表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/22

番外編① 『ある少年の悲嘆』

 《side:志村》


 俺の家は母子家庭だった。


「ごめんね……お父さんは……いないの」


 父は俺が生まれて四年後に死んだらしい。

 物心がつく前だったので、俺は父の顔を写真でしか見た事がない。


「授業参観!? どうしよう……」


 だからこそ俺にとっては父がいないことは当然のことで、母だけでもなんとも思わなかった。

 授業参観の時に、仕事のせいで一人だけ親がいなかった時の寂寥感はあったが。


「心配しなくていいわよ。子供は好きな方向に好きなだけ進めばいいんだから」


 母とだけの家庭。弟も妹も、兄も姉もいない俺一人だけだったとしても、養うには相当の金がかかる。バイトをして少しでも家計を支えたいという提案も、却下された。俺がバスケに打ち込んでいたことを、母は既に知っていたのだ。

 朝に俺を送り届けてからは働き詰め。でも必ず俺が帰る頃には台所で夕飯を作っている。


「おかえりー。今日はカレーよ!」


 今にして思えば、恵まれすぎていたと思う。それは昔も同じ考えのままで。漠然と、母のことを大切にしようと、なんでも手伝いをしようと思った。


「――――」


 それが決定的になったのは、小学二年生の頃。

 マンションの部屋の壁は驚くほど薄い。

 たまたまトイレに行こうとした時、部屋の壁越しになにかが啜り泣く声と、漏れる部屋の明かりに俺は泥棒みたいにその部屋の中を覗きこんでいた。


 ――部屋の奥には、こちらに背を向け正座で座る母の姿があった。


 だが、そこには普段の凛々しさの欠けらも無い。

 猫背になり、時々瞳を擦るように手を動かし、顔を覆っては何かを眺めていた。


 それが父も映る三人の写真だと、幼いながらの視力によって気づいた時、俺は音も立てず全力で部屋に戻っていた。


 涙が出た。


 俺の前ではあんなに強く、あんなに凛々しい姿を見せていた母の背が、その時だけ小さく見えたから。

 声を押し殺して涙を枕に擦り付けた。小学生ながら俺にだってその姿に残る哀愁を察することは出来た。


 だが、翌日の朝。

 涙に少し目を腫らした俺がリビングに向かうと、


「あ、コウタおはよ! もう少しで朝ごはんできるからね!」


 笑顔の母が俺を迎えていた。

 思わずどうしてと言い出しそうになる声を懸命に押し殺し、俺はおはようと言って顔を洗いに行った。


 顔を洗い、鏡を見る。映るのは、目尻を赤く腫らし、覚悟を決めた俺の顔。


「絶対……母さんを泣かせない」


 その日、小学二年生にはあまりに重い。しかし、絶対に守らなければならない誓いが生まれた。


 ―――――――


 そのはずだったのに、


「約束を守らないと、君の大切なお母さんを殺しちゃうよ?」


 裏路地の隅。街路からは死角となるこの位置で、俺は涙を流しながら口を抑えて声を押し殺していた。


 喉に巡る熱い胃酸をぶちまけないため、目の前にある光景に叫び声を上げないため。

 背を壁に預け脂汗を垂れ流していた俺にしてみれば、あの時叫ばなかったのは褒めれる程だ。


 なんせ目の前。血泡を口の端から溢れさせ、首が座らないまま二度と光を宿さない目をこちらに向けた男が、抉れた肩から大量に血を吹き出して死んでいたのだから。


 死んでいる男は首根っこを白髪の青年に掴まれており、左腕はその青年によって強引に千切られていた。


 白い骨や神経が桃色の肉や青い血管と共に剥き出しになり、赤い血液がこれでもかという程に零れ落ちる。


 初めて見る人間の死体。そして殺人鬼に、俺は既に正常な判断が出来なくなっていた。


「君んとこのバスケットボール部の部員の子たちを全員、食べさせてよ」


 二度目の言葉。突然放たれた交渉条件はとても不条理で、そして従う他ない事を簡単に知らしめていた。


 どうやら青年は吸血鬼らしく、人間の血を吸って生きているという。食人行為はその一種で、質より量だという彼はいきなりこの提案をしてきた。


「君がこの条件を呑んでくれたら、僕は君も君の親も殺さない。でも君が呑まないのなら……そうだね。とりあえず君の親を殺して、バラバラにしてから学校にでもばら撒きに行こうかな」


