髑髏躑躅蹴鞠の教育
僕の父親は電線の張替え工事中に感電死した、ということになっていた。
母親の方は死んだ夫の後を追うように風呂に水を張り、その中でドライヤーの電源を入れて感電死した。こっちは本当だ。
一人残された当時六歳の僕は親戚の手によって育てられた。そして高校生になって〈森の狩人〉の一員となり、一人での寮暮らしを始めた。
僕は〈森の狩人〉に入ってからおよそ一年間、任務を遂行して得たお金の大半を返して〈森の狩人〉の情報部に父親の死について調べてもらった。熟練の電気技師であり、当時は現場にもほとんど出ない管理職だった父親が、電線を張替えている最中に感電死だなんて明らかに不自然だった。その結果、やはり父親は事故死ではなく殺されていたことがわかった。
当時の上司が、現場で問題が起きたと人の良い父親に応援に行かせ、事故を装って殺させていたのだった。
当時の上司、十年後の現在は取締役である男の名前は、堂出茂治。
そして実行犯は指示を受けて現場に潜り込んでいた千本桜良。
調べによると堂出茂治は殺気遣いとのつながりを持つ一般人だが、千本桜良は違う。完全な裏の住人、殺気に満ち、殺意の道を歩む外道、殺気遣い……僕の同類だった。
「――ってことなんだけど」
「同類っていうのは違うだろ。月とスッポンどころじゃねぇ。太陽と蟻くらい違う」
〈森の狩人〉東京本部特殊戦闘部B―3班に割り当てられた部屋で、そう返してきたのは髑髏躑躅蹴鞠だった。年は僕の一つ下の十五歳。中学は卒業しているが、高校には進まず、平日の昼間から〈森の狩人〉で活動をしている。とはいえ中学の時から〈森の狩人〉での活動自体はしていて、僕よりもずっと前からこの組織にいる。身長も胸も小さいが態度は大きい。
「私たちは奴らを狩る側なんだからよ。なー、須玖師縫衣?」
髑髏躑躅蹴鞠は何やら考えながらスマホを操作している須玖師縫衣に話を振る。この三人でB-3班は構成されていた。高校三年生でソシャゲとアニメが好きな、ややオタク気質な正統派巨乳美少女、須玖師縫衣は、わたわたと焦って答えた。
「え、えと、ごめん、何? 周回用ムーブ作ってて聞いてなかった……」
「だーかーらー、シラヒが私達と犯罪者の殺気遣い達を一緒にしてるんだよー。ってか、一応ミーティング中なんだから話は聞いとけよー。そのデッカイ胸揉んじゃうぞ~?」
十年前から世界では、心底からの深い殺意を抱いたときに稀に覚醒し、超常エネルギーとなった殺気を行使する殺気遣いが次々と生まれている。その力を使って犯罪を行い人間社会に背く殺気遣い達を、国からの依頼を受けて殺害する。それが僕達特殊戦力鎮圧機関〈森の狩人〉だった。
殺気を纏うことによって殺気遣い達は人類を逸脱した身体能力を手に入れる。そのため彼らには基本的に銃などの通常兵器が通用しない。殺気遣いを狩れるのは同じ能力を有した殺気遣いだけである。〈森の狩人〉の中でも実際に現場へ行く特殊戦闘機関員は、そのほとんど全員が殺気遣いだった。
なお特殊戦闘機関員にはS級~C級(訓練生)まであり僕ら三人はB級である。B-3班とはB級の3番目の班ということだ。
「だ、だっていつもずっと雑談してるからぁ~」
見た目は小学生でも通じる髑髏躑躅蹴鞠が須玖師縫衣をソファに押し倒し、足の裏でその大きな胸を踏んでいる。
サンダルを脱いだ蹴鞠は素足である。蹴鞠は今も着ているだるだるのロンT、裾に隠れるほどのホットパンツ、素足にサンダルという格好で大体どこにでも行く。須玖師縫衣はピンクのサマーカーディガンをシャツの上に着た夏の制服姿。学校帰りで直接来たらしい。
「おらっ、おらっ、乳に足跡つけちゃる!」
「だ、だめぇ~」
須玖師縫衣が涙目になる。僕にとっては眼福だったが。
緩んだ顔で眺めていた僕だったが、流石にそろそろ止めておこうと腰を上げた。
蹴鞠の脇を抱え上げて、別のソファに座らせる。
「むー! 子ども扱いすんにゃし!」
蹴鞠は口を尖らせるが、須玖師縫衣がお嫁に行けなくなったら困る。縫衣ちゃんは僕の嫁に来るのだ。
縫衣ちゃんは服を直しながら起き上がると、まだ頬を紅潮させたまま僕にお礼を言った。そして顔を風で冷ますようにぱたぱたと両手で顔を煽る。当然のことをしたまでですブヒ。
「だーかーらー、シラヒが給料の大半を返上して上層部に頼んで情報を集めてた、両親の仇が見つかったって話だよ! どうすんだよ! 突っ走るんなら全力で止めるぞっ?」
優しい話である。しかし一人で行っても流石に無理なことはわかっている。殺気遣いを雇った上で生き残っている人間は、身辺の守りが堅いはずだ。同じようなことをする奴らと渡り合って、その上で生き残っているわけだから。
なるべく早くそのステージで活動しているトップレベルの殺気遣い達と同レベルのA級になりたい。B級というのは国内中堅の殺気遣いに勝利可能というのが基準である。A級はその基準が国内トップレベルの殺気遣いに勝利可能、となる。
A級になる頃にはお金も溜まっているだろうから、それで〈森の狩人〉に依頼を出して他のA級戦闘機関員を雇って一緒に殺しに行く。
そういう計画である。
「はーん、なるほどね。やるにしてもだいぶ先ってわけね。気の長い話だな。急がば回れ、ただしトリプルアクセル。ってか?」
それだとロクに進んでないじゃないか……。
「まあ、そういうことなら次の仕事の話をしていいな! 次の仕事はこれだ! 目ん玉かっぽじって見よ!」
それは失明。
「それじゃ説明! 次の仕事は中学校の警備! いじめを隠ぺいした校長と教師! 憎んだ誰かが予告した殺害! 警察一応ほしい殺気遣い! しばらく警備する担当は火曜日!」
火曜日は明日だ。
で、その火曜日。
僕と髑髏躑躅蹴鞠、それに須玖師縫衣の三人は朝早くのとある私立女子中学の校長室で警護対象の校長と担任教師に会っていた。古くから続く名門校らしい。
「いやぁー、ご苦労様です! 生徒のいじめが原因で自殺したなんて根も葉もないことを週刊誌に書かれて、あんな輩まで現れて……、いい迷惑ですわ! なぁ! 君もそうだろ!」
「ええ、本当に……彼氏にも矛先が向かないかと心配です」
いい調子で話している二人の相手は、くたびれたスーツを着た刑事だった。
「……取り合えず一カ月ほど我々警察三人と、外部の殺気遣い達で警備をさせていただきます」
教師二人はそこそこ高そうなスーツに身を包み、一見有能に見える。が、僕は昨日のうちにこの事件に関するネット記事をいくつか読んで、ほぼ間違いなく生徒によるいじめは存在していて、この二人はその責任から逃れようと隠蔽しているのだろうと思っていた。
