら帰った方がいいか?

「それには及ばん。特に何をするでもないしな。まあ俺の一応の恋人なんだが、女のお前と会わせる分には問題ない。男なら会わせるのは少し躊躇うがな」

 ん? あ、実は僕……。

「それよりお前、他には何を読むんだ? 日本古典は? 海外文学は? 一般小説か? ライトノベルか? 俺は全てのジャンルについてそこそこ知ってるからな! 他の好きな作品を教えてくれ!」

 ぐいぐい来る七瀬桜に、僕は自分の性別について話すタイミングを逃した……と思いながら、最近読んだ中では、書店大賞もとった『汝、流星の如く』が面白かったし、昔読んだ中では『白痴』が好きだったと言う。

「なるほどな……。俺は最近だと『この部屋からスカイツリーは見えない』、昔読んだ海外古典でいくと『傲慢と偏見』だな」

 小説談義は大いに盛り上がった。しかししばらくした後で僕はふと正気に返る。

 でもこいつは〈夜の森〉のメンバーに嫌われまくってるヤバい奴なんだよな……。

「嫌われている理由か? はっ、俺の方から嫌ってるんだよ。小説も読まない人間は人間じゃない」

 お、おう……。

「特にB―1班の仁王ノ宮晶におうのみや・あきらは最悪だな……あれほど醜い人間を俺は見たことがない。言うことに事欠いて『空想の物語を読むくらいなら新聞でも読んだ方が合理的で有益ではないか?』だと?」

 仁王ノ宮晶はB級の中でもほぼ最強と言われている。ほぼ、というのはこの目の前にいる不良然とした大男、七瀬桜とどっちが上かという議論が終わっていないからだ。

 つまり、七瀬桜もB級においてはほぼ最強なのである。アルバイトだか契約社員だかみたいな立場のせいでB級にいるだけで、〈夜の森〉の正規構成員になれば実力的にはA級の中堅に入ってもおかしくないと言われている。

 まあ性格的な問題で正規構成員にはなれそうもないとも言われているが……。

 ちなみに我が班長、身長も胸もちっこいが態度はでっかい十五歳のクソガキ、髑髏躑躅蹴鞠どくろつつじ・けまりは中卒で〈夜の森〉の正規構成員になっている。が、実力的な問題でB級にいる。

 僕も高校に通いながらなので正規ではない。

 その話の流れでA級の先輩に喧嘩を売ったという噂を思い出した。

「あー、あれか? あれはA級のゴミに喧嘩を売られたから返り討ちにしただけだぞ。なんであんなのがA級なのか」

七瀬はダークブラウンの高級そうな椅子の上で肩を竦める。ついでにもう一つの救出対象を殺したという噂話についても聞く。

「殺気遣いを呼び寄せて洗脳系の〈術〉で奴隷にしようとしてたのさ。救出対象者まで辿り着いた後、そいつも含めてビルにいた奴ら全員敵だとわかったからな。全員殺しただけだ。殺気遣いも十人くらいしかいなかったしな」

 さらっと言っているが、七瀬桜はあまりの協調性の無さから他のメンバーが同行を嫌がり、全ての依頼を一人でこなしていると聞く。殺気遣いが十人以上いるビルを一人で制圧した? たった一人の殺気遣いにこの前ギリギリ勝てた僕達B―3班と比べて、どれほど実力の差があるのだろうか。

 つまり俺は悪くない……と高価そうな椅子の上で尊大に脚を組んだ七瀬桜は主張する。今更だが部屋の中はダークブラウンを基調にした落ち着いた色合いでまとめられている。本棚は小さいものしかないので、読み終わったら売る派か、あるいは奥の部屋にまだまだあるのかもしれない。

 ピンポーン、とインターホンが鳴った。話していた知り合い……というか七瀬桜の恋人だろうか? いったいどんなヤンキー女が……。

 僕はヤンキーは苦手である。しかし金髪で日焼けして、派手な服を着て多くの装飾品を身につけ、長いつけ爪を施した女性を想像をしていた僕は、再び予想を裏切られることになった。

 七瀬桜が迎え入れたのは黒髪ボブカットで育ちが良さそうな、おどおどした女の子だった。

「こっちは今日親友になった玖凪シラヒ。それでこっちは俺の恋人の南加奈みなみ・かなだ。シラヒとは同級生だな。おい、加奈、いつものやつをやってやれ」

「えっ、えっ、恥ずかしいよぉ」

「いいからいいから」

 押しの強い七瀬の言葉に、南さんは僕の方に向き直る。恥ずかしそうかつ焦っていて、見るからに人見知りの女の子だった。漫画だったら顔の上に汗のマークが出ているだろう。

「え、えっとじゃあ……やらせてもらいます……」

 そう言うと南さんは額に手をかざして、何かを探すように右を向き、それから左、上を見た後、正面を向いて二本の人差し指でにぱーっと笑った自分の笑顔を指さした。

「東かな? 西かな? 北かな? 南加奈!」

 ……。

 こ、これは。

 かわいい。

天然っぽい可愛さに混じる恥じらいが、とてもイイッ。

 僕が黙って固まっていると、

「ど、どうカナ?」

と南加奈さんが聞いて来た。

 それもネタであることに小さく笑いつつ、とても可愛い、と恋人の七瀬に気を遣いながら伝える。

「あ、ありがとう」

 頭をかきながら顔を伏せて照れる南さんの肩を七瀬が抱き、自分の方に引き寄せる。

「ふっ、どうだ可愛いだろう。お前も悪くはないが、もう俺の隣は埋まっているからな。諦めろ」

 んんんん。

 

 それからの話も大いに盛り上がった。が、加奈ちゃんはどうやらあまり文学に触れたことがないらしい。読んでもわからないと言っていた。

 それは、七瀬の基準的にいいのか?

