第八話 『日常は、当たり前じゃなくて』
ヨウの動きはいつもと比べ他者にも気づかれるほど緩慢だった。
都合のいいのか悪いのか、体育の時間は選択のバスケで。
ファンブルを繰り返したり、スクリーンに簡単に引っかかったりと、その様は普段とは比べ物にならず、怒られるどころか心配される始末だった。
このままでは部活にも支障が出ると判断したのか、心配の声を上げてくれるシンジとソウマだったが、ヨウはあまり積極的に話をしようという気にはなれなかった。
何かあったのかというその視線にヘラヘラと笑いながら謝りつつ、脳内ではさまざまな可能性を考慮していた。
店長との一件がほかの吸血鬼にバレてしまったのだとしたら。狙いはヨウであり、夜の時間帯に襲われるのでは?
自意識過剰だと笑われるかもしれないが、実際その可能性は低くはない。
部活の終わりの時間は他部活と比べても遅く、その後に話し合いとなればその時間帯は夜と言える。
半年近く接してきた店長でも、ヨウは噛まれる直前まで彼女が吸血鬼だと気づかなかった。
日常に潜む狂気など、案外目の前にいるのかもしれない。
「……こっちをじろじろ見てどうしたんだよ」
「……え、あぁ。なんでもないなんでもない」
「朝からずっとそんな調子だよな。何かあったのか?」
昼飯の最中、いつもの二人組にサッカー部三人を含めた六人が、一つのグループとなっている。
他の奴らが携帯ゲームに夢中になってる中、シンジは弁当のウインナーを食いながらそう問いかけてきた。
「ヨウって結構バイト入れてたけど、あれなのか。バイト先無くなったからどうしようって悩んでたのか」
「あー、そういうこと? 今結構金欠なの?」
シンジの的はずれな推理に、納得の表情でソウマも問いかけてくる。
見当違いだが、この嘘の方が都合が良さそうだと判断したヨウは、愛想笑いのまま話を合わせる。
「あはは……貯めても貯めてもすぐどっか行っちまうんだよなぁ……」
「塾にも行かずバイトバイトで……それでその成績だもんなぁ。俺なんか塾行ってバイトしないでこれだぜ?」
自嘲半分嫌味半分で自身の頭を指さすシンジ。その行動にもヨウは愛想笑いで返すしかない。
ヨウの成績は中の上ランクだ。当然、本当に塾に行ってたり勉強している人間には適わないが、バイトが終わって家に戻れば勉強はしている。そうでもしないとこの学校の学力には追いつけないからだ。
「これって……お前はどーせ寝てるんだろ塾でも」
「あらま、バレてた?」
「運動はできるのにねーシン君」
「は、が余計だ」
会話に乗ってきたソウマに、シンジが手刀でノリツッコミ。野次馬のごとくサッカー部組も会話に参加し、グループは一気に騒がしくなる。
――店長たちとの日々は変わったけど、こいつらとの日々は変わりそうにないな。
互いに互いをふざけ合わせ、笑い会う五人を見てヨウも自然と頬が緩む。
「あっ、ヨウてめー何笑ってんだよ。言っとくけどな、お前も上位クラスじゃないからな真ん中だからな! 真ん中!」
「でもお前一番下じゃん」
「うるせぇ!」
遂にはサッカー部の奴からも馬鹿にされ、シンジは癇癪を起こす。
ちなみにソウマは運動はあまり得意ではないが、学力的にはトップクラスに入り、シンジはシンジで勉強はからっきしダメだが、一年生ながら時々スタメンに選ばれるくらいのレベルだ。
まさに両極端。良くもまぁここまで違う二人組がこんなに仲良いものだと、ヨウは他人事に感心する。
ちなみにサッカー部員は三馬鹿と呼ばれており、シンジと同類となっている。
本人たち曰く至って不本意らしい。
「もー許さねぇ。今日のバスケのワンオンワンでコテンパンにしてやるよ!」
憤慨し、鼻息荒くヨウを指さすシンジ。目をギラつかせ、割と本気でそう言ってる節がある。だがそんなシンジの熱は、
「コテンパンとか今どき使わないだろ……」
「え、マジ?」
ヨウの冷静でツッコミどころの違うツッコミに、あえなく鎮火したのであった。
―――――――
「いやぁ! まじで疲れたうごけねぇー!」
「動いてんじゃん」
「気持ちの問題ー!」
タオルで豪快に汗を拭き取り、走りながらこっちに来るシンジにヨウはツッコむ。
学校でも、部活内でもこのスタンスは崩れない。
ボケ担当シンジにツッコミ担当ヨウ。両刀使いがソウマ。
ちなみにシンジは至って真面目である。真面目でこれなのだ。
「いやぁ、秋大会もあるし練習メニューいつも以上にきつかったなぁ」
「危うく吐きかけたんだけど」
「体力ないもんなぁソウマ」
うちのバスケ部は部員数が他校と比べて少なく、所謂一軍二軍制度はない。全員が全員、同じ場所に向かって部活動を続けることが出来るのだ。
なのでレベル差があれば必然的に低い方が辛いわけで。
ソウマは青い顔をしながらフラフラと歩いている。もともと体力が少ない方だったものの練習には食らいついていたソウマだったが、今回の件メニューは容量を超えていたらしい。
「あー、帰って飯食いたいけど、このあとまた体育館に集まるんだっけ? 志村先輩見かけなかったけどなぁ」