校長には自殺した子の親が何度も相談し、証拠となるいじめていた子供と自殺した子のSNS上のやりとりの画像を渡しもしたのに、それらを握りつぶして完全に無視。
自殺した子といじめの主犯、二人の担任教師である女性も、自殺した子の親から何度もちゃんと調べるよう要請を受けたというのに、その要請を黙殺。ひどい時には直談判に来た親に対し、「このあと彼氏とデートするので、あなたと話している時間はありません」などと言い放ったらしい。
そんな相手を警備だなんて全くやる気が出ない。適当に時間を潰してさっさと帰りたかった。予告犯も味方をしてしまうかもしれないから、もし来るにしても、できれば別の日にしてほしい。
確か鳩ヶ(はとが)村燈と言っていた着古したスーツの刑事は、振り返ると僕ら三人に視線を走らせた。
「それでは我々は二人一組で警護につく。私は校長先生に同行するが〈夜の狩人〉からも誰か一人……」
鳩ヶ村さんは、下手をすると小学生にも見えるだるだるロンTの蹴鞠から目を逸らし、僕と須玖師縫衣で迷う。そしてそれなりに常識的な格好をしている須玖師縫衣を自分の同行者として選んだ。
「……じゃあ君はそこの警官と一緒に担任教師を警備してくれ」
僕は指さされた警官に黙礼をする。爽やかな私服を着た短髪の警官は、ビシィッと敬礼をすると、にこやかに微笑んだ。
蹴鞠がロンTよりだるだるな声で目を擦りながら「私は~?」と聞く。昨晩僕と蹴鞠で遊んでいたエイペックス、僕は零時前に抜けたが、蹴鞠は何時まで遊んでいたんだろうか。
「……えっと、君は校門で辺りを見張っていてほしい。敵と一番に会う可能性が高い重要な仕事だよ」
「…………だ~る~い~!」
鳩ヶ村さんが苦み走った顔で額を押さえる。……僕は蹴鞠の肩からずり落ちそうなロンTを直してあげながら言った。
「ちゃんと出来たらキャラスキンを一つ買ってあげるから」
「おー? 頑張る!」
蹴鞠はぱっと笑顔になる。
鳩ヶ村さんは不安を表情に滲ませながら、話を進める。
「それでは先生方の仕事もあるでしょうし、分かれましょう。くれぐれも襲撃には気をつけて下さいね」
担任教師は職員室に戻り、テストの採点を始めた。数学のテストだ。数学教師だったらしい。時間的にもうすぐ朝のHRが始まると思うのだが、このタイミングで? テスト用紙は百枚ほどあり、とても時間までに終わりそうにない。
「……お時間大丈夫ですか? 大変そうですね」
警官さんが声を掛ける。担任教師は迷惑そうに目を細めた後、手を動かしたまま答えた。
「今日朝一でやるつもりだったんですよ。なのに警護がどうとかで……」
どうやら警護の話は今日来てから初めて聞いたらしい。
「ただでさえ時間が足りないのに迷惑すぎるわ……」
担任教師は吐き捨てるように呟く。担当している部活の生徒が遅くまで残るせいで昨日も残業。その残業中は事務仕事や会議やいじめ事件の対応で採点の時間すらなかった……とぶつぶつと漏らす。
「先生方って大変ですねー。残業代もほとんど出ないんでしたっけ」
「月百時間残業しても部活で土日出勤しても、月一万五千円くらいね」
「やってられませんね」
「その通りよ」
担任教師は時計をちらりと見ると、諦めたように赤ボールペンを放り出した。椅子を回転させて身体を警官さんに向ける。
「そもそも私たちの仕事は勉強を教えることなのよ。なんで生徒が起こす犯罪行為の対応までしなきゃいけないわけ? そんなの警察の仕事でしょ?」
「…………」
「生徒同士の個人的な関係まで管理しきれないわよ。しかもいじめは放課後、学校の外で行われてたんでしょ? プライベートの時間に何をしようが、私には関係ないじゃない」
「本当に大変なんですね」
「頑張ればどうにかなるとかじゃないのよ。授業の準備をして授業をするだけで八時間なんかあっという間に過ぎるのよ? その後は本来私のプライベートの時間でしょ? まあ出世のレールから外れないように任された仕事はするけど、生徒同士の関係なんて知ったこっちゃないわ」
「え、ええ」
「周りの先生方を見てくださいよ。皆さん自分のクラスの生徒じゃなくてよかった、って思ってますよ。運が悪かったね、みたいにね」
僕はその言葉になんだか——あったかい雰囲気が職員室に流れたことにゾっとした。担任教師を労わるような、そんな空気である。口の端で苦笑いを浮かべている教師もいた。
「……私がいじめていたわけじゃないのよ。例えば一般企業で部下が他の部下をプライベートの時間でいじめていたとして、上司が責任を問われる? そんなの当人同士の問題じゃない。投身自殺した人を轢いた電車の運転手が罪を問われる? そんなの自殺した人が悪いじゃない」
一人の男性教師が担任教師の後ろを通る際にお疲れ、というように肩をぽんと叩いていった。担任教師は過ぎ去る男性教師に軽く頭を下げ、時計を見直す。そろそろ教室に向かう時間なんだろう。テスト用紙をそのままにして、机の上に立てて置いてあるファイルをいくつか取った。
「それなのに世間の人達は私が責任を取って死ぬべきだ、みたいな勢いらしいじゃない。管理できなかった責任を取れって言うんだったら、犯罪者の親は全員死んだらいいんだわ」
教室に入るとそこはまるで異空間のような濃密な空気が漂っていた。どろどろとした空気が質量を持ったようにまとわりついてくる。担任教師が入ったことに生徒が気がつくとその空気は重みと粘度を増した。
だが、信じがたいことに見た目だけは、ほとんど普通の学級だった。ざっと聞いてみただけで昨日のテレビ番組の話、YouTubeの話、ゲームや漫画の話があり、笑い声も聞こえてくる。
しかしよく観察をすると、全体的に不自然だった。声も態度もどこかぎこちない。
ネット記事には自殺した女の子と同じクラスに、いじめの加害者である女の子もいたと書いてあった。一通り見回してみると、大きな笑い声を上げて、おしゃれな格好をした女の子達と喋っている派手な格好の女の子がいた。取り巻きの女子達の顔には機嫌を損ねまいとする恐怖と焦りが浮かんでいる。
担任教師はその女の子の方を見るとふ、と安心したような息を吐いた。女の子も担任教師を見ると少し頬を緩ませた。そしてまた取り巻きとの会話に戻る。
担任教師と金髪の女の子がいじめが大事になった不運を分かち合っているように見え、僕は再びゾッとする。
皆が席に着き、朝のHRが始まると担任教師は警護する僕達の説明をする。いじめ事件の話が出た時には、何人かがその派手な金髪の女子の方を伺っていた。
朝のHRが終わり、担任教師が教室を出る。僕と警官さんも僅かに遅れて出たが、担任教師が扉をくぐった瞬間、明らかに教室の空気が軽くなったのを感じた。
