第五話 『逢して哀して愛して』
目の前を過ぎる黒の槍に髪の毛を数本持っていかれ、残り数センチの差にセイヤは表情を固くする。
歯を食いしばり、全身の骨という骨に負荷をかけ軋ませ、体を反った状態から元の状態に戻して左拳の突き。
最短攻撃は大きなダメージにならないものの、十分相手の表情を歪める要因となり、セイヤはそのままバックステップをとる。
息を切らし、頭から出た血によって左目は見えない。腹部や腿、肩や顔から焼けるような痛みを感じるが、一々気にしていられる暇があるほど、敵はそれを許してくれない。
一方の敵も、顔には愉悦の表情を貼り付けつつも、肩で息をしていた。
銃弾によって貫かれた肩は未だ癒えず、槍を動かすのにも悲鳴をあげているのだろう。拳による突きだって相当な負荷がかかっているようで、所々で目立つ傷が付き始めたのは、彼女が隠力を回復に回さなくなったためだ。
薙ぎ払われる禍々しい槍を、動物的反射神経で顎先に掠める程度に終わらせ、回し蹴りを入れるも店長は槍を振り回して牽制しながら後ろに後退。
動きが加わる度に両者からは真新しい血が吹きだし、灰色のアスファルトを赤に染めていく。
赤い唇は血によってどす黒く色を変え、赤い瞳から赤い液体を垂れ流す店長は、もはや一種のホラー作品の一部だ。
「はぁぁ!!」
「るるぅぅあぁ!」
お互い、自身を鼓舞する咆哮を上げる。
セイヤは片目が見えないことによって遠近感が曖昧だ。しかし、それは経験で補えばいいだけの話。勝負に卑怯もクソもない。
店長の腕が下から伸びるように振られ、回避が間に合わないセイヤは銃で受け流す。爪を幾分かやられ、そこから流れる血液に痛みと熱を覚えるが、脳内麻薬のアドレナリンを駆使し、手加減なしで店長を蹴り飛ばす。
簡単に吹っ飛んだ店長は二、三度アスファルトの地面に体を打ちつけ、それでも尚靴底をすり減らしながらも体勢を立て直した。
「何十分も経ったわね……この日のために血を飲まなかったのが悔やみ切れないわ」
「本調子じゃなくてこれってことですか……まぁあんなに人間の世界に溶け込んでりゃ、それもそうか」
血がべっとりと付いた槍を一振りすることで、アスファルトにまだ固まりきってない血を捨てる。
互いに決定打が掴めないまま長期戦に持ち込んできたが、体力的にも精神的にも限界が近づいてきているのは明白だった。
「ふふふ、隠力を大量に消費するのだけれど、まだ手こずるのならやるしかないわね。この後はまだ、お嬢さんとの戦いも残ってる事だし」
満身創痍のセイヤに対して、店長は身体に傷が目立ってはいるがまだまだ調子は健在だ。
決めるなら今、そう判断した店長は正しいと言えるだろう。
「奥の手ってことですか。こっちはかなり前から披露してるってのに」
「ふふ、嘘はダメよ? まだ、奥の手はあるのでしょう?」
バレたか、とセイヤは内心で舌を出し、左足を少し後ろにずらす。
それを警戒し、店長も構えを取って激突に備える。
「行きますよ」
「ええ」
お互いの、確認の言葉が激突の合図となる。
踏み込むと地面は勢いよく爆ぜ、それに感化されるように両者が直進。縦に振られた槍を前に、セイヤは左腕を突き出して、持ち手の破壊を狙う。
これを見た店長はいち早く両手を離し、そこに隙間を作り、瞬間に体を捻り蹴りを入れる。
それをセイヤは拳銃と左肩を使って防御。
足と拳銃の交錯なのに、まるで金属バッドのような金属音がその場にいる者を震撼させる。
落ちかける槍を左手で掴み取り、刺し穿とうとする店長に、セイヤはしゃがむ行動を選択し回避。
斜め下から斜め上へ直線を描いた槍を見て、次の攻撃が遅れることを判断。セイヤはそのまま全身を使って横腹に蹴りを放つ。