「そのうち来るんじゃない? 汗ベタベタだし早くはいろーよ。座りたい」
「座ると余計気持ち悪くなるぞ。まぁ部室に早く行くのは賛成だけど。もしかしたらもう体育館にいるのかもしれないし」
志村の話題に、ヨウの顔色はまた少し悪くなる。考えすぎであればそれに越したことはないが、二度あることは三度ある。それならば一度あったことだっていつ二回目が来てもおかしくはない。
志村は今どき珍しい熱血系だった。一年生にも練習を積極的に参加させては自分から一年生に関わりを持ちに行き、自身の知識で存分に一年生の育成に尽力を尽くしていた。
ヨウもそのうちの一人だし、彼が善人だというのは経験でわかるが、人間の裏の顔までは読み取れない。
店長と同じように、思ってもみなかった人物が吸血鬼だったと言う可能性が、ヨウの脳内を一々駆け回る。
いざとなったらセイヤから受け取った電話番号でセイヤに連絡をしよう。
あの日の夜、セイヤは万が一だと言ってヨウに電話番号を教えてくれた。
吸血鬼に出くわした一般市民は、口封じの意味も込めて数ヶ月間監視対象、保護対象となるらしい。
下手に嘘をつかないでくれたおかげでヨウは安心してセイヤと電話番号を交換し家に戻ることになった。
監視対象ということは、今のこの行動も見られているのだろうか。そこまではさすがに杞憂だと信じたい。
「おーい、ヨウ。何してんだ、間に合わねぇぞー?」
「ああ、悪い悪い。今行くよ」
念には念を。ヨウは携帯の電話帳を一度確認し、閉まってから走り出した。
―――――――
「久しぶり。遅かったな。みんな」
一年、二年生を見回し、前部長の志村康太は笑う。
懐かしい顔に一年生二年生も自然と笑みがこぼれ、体育館内は穏やかな空気が流れる。
体育館内は時間により窓も閉められ、制服を着ているため蒸し暑い。
それでも、志村との話し合いが嫌というわけはなく、むしろ望んでいる方向だった一二年生は、誰一人座ることなくたって話を聞く。
「お前達はもうすぐ大会が控えている。特に俺たちが引退してから二年生が主体となる初めての大会だ。当然、他の高校もこの大会に特に力を入れている」
腕を組み、英雄譚を語るように熱を帯びた言葉を並べる志村。
また始まったかと苦笑いを浮かべる後輩たちだが、志村がそれに気づくことは無い。
熱血、過保護など、よくいえば聞こえはいいが、割とその温度差は感じる節があり、初めの頃はこの空気感に一年生ら慣れなかった。
だが、二年生からこんなキャラなんだよと言われてからは、志村の熱血さに温度感を感じることは少なくなっており、今となっては昔の話となっている。
「そこで、お前達の力が更に伸びるようにこれから俺もメニューに参加しよう! 土日はさすがに無理だけど、平日なら行けるぞ!」
「はーい先輩」
「どうした木村!」
手を上げる二年生の先輩、木村大輔に、その方向を向きながら勢いよく志村はそちらを向く。
そんな志村の行動を見ながら、木村は冷静に、
「それって単に先輩が受験勉強サボりたいだけじゃないんすか?」
「……お前達のことを思って、だよ?」
――嘘が下手くそか!
思わず満場一致で内心に孕んだ声が聞こえてしまったのか、志村は咳払いをして話を戻そうとする。
「と、とにかく。お前達が練習や試合でもっと強くなれるよう心配して……まぁら話はそれだけだ。今日は遅いしな。本来ならグループにメッセージを送ればよかったんだが久々にお前達の顔が見たくてな。それじゃ、また明日。解散!」
好感度を戻そうとした志村だが、段々と薄い表情を浮かべてきた後輩軍団に早口で言葉を終わらせる。
好感度と言っても、ネタで言っているようなもので実際の好感度が下がったわけではない。
あくまでネタとして。本人には何故か未だに気づかれていないようだが。
そんな訳で、軽く脱線しながらも話し合いは終わり、ここで全員解散となる。
帰り道。いつもの三人組は、広い道路を歩いていた。
風は冷たく、頬や耳にあたる度にその部位が叫び声を上げている。
「いやぁ、先輩凄いなぁ。暇なのかな」
「受験勉強したくない半分俺たちを助ける半分だと思うよ。まぁ、有難いけどね」
シンジのボヤきにカロリーバーを食べながらソウマが答える。
部活が終わって受験モードとなった志村先輩が、音を上げてこちらに逃げてきたのだろう。優しく雑に扱ってあげようといえのが一二年生内での方針となった。
「はぁ……」
「どうしたヨウ。んな顔して」
「ん、あぁ。疲れただけだよ」
「そうだねぇ。ヨー君今日凄い走ってたしね」
ヨウのため息にいち早く疑問を口にするシンジと、2本目のカロリーバーを取り出してはたべながら感想を述べるソウマ。
悠長に話す二人と違って、ヨウの内心は安堵に満ち溢れていた。
体育館という密閉された空間。あの場でいきなり志村が吸血鬼と化し、ヨウたちを襲ってきたらなどという考えも当然脳裏にあり、こっそり携帯を握りしめていたのはヨウだけの秘密だ。
そうでないのなら、心配せず存分にバスケの練習に励めばいい。
心機一転し、ヨウは心の中で練習に集中することを誓ったのだった。