風呂の湯で、上側と下側の温度差よ
袋小路 めいろです。夏ですね。ビキニとニキビの季節です。(吹出物には、気をつけましょう)甲子園も楽しみですし、スポーツの夏ですね。気温が高い?夏が暑いのは普通ですよ。雨が降ったら、濡れるのと同じです。他人の暑いに共感しているなら、更に暑く感じるみたいですよ。心理学的に。
暑さには、適切に対処することが大切ですね。タイマーを準備して時間をはかり、強制的に日陰で休む、強制的に水と塩分を補給する。強制的にさせられても、きっと、文句は出ないでしょう。エアコンも良いですけど、エアコンを取り付けるのも人ですからね。
それでは、思った事を綴ります。
ご近所トラブルという物がありますね。トラブルですから、あまり良い物では無いでしょう。
ですが、このトラブル。片方だけの言い分が流れていますし、片方が正常な状態では無い場合も流れていたりと、何と無く、偏りがあるように感じます。
例えば、音ですね。(音だけにしましょう。面倒です)騒音と言われる物です。テレビの音などの生活音から、近所の工事の音、車やバイクの音、ポルターガイストによる音。
最後のは、誰も悪くないように思えますね。言いに行って、お互いに、顔が青くなってしまうのを想像するのは、別腹的に面白いです。
話が逸れました。大抵の場合、生活音が一番のトラブルになると予想できます。
車やバイクの人へ注意に行く人は少ないですし、定期的に通るのであれば警察へ電話をして、対応してもらう人の方が多いでしょう。
工事は期間が決まっているでしょうし、長引いて体調不良になるならば、工事を頼んでいる人や工事を請け負っている人、市役所などへ、対応をお願いする方が多いと思います。
どちらも住んでいる上で、その後に住み難くなることは無いでしょう。
面倒なのは、住民による生活音ですね。場合によっては、住み難くなる事、この上ないです。
ですが、何をもって、生活音が騒音となるのでしょう。勿論、事件になるような嫌がらせは最初から入っておりません。あれは、騒音とは別の何かでしょう。嫌音みたいな物で、人の心音みたいな感じでしょうから。
話を戻します。普通に生活をしていて、騒音となりそうな物があります。掃除機、洗濯機、テレビ、エアコン、音楽機器などなどに、人の出す声、足音、家具の組み立てなどの作業音、たぶん、終わりは無いですね。
大抵は、「今日は、騒がしい」という日が存在すると思います。その一日、二日で、「騒がしいので止めて下さい」と言いに行く人は少ないでしょう。子育て中だったとしても、「昨日は無かった音が、今日はする」くらいでは、正常な判断ができる状態であれば、様子を見るはずです。育児で追い込まれているなら、この限りでは無いでしょうけどね。
毎日のように音が鳴る物といえば、テレビの音量でしょうか。プラスして、笑い声もあるでしょう。アパートなどは、特に気になると思います。
隣に引っ越して来た住人が、毎日のように大音量でテレビを見る。気になる人は、気になってしまうでしょう。一、二週間くらいで、言いに行ってしまうと思います。大家さんに連絡をして、言ってもらう方も居るでしょうね。
五月蝿いという言い分は、今の社会雰囲気であれば、十二分に許容される物です。大手を振って、言いに行くでしょう。自分に間違いは無いと思って居るでしょうし、当然の権利だと思っています。
それで、相手に伝える。相手も、穏便に済ませたいでしょうから、「申し訳ない」の一言を伸ばしたような謝罪をされると思います。
「五月蝿い」と言った方は、これで終わりですね。後は、その後の経過観察をするだけです。
また、聞こえてくるようなら、再びという感じでしょう。
言われた側は、どうするのでしょうか。
大音量のテレビが、その人にとって「普通」の状態であれば、「普通を止めて下さい」と言われたに等しいのです。
テレビを見ない事に出来るでしょうか。
それは、言った側が、望んでいる事では無いですよね。言った側の耳に入った場合、気分の良くない物事になってしまいます。自分の一言の所為で、テレビを見るという行動自体を止めさせてしまった訳ですからね。音が五月蝿かったという指摘に対して、的外れな行動でもあります。
大抵、ヘッドフォンか、イヤフォンをテレビに付ける事になるでしょう。テレビを見る事と、周りに迷惑をかけないという事を、同時に出来る訳ですからね。
ですが、言った側が、言われた側に制限を付けている状態は、全く変わっていない気もしますよね。言った側は五月蝿くないから良いのですが、言われた側は、場合によっては費用をかけて、現状を維持し続けなくてはなりません。
(目も悪くなるかも)
少しアンバランスではないか、と思う人も居るかもしれません。
では、何が足りないのでしょう。
言った側の「我慢」でしょうか。言われた側の「大音量のテレビが普通である」という状態を作ったからでしょうか。
言った側の我慢は、短い日数でしたから、全く足りないかもしれません。しかし、騒音と暮らすと病気になります。適切な判断とも言えるでしょう。
言われた側の状態も、職業によっては、耳が悪くなる事があるのですから、良くないとは言えません。船員などは、騒音の中で、耳栓をしながら仕事をするのですが、勤務期間が長くなれば悪くなります。家族に、そのような職業に就いている人が居るなら、環境がそうなっているのですから、自らが働いていなくとも、自ずと其方側に引っ張られます。
結果ですか。足りない物はありませんよ。仕方ない、という形しかありませんからね。
人の世の物事は、このようになる場合もあるのです。白か、黒かで決めている内は、納得できないと思います。
相手の事を思って我慢するのも、相手の事を思って過剰に反応するのも、全く得策では無い。
隣人が病気にならず、隣人がテレビを見れる。
この結果に落ち着くのが、双方にとってのベストであり、片方だけのベストを勝ち取ろうなどと、微塵も思ってはいけないと考えます。
不要な争いを避けることは難しいとは思いますが、不要な争いを避ける為に、我慢と制限、主張と納得は上手く使いましょう、という事だろうと思います。
世の中を上手く回すとは、これを使えているかだろうなと感じましたね。
それでは、閉じたいと思います。
ご拝読いただき、ありがとうございました。




