魔王を襲名する
長期休暇でもないのに、俺は実家に戻ることになった。
突然、学院の理事長に呼び出されたと思ったら、直々に実家に戻れと命令されたからだ。
きっぱりと嫌だと断ったのだが、理事長に私の首が飛ぶから勘弁してくださいと泣き付かれて、仕方無く戻ることになった。
馬車はいくつもの野と山を越え、目的地に辿り着く。テレポートを使っても良いけど、出来るだけ時間をかけたかったんだ。
俺の故郷は険しい山々に囲われた温泉の湧く街。
その街の入り口で馬車から降りた瞬間、俺はげんなりとしてため息をついた。
「「おかえりなさいませ若様!」」
街の全員が総出で左右二列に整列し、頭を深々と下げたのだ。
何度見てもこの光景には慣れないなぁ……と思いながら皆に頭を上げるように伝える。
その中でも一番前にいたメイドのキャスさんに声をかける。
「というか、キャスさん、若様は止めてくれって言ってるだろう?」
「そうでしたね。すみません。フェイ様」
あれ? いつもは何を言いますか。若様は若様でしょう。とか言うんだけれど。
まぁ、フェイ様と呼ばれるのも十分恥ずかしいけど、若様より幾分かマシかな。
何せ俺は出来るだけこの稼業を継ぎたくないのだから。
「今日から第十三代目魔王ですもんね!」
ん? 今この子何て言った?
「十三代目の魔王を襲名するフェイ様と盟約を交わすためにいらした各国の王家は、城で待って貰っています」
俺の実家は魔王やっています。なんてとても人様には言える仕事じゃない。
ここにいる人たちも全て実は魔物で、人の姿は仮の姿でしかない。
このメイドのキャスさんだって、実はサキュバスだ。その本能で何度か精気を吸われたこともある。
もしも、俺が魔王になったらこのメイドサキュバスさんみたいな魔物たちを引き連れて、敵対する魔物の派閥や人間と戦ったりする訳になるのだが――。
「ちょっと待って! 俺、魔王襲名するなんて一言も言って無いぞ!?」
「それはそうですよ。十二代目魔王様が手紙にそう記して去ってしまったので」
「親父たちが死んだのか!?」
そうでもなきゃ、こんな急に俺の十三代目襲名が決まる訳がない。
そもそも、そんな事になる前に、俺は王都で職を見つけて、戦いとは無縁な自由気ままに生きていくハズだったのに!
あの殺しても死なないような親父たちが死んだ!?
「ご存命ですよ? 夫婦喧嘩で山を二つほど消し飛ばすほど元気がありあまっています。ほら、あそこ、山が削れているでしょう? 先週出来たばかりの傷で、右側が旦那様、左側が奥様です」
「何やってんだよあの迷惑夫婦はああああ!?」
メイドさんが指さした方を見ると、それはもう見事に山がくり抜かれていた。
山の斜面が巨大なスプーンでくり抜かれたみたいにポッカリ穴が空いている。
「あんな大惨事になる前に誰か止めてよ!? あんなところに湖も出来てなかったよね!? また地面抉ったんだなあの二人!」
「いやー……夫婦喧嘩は犬も食わないっていいますし。実際、獣魔頭領ケルベロスのケルさんもあれには手を出したくないと、手を出したら首が全部飛ぶ、マジ死ぬ、と屋敷の隅で震えていました」
メイドさんは笑顔で目を反らしてそんなことを言う。
ケルベロスのケルさん、マジごめんなさい。俺が家を出てから、トラウマがより深く刻まれたみたいだね……。
ちなみに魔物種族ごとに頭領がいて、ケルさんって獣魔じゃ一番偉くて強い人なんだけど、このありさまです。マジ迷惑な夫婦だ。
「勇者と魔王の喧嘩に首出せるのなんて、フェイ様くらいでは? フェイ様がここにいらしたころは、フェイ様の防御魔法のおかげで、城の外まで被害は及びませんでしたから。おかげで、フェイ様を失って配下一同若様の偉大さを実感しましたよ。フェイ様が人里にご遊学の間、街が何度か消し炭になったんですから」
「ごめんなさい。迷惑な両親で……」
「気になさらないで下さい。フェイ様に魔王の座を押しつけた二人は、そのまま出来なかった新婚旅行に旅立ちました。おかげで当分帰ってこないので、平和が続くと皆喜んでいます」
「マジで迷惑な両親だなおい! さすが魔王だよ! というか母さんも勇者なら街の被害を考えろよ!」
そう、俺の父親は百年程前、世界を統一しかけた最強の魔王で、俺の母親はその魔王を追い詰めた最高の勇者だった。
それが何の因果か二人は互いに恋に落ち、魔王である親父は各国に密約を持ちかけた。
二人の恋と生活を邪魔しなければ、各国を襲わないし、危機に陥った際に魔王の力を貸す、と。
そんなメチャクチャな密約を誰も飲まないと思ったが、二人はこの密約を飲ませるために大立ち回りをした。
まず魔王についていた魔物が安全であるという証明に、魔王である父は配下の魔物を人型に変えて力を封じ、何もなければ人に危害を加えさせないように呪いをかけた。その上で、配下の魔物たちを使って、各国の再興に手を貸したのだ。
