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第十四話 『暗闇の乱戦』

 Bサイド ベティVS狗&鴉




 闇夜に紛れて影が襲来する。

 見えないはずのその二撃を、ベティは信じられない体幹でブリッジするように回避。全身の筋肉を使って体を巻き戻し、少し屈みながら反撃のチャンスを伺う。


 ――やはり狙い通り。


 攻撃を避けてみたものの、どの攻撃もそれほど複雑な動きはされていない。落ち着いてよく見れば対処出来る範囲だ。


 気配を感知するよう、ベティの五感は研ぎ澄まされる。


「――――ッ」


 息を詰める音と、羽ばたきによる音。

 二つの音がベティの鼓膜を震わすことで、ベティの構えがさらに深くなる。


 跳躍。ベティの左側から攻めてきた狗が、鋭い犬歯を向けながらベティの片腕を食い尽くさんばかりに襲いかかってくる。


 巨大な口腔は赤い血に濡れており、避けるか受け流すかしなければ肩ごと持っていかれる危険性があるそれを見て、ベティは思考を張り巡らす。


 獰猛な牙の一撃に、ナイフを当てることは出来ない。それが喉を貫くより先にベティの指が噛みちぎられる方が早いと判断したからだ。


 ナイフの持ち方を変え、腕全体に力がかけれるよう調整。

 狙いは額。目を奪うというのも手だが、視覚がないという可能性もある。

 この狗が生物としてカウントされるのであれば、脳の破壊は一撃必殺となるだろう。


 それを瞬時に動作に合わせ、ナイフの柄の部分で狗に打突をしかける。


 だが、


「うぁ!」


 後頭部に衝撃。皮と皮とが擦れる音。骨と骨とが互いをひしゃげ合う音が耳元に鳴り、痛みにベティは体勢を崩す。

 そのまま体勢を立て直そうとして、ベティは行動を中断。そのまま前に倒れ込む。


 反撃はできなかったものの、頭上を掠める牙の裂撃に冷や汗をかく。


 あのまま堪えていようものなら、一瞬で首を持っていかれるところだった。

 そしてその直前の鴉の攻撃も、血気力で防御を固めてなければ死に直結するところだ。


「使役魔獣じゃないくせに……めんどうじゃないの」


 転がり距離を離しながら、後頭部の出血を治癒能力で強引に止血。

 ベティがこの二匹の天敵だったから良かったものの、並の血気術師なら今のコンビネーションで死んでいたところだ。


 二匹とも互いの死角を補い合い、正面に飛び込む側と真後ろに飛び込む側とで連携を重ねている。


 厄介極まりない。だからこそ、


「面白いわ」


 放たれる剣気と圧に、狗と鴉が本能的に理解する。

 気を抜けば、死ぬと。


 二匹とベティの距離は数メートルにも及ぶのだが、まるで目の前にいるかのような彼女の圧に一瞬の躊躇い。


 ベティはそれを見逃さない。


 一瞬の重心移動に呼応するように跳躍。

 銀が闇夜に煌めき、伸び上がる先端が狗の命を刈り取ろうとする。


 慈悲は無い。無残な死体が少なくとも三つもこの場にいたのだ。殺す理由はそれで十分。


 しかし敵も簡単に死ぬほどやわではない。

 これを見た狗は、その体躯に見合わない動きでバク転しながら大きく後ろに後退。


 しかし避けられたことを気にもとめないように、ベティは地面を踏みしめ上に跳躍。


 猛然と突っ込むベティの狙いは鴉の翼。

 片方だけでも傷をつければ、鴉特有の飛行能力は損なわれる。


 端的に言うと、本来の狙いはこっちだった。ナイフに込めた殺気は全て狗の方へ。

 狗はナイフを警戒。鴉は狗の援護に回るようこちらに近づいている。


 狙い通り。空を這うナイフが鴉の左腕を切り裂こうとして、


 ――快音。


 鋼が肉と骨を切り裂く音ではない。鋼と鋼がぶつかり合うような金属音となって鼓膜を震わせた。


 交差するのは細いナイフと、巨大な鴉の翼。

 ただし羽根の硬さはベティのナイフの強度と遜色ない。

 交錯に火花が飛び散り、互いを削り合う不快音と共に、力比べ勝負となる。


 力負けしない鴉の筋力に一瞬驚きつつ、ベティは次の一手を思考。


 ――硬化してるのは翼のみの可能性。なら、


「食らいなさい!」


 巧みなナイフ捌きで翼を滑らかに受け流し、鴉は勢いのまま下へと直線落下。立て直される前にとベティはスリッド越しのシースからナイフを引き抜き射出。


 真下に振り落とした投げナイフは鴉の背に深々と突き刺さり、寸断された血管からは零された水のように血が勢いよく溢れ出す。


 鳴き声を上げながら、鴉はバランスを崩した。しかしこのままでは地面に強く激突することを察知した鴉は、崩したバランスのまま翼が触れるギリギリのところで急旋回と急上昇。