「ふん、恋人を測る馬鹿者がどこにいる。恋人とは欠点も美点も全てを受け入れるものだ」

 加奈ちゃんは大体黙ってアセアセしながらニコニコしていた。小説の話はわからないだろうからやめておきたかったが、僕も久しぶりに小説の話が出来たのでどうしても止まらない。

 手持無沙汰になった南さんは室内を見回すと立ち上がった。

「あっ、じゃあ私、観葉植物に水あげておくね。どうせまた放置してたんでしょ?」

「毎回悪いな」

「いいっていいって」

 観葉植物に水をあげ終えた南さんはクローゼットから掃除機を取り出して部屋を掃除し始める。それも終わると冷蔵庫を開けて何やらメモし始めた。

 僕が南さんに何をしているのか聞くと、南さんは作業を続けながら答えた。

「この人は放っておくと肉しか食べないから、栄養バランスを考えて買ってくるものをメモしてるの」

 それからもしばらく僕達の話を聞いたり、部屋の中のこまごまとしたことをしたりしていたが、

「ごめん……今日は早く帰らないといけないの。明日ちょっと大事な試験があって……」

 南さんはそう言い、腰を上げる。僕は二人の時間を邪魔したかなと心配になった。一方の七瀬は気遣いの欠片もない返答をする。

「そうか……、授業を聞いていればいいだけの人間じゃない奴は大変だな」

 さっき少し話した内容によると、七瀬はこの見た目で、公立では名門の東京都立日引谷高校に通っているらしい。そこでも文系科目に限ってはトップクラスの成績だとか。そして南さんは中堅クラスの女子校である。

「桜だって理系科目は勉強しないといい点取れないでしょ?」

「どうせ使わんからな。授業を話半分に聞いて終わりだ」

 うーむ。

 どちらかと言うと学科は理系の僕はそんなことないと言いたくなる。ほ、ほら文系でも経済学とか数学使うみたいだし。

 南さんが部屋を出て行くのもさして気にせず、僕ら二人は熱く語り合った。僕にもし文学好きの兄がいたらこんな感じなんだろうかと思った。僕らは……そう……たった数時間しか語らっていないのにも関わらず、もはや血を分けた兄弟になったのだった。


 僕らが互いを認め合ってから数十分後。大きな音でマイケルジャクソンのデンジャラスが鳴り始めた。七瀬は慣れた風にスマホを耳に当て、着信元の名前を告げる。

「加奈じゃねーか。どうした?」

 余裕のあった七瀬の表情がどんどんと曇っていく。七瀬は焦って立ち上がり、通話口に怒鳴りつけた。

「おいっ、どうした何があったッ」

 すると話し口から男性の声が漏れた。直ぐに七瀬はスピーカーをオンにして、僕にも聞かせる。

「ヨォ……誰だか知らねーが、引っ込んでろ」

 その奥から微かに聞こえてくるのは、口を塞がれた女性の苦悶の声と、それを取り押さえる男性の威圧的な声。電話越しの男が低い声でそう告げると、スマホが床に落ちる音、そしてぐしゃりと踏みつぶされる音を最後に通話は切れた。

 瞬間、七瀬が別の番号へ通話をかけ始める。そして僕にも聞こえるようにスピーカーにして置いた。画面には通話相手の登録名が表示されている。

〈電子遣い(エレクトリックマスター)〉

 通話が繋がる。

「やほやほやっほー! 〈夜の森〉専属ウィザード、稀代のハッカーにしてクラッカー。〈電子遣い〉こと、ネットが得意なギャルだよーっ! 七瀬君から連絡来るなんて珍しくネ? どったの?」

「俺が直前まで通話してたスマホの位置を教えろ」

「え? そんなん別にヨユーだけど依頼なら上を通してくんないとコマるっていうか」

「うるせぇッ!」

 七瀬は全ての苛立ちをぶつけるように怒鳴った。寮の防音は相当しっかりしているが、もしかしたら隣に聞こえたかもしれない。

「俺の恋人が知らん男どもに捕まってるんだ。さっさと教えろッ。テメェのスカイツリー最上階のアジトに乗り込んで全ての機器を破壊してやんぞッ!」

 恫喝である。ここだけ見たらどっちが悪者かわからない。

「えっ、激ヤバっしょそれ。おーけーおーけーおけ丸水産。……ってかこの回線は大丈夫だけどアジトの場所あんま大声で言わんでな。ウチが死ぬ。……ほい! 送ったし!」

 七瀬はスマホの上部に出てきた通知アイコンをタップして送られてきた位置情報を見る。東京都の西北、山と森が多いところだった。地図では細い道が一本伸び、さらにそこから数百メートル森に入ったところにその反応はあった。グーグルアースでその場所を確認すると、小さな畑の跡と一軒の古びた民家がある。多分廃屋だろう。

 七瀬は「よし」と言うと通話をブチ切りにして立ち上がった。

「助けに行くぞ。お前も来い」

 当然そのつもりになっていた僕も立ち上がった。

了解しやしたぜ! アニキ! 