そして、魔王に従わない魔物の派閥を、勇者である母とともに征伐し、人と魔物が争う歴史に終止符を打ったという。
ちなみに俺が生まれたのは、その征伐が終わって、ようやく腰を落ち着けたからだったそうな。
とまぁ、そんなメチャクチャなことをやったおかげで、各国の王はその密約を飲まざるを得なかった。
そして、そんな魔物と人の盟約は、人の王が変わるか魔王が変わる度に更新される取り決めが為されている。
そうして、改めて平和を誓うのだが――。
「平和の象徴ねぇ……? 破壊の象徴しかないぞここ」
王家の人が来る時に、村の観光案内をするのだけれど、あちらの湖は魔王様と勇者様が味付けでもめた際の喧嘩で出来た穴に雪解け水が溜まったものです、とか、この温泉は勇者様が照れて魔王様をはたいたら、大地が割れて湧き出たお湯です、とか、思わず顔がひきつるエピソードがいっぱいある。
各国の王は、きっと断ったら自分たちがこんな目に会わされると思い、胃が痛む思いで盟約を受け入れたのだろう。
実際、俺はそんな無茶苦茶な両親に巻き込まれて、酷い目に何度もあった。
味付けの好みが合わず、爆炎と剣が飛び交う食卓。どっちが俺と一緒にお風呂に入るかもめて、間欠泉と溶岩の噴き上がるお風呂。
些細なことから始まる喧嘩で、周りは地獄絵図と化すのに、喧嘩している二人はメチャクチャ楽しそうというおかしな空間が広がるんだ。
きっと本人達はじゃれているだけなんだ。けど、猛獣が人にじゃれつけばタダじゃ済まないように、周りの人も魔物もたまったもんじゃない被害が襲いかかっただけなんだよなぁ……。
俺、あんな人たちの仲間入りしたくないんだけど。
「魔王なんかになったら俺の魔法古書店の夢はなくなるだろ!? 俺はだらだらと好きな本を読みふけって生きていたいんだ! 絶対魔王なんて襲名したくない!」
「フェイ様、そのお気持ち良く分かります。少しでもお力になれればと思い、この日のために、ずっと胸に秘めていた一言を贈らせていただきます」
サキュバスメイドのキャスさんが俺の手を握り、思い詰めた表情で顔をぐっと近づけてくる。
従者だと分かっていても、憂いを帯びた瞳に吸い込まれそうで、思わず息を飲んでしまった。
もしかして、俺の気持ちを悟って逃げ道を用意してくれているとか?
「あきらめてください」
「そんな言葉ずっと胸に秘めとかないで捨てておいてよ!? ぜんっぜん嬉しくない!」
このダメイドめ! お仕置きすんぞ!
「いえ、マジメな話しです。だって、私たち人化された魔物は魔王様の魔力が無ければ、もとの姿に戻れません。十二代目様が新婚旅行で逃げ出した今、私たちの力を操ることができるのはフェイ様だけですよ? フェイ様は私たちを路頭に迷わせるつもりですか?」
「うっ……」
それを言われるとすごく困る。
親父たちのワガママのせいで、魔物のみなさんは力を封じられている。それを甘んじて受け入れているのは、親父の圧倒的な力というのもあるが、ちゃんと力を解放してガス抜きも上手くやっているからだ。
しかも、魔物の力を解放してこなすような仕事まで取ってくるおかげで、みんなは路頭に迷わず、この隠れた街で楽しく生きているのだ。
「それに、魔王の座が空席のままだと、魔王の座を巡って、ドラゴン族頭領のラゴウ様と悪魔族頭領のバアル様が戦争を起こしかねませんよ?」
ラゴウとバアルは配下の魔物の中でも特に力があり、親父たちみたいに地形を変えるまでは出来ないけど、暴れれば村どころか街一つは簡単に消せるだろう。
それが、本気の殺し合いを始めたら、各種族を率いて戦うだろうし、世界を巻き込んでの戦争になってもおかしくない。
「うぐ……確かに二人の魔力なら、人化の術式も解明して自分の物にしかねないし、魔物の主導権を巡って大変なことになるな……」
「でしょう? そうなったら人との盟約も維持されるかどうか分かりませんよ? 平和で安静な本の虫になれると思います?」
「……無理だな。はぁ、やっぱり俺が魔王を襲名するしかないか……」
ラゴウもバアルも俺が次期魔王だとずっと言っていたし、俺が就任する分には諸手を挙げて歓迎してくれるはずだ。
「ふふふ、ここでこの私が長年温めてきた策を授けましょう」
「さっきの言葉の手前、期待出来ないけど……一応聞いておくよ」
「新しい盟約を加えれば良いのですよ。第十三代目魔王フェイの私生活と夢の邪魔をするなって」
「あぁ、なるほど。そうか。俺が盟約を付け加えるのか」
こうして、俺は逃げ道を完全に潰されて、見出した一筋の光明に飛びついた。
その結果、何食わぬ顔で学生として過ごす顔と、魔王として世界を裏から操る顔の、二つの顔を持つことになる。