第十三話 『常闇の激戦』
セイヤに殴られ、直線に吹き飛ばされながらも青年は思考を巡らせていた。
大人のような狡猾な考えではない。自分自身をもっと楽しくさせる考えを、張り巡らせていたのだ。
青年は周囲の窓ガラスを巻き込みながら地上へと落下ていく。衝撃に呻き声をあげながらも、コンマ一秒後には冷静になっていた。
青年は全身の力を抜きながら、地面にぶつかるスレスレのところで呼び込んだ鴉に肩を掴んでもらい激突を回避。
そのまま低空飛行を続けてもらい、安定したところで離してもらい着地。
慣れた動きで浮遊感を体験し、優しく掴まれた肩に外傷はない。
狗は窓から飛び出すと、三階という距離があろうものを床を粉砕しながら着地。
太い腕と太い脚が地面に突き刺さらんばかりに抉り取り、地面の破壊音が校内に木霊する。
空を舞う砂塵に目もくれず、真っ先に主君の元へ戻るその姿は、愛犬そのものの行動なのだろう。
ただ、その主が禍々しい圧を放たなければ、の話だが。
「いいね、ここは広い」
飛ばされたのは運動場。逃げ隠れも出来ないこの場では、単純な戦闘力による差が勝敗を分ける。
青年があたりを見回しながら、飛んでくる巨大な二つの圧力を察知。
空気を貫き、セイヤとベティが運動場に到着。
砂埃が宙を舞う中で、青年は確かにその赤い輝きを目にした。
「良い、血気術の纏い方をしてるね」
「悪いけど、最初から全力よ」
セイヤとベティは自身の獲物を握りしめながら構える。
赤い煌めきはセイヤとベティの腕から発生し、やがて獲物に纏わりつきながら収縮していく。
「二手に別れて行動。合理的だね。それに二人とも厄介そうだ」
校内にある気配を察知し、青年は己の手を顎に触れさせながら呟く。
なかなか対応が早い。余程優秀な人間が青年の存在を危惧したのだろう。
目の前の男女も、見た目とは裏腹にかなりのやり手だと推測。
血気術が漏れ出ている様子もない。よっぽど使い込んでいるのか、自身の術式を完璧に制御していると見える。
――楽しめそうだ。
「――来るッ!!」
二つの踏み込みと一つの羽ばたき。
狗と鴉が、暗闇に紛れてその場から消える。否、暗闇にその黒い身体が同化してセイヤとベティに見えなくなったのだ。
消える直前の方向的に、迂回して背後を取るつもりだろう。素早く後ろに反応すれば対応ができるかもしれない。
だがその前に、
「チッ!!」
青年の掌底が、セイヤのこめかみ付近を掠める。先程セイヤのやった事への仕返しのつもりだろう。
それも、当たれば即死の特別サービス付きでだ。
掠った部分に線がひかれ、そこがぱっくりと割れて血が垂れる。
必殺の攻撃。それが一瞬で行われた事に焦りを感じながらもセイヤはそのお返しとして腹部に膝蹴りを入れる。
攻撃後の一瞬の停滞を見逃さなかったセイヤの一撃は青年の鳩尾に入り込み、青年はくの字に折れながら弾かれるように吹き飛んだ。
しかし、攻撃はそれで終わらない。
吹き飛び、地面に叩きつけられながら転がる青年が凶悪な笑みを浮かべる。
初撃を避けられ、反撃を食らったのにも関わらずに笑う青年の表情を理解し、セイヤが振り返ったところで、
「単純ね」
ベティが、手に持つ獲物で狗と鴉の胴を切り裂いていた。
切り裂かれた部分からはどす黒い血が溢れ出る。
影から生まれたというのに血液が流れ出てくるのか。
そんな場違いな感想を考えるセイヤとベティから距離を置くように、二匹はその場から離脱する。
悲痛の叫び声を上げながら、黒く長い舌を垂らして狗はその口腔から赤い血を垂れ流している。
本来の影とは別物という事だろうか。
