Rain
天気の話です。
どうぞ。
雨がふっている。
どちらかというと小雨な方で、傘の上で小気味良い音を立てながら弾かれる。
何か嫌なことでもあったのかな、と僕は思った。
ぱたたた、ぱたたた、と頭の上で垂水による演奏が繰り返されており、何だかそれは「プリンを買ってこい」と言っているみたいだった。
「というか本当にねだってるな、これ」
ポケットの中に突っ込んである左手で小銭を弄んでみるけれど、どうにもプリンを買うには少し足りていないらしい。
「……明日も、雨か」
そんな気怠さも多少は和らぐかなと溜め息を吐き出してみたけれど、そんなのは無意味だったようで、明日の天気のことを考えると今度は自然と溜め息が漏れてしまう。
雨足が強まった。それが焼きプリンを要求していることに気が付いて更に億劫になる。
ついに雨が傘をこれでもかと殴り始めたところで、帰ってからの言い訳を考えることにした。
*
プリン、とだけ少女は呟いた。
まるでそれ以外は何も欲していないとでも言いたそうな声音で、毛布で小さな自らの体躯を包みながら、僕を見据える彼女は呟いた。
「お金が足りなかったんだ。明日買ってくるよ」
僕がそう答えると、少女は「そう」とだけ応じて視線をどこかへ投げやった。言い訳は必要なかったか、と少しだけ安心してみるも、外では横殴りの雨が唸りを散らし、この部屋の窓を必要以上に叩いていた。どうしたものだろうか。
僕はそのまま彼女の隣に腰を下ろす。
「何かあったのか」
「……」
「まあ、答えたくないなら別にいいけど」
彼女の頭を撫でてあげると彼女は「ん」とだけ頷いた。
* * *
どしゃぶりの雨だった。
槍とも然程変わらないような水滴が空からアスファルトに打ち突けていた。昨日から不機嫌なこの天気をどうにかしたいものだが、あいにく当の本人は出掛けていて、今すぐどうにか出来る状況ではなかった。機嫌を損ねてしまう可能性があるのであまり出歩かれても 困るのだが、そんなことをあの子に言ってしまっても機嫌を悪くしそうだから結局は彼女の好きにさせるしか他無いのだ。
それなら、と重たい腰を持ち上げて僕は家を出た。ポケットの中には折り畳まれた一万円札が二枚、それから数えるのも面倒な小銭達が無造作に詰め込まれている。昨日の教訓を活かして、しばらくはある程度お金を持ち歩くことにした。
今はどうにか出来なくても、彼女の好物を用意しておくくらいのことはやっておくべきだろう。
この街に大災害が起きてしまうより、僕が潔く濡れてしまったほうが利口な判断なのだから。
*
自宅であるマンションからはそんなに遠くないコンビニに僕は向かった。
到着してみた頃には、予想通りズボンの下半分は水没してしまっている。ここまでくると傘をさしていることが逆に馬鹿馬鹿しく思えてきた。周りを見回してみても人はほとんど見当たらない。まあ、こんな大雨の日に外に出たがるのなんて気を病ました少女くらいだろう。それを想像して憂鬱になりながら傘を閉じた。
溜め息もマンネリ化してきたので、代わりに傘立てに雑に差し込む。
コンビニの中に入ると、見知った女性店員がこちらをみつけて微笑んだ。
「お、いらっしゃい少年」
「どうも店員さん」
そんな風に挨拶を交わす。何度目かになる、もう慣れてしまった不自然な挨拶だ。
僕と彼女はお互いの名前を知らない。彼女が僕を「少年」と呼ぶのは、向こうがこちらの名前を知らないからで、それでいて僕が名前を伝えないからでもある。
僕がここの常連客になったのが十五で彼女から「少年」と呼ばれ始めたのが十七だから、今年二十歳を過ぎた僕としては、そろそろ少年もどうなのだろうかと考え始めてしまう。歳だってたいして違うわけでもない。せいぜい店員さんが三つか四つくらい上なだけだろう。
まあ……。
それでも、どう呼ばれようがどうでもいい。彼女だって僕の名前なんかに大した興味もないだろう。
客と店員。
それだけを分かっているのなら事足りる。
幸い、コンビニの中には客は僕以外にはいないらしいので迷惑はかからなそうだった。僕は商品棚のプリンをあるだけ篭に入れると、それをレジへと持っていった。
「すごい量だね。あの子の好物だ」
「ええ、まあ」
僕は軽く応じてポケットの中のお金を全て取り出した。
