第一話 『静謐の牙』
都会でなくとも、大通りに人は来る。しかもそれがイベント事となると、人数が普段より倍増するのは目に見えたことだ。
「ハッピーハロウィン! ありがとうございました。またのご来店を!」
鼻腔をくすぐるのはコーヒーの香り。耳に聞こえるのは穏やかな音楽と、外から飛び交うトリックオアトリートの声。視線の先には人に人に人。
大通りに建つ喫茶店は、そこにいる人々全員にそんな印象を与えていた。
ここ日本では絶賛ハロウィンの真っ最中だ。
子供たちはトリックオアトリートの掛け声とともに近所を周りお菓子を食べ、少年少女は仮装をしては都市へと向かい、イベントに乗っかって浮かれている。
家族連れもよく見受けられるし、なんなら年配の人達まで、老若男女様々な人が笑顔を浮かべていた。
だがしかし、この喫茶店で営業スマイルを浮かべていたせいで表情筋が凝り固まっていた少年は、少なくともこの場を満喫しているとは言えないだろう。
今はスタッフルームに戻り、首を鳴らしたり伸びをして、大きく息を吐いている。
時々頬をぐりぐりと引っ張っては、営業スマイルで受けたダメージを少しでも回復しようと戦闘中だ。
みんなやはりハロウィンだということで家族と出かけたり、あるいは彼氏彼女との予定があるようで、今スタッフルームにいるのは彼と店長だけだった。
他にいるのも数名。全員数時間ほどのシフトであり、彼ほど長い時間ここに滞在しているわけではなかった。
「悪いわね、ヨウ君。こんな日にまで手伝ってもらって」
「まぁ家にいてもなんもないのは事実ですし、給料上乗せされると思えばいけますいけます。他の人たちも頑張ってる事だし」
「そう、そう思ってくれるのはとても助かるわ」
ヨウと呼ばれた少年は、店長の言葉に軽口で応じる。店長はどうやら全員にこれを言っているらしく、次はヨウの番らしい。全員にとは言っているが、そのどれもが本心で言ってくれているのが有難い。上辺だけでは火に油を注ぐだけだからだ。
そう考えている少年――大塚陽は、この近くの県立高校に通う高校一年生だ。髪型は所謂アップバンク。程よい筋肉質の体に高身長なのは、高校一年生にしては秀でている部分だと言える。
お世辞にもイケメン、とは言えないが、顔のレベルは中の上ほどはあるだろう。見た目通りのスポーツマンタイプだ。
そんな男が今は給仕服に身を包んでいるのだから、違和感があるのはこの再仕方の無いことだった。
「意外と今日は繁盛してますね。外国人の人もいるし、子供もいたし。普段みたいにカップルだけってわけでもなさそうですね」
「そうねぇ。こーゆーイベント事だとむしろカップルが増えそうなのに、そんなことないみたいで嬉しいわ……」
「まぁここだからって可能性もありますけどね……」
黒い笑みを浮かべるのは、おおよそ店長が婚期を逃しているからだろう。
もうすぐ三十路になるものの、一度も相手に巡り会えていないということは、従業員内で触れてはいけないのが暗黙のルールとなっている。
だからヨウには心の中でご愁傷さまですと言うしか言い様がない。
「何よ。哀れみの目を向けないでよ。さあ、早くホールに戻りなさい。頑張った分はちゃんと払うから」
「アイアイサー」
視線を感じ、店長はヨウに早くこの場を去るように促す。
ヨウもこれ以上ここにいると減給されかねないのを感じ、一丁前に敬礼をしてホールへと戻った。
ホールに戻り、注文を伺いに行く。そうして注文を客に届ける。このウェイターという役目がヨウの仕事だ。
接客業もそうだが、ヨウの得意技は皿運び。八皿くらいいける。それが凄いかは人によるが。
向かうのは先程話にも出て来た外国人の場所だ。とても綺麗な女性で、モデルでもやっているかと思うほどだった。
どうやらもう一人は日本人らしい。二、三十代ほどの男性で、年齢から見て二人は恋愛関係にあるのかと勝手に推測する。
「いらっしゃいませ、お客様。ご注文はお決まりですか?」
「ああ、ありがとう……ん?」
「ど、どうかなさいましたか?」
もっさりとした髪型の男に顔をのぞき込まれるように凝視され、ヨウは少し身を引きながらも訪ねる。がっしりとした体つきで勝手に二、三十代と推測していたが、顔は若々しくて整っていた。見た目通りならまだまだ若そうだが、ただ単に童顔という線もありそうだ。
そう人の顔や見た目を見てまたも推理しつつ、ヨウは客の態度に自分の行動を振り返る。
なにかヨウの態度に不都合があったのだろうか。と言っても、注文を聞いただけだし何もしていないはずだが。
「ああ、いやごめん……その、知人に似てただけさ」
「あ、そうでございましたか。こちらこそ失礼致しました。改めまして、ご注文はお決まりですか?」
「そうだね、コーヒーにしようかな。君は?」
「……そうね。私もよ。だからコーヒーを二つ、頂こうかしら」
「かしこまりました」
女性の方が指で二を表したことで、注文は決まる。二人に礼をし、その見た目からはとても思えないほど流暢な日本語だな、と内心そんなことを思いながらヨウはカウンターへと向かった。
よく見ると本当に今日はカップル以外にも人は多く、それだけこの地域も活発化してきていることがみてとれた。