骨を叩き潰す感覚が足に伝わり、それを振り払うかのように足を振り切る。
口から鮮血を飛ばした店長は勢いよく吹き飛ぶ。しかし、砕けた骨を厭わない様子で回転することでダメージを軽減。体勢を戻し、口を拭ってゆらりと立ち上がった。
「奥の手は、使わない気?」
「さぁ、どうでしょうか」
「……尻尾巻いて逃げたいところなのに、そんなことが出来ないのは辛いものよね」
「同意を求めないでくださいよ。こっちだって痛いのは我慢してるんすから」
「あら、そう。そうよね……ねぇ、ヨウ君」
セイヤの言葉を受け、息を漏らした店長はそこで一度完全にセイヤから意識を離し、ヨウに意識を向ける。
だが、そこに込められたのは殺気ではなく、もっと穏やかな何かだ。それを感じ、閉じきっていた口が、ひとりでに開かれる。
「な、なんです……か?」
「……私、ヨウ君には親元を離れて一人暮らしをしたって言ったわよね。あれ、全部嘘なの」
「――――」
「私の親は何年か前に殺されたの。でもその時から既に私は働いてたりしてて、親が死んだのを知ったのは親が死んでから一週間が経った日だったわ」
激しい攻防が切り開かれた戦場の中で、何故か彼女は昔話を始める。
殺し合い、奪い合いが行われていた戦いの中で、悠長な店長の言葉が、次々とヨウの鼓膜を震わせる。
「仕方ないと割り切ろうとしたわ。私たちだって沢山の人を殺してきた。殺されたって文句は言えない。そう思って私は喫茶店を開いて、何もかもを忘れようとした。でもその時、貴方が来たの」
思い出すように、愛おしむように、言葉は続く。その優しげな声に、ヨウは顔を上げられない。
店長が語り始めた理由の大凡を、理解し始めてしまったために。
「笑顔の仮面の下で、貴方の目は泣いていた。貴方の話を聞いた時、私は思ったの。形は違えど、仲間なんだって」
「なん……で」
「親が死んでしまって、絶望してる中でも懸命に生きようとして、でもいつか潰れちゃうのかもしれないと思うと怖くて怖くて。そんな目だったわ」
「なんでですか……」
「それでも、貴方は私と違った。貴方は忘れようとしなかった。親の死を背負って、貴方は這いつくばってでもこんな世界を歩こうとしていたの」
「なんでそんなこと……」
「だからね、ヨウ君」
もう一度名前を呼ばれ、弾けるようにヨウは顔を上げる。
そこには、変化した目の色も、牙もない、いつもの店長がいて、
「私は、貴方を好きになった。貴方を、愛するようになった」
「――――」
「誰か、大切な人を見つけなさい。守りたい人を、作りなさい。守りたくても守ることの出来ない私たちと比べて、貴方にはそれが出来る」
告白が、悲しみが、慈しみが、一斉にヨウに向けられる。
受け止めきれない。受け止めきれるはずのない言葉に、ヨウは透明な雫を流した。
「なんで……なんで今そんなことを……」
「さぁ、なんでかしらね。きっと、私たちにはもうわかってるはずなのに」
零れでる呟きにも、店長は律儀に反応する。その答えを、ヨウだって分かっているからこそ、店長はそれを答えない。
「――悪いわね。付き合わせちゃって」
「いいえ。言いたいことは、全て言えましたか?」
赤い目と牙を戻し、店長は体ごと意識をセイヤに向ける。
頷く店長は、穏やかな顔だ。
セイヤにとっては、彼女の身の上話ははっきりいってどうでもいい。これから殺す相手の過去に触れることほど、殺意が鈍ることは無いからだ。
しかしそれでも、あの少年には聞かせなければならなかった。
それが、大人という生き物だから。
「名乗っていなかったわね。私の名前は織淵美玲。貴方を殺し、彼女を殺し、彼も殺す女の名前よ」
「……益原成哉。貴女を殺し、あいつらを守る男の名前だ」
互いに名乗り合えば、もう語る必要は無い。
