第三話 『血と影の果てに』
全身の重みを不足なく乗せた容赦の無い一撃。
蹴りの速度は常人のそれをはるかに超え、漫画やアニメ、ゲームなんかで見る速度と変わりないことは、音と共に感じられる。
空気を切り裂くそれは、人体をたやすく貫通し、そこからヨウと同じように、いや、それ以上の血液を噴出するだろう。
鈍い音が、それを事前に察知させる。はずなのだが、
「……痛いわね。最近の男って、女性に暴力を振るうのを嬉々としているのかしら?」
空気を切り裂く砲撃は、店長の腕によって完璧に防がれていた。
左腕を正面、男の前に掲げ、それを右腕も使って援護。
だが、男もそれは事前に察知していたようで、左足で音も立てずに着地すると、半円を描くように右足を回してそのまま後ろへバックステップ。店長から距離を離す。
「……効いてないのかよ!?」
「いいえ、ヨウ君。ほら、見ての通り効いてるわよ」
そう言って店長はこちらへ向き、左腕を見せつける。
人間として、逸れては行けない方向に折れ曲がった腕を、強引に上げたのだ。
くの字に折れた中心から血が噴出しており、アスファルトをどす黒く汚す。
ホラー作品でもあまり見ないそのグロテスクさに、顔をそむけたくなるが、ヨウの視線は店長の腕の傷口に注視された。
「き、傷が……」
「ふふ、驚いたかしら。吸血鬼の回復力をもってすれば」
そう言って、店長は折れた腕を思い切り振る。骨と骨が擦れ、お互いをひしゃげ合い、尚もそこから骨同士が繋がれる音が聞こえ、
「この通り、元通りになるのよ」
血は流れ出ず、傷は完全に塞がる。折れた腕も元通りになり、そのふざけた代わり映えにヨウは口を開いては震えるしかない。
「おいおい、店長さん。お客さんを無視するのは酷くないか? こっちはせっかくさっきのコーヒーの味が忘れられなくて来たってのに」
攻撃を完璧に止められ、さらには回復までさせられたと言うのに、男は焦りを見せる様子はない。むしろ、余裕そうな表情でジョークを飛ばしている。
「あらあら、それは嬉しい言葉ね。でもごめんなさい。閉店時間はとっくにすぎてるのよ。それに、貴方達は二度とコーヒーなんて飲めないわ」
孕まれる殺意と共に、店長は尋常の域とは思えない身のこなしで跳躍、男に襲いかかる。
身を回し、なるべく的を大きくしないようにする動きと共に、店長は腕を真っ直ぐに男の元へ向ける。が、男はこれをバク転しながら回避。男のいた位置が簡単に粉砕して霧散。白煙が、店長を妖しく彩る。
「あらあら、二対一で来ないなんて、随分良心的じゃないかしら? それとも、舐めてかかられてるのかしら?」
「良く言いますね。私がこの子から離れた瞬間、この子を連れて逃げるつもりでしょうに。セイヤ、そっちは任せたわよ」
「ああ、了解だ」
いつの間にか、横に立っていた女性にヨウは息を呑む。確かに視線は店長とセイヤと呼ばれた男に集めていたが、それでもこんな間近に来るまで女性に気づかなかったと思うと、彼女の身のこなしも尋常じゃないことがわかる。
女性の物言いに、店長は戦闘中にもかかわらず唇をほころばせた。
「あらあら、バレてたのね。なら話は早いわ。一人一人、料理してあげましょうか」
そう言って店長は何も無い地面、否、闇に腕を突っ込む。
アスファルトに手をぶつけるかと思えば、次の瞬間、ヨウの予想をはるかに超える出来事が起こった。
「店長……手が……」
「ふふ、特別にヨウ君にも見せてあげるわ」
店長の手は手首まで闇の中に入り込む。
浸かる、と言った方が正しいだろうか。闇という海の中に手を突っ込んだのだ。そして、彼女はそこからあるものを取り出す。
「隠具までもってるなんて……それに、悪趣味だな」
店長の持つものを見て、セイヤは吐き捨てるようにそう放つ。それもそのはずだ。店長が今持っているのは、見た目も禍々しく、それこそ闇のオーラが漂うような槍だ。