 反応があった場所に向かいながら、七瀬が警察と連絡を取っている。

「つまり加奈の両親に会社の金を振り込むように連絡があって、両親が警察の指示に従って話を引き延ばしている間に、俺達が強襲するんだな? 了解だ!」

そう電話口に叫ぶと七瀬は通話を切った。

〈轟〉による身体強化をした上で全速力で移動しているので、三十分で半分ほどの距離に来た。残りの三十分で僕らはお互いの能力把握を行った。


 山中の細い道は確実に見張られているはずなので、僕らは道の反対側から森の中を通って反応があった場所に近づく。殺気で気取られるのをなるべく防ぐため、〈轟〉の出力をかなり抑えた上で、僕はあまり得意ではない殺気の気配を消す殺気術〈陰〉を遣っている。完全に解除してしまうと移動が著しく困難になってしまうどころか、夜の闇の中で何も見えなくなってしまう。最低限両目への〈集〉と気配を低減する〈陰〉だけは残さないといけない。

「明かりだ。あそこで間違いないだろう」

 しばらく慎重に進んでいると僕達が進む先に小さな光が見えた。グーグルアースで見た民家に潜んだ犯罪者たちのものだろう。

 七瀬は僕に両目への僅かな〈集〉と〈陰〉以外の全ての殺気を解除するように言った。

「民家の周囲にも見張りが散開してるはずだからな。ここからは可能な限り殺気を抑えて進む」

 僕は指示に従って〈轟〉を解除し、両目の〈集〉も周囲が把握できる限界まで出力を落とす。 

「足元に気をつけろ。鳴子があるぞ」

 僕も見えていたが、礼を言って鳴子を跨ぐ。この手のトラップは暗視が出来る殺気遣いには全く意味がない――わけでもない。真昼でも足元のトラップに気がつかない場合もあるし。ただ期待値が低いのも確かだ。一般人を対象にしたトラップか?

 鳴子の先はすぐに森が途切れ、畑の跡地のような場所になっていた。アサルトライフルを構えて周囲を警戒している男が五十メートル四方ほどの畑に三人見えていた。森の反対側から畑の中央やや奥側まで道が伸びており、廃屋となった民家が立っている。

「民家の向こう側と内側にもいるとして……多くて十人程度だろう。その中に殺気遣いが一人か二人」

 話を聞きながら僕は見張りが持っている銃に注目していた。僕は七瀬にも促す。

「む?」

 七瀬は僅かに〈集〉を強め……そして唸った。

「微かに殺気を纏っているな……。〈与〉か? それも全員の銃に? いや、銃弾だけか?」

 通常の弾丸では〈轟〉を纏った殺気遣いには通用しない。だからいくら銃があってもそれほど怖くはないのだが、〈轟〉を貫く殺気を付与された弾丸を発射できるなら話は別だ。

「だが見張りをしている奴らは一般人だろう。貴重な殺気遣いをこんなところに立たせておくとは考えづらい」

 七瀬は少し思案する。

「やはり予定通りいこう。全員、いけるか?」

 僕は本当にいいのかと聞く。

「構わんさ。死にさえしなければ〈癒〉による治療を受ければ何とかなる」

 そこまで言うのなら……とあまり気は進まなかったが、僕は頷いた。

 

 七瀬がこの場を離れた五分後、僕は予定通りに地面に手を着いた。見えている場所は見張りの男達にだけ、それ以外の場所は全てのものに狙いを定める。

……〈電界〉。

僕の殺気が膨れ上がり、地に触れた右手から地表を這うように送電線が一瞬で三人の男達へと張られる。一般人が丁度気絶する程度の電撃を浴びせ、見張りの三人の意識を奪った。

 同時に僕のいる場所から民家で陰になっていて見えない部分と、民家の内側の全面に送電線が張られる。送電線に触れた物全てに同程度の電撃を浴びせた。

 南さんも含めて。

 僕からは見えていないが、恐らくこの電撃で南さんも気絶したはず。相当な激痛が南さんを襲ったはずだ。抵抗感はあったが、恋人の七瀬が言い、それ以外の方法がないのであれば仕方がない。一応後で〈癒〉による治療を受ければ傷跡などは残らないはずだ。

 僕の電撃に反応して発動した〈轟〉による殺気の気配が二つ、民家の中にある。相手からも膨れ上がった殺気により僕の居場所はばれているだろう。

 僕は出現した殺気二つに電撃の対象を絞り、他は解除した。これで倒せるほど低レベルな殺気遣いだったらありがたいが……。

――そううまくはいかないか。

 僕の電撃に耐えながら、民家の二階にいた殺気遣いの片方が、無数の銃弾を発射した。弾丸は実物ではなく殺気で生成されたものであり、それらが僕のいる一帯を埋め尽くすように無数に放たれる。

 僕は地面から手を離し、全力でその場を離れる。弾丸は僕のいた周囲に無数の風穴を空ける。僕は何とか銃弾の嵐から逃れながら、その威力を確認して意外に思った。

 思ったほどの威力がない。

 確かに数十発の乱射をまともに食らえばまずいだろうが、十発程度なら比較的〈轟〉の防御力が低い僕でも耐えられそうな気がした。〈轟〉が得意なチームメイトの須玖師縫衣ちゃんや、ここに来るまでに同程度の出力も見せた七瀬桜には全く効かないだろう。

 この程度ならいいんだけど。

 追撃の弾幕が来ると思っていたが、銃撃は沈黙した。スマホから電話の呼び出し音が鳴り、一回目が終わった直後に着信が切られる。事前に取り決めておいたワン切りの合図に、七瀬の作戦が成功したことを知る。

 なら後は二人が逃げ切るまで時間を稼ぐだけだ。

 僕は再び地面に手を着き、二人の殺気遣いに向かって一切容赦のない電撃を浴びせた。南さんを巻き込む可能性があった時には使えなかった一般人なら即死するレベルの電流だ。

……〈雷樹〉。


(クソッ、タイムラグなしでこの威力の遠距離攻撃だと? 恋人の七瀬桜が救出に来るにしても、近距離パワー型の殺気遣いのはずだろ!)

