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森人街の玩具箱

リリーティアと召喚魔法

作者: さにーみかん

 石をくみ上げて作られた地下遺跡の通路はあまり人が通ったような跡はなかった。陽の光の届かない場所の気が引き締まるようなひんやりとした空気が否応なしに場の空気を引き締めるものなのだが、実際の空気感はというと意外とのほほんとしたものであった。

 煌々とあたりを照らすまぶしいほどの魔力の光源は春のような雰囲気をかもす小柄のエルフの少女の姿を陽の下と変わらない姿で照らし出していた。

 彼女の桜色の長いくせっけは大きな花飾りで彩られたヘアピンとで前髪を、大きなリボンで頭の右側でサイドアップに結い上げられていた。その髪は魔改造されミニスカートのようになっている裾にフリルが縫い付けられた白いローブの裾と一緒に、彼女の数少ない冒険者らしい不釣り合いなゴツゴツとした頑丈そうなブーツが地面を踏むたびにがっちりした革鞄と一緒にどことなく優雅に揺れていた。

 だが、あまりにもほのぼのとした雰囲気のためにおもちゃじみて見える握っている花の咲いた杖も、髪留めもリボンもローブも彼女がそれなりの実力を持った魔法使いである証明になるようなものであった。

 もちろん、隙だらけにみえるエルフの魔法使いの少女、リリーティアは遊びに来たわけではない。きちんと杖を両手で握りしめ、鉄鎧と同等の高度を誇る防御魔法をはじめとする様々な魔法で身を守りながら罠に警戒しつつ一歩ずつ歩を進めていた。

 にもかかわらず緊張感が感じられないのは彼女の歳の割に幼い外見のせいであろう。

「ほんと助かりますよ。まさか魔法使いを募集したら罠の知識や解錠までできる人がくるだなんて」

 彼女の数歩後ろを全身鎧のゼスという男がガシャガシャと重そうな音を立てながらついてきていた。狭い道での戦闘を想定して振り回しやすい数本のショートソードを用意しているだけでなく、小回りの利く小型のボウガンまで用意している準備のよさからは経験を積んだ冒険者であることが伺えた。

 そんな彼は今は鉄兜をかぶっているためわからないが、リリーティアが挨拶の時に「絵本の王子様みたいですね」と思わず言ってしまうほどに整った顔立ちをしていた。

「彼と私だけだったら罠が設置されているだなんて気づかずきっとけがしていたわ」

 手足と胸程度しか守っていない軽装の女格闘家が感心したように言った。

 すらりと背の高いリザという女性は最低限とはいえ防具を身に着けているにもかかわらず歩いている間、足音どころか衣擦れの音すら立てていない。

 彼女もまた実力のある冒険者であることは間違いないなとリリーティアは感じていた。

 ただ、ゼスの鎧の音が目立つため全く意味がないのが残念ではあったが……

「えへへ、私困ったことが起こらないようにいろんなことができるようにしてるんです!」

 リリーティアは上機嫌でそういうと目の前に落ちているの木切れを杖の底でゆっくりとぐいと押し込んだ。

 すると木の下に隠されていた穴に木切れの端がシーソーのように下がっていくとトリモチのようなものがくっついた反対側が持ち上がっていく。勢いよく踏みつけていたら木切れの先のトリモチが勢いよく踏んだ人間に叩きつけられるという寸法だ。

 板はなかなかの長さがあり、トリモチは丁度ゼスの顔に直撃するくらいの高さだ、リリーティアがうっかり踏んづけていたら板に鼻を潰されて鼻血まみれになっていたことだろう。

(偉そうな事言ったけど、私の罠察知や罠解除なんて素人に毛が生えた程度のものなんだけどね……)

 遺跡と言えば聞こえはいいが何百年か前に作られた何らかの理由で人目を避けて地下に作られた教会跡だ。かつて人々が生活をしていた場であったため構造も単純でさらには壁掛けランプといった照明の類のメンテナンスも行き届いている。

 そんな場所も既にこの地下遺跡を人が住む場所から遺跡たらしめた何者か達の手によってか、発見した冒険者達かが荒らしつくしたためか、すでにめぼしい宝物というものも残ってはいない。

 今やたまに住み着いた魔物の討伐や有益な動植物の採取にたまに人が訪れるような場所となっていた。

 長い時間をかけてなお生活感が残る場所もあり、そういったところはちょっとした休憩所として冒険者ギルドが整理をしている場でもあるので、街から近いこともあり危険な場所という事を忘れてピクニック感覚でやってくる人もいるほどだ。

 そんな場所へそれなりの実力がありそうな冒険者とリリーティアが一緒に行動している理由は一言で言ってしまえばお小遣い稼ぎである。

 隣町まで依頼で薬草摘みへ行っていたリリーティアがその町のギルドへ帰ったところ、組んでいた魔法使いが方向性の違いから離脱してしまったため魔法使いなら誰でもいいからすぐ来てほしいと相場よりずっと高い報酬での護衛依頼が出ていたたのだ。

 そして近所だし報酬もいいしと何も考えずに引き受けた結果、なぜか殺傷力は殆どないとはいえ罠だらけの廊下を歩くことになっていた。

 だが、リリーティアは依頼者に少しきな臭さも感じていた。

 とにかく遺跡の奥へ行きたいというゼス。仲間がいなくなったのにそんな場所へ行ってどうするのと食って掛かるリザ。魔法の種類の指定もなしにかかっていた募集。

(もしかしたら誘拐でもされちゃうのかな、って警戒もしたけど……罠も今のところ危険なものじゃないし、二人とも罠があることに驚いていたのも演技には見えなかったわね。

 洗脳魔法とか寄生生物に操られている可能性もゼロじゃないけど、それだと誰かが来ることが分かっていて作りましたって風にゼスさんの目的地のルートに罠が仕掛けられているのが説明がつかないわ……)

 リリーティアはゼスの脛のあたりに丁度ひっかかり転ばしてしまいそうなロープに気づく。

(このロープもまるでゼスさんを転ばすために設置したような高さ……私の知らないところで何かが動いている……?)