狗や鴉といった実態を伴った影には様々な術式が編み込まれている分、本来の影とは違うのかもしれない。
それかもう一つの考えとしては、影を媒体として生物を召喚した可能性。影から生まれた二匹だが、血が赤かったり呼吸をしている分こちらの方が可能性が高い。
鴉も同じく血を垂れ流しながら、今の一撃で形勢不利と見たのか攻撃を食らった直後に大きく旋回し、二人から距離を取った。
「……攻撃は割と単調ね。術式的にあまり複雑な命令は出されてないみたいだけど、厄介ね。遠隔操作式というわけでもなさそうだから召喚術式の類いね。二匹とも連携がぴったりだもの。ほら」
そう言ってベティは後ろにいるセイヤに両腕を見せる。
完璧に間合いに入り、攻撃を受け流しつつ反撃も兼ね備えたベティの二撃に対し、狗も鴉も両方とも爪痕を残していた。
ベティの華奢な腕からは鮮血が流れ落ち、ベティの獲物――ダガーナイフを赤く染め上げている。
攻撃を食らう直前、狗と鴉は自身の体躯を理解し、攻撃を食らう覚悟で身をよじっていたのだ。
狗はその口腔に収まりきらない巨大な牙で。
鴉は鋭利な刃物にも似た翼で。
それぞれベティの腕に裂傷を与えたのだ。
自律式で、単調に直線攻撃をするわけでもない。攻撃自体は単調だが、そこまでの過程は判断しづらかった。
一気に攻め込まれると厄介だ。
「割と攻撃も見えないしな……ベティ。そっちの二匹頼めるか? こっちはあの男をやる」
こめかみから溢れる血を拭い、セイヤはトンプソンとグロック18Cを構える。
青年の攻撃は近接格闘が多い。しかも食らえば一発即死並の威力だ。迂闊には近付けない。
その点で言うとベティと当たらせるのは不利になる。
ベティの戦い方は近接格闘向けだ。ダガーナイフ二本を駆使して相手を切り刻むため、どうしても青年との距離が縮まり掴まれる危険性が増える。
狗と鴉も厄介だ。二匹当時の連携攻撃にはセイヤも対応するのが難しい。視覚慣れもしていない状態で、懐に入られでもしたら対応が追いつかない。
一体一での戦いを磨いてきたセイヤと、一体多数での戦いを磨きあげてきたベティ。
「妥当だと思うわ」
セイヤの判断に同調し、ベティとセイヤは互いに背を預ける形でその場を別れた。
後ろを向きはしない。
なんせ後ろにいるのは、背中を任せられる大切な相棒なのだから。
―――――――
Aサイド セイヤVS青年
セイヤの相手は、口に付着した血を拭っている青年だ。
青筋を浮かべる青年に対して、セイヤは煽りを入れる。
「黙ってくれてるなんて随分良心的じゃんか。腹でも下した?」
「さっきの誰かさんの攻撃で腹を壊されてね。治癒してたところだよ」
「そいつは失礼」
子供っぽさから効果的かと思われたが、煽りは通用しないらしいと、セイヤは青年の表情を見て判断。次に視線を青年の腹部に動かす。
あばら骨ごと持っていった攻撃だったが、どうやら完全に治癒されたらしい。
たった数秒でこの治癒能力。攻撃面以外でもSランクに相応しい様を見せられ、セイヤは内心冷や汗を垂らす。
現実、応急処置にしては回復量が多すぎる。
口からの吐血はまず見られず、これ見よがしに体を捻ってみせる青年に、その健在さをアピールされた。
「だから今度は、こっちの番」
「――――ッ!!」
砂埃を作り、青年がセイヤの方へと飛び込んでくる。
反射的に間合いを作るためにセイヤはグロック18Cを乱射。上に跳躍か、下に這いずるようにしゃがみこむか。
何れにせよ、右手で構えたトンプソンの餌食になることに変わりない。
そう思っていたのだが、
――何ッ!?