 南加奈誘拐の実行犯で、二人の殺気遣いの片割れ、猫御堂二矢ねこみどう・ふたやは気を抜けば意識を持って行かれそうな電撃に〈轟〉の出力を上げ、自分の〈術〉も使用して耐えていた。

 防御より回避を好むとはいえ、近距離型の猫御堂の〈轟〉の防御力は低くはない。その防御力に自身の〈術〉の効果も加えてやっと耐えられる電撃だった。それを完全な遠距離タイプである相方の十ケ崎射巳じゅうがさき・いるみは低い防御力でまともに食らい、失神しかけている。

(七瀬桜は〈夜の森〉との折り合いが悪く、協力者なんていないんじゃなかったのか! 得意な殺気術は〈轟〉で、近づいて殴る典型的なパワータイプ! 周囲を使い捨ての部下で見張り、十ケ崎が遠距離から殺す。万が一近づかれたら俺が対処する、それで問題ないはずだった!)

 猫御堂達は誘拐を依頼されて行っていた。依頼元は南加奈の父親の会社と敵対している企業の重役だ。彼はその企業内で追い詰められた立場にあり、今回の誘拐を成功させたことを功績として匂わせ、返り咲くつもりだった。

(結果として見張りの目は全て潰され、いつの間にか奥の部屋で見張らせていた女も奪い返されている! 殺気の気配は電撃野郎の一つだけだったはずだ。いったいどうやって?)

 しかし考えている暇はない。このままでは相方の十ケ崎はすぐに気を失ってしまう。意識のない相方を連れてこの場を離脱するのは相当に難しい。数年来一緒に裏稼業をした仲間であり、放置して自分だけ逃げるのにはやや抵抗があった。可能なら何とかして電撃を止めたい。

(だがこの距離……俺の〈術〉は射程外、十ケ崎は反撃できる状態ではない……どうする?)

 しかし電撃は唐突に止んだ。全身から煙を上げながら十ケ崎が床に崩れ落ちる。命は保っているものの意識は混濁しているようだった。

 どういうつもりだ? と困惑しながらも脱出手段を考え始めた猫御堂の背後で、突如現れた獰猛な殺気反応と共に民家の壁がぶち破られた。焦った猫御堂が振り向くと、額に筋を浮かべ、憤怒の表情に顔を染めた七瀬桜がいた。

 七瀬は片手でバキバキと骨を鳴らす。

「落とし前……つけさせてもらうぜ?」


 僕は七瀬が大事そうに抱えて来た、気を失った南さんと共に森の中に身を潜めていた。既に〈夜の森〉に〈癒〉を遣える人を派遣するように連絡を入れており、気配で場所がばれないように〈轟〉も解除している。

 南さんの身体には所々に電流で焼け焦げた痕のようなものが見えており、治るとはいえ、申し訳なさで胸がいっぱいになった。

 既に民家にいる敵の殺気の気配は一つになっている。気を失ったか、死んだか、いずれにせよ殺気の維持が不可能になるほどのダメージを負ったということだ。

 七瀬は僕に南さんの護衛を頼み、俺の手でぶちのめすと言って民家へ向かって行った。僕は民家の方に顔を向けてひっそりと心の中で応援した。

 

(どうする? 電撃野郎の殺気が消えた。女の輸送か? いや、近くに隠してすぐに戻って来る可能性もある。だがいずれにせよ電撃が停まった今がチャンスだ。こいつを即座に殺し、十ケ崎を連れて逃げる!)

 そう決めた猫御堂は自身の身体を覆っていた炎の出力を上げる。非常に高温の熱気が猫御堂を中心に広がる。

 その熱気が倒れている十ケ崎に届く前に猫御堂は七瀬に飛び掛かり、ガードに回した腕を掴んで民家の二階から勢いよく飛び出した。十ケ崎を巻き込むと考え、畑の跡へと戦いの場を変えるためだ。

 改めて距離を取った猫御堂は戮し名を名乗った。

「息が詰まるほどの熱気の中で食うアイスの美味さは殺人的だ。――そうだろ? 〈暑さと寒さで彼岸まで〉猫御堂二矢ねこみどう・ふたやだ。猫要素はない」

「……詩的に生まれ、散文的に生き、劇的に殺す。〈物語騙り〉の七瀬桜。……だがテメーは俺の逆鱗に触れた。劇的にも殺してやらねぇ。ただ死ね」

 十ケ崎との罰ゲームで決まった名乗りと、ただただ裏社会の慣習のために適当に考えた名乗りを交わし、二人は対峙する。次の瞬間、中央で殺気が弾けた。

 猫御堂の右拳を回転受けの要領で七瀬の左腕が弾く。直後に七瀬の右腕が猫御堂の上着の襟を掴んだ。

 引き寄せられ、体勢が崩れた猫御堂の顔面に、七瀬の額が叩きこまれる。

「ぐふっ……」

 鼻血を撒き散らし、唇からも血を流しながら、猫御堂がたたらを踏む。そこに七瀬の雑な前蹴り、いわゆるヤクザキックが突き刺さった。

 鳩尾に強力な蹴りを食らった猫御堂は十メートルほど吹き飛び、荒れた土の上に跡を残して地面を転がる。

「く、そ……」

 様子見の一撃を完璧に受けられ、猫御堂は甘い攻撃の対価をたっぷりと支払った。再び七瀬に接近し、つかず離れずの距離で回避を意識した戦い方に変える。猫御堂の〈術〉の特性上、七瀬に強力な一撃を入れられなくても、その近くにいるだけで猫御堂は有利になっていく。

