ファイヤーポリッシュ加工された磨りガラスの中で
袋小路 めいろです。考えが纏まり、数枚書いては、クシャクシャに丸めている日々。豆大福が食べたいです。出来る限り、粒多くて豆感があるやつを。そんなやつをおやつに。
では、思った事を綴ります。
選挙云々ありましたが、ちゃんと一票を、期日前投票で入れてきました。「自民党やろ〜」と言っているご年配の間を通り抜けて。
声に出して言っちゃうんだなとは思いましたが、人間は、歳を取る度に失う物が無くなっていきます。失う物が無い人の訴えには、無敵のパワーがあるなぁとも思いましたね・・・。
後、裁判官の国民審査も抜かりなく、各裁判官の事をネットで調べあげ、僕の「主考」に合わない人にはバツを付けました。ここまでやっている人は少ないので、逆に、やり甲斐があったというのが、終わった後の感想でしたね。
まぁ、その事は良いとして、なろうでの異世界云々の話をしましょう。
僕は、読んで思う所があった方には、必ず感想を書いているのですが、とある方のエッセイを読んで、考えた後に書いた感想の一部分を引用して言いたい事があります。
「全てのフィクション作家よ。あなた方が書いている作品は、全て異世界だ。
ただ、現実に似ているという作品が存在するだけである」
この言葉で、純文学もライトノベルも、他のジャンルの作品も、変わらないという事がお判りでしょう。ノンフィクション作家であれ、行き過ぎだ考察がある場合は、異世界を書いているのと変わらない訳ですし。
フィクション作家は、現実世界では有り得ない事を書いているという点で、全て同じであり、優劣があるとすれば作者の想像力に対してでしょう。もしくは、どれだけ考えたか、どれだけ閃いたかでしょうね。
構成能力なんかも必要でしょうが、そこは努力でなんとかなる気がします。数を書くしか無いですけどね。
全て同じ異世界なのに、何故、ジャンル毎の評価がバラつくのか。食わず嫌いや、趣味趣向の所為だと揶揄されても、仕方ないですね。そういう考えの方が集まっていると、言ってしまうのではなく言えてしまうのは、本好きとしては悲しい事でしょう。
無料だからと、フランス料理のフルコースや日本の懐石料理の皿一つだけを、そのコース料理の数分、持ってきてくれないかと言っているような物です。節操が無いと言われても仕方ありませんし、大多数派で、サイトの色が判断されてしまうのが世の中という物です。これは、一個人の主張関係なく、なろうを利用する全ての人を対象に発生する事象です。面倒な話ですよね。
だったら、肥大した部分を分離独立させ、新しいサイトを作ってくれないかと、言いたくなってしまいます。集客率が見込める訳ですから、質も向上し易いでしょうし、一つのジャンルの一つのランキングだけを注目できるので、読む側も楽です。成り立つジャンルだけ独立させれば、日の当たらなかったジャンルも目立つようになるでしょう。体形を変えていく事で、とどまる人も多くなる筈です。
読み手の雑食系が推奨されれば、少しは穏やかになるかもしれませんが、毎年のようにテンプレ云々、転生云々とあるのは、可笑しな話ですねと上がる度に思うようになりました。本当にどうでも良い話です。
皆さんは、ジャンル違えど同じ土俵な訳ですから、脳を好きなように使い、極限にまで磨きあげた異世界物を作るべきです。趣味だからとか言っていたとしても、本気になれる趣味であれば磨いても構わないですし、読み手には、そんなの関係ありません。
釣り銭切らしたコンビニのレジと店員みたいな、「申し訳ありませんが、丁度でお願いします」と頼んでいる場合では無いのです。だって、そんなの関係無いですからね、読み手にとっては。頗るどうでも良い話な訳です。
エタっている僕が、言える話ではありませんけどね。それでも、出来る人は、やってみてねって事でお願いします。
読む方へ言いたいのは、全てのジャンルは、磨りガラスで分けられています。覗こうと思えば、覗ける訳です。
曜日別に読んでも良いですし、読み進めるスピードも自由なのです。ある日、突然消される事はありますが、余程の時以外は無いでしょう。ですから、食わず嫌いや趣味趣向に、摘み食いが加わったとしても、悪くは無い筈ですし、新しい大陸の発見でも、してみてはいかがでしょうかとも思います。コンビニの声掛けみたいですが、それはそれ、これはこれです。
後は、考えずに読む方の存在は、面倒な事ですね。漫画の方が、考えさせられてしまう現実を、考えていないから出来るのでしょうけど。
本当は、肩を並べての二本柱として、漫画と活字は、存在しなければいけないのです。
たまに、活字が漫画に置き換わるみたいな事をいう人が居ますが、置き換われる訳が無いのです。脳内の動きが違うのに、置き換わったら困るんですよね。プラス、全く違う芸術作品なんですから、「双方、楽しみなさい」という話なんです。
美味しいとこ取りも出来ません。挿し絵が多過ぎると、人によっては、活字側が薄味に感じたりします。活字を読むぞって人のやる気を削ぐ場合があるのです。この場面に、何故、挿し絵を入れたんだという事だってあります。
作品が薄味になるとは、どれだけ考えていたり閃いていたりしていても、本末転倒な話になってきます。勿体ないなと、たまに思うんですよね。
この辺で閉じたいと思います。書き過ぎると、考えられなくなる場合がありますからね。
ご拝読ありがとうございました。