「ほらほらほらぁ!」
グロック18Cによる乱射を、避けることもせず青年はそのまま直進。その理由は、青年と弾丸に割って入るように現れた影の盾によるものだ。
青年がベティの蹴りを防いだのと同じ影の盾。簡易的に切り取られた影の盾はグロック18Cの弾丸を飲み込み、直前で砕け散る。
「首寄越せやぁ!」
が、霧散する影に臆することなく青年が飛び込んできて、
「あーあ、避けるのね」
顔を狙った蹴りを、身体を逸らせることでセイヤは緊急回避。洗練された体幹能力はセイヤに反撃を作るチャンスを与える。
だが、青年の卓越した才能はこれだけで終わるにとどまらない。
青年は蹴りが外れたのを見て、そのままの勢いで回転。右足を力強く地につけ、回し蹴りでセイヤの鳩尾を狙う。
だが、それを見てセイヤは後ろに跳躍。足の届かない所まで飛び下がりながら、トンプソンを構え銀の弾丸を撃つ。
「――――ッ!!」
音速を超える銀の煌めきが、相手の肉を抉りとる。
撃たれた弾丸は青年の左足に並行に撃ち込まれ、薬指や小指を持っていきながら青年の眼前に迫る。
殴る蹴るの野蛮な戦闘スタイルと対を為すような銃撃が、青年の耳元を掠める。
「痛ぅぁぁ!!」
足と耳から血が飛沫、骨が砕け、苦鳴が青年の口から漏れ出る。
これを好機と見てそのまま突っ込むのも一つの手だったが、セイヤは身を捻り片腕で全身を支え、腕に力を込めて半回転。バックステップしながら距離を取る。
グロック18Cもトンプソンも撃ち尽くした。そのまま攻めるとなると、セイヤは近接格闘を強いられることになる。
それよりかは銃をリロードし、遠距離対応できるようにした方がいいという賢明な判断だ。
「へぇ。消極的だ」
「手堅いと言ってもらいたいね」
笑いながら、セイヤが攻めてこないのを良い事に青年は自身の肉体の再生を図る。
千切れた血管同士が這いずるように蠢きながら癒着。抉りとられた肉は盛り上がり、幾重にも千切られた繊維や粉と化した骨が凄まじい勢いで再生していく。
そんな光景を、セイヤは何をする訳でもなくじっと見ていた。
それは反撃にでるチャンスがなかったからだ。
青年の反応を見るに彼は明らかに子供のような行動をとる。一度攻撃に転じたかと思えば、その後の防衛は緩慢で、思考は快楽主義。
それを見計らい、回復時に僅かばかりか攻撃出来る隙があるかと思ったが、流石に敵もそこまで間抜けではないようだ。
回復が終わり、青年は自身の足を軽く振る。
「はぁ、強いね。でもそれなら尚更女の子にあの子たちを相手取らせるなんて感心しないなぁ。多勢に無勢だよね」
カマをかけてるつもりなのか、それとも本心からの言葉なのか。何れにせよ、その見当違いな問いかけに、表情を固くしていたセイヤはそれを崩壊させ思わず笑い出す。
「なんだよ急に」
「いやいや、悪い悪いでも安心してくれ」
急なセイヤの表情の切り替えしに苛立つ青年。それすらも滑稽で、セイヤは笑いの笑みをより一層深める。
馬鹿笑いではない、信頼による笑いによって。
「あいつは俺より強いから」
「――――ッ!?」
言い切りと同時に、黒い物体が青年に直撃。
それを受け止めた青年が、驚きにその目を見開く。
「テメェら……!!」
青年の手元――狗が、その場にぐったりと倒れ込んでいた。
幾重にも重なる裂傷が、その場に大量の血を生み出し、既に狗は事切れていた。
「やっと、人間らしい表情が見れた気がするよ」
狗を心配するように抱き抱えた青年を見下ろして、セイヤはグロック18Cとトンプソンをリロードした。




