第十一話 『ヒーローは遅れてやってくる』
六つの周期的な音が、音の主の呼吸と共に乱雑に闇夜に響く。
住宅街を駆け抜け、大通りを駆け抜け、細道に入り込み、一般市民から視線を切る。
そうして走る六人の表情は、決して良いものでは無い。むしろ強ばらせ、焦り、焦燥感に駆られたままに走り続けていた。
「……このままじゃ間に合わない! 戦闘組は先に目的地に! 解読組はあとから来てくれ!」
戦闘組――他五人のうちの三人が了承の意を出し、セイヤは一度立ち止まる。
「向こうについても戦える程度に、それでもありったけの血気力を使って急ぐぞ!」
そう言って、セイヤは一歩歩を進め、爆進。驚異的な跳躍はゆうに五メートルを超え、そのまま壁伝いに向こう側へと消えていく。
他三人。ベティや、セイヤとベティと同じく吸血鬼を討つために生まれた組織の一員も、脚に血気力を集中させ、そのままセイヤの行く道を辿る。
「お願い……間に合って!」
祈るように、ベティは自身の血気力を脚へと流し込む。爆発的な跳躍は歩が増える程に勢いも伸びていき、一瞬で解読組と距離を離した。
住宅街から離れ、裏路地に入り込み、壁を蹴飛ばしてはショートカットしながら目的地へ。
「まだ……まだ行くんじゃねぇぞ……Sランク!」
風圧にさらされながら、それでもスピードを緩めることはない。このまま少しでも遅れれば、一瞬で物事は大惨事になってしまう。
「死なないでよ……ヨウ君!」
戦闘組は、目的地である学校に向けて爆進する。
―――――――
「――――」
怯え、この世界にあってはならない出来事を目の前で直視してしまい、バスケ部員たちは硬直する。
キャプテンである木村の生首が飛び、そこから鮮血の噴水が吹き上がった。頭を失った身体は行き場を失うように膝から崩れ落ち撃沈。
数回身体を痙攣させたかと思えば、そのまま二度と動かなくなる。
スプラッタ映画でもなかなか見ない、人間の頭が落ちる瞬間。
あまりの非現実的な現場に、胃酸をぶちまけるものも入れば、叫び、金切り声を上げる者もいる。
ヨウはその中で、ただ呆然と、目の前を見ていた。
一体何故、吸血鬼が志村だと決めつけていたのだろうか。志村以外の吸血鬼が志村と組んで襲来することなど、今にしてみれば容易に考えついたことだったというのに。
驚き、叫び、狼狽し、しかしその行動はある人物の登場によって全て静止される。
「んー! いい音が鳴る鳴る!」
志村の影から、何かが、現れる。
現れたのは笑みを浮かべ、洞窟のような虚無を瞳に宿した白髪の青年だ。
笑みを浮かべる彼の表情は、無邪気な少年のようで、だからこそ悪寒が止まらない。
なんせこの状況で笑顔でいられるのは、常人の枷を外した異常者の行動に他ないからだ。
しかも彼の手には、まだ真新しい血が大量に付着していたのだから、それすらも気にとめない青年に恐怖するしかない。
「えーと、うん! ちゃんと人数通りいるね! 約束は守ってあげるよ!」
「ほ、本当か!? 本当に約束は……」
「僕らにとって、契約を破ることは死を意味することだって、最初に実演してあげたじゃん。安心してよ。殺さないから。先生たちも、ちゃんと職員室で眠ってるよ」
どうやら青年と顔見知りの志村は、彼の登場に驚かず、何かの確認を取っている。
青年の言葉に安心したように胸を撫で下ろす志村に、重ねられた場違い感でようやくバスケ部員たちは我に返った。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
だが、我に返ると言っても正気を取り戻したわけではない。
有り得ない出来事に恐怖し、衝動的に起こった行動だ。青年から離れるために、バスケ部員たちは次々に体育館を出て正門まで向かう。
「 へぇ、追いかけっこかな。じゃあ僕が鬼だよ!」
バスケ部員たちが外に出たのを見て、笑う青年の声に背を向けて。
「な、なんだよアレ……キャプテンが……死んだ! 死んじまった!!」
受け止めきれない事実を声に出しながら、半ば狂乱気味にバスケ部員は正門へと向かう。
青年が追いかけてくる気配はない。このまま交番まで向かって助けを求めようと考える。が、
「な、なんだよこれ!?」
正門前に突如として生み出されていたのは、黒い茨だ。
幾重にも入り組んだそれを通り抜けることは用意ではなく、有刺鉄線のように校内を取り囲んでいる。
茨はまるで動いているかのようにも見え、きっとその中に入ろうものなら一瞬で全身を挽肉にでもされるだろう。
「ど、どうしろっぇ――」
逃げ場を失ったことに驚き、後ろに一歩下がったバスケ部員の先輩、加藤だったが、その瞬間にカトウの腹に風穴があく。
風穴は突如として現れた腕によって起こったものであり、腹の延長戦、風穴の開いた原因である腕が腹から引き抜かれると、加藤は声を震わせながら小さくよろめいた。
行き場を失った血液はそのまま液漏れするように大量に噴出し、口からも大量の吐血がぶちまけられ、加藤は顔面から地面に激突。その場に血の絨毯を生み出す。
そして加藤を殺した張本人――加藤の影からは先程の青年が現れ、笑いながら腕に付着した血を一振りで振り払った。
「これで二人目」
虚無を宿していた瞳は黄に変わり、強膜は紅へ。伸びる牙に現実離れした身体能力は、吸血鬼以外の何者でもない。
理解し、ヨウは恐怖する。
そして、ヨウの恐怖と同じくして、狂気的な笑みを見て全身の産毛が逆だったバスケ部員たちが次々に校舎へと逃げた。
「いいねいいねぇ!」
散り散りになるバスケ部員たちを見て、青年は狂気を更に深める。
不条理の塊である青年は、愉悦を存分に顔に貼り付けたまま、また影の海に沈んだ。
「ふ、二人……二人も死んだ……なんなんだよアレ……」
校舎内の教室。
怯え、膝を震わせながらソウマは呟く。
この場にいるのはヨウとソウマだけだ。シンジとははぐれてしまい、他のバスケ部員とも散り散りになってしまった。
教室内に立て篭り、ヨウとソウマはあの脅威に怯え続ける。
「……あ、そ、そうだ警察なら!」
閃いたようにソウマは顔を上げ、震えた指で携帯を取り出して警察へと電話をかけようとする。
それを見てヨウも、反射的に警察よりももっと頼りになる人物に電話をかける。
――頼む……出てくれ!