現実離れした不釣り合いなはずのその槍は、店長の現実離れした見た目と相まって、むしろ釣り合っている。
長さは二メートル程。刀身は鋭く先端に進むにつれ重みがあり、人体をたやすく切り裂くことが出来るであろう。
「隠具『悲槍』。もうお腹ペコペコなの。だからすぐに片付けさせてもらうわ」
「手料理の材料が俺らになるのはゴメンだね。お客様は大切に扱わないと。ブラックコーヒーが飲みたいな」
この状況下でも、セイヤはまだそんな調子で言葉を発す。ヨウみたいに、時間稼ぎや何か作戦があっての発言には到底思えない。脳から送られた言葉をそのまま口から放っているようにしか見えないのだ。
「ふふふ。私、ブラックコーヒーは苦手なのよ。それにあなたのジョークも、気に入らないわ」
「へぇ、両方ともブラックはお嫌いでして?」
「ええ、その代わり、作るのは大好きよ」
そう言って、店長がその場から消える。否、人間の目では追えないスピードでセイヤのもとへ槍を向け跳躍したのだ。
しなる刃が風を裂き、セイヤの首元へ迫るが、セイヤは体を後ろへ逸らし回避。
店長はそのまま持ち手を順手にして、腕の重力加速度を伴ったままセイヤの腹を突き刺そうとするが、これはセイヤが流れのまま地面に手をついた状態で店長の手の甲に回し蹴りをし、その行動を中断させる。
そして店長が怯んだ隙に、今度はセイヤが遠心力を使って体全体を使った殴りを入れる。しかし、それを店長は一瞬の判断から左手一本で持った槍でそれを抑え込んだ。
だが、猛攻はこれだけで終わらない。セイヤは手を槍から離し、次は蹴りを入れようとその長い右足を店長の頬へと一直線に進める。
流れるような行動。それでも、店長はこれを見越していたようで、セイヤの足の軌道上にそっと槍の刃先を添えた。
右足と、店長の顔の平行上。このままでは間違いなくセイヤの足は切り落とされる。そのはずだったが、
「んなっ――!?」
次の瞬間、ヨウの視界にはとんでもない光景が映っていた。
「――ッ」
セイヤの左足が、店長の横腹に完璧に入り込んでいたのだ。
ヨウはその始終を目に焼き付けた。
まず、セイヤの右足は切り落とされるはずだった。しかし、右足の軌道は九十度折れ曲がり、地面の元へ。
完全に引っかかった店長は防御がガラ空きとなる。
それを見たセイヤは右足の勢いに反発させるかのように全身をふわりと浮かし、裏拳の要領で左足の踵を店長に放ったのだ。
一瞬の出来事、その攻防の全てが目に焼き付かれたことで、ヨウの脳に遅すぎる恐怖が駆け巡る。
全身からどっと汗が吹きだし、早鐘となった心臓が血液を送る。
耳元にまで響く心音が、その焦りをさらに加速させていた。
そんなヨウの胸中を余所に、事態は動き続ける。
「効か……ないわっ!」
口から勢いよく吐血しても尚、店長は微笑を絶やさずに反撃に出る。
槍投げの要領で持ち手に力を込め、セイヤ脳天に真っ直ぐ槍が放たれる。
「でしょうね!」
範囲を絞り、威力を取った点の攻撃だったが、セイヤはそのまま左足で店長を思い切り蹴り飛ばす。
それによって店長の体は宙を浮き、そのまま壁に激突。店長の攻撃はセイヤの頬を掠める程度に終わる。
それでも店長は持ち前の回復力を使って傷を素早く治す。
勝負の割合は七割セイヤが優勢だ。しかし、店長の回復力をもってすれば、それは五分五分となる。
「ふふ、ふふふふ。いいわ。凄くいい。乗ってあげましょう。本気で」
口から血を吐き捨て、店長は槍を前に掲げる。たったそれだけ、それだけの事なのに、ヨウは全身の毛穴が逆立ったのを感じた。
「ヨウ君……よね。私から離れないで」
女性は、ヨウを脅威から守るように、ヨウの前に立つ。
次の瞬間、槍を影が包み込んだ。彼女の影は、まるで生きているかのように槍にまとわりつき、そのまま彼女の腕ごと侵食する。
腕と槍は黒く彩られ、槍は悪趣味にも尖る先端が大量に生み出された。
