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第六話 『悪夢の再来』

 思い出したのは、初めて出会った頃。

 高校の合格が決まって、叔父の心配を振り切ってヨウは一人暮らしを始めた。


 世話をかけたくないとか、そんな他人を心配したことなんてない。理由は至ってシンプル。

 叔父の顔を見る度に、父親の顔が横に映り込むからだ。


 父親の死を、母親の死を、乗り越えて懸命に歩いていきたかった。そうなるために、立ち向かうことと逃げることの両方を選択した。


 叔父は優しかった。その気になれば遺産を独り占めできたんだろうに、彼はヨウの通帳に遺産を全て渡すと言い張ったのだ。

 詳しいことは脱税になるだの贈与税には色々かかるだのと言うことらしいが、何れにせよ全額ヨウに渡すつもりだと言った。


 これが、ヨウが人間不信にならなかった一つの要因だろう。頼れるべきものがなくなった人間ほど脆いものはないからだ。


 それでもいつかは金は尽きる。そうなる前にとヨウはバイト先を探した。

 向かっては落ちて、向かっては落ちて、半ば諦めかけていた時、店長に出会った。


 店長は気さくな人だった。

 言ってしまえば店長という威厳の感じられない。従業員と気軽に接しており、姉がいたらきっとこんな人なのだろうと思えた。


 彼女は他のどの人たちとも違った。上辺だけを語ったヨウに、店長は一言、本音を聞かせてくれと言ったのだ。


 失礼極まりなかった。相手の傷口をえぐる行為だった。

 でも、それでも、ヨウはそれを一番求めていた。


 ゆっくりと、覚束無い口ぶりで事情を説明すると、店長はヨウを優しく抱擁した。


 嬉しかった。上辺だけでヨウを心配していた人たちとは違う。本音を聞いて、そうして心から心配してくれた彼女が、嬉しかった。


 涙して、しばらくすると店長は席に着くように促した。

 言われるままに席につくと、店長は慣れた手つきでコーヒーを入れ始め、それをヨウに手渡した。


 両親がよく飲んでいたコーヒーの匂いが、ヨウの鼻腔をくすぐり、彼は何も考えず口に含んだ。


 その日初めて飲んだコーヒーは、まだヨウには苦くて、でも、とても暖かかった。


 ―――――――


「――もしもし、益原です……はい、そうです……はい、はい。よろしくお願いします」


 電話をかけ、要件を伝えたセイヤは携帯をしまい、店長の前にそっと膝をつき、白い布をかけてから手を合わせる。


 自身の手で殺した彼女への敬意を評し、セイヤは立ち上がる。


「……直に私たちの仲間や警察が来るわ。今日のところはもう帰りなさい」


 膝から崩れ落ちたヨウの肩に手を置き、ベティはそう言う。

 身近な人間の死を、死体を、見ることへの辛さを考えてベティはそう言うが、その前にヨウは聞きたいことが沢山あった。


「……俺も、店長も、助かる方法はなかったんですか」


「ないわ。吸血鬼の吸血欲は、ほかのどの欲望よりも強く、止めることなんて出来ないの」


 もう叶わない淡い望みを、ベティは優しさの剣で切り払う。

 それでも尚、往生際の悪いヨウは言葉を並べ歯向かった。


「それでも、殺すまではなかったじゃないですか……店長だって、生きてたのに」


「ええ、そうね。でも……もし仮に、貴方の大切な人が殺された時、それが吸血鬼によるものだったら、貴方は許せる?」


 問いかけ。

 それが一体経験によるものなのか、聞いた話によるものなのか。その真偽は分からないが、彼女は真っ直ぐにそう問いかけた。

 その問いに、ヨウも真っ直ぐ答えるしかない。


「……許せないと思います。それが吸血鬼でも、人でも」


「そう。許せないの。彼女たちは沢山の人を殺してきた。殺された人を大切に思っていた人も沢山いた。誰かが止めないと、それは繰り返されるの」


 言葉は続く。その言葉の一端一端を、ヨウは頷くこともなく聞いていく。


「吸血鬼による吸血欲は、他の欲求も取り込む。恋も、愛も、やがては全部吸血欲に変わって、その人を殺そうとするの」


「それは、止めようのない絶対的事実だ。だからこそ、俺たちも立ち向かわないといけない」


 そこで初めて、セイヤが口を開く。彼にも彼なりの信念があったのだろう。ヨウの瞳を、彼は真っ直ぐ見つめる。


「理由はいつだって単純だ」


「私たちは、善人なんかじゃない。守りたいから、誰かを傷つけるの」


「そう……ですか」


 納得したわけじゃない。むしろ納得してはいけない。

 だからと言って店長が殺されたのを、そう易々と許すのは、店長に失礼極まりない行為だったから。


 それでも、彼女たちの言い分は全て正論だった。自分たちを我儘なエゴイストのように言いながらも、根は単純で人を守りたいという欲求からなっていたからだ。


 ――分からない。この感情を、何処にぶつければいいのか。何処に渡せばいいのか。


 ヨウが立ち上がり、家に帰るまで、彼は十分近くその場に座り続けていた。


 ―――――――


 十一月。

 冷え込んだ朝と灰色の雲が、辺りやヨウの気分を落ち込ませる。

 いつも通る道。昨日の激動が行われた通り道は、工事中という看板と共に完全に閉じ込められていた。