 真剣な表情で思慮深いデキる魔法使いっぽい自分にちょっとだけ酔いながらロープに杖の先で触れて風の刃でぷつんとそれを切る。

 誰に見られているわけでもないのだがキメ顔でロープを切ったリリーティアの頭の上でカーンとやかましい乾いた音と衝撃が走ったため防御魔法のために痛みはないが反射的に頭を両手で抑えてしゃがみこんだ。

 どうやらロープは足をすくうための物でなく何かを落とすためのスイッチになっていたようだ。

「……ぅぅ……なんなのよぉ……もお」

 口をとがらせくりくりした両目に情けなさから涙をたたえながら頭を襲ったものを物をみようとするとゼスがそれを拾っていた。鍋だ。

「ゼス、この鍋って……」

「僕達が普段キャンプで使ってる鍋だな」

「なんでそんなものがリリーティアさんめがけて落ちてきたのかしら。アニーの失踪と何か関係が……?」

 鍋をみながらリザが真剣な顔で呟く。

「お二人の鍋の行方なんて私は知らないですよぉ……突然おっこちてきたんだもん……」

 おそらく失踪したゼス達の仲間なのだろうと思いながらもそもそもアニーって誰なのよ?と胸の中で毒づきながらリリーティアは鍋が落ちてきた天井を杖でさす。

 「ここってこんな罠がある場所じゃないですよね?」

 痛い思いをしたリリーティアは不信感を隠しもせず鍋をにらむゼスへ冷ややかな視線を向け詰め寄った。

 ガチャン

 自分の足首のあたりから金属音がしたのでそちらを見る。ブーツの生地を挟まれても大けがをしないよう丁寧に厚手の布が巻かれたトラバサミがリリーティアの細い足をブーツの上からバネの力でぐいぐいと無機質な圧をかけていた。

「……」

 防御魔法はもちろん、布のおかげで全く痛くもないがこのままでは歩くこともできない。

 リリーティアは気まずそうに座り込むと杖を置いて両手でトラバサミに手をかけて開こうと思い切り細腕に力を込めた。ピクリとも動く気配がない。

 歯を食いしばりもう一度思い切り力を込める。動かない。

「うぐ……」

 すがるようにゼスとリザを見上げる。

 呆れられたかと思ったが、ゼスは心底心配そうな表情で優しくリリーティアに声をかけた。

「大丈夫か?スカートの裾おさえて」

 ゼスに言われるがままスカートの裾をきちんと押さえ中が見えないようにするとゼスはリリーティアの正面にしゃがみトラバサミに手をかけた。

 うんともすんとも言わなかったトラバサミを軽々と広げたのでリリーティアは慌てて足を引っこ抜く。ブーツを脱いでおそるおそるリリーティアが自分の脚を確認すると防御魔法があるため大丈夫だとは思ってはいたが傷も内出血もないこと実際に目で確認してほっと一息ついく。

「よかった、君みたいに若い女の子に前を歩かせてしまっているだけでも申し訳ないのに、傷なんて残してしまっていたら責任の取りようがなかったよ。

やはり僕が先頭を歩きましょう」

 心底申し訳なさそうに鎧のまま頭をさげるゼスにとんでもないと両手と首を振ってこたえるリリーティア。

「今のは私の不注意ですし、罠を探すためには一番前を歩かないと意味がないじゃないです。それに……」

 リリーティアはブーツを履きなおして立ち上がり、おしりと手のひらの汚れをはたくとゼスからすっと視線を逸らししばらく口の中でもごもごと言葉を濁してから言いづらそうに顔を伏せて口を開いた。

「なんとなく、ゼスさんが先頭を歩くのはいけない気がします……なんとなく、ですけど……」

 目的どころか目的もぼんやりしたまま歩いていたら今はたいした罠ではないどころか、ケガをしないようあえて配慮している様子すらあるが、いつまでもこんな調子とは限らない。そしてゼスの目的も罠を仕掛けた相手の正体もわからない。このままでは本来であればしないでいいけがをしてしまう可能性だってあるのだ。

 リリーティアはぐっと杖を握りなおしてゼスとリザに向き直った。

「あの、そろそろ私を雇った理由そして目的地と目的を教えていただけませんか?あまり人のこない遺跡なのに比較的新しい罠があって、不自然なほどにモンスターも出てこない。なんだか普通な感じじゃないです」

「最初に目的は言えないけど構わないか、と確認したよね?」

 ゼスが優しく言うとリリーティアは気まずそうに眼を逸らす。そうなのだ。目的は言えないと最初にリリーティアどころか仲間であるリザにまで言ったのだ。

「そう……ですけど……」

「たしかに僕もこんな罠があるとは思ってはいなかったよ。だけど、それはそれ、これはこれだ」

 子供に語り掛けるように(実際ゼスはリリーティアを子供扱いしているわけではあるが)優しく諭すように、だが少しの厳しい口調で言う。

「わかった。報酬を金貨3枚分追加しよう。それでいいかな?」

「ゼス、待って」

 リリーティアが答えるより先にゼスの肩をリザが掴んだ。

「私もこの子と同意見。どうして突然こんな場所へいこうだなんて言い出したの?こんな場所なら護衛を雇う必要もなかったんじゃない?それにどうして前来た時にはなかった罠があるの?アニーはそもそもなんでいなくなったの?そもそもこの鍋は何?」

「……それは」

 強い口調で言われたゼスが言いよどむ。一方リリーティアは先ほども出たアニーという二人だけがわかる名前にちょっとした疎外感を覚える。

「私にも言えないの?その……」

 リザは頬を赤く染めて続けた。

「仲間っていうか……家族……みたいなものじゃん?私とゼス……」

 そのリザの態度をみて、リリーティアは何となく嫌な予感を感じた。こんがらがった人間関係の予感だ。

「……わかった。もうちょっと進んだら休憩できる小部屋がある。そこで全部話すよ。リリーティアさんもそれでいいかな?」

 少し先の分かれ道の横道を指さして少し気まずそうにゼスが言うのでリリーティアは鞄から出発前に購入した地図を出して場所を確認する。たしかに休憩室のようで市販の地図にも「冒険者ギルドの休憩室」である旨が描かれている。

 リリーティアは頷きもう罠もない廊下を先行し、曲がり角を曲がる。曲がり角にも罠はなく小部屋への通路にも罠らしい罠もないようなのですたすたと小部屋の前まで向かった。

 恐らくは前に休憩室を使った人がだらしなかったのだろう。扉が半開きになっていたので扉に直接手を当ててそれを開く。

 扉の上に置かれていた水で満たされたバケツがリリーティアめがけて落っこちて来るのを目の当たりにしたゼスとリザはびしょぬれになってドアを開いたポーズのまま動かなくなったリリーティアの前で思わず吹き出してしまった。

 

 休憩所は湧水を利用した水場と暖炉が残されていただけでなく、冒険者ギルドが定期的に補充しているらしい薬品類や食料、さらにはベッドや毛布といった寝具や壁のフックにはフライパン等も用意されていた。

 リリーティアが怒って八つ当たりで蹴飛ばした木製のバケツも備品の一つのようで同じ種類のバケツがもう一つ水場のそばにおいてあった。

 もともとが宗教施設だったからか、そこの水からはかなり強力な神聖な魔力が感じられた。いわゆる聖水というものが湧き出す水源があったのだろう。

 教会が先か、湧水が先かはわからなかったがリリーティアはびしょぬれで不機嫌ながらもちゃっかり数本空き瓶に聖水を詰めて持ち帰る準備をしていた。

 机と椅子もあったのでゼスとリザは椅子に座り、ゼスは脱いだ兜を机においてくつろいでいた。

 一方、リリーティアはというと濡れた服や下着と一緒に暖炉のそばで毛布にくるまって温かいお茶まで用意して体を温めていたリリーティアはむすっとしたまま顔に張り付く濡れた桜色の髪の先を人差し指でくるくる弄びながら口を尖らせた。