それから担任教師は教室を回り、授業を行っていった。僕と警官さんはその様子を教室の片隅から眺める。普段は見ない僕達がいたことで最初は静かだった生徒たちも、大体最後には自然な様子に戻っていた。見た感じ真面目にノートを取って授業を受けているのが六割、ノートは取らず静かにスマホをいじったり落書きをしているのが二割、残り二割は授業中にも構わず仲のいい生徒と話している。
担任教師は教室の様子に構わず、数学の授業を進めた。その視線はほとんどずっと黒板と教卓に置いた板書ノートを行き来していた。時折儀式のように生徒に黒板で問題を解かせた。そのために生徒を当てる時以外、担任教師の視線が生徒の方を向くことはなかった。
四限目は授業はないらしく、担任教師はお腹が痛いとトイレに向かって行った。道中、警官さんが話しかける。
「結構騒がしい子も多かったですね。自殺してしまった女の子は優等生だったみたいですが、教師としてはそういう子が好きだったりするんですか?」
「え? ……ああ。はっ」
担任教師は意味が分からないという風に疑問符を浮かべた後、何かに得心して鼻で笑った。
「そんなわけないじゃないですか。だって勉強ができる、クラス一の優等生ですよ?」
「えっ、だからこそ教師としては頑張ってるなぁ~とかってならないんですか?」
担任教師は職員用トイレの前で立ち止まり、僕らを振り返った。
「どういう人間が中学教師になると思ってるんですか? 勉強がクラスで一番出来たなんて人間はここにはいませんよ。二番、三番もいません。そういう人達は皆大企業やらもっとマシな役所の公務員なんかに就職しますからね。私たちはせいぜいクラスで十位以内に入れれば上々だった人間ばかりですよ? ……私は数学だけたまたま上手くいってました。それでもクラス五位とかでしたけどね。いいですか? 私はクラス一位だとかの優秀な人間達を、ずっと嫉妬の目で眺めていた人間なんですよ。それなのにクラス一位の彼女に好意を持つなんてことがあると思います?」
それから担任教師は得意げにニヤリと笑った。
「私より優秀な子供を、上の立場から教えるってことには、何だか快感を感じますけどね」
担任教師はわかりますよね? という笑みを向けてくるが、僕と警官さんの反応が芳しくないのを見ると「教師じゃないとわからないか」と呟いてトイレに入って行った。
僕と警官さんも小便を済ませ、洗面所で並んで手を洗う。
僕は担任教師への嫌悪感を隠すように努めながら、横の警官さんに言った。
「あれほど教師の仕事が大変だとは思いませんでした」
「そうですね。警察はほとんど残業はありませんから、——何と言うか、本当に同情します」
「生徒たちもやっぱりピリピリしてるみたいで——」
当たり障りのない言葉を選んで僕達は会話をする。本音を言うとこんなおぞましい空間と人間は初めてで、もう帰りたかった。しかし担任教師に聞かれると不味いのであまり過激なことは言えない。
僕の中で聖職としての教師像が割れ、人間的な、それもかなりグロテスクな教師像が作り出されていた。勿論これほどじゃない教師もいるだろう。しかし中にはこんなのもいると考えると、本当に怖かった。
こんな教師に当たったら子供はどうすればいいんだ? 子供は教師を選べないんだぞ?
僕と警官さんは外に出て男性用トイレと女性用トイレの間の壁に背をもたれさせて立つ。精神がこれほど削られる仕事は初めてだった。
黙って突っ立ていると本当に陰鬱な気持ちになって来るので、紛らわす為に警官さんと話す。その中で警官さんは女性用トイレの方をちらりと見ると、僕の耳に口を近づけて衝撃的な発言をした。
「……正直、私はああいう人達は殺されても仕方ないと思います。校長も同様なら、彼も。あなたはどう思いますか?」
僕は警察らしからぬ発言に驚いて、思わず警官さんから離れるように後ずさりする。しかし警官さんの表情が真剣であることを見ると、体勢を戻し、気持ちも整えた。
警官さんに近づき耳打ちをする。
「僕もそう思います。僕自身手を下せるほどの使命感はありませんが、見逃すくらいはしてしまうかも。僕の同僚の二人がどうかは知りませんが」
警官さんはやや面食らったようだが、僕の言った意味を理解すると声を出して笑った。そして再び耳打ちをする。
「あなたは見逃してしまうのかもしれませんが、私は見逃しませんよ。何せ私は正義の執行者、警察官ですからね」
そう言うと警官さんはスマホを取り出し、インカメにして自分の髪を直しだした。
「んー、やっぱりやりにくいな……ちょっと鏡で直してきます」
警官さんはそう言うと元来たトイレに戻っていった。ぱっと見た感じ何を直すのかわからないが、僕はおしゃれに疎い。髪型を整えるのはワックスだっけ? 警官さんは一分も経たないうちに出てきた。
その後、僕からはメンバーそれぞれの得意技なんかの話をした。警官さんも警察学校で習ったとかで、殺気についてはある程度の知識はあるみたいだったが、興味深そうに聞いてくれた。
おしゃべりは楽しかったが、しかしそれが十五分を超えると流石に出てくるのが遅いと違和感を抱く。お腹が痛いと言っていたとはいえ、長い気がする。
「様子を見てきますね」
そう言って警官さんは女性用トイレに足を踏み入れた。僕は入口の外で待つ。担任教師の名前を呼んでいた警官さんが、「うわぁっ」と唐突に叫び声をあげた。
その叫び声を聞いて僕も女子トイレに踏み込むと、警官さんがトイレの床にへたり込んでいた。警官として少し情けないのではないかと思わないこともないが、若くて新人みたいだし仕方ないのかもしれない。僕を見ると震える指先で個室のドアの下の隙間をさした。
個室の下には赤黒いもの——見慣れた人間の血液が見えている。
僕はその血液に微かに触れる。血液は固まり始めていた。
それから勢いよく跳び上がり、個室の上の隙間から中を覗き込む。胸をボーリングボール大にえぐられ、肋骨と内臓を飛び出させた担任教師がそこにはいた。
死んでいる。
すぐに鳩ヶ村さんに連絡し、警察三人、僕ら三人、それから校長が集まった。凝固しつつある血液を見た校長は怒鳴り散らす。警官さんは顔を伏せて謝った。
「おい、警護は何をしていたんだ!」
「流石に個室の中まで入るわけにはいかず……窓もないので入口さえ押さえておけば大丈夫だと考えまして……すいません」
そう。僕達以外でトイレの入り口を通った人間はいないのは確実だ。そしてそれ以外の人間が出入りできるスペースはない。窓もないのだ。
僕は自分が見たことを全て、順を追ってみんなに話す。流石に警官さんが漏らした話の内容までは言わない。雑談と濁しておいたが、それ以外は全て話した。