 下手に警察を動かせば、マスコミやらなんやらが嗅ぎつけると思ったのだろう。近隣住民は特に気にすることもなく、迂回する道を選んでいた。


 吐き気がした。凄惨な光景が脳内をフラッシュバックし、血に塗れた彼女の優しい表情が、ヨウの心臓を締め付ける気がして。


 店も店長の親の容態が悪くなり、暫く閉まるという扱いになったらしい。

 これから他の従業員に誤魔化しを入れる、バイト先について調べたいのなら相談してくれ、と言ったのは他ならぬセイヤからの言葉だった。


 当分は、脳裏に現れるのだろう。仮病を使って休みたかったが、そういうわけにも行かず、ヨウは重たい足に更に鎖をかけられたまま登校する。


 何も考えたくないと、イヤホンを耳にさし、無心で歩いているうちに学校についた。


 教室は騒々しかった。あちらこちらにグループが出来、それぞれの娯楽のために会話を続ける。

 ここまで気持ちが下がったのは、いつぶりだったろうか。


「ヨーウ! おっはよー!」


「うお!?」


 暗い底に沈みかけたヨウの心が、後ろから思いきり肩叩きで強引に引き上げられる。

 驚き後ろを振り返ると、そこにはニヤついた表情でヨウを見る二人の男がいた。


「なーに下向いてんだ。徹夜したのか? 最近新しいゲーム出てたもんな。買ったのか?」


「あー、あれね。俺買ったよ。すげぇ面白かった」


「え、マジ? うっわやりてぇ土曜お前ん家行くわ」


「いいよいいよカモンカモン」


 そう言って勝手に盛り上がる二人組。

 いつも通りの小煩さに、沈みかけた表情が少し柔らかくなる。


「あぁ、シンジ、ソウマ。おはよ」


「おはよ、ヨー君。バイト疲れなのかな。クマできてるよ」


 そう言って長身の優男――三好颯馬ミヨシ・ソウマは自身の目の下を指さす。


 そう言えば今日は顔を洗う時に鏡なんてほぼ見てなかったなと、ヨウは目の下をぐりぐりと押しながらそう思う。


「ヨウも土曜来る? 部活終わったらソウマん家行こーぜ」


 ソウマの横で笑うのは、ツーブロ刈り上げカットヘアーの大原慎司オオハラ・シンジだ。


 この二人は同じ部活動、同じクラスということで特に仲が良く、二駅隣ということでなかなか頻繁につるむ仲だった。


「あ、でももしかしてバイト入れたりしてる?」


 いきなりバイトのことを聞かれ、ギクリとヨウは目を開く。


 ふだんからバイトを大量に入れているヨウなのだから、こう聞かれるのはある意味当然の帰結なのだが、タイミングが悪すぎてヨウはビクリとする。


「あ、そか。そうかもしれないのか。ならいっそヨウのバイト先の喫茶店行くか? 美味かったしな。あの店のコーヒー」


「あー、それもいいね。ヨー君、土曜バイト?」


「いや、実は店長のお父さんがちょっとやばいらしくって……暫く閉まってるんだよ」


 ヨウは口から出まかせに、自分でも驚くほどのスピードでセイヤと同じ嘘をついた。


「え、マジか。大丈夫なのかな店長さんのお父さん」


「暫くって言ってるみたいだしね。良くなるといいね」


 と、数回しか会ったことのない店長の、顔も見たことない親のことを彼らは心配する。

 そんな彼らの優しさを見ながら、ヨウの内心は焦りを生んでいた。


 ちゃんと、笑えていただろうか。口角が引きつっていなかっただろうか。声が震えてなかっただろうか。

 だが、ヨウの心配とは裏腹に、彼の声は驚くほど流暢で、嘘偽りを一切感じさせていなかった。


「じゃあまぁ、やっぱソウマの家に行くか。ヨウも来るだろ?」


「あぁ、うん。そうだな」


 気分転換にもなるだろう。

 いつまでも引きずっては居られない。両親を失った時も、立ち向かおうとしたではないか。


 笑みを浮かべ、ヨウが土曜日の約束をすると、二人はよしと嬉しそうに笑う。

 変わらない彼らの行動に、ヨウの心は少しずつほぐれていく。


「あぁ、そういやさっき聞いたんだけどさ。今日の部活の後、着替えたら一回体育館集合だってよ」


「体育館?」


「ああ、前部長がそう言ってたぜ。なんの理由かは知らないけどさ」


 前部長とは三年生の志村先輩のことだ。夏以降関わりが少なくなってきていたので、このタイミングで前部長の話が出てくることに全員軽く困惑しているようだ。


 シンジの言葉にヨウが分かったと言うと、ホームルームのチャイムが鳴り響く。

 また後でと二人は自身の席に戻り、教師がやってきた。


「前部長がか……」


 教師が朝のホームルームを続ける中、ヨウはポツリと小声を呟いた。


 何故だかわからないが、無性に嫌な予感しかしなかったのだ。


 ―――――――


 とある室内。ソファに座り込みながら、二人は向き合うようにして話をしていた。


「ねぇ、本当なの? 私には分からなかったけど」


「俺も絶対ってわけじゃないさ。でも、もしも本当なら」


 そう言って、セイヤはベティの目を見る。飲みかけの缶コーヒーを置き、静かに呟いた。


「Sランク吸血鬼に、あの子は殺される」


 悪夢は、終わらない。

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