第二十話 『月日は流れそして』
かの大英帝国全盛期
産業革命による混乱と発展に左右される中、イギリスは着実に植民地支配の政治を確立させることによって、支配者と隷属者とを二分割する命の制度を作り出した。
古くから根付いていたこの階級制度が浮き彫りになれば、当然人々はその流れに乗じる。
つまりは必然的な差別だ。
強者と弱者―賢者と愚者―貴族と貧民
どれもがどれも実際に存在したものであり、互いに向け合う眼差しは軋轢と矛盾の色濃いものだった。
決められた境界線の中で決められた身分の元、決められた生涯を国のために尽くす。
下の者は上を見上げ妬み、上の者は下を見下ろし侮蔑する。
隔絶された箱の中で人はその壁の向こうを行き来することは許されない。
非人道的だが、これが王国を王国たる所以にした最大の行いであることに間違いはない。
世界に渡り合える大国家になるためには、当時の日本も当然隷属民を作り国に縛り上げていた。
世界は何も変わらない。たとえ現在、戦争のない平和な国と謳われているこの日本でも、その深淵には確かに差別が生まれていたのだから。
「はぁ……はっ……クソったれが!!」
荒い呼吸音と吐き捨てられた罵声は小さいものだったが、廃れた廃病院には音も無く、その音は場違いにも響き渡った。
夜半を過ぎた都市郊外。空模様は暗澹の雲に覆われ、星の光の恩恵を受けることは無い。
文明の利器からも見放されたこの廃病院には、興味本位で立ち寄る人間が少なくはなく、またその人間という名の獲物を狙うに絶好の場所であった。
――と言うのに。
「……逃げ場はもう無いってか?」
自身の血によって汚れた片腕を抑え、出入口に向かって走っていた男は、その足を止めて目元をヒクつかせながらそう吐いた。
それもそのはず。今男の視界に映っていたのは、それぞれの武器を手にした男女達が、確かにその瞳に差別の色を浮かべ待ち伏せしていたのだから。
「観念しろ。こっちだって無闇矢鱈に痛めつけるつもりはねぇ」
後ろから響くその声に思わず男は振り返り、この片腕の痛みを生み出した張本人と真っ向から対峙する。
視線の延長、深い深いどこまでも続くような深淵と全てを照らすような煌めきの二面性を持った瞳で、セイヤは銃口を男に向けていた。
「抜かせクソが。どうせ殺そうって魂胆の奴が慈悲深そうにほざいてんじゃねぇよ」
「……それもそうだ。が、ならどうする」
「決まってんだろ……テメェらまとめてぶっ殺すんだよ!!」
男の双眸が血塗られたが如く赤く光り、全身からどす黒い殺気が放たれた。
ヒリヒリと皮膚を突き刺すような圧を他所に、男の肩甲骨付近からは突如現れた漆黒の殻が衣服を突き破って男の腕に巻き付いていく。
サソリの外殻と言うべきなのだろうか。先端は太い針となっており、人体急所を一突きで潰せるほどの大きさだ。
「武装型……なら『これ』か」
そんな凶器を前にでも、セイヤは男を真っ直ぐ見据えて腰に携えた二本の剣を抜き出す。
剣と言っても刃渡り三十センチ程のナイフに近い。ベティのダガーナイフの様な小型さはなく、幅広な刀身が物を切り裂くのに適したそれは、セイヤがこの一ヶ月で身につけた新たな武器の発展だ。
「生きる権利も……殺す権利も等しく平等なはずだろ。悦に浸って正義のヒーロー気取りか? 人間様ってのは大層なもんじゃあねぇか!!」
奥歯を噛み、甲殻の鎧を腕に纏った男が怨嗟の声と憤りの瞳でセイヤを睨みつける。
その言葉に含まれる悲痛さや憤怒は、これまでの彼の生い立ちを容易にセイヤの脳内に浮かび上がらせた。
しかし、それを是認することは出来ない。
「半分は確かにアンタが正しいさ。でも、俺達は正義気取りの人間なんかじゃない」
「ふざけたこと抜かしやがって!! 死にやがれ‼︎」
身を傾けた男が錆びれた床を砕いて前へ跳躍。オンボロ廃病院といっても、金属バッドのフルスイングでようやっと傷つきそうな床が簡単に爆ぜ、甲殻から生えた針が真っ直ぐにセイヤの視界に迫る。
当たれば顔面の半分は消し飛ぶような質量と速度を伴う一撃。
しかし、セイヤは小さく息を吐き、身を捻じると、
「俺らは悪魔に魂を売った、正真正銘の悪だよ」
鋭く身を回して剣を突き出し、そこに跳躍した男が入り込む。
一閃。鋭い先端が血肉と甲殻を有象無象に切り裂き、開いた傷口から大量の血がばらまかれて男の手足が転がっていく。
「づ、ぁ……!?」
あらゆる傷口から血を噴き出し、五体満足でない身体のまま、男はセイヤを睨みつける。
「ぜっ……ひっ…ちくしょうが……地獄に堕ちろクソが。テメェらも生き物殺して喰らって、平然と生きてるゴミじゃねぇか……。なんで俺らばっか損をする。有り得ねぇ。おかしいじゃねぇか。ふざけんなよ……ふざけんな。死ね! 死ね! 死ね! 死ね! テメェら全員死んじぁ――」
首だけを起こし、怨恨を叫び続けた男の首が宙を舞った。
鈍い音が響き、内側から露呈する白い骨とピンクの筋繊維を垂らしながら、男の首が暗闇のほうへと転がっていく。