「……がっ、クソ、息が……テメェ……」

 猫御堂の身体を覆う炎が周囲数メートルの空気を灼熱のそれに変えていた。肺の中まで殺気で守れる殺気遣いはめったにいない。〈術〉の効果範囲内に七瀬を捉え続けるだけで七瀬は呼吸が出来ず、酸欠で意識を失うか、決定的な隙を晒すはずだ。

 七瀬が動けば逃さず付いて行き、猫御堂の身体を吹き飛ばして距離を取ろうとすれば、その一撃をいなし、躱す。積極的に攻撃はせず、とにかく七瀬に張り付き続けた。

「クソが……にゃんにゃんにゃんにゃんじゃれつきやがって……」

 七瀬が罵倒を吐きながら顔を顰める。いくら訓練の成果や〈轟〉による身体能力向上で、ある程度の無呼吸運動が可能であるとはいえ、この状態が続くのは確かに不味かった。

「ちっ」

 七瀬が舌打ちしながら距離を取ろうと大きく背後に跳ぶ。猫御堂はそれを見逃さずについて行く。

 空中で七瀬が腕を引き、届くはずのない拳打の構えを見せる。しかし猫御堂は経験と直感から〈轟〉を硬め、腕を上げて防御の姿勢を取った。

 直後に突き出された七瀬の左拳から、ほとんど不可視の速度で殺気の気弾が放たれる。七瀬を追って跳躍していた猫御堂はその気拳に数メートル押し戻され、着地した七瀬と十数メートルの距離が出来た。それほど距離が出来てしまうと、猫御堂の〈術〉の範囲外だ。空気は熱を帯びているものの、呼吸できないほどではない。

七瀬は肺に酸素を貯め込むように深く素早く息を吸う。特殊な呼吸法で吐く息を少なく、吸う息を多く。数分間の無呼吸運動にも耐えられるようにする。

猫御堂は七瀬が見せた〈放〉から七瀬の手札を考えていた。〈轟〉と〈放〉の二凸クロス。〈術〉は未確認。それが猫御堂の七瀬に対する現在の分析だった。

殺気遣いは誰もがも固有で持っている〈術〉の他に一つか二つ、珍しい場合には三つ、得意な殺気術がある。一凸ピュアはその殺気術に特化している。二凸クロスはバランス型。三凸トライは手札の多さを活かし、手数の種類やテクニックで押してくる。それが大まかな殺気遣い達の一般認識だった。

 猫御堂自身は〈術〉に加え、〈轟〉と〈変〉の二凸クロスである。〈轟〉と〈変〉は既に見せている。

〈術〉はまだ、見せていない。

 距離を取っては不利と猫御堂は距離を詰める。中距離で戦うのは熱気があるとはいえ、それ以外に攻撃手段がない。リスクはあるが格闘戦の距離で戦うしかない。

 距離を詰めようとする猫御堂に対し、七瀬は再び気拳を放つ。猫御堂はそれに合わせて防御を固め、吹き飛ばされないように踏ん張る。硬い衝撃と共に身体がぐらつくが、すぐに立て直して接近する。

 追撃の気拳がなく、格闘戦の間合いまで詰められたことから、猫御堂は七瀬の〈放〉は速度と威力は高いものの、連射は出来ないようだと考えた。

 時折放たれる超近距離からの変則的な気拳をも何とか躱しながら、猫御堂は攻めの圧力を強める。七瀬の体勢を崩し、防御行動を促し、自らが望む距離から逃がさないためだ。

猫御堂は〈変〉によって炎を纏った右拳を、ガードに上げた七瀬の左腕に叩きつける。直後に新たな手札を切った。

別ベクトルの〈変〉によって猫御堂の左手が氷に覆われる。そしてその鋭い尖氷をガードに使っていた七瀬の左腕に向けて振るった。

 七瀬が防御のために〈集〉で強化していた左腕の、直前に炎の拳が触れていた箇所に氷の穂先が迫る。七瀬が十分な出力だと考えていた殺気による防御は突然脆くなったように貫かれ、左腕に氷の穂先が突き刺さった。

 同時に穂先の周囲の肉が凍っていく。七瀬はガードが抜かれたことに少し驚いていたが、即座に氷から腕を引き抜き、牽制の為に右拳で攻撃した。その右拳を猫御堂は十分な余裕をもって躱す。

 七瀬の左下腕の中央から先は貫かれたことと周囲の氷結により、出血はないものの一切の感覚が失われていた。〈轟〉もその部分だけ大幅に弱まり、攻撃にも防御にも使えない。必然的に右腕一本で猫御堂の攻撃を捌くことになるが、下手をすると左腕のようにガードを貫かれて、右腕も失うことになる。

 しかし一度の攻撃から七瀬は殺気による防御が脆くなる原因を正しく認識していた。同じ場所にはしばらく攻撃を受けないように、右腕一本で受け流し、躱し、時にはまだ殺気に覆われている左腕の肘を使って防御をした。

 完全に形勢は猫御堂に偏ったように見えた。猫御堂は拳打の回転を重視し、凄まじい速度で連打を叩き込んでいく。

 加熱冷却の温度変化を繰り返し数多く受けると、物質は脆くなる。これを熱サイクル疲労や熱疲労というが、猫御堂の〈術〉はそれと似た現象を殺気に対して引き起こす。

 猫御堂が生み出している炎も氷も「炎・氷の形と一部の性質を持った殺気」として考えてよく、完全には物理現象としての炎・氷と一致しない。どの程度再現・付与するかは殺気遣いの力量や判断による。ただし、〈術〉はほとんど融通が利かないのに対し、〈変〉は自由度が高い。今回は炎も氷も猫御堂の殺気なので、お互いの性質を邪魔しない。

 達人級の七瀬の格闘術も、「同じ箇所で二度受けられない」という制約の前でかなり選択肢を狭められていた。そして当然防御し続けていれば、いずれ受けられる箇所がなくなり、脆くなった防御を貫いて攻撃が生身に届くようになる。

 圧倒的に有利な状況に見えたが、猫御堂は油断しなかった。

(なぜ〈術〉を遣わない? 何か発動条件を満たしていないのか?)