「つまりめんどくさいお話を省いちゃうとケンカしてアニーさん飛び出しちゃって魔法鍵のかかってる部屋の奥にいるから魔法使える人が必要だって話ですね」

 地面に広げた地図をまだ機嫌が悪そうな顔でにらむリリーティアにゼスが申し訳なさそうな声でそうだと答えた。

 リザの方はというと思うところがあるようでゼスの説明を聞いている間にどんどん不機嫌に、特にゼス一人だけが呼び出されていたという事を聞いて眉がぴくぴく、呼び出された場所を聞いてギリギリと歯ぎしり。今はリリーティアよりも険しい表情をしていた。案の定3人の間には複雑な何かがあるようでゼスがリザにアニーがいなくなったあれこれを言わなかったのにも深い痴情のもつれ、もとい事情があるようだった。

「あと、言いづらいですけど……」

 いじっていた髪から手を離すと歯切れ悪く続けた。

「私はここに来るの初めてだからどんな鍵かわからないですけど、魔法鍵って魔法が使えたら誰でもどうこうできるものじゃないですよ……」

「え!?」

 ゼスの心底意外そうな声。

「そこを通ってほしくないからかける『鍵』ですから」

「そうか……」

 難しい顔になるゼスの落胆した声を背中に受けてリリーティアは慌てて言い足した。

「でも魔法鍵の解錠の知識もちょっとした道具も持ち歩いてはいますよ!簡単な鍵なら開けられます!」

「そうか!ならよかった……本当にリリーティアさんを雇えてよかったよ」

 べた褒めされてくすぐったそうに笑い声を漏らしながら再び地図に目を落とした。

(魔法が使えないゼスさんを呼び出したってことは鍵は関係ない気もするけど)

 地図をみると目的地は鍵がかかった扉の奥のそこそこの広さの部屋だ。ただ、扉には外側から内側へ向けての矢印も添えられている。外からは入れるが内側からは鍵がかかる仕組みのようだ。

(何の宗教の遺跡なのかはわからないけど、聖堂って昔ここに住んでた人が普通に使ってた場所よね?どうしてそれに出られなくなるような鍵を?信者を閉じ込めるため?でも閉じ込める理由なんてあるかしら?神父さんの話がつまらなくて帰っちゃう人が多発したとか?」

 ぷにぷにの唇を人差し指でつつきながらリリーティアは静かに考え込む。。

 だが、これだけ整備が進んでいるという事はとっくに遺跡についてはあれこれと解明されているのだろう。

 最近調査に誰かが入ったような痕跡もない。街に戻って調べれば色々とわかりそうではあるがせっかくなので自分の目でもどんな場所か見てみようとリリーティアには仕事とは別の目的ができたのだった。

 

 より地下深くに降りるとギルドの整備もあまりされていないようで淀んだ空気がまとわりつくようだった。ランプに照らされてなお闇が重く本能的に長居したくないと感じる場所だ。

 巨大な吸血コウモリや肉食のスライムや猛毒のムカデといったそこそこの強さのモンスターとも遭遇したがゼスもリザもかなりの腕前で、決して弱くはないリリーティアが杖を構えた時には二人ともモンスターに飛び掛かり数秒後にはとどめを刺しているほどだった。

 たぶん、アニーも同じような実力をもっていて目的地まで問題なく行けたのだろ。トラップを作る余裕もありそうだったが、さすがに迷子になった人が出会うと笑いごとでは済まないような危険なモンスターもいる場所である。さすがにいたずらじみたトラップも設置されていないようなので今はリリーティアが二人の間で守られる形となっていた。

 問題の部屋の扉は一見するとただの両開きの扉にみえた。魔法鍵がかかっているという事は何も知らずに扉を開いて中に入ると外には出れなくなる仕組みなのだろう。

 まるで釣り天井や水牢といった大掛かりなトラップ部屋の入口のように思えてリリーティアは扉自体に不快感すら覚えた。

「外からは普通に開け閉めできるみたいですね。鍵自体は内側に入って調べないとわからないです……」

 リリーティアの目にはどう見てもただの扉にしかみえない扉を前に自信なさげに言うとリザは吐き捨てるように言う。

「ゼス一人で中にはいればいいんじゃない。ノックしてくれたら私達が外から開くから」

「それで済むならそれでいいか」

「じゃあそうしましょう」

 ゼスが取っ手に手をかけて扉を引く。

 途端、扉の内側から強烈な屍臭を思わせる強烈な不快な空気、正確には瘴気と呼ばれる訓練をしていない人間では中にいれば数分もすれば魔力中毒で意識を失い兼ねないような魔力を大量に含んだ空気が流れだした。

 熟練の二人は異常を感じ武器を構えて即部屋の中に躍り込む。

「まって!扉が閉まったら出れなくなっちゃうかもしれないんですよ!」

「アニーがいるかもしれないんだ!」

 扉をおさえているリリーティアにゼスが怒鳴り返すと狭い聖堂にその声が反響した。

 聖堂と定義されてはいる場所だったが、既に信者が腰かけ教祖の教えに耳を傾けていたと思われる長椅子も、聖典を広げ教祖が教えを説いていたと思われる台も、調度品と呼ばれるものは一つも残ってはいない。壁に何かが彫り込まれていたようだったが長い月日に晒され風化し今では壁に大きな凹凸があるちょっとした段差が部屋の奥にあるだけの少し広いだけの部屋となっていた。

「男は不味い」

 落ち着いた女性の声と同時にゼスの足元から赤黒い槍が飛び出しその体を貫いた。

 断末魔の悲鳴をあげることも許されず、鎧の隙間から血が噴き出しガシャンと重たい音を立ててその体が冷たい石畳の上に横たわった。突然目の前で起こった殺戮にリリーティアは呆然としたままどさりとその場にしりもちをつく。

「ゼスッ!?」

 悲鳴のような叫び声をあげてリザが思わず倒れたゼスに駆け寄るとその脚にゼスの体からこぼれた血が作った水たまりが槍の形に変化しリザに襲い掛かった。

 気が動転していたリザはそれを躱すことが出来ずに勢いよくゼスの体のそばに倒れこんでしまう。

「これは封印が自然に解けたのか?それとも誰かが解いたのか?後者ならその何者かが食事を手配してくれているのかしら」

 闇の中から溶け出すように美しい長い白髪の女性が現れる。真っ赤な瞳と黒いナイトドレスが磁器のように白い肌をより白く引き立て薄暗い小部屋の中でその姿が輝いて見えるほどだった。

「ヴァンパイア……?」

 震える唇でリリーティアがその女性の種族を口にする。

 女性はリリーティアに見向きもせずに倒れてうめき声をあげるリザの体に近づくと片手でその首を掴むと軽々と細腕で持ち上げた。

「よくご存じね、幼い森の賢者」

 森の賢者というかつてのエルフの異名でリリーティアに声を掛けるとくすりと背筋が凍るほど美しい微笑みを向けてからヴァンパイアはリザの肩に噛みついた。

 リザはというと痛みに叫び声をあげながらも負傷にも関わらず何度もヴァンパイの女性の鳩尾に正確に拳を叩き込み抵抗をしていたが次第にその勢いは衰え、最後には拳を握ることもできずだらんと腕を垂れた。