僕から須玖師縫衣の特技を聞いていた警官さんは須玖師縫衣に話を振った。
「須玖師さん、殺気術が遣われた残滓はないんですか?」
「えっと……担任教師の胸に僅かな残滓があります。個室の上の隙間から狙い撃つなど、殺害に殺気が用いられたことは間違いないでしょう。しかしトイレの入り口や壁には残滓はありませんでした。犯人はトイレの中に殺気を遣わずに入り、担任教師を殺して、殺気を遣わず脱出したと思われます。事前に設置していた、というのも考えづらいです。その場合でもどこか壁や天井などに残滓があるはずなので」
殺気術には〈轟〉〈集〉〈陰〉〈放〉など様々な技術があるが、須玖師縫衣はその中の〈轟〉と〈集〉を得意とする二凸である。今は目に殺気を〈集〉で集め、殺気を使った後にほぼ必ず発生する残滓を見ている。一般的に〈集〉を用いて残滓を目視できるのは、殺気の使用後二時間と言われている。まだ四限目の時間中であり、殺気を使用したならわかるはずだ。
しかし残滓を見るのは高等技術の一つであり、僕も〈集〉は使えるが、残滓を見ることは出来ない。質的な問題があるらしい。
「……本当に、他に女子トイレに這入った奴はいなかったのか?」
校長が僕と警官さんに疑問の目を向けてくる。しかし僕と警官さんは順番に用を足したし、その後一緒に手を洗っている時も鏡から目を離さなかった。その後トイレを出るとずっと入口にいた。
だから僕は他には誰も見なかった、と自信をもって断言した。これは絶対に嘘じゃない。校長は唸った。
「そうするとこれは密室殺人……ということになるのか?」
血の匂いが残る女性用トイレは静まり返った。
「えっ、なんで? 全然密室じゃないだろ?」
沈黙に包まれた女性用トイレの中で、心底疑問に思っているような高い声を出したのは、髑髏躑躅蹴鞠だった。全員の注目が集まる。
「シラヒ、お前が見たものをもう一回言ってみろよ。担任教師がトイレに入ったところから順番に」
突然話を振られた僕は、時系列順に思い出した。
まず、担任教師がトイレに入っていった後、僕と警官さんもトイレに入った。
その後、警戒の為に交互に用を足した。
「まずはそこだよ」
蹴鞠は僕の話を止める。
「お前ら、なんで交互に用を足したんだ?」
なぜそんなことを聞くのかわからなかったため、僕は戸惑った。代わりに警官さんが答えてくれる。
「それは勿論、全員が個室に入ってしまったら、誰かがトイレに入って来てもわからないからです」
「そう、誰かが女子トイレに入って来ても、全員が個室に入っていたらわからない。だから一人を個室の前に残して、交互に用を足した、と」
僕と警官さんは頷く。その通りだ。どこかおかしいところがあるだろうか?
蹴鞠は続きを促す。
「いや、全くない。強いて言えば髪が長くて見た目からまるで女子のシラヒと、短髪でおしゃれな女性警官が、まるで男子トイレに入った風にも取れる話し方をしてたからな。一応確認しただけ。続きを話していいぞ」
促されるままに僕は口を開く。
二人が用を足すと洗面場で二人で手を洗う。
洗面場には大きな鏡があり、入口からトイレ内の様子がよく見える。
手を洗い終えると僕達は外に出る。
女子トイレと男子トイレの間の壁にもたれて雑談をする。
十五分ほど経っても担任教師が戻ってこないので女子トイレに踏み込んで、死体となった担任教師を発見する。
「その、一つ前だ」
話し終えた僕に、蹴鞠は告げる。
「意図的なのか、大したことじゃないと省いているのか知らないけど、手を洗って出てきて、担任教師が戻ってくるまでにもう一つあったよな?」
……警官さんが、髪を直す為に女子トイレに這入って行ったこと?
「警察が殺人を犯すわけがない、とでも思ってたのか?」
まさか警察が担任教師を殺害するなんて。僕と蹴鞠と警官さん以外の四人はそう思っていたらしく驚きに固まっている。
「シラヒから聞き出したのか知らないけど、その須玖師縫衣から絶対に見えないように上手く隠している右手の人差し指、須玖師縫衣に見せてみろよ」
蹴鞠がそう言い、警官さんは身体を強張らせる。全員の注目が僕と一緒に担任教師を警護していた女性警官に集まった。
「……うふふっ、あははっ。そうよ! 今度は私が報いを受けさせるのよ! 正義を! 子供達を汚す人間に裁きを! その為に私は警官になったの!」
その初めて聞いた甲高い、狂気に満ちた哄笑に、僕達は怯んだ。怯んでしまった。
女性警官さんは握り込んだり背中に回したり腕を組んだりして、絶対に須玖師縫衣の視界に入らないようにしていた右手の人差し指を、校長につきつけた。銃を形取るように親指は天を向いている。
人差し指の先に殺気が集まり、校長に向かって殺気の銃弾が放たれる。基本的に殺気は殺気でしか防げない。殺気の弾丸は全身を殺気で覆う〈轟〉が使える殺気遣いにとっては大した威力ではなかった。しかし一般人に当たれば致命傷だ。それこそ担任教師の胸がえぐれていたのもこの弾丸によるものだろう。
狂気的な告白によって生まれた一瞬の硬直を突いて放たれた殺気の魔弾は、三メートルほどの距離を刹那で潰し、校長の胸に吸い込まれていく——かに思えた。
「——え?」
弾丸は校長の胸の前で防がれていた。威力はないものの、速射性と弾速は十分だった殺気の銃弾を離れた場所から割り込んで防ぐことは難しい。自分に向けられているなら即座に〈轟〉を発動すればいいが。
〈轟〉の即時発動は殺気遣いの戦闘の基礎である。
校長は——自身に纏った〈轟〉で、警官さんの弾丸を止めていた。
「おや! 鳩が豆鉄砲を食らったような顔だね! まあ実際に豆鉄砲を撃たれたのは私なんだが!」
はっはっはっ、と校長は小太りの身体を揺らして快活に笑う。
「ちょーっと僕も殺気に素養があってね! 残念だったね!」
「く、くそっ」
警官さんは再び指先に殺気を集め弾丸を放つが、校長のまるで素人には見えない分厚い〈轟〉に阻まれてその身体には届かない。
「ふっ、何の罪も犯していない私に殺気を向けたのであれば——もう明確な反社会的殺気遣い。殺しても構わないだろ?」
校長が僕らに確認を取る。校長が死ななかったのは非常に残念だが、法を順守しない殺気遣いに人権はない。殺気を封じ込める装置など存在しないため、特殊な場合を除いて発見即殺害が基本である。頷かざるをえない。
僕は不本意ながら首肯を——。
「蹴鞠ちゃん、この殺気、間違いない。この人だよ」
「オーケー須玖師縫衣。それならちょっと話が違ってくるなあ、校長先生」
幼さを感じるよく通る声で、笑いをこらえるように言ったのは——髑髏躑躅蹴鞠。