殺した。吸血鬼である男を今、この手が殺したのだ。
しかし、これは当然。当たり前のことなのだ。恨み言を投げられることも。その言葉が正しいことも。彼らの悲しみと怒りの感情が、最もであることも。全て知っていてそれでも尚、彼らは自身の信念のもとに行動せざるを得ないのだ。
だからこそ、この場で表情を変える者は一人もいなかった。
「……おい大丈夫か? きついなら向こう向いてろよ」
「いえ……大丈夫です。慣れてみせま…うぇぇぇぇ」
ただ一人、口を抑え嘔吐く少年を除いて。
―――――――
ヨウが学校を辞めて一ヶ月。祖父と祖母には寮に入ると嘘をつき、ヨウはセイヤ達の拠点に居候していた。
この一ヶ月間ではトーマス大先生の指導の元で吸血鬼について知識を蓄えたり、彼らに渡り合えるようにセイヤの元でみっちりと身体を酷使してきたが、未だに人の死という精神面での暴力に慣れることは無い。
「大丈夫かい? また顔色悪く戻ってきたけど」
頭を抑えながら本拠地に戻ってきたヨウ達を、心配と安堵の顔色でトーマスが出迎える。
初期に出会った頃に比べ、ここでの暮らしによる弊害か、スマートな姿のトーマスには、セイヤはもちろんヨウですら未だに幾分か慣れない。
「大丈夫っす……今日も一回ゲロっただけですから」
「あはは……最初の頃は三回だったし、そう考えたら成長したのかな」
「最近はメシ食わないで行くようにして色々ぶちまけないように善処もしてますからね……!」
「そうかい。後ろ向きに前向きだね。まずは吐かないことから頑張ろうか。何も食べてないんだね。こっちでご飯にしよう」
律儀にヨウの言葉にツッコミを返しながら、トーマスは食卓へヨウを案内。セイヤ達とは一度離れることとなった。
それにしても生理現象とは薄情なもので、あんなに嘔吐感に際悩まされた脳内は、鼻腔をくすぐる手料理の香りに釣られてヨウを他所に勝手にシフトしていく。
あの光景を忘れないようにと思いつつも無心でいようとしていた矛盾が打ち破られ、自然と早足になることにヨウは気付かず、そのうちトーマスが歩調を合わせていたのはトーマス本人内で誰とも打ち明けていない秘密だ。
「さ、もう料理は用意してあるよ」
食卓に並べられたのは和の日本食というよりは洋食中心であり、食事を始めている中には琥珀色の酒に喉を潤している者もいる。
飲まずにはいられないとはよく言ったものなのだろう。既に出来上がり爆睡している者がいるのには流石にヨウも若干引き気味で笑うしかない。
「「あー、おかえり。吐かなかったー?」」
「あ、うきょくんさきょくんただいま。嬉しいことにいつも通りだったよ。若干まだ口の中酸っぱい」
「「じゃー安心だね」」
口いっぱいに肉を頬張り、息の合ったペースでこちらを見る二人の少年に手を振り下座にの一つ、ヨウの指定席に座る。
「早めに慣れた方がいいわよ。そのうち原型留めてたらまだいい方なんて戦線に駆り出されるかもしれないんだから」
「お気遣いありがとうございます嶺森さん。俺としても早く変わりたいんですけど。なかなかどうして思うようにいかないもので」
「そう。何かあればいつでも言いなさい。トーマスがなんとかしてくれるわ」
ワイングラス内の液体を喉に通した女性は、そう言ってこちらを視界に外す。
話を完全に振られたトーマスはヨウの視線に苦笑い状態だ。
「あはは。まぁ、御要望にはちゃんと答えるよ。今日の吸血鬼も、武装型だったらしいしね。しっかりそこら辺の知識をあとで蓄えよっか」
「了解っす。血気術の使い方は一応一通り習ったつもりですけど、吸血鬼についてはまださっぱりですしね」
事実を事実として受け止めて、ヨウは次の行動に移す。
つまりは肩を竦めた態度から流れるように手を合わせ合掌。いただきますと呟きスープを一口。
「やっぱいつもうま。トーマスさん達が作ってるんすよねこれ」
「そうだよ。まぁ僕はあくまで補佐だから、一任者はそこの、酔い潰れてぐーたらなだらしない女さ。残念なことにね」
掌を天井に向け、皮肉混じりにトーマスは先程の酔い潰れた女性に視線を促す。
食器は既に片付けられ、彼女の周りにはそれといった小物は無い。もしもナイフやフォークの類があればきっと。
「いや、あれは恐ろしい事件だった。忘れよう。忘れるべきだ」
こめかみを掠めた銀の煌めきへの恐怖心に自身の記憶を塞ぎ込み、地下深くへ埋め込む。
酒に弱いくせに酒を飲み、さらには酒癖が悪い恐るべき女性、千城の幸せそうな顔はこちらを一切気にしていない様子で、それがまた場違いに感じられておもわずヨウは頬をかいた。
「早速トラウマ植え付けてるよこの女……まぁいつもの事か。じゃあ、食べ終わったら僕の部屋においで」
苦笑いで千城を見た後、トーマスはそう言って踵を返す。
「授業を始めよう」
まるで一講師であるかのように、ゆったりと、そして毅然とした佇まいのままトーマスはウインクをした。