「あぁ、美味しかった」

 女性は動かなくなったリザの体をリリーティアの前へとほうり投げ捨てる。

 ヴァンパイア、いわゆる吸血鬼と呼ばれる種族。血を吸った相手を自らの眷属へとする肉体的にも魔力的にも強力なアンデッドである。同時に有名故に日光やニンニクや流水や銀の弾丸といった言い出したらきりがないほど豊富な弱点も有名だ。だが、弱点を知られていてなお圧倒的な力の前には実力のある冒険者ですら手も足も出ないことがあるほど強い。

「満腹で機嫌がいいからあなたを見逃してあげてもいいのだけど」

 優雅さすら感じる仕草でヴァンパイの女性は高いヒールをカツンカツンと鳴らしながらリリーティアへと向かって歩いてくる。それと同時に音もなくリリーティアが押さえていた扉が勢いよく閉まり座り込んでいたリリーティアの体を部屋の内側へと押し込んだ。

「またわけもわからないうちに封印されたくはないの」

 地面を転がりうつ伏せに倒れたリリーティアの体に白い腕が伸びる。

「だから、口封じのために死んで頂戴」

 リリーティアは悲鳴をあげながら跳ねるように立ち上がると閉まった扉に体当たりをした。魔法鍵のかかった扉は見た目以上の強度でリリーティアの体を跳ね飛ばす。

(鍵としては術式はすごく古い。でも単純。きちんと道具を使って落ち着いて解錠すれば私なら1分もあれば無効化できる)

 跳ね飛ばされながらも魔法鍵の仕組みをきちんと観察するリリーティア。だがもちろん、生あるものを狩る吸血鬼に追われていては1分も落ち着いて作業などできるわけもない。

「鬼ごっこ?そうね久しぶりの外だし少しは運動もしなくっちゃね」

 ヴァンパイアが余裕の表情でリリーティアへと向かって歩いてくる。

 リリーティアの事をなめてかかっているうちはチャンスがあるはずだと自分を奮い立たせ、リリーティアはヴァンパイアの言う鬼ごっこに興じることにして全力で駆けてヴァンパイアから距離をとった。

「飽きちゃった」

「え!?」

 リリーティアのふくらはぎに鋭い痛みが走ったかと思うとがくんと全身のバランスが崩れ地面に小さな体が投げ出された。

 転んだリリーティアのふくらはぎをゼスとリザを襲った赤黒い槍が貫通していた。

「もう走れないでしょう?」

 傷を確認すると途端にふくらはぎ中の神経が痛みを訴えだしリリーティアは叫びながら必死に回復魔法を自らの脚にかけ始めた。

「いいの?逃げなくて?」

 いつの間にかヴァンパイアがリリーティアの目のまえにたっていた。

 圧倒的すぎる力量差に恐怖のあまり泣き出すこともできず震えるリリーティアの肩にヴァンパイの指が触れた途端ジュッと音を立てて黒い煙が上がった。

「っ!?森の賢者何をした!?」

「し、知りません!?わかりません!?」

 許しを請うように捕食者へ答えるリリーティア。

「……まぁいいわ。あなた達」

 負傷していない方の指をパチンと鳴らすと倒れていたゼスとリザの体がむくりと起き上がり、部屋の奥からふらふらと髪の長い青い髪の女性も現れる。おそらく、先に部屋に入っていたアニーが彼女なのだろう。

 三人とも目の焦点はあってなく、動きも緩慢だ。すでに三人ともヴァンパイの眷属と化してしまったようだ。

「この子供を食いなさい」

 言われるがまま三人が我先にとリリーティアの小さな体に飛び掛かった。

 悲鳴をあげるリリーティアの体は仰向けにひっくり返され、ゼスとリザに腕と肩を地面に痛いほどの力で押さえつけられる。

 だが、リリーティアに三匹の眷属の体が触れるたびにその場所が煙をあげ、そのたびに眷属達は苦しそうな叫び声をあげていた。

 しかし苦しくても主の指示に逆らうことはできないのだろう。リリーティアを襲う動きが止まることはなかった。

(もしかしてバケツで浴びた水って聖水!?)