「何の罪もない人間に殺気を向けたならそいつは犯罪者だが、殺気遣いの犯罪者に対して殺気を向けるなら、そいつは別に犯罪者じゃないんだぜ?」
須玖師縫衣がさりげなく鳩ヶ村さんともう一人の警官をトイレの外に誘導していく。僕も現状をやっと認識し、身構えた。
「普通、殺気の残滓を追えるのはせいぜい二時間が限度だ。だけどウチの須玖師縫衣の瞳は特別製でなァ、三日前までの残滓が見れる」
校長はその言葉を聞いて一瞬驚き——そしてニタリと笑った。
なるほど。ここで笑うのか。
それなら——こいつはこちら側の人間だ。
「須玖師縫衣はお前に同行して校内を回りながら——しっかりと見ていたそうだぜ。頭を中心にべったりと同じ人間の殺気の残滓がついた女子中学生達をな。そして今、その残滓が誰のものかわかった」
蹴鞠は憤怒の形相で校長を指さした。同時に僕と須玖師縫衣は〈轟〉を発動させる。可視化された殺気が揺らめき、炎のように身体から立ち昇る。
「テメェはこの中学校の生徒全てを支配下に置いている、精神干渉系の〈術〉を持つ殺気遣いだ。〈術〉は殺気遣いの殺意の本質を表す。子供を支配するような腐った〈術〉で、テメェは今まで何をしてきやがったッ!」
「あは……あっはっはっ」
校長は余裕の表情を崩さない。
「私が生徒を操って自殺に至るいじめを起こしていたとでも? そんな証拠はあるのか? 私が精神干渉系の〈術〉持ちだったとして、いじめの原因となっているとは限らないだろ?」
「……はっ、言い訳を。一般人の子供たちに〈術〉を遣っている時点でテメェは殺害対象だ。テメェが認めようが認めまいが、ここで殺させてもらうぜ!」
蹴鞠はそのだるだるのTシャツと裾から覗く生足とサンダルという外見からは想像できない激しい声で、校長を厳しく弾劾する。
校長はそこで始めてニヤニヤとした笑いを消した。
「なるほどな。これ以上の問答は無用か」
「そういうことだ。……同じ殺気遣いに関わる人間として、時間をくれてやるぜ。名乗りな——テメェの戮し名を」
「ふふふ……はっはっはっ。本気の戦闘は初めてだ。いいだろう。お前らを消し——俺はまた別の箱庭で支配者になってみせる」
校長は再び笑みを浮かべた。それはしかし先ほどまでのような胡散臭さを感じながらも人当たりのいい笑顔ではなく、残虐で凄惨な、殺人者としての笑みだった。
「中学生を虐めて苛めてイジメさせて殺す。〈付加虐性〉の——福永俊治だ。イジメの根源的な愉しさを知ってしまったらもう戻れない——不可逆性があるのさ、イジメっていうのは」
醜悪な本性を露わにした校長——もとい福永俊治は背後のトイレの壁をぶち破って校庭に出た。〈轟〉を纏った人間は望めばコンクリートも簡単に破壊できる。
「警官さんはそこで待っていてください!」
状況について行けないまま校庭に向かおうとした殺気遣いの女性警官さんを、蹴鞠が鋭く呼び止める。その判断は助かる。〈轟〉も使えない女性警官では、この先の戦いは足手纏いだ。
そしてそれは——蹴鞠にも言える。
「無事に——無事に帰って来てくれよ」
直前までの様子とは打って変わって、縋りつくような目でそう言う蹴鞠は殺気遣いではない。蹴鞠はそうあることを望み、何度も挑戦したが、ついに殺気が覚醒することはなかった。
殺気は心の底から誰かを殺したいと願ったときに稀に覚醒する。蹴鞠は闇の底から上ってくるような純粋でドス黒い殺意を抱くことができなかった。現存している両親が殺されれば可能性はあるが……勿論そのようなことを望む人ではない。
戦いの前にしおらしくなる蹴鞠はいつものことなので、僕は頭を撫で撫でする。
「にゃっ、子ども扱いすんにゃし! お前が男のくせに外見が女だからって女子トイレを使ったことを暴露してやるぞ! いつも通り多目的を使え!」
「それはしょうがないじゃないか。明らかに挙動不審な女性警官さんを担任教師と二人っきりにするわけにはいかなかったし」
まあその後共感してしまって犯行を見逃すんだけど。
僕が生物学上の男であることを知らなかった女性警官さんはドン引いた眼で僕を見ている。身体を仰け反らせて一歩後ずさりをする。
「いいですよ。そのまま校庭の方から離れていってください」
僕は須玖師縫衣と頷き合うと二人でトイレの壁から飛び出した。ちょうど体育の授業が行われていたみたいで、体育着姿の七十人ほどの女子中学生がいた。
既に全員が福永校長の支配下にあるようで、虚ろな表情で棒立ちになり、僕達二人を焦点のあっていない瞳で見るともなく見ている。
福永校長の足元には腹に大きな穴を開けたジャージ姿の大人の男性が倒れている。体育教師だろう。
「殺したってことは、大人には効果が及ばないってことかなぁ……?」
須玖師縫衣が呟く。恐らくそうだろう。
「私は十八歳、シラヒ君は十七歳。〈術〉の対象年齢じゃないと助かるけど……」
多くの精神干渉系の術は術者の殺気で対象に触れることが発動条件になる。攻撃をなるべく食らわないようにしよう。特に本体からの攻撃は。
「だとすると……シラヒ君を中心に戦うことになる……のかな? もし私が操られたら、遠慮なく攻撃しちゃっていいからね」
それはお互いさまということで。
「じゃあ……行こうっ」
福永校長と僕達の間には五十人以上の女子中学生達がいる。まずはこの人の防壁を突破しないといけない。
「はっはっはっ……この中学生達は何の罪もない子達だぞ? 殺さずに突破できるか? さあ、いじめの時間だ!」
女子中学生たちが世界記録もかくやというスピードで僕らの方へ全力疾走してくる。全員が薄い〈轟〉で身体能力を強化されていて、僕らにもダメージが通るようになっている。
僕らはブルマを履いた体操着の女子中学生に囲まれ、次々と攻撃を受ける。取り合えず〈轟〉の出力を上げて耐える。しかし何とかしないとじり貧だ。
……と言うかなんでブルマなんだ。福永校長の性癖か? くっ、そこだけは話が合うじゃないか。
数十人のブルマを履いた女子中学生に蹴られ、殴られ、噛みつかれ、ボディプレスやらヒップアタック、背中から組み付いて慎ましやかな胸を背中に当てながらの首絞め、ついでに別のJCは足を僕の頭に絡ませ、ブルマで僕を窒息死させようとしてくる。
「は、はやく何とかしてぇ~!」
僕と同じく〈轟〉を強化して耐えていた須玖師縫衣から悲鳴が上がる。須玖師縫衣は僕よりも〈轟〉が得意なんだからまだまだ大丈夫だろ……と、ちらりと見ると、僕よりひどいことになっていた。なんかもうぐりぐりされて、バシバシされて、もみもみされている。実に香ばしい格好ブヒ。僕の未来の嫁が蹂躙されているのを見るのがこれほど興奮するものだったなんて……これがNTR願望ブヒ?
