悪役育成プログラム ついに始動
ひとまず、正に、悪役育成プログラムとか言った俺を殴りたい。はあ?異世界転生にテンション上がって厨ニが発症してしまった。かゆい、痒すぎる。全身がかゆい。
「ロザリー、洗濯物ここにおけばいい?」
「ああ、其処に置いておいてください。いつもありがとうございます、坊っちゃん」
「いや、ロザリーがいつもほぼ一人で家事やってくれてるし。少しくらい手伝わせて」
「やっぱり、坊っちゃんはお優しいですね」
これが最近のこの屋敷の日常である。
あれから、約1年が経った。俺は2歳半。歩けるようになったし、話せるようにもなった。俺の言葉が達者なのはジャンの英才教育と血のおかげということになったので、疑われることはなかった。
半年前は転生したてで、かなり厨ニが爆発しており「これが悪役育成プログラムか…」等と供述していたが、よくよく考えると、ここでの出来事は其処までじゃなかったんだと気づいた。マリッジブルーならぬ、テンセイブルーだっただけだ。ただちょっと可愛い女の子から睨まれたってなんだ。いつも、会社でセクハラに怯えて生きてきたんだ。今更じゃないか。俺は中間管理職をこなせた人間だぞ。周りから嫌われるなんて、今更じゃないか。そう考えるようになったのだ。
だから俺は、歩けるようになってから進んでみんなに話しかけ、お手伝いをし、愛嬌を振りまいた。己の目標実現のため、手段を選ばぬ狡猾さ。うん、なかなかに悪役っぽいのではないか。
そのかいあってか、四人の目が少しずつ柔らかくなっているのは俺の勘違いじゃない…と思う。
「…97,98,99,100!終わったー!」
「なかなかいい素振りっすね、坊っちゃん。だいぶ体もしっかりしてきたようですし」
剣の稽古をつけてくれているのは、コックのシリルだ。
元はクラウド家の剣士だったらしい。ロザリー以外のここにいる使用人はすべて本邸に仕えていたものなのだそうだ。護衛と家庭教師を兼ねて、ここにいるらしい。
「だろ?きのうよりも剣がかるく感じるんだ」
「いい感じになってきてますよ、ほんと。坊っちゃん、強く生きてくださいね」
そう言って、シリルが俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。本当に優しい目になった。目の奥にある悲しみみたいな物は拭えてないが、これは俺に対してというより漠然としたもののように感じるから、時間がかかるんだろうなあ、なんて少しのんきに構えている。
「坊っちゃん、クラウド家の人間にはあらゆる強さが必要です」
これは、剣を教えるシリル、勉学を教えるジャン、魔法を教えるマリーが口を揃えて言うことだ。
強者たれ、この意見には俺も同感だ。悪は強くなくてはならない。弱い悪役はただの雑魚にすぎず、意見を言うことすらできない。おれはそう信じている。
でもこの時、俺は本当の意味での「あらゆる強さ」の意味もシリルの奥底の悲しみも、少しも分かっていなかった。
夕食の時だった。
「今日の夕飯はあさりのスープと鮭のムニエルに、梨の生ハム巻きっす。冷めないうちにたべちゃってくださいね」
シリルが用意してくれるご飯は、生活習慣病にならなそうな感じで過度な油分や糖質が軽減されつつも、旨さはそのままって感じで、本当に美味しい。
「今日のご飯も相変わらず美味しいな、こんな美味しい料理を毎日食べられるなんて俺は幸せだ」
食の感謝を伝えることは大事だ。今日の感謝が明日の美味しい料理に繋がるんだ。俺は、礼を言うため、シリルの顔を見た。
「…そっすね、そう言ってもらえるとコック冥利に尽きるっすね」
心做しか言葉に詰まったような気もするが、直ぐに屈託のない表情を浮かべたので問題はないだろう。
「うん、このアサリのスープなんかはほんとに美味しいぞ…うんうん……ってうわあ」
俺は勢いよくがっつきすぎて、スープをこぼしてしまった。中身大人なのに、なんて子供臭いミスだ。恥ずかしい、とても恥ずかしい。俺があまりの恥ずかしさに肩を震わせていると、気を使ってシリルが声をかけてくれた。
「えーと、坊っちゃん。お代わりもありますけど、なさいます?」
「いや、いいよ。大丈夫、ありがとう」
「そっすか、なら良いですけど」
シリルが気を使ってくれるのがわかる。済まない、シリル。子供が好きなものこぼして、泣きべそかいてるように見えるよな。でも、俺はただいい年してはしゃいでスープをこぼしたのが恥ずかしいだけなんだ。それで、普通におかわりって言えるほど神経が図太くないだけなんだ。
でも、本当の問題はこのあと起こった。
特に問題もなく食事を終え、自分の部屋に帰っている途中だった。
どくん
心臓が大きく、跳ねた。
俺はアサリスープをこぼした恥ずかしさが心臓にダメージを与えたのか、そう一瞬は思った。
でも多分違う、これは本物だ
息が苦しくなり、呼吸も浅くなる。足にも力が入らない。体もどんどん暑くなっていく。足元がふらつき、立っているのがやっとだ。
何か、何かにつかまりたい。せめて、何かによしかかりたい。
俺は咄嗟に近くにあったドアに手をかけた。足元がふらつき、ドアノブに寄りかかってしまった。勢いよく、ドアが開く。俺は、支えを失い、ドアの中へと倒れ込んだ。その部屋は普段立ち入らないよう言われている部屋だった。
かすれゆく景色の中、俺の目に飛び込んだのは
規則的に飾られた子どもたちの肖像画
最も手前に飾られた肖像画の絵の下に記された
享年 二歳五ヶ月
その文字だった。
「坊っちゃん!!!!」
遠くから聞こえる誰かの呼ぶ声。俺は意識を手放した。
そして、俺は後に知ることになる。
此処に飾られた子供の肖像画の数は12個。
そしてその全員がもうこの世にいない俺の兄弟である、ということを。