 聖水はヴァンパイアの弱点であり眷属化した人間を戻すことにも使える。

 うまく三人に聖水をかけることが出来ればこの場を切り抜けられるかもしれないとリリーティアの脳裏をかすめるが両腕をおさえつけられていて自由に動くのは足程度だ。

 そして足をばたつかせるリリーティアの体にアニーが馬乗りになると頭と肩を掴む。

 半乾きの髪の毛はたっぷりと聖水を未だ含んでおりアニーの手から先ほどまでと比べ物にならない煙が吹きだした。

「あなた、まさか聖水を頭からかぶりでもしたの?」

 眷属に襲われるリリーティアの様子を見ていたヴァンパイアがどこか呆れたように言う。

「色々あったんですー!見逃してくれたらお話しますよ!」

 ダメもとで交渉をしてみるリリーティア。

「見逃さないけど話してみなさい」

 ヴァンパイアがもう一度パチンと指を鳴らすと今まさにリリーティアの首に噛みつくすんでのところで眷属化したアニーの動きがとまった。

「み、見逃して……」

「あげないわ。さ、早く話しなさい。ずっと封印されていて退屈してたのよ」

 黒い影の椅子を作り出しそこに座ってくつろぎ始めたヴァンパイア相手に少しでも時間を稼ぐためにリリーティアはこの遺跡にきた経緯を説明した。

 ちょっとした事でも気になることがあると吸血鬼はその都度質問をしてくるのでリリーティアも丁寧に機嫌を損ねないよう説明をする。

「あなたも幸運ね、痴話げんかに巻き込まれた結果として私の眷属になれるだなんて」

 不幸ですとなんて言おうものならその場で殺されそうなのでそうは言わずにリリーティアは声をあげた。

「あの!ヴァンパイアさんはどうしてこんな場所にいるんですか!ここって教会ですよね?」

 これで機嫌を損ねたらおしまい。そうでなければまだ時間を稼げる。

 リリーティアはそこまで考えてはいなかったが自分の命惜しさに苦し紛れにヴァンパイアへ尋ねた。というのもヴァンパイアが話し相手に飢えているようには思えたからだ。

「へえ、それを聞いちゃうのね」

「だって、ヴァンパイアさんって魔界に住んでいるんですよね?まず地上で出会うことはないって本で読んだことあります」

 くすりとヴァンパイアが笑うと組んでいた脚を組みなおす。

「そう、ここは教会だったのね。愉快な話ね」

「愉快?」

「だってそうだとしたら神様を信じてる人間が100人ほど神様のおひざ元へ行けると信じて私の胃袋に収まったってことでしょう?」

 どこか憐れむような顔で言うヴァンパイア。

「私には迷惑でしかなかったけど」

「それはどういう……」

 ヴァンパイアは腕を組むと憎々し気に口をひらいた。

「人があなた達地上の種族が魔界と呼んでる場所の片田舎でのんびり暮らしていたら無理やりこんなクソ狭い場所に呪術で引きずり出されたのよ。人間100人の血を使ってね」

 部屋の片道通行の扉の理由を察したリリーティアの表情が暗いものになるのをみてヴァンパイアは愉快そうに笑った。

「聡いわね森の賢者。そう、100人の人間をこの部屋に閉じ込めて殺した奴がいるの。私を呼び出すために」

「何のために……」

「さあ?訳も分からず呼び出されたら訳も分からず襲われて封印されたのよ。おかげでこの世界は今日が何年の何月何日かもわからない。酷い話よね」

 大きくため息をつくヴァンパイアにリリーティアはさらに声を掛けた。

「ヴァンパイアさんは魔界に帰りたいんですか?」

「当然よ。魔界には日光も聖水もないもの」

 頬杖をついてヴァンパイアが言うとリリーティアはその言葉に食いついた。

「もし私がヴァンパイアさんを魔界へ返してあげられたら見逃してもらえますか?」

 ヴァンパイアは小ばかにしたように言った。

「できるわけないでしょ。私が通るために作り出した魔界への道を開くのに人間100人の血を使ったのよ?あなたに100人の人間を集めて血を集めることが出来る?」

「それは大部分がヴァンパイアさんを魔界から探し出し強引に地上まで引きずりあげるためのエネルギーも含んでの人数だと思います。ヴァンパイアさん自身が抵抗せず魔界へと向かうという意思をもって協力していただけるのであればそんなに必要ないと思います」

 リリーティアは言いきった後、こちらを興味深げに見るヴァンパイアの視線から逃れるように顔を動かすと小声で怯えたように「たぶん」と言い足す。

「あなた呪術がわかるの?」

 先ほどと違い感心したようにヴァンパイアが尋ねた。

「知識としてはですけど……」

 ふうんと先ほどよりいも少し態度を和らげてヴァンパイアがリリーティアを品定めするように眺めた。

「幼い森の賢者、こうしましょうか」

 ヴァンパイアが指を鳴らすと眷属3人がリリーティアの体から離れた後、アニーがリリーティアの体を羽交い絞めにして持ち上げた。

 ヴァンパイアは立ち上がると怯え切った表情で手足をばたつかせて腕から逃れようとするリリーティアへ向かってつかつかと歩み寄り、恐る恐る体に触れてみる。もう聖水の効力も散々眷属に触れられて消えたのだろう。ヴァンパイアの指先から煙が出ることはなかった。安全であることを確認したヴァンパイアは今度は思い切って左肩と頭に掴みかかった。

 髪とローブの上からでもわかる氷のように冷たい手のひらが体温と同時に命そのものを奪われるように感じたリリーティアの首筋にヴァンパイが噛みつく。

「やぁっ!?」

 首筋の内側で感じる4つの冷たい異物の圧迫感と首から肩へと伝っていく生暖くねばっこい自分の中に流れていた血液。それらがどんどん全身から吸い上げられていく。

 強制的に血液を抜かれていく冷汗が噴き出すようなゾクゾクした感覚に小さな悲鳴をあげ、無駄だとわかっていてもヴァンパイアの手に爪を立ててがりがりとひっかいてほどこうとするが、すぐに指先に、腕に、膝に力が入らなくなり、意識も遠のいていく。ついには全身の力が抜けきりぐったりとヴァンパイにもたれかかるような姿勢となった。

