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迷路ってどこですか?  作者: 袋小路 めいろ
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ジェンダーという宇宙刑事は違法改造されている

袋小路 めいろです。三月になり、梅の花、桜の花と見たい花が続くなと、考えをめぐらせています。そんなことよりも、花粉をなんとかして欲しいという方も居るでしょう。諦めて、季語になれば心持ちも楽ですよ。


それでは、思ったことを綴ります。


社会的ジェンダーバイアスを消そうと、躍起になっている世情を見ながら、少々、考えてみたことがあります。

ジェンダーバイアスとは、性別の偏り、偏見に近いものですね。とりあえず、僕は、そう認識しています。

取り敢えず、経験からくる偏見のでき方について、軽く考えてみましょう。


経験からくる偏見は、一日一日の積み重ねです。

長年の経験からくるカンなども、これに近いと思います。裏を返せば、偏見に近しいものになるでしょう。長年の経験を無理矢理に当てはめているフシもありますからね。基本的に良いことに使っているから、誰も何も言わないだけでしょう。

経験というのは、個人の意思と接着しているものでもありますね。その時々で思ったこと、考えたことの蓄積という点、場合によっては、個性と考えることが出来る点など、その人其の者を表していることが多いです。その場に身を置き続けたから得られるものでもありますからね。

それによって生まれた偏見は、一定の説得力があり、周りの反応としても納得される場合が多いです。厳密な統計学とは違いますが、何故か、その人が言った通りのことがあったりするんですよね。新人さんや、その道に浅い人だと、その偏見を信用するには十分過ぎる事柄でしょう。そうやって、経験からくる偏見は定着していきます。

経験からは、必ず、一定の偏見が生まれてくるんでしょうね。皆さんも、現在進行形で作っている筈です。


それを踏まえて、ジェンダーに関して考えてみましょうか。

生まれた瞬間から定まっている性質であり、定まっていないということが定まっている人も中にはいらっしゃいますね。

性別に対しての偏見は、経験からくる偏見と密接に関わっています。自分とは違う性別を見ながら、蓄積していったものが個別にあるという状態でもあります。この個別の偏見を出し合い、お互いに納得した形が社会的偏見、ジェンダーバイアスとなっているように、僕には見えていますね。ある意味で民主主義だからこそ、出来ているものです。

そこが馬鹿、と言われると何も言い返せませんが、とりあえず、そう見えることにしておいてください。


蓄積していったものが個別にある状態という風に書きましたが、これは個性でもあります。その人物が培ってきたものです。

つまり、偏見というのは個性からも生まれるということだと思います。経験と個性も繋がっています。深く繋がっていることが多いです。

個性が別の個性に対して偏見を向ける、個性が社会に対して偏見を向ける、などあるでしょう。それが性別に向けられている状態を、ジェンダーバイアスがあると言っているのだろうと思います。


では、ジェンダーバイアスを消すには、となるだろうが、僕は消せないと考えています。

経験と個性の一部を消すことになるからです。そもそもの話ではありますが、それが出来る人間は居ないと思っています。上手くいったキャリアを消せと言われているようなもので、普通は反発したり、そんなことしないと言いながら、テコでも動かないでしょう。

つまり、今あるジェンダーバイアス、これから出来るジェンダーバイアスを消すことは不可能、ということになります。


ですが、ジェンダーバイアスを薄めることは出来るのでは、と思ったので考えてみました。

「偏見を量産し、当てはまる属性を少数にグループ分けすることで、女性、男性、LGBTQなどの大きな括り、グループに対しては使い難くなる」かなぁと。

現在、やっていることと変わりません。現在の形は偏見を消す為にやっている訳ではありませんからね。

小さなグループ分けをしているに過ぎません。


例題として挙げれば、「プラモデルが好きな女性」が居るとして、「そうであっても構わない」という声があり、定着すると、「プラモデルが好きな女性」というグループが出来る。ここに時間軸が加わると、「プラモデルが好きな女性は〇〇」というのが生まれてくるということです。これが偏見になるでしょう。

好意的に受け取るかどうかは個々人の自由でもあるでしょうが、世の中には色んな人が居ますからね。小さくグループ分けされるなら、尚更、増えるでしょう。

考え方も、その分だけ分けられていますからね。

つまり、性別によって考え方の傾向がある、個別でも考え方がある、考え方が同じものは纏まる、ということであるなら、無理な話でしょう。時間を経ることでも増えますからね。


偏見を一定の常識化することが、個性を見るには必要なことだろうと思います。偏見は、経験や個性から生まれてくるものですからね。

ジェンダーバイアスがあることが悪いことであるならば、経験があることも、個性があることも悪いことになる得るとも思います。ジェンダーバイアスはあって当たり前であり、その扱い方の程度を見る、という風に考えた方が良い気がしますね。

自分を消せ、と言われて消せる人間は居ないですし、

小さくグループ分けしても偏見は生まれてくるのですから「そういうものだ」という形で、ダムを作った方が良いでしょう。その水は、使い易いものでもありますからね。



それでは、閉じたいと思います。

ご拝読いただき、ありがとうございました。








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