「これ余った分、いつもの煙草買えるだけ頼みます」
「うわ、相変わらず雑過ぎるよ君。私の苦労も考えてもらいたいもんだ」
「すんません」
僕が反省の色の薄い謝罪を見せると「ま、いいけどさ」と店員さんは苦笑う。
プリンのバーコードを読み取りながら店員が口を開く。
「この雨、原因は?」
「わからんです。聞き出そうとして機嫌悪くされても困りますし、そうじゃなくても今は外出中で」
「じゃあ上司の人には何て報告するの?」
「最近は毎日『寝不足』にしておいてます」
「雑だね。バレるでしょ?」
「昨日あたり叱られたんで、そろそろ『生理』とかにでもしておきますよ」
「あ、女の子舐めてる言い方だそれ」
「報告さえ済めばそれで良いんですから、そりゃいい加減にもなりますって。ただでさえ面倒な仕事なんですから」
僕が答えると、手際よくプリンの山をさばきながら店員さんが「へえ」と相づちをうつ。
「この街の気象管理士ってのも大変だねぇ」
気象管理士、と僕は反芻してみたけれど、僕の仕事内容ではまったく違うものにしか思えない。というより、事実そうなのだろう。
この街では一人の女の子の気持ちが天気に反映してしまう。
その子の機嫌の調節や管理。なぜ天気がそうなってしまったのかを彼女の様子から判断をして、それを上の者へと伝える。そんな下らないことが僕の仕事だ。
だが、決して楽な仕事ではないのも事実だ。
なにせその天気少女だってもう十三歳だ。いくら今までどうにかなっていたからといっても、思春期の女の子の機嫌を理解するのなんて無理に近いだろう。
その証拠に、ここ二週間程この街に晴れは訪れていない。
「あー疲れた。えっと、一万二千八十六円になります」
考え事をしていると、いつの間にか袋に詰め終えた店員さんが息をついたところだった。
「お疲れ様です」
「まったくね。あ、これとそこの放置された小銭達お釣りね。あとレシートは袋のなかね」
「あ、どうも」
「はいどうぞ」
店員さんが小銭を握る手をこちらに差し出す。
「……」
僕はそれを黙って見つめる。
もう、少女のことは頭になかった。それどころか、何も考えていないようでもある。
頭が空っぽになっていたことに気付いた頃には、僕は店員さんの手を掴んでいた。どうにも、あの子のお世話をすることになってからはストレスも疲労も積み重なる一方だったらしい。「うわ、変な疲れ方してるなぁ」と内心ぼやいてみるが、まあこれも良い機会だろう、と店員さんの手をもう少しだけ強く握ってみせる。
一瞬驚いた顔を見せた彼女は表情を微笑みに変えて首を傾けた。
「ん、どうかした?」
そう聞かれて僕は答える。
「今日何時ごろ終わりますか? つか、予定とかあります?」
「あら、私口説かれてんの」
「駄目ですか?」
「というより、いきなりで驚いたかな」
「良いでしょう別に。最近女成分が足りてないんです」
「私を抱きたいなら、まずはお釣りを受け取ろうか」
彼女は捕まれた腕を解いて、無理矢理僕にお釣りを渡した。
僕はわざと口角を上げて言う。
「茶化さないでくださいよ」
彼女の方も口元だけの笑みを作って答える。
「何て言うかね。損な役回りにはなりたくないんだよね。君のストレスや性欲の処理だけのために手を握られたとなると、少し気に入らないな」
そう言われてしまうと、こちらも弱くなってしまう。ポケットにお釣りと余った小銭を雑にしまいこんでから、仕方なく僕は指を三本立てた。
「これで」僕は言う。
「足りないかな」店員さんが言う。
「優しくもしますし、大切にもしますよ。これで我慢してください」
「保証の無い愛に頷くのもねぇ。せめてあとひとつくらい上げてもらわないと」
「いいですよ、それで」
僕がうなずいて袋を手に取ると、店員さんは小さく溜め息をついた。
「馬鹿な男。もう少年なんて呼べないじゃない」
「実際、呼んで欲しくもないですよ」
「あっそ。今日は八時にはあがるよ」
「ならいったん報告済ませて、十分前くらいに迎えに来ます」
それじゃあ、また後で。そう残して僕はコンビニを出た。
その日の夜は、店員さんの部屋で過ごした。
愛を見付けきれないまま、彼女とは身体を重ねた。
店員さんが僕を少年と呼ぶことも無くなった。
それからもうしばらくは、雨の日が続いていた。