 30秒ほど血を吸っていたヴァンパイアの牙から解放されるとリリーティアはその場にどさりと倒れこんだ後、噛まれた首筋を抑えながらよろよろと起き上がった。

「聖水の工面はできるんでしょう。眷属化は自分でどうにかしなさい」

「あ、あの……何を……」

 血を吸われた以上の何かをされたようだが、それが何なのかわからず不安げな表情を浮かべるリリーティアの表情に加虐心を刺激されたヴァンパイアは恍惚とした表情で言った。

「吸血ついでに逃げないようにちょっとした呪いを掛けさせてもらったわ」

「呪い……?」

「ええ、私が死ぬとあなたの血液が針になる呪い。だから私をどうにかして死んでしまったらあなたも、あと同じ呪いのかかったこの3人もその瞬間に人型の剣山になるの」

 再び影の椅子に腰かけ、脚を組むと愉快そうにくすりとヴァンパイアが愉快そうな笑顔を浮かべた。

 鏡がないとリリーティアは確認ができない場所だが、首筋には赤い刺青のような禍々しい紋様が浮かんでいた。

「なんで……」

「なんでって不思議なことを聞くのね。私が帰る手伝いをしてくれるんでしょう?」

「え、ええ……」

 言ってないが頷く。

「あなた達が来る前にこの部屋を見たところ私を呼び出した時に使った魔方陣を直して材料も揃えれば魔界に帰れそうなの。もうわかるでしょう聡い幼い森の賢者」

 挑発的な笑みで言われリリーティアは恐る恐る口を開いた。

「……材料を集めればいいんですか?」

「話が早くて助かるわ。とりあえずは聖水を探してきなさい。血を吸いつくしてないとは言えもう眷属化が始まってるもの」

 言われて手で押さえている血を吸われた首筋が冷たくなっていることに気づきリリーティアはぎょっとした。

「せっかく昼間に動ける手駒が手に入ったのに私の指示通りにしか動かないただの眷属になるようだったらこの場で殺してもかわらないんだけど」

「聖水!持ってます!詰めてきました!」

 言ってリリーティアは鞄を開くとヴァンパイアはすっと音もなく椅子ごと部屋の奥へと下がった。巻き沿いでうっかりかかるのは嫌なのだろう。

「傷口にかけなさい」

「はい」

 いって瓶のふたをあけてまだ出血が止まらない首筋に聖水をかけた。

 瞬間ジュウッと音を立てて黒煙とともに灼けるような激痛がリリーティアを襲った。

「痛いっ!!」

 思わず聖水を持っていた手を離し床に瓶を落とすとパリンと澄んだ音を立てて瓶が砕けた。

 首をおさえ唇を噛みながらふーっふーっと荒い呼吸を繰り返すリリーティアを眺めながらヴァンパイアはにやりと笑った。

「……あなた達、この子をおさえつけて聖水をかけなさい」

 ヴァンパイアが指を鳴らすとゼスとリザがうずくまったリリーティアの手足を抑え地面に仰向けに押し倒し、アニーが鞄から聖水を取り出すと蓋を緩慢な動作で開く。

「やだ!やだ!聖水かけないで!」

 首を振って叫ぶリリーティアにヴァンパイアは心底楽しそうに言う。

「あなたこいつらみたいにアンデッドになりたくなかったんじゃないの?」

「そうですけど!でも聖水はいやなの!」

 想像以上の激痛にリリーティアは完全に怯え切っていた。

「あらあら、聖水が嫌だなんて地上の生き物とは思えないわね」

 顔を歪めながら心底愉快そうに怯え抵抗する少女を眺めて言った後、冷たくこう言う。

「やれ」

 パチンという音が暗く狭い聖堂に反響するとジュウジュウ何かが焼ける音とリリーティアの悲痛な悲鳴が部屋中に響いた。

「痛い!痛いっ!やめてぇええええ!」

 跳ねた聖水を浴びた部分から黒煙をあげながらも眷属化した3人は焦点の合わない目で泣き叫ぶリリーティアの体をがっちりと押さえ続け黙々と首に聖水をかけ続ける。

 身体を捩じり首を振り暴れ叫んでいたリリーティアだったが痛みが引くにつれて叫び声はだんだんとすすり泣く声へと変わっていった。

「離せ」

 3人の眷属がぐすぐす泣いているリリーティアを開放すると、リリーティアは涙とよだれでぐしゃぐしゃになった顔を寝ころんだ姿勢のままローブの袖で拭った。

「残念ね、これであなたは私の眷属にならずに済んだわ」

「酷いよぉ……」

 顔を袖で覆った格好のまま言うリリーティアを無視して口を開いた。

「さあ、呆けてないで。もっと痛い思いをしないよう仕事をなさい」

 もっと痛い目と言われリリーティアは身体をこわばらせてから起き上がった。

「さて、幼い森の賢者……あー、めんどくさいわねこの呼び方」

「えっと、リリー……」

「まあ呼び方はどうでもいいわ。あなた」

 名乗ることを許されなかったリリーティアは少しだけ不満そうな顔をしてはいと答えた。

「呪術はどの程度わかるの?森の賢者は自然呼応が専門でしょう?」

 訝しげにリリーティアを見るヴァンパイアに遠慮気味に言葉を口にした。

「その、正確な言い方じゃないですけど呪術とか自然呼応って私が生まれる前になくなっちゃってるんです」

「つまり、命惜しさに私をだましたわけね」

 ヴァンパイアが冷たく言うとリリーティアは首をぶんぶんと横に振って悲鳴じみた声をあげた。

「違います!最後まで聞いてください!」

「まあ聞いてあげるわ」

 ヴァンパイアの後ろに黒い影がタールのように集まると針がびっしりと生えた十字架が完成する。何かあったらあの十字架にリリーティアの体を磔にして全身穴だらけにして殺すという意思表示にしか見えなかった。

「呪術とか自然呼応と奇跡とか神卸とか他にもいろいろ言い方のあった技術は今は魔法って学問になって体系化されているんです。なので、魔界とか神界とかとこの世界を一時的に繋いでその世界の住人の力を借りる魔法、召喚魔法の知識ならちょっとあるので力になれると思います」

 さらにいうと森の賢者とエルフを呼ぶのも下手をすれば1000年以上前の呼び名なのだが指摘すると殺されそうなのでリリーティアはそこは言わないでおいた。

「なるほど。ま、私もこう見えてヴァンパイアの中でも高位でね。えーと何だったかしら……もう呪術でいいわね?」

 ヴァンパイアの背後にあった針だらけの十字架が一本増えた。

「はい。呪術で問題ございません」

 リリーティアは震える声で頷く。

「自分が帰る程度の呪術の知識も力も技術もあるわ。ただ、材料がない。さっきも言ったわねこれ」

「はい、材料を集めればいいんですね」

 すっかりヴァンパイアのしもべのようになったリリーティアがこくこくと頷く。

「そういうこと。でもあなたの実力でできるかしら?」

 脚を組みなおして芝居がかった仕草で頬をつり上げてヴァンパイアは言葉をつづけた。

「まず、魔力を持った魔獣の血を20リットル。グレーターデーモンでもマインドフレアでもいいわ」

 どちらも魔界から極稀に這い出すヴァンパイアと同等の凶悪なモンスターだ。リリーティアが一人で立ち向かおうものなら目が合った瞬間にはリリーティアが凄惨な最期を迎えることは避けられない相手だ。

「そんなものどう使うんですか?」

 リリーティアが尋ねるとヴァンパイアは意外と素直に答えた。

「魔界との門を作る魔方陣を描くのに使うわ。私が通るための門を作るのだもの。それ相応の生贄が必要になるわ。といっても魔獣の血が無理なら昔ここで私を呼んだ人間みたいに魔力の薄い人間を大量にこの場で殺して血を集めてもいいのよ?」

 怯えて困るリリーティアを弄び楽しんでいるヴァンパイアの言葉に対し、リリーティアは意外と落ち着いた様子で鞄をあさり始めた。

「魔力のこもった魔方陣を作るのでしたらこれでも大丈夫じゃないですか?」

 魔力のこもった粘土が練りこまれたチョークを取り出すとヴァンパイアは怪訝そうに眉根を寄せた。

「白墨?」

「はくぼく?」

 聞きなれない言葉にリリーティアがオウム返しにする。

「それは白墨ではないの?」

「えーと、チョークです」

「チョーク……で、それで魔方陣を描くと魔獣の血と同等の効果があると?」

 にわかには信じがたいといった風な口ぶりのヴァンパイアにリリーティアは少し得意げに言った。

「かつては召喚魔法には召喚対象に応じた生贄の血液で作った魔方陣が必須であると考えられていました。でも実際はそうではなかったんです!」

「ほう……」

「必要なのは生物の血液の中に残量していた魔力のみ!魔力のラインが陣を形作れば魔力が豊富な泥で線を引こうが薬草を並べようが問題がなかったんです。むしろ血は臭いし魔力の含有量にムラもあるので実はあまり適していなかったんですよ」

「あなた急に饒舌になったわね」

「ご、ごめんなさい!」

 自分の立場を理解しているようには思えないリリーティアに呆れ顔でヴァンパイアが言うと、少し調子づいていたリリーティアはびくりとした後ぺこぺこと必死に頭をさげた。

「別に怒ってはないわ。ただ、急にそういわれてもにわかには信じがたいわね」

「まずは試しにちょっとしたものを召喚して実験してみてもいいと思います。ただ……」

「ただ?」

 リリーティアは再び怯え切った目になると歯切れ悪く小声で言った。

「わたし……あんな難しい魔法使えません……」

 リリーティアの背後に針だらけの十字架がにょきりと生えた・

「ひっ……」

 飛びのくリリーティアをみて満足げな表情でヴァンパイアが言った。

「冗談よ。ほんといじめがいがあって魔界に連れ帰りたいくらい」

「お願いしますやめてください」

 心底怯えた様子でガタガタ震えながら瞳を潤ませるリリーティアを眺めながらヴァンパイアが言った。

「呪術は私の得意とするところよ。あなたが使えなくても私がやるから問題ないわ。でも……」

「でも?」

 聞き返すリリーティアにヴァンパイアは再び邪悪な笑顔を向けた。

「呪術には生贄の血の魔方陣の他に魔術的な触媒が必要なの。しゃれこうべのロウソクたてに罪人の腕から作った死蝋のロウソク。銀の盃に注ぐ髄液……盃以外は罪人を探し出して一人殺せば死体を加工するだけで全部そろうわ。逆にあなたが殺されなければだけど」