「いい加減に、しなさいっ」
須玖師縫衣、ガチおこである。怒られるのも気持ちいいブヒが、仕方がない。そろそろ真面目にやらないとこの場を切り抜けても後で殺される。冗談抜きで。
か弱い女子中学生を殺さずに無力化する。そんな難しいこと——
僕にはできる。
何とか体勢を変えて膝を突き、手のひらを地面に当てる。僕と須玖師縫衣を含む円形範囲の地表に殺気の糸が張り巡らされ、触れた女子中学生達を電撃が襲う。適度に加減した電撃はJC達を過度に傷つけることなくその意識を奪った。同時に須玖師縫衣も感電したはずだが、強力な〈轟〉に阻まれてダメージはない。その様子を見た福永校長が呻く。
「ほ、ほう。なかなかやりますな」
父親を殺した夏冬春秋と千本桜良を同じ目に合わせて殺してやると強く強く心底から願った時に発現した僕の〈術〉。僕の殺意の本質を表す、〈術〉の銘にして僕の戮し名。
「漏電遮断器とアースを取り外した発電機。下がらないブレーカー。〈走電戦線〉の玖凪白日——僕の触れた場所から走る送電線は千線でも足りない」
そのほとんど無限とも思える殺気の送電線が校庭の地表を走り、女子中学生達全員を感電させ、無力化させた。
勿論広範囲に電線を張り巡らせた分、多くの殺気を消費している。正直この規模の電撃を何回も繰り返すわけにはいかないが——。
背後から冷たい気配が迸る。次の瞬間二階・三階の校舎の窓ガラスが割られ、何百人もの女子中学生達が飛び降りて来た。一階から窓を開けてよたよたと出てきた生徒もいる。具合が悪くて保健室にでもいたのだろうか?
そのほとんどがセーラー服で——もちろんスカートなんか気にしないのでパンツが丸見えである。色とりどりのパンツを惜しげも無く露出した女子中学生達が雨あられと降って来る。ほー、今の女子中学生は進んでますなぁ。ここは天国か?
「見とれてないで無力化ぁ!」
須玖師縫衣の叫び声が響くが、僕の〈術〉が空中の無数の相手には無力なことを忘れている。送電線は地面とか壁とかの物質を伝わせる必要がある。それか、自分の殺気に直接触れさせるかだ。〈放〉で広範囲攻撃が出来れば話は別だが、残念ながら僕はその領域に達していない。
女子中学生達が着地する至福の時間の終わりと同時に、僕は再び地面に手を当てる。先ほどと同じように広範囲の女子中学生を無力化しようとするが、想定していた半分、百五十人ほどしか気絶させられなかった。
理由は溜めていた電気が切れたからだ。発電には時間がかかる。
「しっかり溜めておいてよぉ!」
無理をおっしゃる。事前に限界近くまで溜めておいたから二百人以上のJCを無力化できたというのに。
僕は〈轟〉と体術で、迫りくる百人超の女子中学生に対処する。殺さないように腹を殴って気絶させようとするが、武道の達人でもないのでそう簡単にもいかない。結果的に千切っては投げ、千切っては投げ、という感じになってしまうが、投げられた女子中学生もスカートを翻しながら着地して再び襲い掛かって来るだけなので、全く意味がない。
「シラヒ君の殺気術の得意技は〈放〉でしょ! 校長本人を狙えないのっ?」
……無理かなぁ。僕は校長の方を見てため息をつく。ブルマJCを無力化した直後ならともかく、今は校長との間に何十人もの制服JCがいた。
「私が本気を出したら途中の子を殺しちゃうからぁ」
須玖師縫衣の〈轟〉は僕と比べてかなり強力なため、本気を出したら薄い殺気を纏ったJC程度、木っ端微塵である。今も相当手加減しているだろう。
〈術〉を遣わずに制服JCの相手をしていると、少し電気が溜まった。
「須玖師縫衣と校長の間のJCを僕の電撃で無力化して、須玖師縫衣が真っ直ぐ校長を狙うっていうのはどう?」
「……それで行こう!」
僕はJCからの攻撃を無視し、身体にJCを絡みつかせたまま地面に手を突く。
ところで、当たり前だけど操られているとはいえ身体を激しく動かしているJCは汗をかく。JCが殴ったり組んで来たりする時に、僕の身体に肌が触れ、汗がつく。僕は今、女子中学生の汗まみれだぜ! 反撃の手を緩めるともっと攻撃を受けるけど、〈術〉を発動するためだから仕方ないね! おっと上履きを履いた脚で頭を踏んでくるJCがいやがる! ひゃっほう! 狙いを定めなきゃいけないから上を見られないのが残念だぜ!