〈術〉は殺気遣いの覚醒時の〈殺意の本質〉を表すものであり、僅かな調整を除いて絶対に変更できない。そのため使い勝手の悪い〈術〉であることもままある。

(わからないことを考えても仕方がない! 警戒はしつつも、遣わないならこのまま削りきる!)

 そう方向性を固めた猫御堂に対し、圧倒的に不利なように思える七瀬は不敵な笑みを浮かべる。

「〈術〉をなぜ遣わないか、考えてるのか?」

 図星を当てられた猫御堂は軽く驚いて七瀬の顔を伺う。しかし七瀬は全く負けるとも思っていないような口調でこう言った。

「テメェ如き〈術〉を遣わなくても殺せんだよ」

「……そうか、ならばそのまま死ね!」

 猫御堂が数秒前に炎の右手で攻撃した箇所を、氷の左手で貫こうとする。

 その時、猫御堂の視界、下の端で七瀬の膝が跳ねあがるのが見えた。左手を引き、僅かに身体も引いてかわそうとする。

 しかし次の瞬間には視界は夜空を仰いでいた。

(……何が起こった?)

 飛び膝蹴り、ではなかった、確実に。届いて精々腹や胸辺りであり、それは身体を引くことで躱したはずだ。

 届くはずのない打撃――

(〈放〉を膝から放ったのかッ)

 コンマ数秒の思考を経て、上を向いていた頭を戻し、体勢を立て直そうとする。しかしその時既に七瀬によるとどめの一撃は準備を終えていた。

 七瀬の無事な右拳に集まった膨大な殺気を見て、猫御堂は防御が不可能なことを悟る。更にこちらの体勢が整う前に放たれるその一撃を、猫御堂はかわせないということも。

(クソッ、ここまでか……。……まあそれこそ野良猫のように残飯を漁ってたガキ時代と比べれば、俺も頑張った方じゃないか……?)

 死を悟り、受け入れた猫御堂だったが、しかしその予想は再び裏切られることになった。

 どこからか数十発の殺気で作られた銃弾が飛来する。直前に気配で気がついた七瀬は右拳に殺気を集めるのを止め、左手を庇うような体勢で殺気を固めた。

 数十発の殺気の銃弾は七瀬を襲ったが、その固めた〈轟〉を貫通することなく表面で停まっていた。それを見た猫御堂は一足飛びに距離を取る。

 そして十分に距離を取った場所から、七瀬に声を掛けた。

「悪いな、俺の負けかと思ったが、仲間の差で俺の勝ちだ」

 直後、七瀬の〈轟〉の表面で停まっていた銃弾の全てが爆発した。爆発は連鎖し、互いに強め合い、半径十メートルほどの巨大なクレーターを生み出した。

 猫御堂は爆風と飛来物に耐えながら、七瀬の殺気が消えたことを確認する。執拗に気配を探るが、全く感じられない。

「……よし、……よし!」

(予定外のことが起きた依頼だったが、何とか乗り切ったか。依頼自体は失敗だが、命あってのなんとやらだ。目を覚ましたらしい相方を連れて、まずはこの場を離れよう。治療費にいくらかかるか分からねぇが……、そこは後で考えるか!)

 

「……銃弾の雨降って、血固まる。〈銃弾爆撃〉の十ケ崎射巳」

 玖凪シラヒの全力の電撃をまともに食らい、皮膚のあちこちを炭化させた十ケ崎は、少し前に意識を取り戻していた。民家の二階を這って移動し、七瀬桜と猫御堂二矢が開けた穴から二人の戦いを見ていた。

 いつでも介入できるように構えながらも、基本的にずっと猫御堂が優勢だったこともあり見に回っていた。しかし猫御堂が体勢を崩し、七瀬もとどめの一撃の為に隙を晒したので銃撃したのである。

 十ケ崎の〈術〉の効果は他人に配布可能な殺気の銃弾の生成と、自分のみ使用可能な殺気の銃の生成である。

 そして〈変〉の一凸ピュアであり、その効果は自身の殺気を強力な爆薬に変質させること。

 この〈変〉と〈術〉の組み合わせ、爆発する銃弾による面制圧や遠距離攻撃時の大火力が十ケ崎の殺気遣いとしての強みだった。

「……まあ、こんなところで名乗ったって誰も聞いてないだろうがな」

 は、と自嘲するように空笑いをし、何やら黒く濁った唾を吐き捨てる。碌に動けない為、猫御堂がこちらに戻って来るのを待つしかない。

(結局依頼は失敗だ。報告時のことを考えると気が滅入る)

 殺されはしないだろうが、実績に傷がついたのは確かだ。また簡単な依頼をこなして信頼を積み上げなければいけないかもしれない。

 そんな十ケ崎だったが――

 猫御堂がこちらを向きながら固まっているのが見えた。

(あ? どうし――)