 回転を加えながら大きく羽ばたき、突き刺さったナイフを振り払う。


「ちっ!」


 想像通りに事が進み、ベティは鴉に傷を負わせることに成功。だが、そのダメージ自体は少なかったようで、らしくもなくベティは舌打ちする。


 腿に付けられたシースの残り投げナイフ残数は五本。

 一撃でのダメージ量の少なさから、投げナイフでの致命傷の可能性は薄れる。


 回転しながら地面を踏みしめるように着地。


 だが安堵する間もなく、苛烈な踏み切りのまま狗が襲い掛かってくる。


 鋭利なのは何も牙だけではない。爪すらも、この巨躯によるものとなれば致命傷と言える代物になるだろう。


 投げナイフを引き抜く暇はない。かといって、着地の衝撃がまだ残り、後頭部のダメージを受けた脳内が正しく回避行動を起こせるか怪しい。


 結論づけ、目を見開き、一瞬の判断でベティは片方のナイフを捨てる。

 金属が地面に跳ねる快音と共に、狗の爪先がベティの首元へ迫り、


「ふっ」


 息を詰める音。風と大気の悲鳴が、爪の軌道を教えてくれる。

 爪の触れるギリギリまで視線は逸らさず、上体のみの動きで攻撃を紙一重の回避。


 勢いに沿うように狗の腕を掴み、流れるようにベティは跳躍。半回転して背を犬の横腹に向ける。

 狗の勢いに抗うことなく、むしろそれに捕まるようにした行動。これによってこの瞬間、爪がベティを襲う心配はない。そして逆に、ベティの反撃のチャンスを生み出す。


 右手に力を込め、ナイフの切っ先を向ける。

 狙いは当然、がら空きとなった腹部だ。


 隠力による影響か、一度塞がっていた傷跡にベティは再度ナイフを突き刺す。

 筋肉も神経も骨も無視したまま、ナイフは根元まで突き刺さった。


 大量の血液が、傷跡とナイフの隙間を掻い潜って外へ漏れ出る。

 口からもとめどなく血を吐き出した狗に容赦することなく、ベティは腕全体に力をかけて狗を吹き飛ばした。


 勢いにナイフは引きずり出され、抵抗する気力もなくした狗は真っ直ぐに、青年の腹部へと侵入する。


 ベティの圧勝。それが確定し、ベティはセイヤの隣へと歩み寄った。


 ―――――――


「殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロス……」


 呪詛のように同じ単語を呟き、青年の表情が死んでいく。

 息子を思う母のように、倒れ込む狗を抱き抱える青年の表情が死んでいく。


 そうして全ての感情が死んでいき、たった一つ残ったのは、静かに燃える殺意だけだった。


 青年の足元に降り立った鴉も、その黒い瞳から殺意の波動を宿らせている。


「裂いて、砕いて、磨り潰して、ぐちゃぐちゃに、跡形もなく、肉片すら残さず、火葬もできないままに、塵一つ残さず、テメェらを殺す」


 殺意の炎に焼べられるのは、青年の歪な愛。

 狗と鴉を傷つけられ、狗に至っては瀕死に追い込まれている。


 愛する仲間たちを傷つけられた青年の声に灯る殺意は実に人間らしく、それが返ってセイヤとベティの全身の毛を逆立たせた。


「来るか!!」


 孕まれる殺意の膨張を全身で感じ、防御姿勢をとる二人。


「隠術!!『無限――――』」


 そこまで言いきり、ふと、目をぱちくりさせながら青年の殺意が霧散した。

 そして遅れて青年の内心を埋めつくしたのは、彼らへ送る絶望の想像だった。


 一瞬の殺意の緩みに緊張の糸を緩めた二人。そこに漬け込むような青年の表情に、再度二人は表情を強ばらせた。


「あぁ、うん。やっぱ直ぐに殺しちゃつまらないよね……この子たちにも申し訳ないよ」


 下品に、狂気を孕んだ笑みを浮かべて青年は小さく呟く。

 嘲笑は、殺意に結びつかない。滑り込んできたなにかが青年を満たすことで、青年は一度持っていた殺意を完全に手放していた。


「おやすみ。いい夢を見てね」


 狗と鴉の頭にそれぞれ手を触れされ、直後、狗と鴉がドロリと溶けて影に染み渡る。

 地面に染み渡った泥のような影は青年の影と同化し、二匹の存在がこの場から完全に消える。


「一体何のつもりだ……」


 行動の矛盾に、セイヤは構えを解かないまま問いかける。

 そんなセイヤとは打って変わり、立ち上がる青年は大きく伸びをしていた。


 気分が変わった、と最初に一言付け加え、


「本来の目的の成就と、僕の復讐の前段階を始めるのさ」


 余裕綽々の声を上げながら、青年は二人に手を振ってきた。

 その瞬間、青年の真下に穴が空いたかのように、青年が影の海に沈み込む。


「じゃあね」


「――待て!」


 咄嗟にトンプソンを打ち込む。が、弾丸は地面に突き刺さっただけで、青年に届くことはなかった。


「くそ!」


 地を蹴り、舌打ちをしてセイヤは考える。

 青年のさっきの言葉の真意は何だ。

 本来の目的。復讐の前段階。


 復讐の対象者はもちろんセイヤとベティだろう。そのセイヤとベティにとって最も忌むべき最悪の結果は――。


「――ダメ! 戻らないと!」


 同じ答えに辿り着いたベティが、声を上げながら逆方向を向いて走り出す。


 視線の先は、校舎内。


「ちくしょう!」


 ―――――――


「ソウマ……どこにいるんだよ……!!」


 静寂を駆ける足音は一つ。

 助けを求めて下に降りる選択肢より、危険を犯してでもソウマを見つける選択肢を選んだヨウ。

 四階を見て回り、五階へ駆け上がり、ドアを開いてはソウマがいないか確認する。


 まだ調べてない場所は三つ。一番手前、一のCの教室のドアを開き、


「やあ、さっきぶりだね」


 硬直。

 声にもならない声を上げ、ヨウの全身が石化したように固まった。

 それもそのはずだろう。

 眼前。息のかかるほどの距離で、笑みを浮かべる化け物(青年)が現れた。

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