 にやにやと笑うヴァンパイアに申し訳なさそうにリリーティアは言った。

「大変申し上げ辛いのですが……」

「……どうぞ」

 リリーティアの次の言葉が何となく想像できたのでつまらなさそうにヴァンパイアが促した。

「召喚魔法は触媒として銀の盃さえあれば使えたんです……」

「……」

 想像の遥か斜め下の言葉にヴァンパイアは言葉を失う。

「実際に伝統的な触媒全部使った場合と銀の盃のみを使った場合でグレーターデーモンを呼び出した魔法使いがいまして」

「……じゃあ銀の盃をとっとと用意しなさい」

 つまらなそうにヴァンパイが眷属を一瞥して言うと申し訳なさそうにリリーティアが答える。

「あと盃の形をしている必要もなくて……」

「持ってるんでしょう銀の盃と同じ効果のある物をどうせ」

「便利なので……」

 リリーティアが鞄から小さな革袋を取り出して開いて見せた。中にはきらきらとした銀の粉末が詰まっていた。

「で、なんなのそれは」

「銀の粉です。魔方陣が大きくなると魔力が散りやすくなるので魔方陣の中心に魔力と相性がいい銀を置くことで魔力の流れを内側に向けて魔方陣の外へ逃げないようにするんだそうです」

 言ってからリリーティアはふと浮かんだ疑問を口にした。

「あの、銀使って大丈夫なんですか?ヴァンパイアさんの弱点の一つだったと思うのですけど」

「祝福もされてないただの銀なんてただの金属よ。問題ないわ」

 言ってから少し不安げにヴァンパイが続けた。

「祝福、されてないわよね?」

「大丈夫です」

 リリーティアは言いながら銀の入った革袋を差し出した。

「はぁ、本当は慌てふためいて苦しみながら必死に材料を集めるあなたの姿を眺めたかったのに簡単にそろっちゃったじゃない」

 心底つまらなそうにチョークと銀粉のつまった革袋を見てヴァンパイアがため息をついた。

「とりあえずあなたの口から出まかせじゃないか小動物を呼び出させて貰うわ」

 そういうとヴァンパイアはチョークを持って地面に何かをがりがりと描き始めた。今までの優雅で自信に満ちた態度に比べてはるかな地味な作業を始めるヴァンパイアの姿が少し情けなかったがもちろんリリーティアは命が惜しいので言うことはしない。

「このチョークって道具、やっぱり白墨じゃないの」

「はくぼく?」

 きょとんと首をかしげるリリーティアを無視してヴァンパイアはてきぱきと描き上げた魔方陣の中心に銀粉の小さな山を作った。

 呪術が得意というだけあり短時間で驚くほど複雑な魔方陣が完成していた。

「来なさい。ブラッドサッカー」

 魔方陣の白いチョークの線が赤黒く光り、中から生臭い瘴気が溢れたかと思うと魔方陣から黒い何かが飛び出した。

 その黒い何かは感心したように召喚の様子をぼーっと見守っていたリリーティアへ飛び掛かると押し倒した。

 小さく悲鳴をあげて杖と腕で身体をかばうリリーティアの体に呼び出された1メートルほどの大きさの巨大な蚊が抱きしめるように6本の脚でしがみつき、ずぶりと右胸のあたりに細長い口を突き刺した。

 助けてとか嫌だとか叫びながらガッチリと抱きしめられ殆ど抵抗できずに捕食されているリリーティアをみて召喚の成果に満足げにヴァンパイアは口を開いた。

「なるほど、どうやらあなたが言う通りのようね。本来であれば小鬼の血で描いた魔方陣の中心に銀の短剣を突き刺した小鬼の心臓が必要な呪術なのよこれ」

 言いながらヴァンパイアが腕を払うとリリーティアの体液を夢中で啜っていた蚊の胴体が綺麗に真横にスライスされ絶命する。

「しかし私が封印されている間にずいぶんと呪術は変わったものね。本当に興味深いわ」

 想像以上に簡単に完成した魔方陣を満足げに見てどこか嬉しそうに口にする。

「術式自体も改良できるかもしれないわね。しばらくこっちに残って……聞いてる?」

 倒れたままのリリーティアへと目を向ける。リリーティアは話を聞くどころか焦点の合わない目で呻き声をあげてびくんびくんと地面で痙攣をしていた。

「……そういえば唾液に麻痺毒があったわねこの生き物。あと、さすがに血がもうないのかしら?」

 ヴァンパイアはしゃがみこんでリリーティアの顔を覗き込む。真っ赤な瞳がリリーティアの焦点の合わない目と合うと、リリーティアの目からスッと光が消えた。

 だが、その目は濁ってはいたが先頬とは違いヴァンパイアの瞳をじっと見つめていた。

「ご苦労様。ここで起きたことは忘れなさい」

 リリーティアの唇がぷるぷると痙攣する。はい」と答えたらしい。

「よろしい。では、おやすみなさい」

 ヴァンパイが言うとこわばっていたリリーティアの全身からすっと力が抜けすぅすぅと静かな寝息を立て始める。それを見たヴァンパイアはのんきねと小さくため息をついてから指を鳴らした。

 

 リリーティアが気づくとベッドの中に横になっていた。

「どうやら気づいたようですね」

 リリーティア達が休憩に使っていた部屋の椅子に黒いドレスに身を包んだ美しい女性が腰かけて柔和な笑みを浮かべていた。

 白い髪と白い肌が作り物のように美しくその肌と髪が赤い宝石のような瞳をより引き立てていた。異世界の住人のような不思議で危険な魅力を持った彼女を前にリリーティアは「ちょっとウサギみたい」とのほほんと思っていた。

