1 子猫
どしゃぶりの大雨の中、地元の神社へ向かう。
神社の軒下に子猫が捨てられていたのを、下校時に寄り道した時に知った。
見るからに栄養失調で長くは持たないかも知れない。
ウチでは飼えないが、とりあえず何か食べるものをと思い、家を出たらこの雨だ。
だが、神社はすぐ近所だ。ほどなく着いた。
神社の軒下。鳥居の手前からでも、子猫を確認出来た。
待ってろよ。今、ツナ缶を食わしてやるからな。
そう思い、鳥居をくぐる。
瞬間、耳が張り裂けそうな程の雷鳴。
「……っ!」
身体が縮みあがった。
かつて聞いたことがない程の轟音だ。すぐ近くに落ちたのか!?
そっと目を開け、辺りを伺う。
「…………?」
静かだ。雨が降っていない。
たった今までどしゃぶりだったのに、少しも降っていない。降った跡すらない。
しかも暗い。夜になっている!?
雨雲で薄暗くはあったが、まだ時間は夕方ぐらいのはず。
なのに、星が降りている。
なんだこれは……。
なにが、起きた?
前方、二十メートル程先に、かがり火が焚かれている。
それは地元の神社にはなかったものだ。
それが左右に二つ配置されており、そのさらに倍ほど向こうには、大きな神社の建物。
地元のよりずっと大きい。
振り返るとすぐそこに鳥居はあるのだが、これも様子がおかしい。
太い柱には大きな切り傷がいくつもあり、見上げると何か細い棒のようなものが鳥居上部に数本刺さっている。
矢……だろうか?
そして神社の周囲には背の高い木々が生い茂り、どこかの山の中のような景色。
明らかに地元の神社ではない。
まったく知らない神社に、オレはいた。
──パチン。
かがり火の中で、木が弾ける音。
どこか物々しい雰囲気だ。
木々がざぁざぁと揺れ、怖くなった。
どこか人間が入ってはいけないような、そんな怖ろしい場所に入ってしまったのではないか。
そんな考えが脳裏を過ぎる。
オレは慌てて引き返し、鳥居をくぐった。
しかしそこに見慣れた景色はなく、森と一本の細い道。
──戻れない。
「うそ、だろ……」
つい声に出る。
「何処だよ、ここ」
心臓の鼓動が速まる。
やばい気がする。
ここにいちゃいけない。
全身でそう感じる。なのに──
戻り方がわからない。
ざわっ。
突然背後から気配を感じ、驚いて振り向く。
ついさっきまでオレがいた場所──鳥居のすぐ向こう側に女の子が立っていた。
こちらに背を向けて、周囲を見回している。
「……っ!」
いったい何処から現れた!? 辺りには誰もいなかったはず……。あり得ないっ!
心臓の鼓動が、尋常じゃなく高鳴っていく。
ど、どうすれば………………。
ふと、彼女の髪が風になびいた。
金髪…………だ。それも色の薄い金髪。こういうのを白金っていうんだっけ……。
プラチナブロンド。外国の少女。
その子が振り向いた。
小柄だがスタイルの良い、綺麗な子だと思った。
三つ四つ年下だろうか。後ろで左右共に結ってある長い髪を、肩から前に下ろしている。
目が合う。
明らかに驚いている。
いや、オレもか。
お互い警戒し合っている。
「だ……誰?」
白金の少女が聞いてきた。日本語だ。あれ? 日本人? あ、よく見ると目が黒い。
「えっと……オレは、その…………近所の鳥居をくぐったら、こんなところに」
内心びびりながら、オレはそのままに言う。
「えっ……。あ、あたしも! あたしもそう! 鳥居をくぐったら……突然こんな所に」
「えっ……キミも!?」
驚いて話す彼女の言葉に、オレも驚いた。
「う、うん。…………なんだかよくわからないんだけど」
不可解な面もちで答える白金少女。
確かに彼女の言うとおり、よくわからない……何かおかしな事が起こっている。
「こ、ここは……あなたも、知らないところ?」
少女がおそるおそる尋ねてきた。
「うん。来たことのない場所だよ」
オレがそのままに答えると「そ、そうなんだ……」と、目を逸らす少女。
あ、たぶんちょっと怖がられている……。
でも、無理もない。オレだって怖い。
「あ、あなたも。来たばっかりってことなのね?」
再度、確認するように少女が聞いてきた。
「うん。その……キミがくるほんの少し前だよ。たぶん一分くらい前だと思う」
無駄に怖がられるのもいやなので、なるべく具体的に伝えた。
すると彼女は、少しだけ安堵した様子をみせた。
同じ、『変な状況に巻き込まれた仲間』──という認識を持ったのかも知れない。
「鳥居……くぐれば戻れるかな」
そう言って、彼女は鳥居を見上げる。
「いや、それはオレもやったよ。普通にこっちに来ただけだった」
「…………そうみたいね」
少女は鳥居のこっち側にいるオレを見て納得した。
「でも念のため」
そうつぶやき彼女が鳥居をくぐる。
……しかし、やはり普通にこちら側に来ただけだった。
「やっぱ駄目か」
少女がため息をつく。
とたん、また木々がざわめく。
「……なんだか怖いね此処」
少女は、自身の腕を抱えるように身を小さくした。
彼女の言うことはわかる。
ここは木々が揺れる割に風を感じないし、やたら静かだ。
聞こえるのは、たまに弾ける松明の音くらい。
まるで真夜中に一人で墓地に立ってるような、そんな不安を感じるのだ。
「……もしかしてあたしら、なんか変な所に迷い込んじゃった……のかな」
「…………そうかも」
神隠し、というやつだろうか。それとも死後の世界ってやつか? 鳥居をくぐる時に聞いた雷の音は凄まじかった。もしかして雷にあたって死んだ……とか。
だ、だとしたら彼女は…………。
「ねぇ。なんで傘なんか持っているの?」
「えっ……」
彼女に言われて気づいた。オレは大雨の中、傘をさして神社に向かっていた。実際、傘から水滴が落ちる。けれど少女は傘どころか、なんの雨具も持っていない。
「えっと、雨が降ってたんだよ。ここに来る前までは」
「…………そう。あたしの所は、晴れだった」
あっけにとられた様子で答える少女。
そうなんだ……。じゃあオレ達は別々の場所から来たって事だろうか。
地元の神社には誰もいなかったしな……。
「ねぇ、キミはどこから──」
瞬間、鳥居のあいだの、何もない空間から人が出てきた。
「わわわ! ここは何処!? どうして夜に!?」
黒髪の、着物姿の女の子だった。
明らかに同じ様な境遇の三人目で、自分もこんなふうに此処へ来たのだろうとはっきり理解した。