地表を電流が迸り、須玖師縫衣と福永校長の間の女子中学生達がばたばたと倒れていく。途中の邪魔者がいなくなり、須玖師縫衣はまとわりつくJCを振り払って、全力で地面を蹴った。そのときに発生した風圧で後方の女子中学生達は吹き飛ばされていく。
倒れているJC達を一歩で飛び越え、校長へ向かって拳を振りぬく。須玖師縫衣の得意な〈轟〉と〈集〉の合わせ技はシンプルながら強力だ。福永校長程度の〈轟〉でまともに食らえば殴られた場所に大穴が空くだろう。
しかし、その暴虐な拳を、須玖師縫衣は何故か福永校長の目の前で止めた。
福永校長の陰にいた一人の女子中学生が、手を広げて福永校長の前に立ちはだかったのだ。
その女の子には見覚えがあった。担任教師のクラスにいた、イジメ事件の主犯だ。金髪で派手な女の子だ。
「なっ、ど、退きなさい!」
須玖師縫衣は狼狽えて怒鳴りつける。
その女子中学生は他の操られたJCと比べて、明らかに動きに精彩があった。操られている人形のような動きではなく、まるで自分の意思で動いている人間のような。
「私の名前は福永ミツミ。どかないよ。私のお父さんだもん」
「——っ!」
須玖師縫衣は唇を噛む。まさか生徒の中に自発的に校長に味方する人間がいるとは思わなかった。しかし己の意思で父親の味方をすると言うのなら、殺さざるをえない。
須玖師縫衣は説得を試みる。
「そこを退いて! あなたのお父さんは殺気遣いで大犯罪者なのよ! 社会に背を向けた、殺害対象なのッ!」
「でも私には背を向けなかった!」
ミツミちゃんは予想外の迫力で怒鳴り返す。
「私を虐待していた母親から引き取ってくれたのはお父さん。可愛い服を着させて、温かいご飯を食べさせてくれたのもお父さん! お皿を割っても殴らないでくれたのもお父さん! いい学校に入れてくれたのも、私が二度と虐げられないように他人を虐げる方法を教えてくれたのも、全部全部全部お父さんなのよッ!」
小さな身体から放たれる圧力に、圧倒的強者であるはずの須玖師縫衣が気圧される。ミツミちゃんは殺気遣いですらないのに。
「私は自分で戦うのが苦手でね」
福永校長は娘のミツミちゃんの頭に手を乗せ、撫で始めた。
「この名門中学の校長の座を獲得した時もそうだった。他人を操り、競わせ、最後に美味しいところを頂いていく。基本的な殺気術は使えるが、私の得意は他人に他人を攻撃させることにあるんだ」
そう言うとミツミちゃんの頭を撫でていた手から、福永校長の殺気がミツミちゃんに流れ込んでいく。
「私の得意な殺気術は〈与〉と〈操〉。特に自分の血を分けた娘とは相性もいいようでね。他の子には薄い〈轟〉しか付与できないが……」
ミツミちゃんの身体から物凄い勢いで殺気が立ち昇る。その業火のような〈轟〉は明らかに須玖師縫衣の出力を上回っていた。
「どうだ? この子は私の強固な剣にして忠実な兵士。自らの意思で動く人形。〈術〉など遣わず、幼いころから教育を施した——一生私から離すつもりのない、宝物だ」
その、娘を人としても見ていないような言葉に——ミツミちゃんは頬を赤くして父親を見上げる。
「宝物だなんて。お父さん、私が一生守るからね」
「うん。私がミツミを守り、ミツミが私を守る。それで私達は無敵だ」
二人はまるで穏やかな家庭の幸福な父娘のように見つめ合い、微笑み合った。
が——ミツミちゃんの笑顔は父親に向けた純粋なものだった一方で、福永校長の笑みには明らかに邪悪なものが混じっている。
気持ち悪い。気味が悪い。善悪も分からないうちから施された洗脳によって悪に染まったミツミちゃんは——ミツミちゃんから見れば、親子愛に溢れた存在なのだろう。そう、自己を認識しているのだろう。
「他人に踏みつけられたくなければ、他人を踏みにじるしかない。さあ、いきなさい、我が愛娘——蹂躙の時間だ」
「うん、お父さん」
ミツミちゃんは右腕を振りかぶり、思い切り横薙ぎに振り抜く。ほとんど素人の攻撃であり、須玖師縫衣は一歩下がってその腕を躱した。が、同時に放出された莫大な殺気が須玖師縫衣の身体を真横に吹き飛ばした。
校庭の土の上を十数メートル滑って止まった須玖師縫衣は口から血を吐いていた。須玖師縫衣の強固な〈轟〉を突破できるほどの威力なのか。
ミツミちゃんは即座に追撃に移る。殺気量に任せた跳躍で一足で須玖師縫衣との距離を詰め、上からそのかぎ爪状にした左手を振り下ろす。
体勢が崩れていた須玖師縫衣は躱せず、頭上で腕を交差させて〈集〉で殺気を集め、その一撃を受け止める。
「あは、アハ、アハハハハハハハハハハっっっっ」
しかしミツミちゃんの攻撃は一度では終わらない。何度も、何度も何度も何度も腕を振り下ろす。振り下ろしと同時に放出される殺気が周りの地面を抉り、二人の姿は徐々に地面に沈み込んでいった。
「アハァッッッッ!」
辛うじてミツミちゃんの頭が見えているくらい沈んだ後、一際大きな殺気が炸裂する。追撃でもう片方の腕を振り下ろそうとしたミツミちゃんは、頭をかしげて須玖師縫衣の身体から飛び離れた。そして福永校長の元に戻っていく。
福永校長はミツミちゃんの頭に再び手を当てる。福永校長の殺気が手を伝ってミツミちゃんへと流れていく。
僕と同じく充電が必要なのか? ——そう思いながら僕は全身からやや強めの電流を放出する。僕の〈轟〉に触れていた女子中学生十人ほどの意識を電撃で刈り取り、その周りから群がって来る女子中学生をいなしながら、須玖師縫衣のいるクレーターを目指す。
須玖師縫衣はクレーターの底でまだ腕を交差させたまま、来ない攻撃に備えていた。〈轟〉も〈集〉も見ていられないほど弱弱しくなっており、辛うじて保たれていた意識も、今にも途切れそうだ。
僕は須玖師縫衣の名を呼び、少し瞳に光が戻ったのを見て、身体を助け起こす。そこへ女子中学生達がわらわらと群れてくる。数を減らしたとはいえ、まだ百人ほどもいる。世の中にはこれほど多くのJCがいるというのも新たな発見だった。
「……今は、そんなことを言ってる場合じゃないでしょ……」
須玖師縫衣が碌に動けないので僕がカバーしながら戦うが、如何せん数が多い。須玖師縫衣の今の〈轟〉では手加減した僕の電撃も通ってしまうので、無造作に全方位電撃を放つわけにもいかない。
「……ここは一度引こう。相性というより……条件が悪すぎる。一度帰って他の殺気遣いの手を借りて……」
「……その間に逃げられそうだけど」
「仕方ない……どうしようもないよ。ごふっ」
須玖師縫衣は吐血しながら苦しそうに、悔しそうに声を漏らす。確かにそれしかないかもしれない。が、そもそもミツミちゃんが逃がしてくれそうになかった。
スカートを翻した女子中学生が乱舞する視界の隙間から、再びミツミちゃんが轟炎のような殺気を纏ったのが見えた。対して福永校長の方は顔を青くさせて冷や汗をかいている。あの様子は何度も見たことがある。殺気が底をつきかけているのだ。福永校長はこれまで膨大な数のJCを操り、莫大な量の殺気をミツミちゃんに渡したはずだ。元々殺気量が多いタイプなのだろうが、流石にそろそろ燃料切れのようだった。
あと一手。あと一手、あの暴虐なミツミちゃんを避けて校長本人に肉薄する方法があれば、校長は倒せるかもしれない。だが機動力と破壊力を併せ持った今のミツミちゃんを躱す手段なんて、僕達二人にはない。須玖師縫衣はほとんど動けないし、僕もそこまで移動速度があるタイプではない。人一人を感電死させられるほどの電力を僕はまだ溜め切れていないし、そんな時間もないだろう。
蹴鞠なら。優秀な頭脳を持った彼女ならここでどうするだろう。しかし蹴鞠は一切殺気を扱えず、戦いには加われない。
ミツミちゃんが跳躍すると同時に僕達の周りにいた女子中学生達が一斉に離れる。僕達から遠くにいた十人ほどが福永校長に近づいていく。殺気がほとんど切れたため、一応の肉壁を用意するつもりなのだろう。
そしてそれは正しい。ただでさえ正面にミツミちゃんがいるのに、その周囲をも固められてしまっては、僕の〈放〉で福永校長だけを射貫くことも不可能だ。
一瞬で僕達の頭上に現れたミツミちゃんは、両腕を頭上に掲げた。繰り出されるのは技術もへったくれもないただの振り下ろし。しかしあまりにも暴虐的なその一撃を、僕は無理だと悟りながらも、防ごうと試みる。
振るわれる両腕とそれに追従する膨大な殺気。それらが校庭を抉り、僕らの身体を引き裂き、命の灯を吹き散らす——かに思えた。
突如としてその暴力的な殺気が掻き消える。掲げた僕の腕を抉り取るはずだった両腕は力を失い、ぱしんっと、僕の両腕を叩くだけに終わる。
「きゃっ」
身体を包む殺気がなくなったことで、空中で身体のバランスが取れなくなったミツミちゃんは勢いのままに僕に向かって落下する。年相応の女の子に見えて、思わず抱き止めてしまった。唇同士が触れ合いそうになる。
「…………」
「…………」
唇を尖らせてみる。
殴られた。
「そっ、それよりなんでっ。お父さんっ」
ミツミちゃんは振り返る。僕もその先に目線を転じる。何がどうなったんだ?