全身全霊で、相手に本気を叩き込む。
「――ッ!」
息を詰め、店長は上に跳躍。
地から上へと上る影を収縮し槍に纏わせ、巨大化させる。
小細工などいらない、純粋な巨大化。だが、風を切るスピードを最大限に高めるように調節されたそれは、今までのどの攻撃より速い事が目に見えていた。
「隠術『哀切終槍』!!」
唱え、店長が腕に爆発的に力を込める。
上体を逸らし、右腕を逸らし、そこから歯を食いしばりながら、初めて店長は槍を投擲した。
回転が加わり、弾丸のそれと遜色ない槍が、セイヤを襲う。
ただしそれだけでは終わらず、店長はまるでそこに壁があるかのように空を蹴飛ばして直進した。
到達点のスピードとしては、槍がセイヤに到達した一秒後、彼女も到達する計算だろう。
巨大な質量が二つ。音や風を置き去りにしてセイヤに迫る。
刹那、セイヤは常人では到達できないスピードで、次々に思考を張り巡らせていた。
仮に槍を破壊したとしたら、無理だろう。血気術の増強は見込めないし、銀の弾丸でも破壊は出来そうにない。
受け止めることも困難だ。その前に破壊される方が早い。
ならば、攻撃は食らう覚悟で、致命傷を避ける他はない。
「が、ァァ!!」
最小限の動きで体を逸らすも、巨大な槍はセイヤの横腹を大きく抉りとる。そこから溢れ出る血液量が尋常じゃないことは、全員の目に見えたが、それでもセイヤは歯を食いしばり店長に銃口を向けた。
「――だと思ったわ」
「――ッ!?」
店長がセイヤの視界から消える。否、店長は進行方向を変え、セイヤの懐に入り込んだのだ。
貫通し、そのままセイヤを通り過ぎる槍は影の海に沈み込み霧散。店長は槍に含めた隠力を解除することで一時的に隠力の消費を中断する。
しゃがみこみ、防ぐ術を失ったセイヤに、影から取り出した新たな槍の横薙ぎが入り込む。
吹き飛ぶセイヤは血霧を撒き散らすも、その目は未だ死んでいない。
距離を詰める店長。ここから来る攻撃は銀の弾丸のみ。その一発さえ避ければ、この槍で彼の心臓を貫けばいい。
一発。攻撃手段となるその一発を避けることだけに、店長の神経は集中する。
回転しながら吹き飛ぶセイヤだが、全身の力を使い、宙に体を浮かしながらも銃口を突きつける。
――貰ったわ!
銃口の位置を見て、店長は蛇のように全身を低くした。含み笑いが彼女の中だけに響き、槍の持つ力を込めて刺突にかかる。
「貰ったよ」
次の瞬間、放たれた快音とともに、店長の体を十数発の弾丸が貫いた。
「――ああ」
驚きと納得の両方を混じえた言葉が、店長の口から漏れでる。
貫かれたら部分から血が流れ、バランスを崩した店長はふらつきながらその場に膝を着いた。
煙を吹くのは、トンプソンではなくグロック18Cだ。
セイヤはあの刹那の瞬間で、トンプソンを離し、グロック18Cを取り出してそのまま乱射する方を選んだのだ。
体で覆い隠されたグロック18Cに気づけるはずもなく、隠力を回復に回せなくなった店長は敗北を察する。
店長は、唯一無事だった顔を上げ、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「ふふ、情けはいらないわ」
「元よりそのつもりです」
降参するように手を上げる店長。
その店長に、セイヤはトンプソンを拾い上げそれの先端を向ける。
店長は、息を吸い、吐き、天を仰ぐように月夜を見つめた。
そして最後に、チラりとヨウの方を向いて、
「――さようなら、ヨウ君」
「――――ッ!!!」
最後の叫び声は、誰のものだったのだろう。トンプソンによってかき消されたその叫びと、その前に告げられた別れの言葉が、ヨウの耳から離れなかった。
十月三十一日午後十時三十二分
店長――織淵美玲は死んだ。
 