「そうでもないぞ」

 頭上から聞こえたその言葉を最後に十ケ崎の意識は途絶えた。


 七瀬の殺気の気配が消えたことを確認した猫御堂は、爆発による土煙が晴れ、七瀬が肉片も残さず木っ端微塵になったと確信すると、自分をまた救ってくれた相方に視線を向けてそこで固まった。

 猫御堂達が出てきた二階の穴から頭だけを出し、顔の横の床に唾を吐いている相方の背後に――上半身の表面のほとんどが焼けこげ、鼻も唇も吹き飛んで鼻骨と歯肉が露わになり、右の瞼を失ってぎょろりと目が剥き出しになり、左腕の肘から先が千切れ飛んだ――七瀬が立っていたからである。

「なっ、なっ」

 そしてあり得ないのが――七瀬はそこに〈轟〉を全開にして立っているにもかかわらず――一切殺気の気配がしないことだった。それ故に猫御堂は顔を向けて目視するまで気がつかず、十ケ崎は自分のすぐ後ろにいる七瀬に気がついていない。

 十ケ崎が固まった猫御堂に気がついて不思議そうな顔をする。そしてその生身の頭に――殺気の無駄だと思ったのか――出力が弱められた七瀬の拳が振り下ろされた。

「あ、あり……」

 動揺し、言葉と身体を震わせる猫御堂の十数メートル前に、民家から跳んだ七瀬が降り立つ。だいぶグロテスクな見た目になっていたが、その戦闘力が衰えていないことは、その昇り立つ〈轟〉を見れば一目瞭然だった。

 しかし、猫御堂の心を折りかけたのは、その〈轟〉ではなかった。今再び目の前に立つ七瀬を見ても、一切の気配がしないのである。

「い、〈陰〉ッ? ……三凸トライだと? そのレベルでっ?」

 殺気の気配を隠す〈陰〉は高等技術の一つである。〈轟〉などの出力が高い状態で完全な〈陰〉を行うことはトップレベルの殺気遣いでも難しく、ほとんどは薄く纏った〈轟〉の気配を消すか、〈轟〉を発動していない状態で視界だけを〈集〉で強化し、その気配を消すか、といった使い方である。ここに来るまでの玖凪シラヒもそうしていた。

 なので猫御堂の目の前で〈轟〉を戦闘時と同じ程度に発動した状態で、一切の気配を消し去っている七瀬桜は、異常中の異常だった。

「……あぁ、忘れてた。解除っと」

七瀬は軽い口調で〈陰〉を解除した。そして七瀬が着地しても〈轟〉を発動することも忘れ、放心している猫御堂に対し、七瀬桜は瞼を失った右目をぎょろりと動かし、余裕を感じさせる態度で言葉を返す。

三凸トライ? はっ、俺は〈陰〉の一凸ピュアだぜ。残念ながらな」

 七瀬はこの残念という言葉を自分に対しても使っていた。本当は〈轟〉や〈集〉などもっと直接戦闘に役立つ才能が欲しかったからである。しかしこれも〈術〉と同じくほとんどの場合運で決まる上に変更不可能なので、仕方がない。

 そして一凸ピュアだと告げられた猫御堂の衝撃はすさまじかった。つまり猫御堂を追い詰めた〈轟〉と〈放〉は、得意でも何でもない単純な殺気術だった、ということである。そんな相手に、猫御堂は得意の〈轟〉と〈変〉で戦い、負ける寸前までいっていたのだ。

(この、才能を持ち合わせた、クソガキがぁッッッ)

 しかし彼我の能力差は逆に猫御堂の心に火をつけた。よく考えてみれば不意を突かれて隙を見せただけで、全体的には猫御堂が押していたのだ。七瀬の〈轟〉の出力は落ちていないとはいえ、十ケ崎の爆裂弾を至近距離で食らっている。見た目通りのダメージは受けているはずだし、左手も失っている。

 再び戦意を取り戻し、〈轟〉を発動した猫御堂を前に、七瀬はほとんど皮を失い、筋肉が剥き出しになった顔面でふてぶてしく笑う。

「……だがまあ、実際俺も危なかった。こんなんになったし、殺気も結構使った。だからテメーらの強さに敬意を表して、劇的に殺してやる」

 言葉の意味を測りながら顔を歪めたその時、猫御堂は僅かな気配に気がついた。おそらく長い付き合いのあった猫御堂だからこそ気がつけた微弱な気配である。

(生きてる! 十ケ崎は生きてるぞ!)

 猫御堂はそのことを悟られないように七瀬の注意を引こうと〈変〉を発動し、炎と氷を纏った。

猫御堂の視界の端では十ケ崎は腕を顔の前に出し、銃撃の構えを取った。この構えた状態から〈術〉を発動して銃を生成し、直後に爆裂弾を放つのがいつもの十ケ崎の射撃方法である。生成準備の段階でどうしても微弱な気配は生じてしまうが、そこは訓練で限りなく小さくした。

 完全な戦闘態勢に入った猫御堂に少し意外そうにした七瀬は、手のひらを猫御堂に向けて腕を上げた。

「まぁまぁ、落ち着けって。なんか好きな小説はあるか? 漫画でもいいぞ」

 猫御堂は十ケ崎の銃撃の為の隙を作り出そうと、七瀬の言葉に応じる。

「……小説は教科書のもの以外読んだことないな。漫画は……学校の図書館にあった『はだしのゲン』が好きだった」

 七瀬は少し考えこむように黙ったが、すぐに目を閉じ、突き出していた手を肘を支点に更に上げた。

「……そうか。残念だ」

 猫御堂の視界の端で十ケ崎の銃が生成される。同時に爆裂弾が生成され、銃に込められる。七瀬がその気配を察知したとしても今からでは遅い。しかも七瀬はよほど油断しているのか、目まで閉じて大きな隙を晒している。

 七瀬の上げた右手が振り下ろされる。同時に十ケ崎の銃から十数発の爆裂弾が発射された。

(え?) 

