表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷路ってどこですか?  作者: 袋小路 めいろ
10/29

リバーシで四角取っても負ける事はある

 袋小路 めいろです。月一投稿できず、なんだかんだになってしまいました。埋め合わせしないといけない。誰に対してかは、わかりませんが。

 8月は、夏の歌を思い出しながら、「おれ」が入っていたなとか、アップテンポな曲だったなとか余計な事を考えていました。

 そして、お団子を食べていました。



 では、思った事を綴りましょう。



 夏。それは、戦争と平和を考える季節になっています。それが無い夏を、僕等は永遠に知る事は無いのかもしれません。

 とりあえず、これを読める方々には一生わからないと言えるでしょう。勿論、僕も含めてですが。



 さて、平和についての番組の多い事。他国では、あんなに多くはないでしょう。ケーブルテレビやネットテレビでは、他国でも多く流されているかもしれませんが。



 日本では地上波で、どでかい枠を設けています。別段、そんなに悪い事では無いような気がしますが、人間の行う事は、善業であれ何であれ表裏一体になります。



 例えば、対話。良く抑止力としての対話を、平和構築の為に持ち出す方はいます。が、この対話という方法。相手も話をしたいという事が、確定事項でなければ成り立ちません。

 僕みたいな変人は、相手が話で何かしようとしている場合、話を聞く事はしないです。



 何故か。相手の意向に沿う理由が無いからです。僕は、僕が話を聞きたいと思えば聞くし、僕が話を聞きたくないと思えば聞きません。それは、皆さんでも同じ事でしょう。

 全ての人間の話を聞かなければならないとは決まっていません。では、話を聞きたくない相手からの対話の要請は、ただの迷惑メール程の価値しかないのだと思うのです。



 ですが、僕等の周りでは、対話をする事を正しいとしている雰囲気があります。その雰囲気が相手側にある場合、僕ならば自分にとって、有益な形になるように利用しようとするでしょう。項目によりラインを引いて、相手側が達成するかしないかを見ながら、自らの利益にしていく筈です。


「話をするよ」


「本当に?ありがとう」


「じゃあ、コーヒー奢って」


「仕様が無いなぁ」


 一番単純な所では、この様な感じでしょうか。この感じにした事がある人、この感じをされた事がある人が、多分、それなりに居る筈です。

 それでは、その後、場所を変えて、対話をした事を語った場合、まるで良き事の様に皆さんに伝わる筈です。コーヒーの存在は、どこにもありません。対話をした事実のみが、一人歩きをするのです。だとしたら、コーヒーは言ってみる物だと思うのですが、そう思うのは、皆さんも同じかもしれませんね。

 ですが、国と国の場合、コーヒーの存在はどうなるのでしょうか。純粋なる対話は、この世に存在しないかもしれませんね。



 まぁ、この事はどうでも良く、僕が一番考えていた事は、人間の行う事は表裏一体であるという部分です。

 人が何かすると、それに対しての反応は善と悪に別れます。それは、世界で一番良き行為であれ、例外ではありません。

 世界の大半が賞賛する行為でも、賞賛しない人は居ます。当たり前ですね。個人の価値観ですから。自由です。

 つまり、どう足掻いても100%の一致団結は、出来ないという事になります。そして、これに対しての人類の言い訳が、多様化なのでしょう。



 大きな枠も大切だけど、小さな枠も大切にしようという事が、多様化の意味合いの一部分であると僕は思っています。

 小さな枠だけを、大切にしようという事では無いはずです。小さな枠だけを大切にしていたら、独立国家乱立しますからね。世界で見れば、一万カ国くらいになるかもしれません。日本も分かれ分かれて、戦国時代のようになるかもしれませんね。今考えれば、戦国時代は多様化の時代だったのでしょう。



 それに、雨雲の中のチリのように、人同士が打つかりあって、雷が沢山発生するかもしれませんね。大切にするが故に、人はぶつかり合うのだと思います。

 自分と相手にとって、より良い世界を作りたいと思っている筈ですから、その行為自体は仕方ないのでしょう。そして、自らの存在が脅かされるなら、武器を使ったとしても仕方ないのかもしれません。



 表裏一体から少しズレましたが、人は裏と表を選んで生きています。これが、ぴったり同じように選べた人間が、価値観が同じと言えるのかもしれません。

 そんな事はどうでも良くて、事柄一つに対して、裏と表を選べるという点が気になるのです。報道や情報を受けて、裏と表を選べる。人の心情に任せて選べるのです。



 例えば、オレオレ詐欺。今は名称が違っているとは思いますが、オレオレ詐欺の報道があったとします。事細かに伝わり、普通の人であれば、気をつけようとか、もっと違う風に騙しに来るかもしれないと考えたり、実家に伝えておこうと行動を起こしたりするでしょう。他にも、有益な情報に対して、綺麗な形で行動しようとしますね。表の受け取り方です。

 では、裏側。「今はあんな感じになっているのか、じゃあ、あれを土台にして新しく考えよう」とか、「オレオレ詐欺って凄く稼げるんだな、やってみようかな」とか、なる人が居るかもしれません。有益な情報に対して、世間一般でいう黒い形で行動を取る事が出来ます。



 これは、全ての事柄に言えます。情報を知る上での人間性に、全ての事柄が頼っている状態なのです。人間社会では、仕方ない事柄ではあります。考えなくて良い事が増える中で、個々人が考えを多様化させようとは思わない。楽な中で過ごす方が、安心だからでもあります。AIの存在で、それは益々進むでしょう。



 だとしたら、人間性は、良くする事が出来ないのか。人間性は、100%正しいと思われる状況下であれ、必ず良くなるとは言えません。悪人は、必ず生まれる物です。そして、一瞬であれ、誰もが悪人になれるのです。僕は、そう思っています。そうでなければ、とりあえず平和なこの国で、殺人のニュースが紛れ込む訳が無いでしょう。



 心情は、不確かな物だと言えます。だから、宗教や占い、統計学等で、人によっては補完しているのでしょう。

 ここで、某人造兵器の補完計画を思い出しますが、ある意味でちゃんと補完されてますからね。あれだけ人気が出て、好きな人が多いという意味では補完されているのでしょう。作り手の経済と、個々人の趣向がしっかりとね。



 やっぱりズレましたが、まぁ、人間は不確かな心情を元に生きているので、結局は同じ所をグルグル回っているだけなのかもしれません。進んでいるのは、科学的に分かった事や出来る事だけなのかもしれない。

 人間は、考える事で生き残り、考える事で繁栄してきた生き物ですからね。考える事は、人間にとっての戦い方だと言えますし。チーターの足が速い事のように。考えない事は、戦えていない事だとも言い換えられますが。



 つまり、多様な考えを一人で構築する事が出来る人間が、これから先、大人と呼ばれる存在になるといえるでしょう。裏と表を一人で考えて、情報の在り方に対して何かを言う事が出来る存在。

 多分、僕は成れません。どうしても、瞬発力みたいな物が働いてしまうし、偏りや固まりがある。人間性のシコリみたいな物がある。必要な場合もあるから、多分、捨て切れないからなぁ。こだわりとは、たまに面倒な物だ。早く、有益なパートナーAIとか出来ないかなぁ。

 自分では思いつかない意見を、瞬間的に的確に得られる状態というのは、羨ましい限りだ。考える事を多様化するにしろ、人間には限界がある物だから。

 裏と表も、本来は面倒な事だから考えていない。何故だろう、便利って煩わしいなぁ。




 それでは、閉じたいと思います。

 ご拝読、ありがとうございました。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