二人のそんな願いを、
「何してるの?」
外から飛び込んできた白い影によって窓ガラスが砕け散り、白い影は流れるようにヨウとソウマの携帯を奪い握りつぶす。
常人では有り得ない破壊力を伴った握力は携帯を簡単にゴミに変え、床に接触した際に響く快活音が恐怖を再来させる。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!?」
ドアを勢いよく開き、二人は廊下へ。安易に下に降りることも出来ず、上へと登る。
頼みの綱であった携帯を粉々に砕かれてしまった。あの話し合いから察するに、きっと先生たちは眠らされているのだろう。
助けを求める手段がなくなったことに半ば絶望しながら、二人は三階へと駆け上がる。
「ヨー君こっち!」
廊下を走り、何かを見つけたソウマは体を右側に九十度回してある部屋に入る。
それに流されるままヨウもその部屋に転がり込んだ。
転がり込み、薄暗い部屋の中で、この場所がどこなのかをヨウは理解する。
部屋は化学室。ここには様々な薬品が置かれており、当然人体に影響のあるものだって保管されている。
「……よくわかんないけど、誰かが警察を呼んでくれてることを願うしかないよ」
荒くついた息を宥めるように、胸に手を当てながらソウマは告げる。
ソウマの言いたいことの次がヨウにはわかる。
つまりは警察が来るまでの間、この場で抵抗をしろということだ。
「二人も殺されて……あんな化け物みたいなやつだけど、きっとこれなら……」
どうやらソウマは化学薬品を使ってあの吸血鬼に対抗するらしい。
確かに吸血鬼は見た目的にも人間に限りなく近い。だが、その実態が、本当に人間と同じなのかはヨウには判断がついていない。
「ソウマ……」
「ヨー君。怖いけど、やるしかないよ。何なのかなんて全然わかんないけど、このままだと死んじゃうんだ。それに、先輩たちの、仇を取りたい」
ドアと窓、両方が視界に入る位置にソウマが移動する。
確かにソウマの言う通りだ。
粘れば騒ぎを聞き付けたセイヤたちがこの場を救ってくれるかもしれない。
それに、あんなに簡単に先輩たちが殺されてしまって、何も出来ずに逃げ続けるだけなんてヨウたちには我慢出来なかった。
自分たちの力で、今は戦うしかない。
「……わかった。やろう、ソウマ」
「うん!」
力強いヨウの頷きを見て、ソウマも勇気が湧いたように頷く。
やれることをやるしかない。生きるために。
「……何か武器になるものを」
そう思っていたのに。
「あ」
「はい、捕まえた。簡単に殺しちゃ、つまらないよね」
ヨウの視界から、ソウマが消える。
否、ソウマの全身が、暗い影の海に沈んだのだ。
有無を言わさず、言葉を告げる間もなくソウマとヨウは隔絶された。
そうして、影からまた青年が現れる。
「窓から来ると思った? ねぇねぇ思ったんでしょ? でも残念、正解は影の中から現れるでしたー!」
愉悦を貼り付け、青年はヨウを煽る。
普段ならこんな煽り言葉、気に求めないのだろう。
だが、呆気なく親友を奪われたことに、ヨウの正気は簡単に取り乱された。
「うるせぇ……うるせぇんだよ! ソウマを……ソウマを返せよ!!」
冷静な判断が出来ず、ヨウは机の上にあった誰のかも知らないシャーペンを青年に突き刺す。
「――――ッ」
シャーペンは青年の腕に深々と刺さりこんだ。そこから垂れ流れるのは赤い血だが、青年はそれを気にとめる様子もなく、むしろ苛立ったようにヨウを見る。
「生意気だなぁ……君」
睨みつけられ、ヨウは自身の失態を察知し、萎縮する。
もっと冷静に、反撃に出るチャンスを待てば良かったのに。
しかし、ソウマが消えたことによる怒りが、その冷静さを取り消したのだ。
「いいや、君は殺すよ。バイバイ」
――あ、死ぬ。
緩やかな世界で、視界の左端に青年の手刀が見える。
その手刀は空気を切り裂きながら、吸い込まれるようにヨウの頭を、
「――――ッ!?」
教室が、震える。
激音が、目の前で交錯される。
青年の手刀に交差させながら留まるのは、見覚えのある拳銃。
彼にしか扱えない血気術の編み込まれたトンプソンだ。
「……セイヤさん!」
「ごきげんようお兄さん。俺の機嫌は悪いけどな」
「誰だよ君」
怒りの笑みを浮かべる、救世主がやってきた。