 爆裂弾は猫御堂の〈轟〉に突き刺さる。そして驚愕によって〈轟〉を固める猶予を消費した猫御堂は、自分のよく知る相方の爆発を至近距離で食らい、この世から去った。

土煙が晴れた後に残された猫御堂の遺体を前に七瀬は少し沈黙した。が、直ぐに振り返って〈術〉の為に微かに生かして置いた十ケ崎を殺しに行った。


 僕は南さんの頭を太腿に乗せ、森の中から畑跡地での戦いを見ていた。七瀬は炎と氷の殺気遣いを殺した後、一度民家へ向かってからこちらへ近づいてきた。

 その手で恋人の誘拐犯を殺したというのに、すっきりしない顔をしている。〈術〉で操ったとはいえ、炎と氷の殺気遣いを直接的に殺したのは、もう一人の爆裂弾遣いだったからだろうか?

「ちげーよ。はぁー、人間ってのも色々過去があるんだよなぁー。……まあ仕方ねぇか」

 七瀬は左手で頭を掻こうとして、左手がないことに気がつき、顔を顰めた。

「それよりテメェよぉ、俺が爆殺されかけた時も手を貸さなかったなァ!」

 そ、それはでも、南さんの警護を最優先にしろって言ったからじゃないか……。

「臨機応変って言葉を知らねぇわけねぇよなァ? それから何で俺の恋人に膝枕してやがんだ。女だからって許さねぇぞ?」

 そ、それも、土の上に寝かすなっていうから! せめて頭だけはって!

「アァ? 口答えすんのか?」

 り、理不尽すぎるぅ~~~~~~~~。

 しばらくして、七瀬と南さんは駆けつけてきた〈夜の森〉の〈癒〉の遣い手に完璧に治療された。目を覚ました南さんは目の前の七瀬に抱きついて、号泣した。

「こ、怖かった。怖がったよぉぉぉ」

「大丈夫、もう大丈夫だ。俺がいるからな」

 七瀬は帰り道の車の中でずっと南さんの頭を撫で続けた。南さんが疲れて眠った後も、ずっと。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 七瀬桜:〈物語騙り(ストーリーテラー)〉。〈陰〉の一凸ピュア

〈術〉の効果:殺気で防御されない限り、殴った人または物体に「物語」を与える。「物語」を与えられた人または物体はその意思に関係なく、数十秒間「物語」の通りに動く(待機可。同時に存在できる「物語」は現在一つまで)。

 殺気遣いの死体を動かしても殺気は遣えない。生きている状態なら使用可能。意識の有無は問わない。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 後日談。

 僕が〈夜の森〉の施設内をB―3の部屋へ向かって歩いていると、B―1の前を通りかかった。扉が開いていて、七瀬桜が少し真面目な表情をして誰かと向かい合っている。

 扉の前を通る一瞬のうちに視線を滑らせると、向かい合っている人物が見えた。撫でつけた銀髪、白いロングコート、小さな丸眼鏡、腰に帯びた刀。〈夜の森〉の中では珍しく武器を持ち歩く殺気遣いであり、B級最強の一角、仁王ノ宮晶だった。

 僕は好奇心に負けて、扉の前を通り過ぎるフリをした後、扉横の壁にマグネットの如くビタッと張り付いた。そのまま部屋の中に聞き耳を立てる。

「――で、なんだ、話とは」

「まあー、そのなんだ。テメーも過去に色々あって、んな偏屈になったんだと可哀そうに思っでな。こっちもちょっとは譲歩した方がいいかなと」

「……馬鹿にしているのか?」

「いやいやいや。まあ要するに過去の態度を少し謝ろうって気になったってことだ」

 顔を出すわけにはいかない為七瀬の表情は見えないが、どんな顔をしているんだろうか。

 少しの沈黙の後、仁王ノ宮晶が応えた。

「……なるほど。言いたいことは理解した」

 お? 遂に最強の二人が和解か? 戦力増強、甚だしいぞ。

「だが」

 と仁王ノ宮晶は続ける。

「感情的に動く貴様に付き合っていてはどんなことに巻き込まれるか分からん。合理的に考えてデメリットがメリットを上回る。今回だって少し考えて〈夜の森〉に依頼してもう数人連れて行けば、不意打ちなんぞで危なく死にかけることもなかったのだ。まあ貴様の人望では無理かもしれんがな。そもそも貴様が居ようが居なかろうが私の任務達成率は変わらん。貴様と共に仕事をするなど吐き気がするし、合理的に考えて利益どころか混乱をもたらす害しかない。合理性の欠片もない貴様と仕事をするのは絶対にお断りだ」

 一息で言い切ると、仁王ノ宮が大きく息を吸う音が聞こえた。少し苦しくなったらしい。

 今度は七瀬が沈黙する番だった。

「……あぁ、なるほどなるほど。よくわかった」

 怒りを抑えているような声。肩を叩く音と、「触るな」と腕を振り払う音が聞こえた。

「合理的に考えて、テメーとは絶対に無理だ」

「当たり前だ」

 その後部屋を出てきた七瀬は変な体勢になっていた僕に気がついた。

ぶん殴られた。

 解せぬ。


 ――――七瀬桜の恋愛 〈完〉


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