「隠術『尖礫外槍』さぁ、踊りましょうか」
「くっ!」
正面から、それも直進に進まれた急襲。
振り抜かれる刃はセイヤを捉えられないものの、地面を粉々に砕く。
その威力は、さっきの倍と言ってもいいだろう。もはや塵一つ残されない粉塵が、二人を包む。
「あら、リードしてくれないのかしら?」
血の色をした瞳が、セイヤに問いかける。
呟きはそのまま攻撃に転じ、走る黒槍が空気すらも殺してセイヤの腕を貫きにかかった。
巧みな槍使いはヨウの視線から外れるスピードを伴っており、その到達時間は1秒を切るだろう。
だが、
「生憎、向こうでのダンスは散々でしたね!」
身をひねり、正しく神回避と呼ばれるそれをセイヤは実行。
槍とセイヤの腕との隙間は僅か三ミリにも満たない。そして、それは次の攻撃に転じやすくなることを意味する。
次はセイヤの反撃の番だ。
だが、そう思っていた矢先、店長はそれを待っていたかのように口を三日月にして笑った。
「引っかかったわね」
直後、槍に大量に生み出された先端が一斉に肥大化する。
槍は店長の力の行くままに引き戻され――先端が次々にセイヤの薄皮を、肉を、筋肉を、筋繊維を、神経を切り裂いた。
「くぁっ――!?」
さしものセイヤもこれは予想外だったのか、避けることが出来ずモロに攻撃を食らってしまう。
このままではマズいと判断したセイヤは、腕を庇いながら店長を手加減なしの蹴りで吹き飛ばし、自分から距離を離す。
「いやいや……まさかこれほどの実力者なんてな……」
セイヤは溢れ出る鮮血を止めるように、手で肩を強く握る。
骨付近まで到達した槍は、セイヤの肉を持って行っており、セイヤは苦痛に顔を歪めていた。
店長は蹴りを食らったものの、これを形勢逆転の好機と見たのか、薄い唇を赤い舌で妖艶に舐める。
「さぁ! 今度は激しいわよ!」
恐ろしい凶器が次々にセイヤの皮膚を持っていく。致命傷にならないのはセイヤの人外の域に達した回避能力のおかげだが、このままではジリ貧であろう。
出会って数十分の中。謎に包まれているし、もちろん信頼できる根拠なんてどこにもない。だが、それでも今ヨウを危機から救ってくれていることは事実だ。
それを理解した上で、ヨウは女性に問いかける。
「俺……走って交番まで逃げますよ。だから援護に向かってください……えと」
「そう言えば名前を言ってなかったわね。エリザベスよ。みんなからはベティと呼ばれてるけどね。ヨウ君の提案は最もだけど、それは無理なの」
首をゆるゆると振り、ベティはヨウに説明を続ける。
「今この場には結界が貼られてるの。外から音や視界を一切遮断する特殊な結界がね。彼女を倒すまで、結界は解かれない。当然その間は私達もここから出られないの」
「人が誰も通らなかったのも?」
「ええ、結界の力よ。だから、その提案は、受けられないの」
ベティは、丁寧にヨウに説明をする。確かに言われてみれば、こんな轟音を鳴り響かせているのに人が通る気配も、ましてや近隣住区が反応した気配もない。
この場を完全に隔絶した結界とやらの恩恵なのだろう。ずっとベティがヨウのそばを離れないのは、ヨウが逃げれないことを知っていたからなのだ。
「あらあら、やっぱりそうなのね。なら好都合、貴方を仕留めたあとは貴女よ」
店長は槍を振るいながら、こちらを向いて言葉を放つ。
高低差、緩急のついた刃はそれこそ致命傷にはならないものの、セイヤの傷口を広げることは容易い。
防戦一方となったセイヤは、隙を見て店長から数メートル距離を取った。
「はぁ……はぁ……やるしかないな」
「――何か、見せてくれるのかしら?」
「ええ。取っておきを、ね」
店長の問いかけに、セイヤは微かに顎を引いて応える。
そのまま彼は腰に携えた獲物を掴み、
「血気術『銀の弾丸』」
刹那、セイヤの腕が赫に彩られるのをヨウは見た。