曖昧は馬鹿に出来ない
袋小路 めいろです。蚊取り線香の袋を、誤って踏んでしまいました。中の物が、バキバキに折れてしまい、細かい物を使わなければなりません。
燃え尽きるのが早いので、いくつも火を付けては、同じ時間に消えるという失敗もしました。消えたら付けるという行動が面倒だったからですが、ものぐさの失敗は、ある意味では、当然の報いなのでしょう。
それでは、思った事を綴ります。
曖昧であることを、最近、考えるようになりました。
確定しているものは、非常にシンプルで効率的なものだと思ってしまいがちですが、曖昧というもの、こちらの方が、本当は使い勝手が良いのではないか、と思っているからです。どうとでも受け取れるということは、非常に多機能なことだ、とも思います。
場合によっては、確定させたが為に、難しくなり過ぎ、非効率になることもあるだろうな、とも感じました。
今回は、その点のみ、書いてみようと思います。
まずは、想像してみましょう。白い紙の上に、黒い円形の紙がある。動かずに在り続ける。
確定している状態です。鉛筆で書くなら、黒い紙に沿って書くと思います。
次に、白い紙の上に黒い円形の紙がある。それが、何処かをしてんに、円運動をしている。
曖昧な状態です。鉛筆で書くなら、黒い紙に沿って書きたいが、それは無理なので、黒い紙が動く範囲をフリーハンドで書くでしょう。
二つ、鉛筆で書いた物がありますが、その大きさは違うはずです。それは、そうでしょう。片方は、動いていますからね。
では、曖昧だった方を確定してみましょう。
黒い紙を、好きな所で止めます。
フリーハンドで書いた物には、余白が出来ていますね。どこで止めても、余白が出来る。
これが、人の関わる物である場合は、どうなるでしょう。余白の中の人は、どうなるのか。
大抵の場合は、人は優しいですから、その余白を埋めるように、新しい小さい黒い円を作ります。余白が埋まるまで、それを繰り返して行くでしょう。
ですが、いくら埋めても、円と円ですから、白い余白は埋まりません。重なるように配置していくと、得をする人も出てきます。確定させる為の時間もかかりますし、範囲を決めるのも、妥当性が必要になります。
面倒だからと、フリーハンドで書いた物と、同じ大きさくらいの黒い円を用意します。確定させる物の範囲を広げたのです。これで良いでしょうと、皆、思ってしまいがちです。
今度は、前よりも時間やお金などが、かかるようになったりもします。維持していくには、人が多いのです。
曖昧であった物を確定させるには、労力と時間が必要になりますし、曖昧であった物の可動域を最大範囲まで広げた物を用意すると、維持していくのが難しくなります。
曖昧で良かったのに、と思う部分です。
何かを、確定しておくのは必要だと思いますが、全てを確定していくと、困ることが多くなるように思います。
まだ、様々な部分で、人の手を使ってやっているのですから、それがロボットやAIなどに切り替わるまでは、曖昧であることは正しいことかもしれません。
それに、人は、個々人の丁度良さ、を重視しています。これは、人にしか作り出せない、曖昧な部分です。これに対応できるのは、人しかないだろうと思います。
様々な好き嫌いがあることも、人が曖昧を作り出す理由だろう、とも考えます。人であれば、必ずこれが嫌いであるという物、人であれば、必ずこれが好きという物が、確定していないからでしょう。決められて貰っても困る物ですが、だからこそ、人間は曖昧なのです。
曖昧は、良き形で使えれば、非常に有益な物です。楽に生きていけますからね。決まっていない方が、安定感があります。
曖昧を、変な形で使うと信頼を失いますけどね。時間や場所を曖昧にすると、面倒なことにもなります。ゲームにすると面白そうですが。
それでは、閉じたいと思います。
ご拝読いただき、ありがとうございました。