都市部に比べればこんな人数比にもならないだろう。生中継のニュースなんかを見ればその差は歴然となる。
それでも、この場での人だかりは目を見張るものがあった。
元々この町は都市に近い割にはあまり活発ではなかった。夜にもなれば夜道は薄暗く、昼は仕事を求め都市に吸い込まれる。そんな町だったのだ。
生まれてからずっとこの地域で過ごしてきたヨウは、場違いに感慨深いものを感じる。物静かで落ち着きのあると言えば聞こえはいいが、それでも発展してくれることは良いことだと思う。
そんな思いを仕事のエネルギーに変えて今日は頑張るつもりだ。
そしてこの際、バイトに勤しんで給料アップを目指し、そのお金で部活仲間とパーティをやろう。
ヨウはそう考え、次々に注文を受けに行くのだった。
その後ろ姿に、二人の視線が集まっていることも知らずに。
―――――――
「うへぇ……夜はやっぱさっむいなぁ」
秋というのは寒暖差が激しい。特に年を跨ぐ度に昼と夜とでの気温の差が激しいのは、バイト勢には辛い現実だ。
ハロウィンというイベントが終われば、この街はあっという間に閑静な町へと早変わりする。そこら辺はまだ、大都市に追いついていない証拠だろう。
さらに住宅街ともなれば通る車も少なく、街灯の仄かな灯りが道を照らすのみだけど
「……あら、ヨウ君。帰り道こっちなのね」
「……あ、店長。さっきぶりです」
住宅街の曲がり角から出てきたのは、給仕服とは打って変わって女性らしい服に身を包んだ店長だ。
服装も年齢に合っており、正直何故この人が未だに結婚もできていないのか不思議で仕方ないというのが、ヨウの印象だった。
「店長は……夜食ですか?」
「当たりよ。ま、こんなの持ってたら気づかれるのも無理ないか」
今さっき買ったのであろうレジ袋をヨウに見せ、店長は笑う。時間は十時。閉店時間が九時なので、店長がここに居るのも納得だ。
「ヨウ君も夜食を買ってるみたいね。カップ麺、見えてるわよ」
店長はヨウが片手に持っているレジ袋を指さす。その指の方向にヨウは目を向け、今にも倒れそうなカップ麺に気づき、慌てて袋の中に押し込む。
「大変ね。一人暮らしなんて。私も早い時期からだったけど、高校一年生でなんて聞いたことないわ。どうしようかしら、何かあるなら作っていくけど?」
店長の昔話としては、女手一つで育ててくれた母親の負担にならないよう、一人暮らしを始めたらしい。そしてその辛さを分かっているからこそ、こうしてヨウを雇ってくれたのだった。
実際、ヨウにとって店長が雇ってくれたことはありがたかった。親の許可がない、高校一年生を雇うということは、あまり好まれないのだ。
その分、話を聞いてくれ、その上で判断して雇ってくれた店長には一種の恩義を感じている。
ちなみに一人暮らしを始めたのは半年ほど前で、叔父が引き渡してくれた家を使っている。仕事の都合上都市側に行くことになった叔父が、それならばと家を渡してくれたのだ。
「いえいえ。お構いなくお構いなく。何時までも叔父さん家に世話になるわけにも行かなかったですし。お金はなんかいっぱいあったんで。それなりに普通に暮らせてますよ」
「あらそう? ならいいんだけど、なんなら送っていってあげようか? 最近何かと物騒だし」
「あー、なんか東京の方で事件が色々起きたんでしたっけ。まぁ、さすがに大丈夫っすよ。走って五分くらいで着きますし。どうしたんですか、なんかいつもより心配症ですね」
この場で出会ったからかもしれないが、店長はやけにヨウを気にかけているようだ。有難い申し出ではあるが、そこまで手を煩わせるわけにもいかない。
それに今日は贅沢に贅沢を使った、カップラーメンとカップ焼きそば二つ同時食いを実行するつもりなのだ。こんな贅沢を邪魔されるわけにはいかない。
「色々そーゆーニュースは耳に流れ込むのよ。まぁ、そんなに近いなら安心ね……でも、私心配なの」
「……どうしたんですか、店長本当に」
瞳を伏せ、店長は弱々しくそんな言葉を放つ。
何か店長の過去と被ることがあったのだろうか。店長は色々な過去のことをよくヨウと照らし合わせている。ヨウだけという訳ではなく、従業員全員にだ。
そんな店長なのだから、どっしりとした姉御肌な女性だと思っていたのだが、案外その逆で、心配症なのかもしれない。
「……ごめんね。ヨウ君。私やっぱり怖いの」
そう言って、店長はヨウとの距離を詰める。一歩、また一歩と距離は短くなり、店長の、冷水によって荒れてしまった指先がヨウの頬を伝う。
「なんですかなんなんですか!?」
いきなり女性から頬を触れられ、ヨウの声は裏返りかける。
店長はヨウにまさか恋愛的な思いを持っていたというのだろうか。だが、それは事件となんの関連もない。しかも店長からはそんな素振りは一度も見られなかった。
ヨウは焦る思いと共に脳内を急速回転させる。が、店長はそれを待ってくれない。
「もう……耐えられないわ」
そう言って、店長の顔がヨウの元へ近づく。ヨウもそれに抗えない。
そうして、店長の唇が、ヨウの間近まで近づき、
「あなたの血を吸えないのわ」
「……え」
ヨウの首筋を、人間とは思えない力で噛んだのだった。