視界の先では福永校長がうずくまっている。そして四つん這いになったその背中からは家庭科で使うような包丁の柄が伸びていた。丁度左胸、心臓の辺り——即死の致命傷である。
そしてその背後に立っていたのは、この名門女子中学校のセーラー服を着た髑髏躑躅蹴鞠だった。
終わってみればごくごく簡単な話で、蹴鞠は福永校長の〈術〉から生徒を武器にしてくると予想し、更衣室にあった体育の授業中の生徒のセーラー服を勝手に拝借して生徒達に混ざった、というだけのことだった。一人だけ校舎の一階から出てきた生徒がいたが、保健室に行っていた生徒などではなかった。他の生徒と一緒に二階から飛び降りでもしたら足を折ってしまうような、一般人以下の肉体強度しか持たない蹴鞠だったのである。女子中学生が纏っていた〈轟〉はかなり薄いものだったので、蹴鞠が生身だったとしても、よく見ないと気がつけない。
「あなたが自分の生徒の顔を覚えているくらいの良い先生だったら、死ななかったかもね」
力尽きて校庭に倒れ伏した福永校長を見下ろしながら、蹴鞠はそう言った。
「お父さん、お父さんっ!」
福永ミツミちゃんは父親の元に駆け寄り、必死に揺り起こそうとする。しかし反応はなくただゴロンと、物体のように地面に転がるだけだった。
「あっ、あっ、あああぁぁぁぁぁあああっっっっ」
膝を着き、頭を抱え、絶叫して泣きじゃくる。ミツミちゃんの慟哭は、心の底から父親の死を悼むもので、その迸る哀しみの旋律には、僕も少し沁みるものがあった。
ミツミちゃんは長く、永く哀哭し、やがて立ち上がった。
「殺してやる」
ミツミちゃんから殺気が立ち昇る。福永校長の殺気ではない。まさに今覚醒したミツミちゃん自身の殺気だった。
「お前ら全員! 八つ裂きにしてやるッッッ!」
瞬間——ミツミちゃんを僕が放った電流が襲う。感情は理解できても、それとこれは話が別だ。凶暴な殺害対象になりつつあるミツミちゃんを放置しておくことは出来ない。
「ぐううううぅぅぅっ」
数分間の蓄電時間があったので、かなり強力な電撃が放てるようになっている。殺気は残り少ないが、流石に覚醒したてで、扱える殺気量も少ないミツミちゃん如き簡単に制圧できる、そう思っていた時代が僕にもありました。
ミツミちゃん自身も、父親の殺気を纏って戦っていた時とは勝手が違うことに気がついたようで、憎々し気な眼を僕に向け、吐き捨てる。
「クソがよッ……。いいぜ、テメーは後だ」
再び振り返ったミツミちゃんは僅か二メートル先にいる蹴鞠へ向かって、電流に耐えながら一歩一歩進んでいった。本来あの殺気量で耐えきれるような電撃じゃない。ほとんど精神力だけで歩いているはずだ。信じられない。
「ガ、ア、アァァァァアアアッ」
ミツミちゃんが咆哮を上げながら一歩、また一歩と近づいていく。
蹴鞠に逃げるよう僕は叫ぶが、蹴鞠はミツミちゃんを睨みつけたまま動こうとしない。ミツミちゃんがあと一歩のところまでたどり着き、肩の上で拳を振りかぶった。それでも——蹴鞠は瞬きひとつしない。
瞬間、ミツミちゃんの身体は吹き飛んだ。校庭を二十メートル以上転がり、校舎の壁にぶつかって止まる。須玖師縫衣が最後の殺気を振り絞ってミツミちゃんを殴り飛ばしたのだ。
僕も急いで蹴鞠の元まで向かい、ミツミちゃんと蹴鞠を遮るように立つ。
校舎の壁に打ち付けられたミツミちゃんは土煙が収まった後、ゆらりと幽鬼のように立ち上がった。
顔を伏せたまま、震える指で僕らをさす。
「お前ら……お前らだけはいつか絶対に殺す」
長い髪に隠れて表情は窺えない。しかしその業火のような怒りの丈は明確に伝わって来た。
僕らにそれだけを告げると、強化された身体能力でミツミちゃんは校舎を駆け上がっていき、屋上に姿を消した。
僕らに追いかけるだけの余力はもう残っていなかった。
後日談。
「学校教師は勉強を教えるのが仕事だぁ? そんなこと言ってたのか、あのクソ教師は?」
次の日に〈森の狩人〉本部でミーティングをしていた時、担任教師との会話内容を報告していた僕に蹴鞠はそう言った。
「学校ってのは保育園、幼稚園の系列だろーが。つまり勉強じゃなくて、人間的に育てることが第一の仕事なんだよ。勉強第一なのは塾とか予備校だっつーの」
髑髏躑躅蹴鞠は指摘する。寸前まで助けなかった罰ゲームで椅子にされている須玖師縫衣の膝の上で。
「背もたれが柔らけーな。もぐぞ?」
「ひっ」
須玖師縫衣からもいでも君の大きさは変わらないのだよ、蹴鞠さんや。これは教育が必要かな?
――――髑髏躑躅蹴鞠の教育〈完〉