「えーと……あれ?」

 リリーティアは天井の石を眺めながら額に腕を当ててみる。

「あなたとあなたのお仲間さんはみんな大けがをして倒れていたんですよ。あなたもその様子では覚えていないようですね」

「仲間?んーー?」

 まだ混乱する頭でリリーティアは頭を回転させるが、頭どころか全身が鉛のように重くけだるく動く気が起きないほどだった。

「みんな記憶が混乱されてるようでしたわ。あなたもかなり失血が酷いみたいですししばらくは動けないかもしれませんわ」

「……情けないけどそうみたいです。まだちょっとボーっとします」

 夢見心地でぼうっと天井を見つめながら頭をゆっくりと整理しはじめた。

「お仕事……仲間……人探し……痴話げんか……その後……その後……」

 ぼうっと詩を紡ぐように口にして必死に思い出すリリーティアの顔を女性が覗き込んだ。

 女性と目が合った瞬間、その浮世離れした美しさにリリーティアの胸はドキンと高鳴る。

「無理に思い出す必要はないですよね」

 女性の言葉が耳ではなく頭の中から体へと溶け込むように聞こえる。

「はい……」

 たしかに無理に思い出す必要はない。リリーティアは思い出すことをやめたが、女性と見つめあうのが恥ずかしくなり顔を掛布団で思わず隠した。

「くすっ、女同士なのに恥ずかしがらないでくださいよ」

「はい……」

 その通りだ、女同士で恥ずかしがる必要はない。リリーティアはもぞもぞと布団から頭をだすと女性の吸い込まれそうな真っ赤な目を自ら見つめ返した。

 本当に美しい紅の瞳は見つめているだけでもまるで自室にいるかのような安心感を覚えた。

「いい子ね」

「ありがとうございます」

 女性に褒められ、リリーティアの胸いっぱいに幸せな気持ちが溢れて自然と笑みがこぼれた。

 幸せすぎて理性も脳味噌も身体までもが甘いシロップの中に溶けだしているように錯覚する。

「ねえ、教えてほしいことがあるの」

 恍惚とした表情でリリーティアは頷く。

「はい、なんでも答えます」

「現代の呪術、魔法についての本をたくさん読みたい。どうすればいい?」

「誰でも入れる首都の図書館で読めます」

「どこにあるの?」

「この遺跡の近くの町から出ている乗合馬車で行けます」

「ご苦労様」

 まるで台本を読みあうかのようにてきぱきとした会話を終えると女性はパチンと指を鳴らした。その瞬間、リリーティアの目の前がぱっとクリアになる。

「あ、あれ……?私?」

「どうかされましたか?」

「???」

 なんだかとても気持ちのいい幸せな気持ちだったことはなんとなく覚えているが何があったかが思い出せず不安げにきょろきょろするリリーティアの頭を女性がぽんぽんとやさしくなでた。

「きっと傷と疲れが酷いのでしょう。しばらくすれば先に町へ帰ったお仲間さんが助けを連れてくるそうなので今はゆっくりおやすみなさいな」

 では、お大事にと言って部屋を出ていこうとする女性をリリーティアは混乱する頭のまま引き留めた。

「あの……どこかでお姉さんとお会いしたことなかったですか?」

 女性がリリーティアに背を向けたままほんの一瞬だけ愉快そうにニヤリと笑った後、朗らかな笑顔で振り返った。

「いやですわ森の賢者様。今日初めてお会いしましたよ」


 貧血定食と名付けられたオリジナルメニューをもりもりと食べるリリーティアを眺めながらギルドマスターのニコニコ笑顔のエルフは思わずつぶやいた。

「よく食べる子ねぇ」

「赤身肉大好きです!」

 赤身肉のステーキにゴマドレッシングのかかった大根の葉っぱのサラダ、貝のスープにマッシュポテトとフルーツジュースとチョコケーキという贅沢な定食が盛り付けられた皿からおかずがどんどん消えていくのを見ながらマスターは少し奮発しすぎたかもしれないと思った。

 定食とは言うがいつもの街に帰ってきて三日たっても貧血気味で何度か立ち眩みを起こして気絶をしているのを見かねてマスターが気を利かせてオリジナルメニューを急遽作ったものだ。最初から採算は無視していたが好意に甘えまくったリリーティアがポテトのお替りを2度もするのは少しだけレストランのマスターとしての視点ではカチンときていた。

「あ、胃に血を取られて……」

 額に手を当ててふらふらと上体を揺らし始めたリリーティアの頭をギルドマスターはガシッと掴んだ。

「ちょっと……せめて食べかけのサラダと手つかずのケーキ食べてから倒れてよ。特に自信作のケーキ」

「頑張る……ケーキ……ケーキ……」

 ギルドマスターは頭を抑えながらもリリーティアの体に負担がかからない程度の弱い回復魔法をかける。

「あー……気持ちいいですー……食欲も戻ってきましたー」

 のほほんと言うリリーティアの額をマスターがぺちんと叩いた。

「ならボーっとしてないで冷める前にたべなさいな。お替りまでしたのに残したら料金3倍にするわよ」

「完食するのでそこは問題ありません!」

 言うが早いか再びお皿に向かうとジュースを飲んで残っていたステーキを頬張った。

 幸せそうにおいしいと口を動かすリリーティアを見ていると、大けがをしながらも生きて帰ってきたのだから一日くらい大赤字でも大目に見てもいいかとギルドマスターもいつもの笑顔よりどこか柔らかな笑顔を浮かべた。

「そうそう、リリちゃんが担ぎ出された遺跡なんだけど」

「私達を襲ったモンスターが見つかったんですか?」

 結局、リリーティアとリリーティアを雇った3人の冒険者は遺跡へ来た目的もケガの理由も思い出せなかった。だが、何かしらの凶悪なモンスターが生息していると考えられたのでかなり熟練した冒険者達が集められ調査が進められているとリリーティアはギルドマスターから聞いていた。

「それは残念ながらまだ……だけど……」

 いつものニコニコ笑顔を微妙にしかめた。

「勝手に住み着いた女の人が勝手に改装して魔法屋にしちゃったそうなの……」

「……え、ええ?だって私達が大怪我した時はモンスターも住み着いてるような場所だったんですよ!?」

 そもそも魔法屋を開くのには届け出も必要だし改装したという言葉の通りなら遺跡で布を広げてそのうえで商売をしているという形ではなく、店の形をしているという事だろう。それも凶悪モンスターを想定した大規模な調査が入っているさなかの遺跡でそんな場所を巣実で作り上げたということだ。はっきり言って異常である。

「そうなのよ……しかも高性能な古代魔法のマジックアイテムまでごろごろあるそうで調査へ参加している冒険者だけでなく早くも評判を聞いた冒険者が集まってる始末」

 言ってからギルドマスターは「あっ……」と言って片手で口を覆った。

「古代魔法のマジックアイテム!?あの遺跡って調査しつくされた場所だったんじゃないんですか?どこかからもってきたのかな?」

 目をキラキラとさせながら前のめりになって話の続きをせがむリリーティアの額をギルドマスターは手のひらでぐいとおした。

「リリちゃん、せめて元気になってからね。ってもう全部食べたの!?」

「おいしかったんだもん!ところでお姉さん、ケーキのおかわりはいいですか?」

 チョコクリームが少しこびりついたお皿を差し出すリリーティアにマスターはぴしゃりといった。

「有料」

「残念。でももう一切れくださいな」

 おかわりのチョコケーキを食べながら楽しそうにまだ見ぬ古代魔法のマジックアイテムについてあれこれ言うのをギルドマスターは殆ど聞き流しながらリリーティアの食器を店の奥へとさげにいった。

 翌週、体調も万全になったリリーティアが女店主と魔法オタクトークに盛り上がり、興奮気味で帰ってきた。

 いつまでも止まないリリーティアの土産話を聞き流しながらギルドマスターは魔法屋の事を言わなければよかったと大きなため息をつく羽目になった。

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