 肩から溢れる血を吸い、彼は条件を今一度提示。

 吸血鬼にとって提示――もとい条件は一種の誓約らしく、これを守らない場合隠力と呼ばれるものが勝手に暴走、自身を罰するというらしい。


 なまじ信じられない話だが、目の前の光景や青年の圧、実際に罰を受けた青年の姿。


 そして、脳裏に母の笑顔が過り、俺は簡単に、


「わかった……呑むよ……その提案」


 受け入れてしまったのだ。


 ―――――――


 体育館内。ここに居るのは俺と青年だけ。

 いや。死んでしまったが、木村もいるか。


 この一週間で、俺は長時間を青年と共にした。

 学校での時間、部活での時間以外はほぼ青年と行動を共にする。俺が毎日部活に顔を覗かせていたのは、監視目的だったのだ。

 俺が遭遇したあの裏路地で、何度も何度も死体をこの眼に焼き付け、もうやがて俺は人の死体を見慣れてしまっていた。


 血による腐敗臭も、粘ついた感触にも何も感じない。


 ただ、やっとだ。やっと俺は彼から解放されるのだ。

 後ろめたさなどという言葉では表せない。最低の行為をしたと思う。ただそれでも、俺にとっては母を助けることが第一だった。


「母さんを、母さんを殺してないんだよな!? もうこれ以上関わらないんだよな!?」


「がっつかないがっつかない。安心してよ。僕は君も君の親も殺さない。誓約は絶対だ」


「そ、そうだよ……な。あぁ、良かった――」


 その一言に俺は安心して力が抜け、膝から崩れ落ちるように――


「――ぁ?」


 次の瞬間、俺は顔面から床に激突していた。

 チカチカとする顔面の痛みに涙を流し、そして何故そうなったのか、原因の一端であろう足を見て、気づいた。


「――――」


 バスケ部員として鍛えていたふくらはぎ。

 人並以下の能力を上げるためにとかかさずランニングを続けることで、俺のふくらはぎは自慢できるほどの太さを誇っていた。

 だが、その筋肉質で太かった部分は半分ほど抉りとらえており、そこから血が噴出。一瞬でその場に血の絨毯を作る。


 そんな光景を見てコンマ一秒。

 異次元の激痛が俺の脳内を支配し始めた。悶え苦しみ、血を止めようと足を動かしたところでさらなる激痛が走る。


「あ、は!? は、あがッ!! お、おおああああああ!?」


 足を抑えることも出来ず、灼熱の思考のままに悶える。

 痛みの起点は何処から?

 足からだというはずが、もう全身に痛みが支配されている。


 何が起きたかもわからないまま、俺は無意識のうちに床に頭突きを繰り返していた。

 足からの起点ではない新たな頭からの痛みが、辛うじてその瞬間だけ五感の存在を取り戻す。


 ボヤける視界の中、俺は青年の横に誰かが立っているのを見つけた。

 ここからでは顔をよく見ることが出来ず、痛みにまた一度視界が点滅する。

 ただ、痛みが舞い戻る直前。茨のような黒い何かが、血に濡れていたのを確認した。


「い、ぎぃぃぃぁぁぁ!?」


 その茨によって自身の足が抉れたという事実を理解し、恐怖に俺は狂い始める。

 陸に打ち上げられた魚のように全身を跳ね上げ、痛みが少しでも和らぐようにふくらはぎを床で押さえつけるが、大した効果もない。


 そうして血が溢れ続けている中、ふと明確に、絶望が鼓膜を揺らした。


「お疲れー。ちゃんと殺した?」


「ああ、抜かりなく」


「そかそか。正門もちゃんと封鎖してくれてるんだよね? それが一番忘れられてたら困るんだけど」


「誰にものを言っている。それくらいお前に言われるまでもない」


「さっすがー!」


 こちらの叫び声を気にも止めない様子で、青年ともう一人、声の低い男が会話をしていた。

 殺したとは一体どういう意味か。

 まさかとは思うが。


 俺は痛みに叫び声を上げ続けながら、青年たちの方へと転がる。

 殺した相手とは一体誰なのか。それを知ろうとして何かを掴み、


「ありゃ」


「――触れるな。蟲が」


 間抜けだが愉快そうな青年の声と、無機質な別の男の声が聞こえ、


「あっ、ごがっ、ぎぁぁぁああ!?」


 脇腹に走る灼熱。骨も肉も一緒くたに潰される感覚に、咳き込む――事も出来ず口から血泡が噴きでる。

 目の焦点は合わなくなり、舌が舐めとるのは腹から溢れ出た血液。


 倒れる体が浸るほどの出血。口腔には喉から流れてきた血塊が今も溢れんばかりに満たされており、もうすぐ全部の血が流れ切るのではないだろうか。


 痙攣する手で脇腹を確認しようとして、それが空を切ることで理解する。


「は、らッ……」


「あーあ、かわいそー」


 俺の腹は、およそ半分ほどが破られていた。

 そこからはきっと臓物でも溢れ出ていたのだろう。


 空を切る恐怖に手を上げる力が無くなり、床におこうとした時に柔らかい感触が手に触れていた。


 既に鼻の能力が機能していなかったのは、不幸中の幸いだろう。

 もしも機能していたとすれば、血による鉄臭さと、臓物から溢れ出る特別な異臭にさらに苦しめられるはずだ。


 そうして命の結晶が無くなっていき、意識が遠のいていく中、その様子を見た青年が俺に声をかける。


「ほら、約束通り僕は君も、君の親も殺さなかったよ? うん。僕は、ね」

 

 そう言って高笑いする青年の顔を見た時の俺は、一体どんな表情だったのだろう。

 きっと絶望なんて言葉では足りない。

 もしも地球に隕石が落ちてきたのなら。それで滅亡するのなら。

 そんなありえない現象に直面したときと同じ表情で彼を見ていたんだろう。


「あぁ、でも試して見たかったなぁ。おふくろの味っての」


 あっけらかんとした嗤い声が、辛うじて機能する耳を通過して脳髄を犯す。

 だが、もう俺には怒るという感情を持つことが出来なかった。


 恐怖もない。痛みを感じる認識機能もない。

 もう目の前も見えなくなり、五感が死んだ。


 ただ、願うのならば。


 もし神様がいるのならば。


 ――こんな愚かな俺の願いを叶えてください。アイツらの命を、救ってください。


 その願いを、死んでいく機能の中、最後に残った心の中で呟き、それと同時に最後の血液が流れて――。







 ―――――ぁ。



 ――――――――今、死んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