第十話 『命の天秤』
ボールをつく反響音が、周期性のないままに乱雑に体育館内に響き渡る。
半分に区切られたコート。ステージ側が女バスで、出入口側が男バスのテリトリーだ。
「よーし、一旦休憩挟むぞー」
「「「うぃーす」」」
大会に備えての熱心な練習は、当然その場にいる者に熱気を与え、もう秋の中盤だというのに体育館内はサウナ状態だった。
二年生七人、一年生六人は、志村によって考えられたそれぞれ自身の強みを生かす練習をしている。
ちなみに、当の本人である志村の能力は、はっきり言って凡人の域を出ないままだった。
しかしどちらかと言えばマネージャーよりの視点でバスケを捉える節があり、彼が部員に伝える対戦相手の情報はとても有益なものであり、人を見る才能があるというのが部員内の志村への評価であった。
そんな能力と、人を公平に見る優しさ、バスケへの人一倍の愛が買われ、彼は部長としてチームを引っ張ることとなり、誰もそれに異論するものはいなかった。
その志村は今日もまた、この体育館に来ていた。
「これで先輩が来て一週間と一日。マジであの人何日いる気なんだろ」
「大会前日までとか言っていざ大会の日になったら応援に来そうな勢いだよねぇ」
「そのうち監督の横で指示出したりとかしてそう」
オレンジ色の球体を慣れた手つきでこねくり回すシンジと、座り込み、ボールに重心を乗せるようにへばるソウマが志村を見てそう言う。
一旦の休憩を挟んだあとは、ワンオンワンの練習だ。水筒の中の水を強引に喉に押し込んでヨウは口を拭う。
蒸し暑さは時間が経つほどその勢いを増していき、購入した巨大扇風機の風も今や生温いものとなっている。
「まぁ先輩が来てくれたおかげで、みんな自分の弱点を知ることが出来たしな。俺は切り返しの弱さどうにかしないと」
バッシュを床に滑らせ、キレのいい摩擦音をその場に鳴らす。
ヨウの弱点はどうやら足腰の弱さや、切り替えの時の緩急らしく、今はそこを重点的に修正中だ。
「俺は体力だなぁ……でもまだ立ちたくない」
「へばるの早いだろ頑張れよ」
「立てよソウマ! もうすぐ休憩終わりだしワンオンワンの準備しとこうぜ!」
シンジは呼びかけ、慣れた手つきでスリーポイントラインからシュートを放ち、ボールを取りに行く。
美しい弧を描いたボールは乱れることなく吸い込まれ、ネットとボールの擦れる音にソウマとヨウは感心のため息をつく。
「うっまいわやっぱシンジ」
「本当にね。シュート打つ時だけ無駄に静かなんだもん」
相変わらずシンジのスキルは高い。たとえそれが素人目であったとしても、彼の美しいシュートフォームには感嘆するだろう。普段のシンジの行動とは真逆なので尚更だ。
「頑張んないとねえ。結果残して、部費もいっぱいもらって、新入部員増やして先輩達を安心させてあげないと」
シンジに感化されるように立ち上がり、そう言いながらソウマもコートに入る。
ソウマがバスケ部に入ろうと思ったきっかけは、先輩たちの優しさに触れたかららしく、どんなに辛い練習であっても、弱音を吐きながらも最後でやり遂げるソウマにはみんな一目置いている。
当の本人はそれを自覚していない様だが。
ヨウがこのバスケ部に入部しようとした理由は全くとして大層なものでは無い。ただ中学の時もバスケ部だったので流れでそのまま続けようと思っただけだったのだ。
結果的にそれは幸を結び、今ではヨウはこの空間のことが大好きになっているが。
ヨウやソウマが大会に出れるほどの実力を持っている訳では無いが、それでももし出ることが出来たのならば、仲間達を上へと連れていきたいと思っている。
「そのためにできることをやらないとな……」
「ワンオンワンするぞー! 集合ー!!」
部長兼キャプテンの木村の号令が響いた。
全員が小走りで木村の元へ向かい、それぞれがペアを組む。
なるべく実力の近いもの同士でやり、互いの弱いところを伝え合う。
そしてそれを知ったところで修正しながらワンオンワンを繰り返す。
基本的にはパス回し主流の戦法で戦ってきてはいたが、流れを変えたり、チャンスを生み出すにはやはりワンオンワンは重要だということで、最近ではとても重宝されている。
「よし、組んだな! じゃあ十分間練習スタート!」
互いに互いの相手と向かい合い、練習は開始された。
―――――――
静寂が、体育館内を包み込む。
練習が終わり、部室で着替えを済ませればいつもと同じように体育館に集合してミーティングだ。
うちの部活は最初の三十分間と最後の三十分間を外での走り込みに使うことで、オールコートの試合を可能にさせている。よって外で走り込みをしていた女バスは既にここにはいない。
この場にいるのは男バス部員のみだ。
「今日もお疲れ様。もう一週間以上経ったんだよな」
感慨深そうに、志村はそう告げる。
もう外は暗い。
秋の空は簡単に黒を持ってくる。あんなに明るかった快晴も、月が輝く夜空に早変わりだ。
きっとうちの部活が最後の帰宅となるのだろう。だが、それでも志村の話を聞くことは嫌ではなかった。
彼が来てからバスケ部の実力は飛躍的に伸びてきている。ただ漠然とこなすのではなく、どの練習をすればいいのかを取捨選択することで、自身の弱点を補えてきているのだ。
着実な自身のレベルアップに、バスケ部員は大会を楽しみにしている。
「そう、もう一週間以上経っているんだよな……」
「どうしたんすか先輩」
言葉尻弱く、震えるような声を出す志村に部員達はクスリと笑う。
大方、引退してしまったという事実の悲しみと、こうして練習に参加できる喜びとが混ざってしまったのだろう。
志村は涙腺も弱い。ちょっとしたB級映画での感動シーンでも号泣したことがあるくらいだ。
「明日もどうせ来てくれるんでしょ? 明日のコートはバレー部が使うんだし、体力アップの練習手伝ってくださいね」
笑い、木村が志村にそう告げる。
一日交代制で使われる体育館なので、明日のメニューは基本的に走り込みメインだ。
いつも以上にきついのだが、頑張ろうと思う。
「ああ……本当に……でもな、無理なんだ……無理なんだよ」
「?」
下を向いていた志村が突如涙を流す。歯を食いしばり、拳を握り締め、そこから流れ出る赤い液体に部員たちは目を見開いた。
「ちょっと先輩何してるんですか!?」
「きゅ、救急箱!! あぁでも部室の鍵は閉めちまったし!」
志村の突拍子もない行動に驚いた部員たちはあれやこれやと志村を心配するのだが、当の本人はそれを気にする様子もなく、次々に新しい雫を床に落とす。
「せ、先輩……?」
自身の手のひらから血が出ていることを気にもとめない志村に、部員たちは次々に異変を感じ始める。
「ごめんな……ごめんな……やっぱり俺は……」
部員たちから目をそらすように、志村は下を向いたまま懺悔し始める。
そうはされても、部員たちにとっては全く身に覚えのない謝罪なので困惑するしかない。
それが何を意味していたのかは、志村しか知らないのだ。
「本当にどうしたんですか?」
心配そうに顔を覗き込む木村を見て、志村は目を見開きながら退いた。
その奇っ怪な行動に目を丸くする部員たちだが、志村はそれを気にもとめない。
そうして、覚悟を決めたかのように、浅く、荒く、悲しく、断続的に志村は呼吸する。
「本当にごめんな……みんな……ごめん」
志村は何度も何度も謝り、そうして、
「みんな――死んでくれ」
「「「え?」」」
次の瞬間、彼の目の前にいた木村の生首が血の吹き出る旋律とともに、静かに宙を舞った。
 




